2015年10月 (8)

【展覧会紹介】国立近現代建築資料館
「ル・コルビュジエ×日本 国立西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に」

開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展」では、見る者をあっと驚かせ、同時に強く魅了するゲーリー建築の発想から完成までを紹介しています。アイデアをかたちに変えることによって、人々に感動を与える建築家の仕事。本展会期中に東京都内で開催されている、建築にまつわる展覧会に足を運び、建築家それぞれの魅力を探ってみてはいかがでしょうか。

国立近現代建築資料館
「ル・コルビュジエ×日本 国立西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に」

2015年7月21日(土)- 11月8日(日)

西洋建築の模倣に始まり、モダン・ムーブメントを受容する中で独自の発展をとげてきた日本の近現代建築。フランスの建築家ル・コルビュジエの作品と思想が、ここに与えた影響は測り知れません。近代建築界の巨匠であるル・コルビュジエは、日本においてどのように発見・受容、展開されてきたのでしょうか。本展では、パリのアトリエで学んだ3人の弟子、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の活動を探るとともに、日本における唯一のル・コルビュジエ作品『国立西洋美術館』の建設経緯と建築の魅力を紹介します。

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【展覧会紹介】GA gallery
「フランク・O・ゲーリー×二川幸夫 写真展」

21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展」の主役、「フランク・ゲーリー」にスポットを当てた展覧会が都内各地で開催されています。

GA gallery「フランク・O・ゲーリー×二川幸夫 写真展」

2015年9月19日(土)- 11月8日(日)

編集者であり写真家であった二川幸夫は、建築家フランク・ゲーリーと40年にわたり親交を深めてきたといいます。良いと思った建築には工事中から、完成後も季節ごとに何度も繰り返して、二川はゲーリー建築のほぼ全てに足を運び、その姿をカメラに収め続けました。本展示では、そんな二川の膨大な数に及ぶアーカイブの中から代表作をセレクトし、大判プリントと高解像度4Kモニタで紹介しています。
見る者を圧倒するダイナミックなゲーリーの建築群は、彼を良く知る二川の眼にどのように映ったのでしょうか。二川の眼が切り取ったゲーリー建築のハイライトを、ぜひ体験ください。

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建築家 フランク・ゲーリー展"I Have an Idea"「田根 剛によるギャラリーツアー」を開催

2015年10月17日、「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」開幕を記念して、展覧会ディレクター 田根 剛によるギャラリーツアーを開催しました。2年前、展覧会企画チームがはじめてゲーリー事務所を訪れたときのこと、「オレのマニフェストを知っているか」と切り出したゲーリーは、1枚の紙をとりだし読み上げました。このマニフェストから全てが始まった「建築家 フランク・ゲーリー展」。ギャラリーツアーでは、そんな展覧会の見どころを、完成までの裏話や数々のエピソードを交えながら紹介していきました。

ツアーの始まりは『ゲーリーのマスターピース』。ここでは、ゲーリーの3つの代表作を紹介します。安藤建築の壁面にゲーリー建築が映し出されます。田根が指摘するように、ゲーリーと安藤、2人の建築家による「対話」が、21_21 DESIGN SIGHTに新たな空間を生み出します。

続いて向かうのは『ゲーリー・ルーム』。ゲーリー事務所の雑多な雰囲気をイメージしたこの空間に足を踏み入れると、卓上に並べられた数々の「アイデアの原石」が目に入ります。見る人によってはただの石のように思えても、ゲーリーにとってはそばに置いておきたい大切なもの。ゲーリー事務所には、そんな宝物の数々が所狭しと並べられています。

壁面に広がる『ゲーリー・コレクション』では、写真や本を通して、ゲーリーの人柄や関心について紹介しています。田根も意外であったと話すのは、ゲーリーの興味が古典に向いていること。ひとつの例にバロック芸術の巨匠ベルニーニへの関心が挙げられますが、聖人が纏う衣服のドレープの美しさは、確かにエイト・スプルース・ストリートと重ねることができるでしょう。

ギャラリーの中を進むとゲーリー事務所を俯瞰できる大きな写真作品の展示にぶつかります。広々としたオフィスには模型がずらり。約120名のスタッフはこの模型と模型の間で、日々アイデアを練り続けています。出勤してきたゲーリーがオフィスをぐるりと1周まわると、プロジェクトの進行状況が一目でわかるようになっているとか。事務所の構成ひとつを取っても合理的につくられていることが伺えます。

