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建築 (16)

【動画】坂 茂によるトーク

2012年3月3日に行われた、坂 茂(建築家)によるトーク「『アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue』展+ポンピドゥー・センター・メス+災害支援活動」の動画をご覧頂けます。


10 UNIT SYSTEM

Gallery 2
会場風景(撮影:吉村昌也)

6画面の大型プロジェクションでアーヴィング・ペンの写真を投影しているギャラリー2の展示で使用されている椅子は、本展の会場構成を担当した坂 茂が、フィンランドを代表するインテリアメーカー アルテックのためにデザインした10 UNIT SYSTEM。

その名に示されるように、10点のL字ユニットから構成されています。会場では椅子や背もたれのないスツールとして使用していますが、このほかにもテーブルのフレーム等、いろいろなかたちに組み立てることができます。簡単に組立および解体が可能でもあり、さまざまな組みあわせによって、独自の空間プランをつくり出せます。

また、使用されている素材はUPM ProFi という再生プラスチックと再生紙の混合材です。これはペットボトルなどに使用される粘着ラベルの製造過程でうまれる端材を原料としており、このうちリサイクルされた素材が占める割合はおよそ60%。プラスチックと木の繊維の特徴を兼ね備え、耐久性に優れ湿度や紫外線による影響も受けにくいため、屋内外を問わず幅広い場面で使用することができます。さらに、素材を再度製造工程でリサイクルすることや有害物質を出さず焼却することもでき、製品のライフサイクルを通して環境に負荷が少ない方法が実現されています。

www.artek.fi

10 UNIT SYSTEM

TV放映のお知らせ:建築家 安藤忠雄「仕事学のすすめ」

「安藤忠雄/仕事学のすすめ〜自ら仕事を創造せよ〜」

NHK教育テレビ(Eテレ)
全4回 午後22:25 〜 22:50 毎週水曜日

第1回:3月7日放送、3月14日再放送
第2回:3月14日放送、3月21日再放送
第3回:3月21日放送、3月28日再放送
第4回:3月28日放送、4月2日、5日再放送

番組ホームページ

建築家の安藤忠雄が「混迷の時代にこそいかにして自ら仕事を創造するか」ということについて語り、その仕事を振り返る全4回に渡る番組です。
第3回(3月21日放送、3月28日再放送)の中で安藤は、21_21 DESIGN SIGHTの着想から完成までのプロセスを通して、三宅一生との出逢いを振り返り、そのやりとりから生まれた想いを語ります。

是非ご覧下さい。

民主的なデザイン

トークの様子


6月19日、「倉俣デザインの未来を語る」と題し、倉俣史朗の作品をリスペクトする若い世代の建築家によるトークが行われました。

冒頭に展覧会ディレクターの関康子より、すでに故人となった倉俣史朗とエットレ・ソットサスの大きな業績や人間性を若い世代に知ってほしい、またその想いを引き継いでほしいとの思いから本展を企画したことが述べられました。
この後はデザインディレクターの岡田栄造が進行役となり、建築家の五十嵐淳、中山英之がそれぞれに倉俣デザインの体験を語ります。

まずは岡田、五十嵐、中山の三人が、どう倉俣の作品に出合ったか。
1970年生まれの岡田と五十嵐、1972年生まれの中山は、倉俣の晩年は大学生で、彼の仕事を現役で見ていた最も若い世代です。
卒業論文も倉俣がテーマだったという岡田は、大学に入って間もなく雑誌の特集を通じて「ミス・ブランチ」を目にし、世界的に大きな評価を得ていることを伝える記事とともに大きな衝撃を受けたと言います。
北海道出身の五十嵐は、同時期に札幌の洋書店でやはり「ミス・ブランチ」が表紙だった書籍を見つけて、理論を超えて感覚に訴える魅力を感じたそうです。
一方中山は、美術の勉強を始めたころに、美術書の専門店で椅子に関する本の中で「ミス・ブランチ」を知り、その本の中で並べられたイームズ(当時はエアメスだと思っていた)等の作品に比べて倉俣作品は謎である、という印象を受けたそうです。
三者とも「ミス・ブランチ」をきっかけに倉俣作品に出会い、その体験を衝撃からスタートさせました。

五十嵐淳、中山英之


次に三人が倉俣作品をどう見ているのか、それぞれにベスト3の作品を挙げて語ります。
五十嵐のベスト3は、まず花柄のオフィスチェア(赤いバラの布ばりコクヨ椅子、1988)。これは普段よく見かけるタイプのオフィスチェアの張地を赤いバラ模様の布にしたデザイン。実は倉俣が事務什器のコンサルティングをしていたときのサンプル品で流通はされなかったそうです。しかしオフィスの中で働く人が少しでも自由を感じられるよう使用する人が張地を選べるようにと考えた倉俣の作品からは、デザインが現実にどれだけ自由をもたらすことができるかという強い意志を感じることができると述べました。二番目に選んだのはClub Juddの内装(1969)。スチールパイプを積み上げ、曲げた壁は単一素材の持つピュアな印象から逸脱しています。解釈する者の「誤読」の幅をどれだけ広く持てるか。これを五十嵐は「夢」と表現しました。
三番目は「エドワーズ本社ビルディング」の内装(1969)。蛍光灯の柱を林立させたデザインはこの後の五十嵐の作品にも影響を与えているのではないかと言います。

