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「アーヴィング・ペンと私」 vol.30(最終回) 北村みどり

現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。最終回は、本展ディレクターの北村みどりが登場します。


類のない創造を生み続けるアーヴィング・ペンさんとの13年間


── ペンさんと三宅さんのコラボレーションに一番近くで携わられ、今回の展覧会ディレクターである北村みどりさん。北村さんにとって、ペンさんはどのような方でしたか?

北村みどり(以下、北村):
今回、半年間という展覧会の中で、トークやウェブサイトなどを通して、本当にたくさんの方にペンさんについて語っていただきました。まずは関わっていただいた皆さまに深くお礼申し上げます。第一線でご活躍の方々が、最初の目標としてペンさんを思い描いていたという発言が多く、改めてアーヴィング・ペンさんの偉大さを感じました。
私は、ペンさんと13年間ご一緒させていただきましたが、こんなに考え方も含め、すべての面においてクリスタルのような眼を持った人に出会ったことがありません。でも、決して周りを緊張させる人ではありません。休憩時間もニコニコしながらわたしたちの輪に入っていらして、軽く会話をしてすっと去っていく。その距離感が本当に絶妙で、素敵な方でした。

── 撮影現場で北村さんは、ペンさんと一生さんをつなぐ重要な役割を果たされていました。

北村:ペンさんは「みどり、あなたの代わりはいない。みどりは僕の仕事をしやすくしてくれる。なぜって、あれはダメこれはダメって言わないから」って(笑)。ニューヨークに行ったら三宅のことは忘れて、コレクションとも切り離して、ペンさんが新しく作られる世界に対して最高の努力をするということが、私の使命でした。
三宅はペンさんが自分の服に違う世界を見出してくださることを望んでいました。ペンさんの写真によって新しい自分を引き出されるような感じになるんですね。スカートを頭にかぶったり違う着方をするなんてしょっちゅうですし、服を何枚も重ねたこともありました。そういえば、帽子も逆さまにかぶったこともあったわ。ありとあらゆる努力が必要でした。
その度に現場で即座にOKの判断をするのです。撮影現場で突然飛び出すアイデアを、活きのいい状態でフィルムに収める、そこで「ちょっと社に電話して確認します」なんて言っていられません。一度決めたことは覆さない、変更をしないというのは、ペンさんの現場で訓練されたのかも知れません。

── ペンさんは三宅さんの撮影をとても楽しみにしていらしたそうですね。

北村:ペンさんは「イッセイミヤケの服の撮影がある時は興奮して寝られない」とよくおっしゃっていましたね。三宅の服は、ペンさんにとって宇宙からきた生き物みたいだったんでしょうね。それがペンさんの「つくりたい。撮りたい。」という気持ちを強く刺激したんだと思います。次はどんなアニマルが出てくるのか、とお思いだったんでしょうね。

── ペンさんが北村さんをお描きになったドローイングがあるそうですね。

北村:(笑)。お誕生日にどなたかが、今日はみどりの誕生日だといってくださって、私が普通にしている時にペンさんがいつも使ってらっしゃるドローイング用の紙にシャッシャッシャって描いてくださったの。とても個人的なもので、残念ながらお見せできないのですが、私の宝物です。

── 北村さんの、今後のお仕事についてお聞かせ下さい。

PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEの20周年にあわせて、その集大成となる576ページの本を編集しております。海外の出版社から出版されますので、ぜひご覧ください。

(聞き手:上條桂子)



Midori_Kitamura
Photo: Lothar Schmid

北村みどり Midori Kitamura

株式会社三宅デザイン事務所 代表取締役社長
東京生まれ。フェリス女学院大学卒。1976年よりISSEY MIYAKEのアタッシュ・ドゥ・プレスとしてコレクションおよび展覧会、出版物等、三宅一生の全ての活動に携わり、一方、香水や時計等プロダクトのクリエイティブ・ディレクション、プロデュースを手掛けて現在にいたる。2008年には、21_21 DESIGN SIGHTでの「200∞年目玉商品」展ディレクターを小黒一三、日比野克彦とともに務めた。
09年より2121 DESIGN SIGHT株式会社 代表取締役社長も兼任。



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「アーヴィング・ペンと私」 vol.29 ブリット・サルヴェセン

現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


二人の才能のダイアローグをヴィジュアライズしてくれた展覧会


── ペンさんの写真との出会いを教えてください。

ブリット・サルヴェセン(以下、サルヴェセン):
確か1987年だったと思います。ペンの回顧展がニューヨークのMoMAから巡回して世界を巡っていたのをロンドンで見ました。その数年後90年代には、私はペンから作品アーカイブを寄贈されたシカゴ美術館で仕事をしており、そこでコリン・ウェスターベックが企画したペンの回顧展を見る機会がありました。

── ペンさんの写真についてどう思いますか?

サルヴェセン:彼の写真は写真史の中で非常に重要なポジションを占めると思う。何故なら、写真というメディアはさまざまな目的で使われていますが、ファッション、静物、文学、プライベートな作品......、彼はそのすべてのジャンルに及んだ作品づくりをして、いずれの作品もアート作品のレベルに達している。写真のインパクトと対象の細部に焦点をあてる彼の作品は、今の時代にすごく重要なメッセージを持っていると思います。

── 展覧会の感想を聞かせてください。

サルヴェセン:二人のダイアローグはアーティスト同士の関係の中でもとてもユニークなものだと思います。彼らはすごく個人的なパーソナリティの部分で互いに影響を与え合っている。それは、相手が打つ球を見極めて打ち返し、時間をかけてお互いをより偉大な到達点に押し上げる、とても優秀なテニスプレーヤーのよう。お互いに尊敬し合っている関係をすごくリアルに感じることができる展覧会でした。

── ペンさんの写真から学んだことは?

サルヴェセン:私はペンにはお会いしたことがありません。しかし、若い研究者だった私にペンは写真を通してたくさんのことを教えてくれました。道に落ちているタバコやゴミが、たちまち美しいものに変わるということ。それは私にとって驚くべき発見でした。

── ペンさんの写真を1枚手に入れられるとしたら何にしますか?

サルヴェセン:難しいわね(笑)。やはり象徴的な「Harlequin Dress」(1950)でしょうか。あの写真は一度見たら忘れられない強さがあります。

── 最近のお仕事を教えてください。

サルヴェセン:LACMAでは、エルズワース・ケリーの写真と映画についての展覧会が現在開催中です。今後の予定としては、2012年6月にシャロン・ロックハート、2012年10月にはアーヴィング・ペンにも非常に影響を受けたロバート・メイプルソープ、そして2013年の秋にはメキシコの映像作家のガブリエル・フィゲロアの展示を予定しています。

(聞き手:上條桂子)



ブリット・サルヴェセン Britt Salvesen

ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)キュレーター、ウォーリス・アネンバーグ写真・プリント・ドローイング部門長
コートールド美術学校文学修士号(1991年)、シカゴ大学博士号(1997年)。シカゴ美術館の学術出版物のアソシエイト・エディター(1994-2002年)、ミルウォーキー美術館のプリント・ドローイング・写真担当のアソシエイトキュレーター(2002-04年)を経て、アリゾナ大学のクリエイティブ・フォトグラフィー・センター(CCP)のディレクターおよびチーフキュレーターを務める。2009年10月より現職。
これまでの展覧会に、『Harry Callahan: The Photographer at Work(2006年)』『New Topographics(2009年)』『Catherine Opie: Figure and Landscape(2010年)』『Ellsworth Kelly: Prints and Paintings(2012年)』等。今後、シャロン・ロックハート、ケイティ・グラナン、チャーリー・ホワイト、ロバート・メープルソープ、ジョン・ディヴォラ等の展覧会を手掛ける予定の他、レナード・アンド・マージョリー・ヴァーノンのコレクションの大規模な展覧会も予定している。



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「アーヴィング・ペンと私」 vol.27 シャロン・サダコ・タケダ

現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


常に新しい表現に挑戦する、素晴らしい才能を持つ二人


── ペンさんの写真についてどう思われますか。

シャロン・サダコ・タケダ(以下、タケダ):
私はペンのすべての作品に通じているわけではありませんが、イッセイの衣服を撮影した写真には、驚きがやむことがありません。ペンが自らの芸術性をもって、クリエイティブで詩的なイッセイの非凡な才能のエッセンスを見事に捉える方法には、目を見張ります。その写真は、まさに時間を超えた芸術作品です。

── 展覧会の感想をお聞かせください。

タケダ:二人の偉大な才能が互いに影響し合ってつくられたクリエイティブな作品を、様々なメディアを通して見られて、素晴しかったです。巨大なプロジェクションには、わくわくしたわ!インスタレーションもとてもダイナミックで、特に、全体を通して良く考えられた写真のグルーピングと、写真が出ては消えて行くタイミングがとても良かったです。

── ペンの作品から学んだことがあったら教えてください。

タケダ:ペンのポートレートや静物写真の隣でイッセイの衣服を撮影した写真を見ると、ペンの内的でクリエイティブな声への探究心が刺激されます。そして、常に新しいことに挑戦し、尊敬する作家の仕事からインスピレーションを得る喜びの重要性について考えさせられました。

── ペンの写真を1枚手に入れられるとしたら何にしますか?

タケダ:なかなか難しいけれど、ひとつだけ選ぶとしたら、ヴォーグのために撮影した奥様のリサの写真かしら。ファッション写真として美しくてエレガントなだけでなく、まるで将来結婚する女性に宛てた心を打つラブレターのようですから。

── 最近のお仕事を教えてください。

タケダ:最近、北米デビューとなる「Rodarte: Fra Angelico Collection」という展覧会をキュレーションしました。これは、著名なアメリカ人デザイナー、KateとLaura Mulleavyがロダルテのためにデザインした、9種のドレスのインスタレーションです。また、私が担当した「Fashoning Fashon: European Dress in Detail, 1700-1915」が今年、ベルリンとパリで始まります。現在は、2014年にオープン予定の「Reigning Men: From the Macaroni to the Metrosexual」という、18世紀から現在までの男性服を集めた展覧会を企画しています。

(聞き手:上條桂子)



シャロン・サダコ・タケダ Sharon Sadako Takeda

ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)シニアキュレーター、コスチューム・テキスタイル部門長
LACMAでこれまでに開催した主な展覧会は『When Art Became Fashion: Kosode in Edo-Period Japan』、『Miracles and Mischief: Noh and Kyōgen Theater』、『Breaking the Mode: Contemporary Fashion from the Los Angeles County Museum of Art』、『Fashioning Fashion: European Dress in Detail, 1700 - 1915』等。米国服飾協会より、服飾展の優秀さを称えるリチャード・マーティン賞および2度のミリア・ダヴェンポート出版賞を受賞。2002-03年、UCLAの世界芸術文化学部で客員教授を務め、現在はフランスのリヨンにある、染織史の専門家のための組織、古代織物国際研究所の理事を務めている。

Fashioning Fashion: European Dress in Detail
『Fashioning Fashion: European Dress in Detail, 1700 - 1915』

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「アーヴィング・ペンと私」 vol.26 八木 保

現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


決して作為的ではない、ストレートな表現


── アーヴィング・ペンの写真との出会いを教えて下さい。

八木 保(以下、八木):
ペンの写真は雑誌でよく見ていましたが、手にとってよく眺めたのは、1986年に出たマイルス・デイヴィスの「TUTU」のレコードジャケットですね。アートディレクションを手掛けた、石岡瑛子さんからいただいた時です。

── ペンの写真について、どのようにお考えですか?

八木:作為的ではなく、自然のままの美しさをそのままに表現していると、思います。

── 何か特別なエピソードがありましたら教えてください。

八木:エスプリ退社後、1991年に、サンフランシスコで独立した時、ニコラス・キャラウェイ出版から連絡が入って、はじめて頼まれた仕事が、アーヴィング・ペンの写真集『PASSAGE』の日本語版のレイアウトの仕事でした。本ができあがり、サンプルが届くのを待っていると、印刷所から、本紙校正紙一式が木のパレットに梱包され送られてきたのです。本になる前の3面付裏表の校正紙は、すごく衝撃的でした。

── ペンの写真から学んだこと、影響を受けたことがありましたら教えて下さい。

八木:足していくのではなくて、引いて表現すること。
過剰に表現するのではなく、そのままをストレートに表現すること。

── 八木さんの最近のご活動についてお聞かせ下さい。

八木:2011年11月に、『八木 保の選択眼』がADP出版から出版されました。
現在、L.A.郊外にあるリベラルアートのポモナ・カレッジのサイン計画を進行しています。



八木 保 Tamotsu Yagi

アートディレクター
東京のデザイン事務所で18年のキャリアを積んだのち、1984年に米国サンフランシスコのアパレルメーカー、エスプリ社にアートディレクターとして招かれる。広告からカタログ、パッケージ、商品のブランディングやストアディスプレイまで、八木が手掛けたエスプリの象徴的なビジュアル表現は「エスプリ・グラフィック・ルック」として世界中から評価される。1986年にAIGA(American Institute of Graphic Arts/アメリカのグラフィックデザイン協会)のデザインリーダーシップ賞を受賞、1990年にはAGI(Alliance Graphique International)にメンバーとして迎えられる。翌1991年に独立、サンフランシスコにTamotsu Yagi Designを設立する。1994年にはベネトン社のためにデザインした「TRIBU(トリブ)」の香水ボトルのデザインでクリオ賞を受賞。また、翌年には100点を超える八木のデザインワークがサンフランシスコ近代美術館(SFMoMA)の永久コレクションに選ばれ、1995年の同美術館の開館を記念して展示が行われた。

八木 保の選択眼
「八木 保の選択眼」

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【動画】坂 茂によるトーク

2012年3月3日に行われた、坂 茂(建築家)によるトーク「『アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue』展+ポンピドゥー・センター・メス+災害支援活動」の動画をご覧頂けます。


「アーヴィング・ペンと私」 vol.25 佐藤和子

現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


現実と虚構を行き来する、夢あるクリエイション


──佐藤さんは、ペンさんの写真をどのようにご覧になりましたか?

佐藤和子(以下、佐藤):
私はどちらかというと、アーヴィング・ペンさんの写真単体というよりは三宅さんの作品を通じてペンさんの写真を知りました。今回も展示されていますが、当時のヴィジュアルは本当に強烈なイメージでした。三宅さんが持っている心象風景とペンさんが持っている心象風景が重なり合って、違う次元のクリエイションになっていたように思います。

──具体的にはどのようなことでしょう?

佐藤:見ている人がヴィジュアルに自分を投影させて、どんどん変身していけるのです。モデルが服を着ている写真ではあるんですが、その中に物語があって、それが次々に変化していく。見る方によって頭に思い描く物語は違うと思うのですが、それぞれの物語というのは、その人にとっての変身願望につながっているのだと思います。だから見る人も面白い。誰もが心に持っている変身願望を満たしてくれるような展覧会って珍しいと思います。

──すごく面白い視点ですね。ある種女性的な視点なのかもしれません。

佐藤:そうかもしれませんね(笑)。一生さんの服も、ペンさんの写真も、ジャンルも時代も超えている、時空を超えているのですね。すごい人たちが出合う時には、単に倍になるのではなく、2乗3乗の効果が出てくるのだと思います。二人とも自由にやっているでしょ?それがまたすごい。

──そうですね。お互いに言葉を交わさずに作品を作っています。

佐藤:もうひとつお二人のクリエイションを見ていて思ったのは、現実と虚構の絶妙なバランスです。デザインというものは現実感がなくてはならない。ですが、現実感だけだと人間は惹かれないんですよ。嘘というと言葉が悪いですが、虚構の世界というのがあって、人はそこに夢を持つことができる。三宅さんの服というのは、ものすごく大きな夢を見せてくれるのに、現実に戻ったらその服を着られるのですね。現実世界でその服を着ると、着ている自分はやっぱり夢の中を漂っているのですね。ペンさんは、その一生さんの夢の部分を最大限に引き出してまったく新しいものにしている。そのさじ加減が本当に素晴らしいと思います。

──では最後に、佐藤さんが最近手がけられたお仕事を教えてください。

佐藤:昨年末に日伊協会創立70周年・イタリア統一150周年記念で『イタリア文化事典』というものが出版されまして。私は「創る」-(デザイン)という項目を監修、執筆させていただきました。こちらの本に携わって、歴史や文化を語る上でまだまだ「デザイン」という分野の定義が確立されていないことを痛感し、これからきちんと語っていかなければと思いました。

(聞き手:上條桂子)



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佐藤和子 Kazuko Sato

ジャーナリスト
女子美術大学図案科卒。東京芸術大学大学院からイタリア政府奨学生として、ブレラ美術大学に留学。60年代初めの<イタリアデザイン黄金期>から、70年代<ノン・デザイン時代>、80年代の<ポストデザイン時代>を、デザインの壁を越えてミラノで活躍。イタリア・ジャーナリスト協会員。多くの日伊文化展を手掛ける。著書「アルキミア」「時を生きるイタリアデザイン」等。金沢美術工芸大学客員教授。女子美術大学客員教授。独自の「近代デザイン論」展開中。

「イタリア文化事典」

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10 UNIT SYSTEM

Gallery 2
会場風景(撮影:吉村昌也)

6画面の大型プロジェクションでアーヴィング・ペンの写真を投影しているギャラリー2の展示で使用されている椅子は、本展の会場構成を担当した坂 茂が、フィンランドを代表するインテリアメーカー アルテックのためにデザインした10 UNIT SYSTEM。

その名に示されるように、10点のL字ユニットから構成されています。会場では椅子や背もたれのないスツールとして使用していますが、このほかにもテーブルのフレーム等、いろいろなかたちに組み立てることができます。簡単に組立および解体が可能でもあり、さまざまな組みあわせによって、独自の空間プランをつくり出せます。

また、使用されている素材はUPM ProFi という再生プラスチックと再生紙の混合材です。これはペットボトルなどに使用される粘着ラベルの製造過程でうまれる端材を原料としており、このうちリサイクルされた素材が占める割合はおよそ60%。プラスチックと木の繊維の特徴を兼ね備え、耐久性に優れ湿度や紫外線による影響も受けにくいため、屋内外を問わず幅広い場面で使用することができます。さらに、素材を再度製造工程でリサイクルすることや有害物質を出さず焼却することもでき、製品のライフサイクルを通して環境に負荷が少ない方法が実現されています。

www.artek.fi

10 UNIT SYSTEM

【動画】トーク「アーヴィング・ペン:写真の視覚」

2012年2月25日に行われた、柏木 博(デザイン評論家)と清水早苗(ジャーナリスト)によるトーク「アーヴィング・ペン:写真の視覚」の動画をご覧頂けます。


【動画】トーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」

2012年2月18日に行われた、小林康夫(東京大学大学院総合文化研究科 教授)、中島隆博(東京大学大学院総合文化研究科 准教授)と土屋昌明(専修大学経済学部 教授)によるトーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」の動画をご覧頂けます。


【動画】トーク「存在とかたち」

2011年11月25日に行われた、小説家の平野啓一郎とプロダクトデザイナーの深澤直人によるトーク「存在とかたち」の動画をご覧頂けます。


「アーヴィング・ペンと私」 vol.22 柏木 博

現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


穏やかで静かな、ペンの視点


──ペンさんはさまざまな写真を撮影されていますが、柏木さんが気になる写真はどちらでしょう?

柏木 博(以下、柏木):
アーヴィング・ペンさんの写真の代表作のひとつに煙草の吸い殻をモチーフにしたシリーズがありますが、道に捨てられて誰も見向きしないような煙草の吸い殻、それ自体が美しいわけではなく、冷静にじっと見つめる、そのペンの眼差しが美しいんです。

ポートレートもすごく好きです。今回の展示にもありますが、三宅一生さんのフードを被ったようなポートレート、あれはいい写真。一生さんの目が力強く、ペンさんもその力強さを存分に引き出している。また、鋭角なV字の壁を背景に撮影したポートレートのシリーズも好きです。アーティストがどんなに気取っていても、限られた空間でその人の「生」な感じがふっと出てくるんですよね。ペンさんの写真は、人を物のように撮るとも言われますが、決して対象物を殺しはしていないことがよくわかると思います。

──柏木さんは三宅さんのお仕事もずいぶん前からご覧になっていると思います。二人のコラボレーションについて、どんなことをお考えになりましたか?

柏木:ペンさんの写真は、一生さんの考える衣服のあり方、そのデザインのもつ美しさの可能性を新しい眼で引き出している。しかも、撮影前のエスキースを見ると、偶然ではなく、徹底してそれをつくっている。

資生堂のポスターのモデルの衣服を、学生時代の一生さんが担当したことがあります。ポスターのデザインは、資生堂のグラフィックの一時代を築いた中村 誠さんでした。中村さんから伺ったのですが、この時、一生さんはメーキャップまで担当したとのことです。そのポスターの写真は、ペンさんとはまったく撮り方が違っていましたが、一生さんの衣服と振り付けがモデルの美しさを引き出していました。僕は一生さんとペンさんに響きあうものを感じました。二人が出会ったのは必然だったんでしょうね。

──田中一光さんのデザインについてはどう思われますか?

柏木:田中一光さんは本当に優れたグラフィックデザイナーです。三宅一生とアーヴィング・ペンのイメージを崩さず、二人の良さを引き出している。写真をストレートに使って、シンプルに文字を入れ、その間隔や並びに微妙な変化をつける。田中一光さんは、豊かな表現の引き出しを持っている方でした。テーマやクライアントの本質を見る、一生さんやペンさんに通じるものがあったのでしょう。この3名の仕事は、ファッションや写真という範疇を越えて、歴史に残るでしょうね。

──柏木さんの最近のお仕事を聞かせてください。

柏木:去年『探偵小説の室内』という本を白水社から出しまして、その続編のようなものを執筆中です。日記文学の中で、部屋や空間がどう扱われているかについてです。夏目漱石、寺田寅彦、内田百閒、永井荷風、あと二人くらいを選んで出そうと思っていて。今年中には出せると思いますので、ぜひお手にとってみてください。

(聞き手:上條桂子)

2012年2月25日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに柏木 博が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「アーヴィング・ペン:写真の視覚」の動画を見る



Hiroshi Kashiwagi

柏木 博 Hiroshi Kashiwagi

デザイン評論家、武蔵野美術大学教授(近代デザイン史専攻)
1946年神戸生まれ。武蔵野美術大学卒業。著書:『近代日本の産業デザイン思想』(晶文社)『家事の政治学』(青土社)『芸術の複製技術時代』『日用品の文化誌』『モダンデザイン批判』(岩波書店)『探偵小説の室内』(白水社)『「しきり」の文化論』『デザインの教科書』(講談社)など。展覧会監修:『田中一光回顧展』(東京都現代美術館)『電脳の夢』(日本文化会館パリ)ほか。



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【動画】トーク「寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった」

2012年2月4日に行われた、アートディレクターの細谷 巖とフォトグラファーの長 隆治郎によるトーク「寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった」の動画をご覧頂けます。


「132 5. ISSEY MIYAKE」が「デザイン・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされました。

「REALITY LAB ― 再生・再創造」展(2010年開催)で展示された、三宅一生+Reality Lab Project Teamによる衣服「132 5. ISSEY MIYAKE」が、ロンドンのデザインミュージアムの「第5回デザイン・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされました。
デザイン・オブ・ザ・イヤーは、産業界の専門家がその年の世界のデザインから最も革新的で魅力的なデザインを選ぶ「デザイン界のオスカー」ともいわれる賞で、すべてのノミネート作品は、2月8日から7月15日までデザインミュージアムで行われる展覧会で紹介されます。なお、受賞作品は4月24日に発表されます。
展覧会詳細:http://designmuseum.org/exhibitions/2012/designs-of-the-year-2012


会場風景
「REALITY LAB ― 再生・再創造」展
132.5
「132 5. ISSEY MIYAKE」

【動画】静物写真について

2011年12月23日に行われた、フォトグラファーの加納典明とジャーナリストの生駒芳子によるトーク「静物写真について」の動画をご覧頂けます。


シカゴ美術館とアーヴィング・ペンの写真

2011年10月21日、アメリカ、シカゴ美術館より、同館写真部門の主任学芸員を務めるマシュー S. ウィトコフスキーを招いてトークが行われました。

メトロポリタン美術館、ボストン美術館と並び、アメリカ三大美術館のひとつに数えられるシカゴ美術館には、1995年から1997年にかけてアーヴィング・ペン自身によって寄贈された、膨大な数のペン・アーカイブが収蔵されています。180点以上の展覧会用プリント作品や1200点近い習作、さらに生涯をかけて蓄積された資料文書や書簡などからなるこれらの貴重な資料が寄贈されたことを記念して、同館では1997年にアーヴィング・ペン回顧展が開催されました。この展覧会はシカゴを皮切りに世界7ヶ所を巡回し、1999年には東京都写真美術館でも開催され、大きな話題を呼びました。

ウィトコフスキーは、ニューヨークやパリの画廊に勤務した後、フィラデルフィア美術館、ワシントン国立美術館などでの展覧会企画の仕事を経て、2009年からシカゴ美術館に勤務しています。今回は、シカゴ美術館所蔵のペンの作品の一部をスライドで紹介しながら、ペンの作品制作の視点や、ペンと三宅一生の仕事に見られる共通点について語りました。

トークの様子


ペンは、静物写真、ファッション写真、人物写真のどの分野でも秀でた感覚を表現した点で、他の写真家とは違う特別な存在でした。ウィトコフスキーは、ペンの写真は写真でありながら、絵画のような印象を抱かせるクラシックな気品に溢れていると述べています。

ペンは、1943年から65年以上にわたって『VOGUE』誌で仕事をしていました。『VOGUE』誌でジョージア・オキーフなどさまざまな著名人を撮影したポートレートシリーズの写真を見ると、どこにでもある小道具で小さな撮影スペースをつくっていたことが分かります。アトリエや、狭い空間などその人が居心地のよい場所ではないところで撮影が行われました。配置される人物を分け隔てなく見せるニュートラルな空間であると同時に、本来取り除かれるはずの糸クズやホコリなど、現実的な世界もここには映し出されています。

トークの様子


またペンは、第二次大戦後、パリやロンドン、ニューヨークなどで、街中にいる普通の人々のポートレートを撮影しています。自身が街に出て興味深い労働者を見つけては、モデルとしました。撮影は設備の整ったスタジオなどではなく、普通のアパートを借りて行われました。しかし、不思議とペンのポートレートには、どの人物にもエレガンスが漂っています。ここでも、街の中からニュートラルな背景の中へ彼らを移動させることで、被写体の存在感そのものを写し出す独自の世界観をつくり上げたのです。

ペンの写真には、写真という二次元の世界ににどうやって三次元的なものを収めるか、という工夫が見てとれます。ペンは彫刻家になった気分だったのではないかとウィトコフスキーは語ります。

トークの中でウィトコフスキーは、ペンと三宅の共通点として、「エレガンス」、「ピュリティ(純粋性)」、「エッセンス」、「バランス」の4つを挙げました。そして、ペンはこれらの要素は日本の文化にも関連すると考えていたのではないか、そしてそのことを三宅は感じとり、楽しんでいたのではないかと述べます。
写真プリントにおいてペンは、自身の求める表現のレベルに達するまでひとつのネガやポジに何度も立ち戻り、同じ素材を研究しては新たな作品をつくっていました。素材に対する再発見のプロセスを楽しんでいた点も、ペンと三宅の創作に共通して見られるといいます。
また、路上に捨てられたチューインガムやタバコに目をとめ、思いがけない美しさや、美の中の衰え、そして死という一面をとらえたペンの写真から、二人のもうひとつの共通点は、「True Beauty(真の美しさ)」を追求することだったのではないか。永遠に続く美は存在しない、しかしそれゆえに真の美しさであることを二人は理解していたと語りました。

トークの様子


トーク最後の質疑応答では、会場から積極的に手が挙がり、ウィトコフスキーは多くの質問に答えました。写真とデザイン、異なった世界で活躍したペンと三宅のいくつもの共通項と、ペン自身の仕事に込められた世界観に触れ、充実したプログラムとなりました。

「アーヴィング・ペンと私」 vol.12 浅葉克己

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


人間にとって一番大切なもの「観察力」が見事な人


──浅葉さんがペンさんの写真に出合ったのはいつ頃ですか?

浅葉克己(以下、浅葉):
高校三年生くらいの時かな。横浜にアメリカ文化センターがあって、そこの図書館にはVOGUE、Harper's Bazaar、Esquireといった雑誌がたくさんあった。そこで、アヴェドンやペンの写真を見ていた。あんなにスケッチがうまい写真家っていうのは他にいないんじゃないかな。僕が知っているのは二人だけ。アーヴィング・ペンと有田泰而。有田さんは写真家だったけど、その後画家になった。ペンはアートディレクションから撮影まで、全部一人でやっていたんだと思います。

──ペンさんの写真から学んだことはありますか?

浅葉:異文化の接触という部分。世界を自分でまわって、本質を見て、その民族が育んだ知恵や良い部分を写真に写す。奥底に潜む人間性を捉えていたんだと思う。すごいなあと思いますよね。人間にとって一番大切なものは観察力でしょう、それが見事な人だったよね。

最近、表現者に大切な4つのこととして「見詰める」「思い詰める」「息を詰める」「根を詰める」これが大事だとよく言っているんだけど、全部ペンに言えることなんだよね。きっとペンは一生さんから服が届いた時に、まずはじっと見詰めて、どういう写真にするか思い詰めて、ある時息をふっと詰めてアイデアを出してスケッチを描き、そして根詰めて撮影をする。

スケッチは、描いていると自然と次のアイデアが出てくるんです。僕も朝起きると、書道机に座り、筆で右巻き左巻きの渦を描くんだけれど、そういう日々の鍛練が表現にきっと表れる。ペンも修行僧のように鍛練していたんだろうね。

──常にお忙しいと思いますが、浅葉さんの最近のお仕事を教えてください。

浅葉:最近は「NEW津波石」。東日本大震災での津波の恐ろしさを後世に伝え、亡くなられた方への慰霊の気持ちを込めて、津波石の第一号を岩手県釜石の根浜海岸に建立しました。「二千十一年 3.11」という文字をデザイン化して、石に刻み込みました。このプロジェクトは、他のデザイナーにも参加を呼びかけ、岩手、宮城、福島など津波被害を受けた沿岸部500kmに、最終的に500石碑の建立を目指しています。

(聞き手:上條桂子)



Katsumi Asaba

浅葉克己 Katsumi Asaba

アートディレクター
1940年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所、ライトパブリシティを経て、75年浅葉克己デザイン室を設立。サントリー、西武百貨店、ミサワホーム等数々の広告を手がける。東京タイプディレクターズクラブ理事長として同クラブを運営する傍ら、アジアの多様な文字文化に着眼し、文字と視覚表現の関わりを追求している。
東京ADC賞グランプリ、紫綬褒章など受章多数。東京TDC理事長、JAGDA理事、デザインアソシエーション会長、エンジン01文化戦略会議幹事、東京ADC委員、AGI(国際グラフィック連盟)日本代表。東京造形大学・京都精華大学客員教授。桑沢デザイン研究所所長。中国の象形文字「トンパ文字」に造詣が深い。卓球六段。

NEW津波石
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【動画】写真×デザインの事

2011年11月26日に行われた、写真家の広川泰士とアートディレクターの 廣村正彰によるトーク「写真×デザインの事」の動画をご覧頂けます。


【動画】イメージが結実する瞬間

2011年11月18日に行われた、アーティストの日比野克彦によるトーク「イメージが結実する瞬間」の動画をご覧頂けます。


【動画】 衣服、写真、デザインの関係

2011年10月23日に行われた、グラフィックデザイナーの佐藤 卓と美術史家の伊藤俊治によるトーク「衣服、写真、デザインの関係」の動画をご覧頂けます。


「アーヴィング・ペンと私」 vol.3 石川直樹

9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


衝撃を受けて西アフリカまで訪ねていった、ダオメの写真


────ペンさんの写真との出合いを教えてください。

5、6年前だったと思うんですが、駒場東大前の日本民藝館で三宅一生さんが企画したアーヴィング・ペンの『ダオメ』という写真展(編集者注:「ダオメ Dahomey 1967:Photographs by Irving Penn」2004年、日本民藝館)がきっかけでした。ペンは、ファッション写真でよく知られていますが、その一方で、彼の写真は民俗学や文化人類学のフィールドとも親和性が高い。で、僕とペンをつなげたのは、当時のダオメ王国で撮影された彼の写真群だったんです。

ダオメ王国はもう存在せず、現在はベナン共和国という名前に変わっています。西アフリカにある小さな国で、ブードゥー教の発祥地としても知られており、特殊な儀式や祭礼が多く残っている。ペンは、フランスのヴォーグ誌の撮影で当時のダオメ王国に行き、洗練されたポートレートをいくつも残しました。しかし、その一方で、個人的な作品としてファッション以外の写真もかなりたくさん撮っているんです。

──ダオメの写真の中で石川さんの印象に残ったものは?