合理的といえば「ゲーリー・テクノロジー」。1989年、ヴィトラ・デザイン・ミュージアム設立の際、完成した螺旋階段のカーブに納得がいかなかったゲーリーは、航空産業に目をつけ、ジェット機を設計するソフト『CATIA』を建築に応用すべく、新しいシステムを構築しました。3次元の模型をそのままデジタルのデータに置き換え図面化する仕組み、これがゲーリー・テクノロジーのはじまりです。また、どんなに小さなネジであっても、いつまでにどれくらい必要なのかを正確に割り出すことができるこの仕組みは、工事にかかる時間とお金の無駄を徹底的に排除できます。田根は、ゲーリー建築は「時間」を加えた「4次元」で建築をデザインするところまで進化していると話しました。

誰にも真似できないゲーリー建築の原点は「人が何かにやさしく包まれること」、田根はそのように考えます。やさしく包み込まれるような、ゆっくりと安心させるような、そんな建物をつくろうと、試行錯誤した結果に生まれた空間には、ゲーリーが好む雅楽のように「始まり」も「終わり」も存在しません。代わりに残るのは、時間と空間と人間が一体になるような感覚。田根はゲーリー建築の魅力をここに見出しました。

「アイデアの時代が始まった。」田根 剛はそう話します。ゲーリーはアイデアによって世界を変えた建築家、自らの建築を通してアイデアの持つ大きな力を社会に証明した人物です。強くポジティブな意思によってアイデアを生み出すゲーリーの姿勢は、世界が新しいアイデアを必要としているいま、私たちに大きなヒントを与えてくれるはずです。

いよいよ開幕!「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」

いよいよ明日開幕となる「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」。開催に先駆け、会場の様子をお届けします。

建築家 フランク・ゲーリーは、半世紀以上にわたり建築の慣習を覆し、世間の常識に挑戦する作品をつくり続けてきました。見る者を圧倒し印象に強く残り続ける、誰にも真似できない建築。本展では、ゲーリーの創造の原動力「アイデア」に焦点をあて、その思考と創造のプロセスを、新進の建築家 田根 剛をディレクターに迎えて紹介していきます。

会場には、アイデアが詰まった数々の模型をはじめ、建築を体感できるプロジェクション、書籍や映像等を数多く展示。ひとりの人間としてのゲーリーの姿に触れられる「ゲーリーの部屋」も登場します。自由に発想することの楽しさと挑戦し続ける勇気を与えてくれる展覧会にぜひ、足をお運びください。

Photo: 木奥恵三

瀧口範子による「建築家 フランク・ゲーリー展」ガイド 第1回
「建築模型のみかた」

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載を企画。会期を間近に控えた今回は、フランク・ゲーリーのマニフェストでも語られ、本展でも数多く展示する「模型」について、そのみかたと建築のプロセスにおける重要性を解説します。


Facebook本社 西キャンパス(アメリカ・メンローパーク 2015年)模型
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

本展では、フランク・ゲーリーの建築をさまざまな方法で見せている。中でも、数が多いのは模型(モデル)だ。

模型というと、プラモデルとかミニチュアカーなどが頭に浮かぶだろう。建築において模型は、いろいろな意味で重要な役割を果たしている。

よく見るのは、完成予想模型。住宅ならば、「でき上がったら、こんな家になりますよ」というのを形にしてみせるものだ。家の外観がミニチュアでつくられていて、尺度は100分の1など、どの部分でも均一に縮小されている。そのため、家の高さと屋根の大きさ、敷地の中で家が占める割合などを正しく把握できる。屋根を持ち上げて、家の中の部屋割りを確かめることもできるだろう。

さて、建築では完成模型だけでなく、いろいろな種類の模型が多様な目的のためにつくられる。ことにゲーリー事務所では、その数が飛び抜けて多い。本展のテーマになっている「アイデア」も、実はそれに関連しているのである。

模型は、どんな建築であるべきかを探索するためにつくられる。それをスケッチや二次元の図面で行う建築家もいるが、フランク・ゲーリーは最初から三次元の模型でそれを行うことで知られている。


UTS(シドニー工科大学)ドクター・チャウ・チャク・ウィング棟(オーストラリア・シドニー 2014年)模型
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

UTS(シドニー工科大学)ドクター・チャウ・チャク・ウィング棟(オーストラリア・シドニー 2014年) Photo: Andrew Worssam

最初は、建物のプログラムに基づいて内部をどう構成できるかを考えるための模型がある。プログラムとは、その建物が使われる用途とそれに必要な面積といったことだ。学校ならば、教室、講堂、廊下、食堂などの用途とその面積が最初に定められているだろう。ゲーリー事務所では、そうした用途ごとに色分けしたブロックを積み木のように組み合わせて、最良の構成をさぐる方法論を編み出している。