中山のセレクト一つ目は「Flower Vase #2」。鉄筋コンクリートを例に出し、圧縮に強いコンクリートと伸長に強い鉄を併用することで理想的な素材になったことと同じように、透明なアクリルの中にカラーのアクリルを埋めることで、カラーのアクリル単体より、より強く色を感じることができると述べました。
二番目は「64の本棚」(1972)。これはあらかじめ64に細かく区切られた棚で、使いやすさやフレキシブルの逆をゆく家具。しかし中山は、ものに主導があるような不条理が却って使い手に思考するきっかけを与えるのではないかと言います。
三番目は「ハウ・ハイザ・ムーン」(1986)。通常のソファーが皮張りや布張りであるのに対し、これはメタルのベンチ。なんのためにつくったのだろうという謎を中山は現代美術を参照しながら「ない」を表現したものではないかと述べます。倉俣が語った「一日に座っている時間より座っていない時間の方が多い」言葉を引用しながら椅子に座らないことで座ることを考えさせる椅子だとまとめました。

岡田のベスト3は、まず倉俣の代表作「ミス・ブランチ」。いわゆるモダンなデザインは装飾的要素を削除しストラクチャーのみで構成しているのに対し、「ミス・ブランチ」では表面に施すような花のモチーフを椅子の内部に埋め込み、装飾の構造化に挑んでいると述べました。「ミス・ブランチ」から20年以上たった今、様々な価値観が存在するなかで合理的なものとそうでないものの差がなくなってきているのではないかと指摘。倉俣の作品はこの光景を予見していたのではと驚くとともに、これからのデザイナーの役割について考えさせられると述べました。
二番目は「ラピュタ」(ベッド、1991)。特徴的に細長い形状から、岡田は倉俣の独特の身体性に言及しました。これについて中山は完成形の放棄に対する倉俣の責任の取り方だと述べ、五十嵐も、ベッドはこうあるものとすぐ分かる形を放棄してこそ使い手に自由を与えていると述べました。
三番目は「アモリーノ」(1990)。一見普通のキューピーですが背中の羽を動かしながら回転し、ウインクをする仕掛けになっています。通常、道具は身体の拡張手段としてデザインされているが、このキューピーはそれ自体が意志を持っているよう。無邪気でかわいいだけのはずのキューピーが「あなたをわかっています」とウインクする恐ろしさ。人型ロボットなどを参照しながら「意志を持つもの」がデザインの中に増えている現状もふまえて倉俣はここでも何かを予見していたのではないかと語りました。

トークは次に、倉俣作品とそれぞれ自身の作品との接点に展開。

五十嵐は自身の作品から「矩形の森」(2000)、「大阪現代演劇祭仮設劇場」(2005)を挙げ、これまで空間のなかで邪魔と扱われていた柱の採用、塩化ビニールによる抽象的な外壁の採用を通して使い手の方向性を決定しない空間づくりをしてきたと述べました。
これは続いて発表した中山の設計した北海道の平原でのカフェにも通ずる考えで、建築やデザインそのものに意味や用途を込めるのではなく、環境のなかで使い手が行動するための、きっかけとしてのものづくり。
中山は、この発想を教えてくれたのは倉俣だったと述べました。

トークの様子


さてトークはいったんここで終了。質疑応答に移ります。
トーク中に多く出た「椅子」について、登壇者のそれぞれがデザインする場合は何に注力するかという質問に対して、中山は自分が座ることと自分が座っている状態の全てに意識的でいたいと述べ、五十嵐は建物の天井など体に直接触れない部分に比べて椅子は迷う部分が非常に多いが、感覚的な問題と論理的な問題に優劣をつけずに実現させたい、一方で倉俣の椅子は無限に広がりをもっており今後も目標となるだろうと述べました。

話題がソットサスの「バレンタイン」(1969)に及んだとき、このタイプライターがデザインされた当時、タイピングは女性がオフィスでするものだったが、ソットサスはポータブルなデザインとオフィスらしからぬ赤い色でこの職業に自由を与えたエピソードが出ました。
また、倉俣が「管理者側から考えられているファシスト的なデザインは嫌だ」と述べた話から、岡田は彼らのデザインが用途や状況に束縛されたものではなく、とても「民主的」で、誰にとっても開放されたものであった、と述べ、思想的に引き継ぎながらも現在の社会と関わっていく中でわれわれはデザインを続けていく必要がある、とまとめました。

特別シンポジウム 「磯崎 新と語ろう!-倉俣史朗とエットレ・ソットサス」

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2月11日、建築家 磯崎 新と、インターネットによる公募から選ばれた井上真吾、松原 慈、溝口至亮、Nosigner、鈴木清巳5人を登壇者に迎え、展覧会特別シンポジウムが行われました。

まずは本展ディレクターであり、今回はモデレーターも務める関から展覧会や、倉俣史朗とエットレ・ソットサスの生涯や仕事の軌跡について紹介。その後シンポジウムは2部構成で進みます。

