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2011年12月 (11)

「三宅一生 東北へ 伝統を未来につなぐ旅」

NHK総合テレビ
2012年1月2日(月)午前8:50〜9:45
再放送:2012年1月4日(水)午前1:40~2:35
番組ホームページ

「自分は、東北のために何が出来るのか?」と三宅一生は自身に問いかけた。
改めて40年にわたる衣服デザインと東北とのつながりに想いを寄せ、ものづくりで手助けをしたいと決意。被災し痛手をうけた産地はまた、高齢化など継続危機にある。受け継がれてきた伝統のパワーを広く伝え、未来につなぐ、新たなクリエーションへの挑戦が始まった。
番組はその舞台裏にカメラを向け創作の秘密に迫るとともに、現在進行形のプロジェクトまで、これまでの活動を三宅一生が語る。


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターの三宅一生の活動を特集した番組です。
お時間がございましたら、是非ご覧下さい。

なお、21_21 DESIGN SIGHTでは、今年7月に開催し、多くのお客様にご来場いただいた特別企画『東北の底力、心と光。「衣」、三宅一生』に続き、来年は企画展「テマヒマ展 〈東北の食と住〉」(2012年4月27日〜8月26日 展覧会ディレクター:佐藤 卓、深澤直人)を開催いたします。

「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせて連載中のリレーインタビュー「アーヴィング・ペンと私」。2011年は、グラフィックデザイナーの佐藤 卓に始まり写真家の加納典明まで、各界で活躍中の写真家、デザイナー、アーティスト、映画監督、小説家、ブロードキャスターなど、13名のクリエーターにご登場頂きました。一覧はこちら

本年最後となる第14回は、フランス・パリのヨーロッパ写真美術館館長、ジャン・リュック・モンテロッソのメッセージをご紹介します。ペンの友人でもあった氏の語る、特別なエピソードに触れてください。


礼儀正しさと優雅さを持ち合わせた、写真界の紳士


──アーヴィング・ペンさんとの出会いについて教えてください。

ジャン・リュック・モンテロッソ(以下、モンテロッソ):
20年前にアーヴィング・ペン氏と出会ったのはピーター・マックギル氏のおかげです。
彼の仕事には大いに敬意をもっていましたし、ペン氏は私にとって20世紀の最も偉大な写真家の一人です。全てが整理整頓された研究室とも言うべきスタジオに私を迎え入れてくれました。まずは彼のきらきら輝く強烈な眼差しに圧倒されました。1時間のインタビューが終わった時には、私は彼の礼儀正しさと優雅さの虜になりました。私にとってペン氏はまさに写真界の紳士です。そして私達はすぐに友人となりました。

──ペンさんの写真について、どのようにお考えですか?

モンテロッソ:彼の写真は彼のイメージそのままです。完璧で、バランスがとれていて、明瞭です。私が彼の名前をヨーロッパ写真美術館の展示室につけずにいられなかったのは、厳格さと美しさを追求する彼の仕事への姿勢が、見習うべき手本だと思えたからです。私達の予想に反して、ペンは画像を作り上げるのではなく、被写体をさらけ出しているのです。

──何か特別なエピソードはありますか?

モンテロッソ:それは親密な時間でした。真っ白なスタジオで、彼の妻リサ・フォンサグリヴ夫人の死から数週間後でした。彼は"妻ではなく自分が死ぬべきだったのに"と呟きながら、私の腕の中に倒れこみました。彼のように慎み深く控えめな男からすると、この涙の分かち合いはまさに心の琴線に触れる瞬間でした。

──最後に、モンテロッソさんのお仕事について教えてください。

モンテロッソ:写真は今日、革命の時期にあり美術館の館長として、私のプロジェクトは出来るだけ適切な方法で、銀板写真からデジタル写真への移行を伝えていくことです。



Monterosso

ジャン・リュック・モンテロッソ Jean-Luc Monterosso

ヨーロッパ写真美術館館長
大学で哲学を専攻したジャン・リュック・モンテロッソは、1996年開館したヨーロッパ写真美術館(パリ)の創設者であり、館長である。1980年に最初のパリ写真月間を、2004年にはヨーロッパ写真月間を始めた。あらゆる出版物に寄稿し、フランスだけでなく海外でも、多数の展覧会のキュレーターを務めた。


* * *

新年は、デザイナーの吉岡徳仁のインタビューで幕を開けます。その後も、ジャスパー・モリソン、深谷哲夫、坂田栄一郎、マイケル・トンプソン、細谷巖など、充実したラインナップを予定しています。



「アーヴィング・ペンと私」一覧リストを見る

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。

静物写真の中に宿っているペンの写真的技術と精神的眼力

──加納さんがアーヴィング・ペンさんの写真に出合ったのはいつ頃ですか?