積み木は何度も重ねたり崩したりを繰り返す。入口から入ってどんな用途が並んでいるのがいいのか、敷地の日照や風景を鑑みるとどこにどんな用途を配置すればいいのか。建物全体として、どんな性質を備えているべきか。そんなことを何通りも試すのだ。

ブロックでだいたいの空間構成が決まれば、今度は外観のかたちを考える。この部分は天井を高くしてトップライトを設けるとか、ダイナミックな表情のある建物にしたいとか、どんな建材を外壁に使いたいといったような要素を、ここで試してみるのだ。ここでも、ゲーリー事務所は紙やプラスチックなどを使いながら、時に先のブロック模型も流用しながら、無数の模型をつくる。

外観ができたからと言って、それで終わりではない。特定の内部空間を、今度はもっと大きな模型をつくってじっくりと検討する。天井の高さ、窓などの開口部の位置と大きさ、空間の広がりなどが模型でわかるようになっている。中に人間大のフィギュアを置いて、人と空間との関係がどんな風になっているのかを確かめることもある。もっと細かく、部材の組み合わせといったものを検討する模型もある。外壁の素材とかたちをもっと詳細に探索するために、さらに模型がつくられる。

こうしてたくさんの模型をつくりながら行われているのは、スケッチや図面、そして頭の中で考えていることが、本当にその通りなのかを確認する作業である。建築には構造があり、外壁があり、中の空間がある。それらが本当に構想した通りになっているのか、それを外観といった全体から、ディテールのレベルにまで落として確認できるのが模型なのだ。建物は完成しないと、そこにいる実体験はわからないのだが、模型はその体験を最大限に代替する手段なのである。

したがって模型は、つくりながらまた考えを進め、また新しい模型をつくっては検討しと、建築の構想に伴走する存在である。ここで模型づくりの労力を惜しんでいては、構想も半ばに終わってしまう。

本展にはたくさんの模型が展示されているのだが、これはゲーリー事務所にある模型のごくごく一部に過ぎない。ゲーリー事務所のあふれるような模型の数は、それだけアイデアを試し、確かめ、また練り直しといった作業が行われたことを示しているのである。

文:瀧口範子

>>第2回「展覧会の見どころ」
>>第3回「ゲーリー建築を支える技術」

「建築家 フランク・ゲーリー展」事前企画 第3回
「田根 剛ってどんな人?」

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。本展の主役、フランク・ゲーリーの素顔に迫った第1回、第2回に続き、新進の建築家で本展ディレクターを務める田根 剛についてその活躍を追っていきます。田根 剛ってどんな人?


エストニア国立博物館(2006-2016年完成予定) ©Takuji Shimmura

さて、本展ではディレクターに田根 剛を迎えている。田根は、どんなアプローチでこの展覧会のコンセプトを打ち立てたのか、どうデザインしたのか。いや、そもそも田根 剛とは何者なのか。

田根は、現在パリ在住。2005年、イギリスの建築設計事務所アジャイ・アソシエイツに務めていた当時、イタリア人、レバノン人の友人らとある建築コンペに参加した。エストニアのかつて軍用滑走路だった敷地に博物館をつくるというもので、この3人組は何と最優秀賞を受賞。そこで、パリに渡って3人で建築設計事務所DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を設立した。

日本では、2020年東京オリンピック招致に向けて行われた「新国立競技場」の設計コンペで最終選考に残ったことで、DGT.、そして田根の名前を目にした人もいるだろう。彼らの案は、神宮外苑の敷地に盛り土をして山をつくり、その中に競技場が半分埋まっているという構想だった。東京にまるで古墳をよみがえらせたような風景は、大きな話題を呼んだ。


新国立競技場設計競技案(2012)©DGT.

A HOUSE for OISO(2015)©Takumi Ota

展覧会や舞台のデザイン、店舗設計も多く、2014年にはパリのグランパレで開催された『北斎展』の会場デザイン、ミラノ・トリエンナーレでの時計メーカー、シチズンのインスタレーション、虎屋パリの改装デザインなどを手がけた。ちなみに、東京のスパイラルで凱旋展として展示されたシチズンの『LIGHT is TIME』展は、7万2000人の来場者が見に来たほどの盛況だった。

DGT.では現在、20数件のプロジェクトが進行中という。そのうち、日本では美術館、劇場、工場、住宅などが15〜6件、その他は欧州を中心に、NY、香港、レバノンでプロジェクトが進行中。田根は、そのためしょっちゅう日本とフランスとを往復している。今、最も多忙な若手建築家の一人だろう。

