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2020年7月 (1)

開催中の企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」は、展覧会ディレクター 田川欣哉が自身の経験から、世代や領域の異なる「つくる人」の結節点となることを目指し、実現しました。田川とともに本展の企画を進めてきた21_21 DESIGN SIGHTスタッフが、本展に込められた願いを語ります。

今回は、「㊙展」の指針である、展覧会ディレクター田川欣哉さんの「ディレクターズ・メッセージ」より、私が心に残っている2つの箇所についてお話をしたいと思います。まずはメッセージ冒頭から。

"私は二十代のとき、とても幸運でした。たまたまの出会いから、山中俊治さんのアシスタントになり、そこでの仕事を通して、山中さん、佐藤 卓さん、原 研哉さんら日本デザインコミッティーメンバーと接点を持つことができました。"
(ディレクターズ・メッセージ冒頭より抜粋)

ここで印象に残ったのは「たまたまの出会い」という言葉です。田川さんのインタビューでも詳細が語られていますが、当時学生だった田川さんは、山中俊治さんの授業を受けた後、「今度、(山中さんの)事務所に遊びにお邪魔していいですか」と尋ねます。自身の学生時代を「そんなに積極的な生徒でもなかった」と振り返る田川さんですが、その後、口約束だけに終わらず実際に山中さんの事務所を訪ねたのでした。

田川さんも「あのときたまたま行かなかったら、どうなっていたのかな」と語っていますが、あの時の「たまたまの出会い」がなかったら、本展はきっとこのような形にはなっておらず、見方を変えれば「㊙展」の原点は、田川さんの学生時代にまで遡ることになります。

26名のコミッティーメンバーに、プロジェクトや人との出会い、制作プロセスについてお話を伺う中でも、このような「たまたま」はよく耳にしました。

しかし、これらは、単に、福引にあたるような「幸運」ということではなく、日々、様々なことを感じ、新しい世界と出会い続ける中でものをつくる人が、ふと過去を振り返った時に感じる感覚なのではないかと思います。

もう一つ印象に残ったのはこちらです。

"日本デザインコミッティーのメンバーがこれまで蓄えてきた㊙情報とも言える仕事の方法論・哲学・品質を、おおらかに一般開放することで、日本の次世代にJAPAN DESIGNの遺伝子を伝えていければと思います。"
(ディレクターズ・メッセージより抜粋)

「おおらかに一般開放する」という言葉。

この「おおらかさ」は、展覧会で集まった多種多様な「原画」や、その公開方法に表れています。

「原画」には、「完成品一歩手前」のものや「クライアントへプレゼンした」ものだけではなく、日々書きためているようなものも含め、試行錯誤と葛藤ののち大きな飛躍をしたもの。完成はしなかったものの、ずっと後の機会に生きてきたもの。ただただ手が動くことにより表出されたものなど、人やモノとの出会いで変化したり、行きつ戻りつ、そして広がりつつ生み出されてきたものの数々がありました。

そして、田川さんは前掲のインタビューにおいて「観た人の頭の中で(化学反応が)勝手に起こることになるので、それの回数と種類を豊富な状態にしておきたい」と話しています。
会場での体験の他にも、ウェブでのアーカイブやインタビュー公開など、時間や空間を超えたタッチポイントを設定し、観た人聴いた人が自律的に想像力を働かせることができる場を設けています。

「たまたまの出会い」からはじまった二十代の経験を宝物とし、その豊かな経験を次世代につなげようとした「おおらかな」試みには、後に「必然」となるかもしれない「偶然」の出会いに対する優しい眼差しを感じます。

「マル秘展」での出会いが、皆様の未来に繋がることを願っています。

21_21 DESIGN SIGHT 中洞貴子