関から話し手のバトンが渡されると、第一部は磯崎による「ポスト・フェスティウム(祭りの後に)――エットレ/シローの1975年」と題したレクチャーがスタート。磯崎はメンフィスが始まる前の時代、倉俣とエットレが何をしていたのか、どんな付き合いがあったのか、その時代を同じく過ごした目線で語りました。
レクチャーの中では、ソットサスと倉俣がそれぞれ参加していた展覧会についても紹介。1976年「MAN Trance FORMS」展でそれまでしていたような「デザインをしたくない」といってソットサスが出展した写真作品は、「芸術的ではなく、ただの写真であった」といいます。一方、1978年「間」展に磯崎たっての希望で参加した倉俣は、出来たばかりの硝子同士の接着技術を使って、硝子の板で瞑想の部屋を作りました。
60年代にはどれだけ目立つかが「デザイン」だったが、70年代は「自分自身とデザインを批評しながら追い詰めていく」という、複雑な思想をもったジェネレーションだったと、彼らを見ていた磯崎はのちに理解したといいます。
それからソットサスと倉俣のプロダクトを、磯崎自身の作品や現代の作家の作品と比較しながら紹介。メンフィス以前の時代から30年後の今、当時のものづくりの姿勢を復活させようとしている人たちがいるようだ、と磯崎は締めくくりました。

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磯崎のレクチャーが終わると、5人の登壇者も登場。第二部は自らの活動や開発を発表した後、磯崎に質問をするかたちで始まりました。

当時と現代との違いや、似ている点、その中であるべき姿勢を語り合う中で、磯崎は倉俣やソットサスとのエピソードも披露。毎日1個ずつデザインをしていかないと追いつかないほど忙しかったという倉俣や、ソットサスとのユニークな会話の思い出に、会場からは笑い声も聴こえました。「現代に生きていたら2人は何をすると思いますか?」という質問に「昔と同じことをやるか、やらないかどっちかだろうと思う」と答えた磯崎。ものづくりに関わる環境や社会状勢が変化している中で知的に想像するのは難しいといいます。2人がいた時代を想像しながら、現代のこれから見据える登壇者たちの発言に、磯崎は大きく頷きました。

最後に関から、展覧会のキーとなっている1980年代がどのような時代だったかを質問。磯崎は「ポストモダンの時代に進む中間で、近代を否定しながらも次を見通せていたわけでもない、ごちゃごちゃとした時代だった」と答えました。かつての環境や情勢、デザインへの思考が、30年後に再びメジャーとなる「30年サイクル」の存在を説くと、倉俣やソットサスと過ごした80年代から30年たったのは今であると提言。以前と同じことをそのまま繰り返すのではなく、次に時代を作らなければならないのは君たちだ、と力強いエール送りました。
登壇者の背中をおす温かな拍手に包まれて、シンポジウムは終了となりました。

「ポスト・フォッシルな人々」 藤本壮介



現在、各地で活動している「ポスト・フォッシル」なものづくりを行うクリエイターを迎えたトークシリーズ。1回目の出演は建築家の藤本壮介です。



藤本が今回のトークのテーマに挙げたのは「プリミティブ・フューチャー」。今までの建築を自由に発想して「再構築」するということを、これから自身の建築に取り入れたいといいます。クリエイターは日々、素材や用途を問い直しながらものづくりに取り組むものであるとし、本展を通して、素材や作品の成り立ちに関してさまざまな問いが会場にあふれているのを感じ、「勇気をもらった」というエピソードも。



これまでの建築作品をモニターに映しながら、トークは進んでいきます。森の中に建つキューブ状の家や、東京の路地をイメージさせる部屋のある子どものための精神医療施設、いくつもの家が積み重なったような集合住宅、拡張する本棚をイメージした大学図書館など、ロケーションも多様です。

何もデザインしていないような、人間のためにしつらえられていない洞窟でも、きっかけがあれば如何様にも住むことができてしまう。そんな無限の可能性を持った建築ができれば、と藤本は語ります。化石燃料時代の機械を組み立てるような人間のための建築の先、未来に建つ住まいを想像できる充実した時間となりました。

安藤忠雄 大いに語る vol.2



4月11日土曜日午後、2回にわたり、建築家 安藤忠雄によるギャラリートークが開催されました。 21_21 DESIGN SIGHT の建築を設計した安藤は、今回の「U-Tsu-Wa/うつわ」展の会場構成も手がけ、展示のみどころについても話しました。

建築の分野に限らずさまざまな世界で活躍している安藤は、都市とは「緑」と「文化」があって成立するものだとの意見。ヨーロッパにみられる都市には活気のある文化施設があり、東京も是非、文化施設を大切にして欲しい。日本を「チャンスのある国」、外国人に対して「開かれた国」にし、誰でもチャンスを求めて日本に来るような「文化の国」にすべきだと語りました。

各回200名程の方にお集りいただき、トークの後にはサイン会も行い、大変にぎわいのある土曜日の午後となりました。

「U-Tsu-Wa/うつわ」展の見どころ vol.2

安藤忠雄の会場構成

両掌ですくいあげた、小さな宇宙----三宅一生が3作家のうつわから感じとった「宇宙」の空間表現は、安藤忠雄の手に託されました。それは、かつて自らが出会った感動のかたちを、次の時代の担い手たちに、ガラス越しではなく、直接届けたいという想いからです。

