Loading...

contents

東北の底力、心と光。「衣」、三宅一生。 (14)

2016年1月27日、台湾のFuBon Art Foundation主催で台北市のTaipei New Horizonで行われたFubon Forumに、21_21 DESIGN SIGHTが参加しました。
当日は、200名を超える聴衆を前に、デザインディレクターのTomic Wu氏の司会のもと、21_21 DESIGN SIGHTよりコミュニケーション・ディレクターの高 美玲と、オペレーション・ディレクターの犬塚美咲が「Everything Can Be Design」をテーマに語りました。

はじめに高が、21_21 DESIGN SIGHTの設立のプロセスやコンセプトを説明。特徴的な展覧会として、第1回企画展「チョコレート」と、東日本大震災を受けて開催したふたつの展覧会「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」「テマヒマ展〈東北の食と住〉」を紹介しました。

続いて犬塚が、三宅一生の企画と安藤忠雄の会場構成で実現した「U-Tsu-Wa/うつわ ― ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール」、はじめて展覧会ディレクターを置かずに開催した「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」を転機となった展覧会として紹介。21_21 DESIGN SIGHTの来場者や組織・運営についても解説しました。

最後に、会場との質疑応答では「展覧会の成功とは何か」「台湾やアジア諸国とのデザイン交流の可能性」など、活発な意見交換が行われました。参加者の半数以上が21_21 DESIGN SIGHTを訪れた経験があるなど、台湾におけるデザインや21_21 DESIGN SIGHTへの関心の高さに触れられる機会となりました。


courtesy of FuBon Art Foundation

21_21 DESIGN SIGHTでは、2011年から2012年にかけて、東北地方の人々の精神とものづくりの持つ大きな力を改めて見つめ直すことを目的とした、二つの展覧会を開催しました。
本書では、「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」(2011年7月26日~31日)、「テマヒマ展〈東北の食と住〉」(2012年4月27日~8月26日 )の二つの展覧会に出展された64アイテムを、「衣・食・住」のカテゴリー別に完全収録しました。
雪の季節が長く厳しい環境のなか、自然と共存する暮らしを大切にしながら、東北の人々が知恵と工夫を凝らして生み出してきた美しく力強い品々をぜひご覧ください。

『東北のテマヒマ 【衣・食・住】』
著者:21_21 DESIGN SIGHT
監修:佐藤 卓
発行:株式会社マガジンハウス
定価:2,310円(税込) 21_21 DESIGN SIGHTと全国大型書店にて12月13日発売

『東北のテマヒマ 【衣・食・住】』
デザイン:浅葉克己

東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
21_21 DESIGN SIGHTではこれまで、東北地方の文化に焦点をあてた特別企画「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」企画展「テマヒマ展〈東北の食と住〉」を開催しました。
今後もデザインに関する様々な活動を通して、より安全で平和な未来づくりを、皆さまと一緒に考えていきたいと思っております。

浅葉克己プロフィール
アートディレクター。1940年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所、ライトパブリシティを経て、75年浅葉克己デザイン室を設立。サントリー、西武百貨店、ミサワホーム等数々の広告を手がける。東京タイプディレクターズクラブ理事長として同クラブを運営する傍ら、アジアの多様な文字文化に着眼し、文字と視覚表現の関わりを追求している。
東京ADC賞グランプリ、紫綬褒章など受章多数。東京TDC理事長、JAGDA会長、デザインアソシエーション会長、エンジン01文化戦略会議幹事、東京ADC委員、AGI(国際グラフィック連盟)日本代表。東京造形大学・京都精華大学客員教授。桑沢デザイン研究所所長。中国の象形文字「トンパ文字」に造詣が深い。卓球六段。2012年9月より、フランス・パリ市内の複数の会場で「パリにおける東北伝統的工芸品展〜被災をこえたそのわざと意匠」を開催。


「パリにおける東北伝統的工芸品展〜被災をこえたそのわざと意匠」ポスター
デザイン:浅葉克己

「三宅一生 東北へ 伝統を未来につなぐ旅」

NHK BSプレミアム
2012年2月18日(土)午後15:00〜15:53

「自分は、東北のために何が出来るのか?」と三宅一生は自身に問いかけた。
改めて40年にわたる衣服デザインと東北とのつながりに想いを寄せ、ものづくりで手助けをしたいと決意。被災し痛手をうけた産地はまた、高齢化など継続危機にある。受け継がれてきた伝統のパワーを広く伝え、未来につなぐ、新たなクリエーションへの挑戦が始まった。
番組はその舞台裏にカメラを向け創作の秘密に迫るとともに、現在進行形のプロジェクトまで、これまでの活動を三宅一生が語る。