レグバの写真ですね。レグバはお地蔵さんのような存在で、今でもベナンの街角や街中のいたるところにあります。日本にあるようなツルツルの顔をしたお地蔵さんとは異なり、鳥の血や卵の黄身などが顔面に塗りたくられていたりする。ビジュアル的にはものすごくインパクトのある、とにかく存在感のある像なんですね。地元では、いいこともすれば悪いこともするトリックスターとして、市井の人々に愛されているんですが、決して可愛らしい像ではない。そんな像に美を見出した、ペンの眼をぼくは非常に信頼しています。

美醜というのは表裏一体であって、レグバのような奇妙な存在は、醜さのなかにどこか突き抜けた美しさを持っている。近寄りがたいけど、親しみも内包している。それは、とても衝撃的な写真展でした。ファッションの第一線で写真を撮りながら、レグバのようなものに美を見出していたペンの、世界に対する姿勢にはとても共感します。ぼくはその展覧会のレグバの写真に衝撃を受けすぎて、ベナン共和国まで行ってしまいました(笑)。僕の『ヴァナキュラー』という写真集にはベナンで撮影した写真が多く収録されていますが、あれはペンに捧げたようなものです。

──石川さんの最近のお仕事を教えてください。

SCAI THE BATH HOUSEというギャラリーで新作による個展「8848」が10月22日(土)まで開催中です。これは3月末から5月にかけて登ったエベレストで撮影した写真を展示しています。あと、そのエベレスト登山の記録を『For Everest ちょっと世界のてっぺんまで』という一冊の本にまとめました。併せてご覧いただけたらうれしいです。

(聞き手:上條桂子)

2011年9月30日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに石川直樹が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「アーヴィング・ペンとヴァナキュラー」の動画を見る



Naoki Ishikawa

石川直樹 Naoki Ishikawa

写真家
1977年東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。
2000年、Pole to Poleプロジェクトに参加して北極から南極を人力踏破、2001年、七大陸最高峰登頂を達成。人類学、民俗学などの領域に関心をもち、行為の経験としての移動、旅などをテーマに作品を発表し続けている。2008年、写真集『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞。2011年、『CORONA』(青土社)にて第30回土門拳賞を受賞した。著書に『全ての装備を知恵に置き換えること』(集英社)、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。今春、10年ぶりにエベレスト再登頂に成功し、その記録をまとめた『for Everest ちょっと世界のてっぺんまで』(リトルモア)を出版。

「8848」より

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北村みどりに聞く、展覧会のすべて vol.3

9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。本展ディレクターの北村みどりが語る展覧会の背景とその魅力を、3日連続でお届けします。


「見る」ことが紡ぎ出す対話

このようにして撮影された写真は250点を超える。写真集『アーヴィング・ペン 三宅一生の仕事への視点』(日本版は求龍堂、1999年)をめくっていると、すべての写真が同じテンションで撮影されていることに驚かされる。
「今回の展覧会で大型スクリーンに投影するための写真を選んでいて、改めてペンさんの仕事は普遍的だと思いました。13年間、緊張感が変わらなくて、まるですべてを一度に撮ったようです」

ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1996年秋冬
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation
ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1998年春夏
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation
ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1999年秋冬
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation


ファッションにせよ、ポートレート、また静物にせよ、写真史や美術史の先行する仕事を踏まえた上で、そこに独創的な演出を加えて昇華させるのがペンの仕事の眼目だ。作品には常に同時代の感覚が織り込まれ、さらにユーモアというスパイスが奥の方で効いている。このシリーズにもそんな彼らしさはじゅうぶんに盛り込まれている。あるいはそれ以上に、ファッション写真という枠を超え、三宅の服をまとったモデルがまるで未来からやってきた新しい生命体に見えてくるほど、パワフルである。
「ペンさんはいつも、私が持ち込む服をわくわくしてお待ちになっていらした。それはミーティングテーブル越しに伝わってきました。海を隔てて、撮影された写真を待っている三宅も同じ気持ちをもっていた。ただ、三宅にとってもペンさんは偉大ですから、もしかしたら『撮りたい服がない』と言われてしまうのではないかという気持ちもあったはず。ドキドキしながら試験の結果を待つようなところはあったと思います」

三宅は毎回、ニューヨークから届く写真を見る。新しい解釈に驚き、感動し、それを次のコレクションのための原動力としていった。
「デザイナーには、自分の表現したいことがはっきりわかっているものです。毎回のコレクションがデザイナーにとっては命。そこで発表したものが歴史に残るのですから、違う解釈をされるのは怖ろしいことだという思いがある。でも三宅は、ペンさんの表現を受け入れました。新しい解釈は、次へのイマジネーションに繋がったのです」

「見る」という行為のみで続いていく豊かな対話。250点の写真は、その奇跡のようなコミュニケーションの結晶と言えるだろう。ふたりのマエストロの協働を支えたのは、撮影現場の結束力だった。
「ヘアのジョン・サハーグは超売れっ子でしたが、この撮影の時には『イエス、ミスター・ペン』とだけ言って、すべてペンさんの指示どおりに仕事をしていました。ティエンも、パルファン・クリスチャン・ディオールのカラーパレットを全て作った世界一のクリエイティブディレクターでフォトグラファーなのに、山のようなメイク道具をひとりで持ち込んできた。スタジオにいたスタッフは全員、初心に戻る気持ちで仕事に臨んでいました。私も、パリコレクションのテーマなどは断ち切って服に向き合うようにしました。三宅はこう言っていましたとか、そのようなことは一切話さなかった。コレクションの時と同じように撮っても、三宅が喜ばないことはわかっていましたから。ペンさんと三宅の暗黙のコミュニケーションを、私たち3人もいつのまにかしていたんですね。自分を一切出さず、全員が同じレベルの意識をもっていた。本当に、特別な撮影だったのです」
撮影に関わったスタッフ全員が、ペンの作品を作り上げるために一丸となったのだ。彼らにとってそれは労働(labor)ではなく、仕事(work)なのだった。

三宅は撮影には立ち会わなかったが、ニューヨークを訪れる度に、北村と金井を交えてペンと食事をともにしていたという。
「このシリーズが終わった後も何度もご一緒しましたが、ペンさんはいつも『イッセイの仕事はアンフォゲッタブルだ』とおっしゃった。人生の中でも忘れられない撮影の時間だったと」
2009年、アーヴィング・ペンは92歳で亡くなった。生前はすべてを公開することができなかったこのシリーズを、展覧会というかたちで公開したい。追悼の思いとともに、いまこの仕事をみつめなおすことで得られる何かを、多くの人と共有できるのではないかという気持ちから、北村はこの展覧会の企画にとりかかった。オープニングを控えた今、準備はまさに佳境に入っている。

(文中敬称略)

構成・文:カワイイファクトリー|原田環+中山真理(クリエイティブ エディターズ ユニット)

vol. 1 ディレクターの横顔
vol. 2 撮影の一部始終
vol. 3 「見る」ことが紡ぎ出す対話

北村みどりに聞く、展覧会のすべて vol.2

9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。本展ディレクターの北村みどりが語る展覧会の背景とその魅力を、3日連続でお届けします。


撮影の一部始終

1917年生まれのアーヴィング・ペンの写真が、初めて『ヴォーグ』の表紙を飾ったのは1943年だ。これ以降、ファッション、ポートレート、静物写真を第一線で手がけてきた彼が、ISSEY MIYAKEの撮影を開始したときはすでに69歳、押しも押されぬ巨匠だった。
「いつだったか、撮影が終わり帰ろうとしたモデルが、履いてきた靴が見あたらないと言い出したことがありました。荷物に紛れ込んでしまったらしいのです。じっと聞いていらしたペンさんは、どこかに置いてあったご自分のスニーカーを差し出して、これを履いて帰りなさいとごく自然におっしゃった。そんな方なのです」

撮影には毎回おおまかなスケジュールがあった。
パリコレクションが終わり、服が東京のオフィスに戻ってきたところで、三宅と北村が撮影用の服を選ぶ。
「ペンさんがイメージを膨らませやすいだろうと思う服を選ぶようにしました。いくら素敵でも、フォルムが限定されるような服は持っていきませんでした。1回の撮影で撮るのは3、4カットですが、40セットほどを選び、ニューヨークにあるイッセイミヤケUSAのオフィスに送るのです」
そして北村はニューヨークに向かう。ペンとのミーティングまでにすべての服をラックに吊して完璧に準備をしておく。

ミーティングの日、ペンがオフィスを訪れるのは朝8時半。北村は準備した服を見せ、ペンのアンテナに触れたものがあると、待機しているモデルに着せていく。
「そうするとペンさんは、たとえば『その服はたしかに面白いけれど、ミドリ、脇にもっとボリュームをつけてくれないか』などとコメントされる。私は、困った、何もないけれどミニスカートを巻いてみようと考え、実際にやってみます。そうすると面白くなる。ペンさんはモデルにポーズを指示し、メイクアップやヘアはこうしようと、その場でヴィジュアルイメージが浮び、スケッチを描かれました。今回の展覧会では、そのスケッチも展示します」
お昼頃までにセレクションは終了、翌日からペン・スタジオで撮影が始まる。
「この撮影のメンバーは、ヘアはジョン・サハーグ、メイクアップはティエン、アイロンがけはセーディー・ホール、イッセイミヤケUSA代表の金井 純がコーディネーション、そしてスタイリングが私と、13年間不動でした。それは、とても稀なことです」
撮影は朝8時半から、全員で食べるランチをはさみ、18時に終了というスケジュールで、4 日間ほど続けられた。

撮影中、ペンのスタジオは音楽もなく、私語もなく、静けさに満ちていたと北村は言う。
「何かを落としたら全員がはっとするような静けさです。時おり聞こえるのは、ペンさんの指示とシャッターを切る音だけ。ぴんと張り詰めた空気が流れていました。今思うと、それはパリコレクションの準備中、三宅の周りに流れていた緊張感と同じものでした」

ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1991年春夏
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation
ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1992年春夏
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation
ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1995年秋冬
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation


13年続いた撮影のなかで、特に思い出深い服やエピソードはあるかと訊ねた質問に、北村は、ありませんと答えた。すべてに同じエネルギーを注いだからと。つまり、すべてが特別だったということだ。
「私なりの解釈ですが、ペンさんは単に写真を撮るというよりは、まず世界を作り、それをカメラに収めたのだと思います。メイクもヘアも皮膚の色もすべて作りあげ、ひとつの服で世界を完成させていった。撮影が進むにつれて、まるでオペラを見ているような気持ちになったのを思い出します。驚きの連続でした」

(文中敬称略)

構成・文:カワイイファクトリー|原田環+中山真理(クリエイティブ エディターズ ユニット)

vol. 1 ディレクターの横顔
vol. 2 撮影の一部始終
vol. 3 「見る」ことが紡ぎ出す対話

9月5日発売のAERA STYLE MAGAZINEに掲載されました。

AERA STYLE MAGAZINE
2011年9月5日発売

北村みどりに聞く、展覧会のすべて vol.1

9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。本展ディレクターの北村みどりが語る展覧会の背景とその魅力を、3日連続でお届けします。


ディレクターの横顔

この展覧会のタイトルは何とも直球勝負である。
「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。
シンプルなタイトルには含みがある。とりわけ、Visual Dialogueという言葉には単なる写真展、単なる服の展覧会ではありませんよ、とほのめかしているような匂いというか、雰囲気が漂っている。
もちろん著名な写真家であるペンの作品は、展示される。東京で彼の仕事をまとまった規模で目にすることができるのは、1999年11月~2000年1月に東京都写真美術館で開催された回顧展「アーヴィング・ペン 全仕事」以来、2009年に彼が死去してからは初めてとなる。写真ファンにとっては待望の機会であり、予備知識なしで出かけても楽しめるのは確実だ。
けれども、この展覧会はあくまでも「二人の視覚的対話によって生み出された創造に焦点を当てるもの」である。だから、「視覚的対話」、すなわちVisual Dialogueとは何なのかを、そしてペンと三宅一生の関係を知っていれば、展覧会をより深く楽しめることは確かだ。
そんなわけで、この連載では、ディレクターの北村みどりに本展の背景に流れるストーリーを語ってもらうことで展覧会の魅力や見どころを探ってみようと思う。

その前に、北村みどりとはどんな人物なのか、そして彼女が展覧会ディレクターを務めることになった経緯から始めたい。

現在、三宅デザイン事務所の代表取締役社長であり、香水や時計などのプロダクトのクリエイティブ・ディレクションやプロデュースを手がける北村は、1976年にISSEY MIYAKEのアタッシェ・ドゥ・プレスに就任した。
「今でこそ、アタッシェ・ドゥ・プレスという仕事はファッションの世界では当たり前になりましたが、ブランドの総合的な広報・宣伝を担うこの仕事の存在を、当時の日本では誰も知らなかった。」
年2回のパリコレクションに同行し、広報に関わるあらゆる資料や印刷物を作り、さらに展覧会の立ち上げ、本の出版など、彼女は35年にわたって三宅一生のすべての活動に携わってきた。

1988年にパリで開催された「A-UN」展を境に、三宅の仕事は軽さと機能性を併せもつ新しい衣服の創造へと向かっていくことになるが、これに先立つように、アーヴィング・ペンと出会っている。1983年のことだ。
「三宅は学生時代からずっと、ペンさんの仕事を敬愛していましたが、『ヴォーグ』誌でペンさんが三宅の衣服を取り上げたことが、二人の交流のきっかけになりました。写真を見た三宅は「こんな見方ができるのか」と驚き、自分の服をペンさんに撮ってほしいと思うようになったのです」
三宅の夢は実現した。1987年の春夏コレクションから、ペンによるISSEY MIYAKEの服の撮影が開始されることになったのだ。

ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1987年春夏
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation
ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1989年秋冬
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation
ISSEY MIYAKEコレクションポスター、1991年秋冬
写真:アーヴィング・ペン、ポスターデザイン・タイポグラフィ:田中一光
Photograph copyright by The Irving Penn Foundation


驚くべきことに、13年にわたって続けられたこの撮影に、三宅は一度も立ち会っていない。
「三宅は自分が行ってはいけないと自らに課しました。そばにデザイナー自身がいては自由で創造的な仕事はやりにくいだろう、すべてをペンさんに任せようと。そこで、私がスタイリング担当としてすべての撮影に立ち会うことになりました」
また、ペンも一度もパリコレクションを見ていない。ニューヨークのペン・スタジオに北村が持ち込む服を見て説明をうけた上で、撮影する服を選んでいた。
服作りの段階から三宅の仕事をかたわらで支えていた北村は、ペンという写真家がまったく新しい視点からその服を解釈し、作品化する過程にも立ち会うという、とても重要な役割を担っていたわけだ。
「私の仕事は、ペンさんが撮りたいと思う服のフォルムを作ること。責任は、すべて私にあります。最初の頃は足が動かなくなるくらい緊張して撮影に臨みました」

(文中敬称略)

構成・文:カワイイファクトリー|原田環+中山真理(クリエイティブ エディターズ ユニット)

vol. 1 ディレクターの横顔
vol. 2 撮影の一部始終
vol. 3 「見る」ことが紡ぎ出す対話

「アーヴィング・ペンと私」 vol.2 中野裕之

9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


明朝体のような繊細で力強い表現


──中野さんがアーヴィング・ペンさんを好きになったきっかけを教えてください。

僕は古いヴォーグの写真がすごく好きで、最初に買った写真集がアーヴィング・ペンの作品集で、一番影響を受けている人だと思います。同時代の写真家としてリチャード・アヴェドンがよく引き合いに出されてるんだけど、僕はアヴェドンは力強くてタフなゴシック体、ペンは繊細で流麗な明朝体というイメージを持っています。映像をやり始めた頃、どうやったらペンの写真のような映像が撮れるのか、試行錯誤しましたが、なかなか同じようなカットは撮れませんでした(笑)。

──ペンさんの写真の魅力はどこにあると思いますか?

まずは、一回見た写真は忘れられない、構図の面白さとインパクトの強さがあります。一瞬を選び取る取捨選択能力というか、決意というか、一生さんとの仕事にしても、洋服のディテールと文脈を熟知して、見せるポイントをすべて押さえた上で、強烈な写真を撮る。一生さんとのお仕事は、ペンさんが70歳くらいの時に撮影されたものだそうですが、それもよくわかります。若い時からずっと第一線で写真の仕事をしてこられて、50歳を過ぎる頃からだんだんと仕事がスローペースになり、シャッターを切る回数が減っていく。そして人生の熟成時期に入って、さらに新しく面白い写真に挑戦する。それには一生さんの服の影響もあると思います。こんなに刺激的な服を与えられたら、それをどう撮ろうかと考えるのが愉しくてしょうがなかったでしょうね。お二人の仕事を見ると、その楽しさがひしと伝わってくるんです。

──中野さんが最近取り組まれている仕事を教えてください。

9月17日、18日にせんだいメディアテークで開催される「仙台短編映画祭11」のプロジェクト「311仙台短編映画制作プロジェクト作品『明日』」に参加しています。40人の映画監督が3分11秒の短編映画を撮るもので、僕は三ヶ月くらい悩んで『明日』という作品を撮りました。ぜひご覧ください。

(聞き手:上條桂子)

2011年9月23日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに中野裕之が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「 操上和美さんに聞いてみたかった」の動画を見る



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中野裕之 Hiroyuki Nakano

映画監督、映像作家
音楽的な映像表現で知られ、これまでに国内外の有名アーティストのPVを数多く手がけている。映画「SFサムライフィクション」プチョンファンタスティック映画祭グランプリ、短編『アイロン』カンヌ国際映画祭国際批評家週間ヤング批評家賞。現在、美しい地球を収めた最新作「美しい惑星」が発売中。

「明日」

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「アーヴィング・ペンと私」 vol.1 佐藤 卓

9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


物事の本質に真正面から切り込む写真


──アーヴィング・ペンさんの写真とはどのように接してこられたか教えてください。

アーヴィング・ペンの写真については、「田中一光と三宅一生の仕事」、マイルス・デイヴィスのポートレート、Flowers、ファッション写真と要所要所で見ており、非常に印象深い記憶として残っていたんですが、一つひとつがバラバラで自分にとっては「点」でしかありませんでした。そのいくつもの点が初めてつながったのは、21_21 DESIGN SIGHTを立ち上げる際に、どのような展覧会をやっていくべきか、どんなテーマで展覧会ができるかについて検討中、一生さんからいろいろな資料を見せていただきながら話し合っていた時のことです。数年前のことなんです。

非常に印象的だったのは、女性の口元にチョコレートがまみれている写真と、パンと塩と水の写真です。一生さんにそれらの写真を見せてもらった時、ペンさんのあらゆる物事にグッと切り込んでいく、その切り込み方の絶妙さに衝撃を受けました。

チョコレートの写真は、女性の口元を至近距離で撮影しているんですが、その写真を見ただけで本質的なことがすべて見えてくるんです。パンと塩と水の写真もそう。決して斜からではなく、真正面から対象と向かい合い、本質に切り込んでいく。そして、見る者にいろんなテーマを投げ掛けてくるんです。

僕はその時ちょうど水にすごく興味があった時で、水という、非常に抽象的な、でも我々の生活に欠かせないものをひとつ取り上げて展覧会を作ることができるんだということを確信しました。ペンさんの写真を見ると、僕たちの日常に転がっているものは、何だって本質を掘り下げていけば展覧会のテーマになり得るんだと思える。1枚の写真から、そういうものの感じ方ができたのは、非常に刺激的な体験でしたね。


──佐藤さんは、今回の展覧会でグラフィックデザインを担当されていますが、仕事としてアーヴィング・ペンさんの写真と接してこられた感想をお聞かせください。

偉大なペンさんの写真を、まさか自分がレイアウトすることになるとは思いませんでした。今回の展覧会ディレクターである北村みどりさんからデザインを依頼された時は、やはり、ペンの写真に文字を載せられるは田中一光さんだけだと思いましたし、そんな大役が自分に務まるのか、という思いがありました。

メインのビジュアルになっている、花と三宅さんの服の二つの写真を1枚の絵の中で見せるというのは、北村さんの発想によるもので、ずっとペンと一生さんの間で一緒に仕事をされてきた北村さんだからこそできる大胆なフォトディレクションだと思います。通常、アーヴィング・ペンほどの写真家の作品を使う場合は、ノートリミングでそのまま作品として掲載しますよね。ペンの写真を素材にして加工を加えるなんて、あり得ないことです。ですが、花と服の写真を1枚の絵として見せる時には、どうしても加工を加えなければならない。1枚の作品として完成されたペンの写真に手を入れるのは非常に緊張する作業でした。でも、そういった特別な機会をいただき、ペンの写真と真正面から向き合ったことで、これまでにないビジュアルが提示できたと思います。


──最後に、佐藤さんの最近のお仕事を教えてください。

4月からNHKの教育テレビで『デザインあ』という番組が始まり、中村勇吾さんと一緒にその番組に携わっています。子どもに対してデザインとは何かを語りかける番組なのですが、作っている自分たちも、常にデザインの本質について考えさせられています。

(聞き手:上條桂子)

2011年10月23日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに佐藤 卓が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「衣服、写真、デザインの関係」の動画を見る



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佐藤 卓 Taku Satoh

グラフィックデザイナー
1979年東京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了、株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。
「ロッテ キシリトールガム」「明治おいしい牛乳」などのパッケージデザイン、「ISSEY MIYAKE PLEATS PLEASE」のグラフィックデザイン、武蔵野美術大学 美術館・図書館のロゴ、サイン及びファニチャーデザインを手掛ける。また、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」の企画メンバー及びアートディレクター・「デザインあ」総合指揮、21_21 DESIGN SIGHTのディレクターも務めるなど多岐にわたって活動。

「デザインあ」

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9月16日から「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展を開催します

展覧会ポスター
(写真上)「Poppy: Glowing Embers」、ニューヨーク、1968年
(下)「Flower Pleats (Issey Miyake Design)」、ニューヨーク、1990年
Photographs copyright by The Irving Penn Foundation


三宅は声にはならない言葉をペンさんに投げかけ、ペンさんはそれを受けとめてくださる。絶妙な呼吸でコミュニケーションが成り立つ--------奇跡のような恊働の仕事の存在を展覧会というかたちで紹介します。そのプロセスと人間の創造力の素晴らしさを、この展覧会を通して感じていただきたいと思っています。

北村みどり(本展ディレクター)

トーク 「デザイナーと恊働する仕事」



20数年に及び、ISSEY MIYAKEとともに「プリーツ」をつくり続けている白石ポリテックス工業より国分米夫、プリーツの開発にも携わる三宅デザイン事務所 企画開発長の山本幸子を迎えました。

シンプルで、軽い、動きやすい衣服を求めて、出来たのが「製品プリーツ」。一般的には、プリーツをかけてから縫製を行なうプリーツの衣服を、ISSEY MIYAKEでは縫製した製品に1点1点プリーツの加工を施しています。通常140℃で行なう加工も、ISSEY MIYAKEでは190~197℃の間をその都度調整しています。プリーツをつくりたいと思った際に、山本は多くの企業を見ましたが、中でも熱心な姿勢を見せてくれた白石ポリテックス工業でした。山本からの注文に「負けずについていこう!」とバトルも辞さない姿勢だったと国分。開発の途中で高額の機械が壊れても、「できないとは言いたくない」という真摯な姿勢で、ものづくりを行なってきました。機械的なことと、デザイン的なことがお互いを補い合い、ひとつひとつの製品が生まれたといいます。

トークの後半では白石ポリテックス工業とISSEY MIYAKEが手がけたさまざまなプリーツの工程について、映像や実物をもって紹介。実際に使用されている型紙も参加者で回覧しました。参加者との質疑応答が終わると、最後にはプリーツに欠かせない手さばきの実演も披露。実際に加工されたプリーツ製品が参加者のお土産となるサプライズに、会場は大いに盛り上がりました。



司会を務めた21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターの川上典李子は「機械が導入された工場とはいえ、関わるスタッフの手さばきが重要。また、手作業の"味つけ"に工夫が凝らされており、こうした緻密さが、結果として世界に注目されるクオリティに結実している」と締めくくりました。

トーク 「日本の麻、世界のリネン」



世界でも高い評価を受け、日本の代表的な産業のひとつになっている「山形ニット」。戦後からニット産業に取り組み、現在は麻素材にも注目する株式会社ケンランドから、代表の大沼秀一を迎えました。

大沼は一般的に山形といえば果物のイメージが強いが、戦後にはニットやホームスパンに取り組む企業が増えたといいます。山形でつくられた製品は、消費地・仙台に運ばれました。はじめは小さかった取り組みも20年後には大きな産業に成長。しかし急速に拡げた産地はバブル経済が絶頂の頃、販売数の下降にすぐに対応が出来ませんでした。このままではいけない、と地元に根付いた産業にシフトしたのが1980年代でした。

トーク中盤はISSEY MIYAKEとの仕事にも触れました。当時ニット工場の自分たちはブランドの展示会にはあまり入れてもらえず、「OFF LIMIT(立ち入り禁止)」ばかり。工場の人間は展示会等で見たものを、そのままコピーもできてしまうからだと大沼は考えていました。そんな中「ISSEY MIYAKE ON LIMITS」との仕事では展示会にも参加し、「ON LIMIT(立ち入り自由)」であることにとても感動したエピソードを披露。一緒にものづくりをしていいんだ、と許された気持ちだったといいます。現在、ISSEY MIYAKEのコレクションでも使用し、積極的に取り組んでいるリネンについても言及しました。

3月の震災を受けて、周りのクリエイターやデザイナーに励まされたケンランド。制作の現場として提案しつづけ、その声を拾っていただける場があることに感謝していると大沼はいいます。国内でのものづくりがまだあるということを知ってもらえる機会を、大事にしていきたいと語りました。

今年3月の震災後にレスキュー隊ユニフォームをイメージして制作されたオレンジ色のニット。

トーク 「こぎん刺し、家族を想う女性の手仕事」



巨匠 前川国男の最初と最後の建築が現存する青森県弘前市から、弘前こぎん研究所代表の成田貞治によるトーク。
寒く綿花の育たない青森では、綿は江戸や京などから入ってくる貴重品で農民や平民には手の届かないものだったそう。地域に自生する麻でつくる服に、補強や保温を目的に綿糸を刺したのがこぎん刺しの原点です。
現在のようにグラフのなかった時代、すべて口承で伝えられたというこぎん刺し。少しずつ模様を発展させ結果的に「用の美」を実現した津軽の美的感覚には、民芸運動を牽引した柳 宗悦も感嘆したといいます。

明治に入り汽車で東京から大量に入るプリント服に押され、一時は衰退の一途をたどったこぎん刺し。柳によって手仕事の大切さが再認識され、現在の弘前こぎん研究所につながる活動が始められました。
トーク後半では、実際のこぎん刺し作品を手に取りながら三縞、東、西の三大こぎん刺しの特徴を解説。



最後に、柳 宗悦の言葉が読み上げられました。
「醜い『こぎん』はない。一枚とてない。捜しても無理である。(中略)別に秘密はない。法則に従順だからだと『こぎん』は答へる。此(こ)の答へよりはつきりしたものはない」。「名も無い津軽の女達よ、よくこれほどのものを遺してくれた」。
司会の川上典李子は、「こぎん刺しには、布の織り目に対して奇数の目をひろって刺すという変わらぬ法則がある。だからこそつくり手の創造力が生きてくる」と添えました。

学校の授業などを通した子どもたちのこぎん刺し体験や、名刺入れやゲームをはじめとした現代生活に則したこぎん刺しの探求など、こぎん刺しを次の時代につなげる弘前こぎん研究所の様々な活動も紹介されました。

トーク 「紡ぐ糸、色。中村工房のストール、岩手ホームスパン」



岩手県でホームスパンや真綿を営む中村工房の中村博行と、1970年代よりISSEY MIYAKEの素材づくりに関わってきた皆川魔鬼子が、恊働した仕事と、それぞれのものづくりについて語りました。

1971年に三宅が掲げた「日本発の作業着、ジーンズに替わる衣服が作りたい」というテーマのもと、皆川は全国で素材のリサーチを始めました。中でも東北には、強くて、丈夫な素材が数多く存在したことに驚き、その後雑誌の記事をきっかけに中村工房のホームスパンに出会いました。素材づくりの人間にとって「ホームスパンは憧れ」だったといいます。

岩手県盛岡市にホームスパンの工房を構える中村は3代目。明治時代に日本各地に広まったホームスパンは「手紡ぎ」という意味で、岩手県は全国で 90%のシェアを誇ります。かつては草木染めも積極的に取り組んでいましたが、現在は化学染料も使用し、カラフルなマフラーなどを制作しています。

1972年、初めて中村工房を訪れた皆川は、当時他とは違う草木染めの「濃い」色に驚きました。「自然で力強い、深みのある色」と表現した中村工房の草木染めの秘密は、素材を生のまま染めに使用すること。ドライで使用することが主流な草木染めですが、よもぎやくるみの樹の皮を乾燥させず、また量も多く使用することで中村は濃い色を出していたといいます。
他にも段染めを行なったシルクのリボン織ストールや、板に釘を打ってその人に合わせて編むベストなどを実物とともに紹介。次々と登場するISSEY MIYAKEと中村工房の仕事と、当時を思わせる中村と皆川の温かいやりとりに、会場は大きく盛り上がりました。



最後にはそれぞれ将来の展望を語りました。中村は「その時代に合ったものを作り続けたい、エイやマントのようなストールも面白いかもしれない」。皆川は、デザインより早く動かなければいけなかった素材開発の立場として、「小さくても新しい技術やものを見つけていきたい。東北に根付く暦にあったものづくりを見習いたい」と語りました。



トーク終了後には中村工房4代目中村和正による糸紡ぎの実演も行なわれました。目の前で行なわれるホームスパンの一工程に、多くの人々が釘付けになりました。

トーク 「東北の自然布、日本のこころ」



日本の原始布や古代織物の復元と存続に取り組み、資料などを展示する「原始布・古代織参考館」を運営する山村洋子を迎え、21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターの川上典李子を司会に、トークは始まりました。

元を辿れば山形県米沢で織物営んでいた山村の父が、先人の手技に魅了され、全国の織物や原始布について研究を始めたのが、きっかけとなり、原始布・古代織参考館が開館しました。施設内では、先人たちの衣服や、編衣(あんぎん)、シナ布、楮布(こうぞふ)など古代の布をはじめ、紡織機など今ではなかなかみれない道具たちを所蔵しています。本企画リサーチの際に撮影した施設の画像を見ながら、山村が心掛ける生活のしつらえや、東北に息づく自然に対する感謝などを語りました。



1枚の布を仕上げるのに「気が遠くなる」ような作業が必要だという原始布。トーク後半にはシナ布の工程を追ったドキュメンタリー映像も流れ、梅雨時のシナの木皮収穫より機織りを始める冬まで、織りに至るまでには多くの手間がかかることも紹介しました。

次世代への継承を模索中の山村は、素晴らしい手仕事には、神が宿るような何かがあるといいます。親から子へ伝わっていった歴史のように、木や草の生命力を感じるものづくりをそのまま伝えることで心が豊かにやっていけるのでは、と提案。 川上は、本企画が精神的に豊かであるためのものづくりをどうやって繋いでいくか、一緒に考えていく機会になれば、と締めくくりました。

トーク 「青森県十和田市と南部裂織保存会」



暮らしの中で息づいてきた南部裂織の歴史を、青森県十和田市にある南部裂織保存会の指導者である澤頭ユミ子と、十和田市現代美術館の特任館長、小林ベイカー央子が語りました。

南部裂織は、東北地方で綿が育たず、木綿が大変貴重だった約200年前に生まれたと考えられています。縦に木綿の糸を、横に古い布を手で裂いた"ヌキ"と呼ばれる材料を用い、自分自身と機が一体となって織る「裂織」。そこには、手に入った物を大事に使う、南部地方の人々の心が込められています。装飾品ではなく、「こたつ掛け」という、寒い地方では生活に欠かせない日用品が、南部地方における「裂織」の文化を、現代に伝えてきたといいます。

トーク後半では、現代アーティスト、草間弥生とのコラボレーション作品や、20代、40代、60代の3世代の女性が集まり今までにない裂織の世界の表現を試みる「3Gプロジェクト」など、裂織を現代の私たちの生活や次の時代につなげる、精力的な活動も紹介されました。



トーク終了後には、会場に展示中の機を用いた裂織の実演。澤頭の丁寧な解説に聞き入る来場者が、後を絶ちませんでした。

私が知るソットサスと倉俣さん

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第3回(最終回)


石井裕さんの倉俣メモ

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展もいよいよ佳境です。皆様にはくれぐれもお見逃しないように。
そういえば、あのMIT メディアラボの副所長、石井裕さんが倉俣ファンだということをtwitterで知って、来日中のご多忙の中、展覧会をご案内しました。当初は1時間くらい?と思っていたのが、なんと2時間びっしり。さすが科学者という視点でのご質問や感想をいただき、脳みそがシャッフルしました。後日、見学メモを送ってくれて、これがまたinteresting!一部をご覧ください。
http://twitpic.com/5dabgp

さて、このコラムも今回が最後。なので、私が知る倉俣さんとソットサスを展覧会では紹介できなかった二人のスケッチとともに記そうと思います。


愛にあふれたソットサス

1980年代、六本木AXISは日本のデザインセンター的な存在で、連日、見学にやってきた国内外のデザイナーで大賑わい。中でもソットサスは81年のAXISオープン記念に個展を開催した縁もあり、来日の度に表敬訪問してくれたのです。本展の展示作品「カールトン」は、元はAXISが所有していて、その価値を知らない私たちスタッフはずいぶんひどい扱いをしていました。

1993年のある日、AXIS誌のインタビューでいらしたソットサス(当時76歳)はずいぶん疲れていて、腰かけるなり「失礼だけど、靴を脱いでもよいですか」と聞いてきました。「もちろん、どうぞ・・・」と申し上げると、「ここは日本の我が家だし・・・、靴を脱ぐ日本の習慣は素晴らしい・・・」と一言。彼はこのインタビューで「私の行動が少女を楽ませたり、老婦人を幸せな気持ちにできれば、それで満足。立派なステートメントはいりません」と語っていたのが印象に残っています。

最後にお会いしたのは、1997年の秋頃。三宅一生さんが来日中のソットサスのお誕生会を企画されて、倉俣美恵子さんと娘のハルちゃんを含む数名が集まりました。誕生会と聞いた私はさんざん悩んだ挙句、小さなブーケを贈りました。ソットサスは「ありがとう」と受け取ってそのまま胸ポケットにさしてくださった。ハルちゃんともずいぶん仲良しでした。倉俣さん亡き後も、ソットサスは大親友の愛娘ハルちゃんに愛を与え続けていたのですね。この食事会は和やかで、幸せにあふれた会だったと記憶しています。

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エットレ・ソットサスによるドローイング
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エットレ・ソットサスによるドローイング

語尾が微妙だった倉俣さん

1980年代倉俣さんのオフィスは乃木坂にあって、時々、AXISの3階にあったフレンチレストランのテラスでランチをしていました。ご挨拶をすると、「こんにちは」ってたれ目でニッコリ答えてくださった。
87年だったかAXIS誌の「ニューマテリアリズム」という特集で倉俣さんに鼎談を申し込んだところ「ニューマテリアリズム・・・ね。少し考えて返事をしてもいいですか?」と言われました。即答いただけると思っていたのが、語尾が微妙だったので、「何かいけないことを言ってしまったのだろうか?」と案じたけど、鼎談は実現しました。雑誌が出てから「関さんの名前でルッキーノにボトルを入れましたから、楽しんでくださいね」とお電話があり、友人を誘って「倉俣さんからのボトルだ!!」と盛り上がったのは、つい先日のようです。88年、KAGU展で初公開された「ミス・ブランチ」。展示会場に倉俣さんがいらして感想を求められ、とっさに「美しすぎて怖い」と感想を述べたら、「そうですか・・・」と一言。その語尾がまた微妙で、私はまたまたいけないことを言ってしまったような気がして、いろいろ思いを巡らせたものです。倉俣さんの言葉も作品も饒舌ではありません。けれど、そこに現れているのは氷山の一角で、その背景には膨大な思考や想いがあることを感じさせます。