会場風景
Photo: Hiroshi Iwasaki
会場風景
Photo: Hiroshi Iwasaki

安藤忠雄が描いたのは、「水面に映える夜空の星」。水盤や粉砕ガラスの上に、3作家が持って生まれた星座----ルーシー・リィー(魚座)、ジェニファー・リー(獅子座)、エルンスト・ガンペール(牡羊座)----をなぞるように、うつわを浮かべました。2万8千個のガラス瓶を敷き詰めた水盤が、壁面に設えた滝のかすかな音とともに、会場内に静かな緊張感を生み出しています。子どもの頃に見た川の美しさを、いつか違うかたちで表現したいと考えていた安藤。会場の水の流れに対峙するように、サンクンコートには青々とした麦が生い茂っています。

安藤忠雄のギャラリーツアーが行われました。
ギャラリーツアーは、4月にも予定されています。


「U-Tsu-Wa/うつわ」展の見どころ vol.3 へ

安藤忠雄、大いに語る

安藤忠雄


安藤建築の中で、会場構成も安藤自身が手がけた「U-Tsu-Wa/うつわ」展。当日はたくさんの方がトークを聞くために集まりました。トークでは、三宅一生の服づくりのコンセプト"一枚の布"から着想を得てつくられた21_21 DESIGN SIGHTの建築についての話を交えながら、今回の会場構成のポイントについて語られました。

可会場風景
会場風景

今回の会場構成について安藤は、「三作家の高い美意識を際だたせるような演出を考えた」とし、「水」を使った演出にもついても触れました。小さい頃に見た川の美しさが忘れられず、その美しさを違う形に置き換えたいと常々考えていたという安藤。今回の演出では、水を使いながら「視覚だけなく、聴覚にも訴えるものにしたかった」とのこと。壁面に水を流す演出によって三作家の力強くも静謐な世界観を表現したかった、とその思いを語りました。

会場構成について

ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール。三人のアーティストのつくる〈うつわ〉には、生活文化としてのデザインの可能性が、実に豊かに示されている。

とりわけ、ルーシー・リーの作品は、一つ一つが前世紀の百年を陶芸に賭けて生き抜いた彼女の人生の結晶のようだ。モダニズム造形美の極みともいうべき、優雅に研ぎ澄まされたフォルム。美しさと同時に温かみを感じさせる、微妙でデリケートな陶器の素材感。あの白に輝く器たちの透明感は一体何なのかと、彼女の作品を目にするたび、不思議な感動を味わう。

展覧会では、彼女らのみずみずしい感性がより直接的に伝わるような空間演出を考えた。展示室内に水盤をつくり、その水の上に作品を浮かべる。流れる水という空白を介して、その静と動の狭間で、美しいうつわと対峙するという展示構成だ。訪れる人が、作品を通じて、それをつくった作家の心を感じられるような、展覧会になればと思う。

安藤忠雄

会場風景
Photo: Hiroshi Iwasaki

こども向けワークショップ 1「小枝でまちを作ろう!」開催

ワークショップ風景


11月30日、ガーデナーのディビット・ポラードと建築家の和久倫也によるこども向けワークショップ「小枝でまちを作ろう!」が開催されました。

ポラードと和久は、この夏から、国立や奥多摩などで採集してきた木の枝を使って家を作るプロジェクト「Natural House」を行ってきました。今回のワークショップは参加者がこの家を中心に見える景色をスケッチし、そこから自由に建物や乗り物を枝で表現し、街を作り上げるというもの。制作用に東京ミッドタウン内で集めた枝も特別に加えられました。2人がこの日のために21_21 DESIGN SIGHTのテラスに建てた家には、イチョウ・カエデ・サクラなどの枝が使われ、使い終わったトマト缶で枝と枝をつなぐアイデアに、来場者は驚きの様子でした。

こどもたちは真剣な様子で枝を選び、ポラードと和久に手伝ってもらいながら制作を行っていました。次第に周りで見ていた父兄も制作に参加し、色とりどりのテープやネットや洗濯バサミなどで飾り付けをし、個性的で賑やかな街が完成していきました。会場では、青空の下、親子の楽しそうな笑い声が響いていました。

ワークショップ風景


「枝のさまざまなかたちや質感を直接肌で感じてもらいたい。そこからインスピレーションを受け、デザインした街を自分の手で作り上げることでこどもの創造性が高まるのではないか」とポラードと和久。

私たちのすぐそばにある自然について改めて考えるきっかけを与える今回のワークショップは、展覧会のテーマ「セカンド・ネイチャー」につながっていました。

特別企画 「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」

21_21 DESIGN SIGHT 建築についての安藤忠雄のことばから

...かつて、ポール・ヴァレリイとポール・クローデルが対話し、「世界中の民族の中で滅びては困る民族がいるとしたらそれは日本人だ」と言ったことがあります。私はそれを、日本人の固有の美意識を滅ぼしてはならないということだと解釈しています。美意識には、たとえば責任感とか正義感といったものも含まれます。なかでも人や自然に対する礼儀、生きていくことへの礼儀。あるいは、ものをしっかりと見つめることもそうでしょう。

ところが、1960年代に高度成長期を迎えると、お金が儲かればいい、お金があれば豊かになれるという考えが主流になり、かつての美意識はどこかに消えてしまった。東京の街を見ればわかります。美しさを求めた景観ではありません。経済効率を優先した結果ですよ。
かつてイサムノグチさんとお会いした時、「ニッポンの美意識を取り戻さなければならない」と言われていました。
私と三宅一生さんとのつきあいは、35年くらいになるでしょうか。
「デザインという美意識の中に賭けている」と言っていた田中一光さんと3人で、いつかデザイン・ミュージアムを作ろうと話をしていた、そういった経験が、今に繋がっているという思いもあります。