「場所の記憶」。自身の建築へのアプローチを、田根はこう説明する。敷地だけでなく、その地域、ひいては国がたどってきた歴史。その痕跡を探し、それを堀り起こしていくことが、彼の建築の第一歩である。そして、建築はその見つけた記憶の上に未来を構想する作業だ。


虎屋パリ(2015)©Takuji Shimmura

LIGHT is TIME(2014) ©Takuji Shimmura

上述したエストニア国立博物館の場合は、かつてソ連が軍事用に使っていた滑走路を取り込むかたちで建物が計画された。過去を未来へつなげるためのアイデンティティーに位置づけた点が評価された。また新国立競技場は、日本に3万基も存在しているのにほとんど海外では知られていない古墳を通して、日本の民族や歴史を感じさせる場所にしたかったという。

その田根は、フランク・ゲーリーをどう捉えているのだろう。
「知れば知るほど、彼の深みに出会う」と田根は言う。建築と同じように、対象を深く理解する作業をゲーリーに対しても行ってきた。

ごく当たり前の既製品素材を使いながら、オリジナルな建築を生み出す力。それをアーティスティックな表現に高めながらも、建設面では無駄を省いて実現にまで押し進めていく。ゲーリーは、建築に関わるあらゆる観点で高度な専門家であり、その建築家としての姿勢に驚くばかりだという。

展覧会では、彼の建築のプロセスに含まれる多くの情報をどう伝えるのか、そこに注力しているという。フランク・ゲーリーのアイデアを、田根がどう見せてくれるのか。ぜひ期待されたい。

文:瀧口範子

>>第1回「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編
>>第2回「フランク・ゲーリーってどんな人?」後編

「建築家 フランク・ゲーリー展」事前企画 第2回
「フランク・ゲーリーってどんな人?」後編

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第2回は、人々をあっと驚かせて魅了するゲーリーのユニークな仕事の数々をたどります。フランク・ゲーリーってどんな人?


ビルバオ・グッゲンハイム美術館(スペイン・ビルバオ 1997年)
FMGB Guggenheim Bilbao Museoa, 2015 (Photo: Erika Barahona Ede)

フランク・ゲーリーの名前を世界に知らしめることになった、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館とはどんな建物なのだろうか。

この建物は、バスク地方の首都であるビルバオの再建を目指してコンペが開かれて実現したものである。旧市街の端、ネルヴィオン川沿いに位置して伸びやかに建つこの建築は、何と言っても踊るような動きのある金属の外観が特徴だ。金属に光が反射する様子や、ガラス、石といった多様な素材との組み合わせが、目を飽きさせない。

驚きは内部でも待っている。高さ約50メートルのアトリウムでは、白い壁やガラス壁面が彫刻のようにうねり、未知のアートへと誘う入口になっている。また、それぞれの展示室や通路は、従来の美術館とはかけ離れた動的で躍動感のある空間になっている。

この美術館体験を一度でいいから味わいたいと、1997年の竣工以来多くの観光客がビルバオへ押し寄せた。建築によって町おこしが成功するという「ビルバオ効果」という言葉まで生まれたほど、人々にショックを与えた建物だ。

ゲーリーには、こうした大きな驚きを与えた建物作品がいくつもある。ウォルト・ディズニー・コンサートホール(ロサンゼルス)、エクスペリエンス・ミュージック・プロジェクト(シアトル)、そして最近竣工したフォンダシオン ルイ・ヴィトン(ルイ・ヴィトン財団美術館)(パリ)などがそうだ。これらの場所では、音楽やアートを伸び伸びと楽しむための空間のあり方を体感できるだろう。


ウォルト・ディズニー・コンサートホール(アメリカ・ロサンゼルス 2003年)
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

ルイ・ヴィトン財団(フランス・パリ 2014年) Photo: Iwan Baan

その一方、研究のための場のデザインもある。マサチューセッツ工科大学(MIT)のスタータ・センター(ボストン)、シドニー工科大学(UTS)チャウ・チャク・ウィング棟などは、研究環境の可能性を模索して、人々の関係性や、物理的、視覚的な空間の広がりなどを考察した例である。

社屋も設計している。DZ銀行(ベルリン)、インターネット会社のIACのビル(ニューヨーク)があり、またFacebook本社(シリコンバレー)では、延床面積4万平米という、広大で平らなユニークな仕事空間を生み出した。