トークの様子


先日の6月25日は、三宅一生さんとのトークでした。控え室で雑談中、「そういえば、倉俣さんは、話が一段落ついた頃、『もう一言いいですか』って話し始めるのだけど、実はそこからが本題でね。初めから自分を主張しないところが倉俣さんの魅力だったのだと思う。ソットサスも一言に重みのある人だったなあ」と話してくださいました。私は「三宅さんもそうですよ」と言いかけて、言葉を飲み込みました。

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倉俣史朗による「How High the Moon」 のためのドローイング
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倉俣史朗による「L'EAU D'ISSEY 」 のためのドローイング

デザインで夢と愛を描く

そんな3人が友情を育めたのは、言葉の少なさを補って余りある「想い」を共有していたからではないか。それは展覧会ブックにも記しましたが、自主自立の精神に立つ3人の活動は、常に体制や権力とは一定の距離を置きながら、自分たちのクリエイションが人々の生命や営みを制約し、規制することに対して細心の注意を払ってきたこと。束縛されない自由と、「デザインとは何か」を問い続ける姿勢であり、人が生きていくうえで欠かすことのできない夢や愛を探求することであったのだと思います。
ITによって、コミュニケーションや創造の可能性は「進化」したけれど、はたして「深化」しているのか?そんなことも考えさせられました。

倉俣史朗とエットレ・ソットサス展、7月18日まで、横尾忠則さん田中信太郎さんのトークなど、様々な関連プログラムもあります。二人の夢と愛の世界を心いくまでご堪能ください。

関 康子


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トーク 「ANOTHER KURAMATA / SOTTSASS DESIGN」

トークの様子


6月25日、展覧会ディレクター関 康子と三宅一生によるトークが行われました。

三宅は倉俣史朗、エットレ・ソットサスの二人と友人だっただけでなく、店舗やオフィスの家具など倉俣史朗に多くを依頼、また私生活ではソットサスデザインの日常品を使い込んでおり、二人の人間性とデザインをもっともよく知る人物のひとり。そんな三宅はまず、倉俣史朗とエットレ・ソットサスの展覧会を21_21 DESIGN SIGHT で開催することになった経緯について語りました。

1991年に倉俣史朗が逝去、それからすぐにグラフィックデザイナーの田中一光も亡くなった頃、パリ・ポンピドゥーセンターで行われた「日本のデザイン」展に三宅は大きく影響を受けたといいます。日本でもデザインと日常がつながる場があるべきだと考え、各所の協力を得て2007年に21_21 DESIGN SIGHT を設立。若い世代に向けて、すでに亡くなった友人たちの仕事を紹介したい、そこから日常性や社会性を持ったデザインについて考える場になってほしいとの思いがあった、と三宅。その頃から倉俣史朗の展覧会は構想していたが、設立五年目にしてようやく実現。三宅は、デザインには回顧展はふさわしくない、倉俣の展覧会も回顧展ではなく現在進行形のものとしたかったの思いから、倉俣とソットサスの深い友情に基づくデザインをテーマに展覧会を構成してほしいと関に依頼した、と述べました。

次に、スライド画像を参照しながら、二人の仕事と三宅の仕事との接点が語られました。
三宅が倉俣の仕事をはじめに意識したのは、パリでの衣服の勉強を終え、日本に戻ってきた1971年の「カリオカビルディング」内のカフェでした。当時の喫茶店は天井が低く薄暗い名曲喫茶やシャンソン喫茶が主流で、このカフェの天井の高さ、色の強さによる印象は強烈だったそうです。
その後、イッセイミヤケとして青山の「フロムファースト」にフラッグショップを立ち上げた1976年から、内装を倉俣に依頼。パリ・サンジェルマンのショップ(1983)、ロンドンでの展覧会(1985)、銀座松屋のショップ(1983)、ニューヨークのデパート「バーグドーフグッドマン」のショップ(1984)...と倉俣による空間が増えるなかで、倉俣はさまざまな素材や手法を実現させていきました。
そのひとつは、本展でも展示されている「スターピース」。最初に見た三宅に「やられたなあ」と言わしめた、ガラスの破片を人工大理石に散らばせたこの素材は、銀座松屋の店舗で初めて試みられたものです。ニューヨークの「バーグドーフグッドマン」ではコカコーラの瓶を用いたスターピースがつくられ、アメリカの店舗ならではと考えた倉俣の遊び心がうかがえます。

切り込みを入れたスチール版を線状に引きのばしたエキスパンドメタル素材(出展作品「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」に使用)もイッセイミヤケの店舗から生まれました。

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ドレープを使った三宅の作品「ウォーターフォール」。直接的な影響の少ない倉俣と三宅の仕事の中で、唯一同時期に同じモチーフが使われた例

ここで関からの、倉俣が三宅に対して制作の方向や説明のプレゼンはあったか?との質問に、三宅は倉俣に一任していたと答えました。それは倉俣の感覚を全面的に信頼していたから。中には渋谷西武(1987)のように店内を暗くしつらえたため買い物客が店の外に出て服の色を確認するといった場面もあったが、それも楽しい思い出となっている、と回想しました。
また、実は高所とガラスが苦手だという三宅。しかし神戸リランズゲイト(1986)の割れガラスを使用した店舗は非常に気に入り、ガラスへの恐怖心がなくなったとのエピソードも。

しかしデパート内の店舗の宿命として、数年で改装や入替えが行われるため、現在倉俣による内装を当時のまま見ることができるのは、イッセイミヤケ青山MENのみだそうです。
倉俣は本展で展示されているようなプロダクトだけではなくインテリアデザイナーとしても素晴らしかった、と三宅。現存するうちにぜひ倉俣の空間を体験してほしいと述べました。

そしてトークはいよいよ「もうひとつの倉俣・ソットサスデザイン」へ。
一般になかなか目にすることはできない二人のデザインの紹介です。

三宅のデザインスタジオには倉俣デザインのデスクが多くあります。倉俣による家具は美しいけれど実用的ではなかったとの評判もあるが、という関に対して、通常の事務用デスクとは一風異なるのではじめは戸惑うが、使いづらいことはなかったと三宅。サイズ感が絶妙でシンプルながらに用途をさまざまに展開できる実用性を備えていたと答えました。

一方自宅ではソットサスによるデザインのカトラリーを愛用。出展作品「カールトン」や「バレンタイン」に見られる陽気で印象的なデザインと対照的に、このカトラリーはいたってアノニマスで使いやすくデザインされています。
自宅用にカトラリーを探していたが過剰なデザインのものばかりで気に入ったものが見つけられないでいたとき、アレッシィのショーウィンドウで「しっかりとしたデザインだ」と目に入ったのが、実はソットサスによるものだったと三宅。関も、倉俣やソットサスのデザインは一見非現実的だが実用性をふまえたうえでの夢の世界の表現だ、と述べました。

トークの終盤は恒例の質疑応答。三宅に会場の参加者から質問が寄せられました。
そのうち、次の世代のクリエイターに求めることはなにか?という質問に対し、三宅は、自分のいる環境の問題について考えてほしいし、それが出発点となってほしい。ものづくりをしなければ生活は成り立たないが、これからはデザイナーだけではなく、みんなでものづくりをする時代だ。次の世代の人にはものをつくる力を自覚してほしいと述べました。

最後に関が、展覧会の作品とトーク内で紹介した「もうひとつの」作品たちを振り返り、倉俣・ソットサス・三宅のデザインに対する言葉を引用しながらトークをまとめます。

ソットサス
「デザインとは物ではなく生活に形を与えるものであり、生活や社会の空白をうめるもの」

倉俣
(本人はシャイで定義のような言葉を言いたがらなかった。これは建築家の伊東豊雄が倉俣とソットサスを指した言葉)
「何をデザインするかではなく、デザインとは何かを問いかける人」

三宅
「一枚の布、そしてその布と人間との関係を追及」

三者ともデザインについて、自由にかつ厳しく向き合ったと関。グローバリズムや情報化の波の中でのものづくりは大変な時代であるが、デザイナーは経済に助力するだけでなく、人間の未来をひらき生活の足場を固める役割がある、と述べました。

会場にはこの日、三宅が持ち込んだ倉俣によるテーブルやソファ、ソットサスのカトラリー、またこの日は会場に来ることのできなかった倉俣の友人であるイラストレーターの黒田征太郎のメッセージボードと、倉俣による子ども用チェアが特別に展示され、トークに集まった多くの来場者は、トーク終了後も二人のデザインの魅力を楽しんでいました。

民主的なデザイン

トークの様子


6月19日、「倉俣デザインの未来を語る」と題し、倉俣史朗の作品をリスペクトする若い世代の建築家によるトークが行われました。

冒頭に展覧会ディレクターの関康子より、すでに故人となった倉俣史朗とエットレ・ソットサスの大きな業績や人間性を若い世代に知ってほしい、またその想いを引き継いでほしいとの思いから本展を企画したことが述べられました。
この後はデザインディレクターの岡田栄造が進行役となり、建築家の五十嵐淳、中山英之がそれぞれに倉俣デザインの体験を語ります。

まずは岡田、五十嵐、中山の三人が、どう倉俣の作品に出合ったか。
1970年生まれの岡田と五十嵐、1972年生まれの中山は、倉俣の晩年は大学生で、彼の仕事を現役で見ていた最も若い世代です。
卒業論文も倉俣がテーマだったという岡田は、大学に入って間もなく雑誌の特集を通じて「ミス・ブランチ」を目にし、世界的に大きな評価を得ていることを伝える記事とともに大きな衝撃を受けたと言います。
北海道出身の五十嵐は、同時期に札幌の洋書店でやはり「ミス・ブランチ」が表紙だった書籍を見つけて、理論を超えて感覚に訴える魅力を感じたそうです。
一方中山は、美術の勉強を始めたころに、美術書の専門店で椅子に関する本の中で「ミス・ブランチ」を知り、その本の中で並べられたイームズ(当時はエアメスだと思っていた)等の作品に比べて倉俣作品は謎である、という印象を受けたそうです。
三者とも「ミス・ブランチ」をきっかけに倉俣作品に出会い、その体験を衝撃からスタートさせました。

五十嵐淳、中山英之


次に三人が倉俣作品をどう見ているのか、それぞれにベスト3の作品を挙げて語ります。
五十嵐のベスト3は、まず花柄のオフィスチェア(赤いバラの布ばりコクヨ椅子、1988)。これは普段よく見かけるタイプのオフィスチェアの張地を赤いバラ模様の布にしたデザイン。実は倉俣が事務什器のコンサルティングをしていたときのサンプル品で流通はされなかったそうです。しかしオフィスの中で働く人が少しでも自由を感じられるよう使用する人が張地を選べるようにと考えた倉俣の作品からは、デザインが現実にどれだけ自由をもたらすことができるかという強い意志を感じることができると述べました。二番目に選んだのはClub Juddの内装(1969)。スチールパイプを積み上げ、曲げた壁は単一素材の持つピュアな印象から逸脱しています。解釈する者の「誤読」の幅をどれだけ広く持てるか。これを五十嵐は「夢」と表現しました。
三番目は「エドワーズ本社ビルディング」の内装(1969)。蛍光灯の柱を林立させたデザインはこの後の五十嵐の作品にも影響を与えているのではないかと言います。

中山のセレクト一つ目は「Flower Vase #2」。鉄筋コンクリートを例に出し、圧縮に強いコンクリートと伸長に強い鉄を併用することで理想的な素材になったことと同じように、透明なアクリルの中にカラーのアクリルを埋めることで、カラーのアクリル単体より、より強く色を感じることができると述べました。
二番目は「64の本棚」(1972)。これはあらかじめ64に細かく区切られた棚で、使いやすさやフレキシブルの逆をゆく家具。しかし中山は、ものに主導があるような不条理が却って使い手に思考するきっかけを与えるのではないかと言います。
三番目は「ハウ・ハイザ・ムーン」(1986)。通常のソファーが皮張りや布張りであるのに対し、これはメタルのベンチ。なんのためにつくったのだろうという謎を中山は現代美術を参照しながら「ない」を表現したものではないかと述べます。倉俣が語った「一日に座っている時間より座っていない時間の方が多い」言葉を引用しながら椅子に座らないことで座ることを考えさせる椅子だとまとめました。

岡田のベスト3は、まず倉俣の代表作「ミス・ブランチ」。いわゆるモダンなデザインは装飾的要素を削除しストラクチャーのみで構成しているのに対し、「ミス・ブランチ」では表面に施すような花のモチーフを椅子の内部に埋め込み、装飾の構造化に挑んでいると述べました。「ミス・ブランチ」から20年以上たった今、様々な価値観が存在するなかで合理的なものとそうでないものの差がなくなってきているのではないかと指摘。倉俣の作品はこの光景を予見していたのではと驚くとともに、これからのデザイナーの役割について考えさせられると述べました。
二番目は「ラピュタ」(ベッド、1991)。特徴的に細長い形状から、岡田は倉俣の独特の身体性に言及しました。これについて中山は完成形の放棄に対する倉俣の責任の取り方だと述べ、五十嵐も、ベッドはこうあるものとすぐ分かる形を放棄してこそ使い手に自由を与えていると述べました。
三番目は「アモリーノ」(1990)。一見普通のキューピーですが背中の羽を動かしながら回転し、ウインクをする仕掛けになっています。通常、道具は身体の拡張手段としてデザインされているが、このキューピーはそれ自体が意志を持っているよう。無邪気でかわいいだけのはずのキューピーが「あなたをわかっています」とウインクする恐ろしさ。人型ロボットなどを参照しながら「意志を持つもの」がデザインの中に増えている現状もふまえて倉俣はここでも何かを予見していたのではないかと語りました。

トークは次に、倉俣作品とそれぞれ自身の作品との接点に展開。

五十嵐は自身の作品から「矩形の森」(2000)、「大阪現代演劇祭仮設劇場」(2005)を挙げ、これまで空間のなかで邪魔と扱われていた柱の採用、塩化ビニールによる抽象的な外壁の採用を通して使い手の方向性を決定しない空間づくりをしてきたと述べました。
これは続いて発表した中山の設計した北海道の平原でのカフェにも通ずる考えで、建築やデザインそのものに意味や用途を込めるのではなく、環境のなかで使い手が行動するための、きっかけとしてのものづくり。
中山は、この発想を教えてくれたのは倉俣だったと述べました。

トークの様子


さてトークはいったんここで終了。質疑応答に移ります。
トーク中に多く出た「椅子」について、登壇者のそれぞれがデザインする場合は何に注力するかという質問に対して、中山は自分が座ることと自分が座っている状態の全てに意識的でいたいと述べ、五十嵐は建物の天井など体に直接触れない部分に比べて椅子は迷う部分が非常に多いが、感覚的な問題と論理的な問題に優劣をつけずに実現させたい、一方で倉俣の椅子は無限に広がりをもっており今後も目標となるだろうと述べました。

話題がソットサスの「バレンタイン」(1969)に及んだとき、このタイプライターがデザインされた当時、タイピングは女性がオフィスでするものだったが、ソットサスはポータブルなデザインとオフィスらしからぬ赤い色でこの職業に自由を与えたエピソードが出ました。
また、倉俣が「管理者側から考えられているファシスト的なデザインは嫌だ」と述べた話から、岡田は彼らのデザインが用途や状況に束縛されたものではなく、とても「民主的」で、誰にとっても開放されたものであった、と述べ、思想的に引き継ぎながらも現在の社会と関わっていく中でわれわれはデザインを続けていく必要がある、とまとめました。

かたちの向こう側にあるもの

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第2回


根源的な喜びとは?

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展の主題は、「夢見る人が、夢見たデザイン」。倉俣さんの約30年、ソットサスの60年以上に及ぶ創作活動を経て辿りついた作品を通して、機能性や効率性を追求する文明としてのデザインというよりも、むしろ、人が生きるうえで欠かすことのできない愛や夢など精神性を探求する文化としてのデザインを再考すること。それは、二人が残した作品だけでなく、言葉や文章を読み込むことによって得ることのできた主題でした。

たとえば、倉俣さんのこんな言葉......
「ソットサスと出会って以来、私はある種の使命を確信しています。それは機能を実用性から切り離し、デザインにおける美と実用性の真の一体性を理解させることです。デザインにおいて、根源的な喜びが機能を超えなければならないと......」
ここにある「根源的な喜び」とは何なのでしょう?

あるいは、ソットサスもこんな言葉を残しています。
「現代文明には、アイロニー、神秘、謎、曖昧性をさけ、ありとあらゆる瞬間に、生命の中で、あらゆることについて絶対的価値を知るものだという前提があるんです。私にとって生活、生命というのは、知ることのできない問題なんです」

ITというツールを得た私たちは、世界中で起きていること、情報や知識を何でも知りたいし、理解したい......という衝動に駆られています。しかし、そのことが、果たして幸福につながるのだろうか? あるいは、白か黒か、0か1か、売れるか売れないか、勝つか負けるか、デザインがこうした土壌にのってしまっていいのだろうか?
2人の作品や言葉の中に、そんなメッセージをくみ取ってしまうのです。

会場風景
会場風景
会場風景
会場風景

かたちの向こう側にあるもの

三宅一生さんは、ソットサスデザインのカトラリーを愛用しています。何でもない当たり前のデザイン。ナイフとフォークと言って、だれもが思い浮かべる究極のかたちをしたもので、三宅さんは初めソットサスデザインとは知らずに、アレッシィのウィンドウにあったカトラリーの美しさに思わず足をとめてしまったそうです。そんな三宅さんに対して、ソットサスは生前、こんな話を聞かせてくれたとか。「紙コップでワインを飲んだら、ただそれだけ。クリスタル製のグラスだったら? グラスの扱いに注意するだろう。 そうした意識や振る舞いこそが大切なんだ」。そのソットサスはあるレクチャーで「デザイナーの仕事は、製品にかたちを与えるのではなく、人々の生活にかたちを与えること」と述べています。

一方、倉俣作品については、建築家の伊東豊雄さんが「倉俣作品はかたちではなく、状態を表そうとしていた。倉俣さんの作品は空間を表現していたのではないか」と語っています。二人のデザインが「かたちの向こう側にあるもの」を見つめていたのではないかと感じます。

アレッシィ社のためにデザインされたソットサスのカトラリー
アレッシィ社のためにデザインされたソットサスのカトラリー

さて、「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展は、倉俣さんの70年代の作品「ソラリス」とソットサスのインダストリアルデザインの名品「バレンタイン」を展示に加え、7月18日まで会期延長となり、関連プログラムをいくつか追加いたします。

6月25日はいよいよ三宅一生さんの登場です。倉俣さんの人柄とクリエイティビティに魅了され、仕事場のインテリアや家具のデザインを依頼、日常生活でも倉俣作品を愛用している三宅さんが、現物を持ち込んで雑誌などには紹介されていない「ANOTHER KURAMATA / SOTTSASS DESIGN」について、使い手という立場から語ります。そこには三宅さんだけが知っているエピソードや、倉俣史朗、そしてソットサスのもうひとつの姿があるに違いありません。
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関 康子

イッセイミヤケのオフィス
イッセイミヤケのオフィス

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第3回 へ

レクチャー 「ソットサスを生み、倉俣史朗を刺激したイタリアデザイン」

レクチャーの様子


5月28日、30年以上イタリアデザイン界に身をおき、倉俣史朗、エットレ・ソットサスをはじめとしたデザイナーや建築家とも交流を持つデザイン・ジャーナリストの佐藤和子を迎え、レクチャーが行われました。

本展ディレクターの関より本展概要と佐藤の紹介ののち、レクチャーはスタート。今回の展覧会は、倉俣とソットサスの交流が深まった1980年代以降を始点としていることから、1980年以前のイタリアデザイン史をメインに進んでいきます。

1960年代に推し進められていた社会工業化。1970年前後にはそんな社会にひずみがうまれ、建築家やデザイナーが社会に物申す姿勢が表面化したと佐藤は話します。フィレンツェにスーパースタジオやアルキズムの若いアヴァンギャルド建築家集団が登場した時代を「デザイン空白時代」と呼びました。当時の運動のマエストロ的存在であった建築誌「カサベラ」を中心に、イタリア中の若手建築家たちが論議を行っていたそうです。

その後、失業者が増え、社会的に暗い時代が続くと、建築家たちの間からも「(マイナスな)状況を乗り越えよう!」という前向きな活動が起こりました。 1979年、アヴァンギャルド・デザインの「スタジオ・アルキミア」に、ラディカル建築家たちが集まり、「バウ・ハウス・コレクション」を発表。その後、ソットサスは、スタジオ・アルキミアから離れて、国際的な若いデザイナー集団の、脱デザイン「メンフィス」展を1981年に発表。ポストモダン時代が始まります。メンフィスの主な素材は、人工的図柄を描いたプラスティック・ラミネート板だったので、この素材は建築のインテリア素材として広がり、大衆素材として国際的に普及しました。佐藤はメンフィスを「家具でない家具」「建築:デザイン・アートの境界を越えた家具」という、今までの既成概念を超えた文化運動だったと語りました。

イタリアデザインの歴史をなぞったあと、レクチャーはソットサスと倉俣の個人のデザインに焦点が絞られました。佐藤はソットサスには「メンフィス」の派手なイメージが強いが、企業の堅実なデザインも数多く手がけ、長年続けていた仕事だったことにも言及。本展の会期延長に伴って追加展示された、オリベッティ社のタイプライター「バレンタイン」や、現在も売れているアレッシィ社の食卓シリーズもそれらの一部。「事務機の機能性は損なわないままソフトでオシャレにしたり、生活必需品のデザインをアノニマスなものにしたり、ソットサスは時代を先取りしていた素晴らしいプロダクトデザイナーだった」といいます。

レクチャーの様子


本展では、倉俣の作品は1980年以降にしぼって展示していますが、それ以前のデザインも同様に魅了的だったと佐藤。建築デザイン誌「domus」に、 1984年彼の略歴を一切省いて掲載した倉俣インタビューの経緯を映像で示しながら、佐藤は、当時、倉俣に対する海外の関心がいかに高かったかを語ります。倉俣が初期に多く手がけていた引出しモチーフのエピソードや、未来のデザインについて、実際のインタビュー内容もいくつか紹介しました。また、倉俣の詩のように美しくてユニークな言葉を、イタリア語に翻訳して記事にすることは、とても難しかったという裏話も披露しました。

佐藤はソットサスと倉俣はモダンデザインやポストモダン・デザインをも超えた、時代の先を見ていたデザイナーだったといいます。「真実と虚構の間を行ったり来たりしていたように見えた二人のデザインには、見ている者にとって意図が掴み切れないミステリーがあった」そう。ソットサスが「楽しい人間の在り方を探す」行為だと表現したデザインは、まさにものづくりの「営みの原点のような行為だった」と締めくくりました。

トークの最後には質疑応答が行われました。関からのイタリアと日本のポストモダンの違いや、イタリアの文化活動が日本にどれくらい影響があったのか、など歴史に関する質問から、倉俣デザインがヨーロッパで人気の理由や、ソットサスの人材育成にも話題が及び、時折笑いも起こるような穏やかで充実した時間となりました。

イスラエルのDesign Museum Holonに巡回!

Photo: Shay Ben Ephraim
Photo: Shay Ben Ephraim
Photo: Shay Ben Ephraim
Photo: Shay Ben Ephraim

昨年21_21 DESIGN SIGHTで開催されたリー・エデルコート ディレクションによる企画展「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展が、イスラエルのDesign Museum Holonにて、1月27日~4月30日まで開催されました。
21_21 DESIGN SIGHTから海外に巡回した、初めての展覧会です。

http://www.dmh.org.il/default.aspx

会期延長にあたり

この度は、東日本大震災でお亡くなりになられた方々、被災された方々におかれましては、心よりお悔みとお見舞いを申しあげます。そして、一日も早く、生活や仕事の環境の復興が果たせるよう、私たち一人ひとりができることを実践してまいりたいと思います。
そんな中、「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展の会期が延長されることになりました。震災の影響は日本社会全体におよび、物質的側面だけでなく、精神にも大きな影を落としています。このような時期だからこそ、第二次世界大戦による荒廃を目の当たりにした倉俣史朗とエットレ・ソットスが、その人生で辿りついた「夢と愛に満ちたデザイン」に触れていただきたいと考えます。美しいアートやデザインは、人が生きていくうえで欠かすことのできない「心の栄養」なのではないでしょうか。延長にあたり、まさに現在のモバイル機器を予感させるソットサスの代表作「バレンタイン」、80年代に向けて倉俣デザインの変化を予兆する「ソラリス」を展示いたします。皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

関 康子(本展ディレクター)

展覧会ポスター

特別対談 「80年代はインテリアデザインの時代だった」

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4月23日、倉俣史朗、エットレ・ソットサスと同時代に活躍し、公私ともに親交が深かった、インテリアデザイナーの内田 繁と本展ディレクターの関 康子が、展覧会の出発点でもある80年代デザインの背景とその「可能性」を探る特別対談が行われました。

はじめに、関がAXIS誌の編集者としてデザインに関わり始めた80年代の「5つのポイント」を紹介。ポストモダンやポストインダストリーという思想の台頭と、多くの日本人が衣食足りて住空間に目を向けた社会・文化的背景。空前のバブル景気の後押しで、様々な実験的デザインプロジェクトや企業の開発が実現した経済的背景。日本企業や日本人デザイナーの、本格的な海外進出。コーポレート・アイデンティティ(CI)ブーム。そして、80年代半ばのパーソナルコンピュータ(PC)の登場と普及。

ソニーの「ウォークマン」に見られるモバイルというコンセプトやホンダの「シティ」に代表される都市的感覚、「無印良品」などのショップの誕生や数々のデザイン誌の発行など、80年代デザインの背景と軌跡を丁寧に解説しました。

続く内田は、「80年代を語る前に、60年代、70年代を総括する必要がある」と発言。パリ五月革命をはじめ、世界で様々な出来事が起こった1968年、「工業の中に人間性が閉じ込められた」社会から大きくパラダイムが転換し、「日常性」が注目される70年代に突入したと語ります。世界があっという間に変わるということを肌で感じていた時代、それを目に見えるかたちに表現できるデザインだけが時代を変えられると、多くのデザイナーが夢見たと言います。

倉俣は、それまで「純粋性に欠けた軟弱なデザイン」と見なされていたインテリアを、内田に「商業空間もデザインだよな」と言って、住宅やオフィスと違い誰もが自由に触れられるショップや飲食店のデザインに力を注ぎ始めたそう。内田は、当時の写真を見せながら、壁、床、什器が一体となってひとつのイメージを伝える、倉俣インテリアの魅力を語りました。

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内田にとって倉俣は、「工業化と芸術のギリギリをわざとやって、その違いを際立たせた」デザイナー。ソットサスは「キッチュで誰も相手にしないデザインをわざとやって、世界に対して皮肉を込めた」デザイン。その二人が内田のプロデュース、アルド・ロッシの建築で夢の競演を果たした「イル・パラッツォ」(1989年、福岡、ホテル)では、日伊のデザイナーの考え方の根本に近いものを感じたそう。それは、「見えないものがこの世の中にあることを知っている」ということ。彼らは「すべてのものを見えるようにする近代において、目には見えないもの、わからないことを、デザインで語り合った」のだと言います。

内田はまた、ソットサスの仕事を「文化人類学的な連続された時間」、倉俣を「認知心理学的な切断された時間」と表現し、世界中を旅して「人間の生命や生活を支える愛や希望など、根源的なものの大切さを背景にした」ソットサスと、「時間を完全に超越し、晩年は今生の世界では考えられないことも題材にした」倉俣のデザインを比較しました。

トーク終盤、内田は20世紀が最も嫌った「ぼやけたもの、霞んだもの、透けたもの、揺らいだもの」をテーマにニューヨークで開催された自身の展覧会に触れ、「本当はその中に人間のつながりや大切なものがあるのではないか。私たちは見えるものだけを信じて生きてきたわけではない。今、ますます見える世界だけがデザイン世界であると考えられている。見えない世界があることを確実に知っていた時代について考え直す時期だ」と、来場者に力強いメッセージを投げかけました。

質疑応答では、震災後のコーポレート・アイデンティティや新しいデザイン、安心や安全とは何かなど、多岐にわたる議論が展開されました。関は、「物質社会があまりにもろいことを目の当たりにし、本当の豊かさについて改めて考える今こそ、第二次世界大戦後の荒廃を経験した二人のデザイナーがその人生で到達した、夢と愛にあふれたデザインにぜひ触れて欲しい」と、東日本大震災後初めて開催された特別対談を締めくくりました。

子どもたちが「カチナ」づくりに挑戦!

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第1回


4月9日、子どものためのワークショップ「カチナをつくろう!」を開催。小雨の降るなか、元気な子どもたち15人ほどが集まってくれました。今回は、アーティストの佐藤文香さんが講師を引き受けてくれました。

本展では、の最晩年のアートピース「カチナ」を20点展示しています。カチナとは「ネイティブアメリカンが信仰する超自然的な存在で、カチナドールはそれらをかたどったもの」で、人々の想像力を駆り立てるこの人形は、近年ではアートとして評価されており、ジョージ・ネルソン、猪熊弦一郎など、「カチナ」にインスパイアされた作家は多く、ソットサスもその一人。彼は1950年代、ジョージ・ネルソンからの誘いで1年ほどアメリカに滞在しており、その時に「カチナ」の存在を知ったのです。そして最晩年に自分のためのカチナをスケッチの残し、アートピースとして実現する前に亡くなりました。

今回のワークショップでは、まず、子どもたちにカチナとは何かを知ってもらい、子どもたち一人ひとりにとってのカチナを、目をつむって、耳をすまして、想像してもらうことから始めました。それをさまざまな用紙をコラージュして自由に表現してもらいます。

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ソットサスの描いたカチナの前で。

大人同様、子どもにとっても自分の気持ちや思いを表現することはとっても大切。表現の仕方は、遊びでも、運動でも、音楽でも、お友達とのおしゃべりでも何でもOK。でも、時には、自分の心と向き合って、試行錯誤しながら、じっくり何かを作り込んでいくという時間を過ごすことで思わぬ発見があるかもしれません。今回のワークショップでも、佐藤文香さんやお父さんお母さんが見守る中で、子どもたちが魅力的な作品をたくさん作ってくれました。このワークショップに参加してくれた子どもたちのなかから、将来、ソットサスや倉俣さんに負けない、素敵なアーティストやデザイナーが生まれてくれれば...と願わずにはいられません。

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会場は21_21 DESIGN SIGHT 内のサンクンコートに面したスペース。
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床には、色とりどり、いろんな種類の用紙が。
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講師をつとめたアーティスト佐藤文香と参加者。
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一緒に来たお父さん、お母さん、兄弟たちも作品作りに参加。
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1時間ほどで、たくさんのカチナが完成。お家のカチナ、水族館や動物園のカチナ、楽器のカチナなど、どれも魅力的なカチナばかりです。
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最後に、子どもたち一人ひとりが自分のカチナの発表を行いました。

関 康子

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第2回 へ

展覧会がさらに楽しくなる2つのトピックス

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 続編


「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展がオープンして2ヵ月近くがたちましたが、会期を延長して7月18日まで開催しております。倉俣史朗とソットサスの作品を直接見ることのできるまたとない機会、何度でもご覧いただきたいと思います。一度は終了したウェブコラム「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展への道」ですが、今回は「続編」として、展覧会をさらに楽しんでいただくための2つのトピックスをご紹介します。


トピックス1:倉俣さんの言葉

本展では、倉俣作品は1980年代以降の代表的な家具や小物を中心に65点ほどが展示されています。その中から、生前の倉俣さんが作品について自ら書き記したテキストやインタビューをご紹介しましょう。これらの文章を念頭に作品をご覧いただくと、また別の世界が広がりそうです。

Begin the Beguine

(略)85年にヨゼフ・ホフマンのデザインした椅子を燃やして作品をつくったことがあるんです。
トーネットの有名な曲げ木の椅子にスチールをどんどん巻きつけ、その接点を全部溶接し、最後に木部に油をしめらせ燃してしまい、外のスチールだけを残したんですが、椅子を燃やした時、いかに椅子が身体的であるかということを痛切に実感しました。 それまでは観念的にとらえていたんですが......、もう二度とつくりたくないと思いました。
(『CHANCE』1988年 Summer No.7)

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展覧会場風景、ビギンザビギン
Photo: Masaya Yoshimura

Terazzo

2年前、六本木・アクシスビルの地下の店舗の床にステンレスのチップ入りテラゾーを使いました。それと同時に、カラーガラスのくずや、透明ガラスや、コーラーのビンのくずを入れていろいろと試作を続け、結局、小型トラック1ぱい分ぐらい作ってみました。
友人たちはいろんな感想を言ってくれます。透明のものを「地獄」とか、カラーガラスのものを「極楽」とか、職人さんは「スターピース」と名付けてくれました。ぼくにとっては、すべて「記憶の破片」です。
(『商店建築』1983年5月号 No359)

How High the Moon

高速道路のフェンスや工事現場で使われるエキスパンドメタル。銅メッキを施したこの椅子は、まったく違う表情を持ち、視覚的にも重量的にも無重力を指向する。(中略)
この椅子で試みたことは、従来の椅子の形態はそのままにして、ボリュームを消し去り、物理的にも、視覚的にも軽く、風が遊び抜ける。在ってないようなもの......
意識・無意識のうちに無重力願望が、僕がものを造る時の下敷きになっているのかもしれません。そういう意味でこれは、「無重力願望の椅子」といえるでしょう。
(『家庭画報』1987年3月号)

トワイライトタイム

このテーブルの脚部は安価なエキスパンドメタルを円錐に近い形にし、強度を保たせ、それにクロームメッキを施し、末端を硝子に10mmさしこみ接着剤で固定したものです。脚部がトップの硝子を単に支えるという、従属的な或は迎合的な関わりではなく、たがいに無関係な状態において自立することを試みたもの。そのために脚部とトップの硝子の接合部を極端に省略することを計りました。(この施工は三保谷硝子の名人芸によるものです)
(『室内』 1985年11月号 No.371)

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展覧会場風景、ハウ・ハイ・ザ・ムーンとトワイライトタイムのあるゾーン
Photo: Masaya Yoshimura

Miss Blanche

この椅子には、ディテールがありません。いや、全体がディテールとお考えください。
これは、T・ウイリアムスの『欲望という名の電車』のミス・ブランチ・デュボアへのオマージュです。
(『室内』1989年1月号No.409)

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展覧会場風景、ミス・ブランチ<
Photo: Masaya Yoshimura

コパカバーナ

It altogether brilliantly materializes the conjugation of functionality, wit, humour and modernity. It is a new vision of a very traditional handbag. It succeeds, without altering its image, in giving shelter to a series of little secret trawers wthich pile up in waves of pink leather, only keeping from the original model a formal reference for future use.
(『PETITES ARCHITECTURES NOMADES』展 カタログ 1998年 Gallerie Yves Gastou, Paris)