加納典明(以下、加納):
高校時代ですから、17、18歳の頃。名古屋の実家がグラフィックデザイナーだったんですよ。当時は図案家って言ってましたけど。だから、家に洋雑誌がたくさんあったの。その中でアーヴィング・ペンやヒロ・ワカバヤシとか、いろいろ写真は見ていたんだけど、その中でもペンの静物写真っていうのは突出していた。日本人の感覚というか日本の感覚というものを超越して、まったく異国のものなんだけれども、だけどアメリカ的でもない、全然違うものを持っていたんだよね。

静物写真がとにかくよかった。静物写真っていうのは、自分の気持ちを自己沈殿させて、ものと対話する。セザンヌが静物画を描く時に、ものの配置を実際に目で見える位置とは違う方向で絵にしたという作画方法があるでしょ。ペンの写真も西洋絵画のようなんだけれども、ある意味それを超えるものだと思う。ものを見る、ものを見越すというかスルーするというか。そのものを包含して取り込む視力っていうか。それにじーっとやられたよね。

ペンの写真って、本質を視ると同時に本質を壊してペンの世界にしている。その「壊し力」っていうのかな、その力と自信と作画する技術っていうのが普通じゃなかった。だから日本的とかアメリカ的とかではない、独自の世界を持っていたんだと思う。ペンは広告写真もたくさん撮っていたけど、自分の美意識空間をまったく壊さずペンの世界に持っていってる。その写真的技術と精神的眼力は、世界中のフォトグラファーに影響を与えていると思う。

──展覧会をご覧になったご感想をお聞かせください。

加納:まずは、三宅さんがペンに写真を頼んだっていう目の付け所がいいと思ったね。それで二人のやりとりの間に必ず北村さんが入ってやってた、そのお互いの距離感があるからこそ、13年もあんなにいい写真が撮れたんだということがよくわかった。両者に感心したよね。ペンの写真もすごいんだけど、あんなに大きなスクリーンで見ると、三宅さんのすごさもよくわかる。そこには、ファッションを超えた見たことのないジャンルがあった。すごいと思ったよ。

──加納さんの近況をお聞かせください。

加納:僕の師匠で今年2月にお亡くなりになった杵島隆さんとの二人展なんですが、杵島さんのヌード写真と、僕のデビュー作である「FUCK」をプリントし直したものを「SCANDAL extra Takashi Kijima Tenmei Kanoh」で展示しています。「FUCK」はNYでのパーティでいろいろな性のパターンを撮ったもので、これを発表した次の日に俺は一躍有名になっていたという。

もうひとつは「片目のツァラトゥストラ」という個展を名古屋で開催しました。これは、キャンバスプリントフォトっていうのでプリントして、そこに筆を加えた、写真と絵画の新しい表現で、売り上げはすべて東日本大震災の義援金に充てることにしました。今後、東京と大阪でも開催予定です。

(聞き手:上條桂子)

2011年12月23日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに加納典明が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「静物写真について」の動画を見る



Tenmei Kanoh

加納典明 Tenmei Kanoh

フォトグラファー
愛知県出身、1942年2月生まれ
写真家でありながら、小説、映画、DJ、レコード制作、映画出演、ムツゴロウ王国移住など、写真家の枠にとらわれない数々のパフォーマンスを示す。
日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞、カレンダー展、ポーランドポスター展等受賞。
加納典明オフィシャルホームページ tenmeikanoh.com