日本が持つべき顔とは、美意識のある国としての顔ではないか。これを実現するために21_21 DESIGN SIGHTという考え方が必要だと思っています。

...経済効率一辺倒で無計画につくられた日本の都市へのアンチテーゼとして。もっと都市を美しくという意識をもって、私はこの21_21 DESIGN SIGHTに参加しています。

展覧会ポスター

21_21放談 vol.4 三宅一生×佐藤 卓×深澤直人×川上典李子 「オープン直前の21_21 DESIGN SIGHTで語るデザインの未来」 後編



21_21 DEISGN SIGHTは5感を使って「見る」場所


佐藤
普通、デザインの場合はメディアが規定されてからスタートするじゃないですか。でも21_21ではスタート地点がまったく違う。どこへ落とし込むかは自由なんです。そういうアプローチの仕方は普段していないことだと思うのです。だから脳がすごく活性化されるというのはあります。
深澤
やっぱりデザイナーって、あるお題を与えられたところで発想していくというトレーニングばかりをしているので、いざ、自発的にやってみようとしてもなかなか簡単にはできない。一方でアーティストというのは自発的に発想する、自分の目でものを見るということを常にトレーニングしている。
三宅
そういういろいろな人たちが一緒になってワークショップをすることで対話が生まれ、葛藤が生まれる。それが意外な才能の発見につながるのだと思います。
川上
「チョコレート」は、参加者のワークショップの積み重ねによって展覧会がつくられているわけですが、工業デザインからファッション、広告、グラフィック、メディアアートなど、通常であれば一堂に集まることはまれな、さまざまなジャンルの人びとによるワークショプとなっているのも特色です。発想の展開から素材の具体的な扱いまで、ほかの参加者から大きな刺激を受けているという声も聞かれ、お互いの交流や意見交換も、ますます活発になっていますね。
深澤
展覧会をやるときには、何がここに足を運んでくれる人たちの喜びになるのかということを考えないわけにはいきません。「チョコレート」でやろうとしていることも結局はそこです。で、私なりに考えますと、21_21というのはまったく未知の場でどんなイベントをやっているのかも想像がつかない。もちろん「チョコレート」と言われても、さっぱりわからない。展覧会にやってくる人はそのような場に放り出されるわけです。そうすると、おそらく目の前に展開されている状況を自分なりに一生懸命理解しよう、解釈しようと脳が動き出す。それはコンピュータが高速で回転するような感じです。それがある歯車とカチッとはまってくれたらその瞬間に全部理解できるんだけど、まったくかみ合わないという状態ができたときに、人は「なんなんだ、なんなんだ?」と探り続ける。

できれば「チョコレート」展では、この「なんなんだ?」の連続の果てに、カコンと歯車にはまる瞬間がくるようにしたいですね。最初から簡単にその人の論理でわかってしまうものはつまらない。もしかすると人によってはその歯車にはまらないかもしれないし、ある人はスコーン!とはまるかもしれない。そのはまる瞬間が自分の新しい感触だから、ものすごくインパクトのある気づきになる。それを「チョコレート」だけではなく、次の企画展でもやっていく。

デザインとアートを比較したとき、それらが見せている発想や表現がどこまでロジックに落とせるか、落とせないかというところがアートとデザインの分かれ目になっているのではないかなと思ったりもします。もっといえば、受け手のとまどわせ方に違いがある。いつかはだれもが必ず理解できるようなヒントを作品に与えておくか、ある種の謎、わからなさを作品にとどめたままにしておくのかというところに両者の境目があると思います。そのきわどい境界を楽しむ場所が21_21であると考えています。簡単にはわからない、だからこそ今まで体験したことのない驚きや発見や感動がある。つまり新しいセンサーを立たせてくれるところ、それが21_21の魅力ではないでしょうか。
佐藤
僕たちは目の前にいろいろなものを見てますよね。一番重要なのは、目を閉じたときに、その自分の記憶の中に残っていくものっていうのがずっとあるわけですが、その方が自分との関係においては本質的で重要なのです。そこにこそリアリティがある。これからの時代は、目の前に見えているものを信じるのではなく、こうした記憶に深く根ざしているものを起点にする、大切にすることが新しい気づきにつながるのだと思います。
深澤
記憶を、脳に張り付いているものを呼び出して、ここにある現実を理解しようとするんだけど、それが繋がりにくいというところがあってところどころ迷う。それはある種とても高いレベルの欲求なんじゃないかと思います。これは意識して志していないと、脳の歯車がカチッとはまらないかもしれない。でも子供みたいな人だとスッと入ってきちゃったりする場合もある。
佐藤
人の感覚というのはものすごく豊かなもので、それは誰もが基本的にもっているものなのに、普段は意外と使われていない。もしくは気がつかない。
深澤
視覚(目)で情報を得るという経験が圧倒的に多いのが今の世の中。だけどほんとうは、ほかの4つのセンサー(聴覚、嗅覚、触覚、味覚)だって見るという行為に密接につながっている。21_21ではフィジカルな展示空間をつくることですべてのセンサーを稼働させ、今まで得られなかったものを得てもらいたいですね。
三宅
21_21では展覧会やプログラムそれぞれにおいてさまざまな試みを計画しているのですが、それらを実現させることによって、展覧会というもののあり方も変えられるのではないかなと思っています。オープン時の特別企画でも、会期の後半ではウィリアム・フォーサイスによるビデオインスタレーションが、安藤建築の見方を一変させてくれるでしょうし、夏休みには狂言、落語、1人芝居などを行なう。つまり、いろんな人が関わることで新しい状況をつくりだしていく。人間がいれば必ずいろいろなものがつきまとってくるものですからね。そうやって自分たちを未知の環境に投げ出していって、どうなるかみるのが面白いところではないかと思うのです。

