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建築家 フランク・ゲーリー展 “I Have an Idea” (28)

2016年1月30日、ゲーリー事務所で経験を積んだ一級建築士の佐藤 類を講師に招き、「ゲーリーの創作プロセスを体験!等身大の模型をつくるワークショップ」を開催しました。

はじめに、本日の講師となる佐藤 類がフランク・ゲーリーの初期の作品や、自身がゲーリー事務所に所属していたときに担当した仕事を紹介しました。ゲーリー建築において「外壁」は非常に重要なデザイン要素のひとつであり、ゲーリー事務所では、大小さまざまな模型を同時進行で制作しながら建物の表情をつくり上げていきます。今回は、チームになってひとつの「壁」をつくりあげることで、ゲーリーの「外壁」のスタディを体験します。

実際の制作に入ると、まずはじめに模型の土台となる段ボールを組み立てていきます。今回使用する素材はどれも、ゲーリー自身も実際に使用するものばかりです。

次に、組み立てた段ボールを積み上げていきます。微妙なうねりを表現するために、仮置きした段ボールに鉛筆で印をつけて調整します。段ボールを重ねる位置が決まったら、印にあわせて両面テープで固定していきます。

最後に、壁の表面に紙を貼りつけると完成です。うねりのある壁のかたちにあわせて貼ったホログラム紙は、角度によって表情が違ってみえてきます。

完成した「壁」の模型は、1月30日の閉館まで会場に展示されました。

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューでは、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションが行なわれました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。

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プレスプレビュー当日の様子(Photo: 木奥恵三)

──ゲーリーさんが建築家になられた背景や日本との関わりについてのいろいろなお話、エピソードをありがとうございました。そして、代表作や近年の作品、最新作などは展覧会会場でご紹介させていただいておりますが、ゲーリーさんの今後のプロジェクト、これからどのようなことをされていきたいかということをお伺いしてよろしいでしょうか。

「さぁ、わかりません(笑)。ただ私には、建物を建てることに対する中毒症状があると思っています。オフィスの若いメンバーと仕事をするのも好きですし、息子も建築家になるということを決めました。孫娘は1歳になります。韓国系の血が入っているので、みなさんとある意味で近くなったとも思っています。これからなにをしたいかという話になるとまた何時間も必要になるのですが(笑)、私は最近慈善活動に熱心に取り組んでいます。カルフォルニア州には小学校が100校ほどあるのですが、小学校を卒業できずに中途退学してしまう児童がおよそ50%いると言われています。統計的に、ドロップアウトした児童は高い確率で犯罪に手を染め、刑務所で過ごしてしまう。そして皮肉なことに刑務所は児童を受け入れるために準備をしているわけです。こうした状態を受けて、われわれはファースト・レディのミシェル・オバマとともに『TURNAROUND ARTS』というプログラムを立ち上げました。アート系の先生方を学校にいる子どもたちのもとに送り込んで一緒にいろいろな作業をするプログラムで、子どもたちは自分の手でものをつくるということに熱心に取り組むものです。このプログラムは数カ月でかなり成果を上げています」

──幼少期におばあさまと遊ばれた経験は、建築家としてのお仕事に結びついてますでしょうか。

「一緒に床に座ってブロック遊びなどをしていました。祖母がどこまで深く考えていたのかは今となっては分かりませんが、遊びを通して、先入観なしにアイデアを模索し、自分の直感に従って何かをつくりあげていくということを学べたような気がします。祖母の例ではありませんが、私は生徒に教えるときに、まず彼らにサインを書かせているんです。書いてもらったサインをデスクの上に置いて見ると、書く人によって美的な側面がそれぞれ異なっていることが分かります。これは、生徒たちが何かに捉われて意図的に書いたものではなく、自身の手で直感的につくったもの。彼らには『直感を信じる感覚を忘れないで』ともよく話していますね。どこに向かっていくかというような確信を探すのではなく、直感を信じてアイデアを模索するということです。もちろん建物を立てるにあたっては、場所の法規制、現場やエンジニアリングの制約条件等に打ち当たりますが、先入観なしに直感に従いアイデアを模索することの大切さを、祖母がブロック遊びを通して教えてくれたのかもしれません」

──「やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ」とありますが、嫌になる瞬間が必ず来るにも関わらずアイデアを生み続けていくご自身のモチベーションはどこからやって来るのでしょうか?

「そうですね、どこから来るんでしょうね(笑)。私の友人でもある三宅一生さんは布でプリーツをつくりましたが、私はこれについて、布で人間性を表す試みであるように感じています。大きなもの、小さなもの、様々な領域にアイデアを当てはめて行った結果、最終的に、美しく、着心地の良い服に辿り着いたのだと思います。アイデアは様々な領域にどんどん進化して展開していきますが、だからといって、もともとあった『人間らしさ』を服で表現することで人々に届けるというアイデアの根にあるものは全く変わりません。その結果として、私のようなファッショニスタでも何でもない人間にとっても着心地が良いと思えるような美しい服をつくりあげることができたのだろうと思っています。進化のなかにも一貫性を持ち続けることが、例えば三宅一生さんの服でしたら、人間性が表現されていて、楽しくて、人々の手に届きながらも誰も真似できない、美しくユニークな服を可能にするのではないかと考えます」

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューでは、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションが行なわれました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。


プレスプレビュー当日の様子(Photo: 木奥恵三)

──みなさまこんにちは。本日は「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」にご来場いただきありがとうございます。これより、開催に合わせてご来日いただきましたフランク・ゲーリーさんによるQ&Aセッションを始めたいと思います。まずはゲーリーさんから一言お願いいたします。

「ハロー」

「一言ということでしたので(笑)。この21_21 DESIGN SIGHTのディレクター三宅一生さんとは長年の友人であり、建築家の田根剛さんには今回の展覧会ディレクターを務めていただきました。そしてこの展覧会を、同じく古い友人である安藤忠雄さんの建築のなかで行なうことができることをとてもうれしく、光栄に思っています」

「私はとても日本を愛しています。建築の歴史、音楽や文学などの芸術の歴史が好きで、若い頃は多くのものに触れ、多くのことを学びました。私は雅楽をやります。『イーン、クリン、クリン』の『クリン、クリン』のパートをやっているんです(笑)。このパートを完璧に演奏するためには呼吸をどのようにすればいいのか、日本の師が私に教えてくれました。日本にも、世界中のほかの国にも、建築や芸術の歴史は遺産として根付いています。そしてわれわれは遺産とまったく同じ創造を繰り返すのではなく、現代という時代の文脈のなかで、新たな作品をつくりだしていこうと考えているわけですが、そこに遺産のコピーではない人間的な新たな建築、街を築いていこうとすることが大事だと思います。残念ながら、アジア各国や、アメリカ、イギリス、フランスや世界のどこへ行っても、モダニストの作品のなかにはそういうアプローチをなかなか見ることができません。それがどのような理由からなのかは私にはわかりません。ですが、歴史を理解し、人間性を感じられるような建築を復興させたいと思っています。それはつまり、コピーではなく、現代における新しい言語を探していくということです」

──21_21 DESIGN SIGHTでは、本展を「建築家 フランク・ゲーリー展」と銘打っております。「建築の展覧会である前に、建築家の展覧会であるからだ」と、ディレクターの田根さんはおっしゃっていますが、ゲーリーさんが建築家になられたきっかけと、これまでたどってこられた建築家としての道のりについてお話をお聞かせいただけますか。