「片目のツァラトゥストラ」「片目のツァラトゥストラ」より

「アーヴィング・ペンと私」一覧リストを見る

2011年10月21日、アメリカ、シカゴ美術館より、同館写真部門の主任学芸員を務めるマシュー S. ウィトコフスキーを招いてトークが行われました。

メトロポリタン美術館、ボストン美術館と並び、アメリカ三大美術館のひとつに数えられるシカゴ美術館には、1995年から1997年にかけてアーヴィング・ペン自身によって寄贈された、膨大な数のペン・アーカイブが収蔵されています。180点以上の展覧会用プリント作品や1200点近い習作、さらに生涯をかけて蓄積された資料文書や書簡などからなるこれらの貴重な資料が寄贈されたことを記念して、同館では1997年にアーヴィング・ペン回顧展が開催されました。この展覧会はシカゴを皮切りに世界7ヶ所を巡回し、1999年には東京都写真美術館でも開催され、大きな話題を呼びました。

ウィトコフスキーは、ニューヨークやパリの画廊に勤務した後、フィラデルフィア美術館、ワシントン国立美術館などでの展覧会企画の仕事を経て、2009年からシカゴ美術館に勤務しています。今回は、シカゴ美術館所蔵のペンの作品の一部をスライドで紹介しながら、ペンの作品制作の視点や、ペンと三宅一生の仕事に見られる共通点について語りました。

トークの様子


ペンは、静物写真、ファッション写真、人物写真のどの分野でも秀でた感覚を表現した点で、他の写真家とは違う特別な存在でした。ウィトコフスキーは、ペンの写真は写真でありながら、絵画のような印象を抱かせるクラシックな気品に溢れていると述べています。

ペンは、1943年から65年以上にわたって『VOGUE』誌で仕事をしていました。『VOGUE』誌でジョージア・オキーフなどさまざまな著名人を撮影したポートレートシリーズの写真を見ると、どこにでもある小道具で小さな撮影スペースをつくっていたことが分かります。アトリエや、狭い空間などその人が居心地のよい場所ではないところで撮影が行われました。配置される人物を分け隔てなく見せるニュートラルな空間であると同時に、本来取り除かれるはずの糸クズやホコリなど、現実的な世界もここには映し出されています。

トークの様子


またペンは、第二次大戦後、パリやロンドン、ニューヨークなどで、街中にいる普通の人々のポートレートを撮影しています。自身が街に出て興味深い労働者を見つけては、モデルとしました。撮影は設備の整ったスタジオなどではなく、普通のアパートを借りて行われました。しかし、不思議とペンのポートレートには、どの人物にもエレガンスが漂っています。ここでも、街の中からニュートラルな背景の中へ彼らを移動させることで、被写体の存在感そのものを写し出す独自の世界観をつくり上げたのです。

ペンの写真には、写真という二次元の世界ににどうやって三次元的なものを収めるか、という工夫が見てとれます。ペンは彫刻家になった気分だったのではないかとウィトコフスキーは語ります。

トークの中でウィトコフスキーは、ペンと三宅の共通点として、「エレガンス」、「ピュリティ(純粋性)」、「エッセンス」、「バランス」の4つを挙げました。そして、ペンはこれらの要素は日本の文化にも関連すると考えていたのではないか、そしてそのことを三宅は感じとり、楽しんでいたのではないかと述べます。
写真プリントにおいてペンは、自身の求める表現のレベルに達するまでひとつのネガやポジに何度も立ち戻り、同じ素材を研究しては新たな作品をつくっていました。素材に対する再発見のプロセスを楽しんでいた点も、ペンと三宅の創作に共通して見られるといいます。
また、路上に捨てられたチューインガムやタバコに目をとめ、思いがけない美しさや、美の中の衰え、そして死という一面をとらえたペンの写真から、二人のもうひとつの共通点は、「True Beauty(真の美しさ)」を追求することだったのではないか。永遠に続く美は存在しない、しかしそれゆえに真の美しさであることを二人は理解していたと語りました。

トークの様子


トーク最後の質疑応答では、会場から積極的に手が挙がり、ウィトコフスキーは多くの質問に答えました。写真とデザイン、異なった世界で活躍したペンと三宅のいくつもの共通項と、ペン自身の仕事に込められた世界観に触れ、充実したプログラムとなりました。

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。台湾の雑誌ART COLLECTION + DESIGNにてご紹介いただきました。

ART COLLECTION + DESIGN
ART COLLECTION + DESIGN

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。装苑12月号にてご紹介いただきました。展覧会ディレクターの北村みどりやティエンのインタビュー、石川直樹、坂 茂、瀧本幹也の3名に展覧会へのコメントも寄せていただきました。

装苑12月号
装苑12月号
2011年10月28日発売

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。

人間にとって一番大切なもの「観察力」が見事な人

──浅葉さんがペンさんの写真に出合ったのはいつ頃ですか?