2006年12月4日 東京ミッドタウン内、21_21 DESIGN SIGHTにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/ナカサ&パートナーズ 吉村昌也

ディレクターズ


21_21 DESIGN SIGHTの建物は、エントランスを抜けて地下のギャラリーに達すると、外観からは思いもつかないダイナミックな空間が広がっています。ギャラリーは大小あわせて2つ。それを示すサインは照明によってコンクリートの壁面に映し出される、1と2の数字のみ。ギャラリーのほか、サンクンコートあり、秘密めいた通路ありの空間で3月30日から始まる、21_21 DESIGN SIGHTのプログラムにどうぞご期待ください。

放談一覧リストへ

21_21放談 vol.4 三宅一生×佐藤 卓×深澤直人×川上典李子 「オープン直前の21_21 DESIGN SIGHTで語るデザインの未来」 前編



2006年12月、竣工間近の21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)をディレクターが訪れ、ほぼ完成した建物を見学しました。実際の空間を見ながら行なわれた今回のディレクターズ放談は、意気高揚しつつも21_21およびデザインの核心に迫る内容となりました。


安藤建築の魅力は空間を体験することで見えてくる


深澤
建物を見ると、やはりインスパイアされますね。実際の空間の中に身をおくと、そこでしか出てこない発想というのが浮かんできます。すでに第1回企画展のプロジェクトはかなり具体的なところまで進行してきています。が、こうしてできあがった建物を前にして、はじめてそうの空間に事物をインストールすること、この場所でどのような展覧会をするのかということがリアリティを帯びてきますよね。
佐藤
安藤さんの建築って、まず外から見るじゃないですか、そうすると、小さめの量感で個性的なかたちをしている。でも、中に入ると外側からは想像できない空間が広がっている。図面や模型で見ていたときには、そのことがどんな感覚を我々に与えるのか、想像がつきませんでしたが。安藤建築は、内部を歩くと空間がどんどん変化していくので、その空間をどう活かしていくかということが問われるんじゃないかという気はします。触発されますよね、あの空間は。
深澤
たぶん21_21を訪れる人は、行なわれているイベントが目当てということもあるけれど、建築的な魅力を味わいたいという願望も抱いているでしょうから、両方を堪能できれば二重の喜びがある。そういう意味で21_21という場所は、安藤さんの建物の魅力とそこで展開されているコンテンツによって成立するのだと思います。両方を活かさなくてはならないというのは、面白い試みですね。
佐藤
今はまだがらんとしていて何もない空間ですが、21_21がスタートうすると、観客は展示物がおかれ状態の空間しか見られないということになります。いわゆる"素"の空間が、展覧会と展覧会を縫うようなタイミングで見られるようなプログラムを計画するのもよいですね。というのは、何もない空間を見るといろんな発想や感覚が得られると思うのです。
深澤
オープン時に行なう特別企画「安藤忠雄/2006年の現場 悪戦苦闘」がまさにそれですよね。
三宅
安藤さんはもともと建物を"素"、ヌードで見せたい人ですからね。そういうことができる建物はあまり多くない。安藤さんの建築は、ちょっと動いただけでほんとうに見え方が違う。それから外部に対する配慮もある。特別企画ではすべての空間を素の状態で見せるわけではなく、模型建設過程の写真などを展示して、完成までのプロセスも紹介します。
川上
展示スペース以外の空間も面白いですよね。階段のまわりなど。それがうまく見せられるとたしかに良いですね。以前、安藤さんが"豊かな余白"について何かでおっしゃっていたことがあります。日本の美術や書道同様、建築や都市にも"余白の可能性"というのがすごくあるんだよと。そうしたスペースは、使う側としては大変に触発されます。もっとも、展覧会があるときというのはそれこそ建物のすみずみまで使ってイベントをしたり設置をしてしまうかもしれないけれども、展示スペース以外のところも含めて何もない状態を見ていただける機会があると良いですよね。
三宅
企画のアイディアが上手くいかないときはそれでいこうか。

 (一同爆笑)

佐藤
安藤建築は、やっぱり挑戦的ですよ。結果がわかりきっているものはやらない。問題提起をして「どうだ」というようなところがある。あなたはここでどんな体験をしますか、という問題を常に投げかけているのだと思います。
三宅
この21_21 DESIGN SIGHTの建物は遊歩道にすぐ面しているんですよね。直島の美術館やホテルにしても、村に面していたり、風景や水に面していたりする。だから僕は、安藤さんの建物そのものに加えて、建築の中から見る風景とか、建物に上がって見る外の景色というのにいつも感動するんですよ。直島に行ったときも、「景色がいいですね」って言っちゃったんです(笑)。僕は、安藤さんはずいぶん変わったなあと思います。もちろん、住吉の長屋のころからそこに生きる人びとや生活者の視点であることは変わらない。最近はさらに発展して、植物の緑を使って安藤忠雄の建築をずっと街に広げていくような発想が出てきている。表参道ヒルズも低層建築ですが、屋上に上ると街路樹の緑とつながっています。ああいう視点をもてる人はなかなかいないと思います。
深澤
圧倒的に体験的な空間ですよね。オブジェクトじゃない。
川上
特別企画の後には、深澤直人ディレクションによる第1回企画展「チョコレート」が開催されます。
深澤
チョコレートというテーマを発表したあと、何人かが「チョコレート!?」っていうリアクションを返してきました。このような「いったい、なんなんだろう?」という感じをある程度来場者側に抱かせつつ展覧会をスタートするのは悪くないですね。