「それについては、4時間ほどお時間をいただいてもよいでしょうか(笑)。小さい頃は気がつきませんでしたが、いまから振り返ると私の父、母、私が置かれていた時代の状況は、なにかものをつくることへのヒントに溢れていた時代だったと思います。幼年時代は貧しく、困難な時代でした。私はあるとき、ロサンゼルスでトラックの運転手をしていました。そのときは、ユニヴァーシティではなく、ロサンゼルス・シティ・カレッジの夜間に通っていて、数学や科学をはじめ、とにかく当時興味を持っていたコースを受けていました。しかしながら、なかなか成績は上がりません。一度、興味を持って勉強していたコースで『F』(落第点)をとったがあって、とにかくそのことに頭にきたのでもう一度同じコースを履修して、今度は『A』をとりました。そのコースをとったのが、建築家になることになる、最初のひとつのレンガだったと思います。友人のひとりにラジオ・アナウンサーがいて、なんだかおもしろそうだなあと思って、私もラジオのアナウンサーになろうとしたのですが、声質がダメだったのですね。結局この夢はあきらめました」

「あるときカレッジで製図のコースをとりまして、これについてはかなり上手くて成績もよく、先生がさらに続けたらどうかと励ましてくれました。これが2つめに積んだレンガでした。この段階ではまだ建築を学ぶには至っておらず、夜学を続けながら、次に陶芸のコースをとりました。恥ずかしくてその頃の作品をお見せすることはできませんが。先生だって恥ずかしく思っていたはずです(笑)。ただ、先生は私のことを気に入ってくれて、スチューデント・アシスタントになったらどうかと誘ってくれました。先生は清の時代のとても美しいセルリアンブルーの陶器をつくることができる人でした。あるとき、先生が器を釜に入れて焼いて仕上がった作品がとてもきれいで、どうやってこの器をつくったのか、偶然じゃないのかと聞いたところ、『これからは偶然できたとしても自分がつくったと言いなさい』と言われました。そういう教えややりとりが鮮明に思い出されます。」

「この陶芸の先生は自宅をカリフォルニアの建築家であるラファエル・ソリアーノに依頼して建てていました。ソリアーノにはミニマリスト的素養があり──安藤忠雄さんにも通じるところがあると感じますが──美しい建築をつくる建築家です。建設現場で彼に会って話をしていたときのことですが、彼は私に『フランク・ロイド・ライトは好きになるなよ』と言うんです。そこで数時間作業を見ていたら、今度は陶芸の先生から『君は建築のコースをとったらどうだ、いいアイデアだろ』と勧められました」

「その後私は南カルフォルニア大学の夜間コースに移り、毎週月曜日に開かれているプロジェクトに参加しました。成績が良かったものですから、2年生をスキップさせてくれました。2年目の最初の学期が終わったときでした。大学の建築コースの先生が私をオフィスに呼んでこう言いました。『フランク、私には君がなにになるべきかわからないけれども、建築家にはなるもんじゃないぞ』。それでも私はその後大学を卒業し、建築の世界のなかに留まりました。先生とはその後時折顔を合わせることがありましたが、先生は『わかっている、もうなにも言うな』と言いました(笑)」

「第二次大戦が終わる頃、アメリカのGIや建築家が伊勢神宮や桂離宮などの日本の建築を見て、たいへん感銘を受けていました。1950年代のロサンゼルスは、木造のトラックハウスが戸建住宅の代わりになっていて、粉末石膏を塗ったような外観のトラックハウスが何マイルも続く風景をつくっていました。そういう時代にアメリカは日本の古建築の美しさに出会ったわけです。スキー事故で惜しくも亡くなったゴードン・ドレイク(Gordon Drake、1917−51)や、ハーウェル・ハミルトン・ハリス(Harwell Hamilton Harris、1903−90)などが現代的な木造建築を遺していますが、ここにも日本の影響が見られます」

「木造建築における日本建築の影響は、個々の魅惑的な作品のレベルを超えて存在しており、私の初期の作品を含めて、かなり日本風のものと感じられる作品がたくさんあったのです。フランク・ロイド・ライトやチャールズ&ヘンリー・グリーン(Charles Sumner Greene、1868−1957/Henry Mather Greene、1870−1954)、バーナード・メイベック(Bernard Ralph Maybeck、1862−1957)などの『マスター・アーキテクト』と呼ばれる建築家の作品にはやはり日本の建築から派生したスタイルを感じます」

「日本の国宝を展示するロサンゼルス・カウンティ美術館でデザインをしたことがあるのですが、このときも私は日本の文化からの影響を感じていました。例えば葛飾北斎や歌川広重の木版画、江戸時代の陶器や屏風、侍たちの装束、日本文学など、これまでにかなり深く日本文化を学ばせてもらいました」

「その後《フィッシュ・ダンス》(1987)というレストランを神戸に設計しました。私としては魚の形そのものだったり、ヘビを模したような建築をやりたいとは思っていなかったのですが、このときはコミュニケーションが崩壊し、クライアントと私の意思の疎通がうまくいかずに、誤解によって建物ができてしまうという奇妙な経験をしました。ベストを尽くしたかったのですが、それが適わなかった。いつかだれかドキュメンタリーをつくってくれたらいい(笑)。私は辞めたかったのです。日本の文化についてはもちろんみなさんのほうがご存知なのですが、私が『辞めたい』と言ったとたんに現場では、それはたいへんだ、面目がつぶれる、そうなればなんて恥ずかしいことかと、かなり騒ぎになったのですが、日本側の建築監修の方々がとても優しく、また私も彼らを傷つけたくない思いで進めました。《フィッシュ・ダンス》は外側から光をあてて街のひとつのオブジェとしようという意図があったのですが、数カ月後に神戸に戻ってきたらなんと内側から照明があてられ、ゴールドに塗られ、目まで描かれているんですよ(笑)。この一件があったから、その後日本から建築設計依頼がこないのかなあと思っているんです。悲しいストーリーでした(笑)」

>>後編へつづく

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『AXIS』179号に、フランク・ゲーリー氏の表紙インタビューが掲載されました。
本誌は、「建築家 フランク・ゲーリー展 」会期中、21_21 DESIGN SIGHT1階のショップスペースでも販売しています。また、本展ディレクター 田根 剛の表紙インタビューが掲載された『AXIS』176号もあわせて販売中です。ぜひご覧ください。


『AXIS』179号

2016年1月9日、建築家 青木 淳と映画プロデューサー・小説家 川村元気が登壇し、「トークシリーズ『I Have an Idea』第4回 "どっかん" ゲーリーとはだれか?」を開催しました。

まず、本展において象徴的なゲーリーの「マニフェスト」について触れ、ゲーリーのアイデアが実現されるまでのプロセスについて、両者が語りました。「マニフェスト」での、模型をつくっては嫌いになるというフランク・ゲーリー自身の言葉を受け、川村は「つくることは最高の自己肯定。それと同じくらいに嫌いになることを、ゲーリーはやっていると知り、ほっとする」と語りました。

続いて、テーマの"どっかん"へと話は移ります。ゲーリー建築のような大規模かつ独創的なフォルムを生みだすためには、「クライアント、予算、時間。さらには、偶然もどこまで引き受けるか。実はかなり切り詰める」ことが必要であると青木。"どっかん"は緻密な計算式に基づくものであり、ゲーリーが自ら立ち上げた「ゲーリー・テクノロジー」の技術が、それを可能にしていると続きました。その飽くなき挑戦が、現実をフィクション化してしまうような、完成度の高い建築をつくりあげることができると、青木、川村ともに凄みを感じているようでした。