Laputa

(アンドレア)ブランジはこの未来の家のプロジェクトに対して、彼の他8人の新しいデザインの代表者たちを集めた。彼ら各々がパラッツォストロッツィの中の空の部屋に、未来の"住"の質を表現することを意図としたひとつひとつのドメスティックな風景、舞台装置を実現させた。(中略)
僕には精神的ルールは無い。それについて考えたこともない。僕は意識からもまた自由でありたい。
僕は何も無しで生きたい。家もなく、故郷もなく、何もない。家は僕にとっては空虚だ。現代の家々はほとんどの場合記号やしるしであふれかえっている。
空虚というのは記号論ではなく認識コードが欠けたという意味です。
(『La Nazione』紙 1911年1月 文化欄)

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展覧会場風景、ラピュタのあるコーナー
Photo: Masaya Yoshimura

いかがでしたか? 倉俣さんの言葉......。作品同様、機知に富んでいて、素敵ですね。


トピックス2:キッズ用ワークシート

本展の来場者には、たくさんのご家族連れ、お子様もいらっしゃいます。デザイン展というと、「子どもにはちょっと分かりづらい?」「子どもが一緒だとゆっくり見学できない」とお考えの子育ての世代の方も多くいらっしゃるでしょう。でも、本展では、心配ご無用!子どもも楽しく展覧会が楽しめる「キッズ用ワークシート」を用意しております。私事で恐縮ですが、10年前に友人と会社を立ち上げ、子どもの遊びと教育のための商品企画や編集の仕事もしているのですが、エデュケーショナルトイの代表的なものに「パターン遊び」があります。動物や乗り物などの具体的なモノのかたちをあてたり(下図参照)、三角、丸、四角など幾何学を使ってさまざなパターンを作って遊んだりします。

子ども向けツール
展覧会ツール「これ、どこにあるのかな?さがしてみよう!」
アニマルパズル
パターン遊具のひとつ、スイス・ネフ社のアニマルパズル
©ニキティキ


本展では、子どもも十分楽しめるソットサスのカチナシリーズ、美しいシルエットの倉俣作品がたくさん展示されているので、このパターン遊びを応用したワークシートを作ってみました。これを手に、ご家族で作品とグラフィックをマッチングして遊んでいただけるという仕掛けになっています。シートは本サイトからアウトプットもできますし、展覧会受付にて配布しています。子どもがデザインに出会うきっかけになってくれればうれしいです。
4月9日(土)に、こども向けワークショップ「カチナをつくろう!」も行います。
皆様のご参加をお待ちしております。

関 康子



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トーク 「倉俣史朗と格闘した職人たち」

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3月5日、倉俣史朗のものづくりの実現に欠かせない石丸隆夫(株式会社イシマル代表取締役)と三保谷友彦(株式会社三保谷硝子店代表取締役)、クラマタデザイン事務所で多くの創造の瞬間に立ち会ってきた近藤康夫(デザイナー)と五十嵐久枝(インテリアデザイナー)を迎え、素材、技術、加工について語り尽くす「倉俣史朗と格闘した職人が語る、モノづくりの現場」が行われました。

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1986年にクラマタデザイン事務所に入社し「現場とともに育ってきた」という五十嵐は、オープン前日に突貫工事を行ったショップデザインの「産みの苦しみ」などを例にあげ、職人とだけでなく、クライアントとの信頼関係も強かった倉俣の姿を語りました。倉俣は、床から壁、天井、建具や家具に至るまで一枚でつくられたように見せるなど、「素材の規格や目地に捕われたくない」という思いが人一倍強かったといいます。

パレスサイドビルの看板を図面なしで制作して以来、倉俣のプラスチック作品全てを担当した石丸は、名作「ミス・ブランチ」の制作秘話を披露。当初は生花で実験をしたが、色・形ともに良い結果が出せなかったため、アクリルと相性の良い造花を探し、最終的に一番安い染料と布でつくったバラを五十嵐が見つけてきたエピソードなど、「最初から最後まで、材料を互いに集めて研究しあってきた」という倉俣との関係について語りました。

ガラスを天井や扉、棚に使う倉俣との仕事から、それまであまり興味の持てなかったガラスの仕事に「やる気が出た」という三保谷は、ガラスの緊張感を見事に表現した「硝子の椅子」や、「ガラスが一番きれいな瞬間は割れるとき」という会話から生まれた「割れ硝子」の作品群を紹介。「苦しい、悩む、でも楽しい」職人の理想と現実について話すとともに、シャレやオチが大好きだったという倉俣の人間的な一面も語りました。

70年代にクラマタデザイン事務所に務めた近藤は、プラスチックやガラス、木、金属など、素材ごとに「自分を理解したうえでいろんなことにチャレンジしてくれる人が近くにいる」状況が、倉俣にとってこの上なく心地よかったのではと語ります。何より自分のペースに巻き込むのが上手だったという倉俣から、デザインや時代において「感動」がどれほど重要か、そして作品を見た人が何を考え、どう感じるかを大切にすることを学んだといいます。

倉俣の残した言葉で印象的だったのは、「観念的にならない方が良い」(五十嵐)、「これからはガラスがアクリルの真似をする」(三保谷)、「材料に頼ってデザインしたらダメ」(近藤)、「江戸っ子で行こうね」(石丸)。トークの司会を務めた本展ディレクターの関 康子は、「デザインにおいて、根源的な喜びが機能を超えなければならない」という倉俣の言葉が展覧会をつくるうえで大切だったと語り、倉俣はその「根源的な喜び」を、生きること、そしてつくることの両方に見出していたのではないかと、熱気に満ちたトークを締めくくりました。

特別シンポジウム 「磯崎 新と語ろう!-倉俣史朗とエットレ・ソットサス」

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2月11日、建築家 磯崎 新と、インターネットによる公募から選ばれた井上真吾、松原 慈、溝口至亮、Nosigner、鈴木清巳5人を登壇者に迎え、展覧会特別シンポジウムが行われました。

まずは本展ディレクターであり、今回はモデレーターも務める関から展覧会や、倉俣史朗とエットレ・ソットサスの生涯や仕事の軌跡について紹介。その後シンポジウムは2部構成で進みます。

関から話し手のバトンが渡されると、第一部は磯崎による「ポスト・フェスティウム(祭りの後に)――エットレ/シローの1975年」と題したレクチャーがスタート。磯崎はメンフィスが始まる前の時代、倉俣とエットレが何をしていたのか、どんな付き合いがあったのか、その時代を同じく過ごした目線で語りました。
レクチャーの中では、ソットサスと倉俣がそれぞれ参加していた展覧会についても紹介。1976年「MAN Trance FORMS」展でそれまでしていたような「デザインをしたくない」といってソットサスが出展した写真作品は、「芸術的ではなく、ただの写真であった」といいます。一方、1978年「間」展に磯崎たっての希望で参加した倉俣は、出来たばかりの硝子同士の接着技術を使って、硝子の板で瞑想の部屋を作りました。
60年代にはどれだけ目立つかが「デザイン」だったが、70年代は「自分自身とデザインを批評しながら追い詰めていく」という、複雑な思想をもったジェネレーションだったと、彼らを見ていた磯崎はのちに理解したといいます。
それからソットサスと倉俣のプロダクトを、磯崎自身の作品や現代の作家の作品と比較しながら紹介。メンフィス以前の時代から30年後の今、当時のものづくりの姿勢を復活させようとしている人たちがいるようだ、と磯崎は締めくくりました。

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磯崎のレクチャーが終わると、5人の登壇者も登場。第二部は自らの活動や開発を発表した後、磯崎に質問をするかたちで始まりました。

当時と現代との違いや、似ている点、その中であるべき姿勢を語り合う中で、磯崎は倉俣やソットサスとのエピソードも披露。毎日1個ずつデザインをしていかないと追いつかないほど忙しかったという倉俣や、ソットサスとのユニークな会話の思い出に、会場からは笑い声も聴こえました。「現代に生きていたら2人は何をすると思いますか?」という質問に「昔と同じことをやるか、やらないかどっちかだろうと思う」と答えた磯崎。ものづくりに関わる環境や社会状勢が変化している中で知的に想像するのは難しいといいます。2人がいた時代を想像しながら、現代のこれから見据える登壇者たちの発言に、磯崎は大きく頷きました。

最後に関から、展覧会のキーとなっている1980年代がどのような時代だったかを質問。磯崎は「ポストモダンの時代に進む中間で、近代を否定しながらも次を見通せていたわけでもない、ごちゃごちゃとした時代だった」と答えました。かつての環境や情勢、デザインへの思考が、30年後に再びメジャーとなる「30年サイクル」の存在を説くと、倉俣やソットサスと過ごした80年代から30年たったのは今であると提言。以前と同じことをそのまま繰り返すのではなく、次に時代を作らなければならないのは君たちだ、と力強いエール送りました。
登壇者の背中をおす温かな拍手に包まれて、シンポジウムは終了となりました。

エットレ・ソットサス随筆集 "SCRITTO DI NOTTE" より

ある晩、私たちは三宅一生さんのスタジオに行きました。夕暮れ時で、街には夕闇が迫り、明かりが灯り始めていました。冷たい風が吹き、社員は皆帰った後でした。一生さんはまだ仕事が残っていると言って、部屋から出て行きました。残った私たちは大型テレビでフィルムを少々見た後、上階にある大きくてがらんとした部屋に行きました。白くて静かで、木製の長い床板が貼ってある部屋でした。部屋の真ん中に、一人の日本人女性が身じろぎもせずに立っていました。とても美しい女性で、顔を白塗りにし、豊かな黒髪をたたえ、前髪を額に垂らし、東洋的な黒い瞳をしていました。非常に大きな、インディゴ・ブラックのドレスを身にまとっています。肩には巨大なパッドが入っていて、パンツは袋のようにゆったりしていますが、裾は足首にぴったりフィットしています。その姿は東洋の彫像や護衛の侍のようで、切腹や戦闘の装束を思わせます。偉大でエロティックな古代の女王です。彼女はバレエのようにゆっくり腕を動かし始め、徐々に向きを変えた後、再び静止しました。そして、あふれんばかりの女性らしさを自身の内にみなぎらせていました。そうしてゆっくりお辞儀をした後、広いフロアの向こう側へと去って行きました。私もまた何も言わず、身じろぎもしないままでした。実際、感動して言葉が出なかったのです。一生さんは彼特有の少年のような笑顔を浮かべて、私を見ました。「してやったり」とでも言いたげな表情でした。
その間にすっかり日が暮れて、倉俣史朗さんが到着していました。私たちは倉俣さんと一緒に、彼が設計した寿司屋に行きました。店は黒ずくめで禅の要素が感じられ、赤い脂松(やにまつ)でできた艶やかなカウンターがありました。何時間もかけてあらゆる種類の寿司を食べたほか、かにみそなど、とても変わったものも食べました。当然お酒もずいぶん飲み、酔っぱらってディスコに行ったのですが、その後どうなったかは分かりません。覚えているのは、大勢の人々で混雑した午前3時の大通りで見た光景です。何百万もの電球やネオンといったライトやタクシーのサインが、光り輝いて燃え上がる河のように見えたのです。 そしてはるか頭上にあるセメント製の高架道路が、その河を脅かしているように見えました。

完璧なものを失うということは、常に起こります。魔法を見つけられなくなってしまうということも、常に起こります。私は昔、朝早く森でラズベリーを摘んだものですが、例えばそんな時間がそれに当たります。ありふれた想い出ですが、かつて存在し、失ってしまった完璧なものに対する個人的な想い出に、とても郷愁を感じます。実際、私は個人的な郷愁に取り憑かれているとともに、遠く太古の時代まで遡る公共の歴史に対する郷愁にも、どうやら取り憑かれているようです。その理由は、特別で完璧なものの一部は既に永久に失われてしまった、ということを痛感しているからです。私たちは様々なものを捨て続け、さよならを言い続けています。多分、課題は、完璧なものを新たに創作しようと努力することでしょう。とにかくあらゆる瞬間は完璧なものであり、完璧にすることができるのだと、考える努力をすることです。つまり、永久に郷愁を感じ続けることができる完璧なものを新たに創造することこそが、永遠の課題なのです。

エットレ・ソットサス

オープニングトーク 「ソットサスの生きた時代とデザイン」

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Photo: Guido Cegani

2月5日に、オープニングトーク「ソットサスの生きた時代とデザイン」が行われました。

トークは、「シロウとエットレと一緒の、雲のようにふんわりとした幸せな思い出に満ちた東京。二人のいない東京を訪れるのは不思議でさみしい」というエットレ・ソットサスのパートナー、バルバラ・ラディーチェ・ソットサスの挨拶から始まりました。

バルバラは、半年前に出版されたソットサスの自伝から、三宅一生や倉俣史朗も登場する、東京について書かれた文章の一節を紹介しました。

続いて、イタリアデザインに詳しい佐藤和子が登壇。戦後のモダンデザインの黄金時代を経て、社会と密接に関わる建築学生だったソットサスが、古い時代の分析から新しい世界を見通し、バルバラとともに「メンフィス」を立ち上げるまでのプロセスを、時代背景や空気感を交えて解説しました。

バルバラは、「メンフィス」のルーツを60年代にまでさかのぼり、消費者主義への批判から「人々は何をするべきか、人々はなぜデザインをするのか」を徹底的に追求したソットサスの、コンセプチュアルな活動を紹介。人類の運命とは、人間の権利とは、動物が求めるものとは何かを問う、デザインと建築への長い「瞑想」を経て、ソットサスはそれを実践にうつす時を迎えます。

1980年、デザインはプロトタイプではなく、生産・販売されなくてはならないとの考えから、ソットサスは国際的なグルーブ「メンフィス」を結成。デザインの新しい考え方や可能性を探求する展覧会を続けます。「椅子ではなく新しい座り方を模索した」ソットサス。一度も立ち止まることなく、常に新しいことに挑戦し続けた彼の姿を、バルバラは次の言葉で締めくくりました。

「私はコンパスで描いた円よりも、手で描いた円に守られている―エットレ・ソットサス」

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続いて会場との質疑応答。展示作品の「カチナ」については、「デザインはグッドラック(幸運)をもたらすべき」と考えていたソットサスが、ホピ族の守り神を通して未知なる世界へ一歩近づきたかったのではと語るバルバラ。プライベートでは、「優しく、強く、好奇心にあふれ、人とは違う視点や視野を持っていた。人生を楽しむことが大好きで、でも仕事がないとナーバスになるほど仕事を愛していた」人物だったそう。

「メンフィス」を主導したソットサスについてのトークにふさわしく、会場は日本語、英語、イタリア語の飛び交う国際的で温かいムードに包まれました。

展覧会開催にあたり

僕らが活動を始めた1960年代初頭は、日本も敗戦から立ち直り経済復興の真っ只中。優秀なデザイナーがたくさんいましたが、中でも倉俣さんはヒーロー的な存在でした。例えば、彼の素材の使い方。どんな素材も彼の手にかかると、見たこともない魅力的なデザインに生まれ変わっている。
人間的にも、仕事の上でも僕たちは皆、倉俣さんを心から尊敬していたのです。日本のデザインはギュッと詰まって無駄がなく合理的ですが、倉俣作品には不思議な空気感が満ちていて、僕らには表現できない世界なのです。彼と出会わなければ、僕の仕事も違っていただろうと思います。
ソットサスに最初に会ったのは、1960年代後半、パリの装飾美術館で開催されていたオリベッティの展覧会だったと思います。彼は建築家、デザイナー、詩人、写真家、まさに天賦の芸術家だった。同時に「メンフィス」のようなデザイン運動を仕掛け、雑誌『TERAZZO』を監修するような編集能力もあった。けれども、人は頭で行動するが、もっとも大切なのはフィーリング、タッチだと語ってくれました。
芳香を放ち続ける倉俣さんの作品と、彼が尊敬し影響を受けたソットサスのデザインを、次の時代をつくる人々にぜひ伝えたい。そんな思いで、「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展を企画しました。
(展覧会ブックより抜粋再構成)

三宅一生


はじめての打ち合わせで、三宅一生さんから本展について3つのメッセージをいただいたように感じました。「Not Period」、つまり単なる回顧展にはしたくない。デザインにおける夢と愛の大切さを発信したい。特に二人を知らない若者たちに......。
現在は二人が活躍した時代とは大きく変わりました。特に二人の交流が深まった1980年代の日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を体現する経済的絶頂期を謳歌し、その勢いを背景に日本人がようやく生活の質やデザインに目を向けた時代だったのです。そして30年がたち、ITやインターネットの普及、グローバリズムや市場主義への反省など、再び「デザインとは何か?」が問われています。
本展では、二人の作品とともに生前の映像や言葉、スライドショーを通して偉大なクリエイターの姿とデザインをありのままに表現いたしました。皆さまには二人による夢と愛に満ちた世界を体感し、デザイン再考の場になればと考えます。

関 康子(本展ディレクター)

展覧会ポスター

Making of SHIRO KURAMATA and ETTORE SOTTSASS Exhibition

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第7回(最終回)


「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展は、いよいよ明日2月2日オープンします。
本展は、2人の友情と夢と愛が主題。倉俣作品は2人の親交が深まった1980年代以降の家具と小物、またソットサス作品は最晩年のアートピース「カチナ」シリーズを展示。これらは、デザイナーとして30年以上のキャリアを持つ倉俣史朗と70年近く活動していたソットサスが、その長い創造という旅の末にたどり着いた表現であり、デザインの到達点ということができます。その作品から発せられるメッセージは、人の生や営み、創造やデザインへの限りない夢と愛が込められています。まだまだ寒い日が続いていますが、展覧会は2人の暖かな愛に満ちています。春の予感も感じる今日この頃、皆様のお越しを心よりお待ちしております。

さて、現在、2日のオープンを目前に会場施工の佳境を迎えています。刻一刻と出来上がる会場の模様をお届けしましょう。



1月20日、会場設営、倉俣作品搬入

展示構成はクラマタデザイン事務所のスタッフだった近藤康夫さんと五十嵐久枝さん、搬出入と施工は倉俣さんのデザインを知り尽くしているイシマルさんが担当しています。この日は、スペースづくりと倉俣作品の搬入が行われていました。

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厳重な梱包を丁寧にほどいていきます。
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2人の親交が深まるきっかけとなった「メンフィス」。そのアイコン的な作品であるソットサスデザインのカールトンも展示されます。いくつものパーツに分解されたカールトンは部位ごとに清掃、組み立てられていきます。今では、貴重なオリジナルです。
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サンクンコート前のスペースに搬入された倉俣作品が集合。ここでコンディションを再度確認し、展示室に移動します。


1月22日、倉俣作品搬入終了

この日の夕方、倉俣作品の仮展示は終了。展覧会の企画者である三宅一生さんも下見に。展示のデザインは模型やCGでさんざん見ていましたが、やはりリアルな空間とは全く印象が違います。ソットサス作品は、ベルギーのギャラリー・ムルマンのムルマンさんの来日を待って展示。世界初公開、ソットサス最晩年のアートピース、今から楽しみ。

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メンフィスのひとつ、スターピース製「TOKYO」は、重たくて組み立ても一苦労です。
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山のようあった作品もほとんど展示され、「カビネ・ド・キュリオジテ」と「TOKYO」が出番を待っている。
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エントランスでは、2人の親交のきっかけとなった「メンフィス」の作品が、皆さまをお出迎えします。


1月29日、オープン目前に

ソットサスのカチナシリーズも無事に展示終了。パネル類もすべて掲示されました。後は微細な調整を行いながら精度を高めていくこと。オープン前日である2月1日は、倉俣史朗さんの20年目の命日でもあります。いつもはご家族やごく親しい方々との集いですが、今年は21_21で迎えるオープン前夜となります。きっと、倉俣さんとソットサスの魂が作品に帰ってきて、私たちには聞こえない声で「やあ、久しぶり!」なんて、おしゃべりされるのではないでしょうか。

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会場に搬入された「カチナ」の木箱
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「未知なる者の魂、未知なるすべてのものの魂」であるカチナ。その魂が語りかけてくる。まさにソットサスの愛のメッセージ

さて、2カ月余りお付き合いいただきましたコラムですが、今回でいったん終了させていただきます。会期中は21_21のスタッフが引き続きレポートをお届けしますので、お楽しみください。
最後に、皆さまのお越しを、心よりお待ちいたしております。

関 康子


「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 続編 へ

Another Kuramata Design

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第6回


倉俣史朗さんもソットサスさんも、雑誌などで知られていない「もう一つの仕事=Another Design」があります。今回は、倉俣さんのもう一つの仕事をご紹介しましょう。


友人、知人、家族のためのデザイン

展覧会ブックの後半部分「倉俣クロニクル」の作品一覧を見ていただくと、倉俣さんがてがけたショップや家具の名前のなかに、「**邸」「**オフィス」などの仕事が記されています。これらは、倉俣さんの知人、友人などの自宅、オフィスの家具やインテリアの仕事で、友人の子どものためのチャイルドチェアであったり、知人宅のリビングや家具だったり、オフィスデザインであったりします。なかには宮脇檀さん、篠原一男さん、安藤忠雄さんといった建築家とのコラボレーションもあります。それらは、「ミス・ブランチ」や「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」、あるいは「ISSEY MIYAKE」の店舗やバー「オブローモフ」など、雑誌などで紹介されている倉俣作品とは趣がまったく異なるものばかり。使い手の生活や仕事のあり方を徹底分析し、そのスタイルや価値観にそったもので、まさにAnother Kuramata Designなのです。

たとえば、1985年に竣工した港区某所にある写真家の篠山紀信さんのオフィスは、建物の設計は磯崎新さん、オフィスのインテリアと家具は倉俣史朗さんのデザインです。コンクリート打ち放しのシンプルモダンな空間に、倉俣オリジナルのライトテーブル、篠山さんの執務デスク、スタンドライト、応接用の大テーブルなど、篠山さんのために倉俣さんがデザインした家具が今も大切に使われています。

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篠山オフィスの照明器具とモティーフが似ている「パイプを割いた椅子」と「パイプを割いたテーブル」
photo: Mitsumasa Fujitsuka


4台あるライトテーブルはキャスター付きなので、簡単に移動することができます。スタンド式の照明は、天井の反射光を利用するというアイデア。間接光が室内を柔らかく照らします。デザインは1982年の「パイプを割いた椅子」や「テーブル」、「スツール」の発展系といいましょうか、パイプを割いた中に、ワイヤーで照明を宙吊りするという倉俣さんらしいデザイン。応接用のテーブルは、4畳半ほどの大きさ、四つの正方形テーブルを合わせて使っているので、用途ごとに自由に組み替えることができ、実用的です。テーブルの側面は棚になっているので書類などをしまうことも可能とのこと。

三宅一生さんと訪問した5月、篠山さんは近く開催される台湾での大個展の準備で多忙を極めておいででしたが、お二人とも倉俣さんの思い出、エピソードを熱心に語り合っていました。このブログで篠山さんのオフィスや家具をご紹介できないのは残念ですが、今回の展覧会ブック、篠山さん撮影の倉俣作品も多く掲載されています。

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篠山さんが撮影した倉俣作品、展覧会ブックにも掲載
アクリル・スツール(羽毛入り)
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篠山さんが撮影した倉俣作品、展覧会ブックにも掲載
プラセボ(サイドテーブル)


ハルちゃんのための椅子とテーブル


倉俣さんは、友人に子どものための椅子やテーブルをデザインして、プレゼントしていました。たとえば、グラフィックデザイナー黒田征太郎さんの息子さんのための椅子、そして倉俣さんの愛娘ハルちゃんのための椅子とテーブルなどです。それらは合板製で、とってもシンプル。使いやすさ、丈夫さ、安全を最優先にデザインされたもの。でもその中に、倉俣さんらしいエスプリも仕込まれています。ハルちゃんのための椅子とテーブルは、合板製のシンプルで温かいかたち。椅子の背には穴が開いていて、ハンカチやリボン、紐などを通して遊べる工夫が施されています。そう! これらの家具は遊び心に満ちていて、子どもたちのワクワクドキドキや好奇心を引っ張り出してくれるのです。私も、子ども時代をこんな家具と一緒に過ごせたら、もう少し感性豊かな人間?になっていたかも・・・。

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ELLEDECOに掲載されたハルちゃんの椅子とテーブル(右)と黒田さんの息子さんのための椅子
『ELLE DECO』2009年12月号より
Photos: Masao Murabayashi


今回の展覧会では、残念ながらこうしたAnother Kuramata Designはご紹介できませんが、もう一つの倉俣デザインの存在を知ったうえで見ていただけると、新しい発見があるかもしれません。


「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第7回 へ

ソットサスさんの新作「カチナ」探訪

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第5回


本展のもう一つの柱が、巨匠エットレ・ソットサスさんの世界初公開、アートピース「カチナ」シリーズです。今回は、カチナを巡るお話をいたします。


カチナって?

「カチナ」は、ネイティブアメリカンが信仰する超自然的な存在=精霊で、カチナドールはそれをかたどったもの。先住民族のグループによってさまざまな表現があって、現在ではアートとしても高く評価されています。人々の想像力を駆り立てるカチナドールは、ソットサスにその魅力を伝えたアメリカのデザイナー ジョージ・ネルソン(1908-1986)他、日本ではアーティストの猪熊弦一郎(1902-1993)など、多くのアーティストを魅了しました。
ソットサスは「カチナは、超自然的な存在でもあるが、かといって神でもないし、人間でもない。それは、未知なる者の魂、未知なるすべてのものの魂だ。それは、天空やつぼみの精霊であったり、あるいは怪物翁やトカゲの魂・・・」と語っていますが、私も、偶然、カチナドールと出会っていました。数年前に友人と3人でアリゾナ州を旅行していた折、フェニックスにあるネイティブアメリカンのアートで名高い「Heard Museum」を訪問していたのです。アリゾナやニューメキシコなど彼らが暮らす地域を旅していた経験も、ソットサスのメッセージを理解する手掛かりとなり、あるいはイメージが五感を通して追体験でき、本展をまとめるうえで大きな助けとなりました。ソットサスは「人生、生命というものは感覚中心のもの。われわれが何かを知る上では、触ったり、見たり、聞いたり、という五感による知覚のほうが大きい」と言っていますが、確かにうなずけます。私が撮影してきた「精霊の住む原野」を少しだけ、おすそ分けしましょう。

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ネイティブアメリカンが暮らすカチナドールの故郷

「カチナ」制作現場

今回のカチナシリーズは、ソットサスが最晩年に描いたスケッチをもとに、ベルギーのギャラリー・ムルマンのプロデュースにより、フランス・マルセイユの手吹きガラス工房「シルヴァ」にて製作されたもの。世界初公開です。シルヴァはソットサス作品を多く手がけており、人間味豊かで愛にあふれたソットサスの世界観を再現できる高度な技術を持った工房です。
ギャラリー・ムルマンは、ソットサスにとって「倉俣さんにとってのイシマルさんのような存在」で、彼の1点もののファニチャーやオブジェを制作、発表。販売も手掛けています。

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ガラスサンプル
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ギャラリー・ムルマンが入る建物
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ソットサスがデザインしたムルマン邸

そのムルマンさんを、本展コーディネイター、小野寺舞さんが昨年秋に訪問してきました。ムルマンさんは、ベルギーにある工房や自宅とそこから車で15分ほどのオランダにあるギャラリーを行き来する、まさにユーロ人を体現したような人物。自宅や家具もソットサスの設計で、いまだ制作待ちの家具が30点近くもある状態だそうです。少しずつ手を入れて、気に入った空間を手に入れる・・・そうしたヨーロッパ人のこだわりは私たちも学びたいところです。そんな小野寺さんの感想は

「デザイン史で勉強したソットサスや『メンフィス』の代表的なデザインには、80年代の日本のバブルを象徴するような過度な装飾性を感じていました。ところがギャラリー・ムルマンの事務所がある古い石造建築のなかでは、その素材や色の強さが新しい魅力をもって見える。前衛的であると同時に、その背景となるヨーロッパの文化もどこか匂わせるそのデザインに、ソットサスが世界のデザイン界に与えた影響力の強さを感じずにはいられませんでした。
完成したカチナはほんとうに精霊が宿ったようで、不思議な存在感に圧倒されました。ギャラリーの工房では、存命中のソットサスが色指定をしたというガラスのサンプルも見せていただきました。ヨーロッパでガラスの生産地として知られる場所はいくつかありますが、今回はフランスのシルヴァに制作を依頼。ソットサスのドローイングの赤を再現するために、2~3色のガラスを重ねて透明感と奥行きを出したり、真っすぐではないかたちを吹きガラスでつくったりする技術はやはりシルヴァが秀でていたそうです」。

そのカチナたち、今、まさに日本に向かって旅立つところ。倉俣さんの夢、ソットサスさんの愛・・・二人のデザインをぜひ、体感してください。

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完成したばかりのカチナ、けっこう迫力あります。

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第6回 へ

倉俣作品発掘レポート

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第4回


新年おめでとうございます。「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展まで、いよいよ1カ月をきりました。今後は展覧会の「Making of」を紹介しながらオープンまでの臨場感を高めていければなと思います。今回は倉俣作品の調査の模様をお届けします。


倉俣作品発掘隊その1:2010年5月11日、イシマル倉庫

現在、倉俣作品の多くはクラマタデザイン事務所ほか、三宅デザイン事務所、イシマル(倉俣デザインの制作・施工をしていた会社)が所蔵、保管しています。なかでも、イシマルの倉庫には完成品だけでなく、実験途中のプロトタイプやサンプル、展覧会向けの一点ものなど貴重な作品が保管されているとのこと。・・・で、プロジェクトメンバー一同はさながらお宝発掘隊の様相で調査に出かけたのでありました。
小雨の降りしきるなか、関東某所にあるイシマルの倉庫へ、いざ!  メンバーは、展示デザイン担当の五十嵐久枝さん、イシマル社長の石丸隆夫さん、三保谷硝子社長の三保谷友彦さん、私など総勢10名。広い倉庫にはマニア垂涎の作品が保管されています。さあ、どんな作品が眠っているのでしょうか!

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発掘の様子

木枠にきっちり収められた割れガラスの板は、1985年「東京:その形と心展」に出展されたのち、アメリカを巡回した倉俣作品。4畳半に構成された割れガラスの中央には炉が切ってあり、どうやら茶室を表現したものらしい。さらに進むと、70年代の「パイプアームチェア」や「01チェア」、80年代のブリヂストンショールームのための椅子など、目も眩むような作品の数々。そんな完成品に混ざって、「Sedia Seduta」の黄色い座の部分、テーブルの天板や足部などのパーツ、塗装や加工のサンプルが空間を埋め尽くしています。このなかから、今回の展示品を厳選していきます。

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「01チェア」
Photo: Mitsumasa Fujitsuka
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「Sedia Seduta」
Photo: Mitsumasa Fujitsuka


実際にクラマタデザイン事務所の所員だった五十嵐さん、倉俣さんのものづくりを支えていた石丸さんや三保谷さんは、その一つひとつに対する思い出やエピソードを語り合っていました。倉俣作品は、倉俣さんの一方的なアイデアだけでなく、技術の知識や素材の扱いに長けた職人や技術者との丁々発止のなかから生まれていたのですねえ。倉俣さんの思考プロセスや職人さんとのやり取りを、プロトタイプなども交えながら展覧会に仕立てても面白そうですね。今回はできませんけど・・・。



その2:2010年5月12日、都内倉庫

イシマル倉庫の次の日は晴天。今回の目的は、展覧会ブックのなかで倉俣さんの建築空間についてまとめていただく建築家の西沢大良さんと一緒に、倉庫に保管されている図面の発掘です。メンバーは、クラマタデザイン事務所の倉俣美恵子さん、息子さんでデザイナーの倉俣一朗さんなど、総勢6名。あらかじめ西沢さんからリクエストのあった図面(山荘T、カリオカビル、ISSEY MIYAKE 渋谷西武)を一朗さんが倉庫からピックアップしてくれていました。

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倉庫の様子

コンピュータがない時代の図面は、1本の線、一つの文字、すべてが手書きで、倉俣さんの息遣いも感じられるよう。また、作品写真だけでは分からない、倉俣さんの空間へのこだわりや思考プロセス、線や文字に映し出される迷いや勢い・・・そうした「心象風景」が、手描きの図面から浮き上がってきます。東京工業大学の学生時代から倉俣作品に魅了されていたという西沢さんも、直筆図面を見るのは初めて。一朗さんの解説に耳を傾けながら熱心に見入っています。(東京工業大学の教授だった篠原一男さんは、住宅建築の家具の設計を倉俣さんに依頼していますよね)。その様子は図面を通して倉俣さんと対話をしているといった感じで、残念ながら建築家でもデザイナーでもない私には立ち入れない空気があって、西沢さんや一朗さんのような作り手が、ちょっとうらやましいなあと思う瞬間ですね。
さて、この図面発掘調査の結果は、展覧会ブックのなかで西沢さんに「倉俣史朗の建築について」にまとめていただきました。たぶん、倉俣さんの建築空間を真正面に解説・分析した最初の論文かと思います。ぜひ、お読みになってください。



その3:2010年7月30日、クラマタデザイン事務所

この日は、展覧会ブックの撮影も兼ねて倉俣さんのドローイング、ロードゥ・イッセイのため香水瓶のプロトタイプの発掘です。展覧会ブックの編集メンバー、カメラマン、クラマタ事務所の面々など10名ほどがひしめきあいながら、ドローイングやスライドの選定、香水瓶のプロトタイプの確認、撮影など、作業を進めます。その熱気は真夏の戸外よりも暑い!