ただ誤解されないように気をつけなければいけないのは、ここではあくまでも私たち人間が日常の世界をどう捉えているかということを見せていくのが主眼であって、チョコレートのデザインを披露するわけではないということです。チョコレートは21_21の視点を見せるためのきっかけのことばにすぎないので、ふたを開けたらいろいろなものがでてくるはずです。

実際、さまざまな作品ができあがりつつあるのですが、それらを見ていると、かなり楽しめるものになるのではないかと思います。4月から始まる展覧会にぜひ足をお運びくださいと言いたいですね。「チョコレートを通して世界を見るっていうのはこういうことなのか」という感じが、そこで初めてわかっていただけるのではないかと思います。
佐藤
「チョコレートSight」ということですね。

放談vol.4 後編へつづく

21_21放談 vol.3 三宅一生×深澤直人 「地上333メートルから見えてくる、東京、デザイン・ものづくり」 前編

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21_21 DESIGN SIGHT ディレクターによる放談シリーズ、第3回目をお届けします。三宅一生と深澤直人が、東京タワーの大展望台から東京の街を眺めながら、都市、文化、デザインについて対話します。

エッフェル塔と東京タワー


三宅
東京タワーに昇るのは、実ははじめてなんです。長年東京に暮らしていて、近くまでは来るんだけど、なんか照れくさいっていうかね。
深澤
僕は今回で2回目位です。あんまり来ないですよね。
三宅
そうですね。高いところに上がるということなら、高層ビルと同じだろうと思っちゃって、意外と来ないものですね。
深澤
東京タワー、どんな感じですか。僕はノスタルジックな感じがしますけど。あとは、なんていうのかな、非日常的な東京というかね。
三宅
たしかにね。僕の場合、高いところに昇りたくなるのは、日本にいたくない、でも外国に行くのはいや、という時(笑)。そういう気分になると、東京の高層ビルの上の方に昇ったりします。
東京タワー
写真左:展望台から東方向を見下ろす。増上寺が見える。
写真右:展望解説ボードを見る深澤(左)と三宅(右)。ボードには東京の景観説明や建物の説明などがタッチパネル形式であらわれる。


深澤
東京タワーができたばかりのころって、ご存知ですか。
三宅
僕は高校の時に上京したんだけど、そのときはちょうど建設中だったのかな。このタワーは1958年にできているんですよね。
深澤
58年ですか。僕が生まれてすぐだな。
三宅
その当時は、パリのエッフェル塔のような高い鉄塔が建ったんだということで、もの凄く話題になっていました。こうして上ってみると、エッフェル塔とはずいぶんと趣が違いますが。
深澤
パリのエッフェル塔を参考にしたのは確かでしょうね。
三宅
そうですね。やっぱり、日本の文化そのものが元来、どこかから発想を引っぱってきているというところがありますよね。最近の例ですと、自由の女神をお台場にもってきたりとかね。
深澤
外来文化の歴史が長いから、日本人にはそういう発想がしみついているのかもしれませんね。とはいえ、やはり公共のものとなると、個人資本でつくるにせよよく考えないと、とんでもない問題になります。
公共にひらかれた建造物が良いものになれば、住む環境も文化的に高まるような気がします。けれども、回りをみてみますと、どうも日本は遅れをとっているような感じがしないでもない。三宅さんご自身は、21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)を立ち上げる際に、そういった東京の街への影響をどのように考えていらしたんですか。
三宅
日本では欧米に比べると、とりたてて文化がどうとか、美がどうとかはあまり言いません。そもそも文化や美というのは日本人にとってはいわずもがなというか、暗黙の了解の上に成り立っていたものだと思うのです。戦後は、社会がどんどん制度化され、高度成長などもあって、文化や美は時代に応じて都合のいいように解釈されて現在に至っているという気がします。だから、21_21ができることで、われわれだけでなく、みんながそういったこと、つまり文化や美の今と昔の違いなどに意識的になれるとしたらいいなと思いますね。
東京らしさ、イコール、ローカル?インターナショナル?