トーク中、川村が、映画のアイデアを実現するために、現実の環境や他者との関わりによって生じるジレンマは、建築のプロセスと似ているとも語った今回。終了時にて、青木が述べた「ゲーリーは建築だけでなく、ものをつくっていくことに真っ当な見本のようである」という言葉が、ゲーリーの優れた普遍性を言い表しているようでした。

2015年12月、東京都港区立笄小学校4年生66名が、「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を授業の一環として訪問しました。

はじめに、21_21 DESIGN SIGHTスタッフが本展の構成と展示内容を紹介しました。児童のみなさんは、スタッフの解説を聞きながら会場をくまなく鑑賞します。建築家のアイデアがどのようなかたちで生まれてくるのか、ゲーリー建築の外観と内観のダイナミズムや居心地の良さ、ゲーリーの人物像、さらにはプロジェクトのプロセス模型のかたちや質感に、強く惹きつけられている様子でした。

その後、「すてきなアイデアや心にのこったこと・発見したことを書きましょう」をテーマに、館内を自由にまわりながら思い思いに文章や絵などを綴り、その内容を発表しました。

授業の後半では、安藤忠雄が手がけた21_21 DESIGN SIGHTの建築に注目して、フランク・ゲーリーの建築との違いを観察します。児童のみなさんは実際の建築に触れながら、内部空間の広がりや光の使われ方など、建築家によって異なる特徴が現れているところを見つけて、発表しました。

最後に全員で館外に出て、21_21 DESIGN SIGHTの外観のスケッチを行いました。本展のそこかしこにあったアイデアや、各自の発見したこともスケッチに表現され、かたちや質感がしっかりと捉えられていました。

建築家 フランク・ゲーリーのアイデアに触れた児童のみなさんは、アイデアを持ち続け、実現することの大切さを体感していたようです。この日は21_21 DESIGN SIGHTにとっても、デザインに欠かせない、ものごとをつくりあげることの楽しさと大切さを、港区立笄小学校のみなさんと分かち合うことのできる貴重な機会となりました。

開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。

21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
「ものづくりにゴールはない」と語る建築家 西沢立衛が、世間の常識に挑戦し続けるゲーリーの姿勢と、現在進行形で展開してゆく彼の建築の「創造性」について考えます。

2016年6月24日から開催される21_21 DESIGN SIGHT企画展「土木展」(仮称)の展覧会ディレクター 西村 浩が、1月31日まで水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開催中の展覧会「3.11以後の建築」の関連プログラムとして、レクチャー&ワークショップ「展示室を芝生でリノベーション」を開催しました。

「3.11以後の建築」は、建築史家の五十嵐太郎とコミュニティーデザイナーの山崎 亮をゲスト・キュレーターに迎え、東日本大震災後の社会の変化に自分なりの考え方や手法で向き合う21組の建築家の取り組みを紹介する展覧会です。これからの日本において、建築家がどのような役割を果たし、どのような未来を描こうとするのか、批判と期待の両方の視点で構成されています。

建築家の西村 浩と彼の率いる設計事務所ワークヴィジョンズは、展覧会終盤の「建築家の役割を広げる」というコーナーで、<Re-原っぱ>を展示。「空き地が増えるとまちが賑わう?」という逆説的なコンセプトのもと、西村の出身地でもある佐賀市中心部の駐車場等を「原っぱ」にすることで、市街地にこどもからお年寄りまでが集まってくるという実験的な試み「わいわい!!コンテナプロジェクト」を紹介しています。

2015年12月5日に行われたレクチャーでは、はじめに西村が、21世紀という新しい時代における新しいまちづくりや建築のあり方について、ハードとしての建造物には限界があり、仕組みや人というソフトづくりが最も重要であると解説。実験と挑戦、豊かな想像力、そして発想と発明が何よりも大切だと熱く語りました。続くワークショップでは、参加者全員で展示室内に人工芝を敷く作業を行い、芝生を貼るだけで世界が変わるという体験を共有しました。

社会の様々な問題を解決することが建築家の役割であると断言する西村。現在21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have and Idea"」と同様に、発想、発明、そしてアイデアの力の重要性を感じさせる、充実した展覧会とレクチャー&ワークショップでした。

水戸芸術館「3.11以後の建築」

2015年11月7日(土)-2016年1月31日(日)

>>水戸芸術館 ウェブサイト


「3.11以後の建築」展 会場風景
撮影:根本譲
提供:水戸芸術館現代美術センター

開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。

21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
安藤忠雄が、時代と対話しながらつくられ、時代を牽引するフランク・ゲーリーの作品が建築界に与えた影響や、自身とゲーリーとの交流の思い出を語ります。

開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世界的に活躍する建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、アイデアが生まれる背景や完成までのプロセスを、数々の模型や、建築空間を体験できるプロジェクションを通して紹介しています。
ここでは本展技術監修を務める遠藤 豊による紹介映像で、会場の様子をご覧いただけます。

開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。

21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
ゲーリーの代表作のひとつである「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」の音響設計を手がけた豊田泰久は、設計当時の逸話や、ゲーリーと日本文化の関わりについて語ります。

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」が、イタリアのウェブサイト『domus』に紹介されました。

>>domus


『domus』

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『Casa BRUTUS』12月号の30ページにわたるフランク・ゲーリー特集の中で、本展ディレクター 田根 剛による展覧会ガイドが掲載されました。


『Casa BRUTUS』12月号

2015年11月28日、建築家 塚本由晴と哲学者 柳澤田実が登壇し、「トークシリーズ『I Have an Idea』第2回 "でこぼこ" 機能とかたちについて」を開催しました。

対談は、柳澤によるゲーリーの考察から始まりました。柳澤は、ゲーリーが自らの建築に対して語った「従順でないが思いやりのあるもの」「コントロールされたカオス」というフレーズを挙げると、ゲーリー建築には様々な行為を促す余白の部分が多いと話し、その背景には「他者の行為可能性の増大を援助する」というアメリカ的なプラグラティズム(実用主義)があるのではないかと話しました。さらに柳澤は、ゲーリーが古典絵画に傾倒していることに着目。絵画上の「情念のせめぎ合い」が建築のコンポジションへと変換されているという見解を語りました。
対して塚本は、「建築家はものごとを整理しがちだが、ゲーリーはどんどん複雑化し、エントロピー(エネルギーが自然に流れる向きを表す指標)を増やしながらも、ぎりぎりのところでバランスを保ち、動的平衡を建築の世界に取り込んでいくのが面白い」と応じました。

続いてトークは、本日のテーマである"でこぼこ"という言葉に移ります。ゲーリー建築にみられる「でこぼこ」としたかたちに対し、「(ゲーリーは建築を通して)概念と物質の間で遊んでいる」と言う塚本。ゲーリーは、概念を物質に劣ることなくかたちとして実現する「隙間」というデザイン言語をいち早く見出したのだと言います。続けて、柳澤は「遊びごころだけでなく、かたちへの強い意志、肉々しさや、情動が凝固されたパワーを感じる」と述べました。

ゲーリー建築を通して、現代の日本社会における建築の有りようにも触れられた今回の対談。ゲーリーの存在が、建築における大きな指標となっていることを改めて知る機会となりました。

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、フランク・ゲーリーのインタビューが、『casabrutus.com』に掲載されました。