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターの三宅一生の活動を特集した番組です。
お時間がございましたら、是非ご覧下さい。

なお、21_21 DESIGN SIGHTでは、昨年7月に開催し、多くのお客様にご来場いただいた特別企画『東北の底力、心と光。「衣」、三宅一生』に続き、本年は企画展「テマヒマ展 〈東北の食と住〉」(2012年4月27日〜8月26日 展覧会ディレクター:佐藤 卓、深澤直人)を開催いたします。

「三宅一生 東北へ 伝統を未来につなぐ旅」

NHK総合テレビ
2012年1月2日(月)午前8:50〜9:45
再放送:2012年1月4日(水)午前1:40~2:35
番組ホームページ

「自分は、東北のために何が出来るのか?」と三宅一生は自身に問いかけた。
改めて40年にわたる衣服デザインと東北とのつながりに想いを寄せ、ものづくりで手助けをしたいと決意。被災し痛手をうけた産地はまた、高齢化など継続危機にある。受け継がれてきた伝統のパワーを広く伝え、未来につなぐ、新たなクリエーションへの挑戦が始まった。
番組はその舞台裏にカメラを向け創作の秘密に迫るとともに、現在進行形のプロジェクトまで、これまでの活動を三宅一生が語る。


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターの三宅一生の活動を特集した番組です。
お時間がございましたら、是非ご覧下さい。

なお、21_21 DESIGN SIGHTでは、今年7月に開催し、多くのお客様にご来場いただいた特別企画『東北の底力、心と光。「衣」、三宅一生』に続き、来年は企画展「テマヒマ展 〈東北の食と住〉」(2012年4月27日〜8月26日 展覧会ディレクター:佐藤 卓、深澤直人)を開催いたします。



福島県出身のアコースティック・ギタリスト、ダニエル・コフリンによるライブ。
中世をイメージした曲、日本を感じさせる曲など、コフリンの人柄を表すような、優しく清らかで、心に染み渡るような旋律。

現在は一日に二時間しか外で遊ぶことができないという福島県の子どもたちのためのミニライブで、もっとも評判が良かったという「となりのトトロ」。
毎日放射能濃度が町内放送されるという慣れない仮設住宅での暮らしの中でも、変わらず元気な子どもたちの姿を見て、「震災から早く立ち直るぞ」というメッセージを込めた最新曲「Rerize」。

コフリンは、鳴り止まない拍手にアンコールで応じ、「Time to say good bye」で演奏会を締めくくりました。



20数年に及び、ISSEY MIYAKEとともに「プリーツ」をつくり続けている白石ポリテックス工業より国分米夫、プリーツの開発にも携わる三宅デザイン事務所 企画開発長の山本幸子を迎えました。

シンプルで、軽い、動きやすい衣服を求めて、出来たのが「製品プリーツ」。一般的には、プリーツをかけてから縫製を行なうプリーツの衣服を、ISSEY MIYAKEでは縫製した製品に1点1点プリーツの加工を施しています。通常140℃で行なう加工も、ISSEY MIYAKEでは190~197℃の間をその都度調整しています。プリーツをつくりたいと思った際に、山本は多くの企業を見ましたが、中でも熱心な姿勢を見せてくれた白石ポリテックス工業でした。山本からの注文に「負けずについていこう!」とバトルも辞さない姿勢だったと国分。開発の途中で高額の機械が壊れても、「できないとは言いたくない」という真摯な姿勢で、ものづくりを行なってきました。機械的なことと、デザイン的なことがお互いを補い合い、ひとつひとつの製品が生まれたといいます。

トークの後半では白石ポリテックス工業とISSEY MIYAKEが手がけたさまざまなプリーツの工程について、映像や実物をもって紹介。実際に使用されている型紙も参加者で回覧しました。参加者との質疑応答が終わると、最後にはプリーツに欠かせない手さばきの実演も披露。実際に加工されたプリーツ製品が参加者のお土産となるサプライズに、会場は大いに盛り上がりました。



司会を務めた21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターの川上典李子は「機械が導入された工場とはいえ、関わるスタッフの手さばきが重要。また、手作業の"味つけ"に工夫が凝らされており、こうした緻密さが、結果として世界に注目されるクオリティに結実している」と締めくくりました。



世界でも高い評価を受け、日本の代表的な産業のひとつになっている「山形ニット」。戦後からニット産業に取り組み、現在は麻素材にも注目する株式会社ケンランドから、代表の大沼秀一を迎えました。