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クラマタデザイン事務所にて

さて、いよいよ、香水瓶の登場です。大切に木箱にしまわれ、一つひとつ丁寧に薄紙で包まれているプロトタイプたち。アルマイト製のボトル風のもの、ガラス管を渦巻状にしたもの、軽石のようなものなど、倉俣さんが楽しみながらデザインしていた様子が手に取るように伝わってきます。そして試行錯誤の結果、四角のクリスタルガラスの塊の中にぽっかり球体が浮かぶ、現在のロードゥ・イッセイのボトルの形にたどり着きます。当時は量産化が不可能だったこのアイデアが実現したのは20年後。でも、デザインのエッセンスは色褪せることなく、今も輝き続けています。一部は展覧会出展予定です。ぜひ、実物をご覧くださいね。


「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第5回 へ

二人が出会った『メンフィス』と80年代のデザイン

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第3回


本展を楽しんでいただくには、起点となった「メンフィス」プロジェクト、そして1980年代のデザイン状況を知っていただくことが近道かと考えます。今回はちょっとお勉強モードで。


1980年代

80年代を象徴するコンセプトは「ポストモダン」(「ポストモダニズム」とも言われる)。その言葉通り「~後、~次のモダニズム」という意味です。
20世紀初頭、それ以前の封建的な思想や社会体制に対して、人間の理性に基づいた市民社会や産業システムの実現を目指した「モダニズム」は、アートや文学、音楽などの表現活動にも大きな影響を与えました。建築やデザインも同様に、1919年ドイツ・ワイマールに起こったバウハウスの動き、ル・コルビジェやグロピウスらが起こした近代建築国際会議(CIAM)などは、合理性と機能性の追求という意味において、モダニズムを牽引する原動力であり、現在のデザインの底流にもなっています。

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80年代のソットサスデザイン
Photo: Santi Caleca
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80年代のソットサスデザイン
Photo: Santi Caleca


ところが第二次世界大戦をへて1970年代も後期になると、工業化が進み、合理や機能、効率を優先するあまり、画一的、均質化しすぎた社会や思想といった人々の風景に対して、モダニズムを超える価値が求められるようになりました。こうした潮流は、都市、建築、デザインにも深く静かに浸透していきました。1981年に創刊されたAXISは、第2号でポストモダニズムを特集。巻頭に「ポストモダニズムはカルチャーの復権する時代であり、自然と都市の共生を目指す時代であり(中略)、変化することの自由さであり、あらゆる形式の寛容さである。複合であり、混和であり、超越であり、遊びの時代である」と、新しいデザインの時代の到来を高らかに宣言しています。



変化を予兆した倉俣とソットサス

このような地殻変動を誰よりも早く敏感に察知していのたが、本展の主人公、倉俣さんとソットサスでした。ソットサスは、1950年代から、当時世界の先端を走っていた事務機メーカー、オリベッティ社のデザインディレクターとして、数々の名作を生み出しました。その代表が、「バレンタイン」です。その一方で、企業からのさまざまな条件をのみこまざるを得ないインダストリアルデザインとは、一線を画した創作活動も行っていました。それらは主にセラミックとガラスを素材とする一点もの。そうしたソットサスの活動を、建築家の磯崎 新氏は「デザインが、機能でもなく、効用でもなく、精神的な物体、あるいは形而上学的な観念の投影だけで意図していく可能性の地平をひらきはじめたのである」と、著書『建築の解体』で述べています。

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80年代のソットサスデザイン
バレンタイン by Sottsass
Photo: Alberto Fioraventi


一方、倉俣さんもまた、60年代のアートにインスパイアされ、70年代の知的かつ感覚的操作によって生み出された数々の作品は、決して効率、量産、機能主義に主眼をおいたデザインではありませんでした。 こうして、イタリアと日本という遠い地で、「モダンデザインを超えるデザイン」「デザインとは何か」を探求し続ける二人を結びつけたのが、ソットサスが仕掛けた「メンフィス」だったのです。



メンフィス

「メンフィス」については、すでに多くのサイトがありますので、参考にしていただければと思います。ただし、ソットサスが「メンフィス」を始めた動機について、磯崎 新氏と対談の中で興味深い一説があります。「私たちとしては、(メンフィスを通してデザインを)どこまで解放できるか、例えばどこまで広いボキャブラリーを持つか、その開かれた地平を見たかったんです。そこにどれだけの現実の感覚を持ち込むことができるのかを、そしてあらゆるマテリアルは、知覚、五感、感覚の観点から言えば、同じだと。もしマテリアルに上下関係がないのならば、(中略)そこに貴賤の別はないと思ったんです。(中略、メンフィスでは)非常に下品な言葉、卑猥な言葉だけを使って、非常に美しい詩をつくるようなことをやろうとしたのです」。対して磯崎さんは「(中略)、人は美しいものはこういうものだという考えがあった。ところがあなたは突然その既成概念を砕いたんです」と述べています。

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80年代のクラマタデザイン
「インペリアル」(1981)
For Memphis
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80年代のクラマタデザイン
ハウ・ハイ・ザ・ムーン」(1986)by Kuramata
Photo: Mitsumasa Fujitsuka
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80年代のクラマタデザイン
「ミス・ブランチ」(1988)by Kuramata
Photo: Hiroyuki Hirai


倉俣さんもまた、「メンフィス」を通してソットサスとの交流を深めながら、「既成概念を砕く」実験的かつ非日常的なデザインを数多く生み出していきます。今回の「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展では、そんな倉俣作品を堪能いただけます。
私ごとですが、この夏ミラノでたまたま入ったシューズショップの正面に「MEMPHIS INSPIRED」という文字を発見。スタッフにその意味を尋ねると、言葉通り「このショップはメンフィスにインスパイアされたデザインなんだ」とのこと。よく見ると什器や店のつくりは、確かに「メンフィス」を彷彿とさせるものでした。30年たった今でも、地元ではメンフィスが今も息づいているのですね。

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メンフィスにインスパイアされたミラノのシューズショップ

また、昨年にはパリで、「メンフィス」30年を記念した展覧会「メンフィス・ブルース」なども開催されました。30年を経て、ヨーロッパでは「メンフィス」や80年代のデザインを振り返る企画がいくつかあるようです。西欧の素晴らしいところは、文化史という文脈で、建築にしろ、デザインにしろ、再考、検証し、定着させていく作業を怠らないこと。デザインや建築に関するミューゼオロジーは、日本が最も学ばなければならない部分でしょう。



80年代の日本のデザイン状況

長くなってしまったので、ちょっと端折ります。80年代は「衣・食」足りた日本人が、ようやく「住」、つまり生活の質や物のデザイン性に注目した時代でした。リビング専門のショップがオープンし、AXISをはじめとしてデザイン誌も創刊されました。1968年にGDP試算でアメリカに次ぐ経済大国となっていた日本は、80年代後期には空前のバブル経済を迎え、まさにデザインの百花繚乱状態。ちょうど、現在の中国のような感じでしょうか。世界中から著名建築家、デザイナーが訪れ、建築、インダストリアル、インテリアデザインなどのプロジェクトを手掛け、TOKYOがパリやロンドン、ニューヨークと並ぶメトロポリスに位置付けられました。クリエイティブでは、三宅一生さんをはじめとしたデザイナー、槇 文彦さん、磯崎 新さん、安藤忠雄さんら日本の建築家、そして倉俣史朗さんらが活躍の場を世界に広げ、日本のクリエイティブ・パワーをプレゼンテーションしてくれたのです。 ...ということで、今回は終了します。次回から「メイキング・オブ・展覧会」をお届けします。


「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第4回 へ

ドキュメンタリー映像作家米本直樹が考える「再生・再創造」

川上典李子のインサイト・コラム vol.3

「日本は技術で成り立っている国なので、世界の最先端の技術を追求するのが製造現場の役目。『日々、革新』というと格好良すぎだが、技術の革新、ブラッシュアップを続けている」と帝人ファイバーの工場長。シーンは変わり、布地の適度な柔らかさを実現するべく糸の撚りが細かく調整されている。「日本は人件費も高く、こういう商品をやらないと生き残れない」と、福井の企業、畑岡の技術開発担当者......。

本展作品のひとつに25分のドキュメンタリー映像があります。Reality Lab Project Teamの活動を軸として、展覧会全体を貫くテーマを追った作品『再生・再創造 その先に、何が見えるか』。ドキュメンタリー映像作家の米本直樹と平野まゆに浅葉克己が加わり、本展のために制作されました。カメラを携え、松山、大阪、福井、石川など、全国の製造現場にも足を運んだ米本に、作品完成後、改めて話を聞きました。

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再生ポリエステル繊維の製造現場。長年の研究により、半永久的に再生可能な糸が生み出された。
画像は映像作品から


今回の映像制作を通して考えたことについて、米本はこう語ります。「普段、私たちが目にしている身近なものについてどれほど考えたことがあるか、と自らに問いました。三宅一生さんが読まれたという惑星物理学者、松井孝典さんの本を私も読み、たとえば食卓に載る食べ物がどこから来たのか、魚介類はもしかするとアフリカからか、穀物はアメリカから、野菜は中国から......と、目では見えない世界について考えるようになりました」

「衣類も同様です。私にはこれまでただ身に着けるものとしてしか見えていませんでしたが、誰が、どんな素材を使って、どういう加工をして、どんな思いを込めてこの服に至っているのか、そこに思いを馳せる必要性を知りました。情報が氾濫している今の時代だからこそ、その先にある見えないものにまで目を届かせなければならない......今回の映像では、そんな思いを多くの方々に伝えたいと思ったのです」

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製織の現場。加工法が一から検討され、最適な風合いが出るまで幾通りもつくり直された。
画像は映像作品から


本展のタイトルにある「再生、再創造」「REALITY LAB」とは、まさにものづくりに対する姿勢を示す言葉、と米本。

「今回の展覧会に参加したことで『ものづくり』について、改めて深く考えさせられました。私は映像制作というかたちでものづくりに関わる人間ですが、どちらかというと感性だったり、観念という部分でクリアできてしまうところがあります。ところが、衣服など実用的なものはそうはいかない。使いやすさ、品質、美的価値、あらゆる側面での実用性が重視されます。決して『自分が良ければいい』というものではありません」

「また、この映像に登場していただいた方々がデザインにどれほど深い想いを込めてきたのか、取材を通してそのことも伝わってきました。再生・再創造、そしてリアリティ・ラボというキーワードは、まさにその『ものづくり』に必要とされる大切な姿勢を示す言葉だと思います。同時に、実に普遍的なメッセージだと思いました。私が関わるドキュメンタリー映像も、やはり現実の再創造ですし、その意味では現実化の研究を積み重ねなければならないと考えているところです」

そのうえで、日本のものづくりをどう見ていくのか。「映像の副題にもつけましたが、やはり『その先に、何が見えるか』ということが課題だと思う」と米本は強調します。

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染織の現場。 黒に深みを増すため微妙に差し色 が加えられる。 最良の風合いを求めて検討が繰り返された。
画像は映像作品から


これまで海外にも何度も足を運び、様々な人々の取材を重ねてきた経験もふまえて、こうも語ってくれました。

「僕はまだ若造ですが、若いなりに現在の日本を見ていると、近視眼的にものごとが進んでいくことに危機感を覚えます。政治も外交も、経済もしかり......原因はやはり、島国ゆえの安心感のようなものなのだと思います。目先を見ていれば自己完結できてしまう気分が、日本にいるとどうしてもあるのではないでしょうか。取材で世界各地を見てきた感覚で日本に改めて目を向けると、その点は否めません」

「現在の日本の、支持を得るためならどんな公約でもする、諸外国に批判されるとすぐに方針を変える、売れるためならいくらでも安さを追求する......これでは先行きは不安です。ただし、そのなかでも可能性が、たとえば世界でも類を見ないこだわりの姿勢、仕事への緻密さ、協調性と思いやりの精神などに宿っていると思います」

「今回、『132 5. ISSEY MIYAKE』のシリーズが実現されたことは、まさにこうした可能性のシンボルと言えるのではないでしょうか。次なる『132 5.』となる活動を、今度は、私たちひとりひとりが行っていかなければならないのだと実感しています」

日常、環境、社会とつながるデザインの意味を改めて考えながら、私たちひとりひとりがこれから先に一体、何を見ていくのか。展覧会のテーマをより深く理解していただけるのが、映像作品「『再生・再創造』その先に、何が見えるか」です。制作の現場を目にできる貴重な映像であることはもちろんのこと、登場人物ひとりひとりの想いが込められた言葉にも、注目ください。

文:川上典李子


vol.1 「132 5. ISSEY MIYAKE」開発ストーリー
vol.2 新しい立体造形を探る、 コンピュータサイエンティスト
vol.3 ドキュメンタリー映像作家米本直樹が考える「再生・再創造」

新しい立体造形を探る、 コンピュータサイエンティスト

川上典李子のインサイト・コラム vol.2

リアリティ・ラボ・プロジェクト・チームが服のパターンを研究・開発するなかで、三谷 純の研究を生かしたことは、前回のコラムで触れました。今回は、コンピュータサイエンティスト、三谷の研究について紹介しましょう。平坦な素材を折ることで形づくられる立体造形の数理的研究が専門です。

「子どもの頃からペーパークフラフトが大好きでした」と三谷。精密機械を専攻していた東京大学大学院での学位論文もペーパークラフトに関する内容だったそうです。一枚の紙で造形をつくる折り紙の研究は5年前から。立体的な折り紙の研究は2年前から続けられています。

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本展のための作品『Spherical Origami』。WOWとの共作。

「架空の形を自由に表現できるCGとは異なり、実在する紙で制作できるという点が求められます。ある種の幾何学的な制約が生じますが、それゆえにチャレンジすべき興味深いテーマです」。オリジナルのソフトウェアで展開図を検討。展開図を折り、造形をつくりあげるまでの一連の過程が研究対象です。

三谷ならではの造形の特色は、「曲線折り」の技法が含まれること。仮想空間における一本の軸を中心として、折れ線を回転させて立体が形づくられるのです。WOWとのコラボレーションとなる本展出展作品『Spherical Origami(スフェリカル・オリガミ)』では、一枚の紙が一体どのように折りあげられていくのか、ダイナミックなCG映像にも注目ください。

21_21 DESIGN SIGHTでも紹介している新作のひとつが、『ホイップクリームの3連結』。手作業で図面を描くのがまさに困難な、曲線の集合から構成される立体造形の一例です。「平面に敷きつめられる正多角形は、正三角形、正四角形、正六角形。この作品では展開図と立体形状の両方が正六角形を連結した構造になるように工夫しました」。螺旋を描きながら伸びるタワー、『3段重ねボックス』も新作のひとつ。多数のひだがもたらす陰影の美しさにも三谷のこだわりがあります。

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『ホイップクリームの3連結』、2010年。
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『3段重ねボックス』、2010年。『Spherical Origami』映像から。実際の立体造形を会場でぜひご覧ください。

「数式で表現できる形はコンピュータ上で構築可能です。ですが、実際に紙でつくれるのかどうかは、手を動かして確かめてみないとなりません。実際に折る場合には素材の厚みや、自分の指の動きなどの物理的な状況が加わってきますから」。本展会場では2年間の試作品、約300点もあわせて紹介しています。三谷が教鞭をとる筑波大学の研究室で保管していた貴重な試作の数々です。

三谷は現在、次なる研究も進行中。軸対称ではない立体造形の考察です。

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最新の研究から。軸対称ではない曲線による立体造形。

無造作に折られた紙に見えるかもしれませんが、すべての曲線が計算で導きだされている画期的な立体造形です。「幾何学的な対称性を持たない曲線で折ったものです。このような形を設計することは今もなお難しい課題で、具体的な設計技法は確立されていません。その課題を、最近自分で開発したソフトウェアで試みてみました。有機的な曲線のネットワークから生まれる形を導出したものです」

すべてが、「表現の可能性を拡げるための研究」。「コンピュータの中で折り紙の造形を様々にシミュレートしていると、過去に多くの折り紙アーティストが見出してきたパターンを再発見することもあります。その一方で、自分でも予測しなかった新しい造形に驚かされることも少なくありません。今後も、今までに見たことのない造形を、一枚の紙で実現させていきたい」。 その想いとともに、三谷の研究はさらに続いていきます。

文:川上典李子


vol.1 「132 5. ISSEY MIYAKE」開発ストーリー
vol.2 新しい立体造形を探る、 コンピュータサイエンティスト
vol.3 ドキュメンタリー映像作家米本直樹が考える「再生・再創造」

「132 5. ISSEY MIYAKE」開発ストーリー

川上典李子のインサイト・コラム vol.1

本コラムでは、「REALITY LAB――再創・再創造」展の作品について少し詳しく紹介していきます。今回は、「132 5. ISSEY MIYAKE」(以下、「132 5.」)をとり上げましょう。三宅一生が社内若手スタッフらと結成したReality Lab Project Teamによる作品です。

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私たちをとりまく社会は大きく変化しており、環境や資源の問題を始め、様々な課題を抱えています。「けれどただ批判をしているだけでなく、課題をしっかり見据えながら、行動をしていこう」と三宅は考えました。「XXIc.―21世紀人」展(2008年)の準備段階に遡るリサーチがその後も引き続き行われ、「10年先、20年先、さらに先」を考えた素材研究が始まりました。チームのひとり、テキスタイルエンジニア、菊池 学の専門知識も生かされています。

こうした活動のなかでチームが出会ったのが、本展会場でも展示している帝人ファイバーの再生素材(ファイバー)でした。同社は世界で唯一、ポリエステル素材を純度の高い状態で再生する技術を実現させています。文字通りのリサイクル、すなわち循環型リサイクルシステムを継続できる画期的なしくみです。

全国の工場、服づくりの産地をReality Lab Project Teamと訪ねるなどの研究を行いながら、三宅は、同社の再生ポリエステル繊維を手にとり、「もっといい素材になる!」と興味を持ったと語ります。そのファイバーに独自の工夫を凝らしながら、国内の製織会社や染織会社とつくった布地が、「132 5.」には用いられています。

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環境をふまえた素材の選択、製造の手法を考えることは、今やデザイン、ものづくりの大前提となること。それだけにリサイクル素材を用いていることを強く打ち出した衣服ではありませんが、三宅一生が長く取り組んでいる「一枚の布」がそうであるように、「132 5.」の衣服も、一本の糸の段階、生地の探究から始まっているのです。

特色はもちろん素材だけではありません。一枚の布地からどう立体造形をつくるのかを探っていたReality Lab Project Teamは、今回のスタートとなる形(「No.1」)を考案した後、コンピュータグラフィックスの分野で形状モデリングを専門とする三谷 純(筑波大学准教授)に出会います。曲線を特色とする立体造形を設計、一枚の紙から自身の手で立体造形をつくっている三谷の研究をインターネット上で目にしたのがきっかけでした。

Reality Lab Project Teamで次に進められたのが、三谷のソフトウェアを活用した衣服の基本形の研究です。ソフトウェアを活用して設計図を作成、まずは紙で三次元造形を手で折って造形を形づくります。次にそれらの立体造形が平面になるよう、上から力を加えるようにたたみます。

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三谷のソフトウェアを生かした立体造形と、それをたたんだ状態

とはいえ、立体にするべく考えられた設計図とそこから生まれた立体造形は、そのままで簡単に平面(2次元)にたたむことはできません。そのための新たな折り目を加えるなどの工夫が必要でした。どこを折るか、また、衣服とする場合にはどこに切り込みを入れるのか、ここで生かされたのがパターン・エンジニアとして活躍する山本幸子の経験です。

折りたたみの数理に基づく地のパターンを最大に生かしながら、服づくりの経験が最大に生かされた服。日本各地の工場の技が生かされた服が、こうしてついに完成しました。折りたたまれた造形の一部を手にとり、持ち上げるようにしていくと、スカートやジャケットが立ち上がるように現われます。同じパターンでも、布地のサイズ違いや組み合わせ方の応用で、ドレスやジャケットになる、という具合に展開していきます。

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左は折りたたまれた「No. 1」、右は「No. 1」の折りを用いている「IN-EI」

現在、Reality Lab Project Teamではこれらの衣服と同じ折りたたみのパターンを生かした照明器具「IN-EI ISSEY MIYAKE」の開発も進行中で、会場ではそのプロトタイプも展示しています。素材は再生ポリエステルペーパー。強度を得る工夫を始め、改良がさらに重ねられているところです。

本展会場では、「132 5.」の衣服をボディで紹介すると同時に、平面から立体へ、立体から平面へと姿を変える衣服の様子をパスカル・ルランの映像で目にできるようになっています。また、毎週土曜日午後、館内でReality Lab Project Teamによるプレゼンテーションを行っています。ダイナミックに変化する造形の醍醐味をじかに体感ください。

文:川上典李子


vol.1 「132 5. ISSEY MIYAKE」開発ストーリー
vol.2 新しい立体造形を探る、 コンピュータサイエンティスト
vol.3 ドキュメンタリー映像作家米本直樹が考える「再生・再創造」

展覧会が10倍楽しくなるガイダンス

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60年代、70年代、80年代の各時代を倉俣とともに過ごした藤塚光政、近藤康夫、榎本文夫を迎え、展覧会ブックの出版を記念して行われたプレイベント。はじめに、ゲストそれぞれが各年代の倉俣作品ベスト3を発表。藤塚は、「構造を光に、光を構造に」と発想を転換し「ものの存在を消しながら存在させる、重力から開放された」倉俣の仕事について、60年代を中心に解説。近藤は、自身も強いショックを受けたという70年代の空間・インテリアデザインを紹介し、当時作品に名前をつけなかった倉俣の仕事ぶりに触れ「ものを残すという考え方はなく、精神性を残したかったのでは」と語りました。80年代をともに過ごした榎本は『ミス・ブランチ』や通称『オバQ』、「割れガラス」や「スターピース」を使った晩年の代表作を通して、「素材ありきではなく、表現したいもののために素材を探した」倉俣の「究極のデザイン」について説明しました。

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出演者:(左より)関 康子、榎本文夫、近藤康夫、藤塚光政

続いて、本展ディレクターの関 康子が、倉俣が唯一の師と仰ぎ尊敬した展覧会のもう一人の主人公、エットレ・ソットサスの半生と仕事を紹介。代表作『バレンタイン』は「現在で言うところのiPhoneやiPadに匹敵する斬新なデザイン」であったなど分かりやすい解説から、大量生産・大量消費社会に疑問を持ち「単なる産業の奴隷になりたくない」と亡くなる間際までデザインの可能性を探り、デザイナーが社会にどう責任を持つべきかを問い続けた巨匠、ソットサスの思想や姿勢を浮き彫りにしました。

最後に、倉俣作品を10倍楽しむために、榎本は「素材」、近藤は「寸法」、藤塚は「ディテール」をキーワードに列挙。関は、本展を企画した三宅一生の「Not Period(これが始まり)」というキーワードに触れました。21世紀も10年が過ぎ、時代が大きく転換する現在、二人のデザイナーのメッセージは私たちに何を伝えているのか。来年2月、倉俣の没後20年を機に開催される本展が、ますます楽しみになるトークでした。

ワークショップ「立体折り紙でクリスマスオーナメントをつくろう!」

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本展では自身の研究でもある立体造形と、WOWの映像によるコラボレーション作品での参加となる三谷 純。館内で立体折り紙を使ったワークショップを行いました。

小さい頃に、一度は触れたことがあるであろう「折り紙」。まず三谷は、鶴などおなじみの造形から、形を変えてさまざまな研究対象や作品となり、世の中に発表されていると紹介。世界で最も複雑と言われている折り紙や物理学者の研究、三谷の研究など動画も交えて折り紙の歴史を学びました。その後会場を移動して、実際の展示作品も参加者と一緒に鑑賞。展覧会参加へのきっかけを話しました。
席に戻ると、いよいよ制作がスタート。はじめに3種のオーナメント用に3枚の白い紙が参加者に配布されます。紙にはそれぞれ違った折り線が入っており、三谷主導のもとに簡単な形から折っていきます。見本はあれど曲線折りに戸惑いを見せる参加者たちは、三谷の丁寧なデモンストレーションによって、完成に近づけていきました。ときには大人が子どもに教わる場面もあり、テーブルごとに和気あいあいとワークショップは進みました。
最後は完成したオーナメントを持って全員で記念撮影。会場はひと足早いクリスマスのにぎやかな雰囲気に包まれました。

倉俣史朗とエットレ・ソットサスのデザイン

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第2回


第2回目は、本展の主人公である倉俣史朗とソットサスのデザイン交流についてです。


二人ってどんな人?

日本では、ソットサスといえば、オリベッティ社の真っ赤なタイプライター「バレンタイン」(1969)、アレッシィ社のテーブルウエア(70年代~)、発表と同時にセンセーションを呼んだ「メンフィス」(1981)の一連の家具やオブジェが知られています。けれども、ソットサスの才能はプロダクトデザインや建築だけにとどまりません。
彼は、抽象画を描き、世界中を撮影して写真集『METAPHORS』を出版し、『二分の一世紀』と題した雑誌を構想し、『TERAZZO』(90年代)の編集・出版、ガラスや陶器製のアートピースの制作、展覧会の企画、「メンフィス」のようなデザインプロジェクトのプロデュースなど、その興味と活動は多岐にわたり、同時代のデザイナーや建築家を牽引していたのです。その様子は、『建築の解体』(磯崎新著)にも記されています。

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『TERAZZO』by Sottsass

さらに驚くのはそのエネルギー。「メンフィス」を立ち上げたのは63歳のときで、同年、自分の子どもほどの20代の若者たちと「ソットサス&アソシエイツ」を設立。その情熱はとどまるところを知らず、89歳のときに「...でも働くこと、これが一番好きだな。アシスタントが毎日ここに来て、僕のデザインしたものをモデルに具現化してくれる。それはとても楽しいよ」と語っているのです。まさに「生きること=創造すること」を体現した人物。

一方、1955年に桑沢デザイン研究所を卒業後、「三愛」に就職してデザイナーとして活動を始めた倉俣さんは、松屋のインテリアデザイン室を経て65年に独立し、クラマタデザイン事務所を設立。その後、60年代は当時のミニマルアートに触発された作品やアーティストとの共作を、70年代には既成概念に対する矛盾やアイロニーとしての表現を、そして80年代に入ると、なにものにも束縛されない自由で夢のような世界を創造するようになります。

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「光の椅子」(1969)
Photo: Takayuki Ogawa
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「硝子の椅子」(1976)
Photo: Takayuki Ogawa
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「アクリル・スツール」(1990)
Photo: Kishin Shinoyama


対照的な表現

そんな二人の交流が深まったきっかけが「メンフィス」。後にソットサスは二人の関係をこのように語っています。
「お互いに側にいて、見つめているだけで、言いたいことがわかる、そんな関係でした。非常に不思議で神秘的な、言葉を介さない橋が二人の間にはかけられていたという風に言えるでしょう」。
けれども二人が生み出すデザインは対照的でした。

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エスプリヨーロッパ by Sottsassとエスプリアジア by Kuramata(1985-1986)
Photo: Mitsumasa Fujitsuka


ソットサス:
「彼(倉俣)はもっとはかないものを表現しようとして、私はもっと重たくて固定したものをつくろうとしました」。
「私自身は、イデオロギー的なるものに依存している、西欧的な機能主義から脱出したいと思っていました 」。
「私は倉俣史朗に対して俳句を例によく使います。彼は壊れやすいもの、次の瞬間には消えてしまうような短い感情、情感を詠む」。
「光です。物質じゃなくて、光によってモノは形を持つんだということを、倉俣さんは理解していた」。

一方、倉俣さんも作品同様、素敵な言葉をたくさん残しています。

倉俣:
「触れられるものが素材ではなく、匂いや光みたいなものまで、僕の中では素材としてあるのかもしれません」。
「好きな言葉に『音色』がある。トーンで色を感じとりイメージするという日本の感性は素晴らしいと思う。色から音を感じること。人々が音を目で楽しみながら空間と同質化できれば」 。
「アクリルは非常にセクシーな素材です。ガラスの冷たい面と木の温かみのある手触りがあります。視覚的には軽やかな印象を与えます」。
「椅子を機能で語るならば、座っていることを忘れるくらい心地よい椅子をデザインできれば成功だ。私はそうではない。ある種の健全な緊張感を与えたい、見るだけで刺激を感じてほしい」。

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イル・パラッツォ内のバージビッボ by Sottsass(1989)とオブローモフ by Kuramata
Photo: Mitsumasa Fujitsuka


ふだん、二人はデザインについて語り合うことはほとんどなかったといいます。けれども作品を通してデザインの対話を楽しんでいたのです。「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展では、二人の心の交感、デザインのキャッチボールの模様を体感していただければと考えます。

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ロードゥイッセイ by Sottsass(2009)とロードゥイッセイ by Kuramata(2008)
Photo: Luc Monnet(Left), Daniel Jouanneau(Right)


「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第3回 へ

スペシャルトーク

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本展ディレクターの三宅一生、アートディレクターの浅葉克己に、参加作家で惑星物理学者の松井孝典を迎えたスペシャルトーク。三宅が2008年の「XXIc.ー21世紀人」展のリサーチ段階から今日まで熟読した松井の著書「われわれはどこへ行くのか?」。トーク前半の基調講演では、この書籍に綴られた宇宙の誕生から今日の人間の営みまで137億年の物語を、「人間圏」「チキュウ学的人間論」という、松井独自の概念から解説。産業革命後の文明の、大きな転換点である現在、我々に求められる行動や表現において、重要となるキーワードが「再生・再創造」であり、「REALITY LAB」であると語りました。

続いて浅葉が登壇。宇宙の歴史を繙く古文書のような隕石と、松井との共同作であるポスターについて、一点一点丁寧に解説しました。最後に三宅が登壇し、情報技術や地球環境など、ものづくりをとりまく状況が劇的に変化する中で、若い人々に勢いを持って日本と世界を繋げて欲しいと、展示中の最新の仕事について語りました。人間にできることをもう一度見直し、つくることが面白いという気持ちを取り戻すひとつのムーブメントになればと、熱いメッセージを伝えました。活発な質疑応答の後、浅葉のピンポンパフォーマンスで終了したスペシャルトーク。600名を超える参加者が、それぞれの「再生・再創造」について考えを巡らせたことでしょう。

展覧会を10倍楽しんでいただくために

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第1回


はじめまして。来年2月2日から、21_21 DESIGN SIGHTで開催される「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展のディレクションを仰せつかっている関 康子です。これから開催までの2カ月余り、数回に分けて、展覧会を10倍?楽しんでいただけるよう、「『倉俣史朗とエットレ・ソットサス』展への道」と題して、お二人のこと、Making of Exhibitionの模様などをタイムリーにご紹介してまいります。どうぞ、よろしくお願いします。
さて、今回は第1回目ということで、プロローグとして本展企画の経緯をお話ししたいと思います。

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倉俣史朗とエットレ・ソットサス
1990年、日本にて Photo: Takayuki Ogawa


倉俣さんのこと

2011年2月1日は、倉俣史朗さんが急逝されて20年目にあたります。倉俣さんは、皆さんもご存じのように、戦後の日本を代表するデザイナーであり、日本人デザイナーが海外で活動する足がかりをつくり、現在のデザインに多大な影響を与えています。また、21_21 DESIGN SIGHTのディレクターの一人である三宅一生さんとは深い信頼関係で結ばれ、70年 - 80年代にかけて、100店舗以上の「ISSEY MIYAKE」ショップのデザインを手がけ、その中からいくつもの代表作が生まれています。残念ながら、そのインテリア作品のほとんどは現存していませんが、今回は倉俣さんの家具や小物を大切にもち続ける方々のご協力を得て、その一部が展示されます。本展は、倉俣さん没後20年、次の時代をつくる人たちに伝えたいという三宅さんの思いが発端となっているのです。

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スターピースをつかった「ISSEY MIYAKE 松屋銀座」(1983)
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ヨセフ・ホフマンへのオマージュ「ビギン ザ ビギン」(1985)
Photo: Hiroyuki Hirai
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倉俣史朗のメンフィス作品「Ritz」(1981)
Photo:Courtesy of Memphis


ソットサスのこと

そして、この倉俣さんが唯一、師と仰ぎ、大きな影響を受けた人物がイタリアデザイン界の巨匠、建築家・デザイナーのエットレ・ソットサスです。歴史的にも芸術の天才を多く輩出しているイタリアにあって、その作品ばかりでなく、思想や行動においても圧倒的な存在感を放っていたのがソットサスでした。そんな彼が70年代からミラノやフィレンツェで始まった「ヌォーボ・デザイン」運動における、彼なりのかたちとして「メンフィス」を立ち上げ、80年代以降の建築、デザインに大きな影響を与えました。この辺のお話は、第2回目以降にお伝えします。そして、ソットサスはメンフィスの活動に、建築家の磯崎新さん、デザイナーの梅田正徳さん、そして倉俣史朗さんらを招聘し、これ以降ソットサスと倉俣さんは深い友情を育んでいきます。この出会いが、バラの造花を封印した倉俣作品のアイコン「ミス・ブランチ」、光り輝く素材「スターピース」など、誰もが思い浮かべる倉俣デザインを生むきっかけのひとつとなりました。

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「カールトン」メンフィスから(1981)
Photo: Aldo Ballo
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「agesicora」メンフィスから(1986)
Photo: Erik and petra hesmerg


夢見る人が、夢見たデザイン

本展では、展覧会タイトルそのままに倉俣史朗とエットレ・ソットサスの出会った80年代以降の倉俣さんの家具と小物、ソットサスは最晩年に描いたスケッチを元に制作し、今回世界初公開となるアートピース「カチナ」シリーズを展示し、二人の夢と愛に満ちた世界を表現します。

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カチナのスケッチから(2005~)
Photo: Erik & Petra Hesmerg - Amsterdam,The Gallery Mourmans-Lanaken )
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カチナのスケッチから(2005~)
Photo: Erik & Petra Hesmerg - Amsterdam,The Gallery Mourmans-Lanaken )


けれども本展は、二人の活動や思想を知る入口です。二人のデザインをより深く理解していただくためには、展示作品以外の仕事や、何よりその人柄に触れていただきたいと思います。特に倉俣さんのインテリアデザインがほとんど現存していない今、当時の写真から彼が創造した空間世界を感じていただきたいと考えています。そこで、会場では、作品展示に加えて、生前の映像、その活動の全容を俯瞰するスライドショーも上映いたします。また、本展カタログも兼ねた、二人のデザインを知る入門書『倉俣史朗とエットレ・ソットサス』を展覧会に先立ち12月初旬から発売いたします。加えて、展覧会開催中には、多彩なゲストをお招きして、二人の活動や創作の秘密に迫るトークショーなどのプログラムも用意しております。

21世紀も10年が過ぎた現在は、ITやインターネットの普及や、行き過ぎた市場主義や物質社会の見直しなど、二人が活躍していた時代とは大きく変貌しました。けれども人々が夢と愛を求めることは永遠に変わらないでしょう。二人のデザインは、そんな人々の願いをかたちにしたものでした。皆さまには、この機会を逃すことなく、倉俣史朗とエットレ・ソットサスという、「夢見る人が、夢見たデザイン」を十分に堪能していただければと思います。


「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第2回 へ

トーク「BEYOND RECYCLE」

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本展参加作家でもある、REBIRTH PROJECTによるトーク。代表を務める伊勢谷友介と、今回の展示作品のアートディレクター藤元明を迎えて行いました。