浅葉克己(以下、浅葉):
高校三年生くらいの時かな。横浜にアメリカ文化センターがあって、そこの図書館にはVOGUE、Harper's Bazaar、Esquireといった雑誌がたくさんあった。そこで、アヴェドンやペンの写真を見ていた。あんなにスケッチがうまい写真家っていうのは他にいないんじゃないかな。僕が知っているのは二人だけ。アーヴィング・ペンと有田泰而。有田さんは写真家だったけど、その後画家になった。ペンはアートディレクションから撮影まで、全部一人でやっていたんだと思います。

──ペンさんの写真から学んだことはありますか?

浅葉:異文化の接触という部分。世界を自分でまわって、本質を見て、その民族が育んだ知恵や良い部分を写真に写す。奥底に潜む人間性を捉えていたんだと思う。すごいなあと思いますよね。人間にとって一番大切なものは観察力でしょう、それが見事な人だったよね。

最近、表現者に大切な4つのこととして「見詰める」「思い詰める」「息を詰める」「根を詰める」これが大事だとよく言っているんだけど、全部ペンに言えることなんだよね。きっとペンは一生さんから服が届いた時に、まずはじっと見詰めて、どういう写真にするか思い詰めて、ある時息をふっと詰めてアイデアを出してスケッチを描き、そして根詰めて撮影をする。

スケッチは、描いていると自然と次のアイデアが出てくるんです。僕も朝起きると、書道机に座り、筆で右巻き左巻きの渦を描くんだけれど、そういう日々の鍛練が表現にきっと表れる。ペンも修行僧のように鍛練していたんだろうね。

──常にお忙しいと思いますが、浅葉さんの最近のお仕事を教えてください。

浅葉:最近は「NEW津波石」。東日本大震災での津波の恐ろしさを後世に伝え、亡くなられた方への慰霊の気持ちを込めて、津波石の第一号を岩手県釜石の根浜海岸に建立しました。「二千十一年 3.11」という文字をデザイン化して、石に刻み込みました。このプロジェクトは、他のデザイナーにも参加を呼びかけ、岩手、宮城、福島など津波被害を受けた沿岸部500kmに、最終的に500石碑の建立を目指しています。

(聞き手:上條桂子)



Katsumi Asaba

浅葉克己 Katsumi Asaba

アートディレクター
1940年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所、ライトパブリシティを経て、75年浅葉克己デザイン室を設立。サントリー、西武百貨店、ミサワホーム等数々の広告を手がける。東京タイプディレクターズクラブ理事長として同クラブを運営する傍ら、アジアの多様な文字文化に着眼し、文字と視覚表現の関わりを追求している。
東京ADC賞グランプリ、紫綬褒章など受章多数。東京TDC理事長、JAGDA理事、デザインアソシエーション会長、エンジン01文化戦略会議幹事、東京ADC委員、AGI(国際グラフィック連盟)日本代表。東京造形大学・京都精華大学客員教授。桑沢デザイン研究所所長。中国の象形文字「トンパ文字」に造詣が深い。卓球六段。

NEW津波石NEW津波石

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9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。イタリアの雑誌fashiontrendにてご紹介いただきました。

fashiontrend
fashiontrend

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


自分と真逆だから惹かれる、ペンの写真


──高木さんはご自身の作品集でPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEの服を撮影されていますが、ペンさんの撮り方とは全然違いますね。

高木由利子(以下、高木):
今まで誰にも言ったことがなかったんですけど、実は私、すごく彼の写真を意識していました!(笑)すごくおこがましい話なんですけど、一生さんの服=ペンさんの写真というイメージがあまりにも強かったので、私が撮るんだったら、彼が絶対撮らないであろう写真を撮ってみたいと密かに思っていたんです。

