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レクチャーシリーズ「二人のアーティスト:創作の64年」第1回「『包まれた凱旋門』への道」を開催

現在開催中の企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」に関連して、本展特別協力の柳 正彦によるレクチャーシリーズ「二人のアーティスト:創作の64年」(全4回)が始まりました。
2022年7月28日(木)、シリーズの第1回として「『包まれた凱旋門』への道」と題し、オンラインにてトークを開催しました。

Photo: Wolfgang Volz
©1985 Christo and Jeanne-Claude Foundation
©1995 Christo and Jeanne-Claude Foundation
©2021 Christo and Jeanne-Claude Foundation

クリストとジャンヌ=クロードから「ジャパニーズ・サン(日本の息子)」と呼ばれ、1980年代から数々のプロジェクトに携わってきた柳。トークでは、柳だからこそ知ることのできたエピソードを交えながら、64年にわたるクリストとジャンヌ=クロードの創作活動を振り返り、二人がなぜ「包まれた凱旋門」をつくったのか、その理由に迫りました。

トークは二人の生い立ちから始まります。幼いときの写真資料やクリストのインタビュー映像を紹介しながら、二人がアーティストとなった経緯やこれまでのアーティスト活動を時系列に沿って解説しました。

クリストは1950年代末から電話や家具など身の回りにあるものを包み始め、作品のスケールは次第に建物へと大きくなっていきます。1961年にクリストはいくつかのフォトモンタージュ(合成写真)を制作します。この頃から、大規模なプロジェクトの構想を紙の上で提示するという手法を始めたといいます。その翌年1962年には「包まれた凱旋門」プロジェクトのフォトモンタージュが制作されます。

1964年にそれまで住んでいたパリからニューヨークに移り住むと、「包まれた凱旋門」の構想は心の片隅にしばらく置かれることになります。その後、初めて公共建物のプロジェクトが実現したのは1968年、スイスのベルン市美術館(「包まれたベルン市美術館、1967–68」)でした。70年代から80年代は、「ヴァレー・カーテン、コロラド州ライフル、1970–72」「ランニング・フェンス、カリフォルニア州ソノマ郡とマリーン郡、1972–76」など、「包む」以外のプロジェクトが中心になっていきます。数々の作品の実現を経て、それまで二人が包んだ中で最大規模の建物である「包まれたライヒスターク、ベルリン、1971–95」が実現します。そして2017年、「包まれた凱旋門」プロジェクトが再スタートしたのです。

「包まれた凱旋門」がそれまでと違った点は、「オーダーでつくった服をまとっているように見えること」だと柳は話します。前もって計算してつくった形をかける方法はベルン市美術館のときには見られませんでした。その違いを生み出しているのは、布の下にフレームを入れていることだといいます。建物の装飾を保護するためだけではなく、フレームが建物に新しい形を与えている。包み隠すのではなく、布とフレームによって新しい外観を与えているのだと説明します。

トークの後半では、二人がどのようにプロジェクトを進行していったか、またワーキング・ファミリーについてにも触れました。
質疑応答では、なぜ「包む」のか、「包み方」がどのように変化してきたのか、資金調達や二人の役割分担についてなど、長年共に過ごしてきた柳自身の見解も交えながら、深い考察に触れ、質問が尽きない中でトークは終了となりました。

本レクチャーシリーズ第2回は9月29日(木)に開催します。テーマは「日本とのつながり」です。詳細は企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」の「関連プログラム」をご確認ください。みなさまのご参加をお待ちしています。