>>casabrutus.com


『casabrutus.com』

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、本展ディレクター 田根 剛のインタビューが、『Pen Online』に掲載されました。

>>Pen Online


『Pen Online』

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、本展ディレクター 田根 剛のインタビューが、『和樂』11月号に掲載されました。


小学館『和樂』11月号より

2015年11月14日、建築家 西沢立衛と現代美術家 宮島達男が登壇し、「トークシリーズ『I Have an Idea』第1回 "ぐにゃぐにゃ" 形成と形態について」を開催しました。

対談は、「フランク・ゲーリーを初めて知ったとき」から始まりました。1980年代、大学生の頃に初期のフランク・ゲーリー建築を知ったという西沢に、宮島が「当時の若い建築家への影響は?」と問うと、西沢は「石を削る彫刻のような発想ではなく、日本の木造建築の考え方に近しいゲーリー建築の影響は特に大きかったのではないか」と答えました。 宮島は、スペインでの展覧会に出展した際にビルバオ・グッゲンハイム美術館を見るためにビルバオへ足を運んだといいます。街の中にビルバオ・グッゲンハイム美術館が突然立ち現れる風景は、それまでに見たことのないものでとても驚いたと宮島が語ると、フランク・ゲーリーの名を世に知らしめたビルバオ・グッゲンハイム美術館の特徴は、しかしそれまでのゲーリー建築とかけ離れたものではなかったと西沢は言います。それでも多くの人を惹きつけたビルバオ・グッゲンハイム美術館は、それまで脱構築主義の文脈でばかり語られてきたゲーリー建築が、抜きん出た抽象性を獲得し、自由にゼロから見ることのできる建築になった作品であったろうと語りました。

話題は、本日のテーマである"ぐにゃぐにゃ"という言葉に移ります。フランク・ゲーリーの素晴らしさは、その適確なスケール感にあると言う西沢。かたちの個性として重要な"ぐにゃぐにゃ"は、ともすればデザインの特徴としてのみ想像されがちだが、フランク・ゲーリーは、空間の機能とボリュームを現実的に捉え、必要な空間の区切り、つまり"ぐにゃぐにゃ"の数を割り出すのだと語りました。

それぞれのゲーリー建築への印象を通じて、フランク・ゲーリーには彫刻的なアプローチをする一面があるのではないかと、「emotion」という言葉を使いながら語り合う西沢と宮島。
宮島はゲーリーの仕事について、パリのルイ・ヴィトン財団の展覧会で数えきれないほどのゲーリーの建築模型を目にして、ヘンリー・ムーアのスタディを連想したと言います。また、人が入ることのできる「何か」として捉えることのできるゲーリー建築は、ニキ・ド・サンファルやオラファー・エリアソンのアート作品にも互いに通じ合うところがあるのでは、とも述べました。
西沢も、ゲーリーは「人間の入るところ」をつくっているのであり、それが「建築」であることを必須としていないのではないか、と同意します。住まう時点では過去になってしまう建築創造を、現在進行中であるように錯覚させるような迫力がゲーリー建築にはあるとも言う西沢。さらに、ゲーリー建築は建材をきっかけに建物を考え始めているのではないかと自論を述べると、その上で彼の建築には、近代建築史のすべてを見て取れると語りました。

さらに西沢は、ゲーリー自邸を例に挙げると、ゲーリー建築を究極のコラージュでありブリコラージュであると表現しました。日常性を起点に必要なものを集めて組み合わせていったような自邸をはじめとするゲーリー建築は、「誰にも『アイデア』の可能性はある」と示唆しているのでは、と語ります。

話題はゲーリー・テクノロジーへ。西沢は、以前フランク・ゲーリーが来日した際に聴いたエピソードを紹介します。かつては優秀な数学者であるゲーリーの親しい友人が、ゲーリーがアイデアの発想段階でつくったオブジェのようなものを定規で測り、図面に起こしていたのだと、ゲーリー自身が語っていたと言います。宮島は、今やアートの世界でも必然のものとなったデジタル・テクノロジーの例を挙げて紹介した上で、それでも細部には人間の手による表現が必要だと語りました。

トークの終わりには、参加者から「以前、オスカー・ニーマイヤーの建築を"色気がある"と表現していたが、フランク・ゲーリーの建築はどうか」と問われた西沢は、「彼の建築には、日本では善悪の線をひいてしまうようなことでも受け入れる懐の深さがあり、人間的な生命の輝きがあると思う」と答えました。

フランク・ゲーリーの建築を、建築家と現代美術家のそれぞれの視点から語り合った二人の会話は、その魅力を建築としてのものに限定しない広い視点でのトークとなりました。

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューで行われた、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションの様子が、『10+1 web site』(LIXIL出版)に掲載されました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。

>>10+1 web site


プレスプレビュー当日の様子(Photo: 木奥恵三)

企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世間の常識に挑戦する作品をつくり続ける建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、彼の思考と創造のプロセスを、数々の模型や建築空間のプロジェクションを通して辿る展覧会です。
本連載では、ゲーリー建築をより深く理解し、その魅力を一層楽しめる展覧会の見かたを本展企画協力の瀧口範子が解説します。


本展会場風景写真:木奥恵三

本展のテーマは、「アイデア」である。建築家 フランク・ゲーリーが、いかにアイデアを得て、それを発展させていくのか。そのプロセスを数多くのオブジェや模型から感じていただけるはずだ。

だが、アイデアもそれが実現にいたらなければ、ただの思いつきに終わってしまう。誰であれクリエーターの活動の大部分は、アイデアを現実のものにしようとするところに費やされているはずである。ことに、自分にしかないアイデア、まだ誰も目にしたことのないアイデアを、社会や技術の制約を超えて実現するのは簡単なことではない。もちろん、フランク・ゲーリーの場合もしかりだ。

ゲーリー建築を目にしたことのある人ならば、標準的な形態を逸脱したこれら建物がどのように実現されたのか不思議に思うことだろう。特注の建材をたくさん使ったのだろう、金と時間をぜいたくに費やしたのだろう、建設現場では作業員に無理強いをして、慣れない危険な取り付けもさせたのだろう。そう想像してもおかしくない。

ところが、現実はそうでなかったことを教えてくれるのが、ゲーリー・テクノロジーズという技術会社の存在である。展覧会会場では、本展ディレクターの田根 剛と技術監修の遠藤 豊がビジュアルデザインスタジオ WOW(ワウ)の協力のもと制作した映像で、そのアプローチと活動を知ることができる。


本展会場風景写真:木奥恵三

ゲーリーがコンピュータ・テクノロジーに出会ったのは、スイスで設計したヴィトラ・デザイン美術館がきっかけだった。そこにある螺旋階段はゲーリーの図面通りに建設されていたにも関わらず折り目ができ、ゲーリーが求めていた、流れるようなスムーズさを欠いていたのだ。二次元の図面で三次元の建物を表現することの限界を感じたできごとだった。

ゲーリーはその後、航空機の設計で用いられているCATIA(カティア)というソフトウェアを知る。流線で構成される航空機は、壁や屋根のある普通の建築とは違って三次元的なアプローチによってしか設計されない。それをゲーリーは自身の建築に利用してみようとしたのだ。

それを初めて試したのが、スペイン・バルセロナに建てられた「フィッシュ」と呼ばれる巨大な魚の彫刻だった。ここでは、魚の躍動感が硬い鉄骨によってつくり上げられた。コンピュータが鉄骨の組み合わせを詳細にわたって算出したおかげだ。