大沼は一般的に山形といえば果物のイメージが強いが、戦後にはニットやホームスパンに取り組む企業が増えたといいます。山形でつくられた製品は、消費地・仙台に運ばれました。はじめは小さかった取り組みも20年後には大きな産業に成長。しかし急速に拡げた産地はバブル経済が絶頂の頃、販売数の下降にすぐに対応が出来ませんでした。このままではいけない、と地元に根付いた産業にシフトしたのが1980年代でした。

トーク中盤はISSEY MIYAKEとの仕事にも触れました。当時ニット工場の自分たちはブランドの展示会にはあまり入れてもらえず、「OFF LIMIT(立ち入り禁止)」ばかり。工場の人間は展示会等で見たものを、そのままコピーもできてしまうからだと大沼は考えていました。そんな中「ISSEY MIYAKE ON LIMITS」との仕事では展示会にも参加し、「ON LIMIT(立ち入り自由)」であることにとても感動したエピソードを披露。一緒にものづくりをしていいんだ、と許された気持ちだったといいます。現在、ISSEY MIYAKEのコレクションでも使用し、積極的に取り組んでいるリネンについても言及しました。

3月の震災を受けて、周りのクリエイターやデザイナーに励まされたケンランド。制作の現場として提案しつづけ、その声を拾っていただける場があることに感謝していると大沼はいいます。国内でのものづくりがまだあるということを知ってもらえる機会を、大事にしていきたいと語りました。

今年3月の震災後にレスキュー隊ユニフォームをイメージして制作されたオレンジ色のニット。


巨匠 前川国男の最初と最後の建築が現存する青森県弘前市から、弘前こぎん研究所代表の成田貞治によるトーク。
寒く綿花の育たない青森では、綿は江戸や京などから入ってくる貴重品で農民や平民には手の届かないものだったそう。地域に自生する麻でつくる服に、補強や保温を目的に綿糸を刺したのがこぎん刺しの原点です。
現在のようにグラフのなかった時代、すべて口承で伝えられたというこぎん刺し。少しずつ模様を発展させ結果的に「用の美」を実現した津軽の美的感覚には、民芸運動を牽引した柳 宗悦も感嘆したといいます。

明治に入り汽車で東京から大量に入るプリント服に押され、一時は衰退の一途をたどったこぎん刺し。柳によって手仕事の大切さが再認識され、現在の弘前こぎん研究所につながる活動が始められました。
トーク後半では、実際のこぎん刺し作品を手に取りながら三縞、東、西の三大こぎん刺しの特徴を解説。



最後に、柳 宗悦の言葉が読み上げられました。
「醜い『こぎん』はない。一枚とてない。捜しても無理である。(中略)別に秘密はない。法則に従順だからだと『こぎん』は答へる。此(こ)の答へよりはつきりしたものはない」。「名も無い津軽の女達よ、よくこれほどのものを遺してくれた」。
司会の川上典李子は、「こぎん刺しには、布の織り目に対して奇数の目をひろって刺すという変わらぬ法則がある。だからこそつくり手の創造力が生きてくる」と添えました。

学校の授業などを通した子どもたちのこぎん刺し体験や、名刺入れやゲームをはじめとした現代生活に則したこぎん刺しの探求など、こぎん刺しを次の時代につなげる弘前こぎん研究所の様々な活動も紹介されました。



岩手県でホームスパンや真綿を営む中村工房の中村博行と、1970年代よりISSEY MIYAKEの素材づくりに関わってきた皆川魔鬼子が、恊働した仕事と、それぞれのものづくりについて語りました。

1971年に三宅が掲げた「日本発の作業着、ジーンズに替わる衣服が作りたい」というテーマのもと、皆川は全国で素材のリサーチを始めました。中でも東北には、強くて、丈夫な素材が数多く存在したことに驚き、その後雑誌の記事をきっかけに中村工房のホームスパンに出会いました。素材づくりの人間にとって「ホームスパンは憧れ」だったといいます。

岩手県盛岡市にホームスパンの工房を構える中村は3代目。明治時代に日本各地に広まったホームスパンは「手紡ぎ」という意味で、岩手県は全国で 90%のシェアを誇ります。かつては草木染めも積極的に取り組んでいましたが、現在は化学染料も使用し、カラフルなマフラーなどを制作しています。