ペンさんの写真には圧倒的なスタイルがあってピーンと張りつめてる感じ。彼の現場には行ったことがないけれど、きっと音も鳴っていない静かな空間で緊迫した空気なんだろうなと思います。逆に私は、服を着ている人の計算されない表情とか空気感をとらえるのが好きなのですが、私が写真を撮るときも実はすべて演出しているので、その中から生まれ出る人や服の自然な動きを捉えようとしています。

今回展覧会で改めてペンさんの写真を拝見して、その計算し尽くされた重みと軽やかさの融合に感動しました。現在の写真や服の傾向とは真逆。今は軽いのが皆好きでしょう。緊迫って言葉も流行らないし、重いものは避けられる。そんな中でペンさんの力強い写真は素晴らしい非日常性を持って、若い人達にも新たなメッセージを送っていると思います。

──ペンさんと三宅さんのコラボレーションでは、お互いに言葉を交わさず作品だけを見て、一切注文もせずにやりとりが繰り返されたようですが、高木さんの場合はいかがでしたか?

高木:一番最初にインドに行く時、一生さんにプリーツを貸して欲しいとお願いしたら、「何するの?」とおっしゃったので、「海外で出会った現地の人にPLEATS PLEASEを着てもらって撮影をしてみたい」とお答えしたところ、「ほぉ、いいんじゃないか」と貸してくださったんです。それは60着。帰国後に一生さんのために会社でスライドショーをしたら、とっても感動してくださって。そこからケニア、中国、モロッコとシリーズで撮影しました。ペンさんの写真もそうだと思いますが、本当に自由に撮っているのを、信頼してくださって、結果の写真だけを見て認めてくださる一生さんは素晴らしいと思います。

──高木さんの最近のお仕事を教えてください。

高木:最近取り組んでいるのは「THREADS OF BEAUTY」というシリーズです。いままで、日本から服を持っていって世界中の人たちに着てもらって撮影していたのですが、そのうちに彼らが普通に着ている伝統的な服の重要性と格好良さに気づかされたんです。イランの遊牧民やインド、中国等12カ国くらいを旅しながら、各国の人たちが日常的に着ている服に着眼点を置いて撮影続行しています。

(聞き手:上條桂子)



Yuriko Takagi

高木由利子 Yuriko Takagi

写真家
東京生まれ。武蔵美術大学にてグラフィックデサインを学ぶ。イギリスのTrent Polytechnic にてファションデザインを学ぶ。フリーランスデザイナーとしてヨーロッパで活躍。以後、写真家として独自の視点から衣服や人体を通して「人の存在」を撮り続ける。撮影地は、日本を拠点に、アジア、アフリカ、南米、中近東に及び、現在撮影旅行続行中。
コレクション:東京国立近代美術館、原美術館、神戸ファッション美術館、目黒美術館、横浜美術館、後藤美術館、上海美術館。
出版:Nus intimes(用美社)、Confused gravitation(美術出版社)、IN AND OUT OF MODE(Gap Japan)、Skin YURIKO TAKAGI X KOZUE HIBINO(扶桑社)
http://yurikotakagi.com/

THREADS OF BEAUTY 1998~2012
PHOTOGRAPH BY YURIKO TAKAGI


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9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。アサヒカメラ12月号にてご紹介いただきました。先日、トークにもご登場いただいた、美術史家の伊藤俊治さんによる展評です。

アサヒカメラ12月号
アサヒカメラ12月号
2011年11月20日発売


2011年10月23日に21_21 DESIGN SIGHTにて行われた、グラフィックデザイナーの佐藤 卓と美術史家の伊藤俊治によるトークの様子を動画にてご覧頂けます。
トーク「衣服、写真、デザインの関係」を観る

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


セローニアス・マンクの音楽のような、決して真似のできない写真と服


──アーヴィング・ペン展をご覧になって、いかがでしたか?