その後、有名なビルバオ・グッゲンハイム美術館でCATIAを本格的に利用する。踊るような力と複雑な構造を持つこの建築は、ゲーリー事務所がコンピュータ・テクノロジーの潜在力を引き出すことによって実現したものと言える。

ゲーリー事務所は、その時々のプロジェクトに合わせてソフトウェアを洗練させていき、テクノロジー部門は後にゲーリー・テクノロジーズとして独立する。会場の映像では、ゲーリー・テクノロジーズがどう建築のプロセスを変えたのか、それによってどう建築家が力を得たのかが語られる。

たとえば、上述のビルバオ・グッゲンハイム美術館では、鉄骨構造のために6社が入札した際、各社間で入札額の誤差が1%しかなく、しかも予定コストよりも18%も安い額が提示された。コンピュータ・モデルによって部材の情報が詳細にわたるまで共有されたことも理由だが、コスト面、建設面での効率化を図るために、鉄骨設計の最適解を求めてコンピュータ・テクノロジーが用いられた結果である。


左:ゲーリー・テクノロジーズ社「デジタル・プロジェクト」
右:エイト・スプルース・ストリート(アメリカ・ニューヨーク、2011)
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

また、ニューヨークのエイト・スプルース・ストリートは、高層ビルとしてまれに見る複雑な外壁を持つが、それを構成する10300枚近くの外壁パネルはたった3種類しかない。しかも、特注パネルはそのうちの20%のみ、残りは40%の規格パネル、40%の標準パネルだ。ここでも、デザインとコスト、工期などの最適解をコンピュータによってはじき出したことが背景にある。

ゲーリー建築では、「マスター・モデル」と呼ばれる建築の中央データに、デザイン、設備、建材、建設、工程などのすべての情報が統合されるようにし、コストや工期をコントロールしながらデザインを柔軟に模索できるようになっている。ゲーリーは、そのしくみづくりを行ったと言える。

現在は、建築もコンピュータ・テクノロジーによって大いにサポートされているのは周知のところだ。だが、ゲーリーの場合は、自らの手でそのテクノロジーをつくり上げていったところに、探究心とユニークさが感じられるのである。

文:瀧口範子

>>第1回「建築模型のみかた」
>>第2回「展覧会の見どころ」

企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世間の常識に挑戦する作品をつくり続ける建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、彼の思考と創造のプロセスを、数々の模型や建築空間のプロジェクションを通して辿る展覧会です。
本連載では、ゲーリー建築をより深く理解し、その魅力を一層楽しめる展覧会の見かたを本展企画協力の瀧口範子が解説します。

本展は、建築家 フランク・ゲーリーをさまざまな観点から捉えている。完成した作品だけでなく、考える過程や利用する建材、インスピレーションの源など、幅広い側面からゲーリーその人を伝えようとしているのが特徴と言える。
したがって、展覧会会場の中にはいくつもの見どころがある。それを順を追って説明しよう。

まず、1階エントランス部分に設置されているのは、フォンダシオン ルイ・ヴィトンの50分の1の模型だ。この建物は、ルイ・ヴィトンの複合文化施設として2014年秋にパリのブーローニュの森の中に完成したもの。本展では、ゲーリーのアイデアの変遷をテーマとしているために、思考段階でつくられた模型をたくさん展示しているが、同模型は本展では数少ない完成模型である。多重奏する帆がたなびくような実景が窺えるものだ。

階段を下りて地下へ行くと、そこでは壁に投影された映像によってゲーリーの建物が追体験できる。本展で技術監修を務めた遠藤 豊自身が、ロサンゼルス、パリ、ビルバオの3カ所で実際に撮影した3つの建物の様子が、臨場感豊かに味わえるという趣向を楽しんでいただきたい。

その後、ギャラリー1へ。ここは本展の序章とも呼ぶべき空間で、フランク・ゲーリーのパーソナルな側面を伝えようとしている。ロサンゼルスのゲーリー事務所内の、それも彼自身のオフィスから運んできたさまざまなオブジェが、まず目をひくだろう。ただのガラスの塊であったり、アクリル・ブロックを重ねたようなものであったりするが、そんなものが見れば見るほどにキャラクターを帯びてくる。ゲーリーがインスピレーションの源として、そうしたオブジェを身の回りに置いていることの意味が見えてくる。

ここでは、ゲーリーの自邸の映像や模型が見られるほか、本展のテーマ「アイデア」について書かれた「マニフェスト」を読み上げるゲーリー自身の姿が映像で流されている。86歳の今も、新しいアイデアや納得できるかたちを求めて奮闘し、不屈の精神でそれを実現にまで運んでいくフランク・ゲーリーという建築家の一端をかいま見ることができるはずだ。

ギャラリー2へ歩を進めよう。本展でいちばん大きな空間を占めているのは、建築模型の数々である。この展示室では、最近、そして進行中の5プロジェクトに絞って、ゲーリー事務所でつくられてきた模型を展示している。色分けされたブロックで建築のプログラムを構成する段階、それを外壁で覆う段階、外壁の形状と内部空間の関係を模索する段階、建物全体の構成や構造を固めていく段階。そうした各段階で無数のアイデアがテストされているのが、これらの模型から感じられる。ここは、本展の核とも言える部分だ。

同じくギャラリー2では、壁面にも目を向けていただきたい。「アイデアグラム」とは、建築家が発想源とするアイデアをダイヤグラム化したもの。フランク・ゲーリー、そして広く建築家がどんな要素を鑑みながら建築を考えるのかが想像できるだろう。アイデアグラムは、本展ディレクターの田根 剛が作成した。

そのほかにも、この壁面には実際にゲーリー建築で使われている発色チタンが生の素材として展示されている。見る方向によって色が変わる不思議な素材だ。また、そんな素材の表情がよく見える外壁の写真、ゲーリー建築の内部のスタディーをパネル化したコーナーも見どころのひとつである。

ギャラリー2では、ゲーリー・テクノロジーズ(以下GT)の説明も必見である。複雑な曲線からなる自身の建築を実現するため、ゲーリー事務所は三次元モデルなどのコンピュータ技術を早くから利用してきた。その機能をますます洗練させていった結果、現在では建築や設備設計の詳細データを建設業者ら関係者と共有できるようになっただけでなく、工期、コストなども管理下におけるようになった。ここでは、そのGTのなりたちと技術をわかりやすい映像で見せている。

この展示室を出る手前左手に、ゲーリーがこれまでデザインしてきた家具も展示されている。段ボール素材を重ねたチェアは、十分な強度を実現していることが驚きだが、表に現れる美しいパターンも見物である。

ここまでたっぷりとゲーリー建築を目にした後は、ギャラリーを抜けた先にある回廊でゲーリー建築を読み解くもう2つの要素を知ることができる。「魚」と「工場建築」である。「頭と尾を切り落としても、まだ動きを持つ」とゲーリーが夢中になった魚の形状、そして若い頃、自身でカメラに収めた安価な素材で成り立つ工場建築は、現在のゲーリー建築にもつながるエッセンスを含んでいる。

難しくてわかりにくいとも思われていたゲーリー建築は、フランク・ゲーリーという個人の目と手の作業からできあがっていく。それを感じていただければ、本展の見どころは十分に伝わっているだろう。