変化する時代に、社会の中で山積みとなっている多く問題に対して、行動していこうというREBIRTH PROJECTでは、さまざまなプロジェクトが進行中です。始めに伊勢谷と各プロジェクトスタッフから2008年から行っている事例を紹介しました。「衣・食・住」にカテゴリー分けされた中には、Leeとのコラボレーション「LeeBIRTH PROJECT」や、新潟での米づくり、立て替え中の住居から出た廃材を使った家具など。
そして後半は伊勢谷自身の気づきから、現在の活動のきっかけを自ら語りました。旅の中で、「人生で最大の発見」をしたと話す伊勢谷、人間の生き方や本質を考えたそうです。人や環境といった周囲があるから生きていることを実感し、生き残るためにできることを探す、という姿勢がそのままREBIRTH PROJECTのコンセプトにもなっています。
藤元から今回の作品に関する解説も。現在の多面的なリサイクルの考え方に合わせた5種類の提案を、グラフィックの意図など表現方法も含めて、それぞれ説明を行いました。
最後には会場との質疑応答も実施。教育や、今後の活動に関する質問に参加者は熱心に耳を傾け、会場全体が熱く充実した時間となりました。

企画展 「REALITY LAB----再生・再創造」展

デザインの仕事とは、発想を現実化し、使い手のもとに届けるまでの積極的な試み、すなわち「REALITY LAB(リアリティ・ラボ)」

21_21 DESIGN SIGHTで2008年、明日のものづくりを考える「XXIc.-21世紀人」展を企画しました。地球環境や資源問題の現状のリサーチなど、同展の準備段階にさかのぼり、展覧会後も引き続き行ってきたリサーチ活動や多くの方々との会話が、今回の展覧会の背景となっています。

すばらしい技や叡智、熱意をもってものづくりに取り組んできた日本の産地は今、人材流失や工場閉鎖など、これまで以上に厳しい状態にあります。その現状に目を向け、今後のものづくりを真剣に考えないといけない段階を迎えています。

企業も個人も生き生きとして、自身の活動に大きな喜びを見いだしていた時代のように、感動をもたらすことのできるものづくりを改めて実現していくにはどうしたらいいのでしょうか。「再生・再創造」をキーワードに、「現実をつくるデザイン活動」とは何かを考え、日本からさらに世界に発信していきたいと思います。

三宅一生

展覧会ポスター
展覧会ポスター
Design:Katsumi Asaba

「REALITY LABーー再生・再創造」展ニュース [1]

「REALITY LAB--再生・再創造」展の開幕まであとわずかとなりました。作品制作に一層熱のこもる参加作家の状況を紹介します。

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パリを拠点として世界的に活躍するデザイナー、アーティスト、アリック・レヴィの本展参加が決定しました!
『Fixing Nature(フィクシング・ネイチャー)』。 "思考するデザイナー" アリックの渾身作。今週、ようやく作品が日本に到着しました。

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伊勢谷友介を代表とするREBIRTH PROJECTの制作も大詰めを迎えています。「BEYOND RECYCLE」をテーマとする新作ムービングロゴ、作品名は『New Recycle Mark(リサイクルマークの進化)』と決定しました。テーマの「BEYOND RECYCLE」については、11月23日に館内で開催する伊勢谷友介のトークでも詳しく紹介します。

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新境地に挑んだ岩崎 寛の作品も完成間近です。展覧会のテーマをふまえて「食の未来」に焦点をあてた岩崎。都内にある岩崎の写真スタジオにはCASフリージング・チルド・システムのフリーザーが設置され、築地市場や生産者から入手した新鮮な食材が、日々凍結されることに......。

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コンピュータ・サイエンティスト、三谷 純の立体折り紙の特色を、WOWの映像とともに紹介する『Spherical Origami』。さらに複雑な造形に挑んだ三谷の新作を複数含みながら、制作が進んでいます。


「REALITY LABーー再生・再創造」展ニュース [1]
「REALITY LABーー再生・再創造」展ニュース [2]

特別対談「"人間らしさ"をつくるもの」

特別対談「



山中俊治と石黒 浩による特別対談は3部構成で行われました。まずはロボット開発の研究プロセスをモニターに映しながら、石黒のプレゼンテーションがスタート。娘をモデルとしたアンドロイドを作ったときに「不気味の谷」を意識したという石黒。無意識にでも「人間らしい」と感じるアンドロイドを目指していると語ります。自分そっくりのアンドロイドも開発した石黒は、披露後の周りの反応に「自分の癖は他人の方がよく知っている」ことを教えられたとか。
その後マイクは山中にバトンタッチ。山中が関わったプロジェクトや製品のエピソードを画像と共に紹介。昨年21_21 DESIGN SIGHT「骨」展に出展したからくり人形の製作についても語りました。「似せる」ことではなく機能にも重点を置いた山中の仕事と、前半の石黒のプレゼンテーションとの対比は、デザイナーとサイエンティストの違いと共通点を感じさせるものでした。
最後は2人がマイクを持ち、未来のものづくりについて語りました。活発に質問の手もあがる濃厚な時間となりました。

親子向けワークショップ「自分はどのくらい大きいのか?(小さいのか?)」

親子向けワークショップ「自分はどのくらい大きいのか?(小さいのか?)」



参加作家の斎藤達也と研究者の石澤大祥を講師に迎えたワークショップ。はじめに、粘土でできた人形をサイコロ状にして、自分の体積を実感するという本ワークショップのねらいを説明し、ペットボトルや椅子、牛など、身近なものの体積を段ボールの箱を用いて確認します。その後、人間の体積を立方体にしたときの一辺の長さを瞬時に割り出す特別な装置を使い、それぞれの箱の制作にとりかかります。使用するのは、段ボールやえんぴつ、定規など、ありふれたものばかり。与えられた一辺の長さから立方体をつくるというシンプルな作業ながら、自分の体積となると、参加者の真剣さは増していきます。完成後は、親子や友達と箱の大きさを比較したり、箱を集めて山をつくったりと、自分の体積と同じ大きさの箱を、ただの箱とは思えない参加者たちでした。

穂村弘によるトークイベント「言葉と属性」

トークイベント「言葉と属性」



本展にパソコンのデスクトップ展示でご協力をいただいている歌人の穂村 弘を迎え、トークイベントを行いました。
人はそれぞれパソコンのデスクトップを使いやすいように配置しているもの。それは現代における書斎の机上と呼べるのではないでしょうか。本棚や冷蔵庫など、他にも人の「属性」が見えるものを例に挙げ、実は今回の展示協力に最初は抵抗があったことを教えてくれた穂村。日本人だと余計にその傾向があるのではないかと語ります。
今回のトークは「言葉と属性」というテーマのもと、前半は言語化以前の属性について、穂村が考える言語化が難しい「属性」の例をあげながらトークは進みます。中央線沿線には主体的な女性が多い、アマチュアの歌人は名前に「月」と入れたがるなど、ユニークなエピソードに会場は笑いに包まれました。後半は穂村が配布した短歌の例を読みながら解説を行い、短歌の裏に隠された歌人の細かな「属性」の発見に思わずふきだしたり、納得させられたり、楽しいひとときとなりました。

こども向けワークショップ「きみは何色?チーム対向カードゲーム」

こども向けワークショップ「きみは何色?チーム対向カードゲーム」



アートディレクターとして活躍する柿木原政広を講師に、平面なのに立体に見える不思議なカードを用いたワークショップ。まず、用意されたシートに白、青、赤、黄色から連想する言葉と自分に似合う色を記入し、4人一組でカードを用いた神経衰弱。次に、チーム内でそれぞれに似合う色を議論し、「人から見た自分の色」別チームに分かれ、同じカードを使って平面の積み木をつくります。「几帳面」白チームはピエロを、「きれい好き」青チームは花を、「自分が自分が」赤チームは龍を、「研究熱心」黄チームはクリスマスツリーを完成させます。続いて巨大なカードを使い、チーム対向神経衰弱。自分には黄色が似合うと思うのに白チームに入ってしまったり、赤チームなのにゲームの途中で青チームに移動したりと、色やカードという身近な題材から、社会における「属性」について、 楽しく感じられるワークショップでした。

企画展 佐藤雅彦ディレクション 「"これも自分と認めざるをえない"展」

属性に無頓着な自分、それに執着する社会。

この展覧会のテーマは、「属性」という、日常ではあまり使われない言葉です。「属性」の意味を辞書に問えば、最初に、

【属性】ぞくせい
1. その本体が備えている固有の性質・特徴 (『大辞林』より)

という簡明な説明が与えられます。例えば、あなたの身体的属性には、身長・体重・皮膚や髪の色・血液型・性別・年齢・体躯・顔つき・声など、限りない項目が挙げられるでしょう。また、社会的属性には、名前を始めとして国籍・住所・職業・所属・地位・人間関係などが挙げられます。その他、癖や持ち物なども、あなたの属性に含まれます。

キーワードは属性



あなたより、あなたのことを知っている社会

静脈認証や虹彩認証などの最新の生体認証技術は、従来、判別が不可能だった身体的属性をも正確に取得することを可能にしました。一方、人は相変わらず、普通の状態では、自分の姿や声さえも客観的に捉えることはできません。社会の方は、その取得環境と保存環境を日に日に整えつつあり、近い将来、場面によっては、社会の方があなたより、あなたの事を知っているという状況も生まれかねません。そう考えると、取得した属性データをうまく使えば、個人個人に細かく対応したサービスや堅固なセキュリティの確保という方向も見えてきますが、悪用すれば、過度な個人の監視や犯罪という方向も容易に想像できます。
この展覧会では、現在、あなたの属性が、あなたの知らないうちに、社会にどのように扱われているのか、さらには、あなたも意識していない、あなたのどんな属性がこれから社会に認識されていくのかを、作品を通じて知ることができます。そして、単なる技術展示にとどまらず、作品化することによって、属性の未来を可能性だけでなく危険性も含めて鑑賞してもらうことを目的のひとつとしています。



あなたの属性は、本当にあなたのものか。

さらに、辞書には「属性」の意味として、興味深い項目が次のように示されています。

【属性】ぞくせい
2. それを否定すれば事物の存在そのものも否定されてしまうような性質 (『大辞林』より)

例えば、自分の紹介に使う名刺も、その人にとっては名前や所属が載っている属性のひとつです。もし、自分の名刺を目の前で折られたり破られたりしたら、どんな気持ちになるでしょうか。まるで自分を否定されたかのように感じ、怒りさえ生まれてくるはずです。また、何かの間違いで、自分の籍や名前が無くなっていたとしたら、自分の存在が無いかのように社会は扱うはずですし、自分自身も自分の存在について希薄さを感じたり、逆にある種の自由さすら感じることが予想されます。
この展覧会では、自分の属性である声・指紋・筆跡・鏡像・視線・記憶などをモチーフにした作品を展示しています。そこでは、この2番目の意味での属性が、私たちが今まで得ることができなかった感情を引き起こします。さらには、自分にとって、自分とはわざわざ気にするような重要な存在ではなかったという事柄や、自分をとりまく世界と自分との関係も分かってきます。

この展覧会のテーマである「属性」と作品群を通じて、人間と社会の未来がどうなるのか、人間と世界の在り方は本来どうであるのかを来場者ひとりひとりに感じ取ってもらい、そして多くの疑問を持ち帰ってもらい、その疑問をかざしつつ、これからの自分と社会を見つめていってほしいと、私は考えています。

(補記)
本展覧会はあなたの身長や指紋や筆跡などの属性が展示作品に取り込まれ、作品化されることによって生まれる表象を鑑賞していただきたいために、そのような個人情報をその場で提供していただくことになります。(もちろん、希望者に限りますが)
しかし、この展覧会の『属性の今を考えることによって、人間の未来・社会の未来を考える』という主旨に基づき、敢えてそのような展示を行っていることを是非ご理解いただきたく思います。

展覧会ディレクター 佐藤雅彦

「ポスト・フォッシルな人々」 藤本壮介



現在、各地で活動している「ポスト・フォッシル」なものづくりを行うクリエイターを迎えたトークシリーズ。1回目の出演は建築家の藤本壮介です。



藤本が今回のトークのテーマに挙げたのは「プリミティブ・フューチャー」。今までの建築を自由に発想して「再構築」するということを、これから自身の建築に取り入れたいといいます。クリエイターは日々、素材や用途を問い直しながらものづくりに取り組むものであるとし、本展を通して、素材や作品の成り立ちに関してさまざまな問いが会場にあふれているのを感じ、「勇気をもらった」というエピソードも。



これまでの建築作品をモニターに映しながら、トークは進んでいきます。森の中に建つキューブ状の家や、東京の路地をイメージさせる部屋のある子どものための精神医療施設、いくつもの家が積み重なったような集合住宅、拡張する本棚をイメージした大学図書館など、ロケーションも多様です。

何もデザインしていないような、人間のためにしつらえられていない洞窟でも、きっかけがあれば如何様にも住むことができてしまう。そんな無限の可能性を持った建築ができれば、と藤本は語ります。化石燃料時代の機械を組み立てるような人間のための建築の先、未来に建つ住まいを想像できる充実した時間となりました。

酒井良治さん(日本産業デザイン振興会)が見た「ポスト・フォッシル」展

川上典李子のインサイト・コラム vol.6

今回も引き続き、デザインの現状に詳しい人物に「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展)の感想をうかがいます。ご登場いただくのは、東京ミッドタウン・デザインハブの企画を担当する、財団法人 日本産業デザイン振興会の酒井良治さん。サステナブルデザイン国際会議にも長年携わり、日本のデザインを取り巻く状況を俯瞰する提案など、幅広い視点で企画に取り組んでいます。

東京ミッドタウン・デザインハブ、「日本のデザイン2010」展。4/8〜5/9。主催はデザインハブ。キュレーターを務めたのは黒崎輝男、柴田文江、曽我部昌史、八谷和彦、廣村正彰の5氏。Photo: Nacása & Partners Inc.
東京ミッドタウン・デザインハブ、「世界を変えるデザイン展」。5/15〜6/13。主催は世界を変えるデザイン展実行委員会、アクシスギャラリーでも同時開催に。Photo courtesy of JIDPO

「ポスト・フォッシル」展と同時期、デザインハブでは2つの展覧会を開催していました。そのひとつ、「日本のデザイン2010」展の趣旨を酒井さんはこう語ります。
「日本のデザイン状況を総覧できないだろうかという考えから始まり、キュレーションを依頼した5氏と議論しました。その議論をふまえ、デザインはどちらに向かうのか、ということを示し、また、その解釈を紹介できないかと考えました」。

そこに示されたキュレーターの着眼点と「ポスト・フォッシル」展に共通点を感じたという酒井さん。「同様の問いかけが同時期になされたことに、興味を持ちました」。
「たとえば、食。私たちの展覧会で『食と学びのデザイン』の分野を担当したのは黒崎輝男さんでしたが、『ポスト・フォッシル』展でも同様の視点を感じました。『何を食べるのか、何を知識として吸収するのか』と、自分たちの思考、身体は深くつながっている。そして、人々の関心や志向が、私たちが生きていくことの根源に向かっていること。日本に限らず、世界的に、生き方や暮らし方を考え直そうとしている時代の現われだと思います」。

「この『食』や『農』にも関連しますが、私たちの展覧会では『地域とデザイン』も含みました。キュレーションは建築家の曽我部昌史さんです。北海道から九州まで4名の首長を訪ねた曽我部さんは、各地における意欲的な地域自立の計画と実際の試みに焦点をあて、地域の自治体が自らビジネスモデルを築くことによって独自性を実現していく状況を紹介してくれました。曽我部さん自身の関心とそこに示された地域の状況も、『ポスト・フォッシル』展に共通するものを感じたひとつです」。

こうした「地域」に関連し、「ポスト・フォッシル」展参加作家の活動環境に、ある特色があることを少し補足しておきましょう。それは、活動拠点を都市から離れた場所に設け、制作に励むデザイナーが多数含まれていること。欧州、とりわけオランダの若手デザイナーのこうした生活スタイルは、リー・エデルコートの関心のひとつでもあるのです。
エデルコートは述べています。「若手デザイナーの多くが、住まいやスタジオを地方に構え、スタジオの仲間や友人たちと家族のような関係を築きながら、制作に没頭している。一方で、作品はインターネットを通して国際的に発信される。活動はよりローカル、活動はよりグローバル。興味深い21世紀の仕事の仕方が始まっている」と。

セルトーヘンボスにスタジオと住居を移転したマーティン・バース。自然のもとでスタッフと制作に励む。Photo © Noriko Kawakami

さて、酒井さんが関わるデザインハブでの今春のもうひとつの展覧会は「世界を変えるデザイン」展でした。発展途上国に暮らす人々の課題をデザインがどう解決できるのか、各国のプロジェクトや既に実現されている品々を紹介する内容です。ここでも「ポスト・フォッシル」展との共通点を感じるところがあったと、酒井さんは振り返ります。

「若いデザイナーやエンジニアらの自発的な提案活動です。発展途上国の課題を解決する品々やプロジェクトを紹介したこの展覧会では、日本の若手デザイナーやエンジニアから、『オープンソース』に注目し、自ら行動をおこしている様子が報告されました。
オープンソースとは、ある課題に対するデザインを公開し、必要な物を必要な場所でつくれるようにするもの。特定の場所で特定の製造業が物をつくり、使われる場所に運搬していくという従来型の製造方法とは異なる考えの提案です。デザインハブでも、3Dプリンターを活用することで必要な場所でプロダクトを製造できるマサチューセッツ工科大学(MIT)の『ファブ・ラボ』を紹介しましたが、こうしたナレッジベースのものづくりも今後の可能性のひとつです」。

「そして、このことに関連して言えば、『ポスト・フォッシル』展にも、同様の新しい考え方を備えた作品があったと思います。私が最も興味を持ったのは、ピーター・マリゴールドの『スプリット・ボックス』です。4つに分割した丸太を四角形の角に配することで棚をつくるという彼の作品は、いかなる地域の、いかなる種類の木材でも実現可能。オープンソースとしてのプロダクトの好例としても、見ることができるのではないでしょうか。展覧会には他にもデザイナーの発想や視点がうかがえる作品が含まれ、意味ある提案がなされていると思いました」。

「ポスト・フォッシル」展会場より。『スプリット・ボックス』ピーター・マリゴールド(1974年英国生まれ)。

「デザイナーは何を考えるのか。今まさに重要な時期」と酒井さん。「日本の産業とデザインの関係も、これまで以上に深い思考が求められる時代になっていくでしょう」。

「デザインが、まだ見ぬ考えに形を与え、ものごとのやりとりに最適なルールを整えるものであるとするならば、デザインならではの『ものごとのまとめ方』が期待される場が、急速に増えていることを感じます。そして、もうひとつ。デザインハブでのこれら2つの展覧会に合計2万人以上もの来場者があったことは、デザイナーに限らずあらゆるジャンルで活動する方々が、デザイン的な考え方を、自らの思考や行動の拡張の手段として、わりとすんなり受け入れていることの現われであると思います」。

デザインならではの視点でものごとをまとめる活動の意味や可能性を、時代の動きをふまえ、文化や立場の違いを超えて、さらに考えていくこと。「ポスト・フォッシル」展は6月27日で閉幕しますが、デザインの可能性やデザインの今後に考えを巡らせる活動に、会期という枠はもちろんありません。若いデザイナーたちの試みも始まったばかりです。

文:川上典李子


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橋場一男さん(エディター)が見た「ポスト・フォッシル」展

川上典李子のインサイト・コラム vol.5

会期が今週末までとなった「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展。今回は、デザインに詳しいエディターの橋場一男さんに、本展の感想をうかがいます。

──本展で感じたことを自由にお聞かせください。

橋場一男(以下、橋場):
展覧会を見てまず思ったのは、「言葉」、でした。無限の音色を使える音楽家や、あらゆる色、形、質感を駆使できる造形作家と違い、「言葉」で表現がなされる文学は、不自由さゆえに独自の発展を遂げてきました。「言葉」は使われるうちに手垢にまみれ、歓迎せざるイメージが付着し、記号化し、それ自体の「美しさ」や名づけの「神々しさ」はずいぶん昔に失われています。それでも美しい詩が詠まれ、すばらしい文学が生まれている。

文学にもモダニズム文学があり、アバンギャルドな文学もあります。いずれも、意識する、しないに関わらず、言葉同士の組み合わせによる反応を通して、「言葉」が生まれた瞬間の神々しさや禍々しさをいかに取り戻すかに挑んでいるのだと思います。

たとえばダダやロシア・フォルマリズムや未来派など、言葉の表現と視覚表現はかつて同時代を生きていたのに、気がつくと「言葉」は表現のムーブメントそのものではなく、ムーブメントの批評や解説にしか使われないようになっています。表現者が大量の言葉を選び、組み合わせ、駆使することに面倒になってしまったのか、現代的な表現では言葉を使うということ自体が難しくなってしまったのか。理由はよくわかりません。

デザインも本来自由なものだったはずなのに、いつしか「言葉」という既製の素材に縛られる文学のような表現になってしまったのでしょうか。既成の「言葉」の順列組み合わせの中で、現代デザインは成り立っていると言えるのかもしれません。デザインは、「言葉の表現」が歩んできた歴史を追体験しているように見えるのです。

もちろん、言葉を使わざるをえない不自由な枠の中ですばらしいデザインを世に送り出しているデザイナーもいらっしゃいますし、手垢のついた言葉を逆に利用するデザイン提案もあるでしょう。今日のデザインの枠組の中で美しい「詩」を書いているデザイナーも多くいらっしゃいます。後世に残るデザインとなるものです。......こうした現状のなか、この「ポスト・フォッシル」展は、私に、言語学者ヴィクトル・シクロフスキーの「言葉の復活」を思い起こさせました。

『鳥類相』マールテン・コルク&フース・クスターズ(1980年生まれ、1979年生まれ、オランダ在住)。

──ロシア・フォルマリズムの代表的な人物、シクロフスキーと、現代の若手デザイナー......その関係をさらに詳しくお聞かせいただけますか。

橋場:彼は記しています。「人類最古の詩的創造は、言葉の創造であった。新しく生を享けた言葉は生気にあふれ、イメージ豊かであったにもかかわらず、今では言葉は滅び、言語はさながら墓場と化している......」。ロシア・フォルマリズムのこの言語学者は、そこで言語を解体し、ザーウミという、新しくまっさらな「超意味言語」をつくり出す航海に旅立ちます。

少々褒めすぎかもしれませんが、「ポスト・フォッシル」展の作家たちは、「言葉」という既製の理念と質量で構築される「現代のデザイン」の不自由さから逃れるために、ザーウミのような原初的な響きや形、「超意味、超言葉」を、求めているようにも思えました。ロシア・アヴァンギャルドでもプリミティヴィズム(原始主義)がとなえられていた時期があり、ザーウミも少なからずその影響をうけていると思われます。......さらに私が興味を持ったのは、本展が人々の心にどう深く残っていくか、ということ。ここからデザインの生成変形文法みたいな研究も始まるかもしれません。

──展覧会のなかで、印象に残った作品はどれですか。

橋場:これまでの話に照らしあわせて言えば、まさに超意味、超言語をたたえた力強い作品を見ることができました。『鳥類相』、『ドメイン』、『フラグメンツ・オブ・ネイチャー』、『土が描く風景』、『テーブル・コンパニオン』、『ロック・フュージョン』......清々しさを感じた作品もあります。そして、小さな展示空間の木の匂い。あの空気感は、あれだけで何かを伝えていました。

『土が描く風景』アトリエNL、ロニ・ファンライスワイク
「ポスト・フォッシル」展会場より
『ドメイン』ハーム・レンシンク(1980年生まれ、オランダ在住)
「ポスト・フォッシル」展会場より


──本展に多く含まれているような現代の若手デザイナーの活動、あるいは彼らをとりまく現状を橋場さんはどう見ていらっしゃるのでしょうか。

橋場:このコラムのvol.1でも触れられていたように、欧州連合の誕生にともなう共通通貨の誕生で様々な文化背景を持つ人々の交流が促されたことは、21世紀のデザインに大きな影響を与えたと思います。一方、欧州連合の誕生後、自国文化の教育予算を大幅に増やした国もあるように、異文化理解促進の反作用として故国の文化の地層を掘り起こす機運も高まっている。自国の文化としての手工業への関心が高まっている状況や、他国の手工芸文化を学びやすい状況になってもいます。

さらに注目すべきは、欧州統合と機を同じくして発展したインターネットです。受発注や宣伝の道具、新たな販路として、結果的にデザイナーのセルフプロデュースのハードルを下げました。ある意味でデザインが生産から自由になったのです。本展の作品群もこうした近年の西欧の状況と無関係ではないと思います。キーワードは、自由、でしょうか。

ですが自由だからといって、一発芸的な表現や、ただ無邪気なだけではいけない。圧倒されるほどの作品は一体どうやって生まれるのだろうかと、いつも考えてしまいます。芸術家で建築家、デザイナーのウーゴ・ラ・ピエトラが、かつて「ドッピア・アニマ」について語ってくれたことがありました。彼は、イタリア芸術職人の手に宿るイタリアのものづくりの歴史や精神でデザインを解放しようと試み、デザイナーと職人の二つのアニマ(魂、心、生命)を持ち備えた作品群を目指し、活動を行いました。現代の若手デザイナーの活動も、そうした上質な内容として発展していくことを期待せずにはいられません。

「答」は往々にして入り口にあるものです。「ポスト・フォッシル」展を目にしながら、同時に、「入り口」に遡ってみたいという想いが強くなってきました。また、日本にとってのポスト・フォッシルとは何かを考えてみたいところです。

『ロック・フュージョン』アリック・レヴィ(1963年イスラエル生まれ、フランス在住)
「ポスト・フォッシル」展会場より
『フラグメンツ・オブ・ネイチャー』レックス・ポット(1985年生まれ、オランダ在住)
「ポスト・フォッシル」展会場より

まとめ:川上典李子


橋場一男(はしば かずお、1961年 - )
雑誌『LIVING DESIGN』創刊に関わり、2003年まで同誌チーフ・エディター。2005年『Luca』編集長。2005年、ドイツ、シュツットガルトのアカデミア・シュロス・ソリチュードのデザイン部門フェロー。2006年に帰国、現在はフリーランスのエディター、ライターとして活動中。


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キュレーターが探る「クラフト&デザイン」の発展

川上典李子のインサイト・コラム vol.4

伝統的な手仕事を制作過程に取り入れたプロダクトデザインの試みや、ガラスや木、陶芸など、伝統的な素材や表現の可能性を拡げている若手デザイナーの自由な発想。「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展)でデザインとクラフトとの現代的な融合の様子を目にできることは既に触れましたが、こうした若手デザイナーやアーティストの状況をよく知る専門家も、興味深い活動を牽引し始めています。

「ポスト・フォッシル」展会場より、伝統的な手仕事を活かしてつくられる日用品の提案。ロネル・ヨルダン(南アフリカ共和国)の『プランター』。羊毛の栄養分が土に溶け出し、植物の生育を促す。

デザインとクラフトを巡る最新状況の一例として、デザイナーやアーティストと伝統的なものづくりの現場を結び、発展させていこうとするプロジェクト、「Editions in Craft(エディションズ・イン・クラフト)」(以降、EIC)。

「伝統的なものづくりであるがゆえの、様々な価値がクラフトには潜んでいます。ですが、安価に生産されている現状や計画性のない生産体制によって、伝統的なものづくりの技術や知識はゆっくりと、しかし、確実に姿を消しつつある」。そう述べるのは、ストックホルムを拠点に、2008年にEICを立ち上げたレネー・パッドと横山いくこ。

パッドはヴェニスビエンナーレやドクメンタでの展覧会プロデュースも手がける、オランダ生まれのキュレーター。スウェーデン国立芸術工芸デザイン大学(コンストファック)のエキジビションマネージャーを務める横山は、インデペンデントキュレーターとしても広く活躍中です。「歴史ある手作業の表現をただ現代的に変えることでも、流通や消費がされやすいものに調整することでもない。伝統的な手工芸本来の価値を現代に生きる私たちの経験、表現に結びつること。まずは試作品や限定生産の品々をつくるのが目的です」。

デザインの今後に向け、伝統的な手法と現代デザインの発想や手法をリンクさせるという目的を掲げ、彼らがまず連絡をとったのは南アフリカ共和国の農村部、クワズル・ナタールでした。ビーズ細工を手がける20名ほどの女性たちのグループ「シアザマ・プロジェクト」との今年春のワークショップに招かれたデザイナーは、「ポスト・フォッシル」展の出展作家でもあるオランダ在住の「BCXSY」。BCXSYのボアズ・コーヘン(1978年イスラエル生まれ)と山本紗弥加(1984年日本生まれ)のここでの役割は、職人に制作の指示を行うことではありません。他の参加者と同等の立場で、ビーズ細工の可能性を探ることでした。

BCXSYのこれまでの作品から。『ISHI, 7 Stones(イシ、セブン・ストーンズ)』2009年。「機械で切り出したフォーム素材の表面をさらに手で削って手作業の跡を残し、ラバーコートを施している。重い石のような姿をしているが、軽量で柔らかい。「ポスト・フォッシル」展で展示中。Image by BCXSY
BCXSYのこれまでの作品から。日本の建具職人の手作業を活かして完成させた檜の間仕切り。先日のミラノサローネで発表された。『Origin Part I: Join』2010年。Image by BCXSY

アフリカでは長い間、稀少で高価なものとして大切にされ、様々な装飾にも用いられてきた繊細なビーズ細工。この村の女性の多くもその制作で生計を立ててきましたが、現在の仕事は、地元の土産物屋等で販売される伝統的なビーズ人形づくりに集約されています。「グローバルマーケットへの対応を第一の目的とし、国や地方の象徴としての観光産業となることで、クラフト本来の大切な意味や機能が薄れ、土産品の域を出ないままになってしまっているのです。同時に、より安価に製造された他国の模造品が粗悪な質で流通し、真の産地の市場を狭めていたりもします。様々な課題があります」。

「素材の特色や歴史をふまえた問いかけを起点として、手作業の軌跡を感じさせるプロダクトを手がけている」とパッドと横山が評価する若手デザイナー、BCXSY。シアザマ・プロジェクトとの今回のワークショップで考えられたのは、花器と照明のプロトタイプでした。BCXSYが着目したのは、紐状に伸ばした粘土をコイル状に巻いていくアフリカ伝統の陶器づくりの手法。その手法をもとに蛇の動きを想像させる形状が試みられ、都市から離れた過疎の村に暮らすシアザマ・プロジェクトの女性たちにも入手しやすいペットボトルや布地等を再利用しながら、無理なく制作が継続できる方法が探られたのです。

パッドと横山は言います。「現代美術のフィールドで仕事をしてきた私達がデザイナーに期待することは、作品の最終形を最初から描きすぎないこと。ものづくりの長いプロセスに横たわる様々な要因を、自分のデザインのために変えていくのではなく、既存の状況を判断し、それを上手く取り入れていくことが大事だと考えます。未来にものづくりをつなげるためには過去と現在を把握して、丁寧に時間を紡いでいける作業が必要です」。

「Editions in Craft」でのBCXSYとシアザマ・プロジェクトの作品『Coiled(コイルド)』。シアザマの女性たちの大切な文化でもあるビーズ。芯に用いた布地に巻いてコイル状のビーズをつくり、ペットボトルの周囲に巻き付けていく。Photo © Editions in Craft, Renée Padt and Ikko Yokoyama
ワークショプは7日間。今後も他のデザイナーが参加するワークショップが継続される。Photo © Editions in Craft, Renée Padt and Ikko Yokoyama
最終日に完成した3種類の大きさの花器と照明の試作品。生命感溢れるダイナミックな形状に特色がある。この地の伝統的な手工芸であるビーズ細工を尊重する制作手法が考え出されたが、色や柄につくり手の個性が反映、それがユニークピースとしての価値となる。Photo © Editions in Craft, Hironori Tsukue

伝統文化を受け継ぐ手工芸の表現を、現代生活の品としてどう存続させていけるのか。パッドと横山は、「一度限りの文化交流などではなく、実現可能、成長可能なヴァイアブルデザインでなくてはならない。クロスカルチャーモデルとして育て、広く流通させていくこと」とも述べます。そして、伝統なものづくりの将来を国際的な視点で考えるこの活動に、二人が拠点とするスウェーデンの政府が支援を行っていることも特筆すべき点でしょう。

シアザマ・プロジェクトとの共同制作の披露を兼ねた「Editions in Craft」初の展覧会は今年春のミラノサローネで行われ、活動の社会性、教育的観点からも関係者の注目が集まりました。現地での制作は現在ももちろん継続中、今年秋には展覧会形式での発表や各国での販売が予定されています。

http://www.editionsincraft.com/
http://editionsincraft.wordpress.com/

文:川上典李子


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「ポスト・フォッシルな人々」 皆川 明



展覧会終了まであと1ヶ月を切った6月5日、2回目となるトークシリーズ「ポスト・フォッシルな人々」は、「ミナ ペルホネン」チーフデザイナーの皆川明を迎えて行われました。

まず、ものづくりに関して「100年以上つづくことをしたい」と皆川は話し始めました。現在ブランドを始めて15年が経つ皆川は、ものづくりはブーメランのようで、古代の発見が巡り巡って現代に戻ってくるのではないかといいます。たとえばコンピューターが発展を始めて、人間の手からどんどん遠い存在になったようで、人間の本能に近づいている。現在アナログな生活を送っているという皆川も、コンピューターが近い未来に身近な道具や、自分の手のような存在として使う日が来そうだと予想します。



デザインを記憶から生まれるものと捉える皆川は現実をそのまま写すことはせず、感情をも乗せられる手が一番高機能だと考えます。テキスタイルの図案はすべて手を動かして生まれるもの。作業には「偶然」を取り込むことが重要で、人間と素材と偶然の接点が「完成」だと語ります。

トークの合間には質疑応答の時間もあり、ものづくりにおいて大切にしていることを質問した学生には「自己満足はだめだと言われるけれど、自己満足をして、やりきったものしか自分は出したくないと思う」とアドバイス。他にも服づくりのきっかけやテキスタイルのテーマに関する質問から、学生時代陸上をしていたことを交え、さまざまなエピソードが披露されました。



「人とものが相対的な関係を持ち、ものの生命力を感じる展覧会だった」と語った皆川。素材に耳を傾ける、が重要なテーマのひとつであるポスト・フォッシル時代のものづくりを実際に感じられる貴重な時間となりました。

「ポスト・フォッシルな人々」 ピーター・マリゴールド



6月12日、参加作家のピーター・マリゴールドによるクリエイターズトークが行われました。ロンドン芸術大学セントラル・セントマーチンズ校で彫刻を学びながらデザイナーになることを夢見ていたマリゴールドは、ブラジルで刺激的な1年間を過ごした後イギリスに帰国し、RCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)でプロダクトデザインを本格的に学び始めます。