ピーター・バラカン(以下、バラカン):
ペンさんの写真は、カルティエ・ブレソンのように決定的瞬間をうまく捉えるのではなく、むしろ完璧にセッティングして、自分の思い描いているものを押さえる方なんだなと今回の展覧会を見てわかりました。大きなスライドにするとよくわかるんですけど、化粧もすごい時間をかけているし、ライティングもおそらく何時間もかけてる。でもね、計画的で計算しつくしたものではあるけれど、そうは思わせない。見る方はただ感激する、すごく感覚的な作品でした。ミュージシャンで天才的な即興をする人でも、その裏では毎日何時間も練習していたり、人を感動させるためには技術と作品を仕上げるための努力がありますよ。その努力が瞬時に観客にバレたら、興醒めしちゃう(笑)。だからさりげなさがあって、よく見るとわかる。そんな感じ。ペンの写真の素晴らしさはもちろんなんだけど、一生さんの服の独自の芸術性もただただ!言葉を失ってしまうんだよね。

──確かに。三宅さんの服がペンさんの琴線を刺激したりしたということもあるでしょうね。

バラカン:もちろんそうだと思います。ここまで一生さんの服を上手く撮れるカメラマンが他にいるかなって思わせるほどインパクトがありますね。僕は、基本的に音楽の世界の人間なんですけど、一生さんほど真似のしようのない音楽を作る人、たとえばジャズピアニストでセローニアス・マンク。彼ほど気持ちよく演奏出来る人って、そうはいない。彼の個性、癖というか、ちょっとメロディを聴いただけですぐに彼の音楽だとわかるし、誰にも真似できない。だから、その個性を深く理解した人じゃないとセッションは成立しない。一生さんの服もそうだと思う。一生さんの服の写真も、本当に一生さんの服を深く理解しないと作品にはならないんじゃないかな。アーヴィング・ペンの写真を見て、この人は理解している、そう思った。

──バラカンさんは、本展でアニメーションの三宅さんの声をご担当されましたが。ペンさんと三宅さんのダイアローグを演じて、どう感じましたか?

バラカン:二人の間のよい距離感をすごく感じました。アーヴィング・ペンは一度もショーに行ってないし、一生さんは一度も撮影の現場に行ってないし、その距離の取り方は2人とも意識してたんでしょうね。わかるような気がします。

あの映像がなければ、どういうプロセスであのポスターが生まれてくるのか、おそらく多くの人がわからない。そこに目をつけた、北村みどりさんの発想が面白かった。とにかく今回の展覧会は何から何まで完璧だと思ったのです。凝ったことをやってるわけじゃない、シンプルなんだけど強い、何度も見た方がいい、飽きない展示だと思います。

──ありがとうございます、では最後に、バラカンさんの最近のお仕事を教えてください。

バラカン:月刊プレイボーイで6年ほど連載していたコラムが書籍化され、『ピーター・バラカン音楽日記』というタイトルで発売になりました。ぜひご覧ください。

(聞き手:上條桂子)

【関連情報】
2012年4月1日(日)14時から15時30分に21_21 DESIGN SIGHTで開催の展覧会関連プログラムトーク「ピーター・バラカン出前DJーVisual Dialogueに寄せて」にピーター・バラカンが出演します。ぜひご来場ください。詳しい情報・参加ご予約はこちら

また、ピーター・バラカンがメインパーソナリティーを務めるラジオ番組「The Lifestyle MUSEUM」(TOKYO FM)の過去放送回では、展覧会ディレクターの北村みどりと、2012年1月28日の関連プログラムトークにも出演した東京都写真美術館キュレーターの笠原美智子がゲストとして登場しました。これらの放送はポッドキャストで視聴可能です。あわせてお楽しみください。
2011年2月16日放送/ゲスト:北村みどり
2012年2月17日放送/ゲスト:笠原美智子



Peter Barakan

ピーター・バラカン Peter Barakan

ブロードキャスター
1951年ロンドン生まれ。 ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。
現在フリーのブロードキャスターとして活動、「Barakan Morning」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「CBS 60ミニッツ」(CS ニュースバード)、「ビギン・ジャパノロジー」(NHK BS1)などを担当。
twitterのアカウントは@pbarakan
著書に『200CD+2 ピーター・バラカン選 ブラック・ミュージック アフリカから世界へ』(学研)、『わが青春のサウンドトラック』(ミュージック・マガジン)、『猿はマンキ、お金はマニ 日本人のための英語発音ルール』(NHK出版)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)などがある。

『ピーター・バラカン音楽日記』

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