文:瀧口範子
写真:木奥恵三

>>第1回「建築模型のみかた」
>>第3回「ゲーリー建築を支える技術」

2015年10月17日、「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」開幕を記念して、展覧会ディレクター 田根 剛によるギャラリーツアーを開催しました。2年前、展覧会企画チームがはじめてゲーリー事務所を訪れたときのこと、「オレのマニフェストを知っているか」と切り出したゲーリーは、1枚の紙をとりだし読み上げました。このマニフェストから全てが始まった「建築家 フランク・ゲーリー展」。ギャラリーツアーでは、そんな展覧会の見どころを、完成までの裏話や数々のエピソードを交えながら紹介していきました。

ツアーの始まりは『ゲーリーのマスターピース』。ここでは、ゲーリーの3つの代表作を紹介します。安藤建築の壁面にゲーリー建築が映し出されます。田根が指摘するように、ゲーリーと安藤、2人の建築家による「対話」が、21_21 DESIGN SIGHTに新たな空間を生み出します。

続いて向かうのは『ゲーリー・ルーム』。ゲーリー事務所の雑多な雰囲気をイメージしたこの空間に足を踏み入れると、卓上に並べられた数々の「アイデアの原石」が目に入ります。見る人によってはただの石のように思えても、ゲーリーにとってはそばに置いておきたい大切なもの。ゲーリー事務所には、そんな宝物の数々が所狭しと並べられています。

壁面に広がる『ゲーリー・コレクション』では、写真や本を通して、ゲーリーの人柄や関心について紹介しています。田根も意外であったと話すのは、ゲーリーの興味が古典に向いていること。ひとつの例にバロック芸術の巨匠ベルニーニへの関心が挙げられますが、聖人が纏う衣服のドレープの美しさは、確かにエイト・スプルース・ストリートと重ねることができるでしょう。

ギャラリーの中を進むとゲーリー事務所を俯瞰できる大きな写真作品の展示にぶつかります。広々としたオフィスには模型がずらり。約120名のスタッフはこの模型と模型の間で、日々アイデアを練り続けています。出勤してきたゲーリーがオフィスをぐるりと1周まわると、プロジェクトの進行状況が一目でわかるようになっているとか。事務所の構成ひとつを取っても合理的につくられていることが伺えます。

合理的といえば「ゲーリー・テクノロジー」。1989年、ヴィトラ・デザイン・ミュージアム設立の際、完成した螺旋階段のカーブに納得がいかなかったゲーリーは、航空産業に目をつけ、ジェット機を設計するソフト『CATIA』を建築に応用すべく、新しいシステムを構築しました。3次元の模型をそのままデジタルのデータに置き換え図面化する仕組み、これがゲーリー・テクノロジーのはじまりです。また、どんなに小さなネジであっても、いつまでにどれくらい必要なのかを正確に割り出すことができるこの仕組みは、工事にかかる時間とお金の無駄を徹底的に排除できます。田根は、ゲーリー建築は「時間」を加えた「4次元」で建築をデザインするところまで進化していると話しました。

誰にも真似できないゲーリー建築の原点は「人が何かにやさしく包まれること」、田根はそのように考えます。やさしく包み込まれるような、ゆっくりと安心させるような、そんな建物をつくろうと、試行錯誤した結果に生まれた空間には、ゲーリーが好む雅楽のように「始まり」も「終わり」も存在しません。代わりに残るのは、時間と空間と人間が一体になるような感覚。田根はゲーリー建築の魅力をここに見出しました。

「アイデアの時代が始まった。」田根 剛はそう話します。ゲーリーはアイデアによって世界を変えた建築家、自らの建築を通してアイデアの持つ大きな力を社会に証明した人物です。強くポジティブな意思によってアイデアを生み出すゲーリーの姿勢は、世界が新しいアイデアを必要としているいま、私たちに大きなヒントを与えてくれるはずです。

いよいよ明日開幕となる「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」。開催に先駆け、会場の様子をお届けします。

建築家 フランク・ゲーリーは、半世紀以上にわたり建築の慣習を覆し、世間の常識に挑戦する作品をつくり続けてきました。見る者を圧倒し印象に強く残り続ける、誰にも真似できない建築。本展では、ゲーリーの創造の原動力「アイデア」に焦点をあて、その思考と創造のプロセスを、新進の建築家 田根 剛をディレクターに迎えて紹介していきます。

会場には、アイデアが詰まった数々の模型をはじめ、建築を体感できるプロジェクション、書籍や映像等を数多く展示。ひとりの人間としてのゲーリーの姿に触れられる「ゲーリーの部屋」も登場します。自由に発想することの楽しさと挑戦し続ける勇気を与えてくれる展覧会にぜひ、足をお運びください。

Photo: 木奥恵三

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載を企画。会期を間近に控えた今回は、フランク・ゲーリーのマニフェストでも語られ、本展でも数多く展示する「模型」について、そのみかたと建築のプロセスにおける重要性を解説します。


Facebook本社 西キャンパス(アメリカ・メンローパーク 2015年)模型
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

本展では、フランク・ゲーリーの建築をさまざまな方法で見せている。中でも、数が多いのは模型(モデル)だ。

模型というと、プラモデルとかミニチュアカーなどが頭に浮かぶだろう。建築において模型は、いろいろな意味で重要な役割を果たしている。

よく見るのは、完成予想模型。住宅ならば、「でき上がったら、こんな家になりますよ」というのを形にしてみせるものだ。家の外観がミニチュアでつくられていて、尺度は100分の1など、どの部分でも均一に縮小されている。そのため、家の高さと屋根の大きさ、敷地の中で家が占める割合などを正しく把握できる。屋根を持ち上げて、家の中の部屋割りを確かめることもできるだろう。

さて、建築では完成模型だけでなく、いろいろな種類の模型が多様な目的のためにつくられる。ことにゲーリー事務所では、その数が飛び抜けて多い。本展のテーマになっている「アイデア」も、実はそれに関連しているのである。

模型は、どんな建築であるべきかを探索するためにつくられる。それをスケッチや二次元の図面で行う建築家もいるが、フランク・ゲーリーは最初から三次元の模型でそれを行うことで知られている。


UTS(シドニー工科大学)ドクター・チャウ・チャク・ウィング棟(オーストラリア・シドニー 2014年)模型
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

UTS(シドニー工科大学)ドクター・チャウ・チャク・ウィング棟(オーストラリア・シドニー 2014年) Photo: Andrew Worssam

最初は、建物のプログラムに基づいて内部をどう構成できるかを考えるための模型がある。プログラムとは、その建物が使われる用途とそれに必要な面積といったことだ。学校ならば、教室、講堂、廊下、食堂などの用途とその面積が最初に定められているだろう。ゲーリー事務所では、そうした用途ごとに色分けしたブロックを積み木のように組み合わせて、最良の構成をさぐる方法論を編み出している。

積み木は何度も重ねたり崩したりを繰り返す。入口から入ってどんな用途が並んでいるのがいいのか、敷地の日照や風景を鑑みるとどこにどんな用途を配置すればいいのか。建物全体として、どんな性質を備えているべきか。そんなことを何通りも試すのだ。

ブロックでだいたいの空間構成が決まれば、今度は外観のかたちを考える。この部分は天井を高くしてトップライトを設けるとか、ダイナミックな表情のある建物にしたいとか、どんな建材を外壁に使いたいといったような要素を、ここで試してみるのだ。ここでも、ゲーリー事務所は紙やプラスチックなどを使いながら、時に先のブロック模型も流用しながら、無数の模型をつくる。