『make/shift』

RCA時代のプロジェクトでは、ものづくりにおける即興や議論の重要性を学び、卒業制作では、引越先がどこでも使える棚のシステム『make/shift』を発表しました。プロトタイプが成功した瞬間には「マジックのよう」と感動し、企業との共同作業を通して文字通り「開眼」を経験したと語ります。



展示中の『split box』では、円をどの方向から分割しても角度の和が360度になることと、四角形の内角の和が360度であるという「神秘的な」原理に注目。東京ではヒノキ、マイアミではマンゴーの木をランダムに4分割して生まれた箱が、まるで都市や細胞のように増殖して行く作品です。「どの木を見てもその中に無限の形の箱や宇宙を見出す」というマリゴールドは、「変化や破壊はものづくりのプロセスにかけがえのない要素ではないか」と語ります。

『Palindrome』

最新作は木で漆喰の型をとり、型と融合させた『Palindrome』シリーズの12.27mに及ぶテーブル。ここでもやはり、シンメトリーという、地軸をも連想させる強烈な幾何学への興味が表れています。「今回の来日を心待ちにしていた」というマリゴールド。トークの後に行われた公開制作では、集まった観客からの質問が止むことなく、ポスト・フォッシル世代の作家の思想と仕事に触れられる、楽しい午後になりました。

「ポスト・フォッシル」展とアアルト作品

川上典李子のインサイト・コラム vol.3

「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展)の会場には、大手家具会社から量産されている品が2種類含まれています。ひとつはマーティン・バース(1978年生まれ、オランダ在住)のデザインで、英国のエスタブリッシュド・アンド・サンズ社(Established & Sons)から製造、販売されている『スタンダード・ユニーク』。バースのデザインによる5脚は、背や脚、座面等、各パーツの形状と製造手法に特色があります。

椅子の姿を形づくるのは手描きの太い線。微妙に曲がったラインによって、基本となる5脚は少しずつ異なる姿をしています。その一方で、5脚の背、脚、座面といったパーツの基本サイズや接合位置は統一されているので、5脚のためにデザインされた部材を交換するようにして、さらに新しい姿の椅子をつくりだせる、というもの。その結果、リー・エデルコートが「すべてが異なりながら、ファミリーさながら共通点をもった」と述べるプロダクトのシリーズが現実のものとなるのです。量産製品において、一脚一脚の独自性をどう実現できるのか。量産と個性実現との共存を探る画期的なプロジェクトです。

「ポスト・フォッシル」展会場の『スタンダード・ユニーク』。製造、販売はエスタブリッシュド・アンド・サンズ。デザインはマーティン・バース

もうひとつの家具メーカーは、フィンランドのアルテック(Artek)。もっとも、今回の展示作品は、世界的に知られる同社製品の特別版です。その作品の重要性に触れる前に、まずはアルテックとアルヴァ・アアルトに関する短い説明を添えておきます。「アート」と「技術」という2つの単語を会社名とするアルテックが誕生したのは1935年。理想を掲げ、創立に関わった4名の若者のひとりが、建築家のアルヴァ・アアルト(1898-1976年)でした。

当時、意欲的な建築家たちは構造材料である鉄筋コンクリートを活かし、近代建築の可能性を探っていました。そのなかでアアルトは、建築や家具の材料としては特に最新というわけではない「木」をあえて選択、自身の工業製品に活かすべく開発を試みたのでした。既にバウハウスの建築家たちはスチールパイプを曲げた家具を生み出していましたが、アアルトも新たな素材を用いた様々な家具を模索、開発しながら、一方で、地元フィンランドの資源であるバーチ(白樺)材を用い、積層合板を検討することで、金属製の椅子にも負けない強度を備える家具を実現したのです。アアルトデザインの信条であるL字の脚(「アアルト・レッグ」)が開発され、以来、椅子やテーブルなどで広く活用されています。

バーチよりも堅牢で家具づくりに適した材料は他にも多々ありますが、地元の資源を用いることに工夫を凝らしながら、アアルトは、誰もが組み立てられ、かつ堅牢な工業製品の実現に心を砕いたのでした。明快な目的意識があったからこそ、デザインから75年以上が経った今も、人々に愛される製品として彼の家具は存在しています。そしてそれは、さらに今後も生き続けていくことでしょう。現代とは異なる時代に活動したアアルトですが、製品開発における彼の姿勢には、ポスト・フォッシル時代を生きていくうえでのヒントが見え隠れしています。

アルヴァ・アアルトのデザイン。
左:『Armchair 400(The Tank)』デザイン1935-1936年
右:『Stool 60』デザイン1933年。アルテック社。Photo courtesy of Artek, Yamagiwa Corporation


さて、今回の「ポスト・フォッシル」展に含まれている作品は、アルテック創立75周年を機とする特別プロジェクトで誕生したものです。アアルトが1936年にミラノ・トリエンナーレで発表した『Armchair 400』、別名『The Tank(タンク)』と現代デザイナーとのコラボレーション・プロジェクト。招かれたデザイナーのひとり、イルゼ・クロフォード(1962年英国生まれ)は、歴史的な椅子に、トナカイの毛皮を組み合わせることを考えました。今や世界的に愛され、スタンダードな存在にまでなっているプロダクトに、アアルトやアルテックのルーツである「北欧」の要素を改めて加えたのです。彼女の提案は、コンセプトを伝える明快な姿と独特の触感とともに実現されました。

「グローバルな存在となったデザインを、再度、生まれ故郷の文脈に戻す興味深い提案」とは、この作品に関するリー・エデルコートのコメントです。かつてアアルトが異国情緒溢れるゼブラ柄『タンク』を愛用していたことを知っている人であれば、クロフォードの提案を、さらなる醍醐味とともに楽しめることでしょう。デザインコンサルタントとしても、その柔軟な視点で活躍しているクロフォード。ちなみに彼女は、本コラムのvol.1(後編)でとりあげた「Questions」展のキュレーターを務めた人物でもあります。

アアルトの椅子をイルゼ・クロフォードはトナカイの毛皮で覆った。アルテック「DRESS THE CHAIR」プロジェクトのためのデザイン、2010年。同プロジェクトには他に、テキスタイルデザイナーのファニー・アロンセン、ミッソーニ、マハラム、サビーネ・スタインメイア、クラウディー・ヨングストラらが参加。
Photo courtesy of Artek, Yamagiwa Corporation

21_21 DESIGN SIGHTでトナカイの毛皮に包まれたアアルト+クロフォード版の『The Tank』と『Stool 60』を前にして、リー・エデルコートはこう語ってくれました。
「アアルトのデザインは現在も全く色褪せておらず、私たちの心を強くとらえます。この地球、さらには未来にも適した、アアルト作品のように普遍的な魅力を備える工業製品と、本展で取り上げた若手デザイナーのアイデアの探究、また、素材の特性をふまえ、質感を重視した表現の試みなどを、どう融合できるだろうかと考えます。普遍的な工業製品を探究する姿勢と、ユニークピースに込められた生き生きとした問題意識との融合が、今後求められていくと思うのです」。

文:川上典李子


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野生の思考、"人間"からの発想

川上典李子のインサイト・コラム vol.2

「私は決して悲観主義者ではありませんが、現代とは、20世紀になされてきた様々なことを"オーバーホール"すべき時代であるのだと強く感じています。社会のシステムそのものも再考すべき時期を迎えています。真の意味でサバイバルできるシステムづくりが必要であり、そのためにも発想の転換が求められている。活動の軸として、"人間"そしてヒューマニティの観点からの考察を忘れてはなりません」。リー・エデルコートが4月の来日時に述べていました。

発展性に富むヴァイアブルデザインは、いかに実現されていくのか。そのことを考えるヒントとして、教育の現場に再び目を向けることにします。ストックホルムの国立芸術工芸デザイン大学(コンストファック)が4月のミラノサローネで行っていた「The Savage Mind(野生の思考)」展。フランスの社会人類学者、クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009年)が1960年代に記した『野生の思考』をふまえ、書名をそのままタイトルに掲げた展覧会でした。これからのデザイナーは、課題や目的に熱心に取り組み、集中する能力を持ち備える「科学者」であると同時に、「器用人」でなくてはならない。教育の現場から発せられたメッセージです。

さらにはあらゆるコンタクトやネットワークを駆使しながら、広い社会のなかでの立ち位置を見つけていくことが求められる、との考えも同展の趣旨には含まれていました。こうした想いが、最新技術、最新素材をいたずらに追求するのではなく、既存の手法や原始的、原初的な方法に興味を抱いた学生の作品を通して、あるいは詩的な方法で素材や時代の方向性を探る作品を通して示されました。リー・エデルコートが「ポスト・フォッシル」との言葉を用いて着目する今日の若手デザイナーたちの、ある動きとの共通点も伝わってきます。

「The Savage Mind」展より。Curated by Ikko Yokoyama

それにしてもなぜ今、野生の思考なのでしょうか。その意味に考えを巡らせること自体に、大きな意味がありそうです。参考まで、コンストファックの学長を務めるイーヴァル・ビヨルクマンが、展覧会に際して発していたコメント(原文英語)を全文転載しておきます。

「我々が現代的であるか否かに関わらず、今日我々が生きている時代は、人類の創世記から脈々と続く流れの延長線上にあります。クロード・レヴィ=ストロースは自著『野生の思考』で、石器時代の未開人たちと今日の我々の考え方の間には根本的な相違はないと述べました。」

「このことはデザイナーの仕事にも大いに関係があると思います。現代のデザインは、概して現代科学と密接な関係にあるとはいえ、デザイナーの仕事とは長年の問題や概念や素材に新たに取り組み直すべく、深い森の中に新たな地平を切り拓くこと。そして、構造から事象を創造し、また事象の力を借りて構造を創造することです。つまりデザイナーには、科学に精通していると同時に、幅広い内容をオールマイティにこなす器用人であることが要求されるのです。」

「我々人間は意味を求める生き物で、デザインとはまさにものごとの意味を照らしだす仕事ですが、しかしその意味が、今の時代が生みだしたものなのか、それとも遥か昔からあるものなのかは問題ではありません。なぜなら、我々の考え方は必ずしも新しいものではないからです。新しいのは、その考え(方)の用い方なのです。」

「The Savage Mind」展より。Curated by Ikko Yokoyama

ここではもうひとつの事例として、レヴィ=ストロースさながら人類学的な視点でつくられたある製品を取り上げてみます。大手家具メーカーであるVitra(ヴィトラ)が今春発表したもので、チリの建築家、アレハンドロ・アラヴェナのデザインによる「Chairless(チェアレス)」。パラグアイのアヨレオ族が座るために使用している、綿素材の長い布地に着想を得ています。

長く"椅子"を持たない生活を送ってきたアヨレオ族。彼らの経済状況では入手できるものに限りがあるという現状もさることながら、たとえ "椅子"が購入できるとしても、遊牧民である彼らには"椅子"を所有する必要性は低いものだったのです。また彼らの祖先は、"椅子"がこの世に使われる以前からこの布を使って暮らしていたのです。「座る」という行為、それもいかに快適に座るのかという人の欲求について考えた40代の建築家と提案のフィージビリティをとらえた企業との出会いによって、かつてなかったプロダクトが完成したのでした。

写真左:Vitra社「Chairless」の開発に影響を及ぼしたアヨレオ族の布。地面に腰を下ろすとき私たちは無意識に脚に両手を回すが、そうした本能的ともいえる人の行為が形になったもの。
Photo © Jose Zardini & Walter Biedermann
Photo courtesy of hhstyle.com
写真右:壁によりかからずに長時間座る姿勢を保つことができる「Chairless」。ヴィトラ社の他製品の製造で生じる端材が本製品製造に活用されるなど、製造方法にも特色がある。
Photo © Vitra(www.vitra.com), Photo courtesy of hhstyle.com


両手を脚にまわす行為の代わりに紐を使う。腰をおろした床や大地そのものが、いわゆる"椅子"の一部になるという発想です。膝を両腕で抱える状態とは異なり、紐を使うことで両手を自由に使うこともできます。「座るという行為をより原始的でミニマムな道具に近づける。そのためにはすでにある物から不必要な要素を削除していく方法を考える人もいるかもしれないが、アヨレオ族の紐もこの製品も、物から抽出されて完成したのではない。むしろゼロの地点から必要最小限の要素を加えたところに完成した」とヴィトラ社。「原点は物(椅子)ではなく、人間の身体とその動作」。気鋭建築家との恊働のうえ、"人"そのものを洞察したプロダクト。量産製品の開発を行う企業の興味深い提案です。

文:川上典李子


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問いはすべての始まりである(後編)

「度重なる金融危機やテロの問題、食の問題......。混乱の時期に生まれ育ってきた現在の若手デザイナーたちは、それゆえ、地に足のついた活動をしています」。リー・エデルコートが来日時に強調していた言葉です。「すでにダメージを受けてしまった地球を生き返らせようという気持ちを持つ彼らは、自らの手を動かしながら、活動を始めている」。

現代の若いデザイナーにおいては、素材探しからが腕の見せどころ。廃棄物を素材に用いるという発想で、家具や照明器具のデザインに取り組むデザイナーもいます。紙や木、鉄、ロープといった我々に馴染み深く、それゆえ見逃しがちな素材をあえて選択し、ものづくりの可能性を探ろうとするデザイナーもいます。庭用ホースやPVCチューブを編んでソファをつくり、電気コードを編んでランプシェードを生み出してしまうクァンホー・リー(1981年韓国生まれ)もそのひとり。「日常生活でよくある品々を、手作業で可能な限り変化させ、新たな意味をもたらすことができないだろうかと考えている。ありふれた物というのは、他の何かに変わりうる無限の可能性を内包しているのだ」。

幼い頃、農業を営む祖父が農園で手にいれた素材で日用品を手づくりする様子を見て育ったというクァンホー・リー。「ポスト・フォッシル」展の出展作品でもある『ノット』シリーズのランプシェード類は、光源よりそのまま伸びる電気コードを編んでつくられている。 Photo courtesy of Kwangho Lee

あるいは、デザイナーの行うべき行為そのものを改めて問うかのように、柔軟な発想で果敢な提案を行う若手クリエイターたち。ウィキ・ソマーズ(1976年オランダ生まれ)の『メイド・イン・チャイナ オランダ人によるコピー』も象徴的な作品の好例。彼女は、北京の街で出会った人力車の運転手の椅子や屋台の人々が愛用していた椅子などを集めて型どり、ブロンズでつくり直しました。最適の座面の高さを得るべく脚が継がれていたり、背の部分に何重もの布地が巻かれているなど、市井の人々の知恵が込められた椅子の数々......。

「ポスト・フォッシル」展、展示作品より。『メイド・イン・チャイナ オランダ人によるコピー』。デザイン:ウィキ・ソマーズ、素材:ブロンズ。

都市化が進むなかで、人々の叡智ともいえるこれらの椅子が消えてしまうかもしれない----ソマーズは考え、異国の地で目にした椅子の「コピー」を考えたのでした。新しい椅子をデザインしたのではありません。が、人と生活、文化、社会と物の関係を問うことそのものもデザイナーの大切な仕事であるのだという、本人の考えが込められています。

リー・エデルコートが1999年から10年間、校長を務めたアイントホーフェンのデザイン・アカデミーでは、今も引き続き、人や物に関する自問自答を繰り返しながら、「自分自身を見いだす」カリキュラムがなされています。こうした教育を受けたデザイナーらの積極的な問いが、毎年ミラノサローネの期間中に展示され、大手企業や先輩デザイナーたちに刺激を与えていることも、見逃してはならない現状です。一方、紹介される作品に接する人々の見方も興味深いものがあります。日常的に問題意識を持つ人々が多いからか、作品に潜む「着眼点の可能性」を鋭く感じとり、議論が盛り上がることもしばしば......。

「ポスト・フォッシル」展に『成長と溶接』を出展中のスタジオ・リバティニー代表、トーマス・ガブズィル・リバティニー(1979年スロヴァキア生まれ、オランダロッテルダム在住)。現代の"ファスト・プロダクション"に一石を投じる彼の作品はどれも、時間をかけて物が成長していくかのような制作過程そのものがユニーク。写真の『ハニカム・ベース』はなんとミツバチを使って花瓶を成形している。
Photo courtesy of Studio Libertiny (『ハニカム・ベース』は本展には出展されていません)


さて、今年のミラノサローネでも、独自の観点で学生作品を展示していた欧州のアートスクールがありました。デザイン・アカデミー・アイントホーフェンの企画展は「Questions(クエスチョンズ)」。「問い」はすべての始まりになる、と、作品は疑問形の文章とあわせての紹介です。もうひとつの展覧会は、「ポスト・フォッシル」展に『牛糞の椅子と棚』を出展しているカーリン・フランケンスタイン(1982年スウェーデン生まれ)の母校、ストックホルムの国立芸術工芸デザイン大学(コンストファック)の「The Savage Mind(野生の思考)」展。

今年のミラノサローネ時に、市内で開催されたデザイン・アカデミー・アイントホーフェンの「Quesitons」展。エントランスに掲げられた「?」。写真提供:後藤史明 Photo © Fumiaki Goto

こうして1点ずつ制作される品々は、若いデザイナーたちによる、ほんのささやかなメッセージかもしれません。しかし、作品をまとめあげるために十二分に費やされた思考の時間や試行錯誤のプロセスに、見落としてはならない点が多数、潜んでいます。だからこそ、次なる製品開発に取り組む世界の大企業も、若い彼らから発せられるメッセージに目を向けている。デザインの未来とは、こうして人間に対する様々な観点や、ものづくりの原点にまで立ち戻るかのような考察から、着実に、大きく、開いていくのでしょう。

文:川上典李子


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問いはすべての始まりである(前編)

川上典李子のインサイト・コラム vol.1

「ポスト・フォッシル」展会場風景から、ナチョ・カーボネルの作品。紙をベースト状にして金網等に貼付けて椅子をつくる。

「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展)の参加作家は10カ国から71組。展覧会ディレクターであるリー・エデルコートが評価し選出した彼らの大半が20代、30代の若手です。ミラノ国際家具見本市(ミラノサローネ)やデザインマイアミ等ですでに話題の注目デザイナーやアーティストも含まれていますが、アートスクールを卒業したばかりの、文字通り「新人」の瑞々しい才能にも等しく目が向けられているのも本展の醍醐味。有名、無名(現在のところ)という枠組みを超えたところで、特色ある活動を知ることができます。

彼らの興味深い点が、現代のアルチザンスピリットとも表現できる制作プロセスです。しかも、作家一人ひとりの明快な興味に基づいています。多種多様な素材の特色を探り続けるナチョ・カーボネル(1980年スペイン生まれ、オランダ在住)、磁器の表現を新たな次元にするべく他素材との大胆な組み合わせのうえで日常の品を創出するジム・ベルゲル(1980年オランダ生まれ)を始め、素材に向き合う彼らの日常が伝わってくる作品の数々。デザイナーの活動状況は様々あり、ひとつに集約することはできませんが、身近な素材を対象として、手を動かし可能性を探ろうとする姿勢を彼らの多くに見ることができます。

展覧会会場写真から。素材の特質を試みるデザイナーたちの様子がうかがえる。

こうした動きを私自身がまず、改めて強く感じたのは、2002年〜2003年のこと。家具デザインの動向がうかがえるミラノサローネで、若手デザイナーによる手作業を活かしたプロダクトデザインやインスタレーションが印象に残りました。2002年といえばユーロの現金流通の開始年。欧州連合の誕生、ユーロの導入など、欧州での大きな動きが進む一方で、若い彼らは自分たちが生まれ育った国の文化的な背景や自身のルーツに目を向け、各自の問題意識を探る活動を始めていたのです。前年にはアメリカで同時多発テロが起こっています。デザイナーの多くが、人間とは何かという問いに直面している様子も伝わってきました。

色違いの9組のカップ&ソーサーは、アトリエNL、ロニ・ファンライスワイクの『土が描く風景』。オランダ各地の土を収集、地域によって異なる土の色をそのまま生かしている。出自、アイデンティティ等の重要な概念を探求した作品。

そして今日、古来ある素材や、それを用いた伝統的なものづくりの今後に若手デザイナーが関心を抱いているのも、注目すべき点でしょう。「ポスト・フォッシル」展作家の一人、タニヤ・セーテル(1975年ノルウェー生まれ)は来日時、「伝統的な吹きガラスの技は、徐々に消えつつある。だからこそ公に示していくことで、この素材の可能性を示したい」と繰り返し述べていましたが、セーテルと同世代の若手たちが、祖父母の代までごく普通に存在していた手作業や伝統的なものづくりの手法が消えゆく現状を、危惧し始めています。

けれども、ただ単に時を遡るノルタルジックな表現に留まっているわけではありません。現代の技術も必要に応じて取り込んだ制作のあり方を、自分なりに探り始めています。前述したセーテルは、他分野とのコラボレーションにも意欲を示しています。子ども向けのワークショップを開くなど、社会との関わりを積極的に探ろうとしていることも、若い彼ららしい。クラフトとデザインの現代的な融合。社会にメッセージを伝えていくことも重視した、若手デザイナーやアーティストによる、クラフト新時代の始まりです。

文:川上典李子


川上典李子のインサイト・コラム vol.1 後編へつづく

ポスト・フォッシル・キッズ誕生?



ゴールデンウィークが始まる5月1日、アーティストのタニヤ・セーテルが講師を務める子ども向けワークショップ「みんなでつくろう!デザイン・リレー」が行われました。この日初めて出会う小学生の子どもたちがグループに分かれ、リレー形式で作品づくりにとりかかります。



子どもたちは、家で不要になったものを3つずつ持参しました。集まったのはペットボトルや卵のケース、牛乳パックにラップの芯、インスタント食品の容器など多種多様です。そこにセーテルが用意した色紙やクレヨン、リボンやネットを加え、思い思いの自由な発想で色鮮やかな表現に取り組みます。

15分ほど経過すると、制作途中の作品を隣のお友達にバトンタッチ。初めは作品の交換をためらった子どもたちも、すぐに次の作品づくりに夢中になります。このプロセスを3度繰り返し、皆のアイデアと手が加わった作品は、思いもよらない素敵なできばえ。講師のセーテルも、驚いた様子でした。

リサイクルや共同作業を大切にするポスト・フォッシル時代のものづくりを、未来をつくる子どもたちが体感するひと時となりました。

フィリップ・フィマーノによるギャラリーツアー



展覧会も開幕2日目を迎えた4月25日、来日中の本展アシスタントディレクター、フィリップ・フィマーノによるギャラリーツアーが行われました。

ツアーは会場1階からスタート。まず本展のコンセプト構想の経緯、総勢71組の参加作家たちのさまざまな作品には、問題意識や制作方法、素材の共通性があることを紹介。
「黒」を基調とした作品が並ぶ1階ではポスターにも使用されているアトリエ・ファンリースハウトの「ファミリー・ランプ」を始め、作品ひとつひとつを説明。未来の家族のあり方や、動物との関わりの重要性、手をつかったものづくりといった本展のテーマについて解説しました。



階段を降りると、次は「地下ホール」。レザーを用いた作品や動物を模した作品を通して、アニミズム的な自然との繋がりに気付かされます。「ギャラリー1」はナチュラルな色や木、ガラスといった素材、制作過程に即興性を取り入れた作品を中心としたエリア。ちょうど会場を訪れていたアーティストのニコラ・ニコロフ(スタジオ・リ・クリエーション)と、ガラス作家のタニヤ・セーテルが自ら作品を解説する場面も。



彫刻の庭のように構成された「ギャラリー2」には、ものづくりの過程や素材の研究を重視した作品や、未来のテーブルをイメージさせる作品たちが並びます。それぞれの作家の意図を丁寧に説明しながら、ツアーは進みました。フィリップ・フィマーノが宝石箱のようなイメージと語る、メタリックな作品を集めた「アネックス」エリアを抜け、ギャラリーツアーは終了。その後、フィマーノや作家たちに直接参加者から質問をする様子も見られ、展覧会を広く深く知ることができる充実した時間となりました。

オープニングトーク PART2 新世代の作家たち

ノルウェーでのタニヤ・セーテルによる子どもワークショップの様子
タニヤ・セーテルのフードアート

続いて登場したのは、ノルウェーのアーティスト、タニヤ・セーテル。アイスランドの火山噴火を見て、ガラスがいかに自然な素材であるかを再認識したと言います。ミニマルな表現を追い求めていたセーテルは、ある時機能性に飽き始め、手づくりを懐かしく感じます。子どもの絵からガラス作品を制作したり、フードアーティストとともに吹きガラスの熱を用いた料理に挑戦したり。良いアイデアを他の人と共有することで、より良いものができると語りました。

インドでのカーリン・フランケンスタインの作品

スウェーデンから来日したアーティストのカーリン・フランケンスタインは、窯が与えるセラミックのサイズ制限に不満を感じていました。3年前にインドを訪れた際、現地の伝統的な日干しレンガの技法に出会い、ストレスのない制作活動に入れたと言います。展示作品では、牛糞を用いた荒々しい素材とサロン風の形で、緊張感を表現したというフランケンスタイン。自然とプロダクトとの関わりについて、多くの対話を生み出すプロセスが大切だと語りました。

会場の様子

最後にリー・エデルコートが再び登壇し、ポスト・フォッシル時代の「生きた証」である二人のアーティストに拍手を送りました。希望、愛、想像力、健全な暮らし、視野の広さ、謙虚さ、冒険心、共有の概念を備えた、新しい世紀の新しい作家たち。展覧会のオープンに合わせて来日した7人のクリエーターを、アシスタント・ディレクターのフィリップ・フィマーノがユーモアたっぷりに紹介しました。会場からも、作品のサイズからエデルコートの夢まで興味深い質問が飛び交い、展覧会のオープンにふさわしい熱気に満ちたひとときとなりました。


PART1 「ポスト・フォッシル」が意味するもの
PART2 新世代の作家たち

オープニングトーク PART1 「ポスト・フォッシル」が意味するもの

会場でのリー・エデルコート

「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展の開幕となる4月24日、本展ディレクターのリー・エデルコートと参加作家のタニヤ・セーテル、カーリン・フランケンスタインによるオープニングトークが行われました。
エデルコートはまず、本展の企画のきっかけとなった三宅一生のキーワードを紹介。それは、デザインの次の時代を切り開こう、という願いを込めた「break(ブレーク)」でした。

会場入口に展示されている「ドゥー・ヒット」や展覧会のポスターにもなった「ファミリー・ランプ」など、象徴的な作品を例にあげながら、消費者が制作プロセスに関わり、アートとデザインの境界が消え、新しい家族のあり方が模索される「ポスト・フォッシル」時代のものづくりについて丁寧に解説。
展覧会のタイトルには、「アフター・フォッシル」、「ネオ・フォッシル」という二つの意味を込めたと語ります。

マライン・ヴァンデルポル「Do hit」
アトリエ・ファンリースハウト「Family Lamp」

原始的な素材の可能性に耳を傾け、表現は概して控えめ。人間と自然や動物の関わりを探求し、リサイクル、リユース素材を活かし、即興性を取り入れる。美よりも制作プロセスを重視してプロダクトに魂を吹き込み、人々が愛着を持てるデザイン。

ナチョ・カーボネル「Evolution Collection」(会場写真)

理論と感覚に橋をかけ、手をつかった仕事を再評価し、化石燃料時代の次を担う新世代の作家たち。今年4月のミラノサローネでエデルコートが最も感動したという、ナチョ・カーボネルをはじめとした様々な作品のスライドを上映しながらの説明でした。


PART1 「ポスト・フォッシル」が意味するもの
PART2 新世代の作家たち

企画展 リー・エデルコート ディレクション 「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展

ディレクターからのメッセージ

大転換の時代が到来しました。
社会は今や前世紀と永遠に決別しようとしています。今日では問題視されたり疑問が示されたり、破綻をきたしている創造行為におけるさまざまな決まりごと、理論的な諸ルール、さまざまなスティグマ(汚点)を断ち切るために。そして、物質至上主義を脱却し、代わりに、慎ましく地に足がつき、組み立て直された状況を実現するために。

ここ数十年で最悪の金融危機の余波を受けて、流麗華美な、デザインのためのデザインの時代は終わりを告げています。新世代のデザイナーたちは、彼らのルーツをたどり直し、自分たちの地球を今一度清め、時には世の始まりにも遡りながら人類の歴史を研究しています。

このプロセスを通して、彼らは自分たちのデザインを考案し、具体化していきます。素材はまさに自然でサステイナブル(持続可能)なものを中心とし、とりわけ木材や皮革、パルプやファイバー、あるいは土や火を好みながら、現代の穴居人さながらにシェルターやさまざまな道具、手づくりの機械類を新たにデザインし、つくり直しています。また、古代のさまざまな儀式を、より簡素な、しかしながら満ち足りて充実したライフスタイルを創出するべく再解釈しています。明日のフレッド・フリントストーン(*1)のように。

骨格構造は、生物の生長過程に倣った太古の住居や千年来のさまざまな造形物を特徴づけます。また、手吹きガラスや手焼きのうつわが未来の食卓を彩り、いつしか食されなくなっていた野菜や地元で収穫された旬の食べ物が盛られ、さらなるスローフードが提案されることでしょう。

素材は概して地味で慎ましいものとなるでしょうが、しかしながらこの世代のデザイナーたちは、地球が大地に秘める富、すなわち鉱物や合金やクリスタルの利用にも誘なわれ、艶、そして時には輝きまでをも、これら一連のフォッシル(化石)のようなコンセプトとクリエーションに付加します。これらのデザインでは、じきに復活する運命にあるアルテ・ポーヴェラ(*2)の本質に共鳴するところも、時に見ることができるでしょう。
こうした動きの主要素となっているのは"自然"です。ここでは自然はもはや無邪気で情熱的なエコロジー言語の文脈では用いられていませんが、しかし、さらに新しい時代にふさわしい成熟した哲学として用いられています。提起されるべき問題を、提起すること......。


より豊かになるために、より少ないものでやっていけるでしょうか?
デザインは魂を持ち、それゆえ生気に満ちたものとなりうるでしょうか?
人はより意味ある消費の方法を見つけられるでしょうか?
私たちは、過去と決別し、新たな未来を創造できるでしょうか?