1972年、初めて中村工房を訪れた皆川は、当時他とは違う草木染めの「濃い」色に驚きました。「自然で力強い、深みのある色」と表現した中村工房の草木染めの秘密は、素材を生のまま染めに使用すること。ドライで使用することが主流な草木染めですが、よもぎやくるみの樹の皮を乾燥させず、また量も多く使用することで中村は濃い色を出していたといいます。
他にも段染めを行なったシルクのリボン織ストールや、板に釘を打ってその人に合わせて編むベストなどを実物とともに紹介。次々と登場するISSEY MIYAKEと中村工房の仕事と、当時を思わせる中村と皆川の温かいやりとりに、会場は大きく盛り上がりました。



最後にはそれぞれ将来の展望を語りました。中村は「その時代に合ったものを作り続けたい、エイやマントのようなストールも面白いかもしれない」。皆川は、デザインより早く動かなければいけなかった素材開発の立場として、「小さくても新しい技術やものを見つけていきたい。東北に根付く暦にあったものづくりを見習いたい」と語りました。



トーク終了後には中村工房4代目中村和正による糸紡ぎの実演も行なわれました。目の前で行なわれるホームスパンの一工程に、多くの人々が釘付けになりました。



日本の原始布や古代織物の復元と存続に取り組み、資料などを展示する「原始布・古代織参考館」を運営する山村洋子を迎え、21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターの川上典李子を司会に、トークは始まりました。

元を辿れば山形県米沢で織物営んでいた山村の父が、先人の手技に魅了され、全国の織物や原始布について研究を始めたのが、きっかけとなり、原始布・古代織参考館が開館しました。施設内では、先人たちの衣服や、編衣(あんぎん)、シナ布、楮布(こうぞふ)など古代の布をはじめ、紡織機など今ではなかなかみれない道具たちを所蔵しています。本企画リサーチの際に撮影した施設の画像を見ながら、山村が心掛ける生活のしつらえや、東北に息づく自然に対する感謝などを語りました。



1枚の布を仕上げるのに「気が遠くなる」ような作業が必要だという原始布。トーク後半にはシナ布の工程を追ったドキュメンタリー映像も流れ、梅雨時のシナの木皮収穫より機織りを始める冬まで、織りに至るまでには多くの手間がかかることも紹介しました。

次世代への継承を模索中の山村は、素晴らしい手仕事には、神が宿るような何かがあるといいます。親から子へ伝わっていった歴史のように、木や草の生命力を感じるものづくりをそのまま伝えることで心が豊かにやっていけるのでは、と提案。 川上は、本企画が精神的に豊かであるためのものづくりをどうやって繋いでいくか、一緒に考えていく機会になれば、と締めくくりました。



夜間プログラム第1回は、青森より、「気持ちだけは18歳」という山上進が登場。



震災後、岩手県大槌町を訪れた山上は、目の前に広がる光景に、言葉を失ったといいます。
地元、東北への応援の気持ちを込めた演奏は、三味線、尺八、横笛の美しく力強い音色。
会場は、津軽の響きに包まれました。



山上は、音楽には楽譜にならない自分の感覚が大切だといいます。
演奏は、当時は海に面していたという三内丸山遺跡をイメージした自作曲「縄文」や、青森の夏祭り「ねぶた」のお囃子などの後、21_21組曲としてアレンジされた即興曲「八甲田山」で締めくくられました。



暮らしの中で息づいてきた南部裂織の歴史を、青森県十和田市にある南部裂織保存会の指導者である澤頭ユミ子と、十和田市現代美術館の特任館長、小林ベイカー央子が語りました。

南部裂織は、東北地方で綿が育たず、木綿が大変貴重だった約200年前に生まれたと考えられています。縦に木綿の糸を、横に古い布を手で裂いた"ヌキ"と呼ばれる材料を用い、自分自身と機が一体となって織る「裂織」。そこには、手に入った物を大事に使う、南部地方の人々の心が込められています。装飾品ではなく、「こたつ掛け」という、寒い地方では生活に欠かせない日用品が、南部地方における「裂織」の文化を、現代に伝えてきたといいます。

トーク後半では、現代アーティスト、草間弥生とのコラボレーション作品や、20代、40代、60代の3世代の女性が集まり今までにない裂織の世界の表現を試みる「3Gプロジェクト」など、裂織を現代の私たちの生活や次の時代につなげる、精力的な活動も紹介されました。



トーク終了後には、会場に展示中の機を用いた裂織の実演。澤頭の丁寧な解説に聞き入る来場者が、後を絶ちませんでした。

厳しい自然環境と共存する暮らしのなかで、工夫と手仕事から生み出される美しく力強い日用品......生活の基礎となる「衣食住」の「衣」に軸をおき、三宅一生が自身の衣服デザインにおける東北との関わりを通して、東北の「底力」とその精神を、多くの方々とともに見つめていきます。

展覧会ポスター
ポスターデザイン:浅葉克己