外観ができたからと言って、それで終わりではない。特定の内部空間を、今度はもっと大きな模型をつくってじっくりと検討する。天井の高さ、窓などの開口部の位置と大きさ、空間の広がりなどが模型でわかるようになっている。中に人間大のフィギュアを置いて、人と空間との関係がどんな風になっているのかを確かめることもある。もっと細かく、部材の組み合わせといったものを検討する模型もある。外壁の素材とかたちをもっと詳細に探索するために、さらに模型がつくられる。

こうしてたくさんの模型をつくりながら行われているのは、スケッチや図面、そして頭の中で考えていることが、本当にその通りなのかを確認する作業である。建築には構造があり、外壁があり、中の空間がある。それらが本当に構想した通りになっているのか、それを外観といった全体から、ディテールのレベルにまで落として確認できるのが模型なのだ。建物は完成しないと、そこにいる実体験はわからないのだが、模型はその体験を最大限に代替する手段なのである。

したがって模型は、つくりながらまた考えを進め、また新しい模型をつくっては検討しと、建築の構想に伴走する存在である。ここで模型づくりの労力を惜しんでいては、構想も半ばに終わってしまう。

本展にはたくさんの模型が展示されているのだが、これはゲーリー事務所にある模型のごくごく一部に過ぎない。ゲーリー事務所のあふれるような模型の数は、それだけアイデアを試し、確かめ、また練り直しといった作業が行われたことを示しているのである。

文:瀧口範子

>>第2回「展覧会の見どころ」
>>第3回「ゲーリー建築を支える技術」

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。本展の主役、フランク・ゲーリーの素顔に迫った第1回、第2回に続き、新進の建築家で本展ディレクターを務める田根 剛についてその活躍を追っていきます。田根 剛ってどんな人?


エストニア国立博物館(2006-2016年完成予定) ©Takuji Shimmura

さて、本展ではディレクターに田根 剛を迎えている。田根は、どんなアプローチでこの展覧会のコンセプトを打ち立てたのか、どうデザインしたのか。いや、そもそも田根 剛とは何者なのか。

田根は、現在パリ在住。2005年、イギリスの建築設計事務所アジャイ・アソシエイツに務めていた当時、イタリア人、レバノン人の友人らとある建築コンペに参加した。エストニアのかつて軍用滑走路だった敷地に博物館をつくるというもので、この3人組は何と最優秀賞を受賞。そこで、パリに渡って3人で建築設計事務所DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を設立した。

日本では、2020年東京オリンピック招致に向けて行われた「新国立競技場」の設計コンペで最終選考に残ったことで、DGT.、そして田根の名前を目にした人もいるだろう。彼らの案は、神宮外苑の敷地に盛り土をして山をつくり、その中に競技場が半分埋まっているという構想だった。東京にまるで古墳をよみがえらせたような風景は、大きな話題を呼んだ。


新国立競技場設計競技案(2012)©DGT.

A HOUSE for OISO(2015)©Takumi Ota

展覧会や舞台のデザイン、店舗設計も多く、2014年にはパリのグランパレで開催された『北斎展』の会場デザイン、ミラノ・トリエンナーレでの時計メーカー、シチズンのインスタレーション、虎屋パリの改装デザインなどを手がけた。ちなみに、東京のスパイラルで凱旋展として展示されたシチズンの『LIGHT is TIME』展は、7万2000人の来場者が見に来たほどの盛況だった。

DGT.では現在、20数件のプロジェクトが進行中という。そのうち、日本では美術館、劇場、工場、住宅などが15〜6件、その他は欧州を中心に、NY、香港、レバノンでプロジェクトが進行中。田根は、そのためしょっちゅう日本とフランスとを往復している。今、最も多忙な若手建築家の一人だろう。

「場所の記憶」。自身の建築へのアプローチを、田根はこう説明する。敷地だけでなく、その地域、ひいては国がたどってきた歴史。その痕跡を探し、それを堀り起こしていくことが、彼の建築の第一歩である。そして、建築はその見つけた記憶の上に未来を構想する作業だ。


虎屋パリ(2015)©Takuji Shimmura

LIGHT is TIME(2014) ©Takuji Shimmura

上述したエストニア国立博物館の場合は、かつてソ連が軍事用に使っていた滑走路を取り込むかたちで建物が計画された。過去を未来へつなげるためのアイデンティティーに位置づけた点が評価された。また新国立競技場は、日本に3万基も存在しているのにほとんど海外では知られていない古墳を通して、日本の民族や歴史を感じさせる場所にしたかったという。

その田根は、フランク・ゲーリーをどう捉えているのだろう。
「知れば知るほど、彼の深みに出会う」と田根は言う。建築と同じように、対象を深く理解する作業をゲーリーに対しても行ってきた。

ごく当たり前の既製品素材を使いながら、オリジナルな建築を生み出す力。それをアーティスティックな表現に高めながらも、建設面では無駄を省いて実現にまで押し進めていく。ゲーリーは、建築に関わるあらゆる観点で高度な専門家であり、その建築家としての姿勢に驚くばかりだという。

展覧会では、彼の建築のプロセスに含まれる多くの情報をどう伝えるのか、そこに注力しているという。フランク・ゲーリーのアイデアを、田根がどう見せてくれるのか。ぜひ期待されたい。

文:瀧口範子

>>第1回「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編
>>第2回「フランク・ゲーリーってどんな人?」後編

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第2回は、人々をあっと驚かせて魅了するゲーリーのユニークな仕事の数々をたどります。フランク・ゲーリーってどんな人?


ビルバオ・グッゲンハイム美術館(スペイン・ビルバオ 1997年)
FMGB Guggenheim Bilbao Museoa, 2015 (Photo: Erika Barahona Ede)

フランク・ゲーリーの名前を世界に知らしめることになった、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館とはどんな建物なのだろうか。

この建物は、バスク地方の首都であるビルバオの再建を目指してコンペが開かれて実現したものである。旧市街の端、ネルヴィオン川沿いに位置して伸びやかに建つこの建築は、何と言っても踊るような動きのある金属の外観が特徴だ。金属に光が反射する様子や、ガラス、石といった多様な素材との組み合わせが、目を飽きさせない。

驚きは内部でも待っている。高さ約50メートルのアトリウムでは、白い壁やガラス壁面が彫刻のようにうねり、未知のアートへと誘う入口になっている。また、それぞれの展示室や通路は、従来の美術館とはかけ離れた動的で躍動感のある空間になっている。

この美術館体験を一度でいいから味わいたいと、1997年の竣工以来多くの観光客がビルバオへ押し寄せた。建築によって町おこしが成功するという「ビルバオ効果」という言葉まで生まれたほど、人々にショックを与えた建物だ。

ゲーリーには、こうした大きな驚きを与えた建物作品がいくつもある。ウォルト・ディズニー・コンサートホール(ロサンゼルス)、エクスペリエンス・ミュージック・プロジェクト(シアトル)、そして最近竣工したフォンダシオン ルイ・ヴィトン(ルイ・ヴィトン財団美術館)(パリ)などがそうだ。これらの場所では、音楽やアートを伸び伸びと楽しむための空間のあり方を体感できるだろう。


ウォルト・ディズニー・コンサートホール(アメリカ・ロサンゼルス 2003年)
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