深澤
日本が鎖国していた時代について考えてみると、国自体で完結しようという、その知恵みたいなものはかなり発達していたんでしょうね。自分なりに思うのですが、都市や文化やデザインをはじめ、いろいろな考え方というのは、非常に高いレベルで完成していたような気がします。それが文明開化の波にさらされたり、戦争があったり近代化が促進するうちに崩れてしまい、カオスになった。今また、当初の完成された地点に戻ろうとしているんだろうけど、かなり難しいと思います。
三宅
そうですね。日本人が戦後の荒廃から立ち直るために、オリンピックやら万博やら、いろいろなことをやってきて今に至ったのだと思うけれども、やっぱり、どこかちぐはぐです。日本独特の、なにか大切なものを失いつつあると思うんです。
21_21 は、生活を楽しむことにも、生きることにも、デザインはつながっているということを伝える場所になればいいなと思います。オブジェをつくったり、ものをつくったりというのは同時進行的におこなわれるけれども、それだけじゃないんだということです。広く社会のことなども考えていけるといいですね。
深澤
外国で仕事をしていると感じるのですが、いま世界中が均一化してきている気がします。単純に考えると、僕らがパリに行けばパリらしくあってほしいし、ミラノに行けばミラノらしくあってほしい。逆に外国の方が日本に来れば日本らしくあってほしいって思うんじゃないでしょうか。けれども実際は、日本に住む人たちは逆を望んでいる。日本はパリらしくミラノらしくニューヨークらしいみたいな(笑)。インターナショナル化するということを誤解しているような気がするんです。僕自身は、もっとローカルな魅力みたいなものをつくっていければいいと思うのです。最近、外国の仕事が増えれば増えるほど感じるのですが、いわゆる京都・奈良的な日本というだけの解釈ではなく、東京なら東京らしさみたいなものをもっと考えていく必要があると思います。
三宅
僕なども、西洋的なというか、グローバライズされたものの対極にあるもの、日本的なものが面白いと思いますね。

放談vol.3 後編へつづく

建築家 安藤忠雄が語る「私と21_21 DESIGN SIGHT」

安藤忠雄


21_21 DESIGN SIGHTの設計を手がける建築家・安藤忠雄氏。氏はこれまで数多くの文化施設設計にたずさわってきましたが、21_21 DESIGN SIGHTの設立には特別な思いがあります。今、なぜ21_21 DESIGN SIGHTなのか、その思いを語っていただきました。



今、必要な日本の顔とは――

仕事柄、世界各地を飛び回っていろいろな方と接していますと、しばしば「日本には顔がない」と言われます。「顔が見えない国」と。経済は顔が見えているどころか、もうずいぶん長い間リーダーシップを取っています。けれども。私はもうひとつ日本の顔が欲しいと思う。

日本は世界でも珍しく大衆文化をしっかりと根づかせてきた国です。江戸時代から続く文楽、歌舞伎、浮世絵、俳句など、そういった文化を支えているのは、生活を楽しむという美意識だと思うのです。

その文化の奥には、日本の自然観がある。生活のなかで、つねに感動をもって春夏秋冬に接してきた。これはヨーロッパなどと比べてもとても珍しい感情で、日本人の感受性の高さを示していると思うんですね。

...かつて、ポール・ヴァレリイとポール・クローデルが対話し、「世界中の民族の中で滅びては困る民族がいるとしたらそれは日本人だ」と言ったことがあります。私はそれを、日本人の固有の美意識を滅ぼしてはならないということだと解釈しています。美意識には、たとえば責任感とか正義感といったものも含まれます。なかでも人や自然に対する礼儀、生きていくことへの礼儀。あるいは、ものをしっかりと見つめることもそうでしょう。

ところが、1960年代に高度成長期を迎えると、お金が儲かればいい、お金があれば豊かになれるという考えが主流になり、かつての美意識はどこかに消えてしまった。東京の街を見ればわかります。美しさを求めた景観ではありません。経済効率を優先した結果ですよ。

かつてイサムノグチさんとお会いした時、「ニッポンの美意識を取り戻さなければならない」と言われていました。
私と三宅一生さんとのつきあいは、35年くらいになるでしょうか。
「デザインという美意識の中に賭けている」と言っていた田中一光さんと3人で、いつかデザイン・ミュージアムを作ろうと話をしていた、そういった経験が、今に繋がっているという思いもあります。

日本が持つべき顔とは、美意識のある国としての顔ではないか。これを実現するために21_21 DESIGN SIGHTという考え方が必要だと思っています。

建築写真
PHOTO: MASAYA YOSHIMURA/NACASA&PARTNERS, INC.
鉄板の屋根が設置される 2006年6月10日撮影


美意識をもった建築

21_21 DESIGN SIGHTの建築を説明するならば、やはり巨大な一枚の鉄板による造形ということに大きな意味があると思います。日本の高い技術力を象徴するものと言えるからです。

建築写真
PHOTO: MASAYA YOSHIMURA/NACASA&PARTNERS, INC.
屋根を設置する前の入念な準備作業 2006年5月30日撮影


鉄板は膨張と厚さの問題があります。それをクリアして造形する技術、解析する技術の両方が必要です。設計が現実のものとなるのは、高い技術力が現場にあるからこそなのです。

また、工事には欠かせないスケジュール管理、日本人はこの点に優れているのです。たとえば、日本の新幹線はめったに遅れない。私はイタリアでミラノとベニスをよく往復しますが、20分くらい遅れるのは当たり前のことです。でも誰も何も言いません。

スケジュール管理が優れているということは、品質管理が優れているということにもつながる。それらはすべて心、美意識からきているのです。この心を取り戻すために、21_21 DESIGN SIGHTは役立たなくてはならない。

そして経済効率一辺倒で無計画につくられた日本の都市へのアンチテーゼとして。もっと都市を美しくという意識をもって、私はこの21_21 DESIGN SIGHTに参加しています。



2006年6月22日 東京ミッドタウン内にて収録
構成/カワイイファクトリー ポートレート撮影/五十風一晴

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