他にも高層住居、個人邸など、手がけるプロジェクトは多様である。だが、どれにおいても緻密なプログラム検討から始まり、手作業による無数の模型製作を経て、高度なコンピュータのプラットフォームを用いて、竣工にいたるまでデザイン、コスト、工期、建設がコントロールされていくという、ゲーリーが生み出した特異なプロセスが共通している。

アイデア、手作業、生のイマジネーション、感触のある素材、そして高度なコンピュータ・テクノロジー。これらが合体しているのが、他にはないゲーリー建築の大きな特徴である。

文:瀧口範子

>>第1回「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編
>>第3回「田根 剛ってどんな人?」

「建築家 フランク・ゲーリー展」事前企画 第1回
「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第1回は、本展の主役であるフランク・ゲーリーについて、その素顔に迫ります。フランク・ゲーリーってどんな人?


Photo by John B. Carnett/Bonnier Corporation via Getty Images

フランク・ゲーリー。建築界では知らない人がいないほど有名な名前だが、初めて聞いた、あるいは聞いたことはあるがどんな人かよく知らない、という向きもあるだろう。そこで、ここではゲーリーの人となりをご紹介したい。

フランク・ゲーリーは、1929年にカナダ・トロントで生まれた。父親はセールスマンとして娯楽設備や自動販売機を売ったり、家具づくりをしたり、ボクシングに熱中したりと、あまり安定した生活ではなく、幼い頃は非常に貧しい環境で育ったという。
後にカリフォルニアへ移住。高校を卒業してすぐにトラック運転手になって、夜間学校で学ぶ。後に、「誰からも助けを得られないから、自分でやるしかなかった」と建築プロジェクトの管理方法を学んだいきさつを説明しているが、ゲーリーの自助の精神は、こうした生い立ちの中で早くから植え付けられたもののようだ。

そういう彼も、最初から建築をめざしていたわけではない。夜間学校では化学も勉強した。歴史や微分積分も勉強した。だが、陶芸のクラスが、偶然彼を建築へと導いた。陶芸の先生が、カリフォルニアの建築家ラファエル・ソリアーノに設計を依頼して自邸を建てており、その現場を見に来るようにと誘ってくれたのだ。そこでソリアーノが作業員らに指図をする様子に、ゲーリーはすっかり夢中になった。そして、その後陶芸の先生の勧めで、南カリフォルニア大学(USC)で建築を学ぶのである。

大学へ進学しても、ゲーリーは仕事をしながら学費を稼ぐ苦学生だったが、この時期に多くの建築家を知り、さまざまな建築を見て回った。実は、ゲーリーは幼い頃から絵を描くのが好きで、そんな彼を母や祖母がよく美術館へ連れて行ったという。祖母は、木片を使った町づくりの遊びを何時間も一緒にやってくれた。ゲーリーは、自身の才能を花開かせる道に、ここでしっかりとたどり着いたと言える。大学を卒業したのは、1954年だ。

だが、現在知られているフランク・ゲーリーが生まれるまで、そこからさらに数10年の歳月を待たなければならない。陸軍に徴兵されて関連施設を設計していた時期、ハーバード大学のデザイン大学院で都市計画を学んだ時期、他の建築家の事務所で働いた時期、フランスに渡り、ヨーロッパ中の建築や美術を見て回った時期。そうした時期を経て、ロサンゼルスに自身の建築設計事務所を設立したのが1962年である。


ゲーリー自邸(アメリカ・サンタモニカ 1979年)Photo: Tim Street・Porter/OTTO

ゲーリーの名前が知られるようになったのは、サンタモニカの自邸だった。自邸はゼロから建てたものではなく、彼が1977年に購入した築60年の住宅が元になっている。何の変哲もないごく普通の住宅の周りに、ゲーリーはトタンの波板や金網を張り巡らせ、木とガラスでスカイライトをつくったりして、前代未聞の増築を施したのだ。

ガラクタのような外観に近隣の住民は眉をしかめ、クライアントは逃げて行った。だが、粗雑な建材を用いながら、最高に美しい空間のコンポジションを実現したゲーリーには、世界中から注目が集まった。希有なものに美を見出し、独自のアイデアによって建物を実現するそのアプローチは、1997年にスペイン・ビルバオに建設されたグッゲンハイム美術館の大きな成功で、世界を納得させてしまう。

現在86歳のゲーリーは、今もほぼ毎日事務所に通い、新たな建築をつくり続けている。

文:瀧口範子


ゲーリーオフィス(アメリカ・ロサンゼルス)Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

>>第2回「フランク・ゲーリーってどんな人?」後編
>>第3回「田根 剛ってどんな人?」

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