ルイ・ヴィトン財団(フランス・パリ 2014年) Photo: Iwan Baan

その一方、研究のための場のデザインもある。マサチューセッツ工科大学(MIT)のスタータ・センター(ボストン)、シドニー工科大学(UTS)チャウ・チャク・ウィング棟などは、研究環境の可能性を模索して、人々の関係性や、物理的、視覚的な空間の広がりなどを考察した例である。

社屋も設計している。DZ銀行(ベルリン)、インターネット会社のIACのビル(ニューヨーク)があり、またFacebook本社(シリコンバレー)では、延床面積4万平米という、広大で平らなユニークな仕事空間を生み出した。

他にも高層住居、個人邸など、手がけるプロジェクトは多様である。だが、どれにおいても緻密なプログラム検討から始まり、手作業による無数の模型製作を経て、高度なコンピュータのプラットフォームを用いて、竣工にいたるまでデザイン、コスト、工期、建設がコントロールされていくという、ゲーリーが生み出した特異なプロセスが共通している。

アイデア、手作業、生のイマジネーション、感触のある素材、そして高度なコンピュータ・テクノロジー。これらが合体しているのが、他にはないゲーリー建築の大きな特徴である。

文:瀧口範子

>>第1回「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編
>>第3回「田根 剛ってどんな人?」

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第1回は、本展の主役であるフランク・ゲーリーについて、その素顔に迫ります。フランク・ゲーリーってどんな人?


Photo by John B. Carnett/Bonnier Corporation via Getty Images

フランク・ゲーリー。建築界では知らない人がいないほど有名な名前だが、初めて聞いた、あるいは聞いたことはあるがどんな人かよく知らない、という向きもあるだろう。そこで、ここではゲーリーの人となりをご紹介したい。

フランク・ゲーリーは、1929年にカナダ・トロントで生まれた。父親はセールスマンとして娯楽設備や自動販売機を売ったり、家具づくりをしたり、ボクシングに熱中したりと、あまり安定した生活ではなく、幼い頃は非常に貧しい環境で育ったという。
後にカリフォルニアへ移住。高校を卒業してすぐにトラック運転手になって、夜間学校で学ぶ。後に、「誰からも助けを得られないから、自分でやるしかなかった」と建築プロジェクトの管理方法を学んだいきさつを説明しているが、ゲーリーの自助の精神は、こうした生い立ちの中で早くから植え付けられたもののようだ。

そういう彼も、最初から建築をめざしていたわけではない。夜間学校では化学も勉強した。歴史や微分積分も勉強した。だが、陶芸のクラスが、偶然彼を建築へと導いた。陶芸の先生が、カリフォルニアの建築家ラファエル・ソリアーノに設計を依頼して自邸を建てており、その現場を見に来るようにと誘ってくれたのだ。そこでソリアーノが作業員らに指図をする様子に、ゲーリーはすっかり夢中になった。そして、その後陶芸の先生の勧めで、南カリフォルニア大学(USC)で建築を学ぶのである。

大学へ進学しても、ゲーリーは仕事をしながら学費を稼ぐ苦学生だったが、この時期に多くの建築家を知り、さまざまな建築を見て回った。実は、ゲーリーは幼い頃から絵を描くのが好きで、そんな彼を母や祖母がよく美術館へ連れて行ったという。祖母は、木片を使った町づくりの遊びを何時間も一緒にやってくれた。ゲーリーは、自身の才能を花開かせる道に、ここでしっかりとたどり着いたと言える。大学を卒業したのは、1954年だ。

だが、現在知られているフランク・ゲーリーが生まれるまで、そこからさらに数10年の歳月を待たなければならない。陸軍に徴兵されて関連施設を設計していた時期、ハーバード大学のデザイン大学院で都市計画を学んだ時期、他の建築家の事務所で働いた時期、フランスに渡り、ヨーロッパ中の建築や美術を見て回った時期。そうした時期を経て、ロサンゼルスに自身の建築設計事務所を設立したのが1962年である。


ゲーリー自邸(アメリカ・サンタモニカ 1979年)Photo: Tim Street・Porter/OTTO

ゲーリーの名前が知られるようになったのは、サンタモニカの自邸だった。自邸はゼロから建てたものではなく、彼が1977年に購入した築60年の住宅が元になっている。何の変哲もないごく普通の住宅の周りに、ゲーリーはトタンの波板や金網を張り巡らせ、木とガラスでスカイライトをつくったりして、前代未聞の増築を施したのだ。

ガラクタのような外観に近隣の住民は眉をしかめ、クライアントは逃げて行った。だが、粗雑な建材を用いながら、最高に美しい空間のコンポジションを実現したゲーリーには、世界中から注目が集まった。希有なものに美を見出し、独自のアイデアによって建物を実現するそのアプローチは、1997年にスペイン・ビルバオに建設されたグッゲンハイム美術館の大きな成功で、世界を納得させてしまう。

現在86歳のゲーリーは、今もほぼ毎日事務所に通い、新たな建築をつくり続けている。

文:瀧口範子


ゲーリーオフィス(アメリカ・ロサンゼルス)Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

>>第2回「フランク・ゲーリーってどんな人?」後編
>>第3回「田根 剛ってどんな人?」

2015年10月16日に開幕となる企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」。

「君たち、オレのマニフェストを知ってるか」はじめて面会したゲーリー氏は最初にそう言い出しました。
ゲーリーは一夜の思いつきや、ちっぽけな発想、一瞬の閃きによって建築をつくりません。大量の模型をつくっては壊し、壊してはつくり上げる輝かしいプロジェクトの数々。
アイデアを信じるゲーリーの本音のマニフェストを聞いたとき、 この展覧会のコンセプトは決まりました。」(展覧会ディレクター 田根 剛のメッセージより)

ウォルト・ディズニー・コンサートホール竣工の際に発表されたマニフェスト(2003年)を、再びゲーリー自身が読み上げる様子を本展のために撮りおろしました。真面目な表情で読み上げられる本音のマニフェストには、ひとりの建築家が闘ってきた道のりを垣間みることができます。

編集:LUFTZUG

フランク・ゲーリーのマニフェスト

まずアイデアが浮かぶ。しょうもないけど気に入る。模型をつくって嫌いになるまで見続けて、それから違う模型をつくることで、最初のしょうもないアイデアを別の見方でみる。するとまた気に入る。でもその気持ちは続かない。部分的に大嫌いになって、再び違う模型をつくってみると、全然違うけど気に入る。眺めているうちに、すぐに嫌いになる。直しているうちに新しいアイデアが浮かんで、そっちの方が気に入るけど、また嫌いになる。でもまんざらでもない。
どうするか? そう、また模型をつくって、次から次へとつくる。模型を保管するだけでも膨大な費用がかかる。でもどんどん続ける。次から次へと進めるうちに、ほら見ろ、最高傑作だ。
輝かしく、安上がりで、今までに見たことがないものだ。だから誰も気に入らない。

悔しくて死にたくなる。ところが、神様がメッセンジャーを送り込んで皆に催眠術をかけるので、皆気に入る。そしてアイデアを盗もうとする。模型も盗んで行こうとする。頭脳や魂まで持って行こうとする。でも踏ん張って、絶対にくれてやらない。
やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ。たった一人で新しい模型をつくり続けたい。保管するのに膨大な金がかかるので、こんなことをしていると模型の倉庫代で破産する。
これは偉大な歴史。伝説でもあり本当のことなんだ。
この続きがどうなるかと言えば、皆が嫉妬し始める。嫉妬が彼らに努力するよう仕向けるならばいいけれど、大半は壊すためにがんばる。そこんとこが厄介。