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企画展「Material, or 」

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ディレクター

ディレクターズ・メッセージ

小枝を手にすれば「パキッ」っと、折ってみたくなる。
どろどろの泥を手にすれば「ベター」っと、何かに塗ってみたくなる。
大きな石ころを手にすれば、何かにぶつけてみたくなる。そして「パカッ」っと、割れる。

そんなマテリアルとの原初的な関わりは、人とマテリアルとの対話のようです。人間はそうして地球資源との対話を積み重ね、マテリアルから人工物としての何かをつくり出してきました。マテリアルを軸にデザインという行為を捉えた時、その対話そのものがデザインだったといえるかもしれません。

それは、特定の意味を持たなかったマテリアルが、人との関わりの中で、なんらかの意味をもった創造のための「素材」となり、人工物が生まれていくという事です。その意味の生み方こそが、デザインの可能性、叡智でもある──。そして、その意味のあり方は無限なのです。
それは一方で、私にとっての素材は誰かにとっての素材ではない場合があり、同様に、誰かにとっての素材は、私にとっての素材ではない可能性を含んでいます。

ところで、その「私」と「誰か」とは何でしょうか?

さまざまな次元での環境破壊、地球資源の問題が指摘されています。
人間が自然を管理出来るという20世紀的な発想は、地球環境との対話をやめ、自身の都合だけで、マテリアルに一方的に意味を「与える」態度だったと言えるかもしれません。また、一部の人だけがつくり手となる事で、多くの人がマテリアルに触れる事が減り、文字通りその対話をやめてしまったようです。そこでは、「私」以外の他の「誰か」への眼差しがこぼれ落ちていきます。それらがもたらしたのは、私を超えたさまざまな存在を感じる、知覚の低下だったように思います。

しかし、「私」と「誰か」の境界はそもそも曖昧です。むしろ、「私」は単独で存在するのではなく、さまざまな要素と常に絡まり合うように存在し、変化し続けている──。そのように考えて行くべきではないでしょうか。すると、その「私」と「誰か」という定義、そしてその境界は随分と曖昧になり、変わっていきます。と同時に、マテリアルへの眼差し、つまりそこで発生する意味も、自ずと変わってくるはずです。

この展覧会では、マテリアルに「素材」という意味が生まれる方法の多様性を入り口に、人間以外の多様なものとの絡まり合いの中でのマテリアルの捉え方、そしてそのデザインの可能性について考えます。

吉泉 聡

プロフィール

吉泉 聡写真:辻井祥太郎

吉泉 聡 Satoshi Yoshiizumi

TAKT PROJECT代表。デザイナー。
既存の枠組みを揺さぶる実験的な自主研究プロジェクトを行い、ミラノデザインウィーク、デザインマイアミ、パリ装飾美術館、21_21 DESIGN SIGHT、香港M+など、国内外の美術館やデザインの展覧会で発表・招聘展示。その研究成果を起点に、様々なクライアントと「別の可能性をつくる」多様なプロジェクトを具現化している。
Dezeen Awards 2019(イギリス)にて「Emerging Designers of the Year」に選出、Design Miami/ Basel 2017(スイス)にて「Swarovski Designers of the Future Award」に選出など、国内外のデザイン賞を多数受賞。3つの作品が、香港M+に収蔵されている。
iFデザイン賞審査員(2023年)、グッドデザイン賞審査委員(2018年-)。東北芸術工科大学客員教授、武蔵野美術大学基礎デザイン学科非常勤講師。