リー・エデルコート



*1 アメリカのテレビアニメ「原始家族フリントストーン(原題:The Flintstones)」の主人公。
*2 1960年代後半にイタリアで起こった芸術運動で、美術評論家であるジェルマーノ・チェラントの命名。原義は「貧しい芸術」。セメントなどの工業素材、石や木などの自然の素材を用いた作品が生まれた。

展覧会ポスター

スペシャル鼎談「地と図」



最後のトークイベントは、深澤直人、藤井保、今回展覧会のアートディレクションをつとめた副田高行の鼎談形式で行われました。テーマは「地と図」。「じとず」と読むこの言葉は深澤からの提案でした。しかしなんと、当日まで「ちとず」だと思っていた藤井と副田。スタートから会場は笑いに包まれつつ、トークは深澤の「地と図」の説明から始まりました。

「地と図は3人のものづくりへの共通項だと思った」と深澤は言います。それぞれの図である被写体やプロダクト、商品だけに焦点をあてるのではなく、地である背景や生活風景も常に視野にいれるという姿勢。「僕らはものを凝視しない」と語る深澤の言葉から、今回の展覧会の主旨でもある「見えていない輪郭」にも近づいていきます。



以前の仕事中、霧がかったぼんやりとした風景をそのまま写しとることで「見えていないことがリアル」だと確信を持ったという藤井。現代は明るすぎる藤井の言葉に、多くの仕事をともにしてきた副田はうなずきました。深澤の著書『デザインの輪郭』を愛読していて、前日にもおさらいのつもりが熟読してきてしまったという副田。自分の思っていたことがすべて文言になっていてびっくりした、と初めて読んだ当時の感想も披露。最後に3人は見えすぎてしまうこの時代だからこそ、客観的な、引きをもった立場でバランスのいい「地と図」をつくる仕事をしていきたいと志を確かめ合いました。

3人のトークのあとは、恒例の質疑応答へ。着席だけでなく、立ち見の参加者からも積極的に手が挙がりました。今までの仕事からデザインの本質に至るまでさまざまな質問を丁寧に答えていく中、「よいデザインをしていくには?」との質問に「よい地図をつくってください」と答える場面も。それぞれが異なるジャンルで活躍する3人のものづくりの姿勢に、「地と図」の調和という共通項が実感できるひとときとなりました。

深澤直人と巡る「THE OUTLINE 見えていない輪郭」展



12月21日、大学生のために特別に行われた深澤直人によるギャラリートークでは、初めに深澤のデザイン思想と展覧会のテーマである空気や生活、環境や世界と密接に関わるものの「輪郭」について語られました。その後深澤の解説とともに会場を巡り、無印良品のCDプレーヤーやギャラリークレオのコートハンガー、トーネットのエクステンションテーブルなどは深澤自身によるデモンストレーションも。ひとつひとつの作品の説明に熱心に耳を傾ける学生たちの姿が印象的でした。

トークの後半は、「通常よりもライティングを落として自宅のリビングのように落ちつける空間に構成した」という会場で、学生たちとの質疑応答。デザインを始めて30年になる深澤に何度か訪れたという転機や、アメリカで仕事をした頃のエピソード、学生時代の時計の課題や子どもの頃に最初にデザインを意識した車の話など、話題は尽きませんでした。
「ものの形ではなく関係に注目し、人の気持ちの中にあるものの原型を探す」という深澤直人のデザインと素顔に触れられる、熱気に満ちた時間となりました。

光と風に向かう―写真家 藤井 保の視点を体験



藤井 保が仕事をする写真スタジオは、半地下のテラスを改造し、自然光が差し込む心地よい空間です。ワークショップは展覧会場に原寸大で再現されたスタジオで、代表的な3つの光の使い方のセッティングからポラロイド撮影まで、藤井の普段の仕事ぶりを再現するように行われました。熱心に質問したりメモをとる参加者に、スタジオをつくった際に発見した「秘密の」ライティングも特別に披露しました。



「深澤直人さんのプロダクトや人柄が魅力的だから連載を4年間も続けて来られた」という藤井は、展示中のチェア「PAPILIO」や洗面器とバスタブ「Sabbia」を例に、曲線の多い深澤作品における光と闇のグラデーションの魅力や、触ることで初めて分かる「皮膚感」の表現を語りました。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』をきっかけに光に深く興味を持つようになった藤井。撮影の際には「どこから見れば一番そのものが輝いて見えるかを見極めることが大切」だと話します。



最後に参加者からの質問に「人間はどうしようもなくものをつくっていく動物。人がつくったものが自然の中でどう見えているかを、風景として表現するのが写真家の役割」であり、「写真家とは、一番前でものを見る仕事。一番前は風が強い。だから風に向かって立てる男であるように心がけている」と答えました。若い人には楽しむこと、好きなことを見つけて欲しいという藤井から、多くの来場者が勇気をもらうワークショップとなりました。

オープニングトーク「2人に見えている輪郭」



2人の活動を通して、私たちが見えていなかったデザインの輪郭に気付く「THE OUTLINE 見えていない輪郭」展。10月31日、関連プログラムとして深澤直人と藤井保によるオープニングトーク「2人に見えている輪郭」を行いました。

出会いのきっかけからトークはスタート。雑誌の連載中も実際に顔を合わせることはほとんどなかったという2人。お互いの仕事を通して、ものが存在するために必要な関係性を表す「輪郭線」の存在に深澤は気付いたと言います。この発見はのちに展覧会や書籍のタイトルにも繋がっていきます。藤井は「深澤がデザインをしている過程できっと見ていた風景を考えた」と今回の展示写真について語りました。

その後、それぞれのものづくりや仕事に対する姿勢へとトークは展開。藤井のヨーロッパロケのエピソードをはじめ、深澤が自ら建てた山小屋での暮らしも話題にのぼりました。



トーク後半の質疑応答のコーナーでは、現代におけるものづくりの意味や、本展をつくっていく上での苦労話からお気に入りの展示写真、出会ってからのお互いの印象に至るまで、さまざまな質問が飛び交いました。多くは語らない2人のデザイン、表現に触れることができる貴重な機会となりました。

「THE OUTLINE 見えていない輪郭」



「アウトラインとはものの輪郭のことである」
「わたしの役割はその輪郭を割り出し、そこにぶれなくはまるものをデザインすることである」


アウトラインとはモノの輪郭のことである。その輪郭はそのモノとそれを取り囲む周りとの境目のことでもある。そのモノを取り囲んでいるのは空気だから、そのモノの形をした空気中の穴の輪郭はそのモノの輪郭と同じである。空気はそのモノの周りに漂う雰囲気を指す比喩でもある。この空気(雰囲気)は、そのモノの周りに存在するあらゆるもの、例えば人の経験や記憶、習慣や仕草、時間や状況や音、技術や文化、歴史や流行などの要素で構成されている。それらの要素のたった一つが変わってもモノの輪郭は変わる。人はその空気の輪郭を暗黙のうちに共有している。わたしの役割はその輪郭を割り出し、そこにぶれなくはまるモノをデザインすることである。
藤井さんの写真を最初に見たとき、そのはっきりとしないモノの輪郭に驚いた。しかし、考えてみればモノは空気や光に溶けているから、人には輪郭がはっきりと見えていないことに気付いた。その事実を知って感動した。藤井さんはたとえモノを撮っていても風景を撮っているんだと思った。わたしのデザインと一緒にその周りの空気を撮っている。藤井さんには、みんなが知っているけど見えていない輪郭が見えている。

深澤直人



「"もの"は何も語らないが、実はその背後に多くの言葉や物事の真理がひそんでいる。装飾とは無縁なプロダクトの実在を前にして、僕は風景や彫刻を見るように写真を撮っている」


深澤さんとの出会いは、雑誌『モダンリビング』の連載で、深澤直人デザインのプロダクトを3枚の写真で構成する企画からである。現在で22回目、隔月刊なので、約4年間そのキャッチボールは続いている。
彼の書物のなかに、週末を過ごすための自作の山小屋には電気も水道もないという話がある。その不便さの中で生活をすることで本当に必要なものは何かが見えてくるという。これ程、最先端の工業製品をデザインしている人間が、その便利さと逆の環境に身を置いて思考をしている。僕は、そこから生まれた表現も言葉も信用できると思った。人には、自己否定も、自然に対しての謙虚さもまた必要なのだ。"物"は何も語らないが、実はその背後に多くの言葉や物事の真理がひそんでいる。装飾とは無縁なプロダクトの実在を前にして、僕は風景や彫刻をみるように写真を撮っている。

藤井 保

未来の骨

エンディング・スペシャルトーク 「未来の骨」



「骨」や「骨格」をテーマに幅広い分野の講師をゲストにトークやワークショップなどを開催してきた「骨」展。その締めくくりとなる今回のトークは、本展ディレクター山中俊治と義肢装具士の臼井二三夫、そして臼井の制作した義足を装着してさまざまな分野で活躍する鈴木徹、大西瞳、須川まきこの3名を迎え行われました。
まず山中が、テレビで義足ランナーが走っている姿を見てその美しさに目を奪われた義足との出会いから語り始めました。続けて臼井が、義肢製作に携わるようになったきっかけについて話しました。小学校の担任の先生が骨肉腫で足を切断し義足を装着することになったり、職探しをしていた際にその時の義足が思い浮かんだと言います。続いて、臼井が働く鉄道弘済会の義肢装具サポートセンターの紹介や、義足の成り立ちや仕組みについての説明に。表面が甲羅のように固い殻で覆われた昔の義足や股関節を切断した場合の義足など、実物を用いて義足の装着の仕方や歩行の際の力のかかり方などを具体的に説明しました。

本展の「標本室」と呼ばれる生物の骨と工業製品の骨組みを展示したパートの最後には、山中がデザインした義足のプロトタイプが展示されています。身体と人工物を繋ぐものの象徴として義肢にはまだまだデザインの余地があるのではないかと考える山中が、どのように「格好良い」プロトタイプを考えていったかについてイラストを交え語りました。スポーツ義足の第一人者でもある臼井は、選手が格好良く見えるのが課題だと言います。そんな義足を使うことがきっかけで、義足であることのストレスがなくなればいい、との思いからです。

出展作品「スプリンター用の義足の提案」(慶應義塾大学 山中俊治研究室)

トーク中盤では、義足アスリートである鈴木徹がその場で自らの義足を外して説明をし、北京パラリンピックで5位に入賞した経験について話しました。同じく義足アスリートの大西瞳は、ショートパンツにカラフルなハイビスカスが描かれた義足で登場し、「義足だからこそかっこよく歩きたい」と義足に「膝小僧を作って欲しい」と臼井にリクエストしたエピソードに触れました。イラストレーターの須川まきこの義足をモチーフとしたイラストも紹介。須川は骨肉腫により義足で生活することになった際に、義足をモチーフに素敵な世界を描くことで自分や同じ境遇となった人たちの気持ちが救われると考えイラストを描き始めたと語ります。



質疑応答では、陸上競技をするにあたり義肢製作には基準やルールがあるのかという質問があり、結局義肢を使うのは人なので義肢だけが進化しても人の能力が追いつかず身体が壊れてしまう、という鈴木の答えが印象的でした。

その後出演者とトーク参加者は1階館外へ移動。実際に鈴木と大西による走行の様子を見学しました。鈴木と大西が歩行トレーニングからダッシュをすると、軽やかな走行とスピードに観客からは感嘆の声。鈴木は途中通路を区切っていたパーテンションを飛び越えるパフォーマンスも披露。一同から大きな歓声が上がった瞬間でした。



普段生活をしている中では見えにくかった義肢という世界をデザインという視点から垣間見ることで、身体と道具の関係を考えさせられる貴重な時間となりました。山中のデザインした義足をはめてパラリンピックで活躍する選手を見られるのもそう遠い未来ではないかもしれません。

夏休み。海と魚、魚の口の物語。

ワークショップ3 「紙が魚になった!?―見て、つなげて、組み立てよう」



夏休みも中盤にさしかかった8月の昼下がり、21_21 DESIGN SIGHTでは、プロダクトデザイナーのマイク・エーブルソンによる親子向けのワークショップが行われました。ワークショップはまず、夏らしい海の話からスタート。「外から見てもきれいだけど、中を自由に泳ぎまわる魚が特に好き」と語るエーブルソンは、こども達に本物の魚の骨に触れてもらいながら人と魚の違いを説明。「口の形」をその大きな違いの一つに挙げました。

エーブルソンによると、手のない魚は瞬時に口を大きく開いて獲物を捕らえねばならず、口の仕組みはとても精巧です。「魚の気持ちがわかるかなと思って」と制作した魚の口の模型を頭にかぶって動かすと、会場からは大きな歓声が。口の中にもう一つの口があるうつぼや、魚同士が口をつつきあって喧嘩をするビデオを見ながら、海の生物たちの多様な姿を学びました。

マイク・エーブルソンによるスケッチ

続いてカゴマトダイとアオブダイの口を制作。まず、エーブルソンの用意した型紙をカーボン紙で厚紙に転写し、はさみで切り抜きます。自由に色や模様を加えたら割ピンで各パーツを留め、ピンを輪ゴムでつないで完成です。身近な素材でつくったオリジナルの魚の口に、こども達は夢中の様子。「親子で沖縄の海に潜って魚を一杯見て来たばかり。頭の中に魚が沢山泳いでいるから、とてもおもしろい」とのコメントもあり、ものづくりを通して身の回りの生物の構造に触れる、充実した夏の時間となりました。



建築における骨

サマースクール「デザインのコツ」:理科



「自由の女神とガンダム、阿修羅像とF1カーはどう違うのか?」
構造エンジニアである金田充弘のレクチャーは、身近な立体物の見えない骨格を考えるクイズから始まりました。
内骨格と外骨格は、骨格を体の内側に持つか外側に持つかという構造の違いであること。エンジニアリングとは、効率のいいもの、美しいものをつくることであること。建築が静止するのではなく揺れる機構を作り、「踊る建築」を実現することもこれからの建築エンジニアリングの持つ可能性の一つであると話しました。
それは、環境に存在する見えないエネルギーとの付き合い方の新しい提案でもあります。



「ステッピングコラム」という機構で実現しようとした事例を紹介しました。これは、バネのように伸びる性質を持ち、風等の外的な負荷を静止した状態に比べ4割も削減することが可能です。また、地震が起きた時に震動を熱に変換する等、建築を取り巻く環境に存在するエネルギーを変換、分散させることによって「動的」な建築を生み出すことが可能であると話されました。また、ファスナーを使って張りや堅さ、柔らかさを自由自在につくりだすことを試みる建築の研究事例も紹介。素材や環境の特性を見極め、建築という枠組みに縛られることなく、幅広いテクノロジーを建築以外のものから導入してアイディアにしていくことによって環境と建築の新しい在り方を追求しています。今回のレクチャーは、そのような金田の提案が沢山盛り込まれ、新しい発見を与えてくれるものでした。

形(カタ)から学ぶ空手一日入門

空手家の諸岡奈央と内海健治による、迫力のある「形」の演武から始まりました。



21_21の建物中に響き渡る気合い入れの声。道着の擦れる音が参加者側にも聞こえるほどキレの良い、すばやい動き。見えない敵をしっかりと睨む目つき。
二人とも非常に力強く美しい演武に圧倒されつつ、松本和佳によるインタビューで、今回のレクチャーが行われました。



二人が披露した「形」とは、もともと誰でも空手を始められるように構成された技のことでした。内海は「形」について、自分と戦いながらやるもの、年を重ねてもどこまでも鍛錬していけるものだと語ります。
諸岡はその「形」を練習する際、体の軸を意識し、自分の体が床に対して垂直であるようにすると言います。その方が回るときも技を出すときも力が伝わりやすく、効率的に動くことができるのです。また、そのように自身の体と向き合って、脳が指令を体に伝えるのを意識して動くことが非常に面白いのだそうです。
このように空手において「形」とは、練習の基礎になるものでもあり、また実力の評価基準になるものでもあります。特定の形に忠実に披露できているかということはもちろん、表情や立ち方、姿勢、技に対する理解度が評価されます。表情については、その理解からどこまで敵を想像して「目付け」(敵を睨むこと)ができているかが評価のポイントです。立ち方は横に足を開き、横からの攻撃にも耐えることができるようにします。

その後参加者とともに空手の基礎を体で学ぶワークショップ。体の「軸」を意識して立ち、シコ立ちをしたり、見えない敵をしっかりと見据えながら正拳づきの練習などを行いました。



それから諸岡と内海がISSEY MIYAKEのAUTUMN WINTER 2009の服作りに協力したことから、道着に関する話題へ。内海は約20着もの形の違う道着を持ち、それぞれにこだわりがあるそうです。試合により袖の幅を変えることで技を行うときに出る音が違うという話で、自身の動きや道着を身につけたフォルムに対する熟慮に驚かされます。
ここで、諸岡がISSEY MIYAKEの空手スーツ姿で登場。最後に、ギャラリー2の緒方壽人と五十嵐健夫による鑑賞者の影に骨格を持たせることで影がひとりでに動き出す作品「another shadow」の前に移り、諸岡と内海が非常に幻想的な演武を披露。二人の意識の行き届いた動きは非常に美しいものでした。その後も参加者が再び二人を囲み、名残惜しむように質問が続きました。

未来の変形ロボットがやってくる!

夏休みキッズスペシャル



「骨」展ディレクターの山中俊治はプロダクトデザインのほか、ロボットの開発にも携わっています。山中のロボットデザインの仕事において欠かせないパートナーである未来ロボット技術センター(fuRo)のメンバーが、移動ロボットHalluc II(ハルク・ツー)と共に満を持して21_21 DESIGN SIGHTにやってきました。

所長の古田貴之の軽快なトークでショーは進められました。まず始まったのはHalluc II開発の歴史から。前身であるハルキゲニアというロボットは古代の生物に由来しています。単に動くロボットではなく、未来の乗り物を目指しロボットと自動車の技術を融合して開発されたのがHalluc IIでした。それぞれ7つのモーターを駆使した8本の脚には多関節モジュールが装備され、状況に応じて変幻自在に移動します。自動車は4輪であるために、前後などの限定された移動しかできません。自動車よりも滑らかに、より自由に動くものをつくろうという山中の提案のもとHalluc IIは生まれました。



Halluc IIが変形するたびに、会場からは拍手や歓声があがります。関節を曲げ柔らかな足取りで前進をしたり、歩きながら床に転がった棒をまたいでみたり。子どもたちの「がんばれー」の声がかかると動くHalluc IIは、まさに生き物のようでした。



「骨から美しいものにしよう」という志のもとにつくられたHalluc IIには、中の構造を隠すような化粧カバーは存在しません。すべてのパーツが必要な骨格であり、骨そのものが動いているという仕組みです。動きや仕組みから考えていくことがものづくりである、とショーに来場した山中はコメントしました。遠隔操縦で動くHalluc IIは、免許がなくても安心な、未来には欠かせないロボットなのかもしれません。

ショーの後は特別に子どもたちがHalluc IIを持ち上げたり、実際にハンドルを握って操縦したりする場面も。夏休みにふさわしい、にぎやかなイベントとなりました。

雪月花の数学 ―日本の美と心をつなぐ数"白銀比"―

サマースクール「デザインのコツ」:数学



数学はどこから来るのだろうか?
桜井からの問いかけでレクチャーは始まりました。
桜井は、数学は歴史を辿れば、全ての物事の「骨」になっていると言います。
私たちがものを美しいと心で捉える瞬間、私たちの心は定規のように正確に、その美しさの裏にある数学に反応しているのです。

桜井は自身が発見した様々な美を、数学的に裏付ける比率や数式を紹介。
例えば、新潮文庫本の表紙の葡萄の位置は、上下の余白が見事に1.6:1の黄金比となるようデザインされています。また、富士山の側面の稜線は対数関数式のカーブにぴったりと重なります。 そしてフィボナッチ数列の作る対数らせんの形状は、DNAや銀河の渦の形状と同じだそうです。このように数学は世界に存在するモノの形状に大きく関わり、美を根底から支え、また美の創造に役立ってきたのだと語ります。



桜井は目には見えない構造に気づき物事の真髄となる部分に触れることが数学者の感性だと言うように、想像がつかないほど幅広い文芸の分野において多くの数や数式を発見してきました。特に華道や俳句、寺などの建築物、日本の風景など、日本文化には非常に多種多様な数学が潜んでいることに会場は驚いた様子でした。

桜井によれば、日本人の感性は、古くから美しい文芸や風景を数式や数として心に焼き付けているそうです。日本の美の「骨」となっている数学を心の定規で感じ取ってもらいたいと熱く語りました。

コスチューム・アートのコツ

サマースクール「デザインのコツ」:体育A



ひびのこづえは、現在伊丹市立美術館と春日美術館で開催中のキタイギタイ展の、てぬぐいにもなるポスターから話を始めました。
展覧会は「骨」展に通じるところがあり、様々な生物の形をした服や家具が展示されているそうです。
ひびのは「NHK教育 からだであそぼ」での衣装デザインとセットを手がけており、体の部位をテーマとした映像を紹介しました。

ひびのは、制作時には自分のひらめきや感性を大事にすると言います。衣装では少しグロテスクな部分があってもストレートに表現するようにしているとのこと。
例えば「ほねほねワルツ」という骨がテーマの映像では、白黒の骨がプリントされた衣装を着て踊るダンサーのために、真っ赤なステージを用意しました。それは、骨の周りには血があることを瞬時に感じたからだと話します。
他にも、血管の模様がプリントされた全身タイツに心臓や肺などの臓器をモチーフとした小物を組み合わせるなど、多くのユニークな衣裳をつくっています。番組中ではダンサーの森山開次がそれを着て踊りました。後半は友人でもあるコンドルズ主宰・振付家・ダンサーの近藤良平が登場し、ひびのが野田英樹作・演出の舞台「パイパー」で近藤のためにデザインした衣裳を近藤が着て説明をするという豪華な共演が実現。



ひびのは、ダンサーのために衣裳をつくると、服を着た時の体の動きについてのフィードバックを得やすく、服と体の密接な関係がリンクしやすく、デザインが決まりやすいと話しました。

からだを動かすコツと実践

サマースクール「デザインのコツ」:体育B



2時限目は、近藤良平によるワークショップです。
近藤が奏でるハーモニカのメロディに沿って二人組で互いの手を叩き合ったり、全員で大きな円になってウェーブをしたり、笑いの絶えないワークショップにより静かなギャラリー全体の雰囲気が一気に和んだ様子。

全員で手を繋いで円になり、皆で一斉に同じタイミングで飛ぶという体操では、繰り返すうちに徐々にタイミングが揃い、人と同じ感覚を共有していることを参加者それぞれが体感しました。また、二人組になって仰向けに寝転がり90度に上げた足の裏にもう一人が乗るという体験では、普段意識していない足の裏の感覚がいかに大事な感覚であるかを教えてくれました。二人組や参加者全員で身体を動かすことを通じて、人の持っている感覚に興味を持つことの面白さを伝えてくれるワークショップでした。



身体を動かしてみないと、人は体の動かし方を忘れてしまうのではないかと懸念していると近藤は話します。身体の動かし方を忘れてしまうと、自分の身体が自分のものだという意識が薄れ、人任せな行動を取りがちだと考えているためです。近藤によれば、よりよく自身の心身を維持するには体の感覚を研ぎ澄まし、動かす必要があるのです。近藤は、「骨展に出展するなら生身の人間を二人展示したいくらい、人の動きに魅力を感じる」と言います。周りを巻き込んで体を動かすことが好きだと笑顔で語る姿が印象的でした。

リアルなものが美しい

サマースクール「デザインのコツ」:美術



デザイナーでも科学者でもない立場だからこそ、美術館や博物館とはデザイン、サイエンス、エンジニアリングという三者の接点になりうるのではないかという切り口で語った西野嘉章。
東京大学総合研究博物館に着任し博物館と展示のあり方を考え続けてきた経緯の中で、ものの存在の背景にある「リアルさ」が感動につながると言います。持参したイノシシの骨と石器を来場者に触らせながら、生物が痕跡を残した証明としての骨、また100万年の間同じ形が保たれていた人工物として石器を紹介しました。更に、実物のハンドアックス(石器時代の手斧)を見せながら、自然界に存在しない「対称性」をつくったことが人間の創造力の大きな進歩を指し示していること、ものを認識し頭の中でイメージして形を創造するという行為こそ人間が最初に持った美意識ではないかと問いかけました。



そして、自然界に存在する知恵をクリエーションに生かしていくためのデザインの意義についてふれ、アートとサイエンスの中間にこそ新しい何かが生まれるのではないかと語りました。型にはまった区分ではなく、「定義されないもの」こそが興味深いという考えから、「美術」以外は受け入れないという従来の美術館の体制を壊し、新しい文脈を生み出していくことが重要なのではないかと語る西野。「〜にあらず」という姿勢の重要性や豊かさを通して、既存の概念や枠組みにとらわれずに文化を創造していくことの大切さを教えてくれました。

身の回りのかたちを描いてみよう

サマースクール「デザインのコツ」:社会



3時限目「社会」の授業では、本展ディレクターの山中俊治が、身の回りのものの形と構造、そしてそれらと社会とのつながりを体感するためのスケッチ教室を開催しました。

まず参加者それぞれが鶏を描いてみることからスタート。人間の脳は特徴を抽象化して記憶している場合が多いため、何も見ずに鶏を描くには、たとえば足の仕組みを考えて描くと描きやすいと山中は指摘します。画家が物体のディテールを細かく見るのは、その物体の仕組みや構造を正確に捉えるという目的があるのです。次に、「公共空間にあるもの」を題材に、信号、そして普段私たちが使用しているSUICAの自動改札機を描きました。山中は、SUICAの形状の説明に加え、10年前にJR東日本に依頼されて始動したSUICAの開発プロセスについて、映像とともに語りました。開発や制作にあたり丁寧な実験をすることでデザインが社会性を獲得するとし、デザインとアートの違いにも触れました。



続いて、大根おろし器。山中はGマークを受賞したOXO社の大根おろし器の開発の経験を通して「私達が知っているもの、いつも使っているものを丁寧に観察していくこと」こそが、道具に変化をもたらすきっかけと成りうると言います。
最後は、山中が参加者の質問とリクエストに応えて人間の走る姿や手、自動車等を描くコツを披露しました。

作曲、録音、演奏に於ける構造/音楽理論の拡張

サマースクール「デザインのコツ」:音楽



7月25日、サマースクールの第二日目の授業を開講しました。 1時限目「音楽」では、音楽家の菊地成孔が、音楽理論の歴史をふまえた上で、音楽における構造(骨)とは何かについて語りました。

音楽理論の成り立ちに「神への信仰」から「科学への信仰」へ移り変わっていく社会背景が関係していることや、楽典は神が創造したルールではなく人間が「音楽を科学する」ことによってつくりだされたルールであるという話から講義が始まりました。また、音楽理論を利用して音楽の骨格を緩めたり、制約をかけたりすることで音楽をコントロールするという作曲における概念についても語りました。



西洋の音楽文化において、上方倍音、下方倍音など「音楽を科学する」ことによって人間が創りだしてきたルールがグローバルスタンダードを生み出し現在まで受け継がれてきたという事実は、音楽の構造を考えるうえで避けられないことだと指摘します。
会場では自身の楽曲を鳴らしながら、菊地の音楽製作においては、それぞれ独立したテンポに従うプレーヤーが様々なリズムをずらし時には合わせることで、「根本の構造がおかしい」曲をつくり出し、「さらっと聴けるけれど実はすごいこと、新しいこと」という音楽における新しい「骨」のあり方を追求する姿勢も垣間見られました。

ものづくりの骨組みにある、デザインとエンジニアリングの境界線とは。

サマースクール「デザインのコツ」:特別講義 「デザイナーvsエンジニア デザインを巡る攻防」



「骨」展はデザインとエンジニアリングをつなぐキーワードとして「骨」や「骨格」にアプローチしています。
デザイナーとエンジニアがそれぞれ働き、共につくり出すもの、また彼らを取り巻くデザイン環境とは。両方の視点を持つ山中俊治のナビゲートのもと、サマースクール「デザインのコツ」特別講義は、日産自動車のデザイナー谷中謙治とエンジニア小野英治、イクスシーで商品開発を行った堀尾俊彰を講師に迎えて行われました。

まずデザイナーとエンジニアの違いから講義は始まりました。一般的にデザイナーは外側をつくる、エンジニアは内側をつくるものだと思われているが、それは違うと思うと山中は会場に投げかけます。
本展では会場1Fに入場するとすぐ目に飛び込んでくる日産フェアレディZ。それは長い歴史を持った難しいプロジェクトであったと日産の二人は語ります。自動車は0からデザインをするのではなく、与えられた条件(寸法やエンジンの大きさなど)の中でつくられていると谷中は言いました。小野は内側である構造設計の条件をふまえて、外側の車体のデザインを行うということは、目に見える部分もまた骨格の一部であるのかもしれない、と答えます。

展示風景。「生物の骨・工業製品の骨」より「フェアレディZ CBA-Z34」(日産自動車株式会社)

また、出展されている椅子たちの中でもひときわシンプルな骨組みを持つイクスシーの「OLIO 1009」。それは堀尾がイクスシー開発部に所属し、ライセンス生産が主流でデザインはしなくていいと言われていた時代に、構造からデザインをして生まれた椅子です。理に適ったかたちを作り出すために、自らコピー紙を使って構造を探ったり、再生紙を熱圧プレスで成形したりして考案したものです。生産技術とデザインが一体化したエピソードに、家具をつくることの高い目標がうかがえます。



カテゴリーの異なるプロダクトを扱う講師による講義ということもあり、質疑応答は多岐に渡りました。フェアレディのスケルトンモデルを使っての説明や、実際にOLIOを解体する場面も。
ものづくりの目指しているところはひとつだと、山中は言います。多くの人間が並列で作業を行なっていく場合でも、ひとりの人間が直列に作業を行う場合でも、構造とデザインの間に同じ骨を通すことが大切であるというメッセージが、現場の声を通じて実感できる講義となりました。

フェアレディのスケルトンモデル。トーク終了後も閉館まで展示され、多くの来場者が見入っていた。

仕事を楽しむ、コミュニケーションを楽しむ。衣装デザインにおける骨格とは。

サマースクール「デザインのコツ」:技術 「映画衣装における汚しの技術」



7月20日、サマースクールの第一日目の授業を開講しました。
この日の1時限目「技術」の講師は、映画衣装デザイナーの黒澤和子。
父親である故・黒澤明監督とのエピソードも交えながら、映画界における衣装デザインの仕事について語りました。
衣装デザインは、時代考証、キャラクターのバックグラウンドや、好きな色、スタイルなどに加え、その服はどのくらいの年数着ているものなのか等、詳細な設定から始まります。「汚し」と呼ばれる技術は、元々新品として仕立てた衣装をわざと色褪せさせるなどして、衣装に「時間軸」を表現して雰囲気を出すものです。また、衣装デザインにおいては主要キャラクターだけでなく、エキストラの雰囲気がむしろ大事、との話も。そのような細かい設定を骨として、映画全体の雰囲気を監督と一緒につくりあげ、衣装が出来上がったときにはとても達成感を感じると話します。監督やスタッフとのコミュニケーションを楽しむことも、映画のイメージにより忠実な衣装をつくるための大切な要素です。

普段の生活では極力避けたい毛玉を、「汚し」のために逆に一生懸命に作っている。そんな作業も、夢中になることのひとつなんですと楽しそうに語る黒澤の話からは、映画の世界観を表現するための骨格の大切さがうかがえました。

デザインと言葉の結びつき。言葉という骨格の大切さ

サマースクール「デザインのコツ」:国語 「デザインと言語」



サマースクール初日、2時限目は「国語」。講師はグラフィックデザイナーの佐藤卓。
「自分がデザイナーになろうと思ったきっかけは単純で、学科ができないから美術の道へ進んだ。なのに何故"国語"が回ってきたのか」という冒頭の佐藤のコメントに、会場は笑いに包まれました。
今回の「骨」展のビジュアルをはじめ、実際に佐藤がデザインした「明治 おいしい牛乳」、「ロッテ キシリトールガム」「大正製薬 ゼナ」などの商品パッケージを例に、デザインにおける言葉という「骨」の重要性を語りました。
例えば「キシリトールガム」では「デンタル」など、あるキーワードを「骨」としてデザインを進めていくという言語化の過程、その曖昧さゆえ感性に委ねられる言葉は使わないなど、デザインと言語の密接な関係について明快に説明する佐藤。

また、日本語は擬音語や擬態語などの表現が豊かであるという視点から、自身が企画・アートディレクションを手がける番組「にほんごであそぼ」も取り上げられました。日本語の古くからの語彙の素晴らしさや、ひらがなの形の不思議さを今のこども達に伝えたいというコンセプトのアニメーションからは改めて言葉による表現の広がりを感じさせられました。

掃除機でデザインエンジニアを体験

ワークショップ1 「こわしてつくろう!ダイソン親子ワークショップ」



デザインとエンジニアリング、双方の視点から楽しめる「骨」展。ジェームズ ダイソン財団の協力で行われた親子ワークショップは、「デザインエンジニアってどんな人?」という問いから始まりました。「外側を綺麗につくるだけでなく中の構造も同時に考え、スケッチやプロトタイプをもとに手を動かし、皆で話し合いながらつくる」というダイソンのものづくりは、本展の考え方に通じるところがあります。

親子で1台の掃除機を解体してその構造を学んだ後は、エンジニアとの組み立て競争。途中、本展ディレクターの山中俊治が一組一組に声をかけるシーンもあり、エンジニアは「きちんと丁寧に」作業することが早く組み立てるコツだと教えます。続いて、掃除機の「骨」(部品)を使い「○○をするロボット」をテーマに自由に制作を開始。誰もが真剣な眼差しで部品を観察し、どの部分に使うのか、どんな仕組みでどのような動きをするのか、試行錯誤が続きました。



完成後の発表会では、絵本を読む「ヨムくん」や消防士の「消火ロボット」、長い首を使って挨拶する「ハローちゃん」や犬型ロボットの「いちごちゃん」、魚をぶらさげて猫と遊ぶ「キャットくん」や買い物係の「カイくん」など、大小さまざま、色とりどりのロボットで会場は大いに賑わいました。私たちに最も身近なプロダクトのひとつ、掃除機を題材に親子でデザインエンジニアを体験したひとときとなりました。

バーチャルで繋がった技術とデザイン

クリエイターズトーク3 「バーチャルな骨」



3回目になる今回のクリエイターズトークでは、展示作品を飛び越えて3人のクリエイターとナビゲーターに中谷日出を迎えて行われました。

設計会社で働いていたことのある中村勇吾は、橋や建築の構造やヴィジョンを考えると「物のある状態の可能性が見える」といいます。「ある状態」とはものの限界、壊れる様子であり、構造解析プログラムを組んだ展示作品「CRASH」へと繋がっていきました。

本展出展作品「CRASH」(THA/中村勇吾)より

携帯電話のプロトタイプを見せながらトークを始めた緒方壽人は「(プロトタイプでも)作り込まないと本物を使っている気にならない」といいます。それは限りなく本物に近いプロトタイプを使うことによって、より精度の高い実験となるのです。プロダクトからインターフェース、プロモーションの仕事に関わる中で、ソフトとハード両方に携わりたいと語りました。



五十嵐健夫が開発した形状操作インターフェースがモニターに映し出されると、可愛らしいぬいぐるみがモチーフのイラストに、会場からは笑いがこぼれました。画の枚数を重ねて動きを表現する従来のアニメーションとは違い、2Dのビジュアルそのものが指定した支点で動く様子は、今回の展示作品「another shadow」の仕組みの元にもなっています。

本展出展作品「another shadow」(緒方壽人+五十嵐健夫)

トーク終盤にはデザインやものづくりにおいて、気をつけていることや心掛けていることに話が進みました。「プレゼントをつくるような気持ちで」と緒方がおもてなしについて話す一方、五十嵐からは「新しいこと、誰もやっていないようなこと」という研究者らしい答えも。中村は「ない。(ものの)存在理由を考える」と独特の考えを語りました。

トーク後の質疑応答では専門的な説明から、最近気になっているものや情報収集の仕方、日々の趣味まで様々な質問にあふれる楽しい時間となりました。

「生き物の骨」と「デザインの骨」の共通項とは?

スペシャルトーク 「骨のはなし」



解剖学者の養老孟司をゲストに迎え、本展ディレクターの山中俊治との対談形式で行われたスペシャルトーク「骨のはなし」。
「人間のつくったものに興味なし」という養老の第一声で始まったトークは、養老の「生き物の骨」に対する考えと、山中の「デザインの骨」に対する想いが興味深いディスカッションとなって展開しました。

虫をよく分解し研究するという養老。人間とは違い、虫の骨の関節はざらざらしているがゆえ、動く際に独特な音を出し、さらにはその音が虫同士のコミュニケーションとなるといいます。レオナルド・ダ・ヴィンチが一番描きたかったのは「関節」ではないかという養老の考えに、山中も同感。山中は工業製品をデザインする際、関節となる仕組みを考えることが楽しく、そうして出来上がった製品が美しければうれしいと語りました。

また、JR東日本Suica自動改札システムの開発に携わった山中は、アンテナ面を手前に15度傾けたデザイン策を提案。傾いた面に何かを載せるという人間の習慣をデザインに取り入れ、Suica実用化に大きな貢献をしました。それに対し、「穴があったらのぞきたい」精神を利用して何かつくってはどうか?という養老の言葉には客席から笑いが。デザインされたものが日常生活に入り込みやがて習慣となると、人々は「デザイン」と認識せず使用する、そんなデザインをしていきたいと山中は話しました。



虫の中でもどの虫が一番好きですか?という客席の質問に対し、悩んだ果てに「ゾウムシ」と答えていた養老と、本展でも工業製品の「骨」として展示しているISSEY MIYAKEのウォッチプロジェクト第一弾「INSETTO(昆虫)」をデザインした山中のスペシャルな対談となりました。

生き物をまねしたロボットのいのちとは。

クリエイターズトーク 「生き物をまねする」



姿かたちをまねるのではなく、生き物の動きの本質や力学的な動きを模倣することで生まれた六足歩行ロボット「Phasma(ラテン語で魂、息などの意味)」。クリエイターズトーク第2弾はtakramの畑中元秀、渡邉康太郎を迎えて行われました。

トークは近年のtakramの仕事の紹介から始まりました。デザイナーとエンジニアの両面を持つ彼らの原動力は好奇心。2007年に21_21 DESIGN SIGHTにて開催された「water」展での出展作品「furumai」や、今年のミラノサローネで発表された「Overture」などを、プロトタイプやムービーを交えて楽しく紹介しました。



トーク後半では畑中のスタンフォード大学での研究を基に、本展のために改良を加えたロボット「Phasma」の制作エピソードが披露されました。設計構造の解析に始まり、試行錯誤を経て生まれたロボット。畑中はむき出しの無機質な骨を持つロボットが動いた瞬間に「いのちを感じてほしい」と語りました。

トーク終了後は館外で「Phasma」の走行実演も行われました。地面の上を自由に動き回るロボットを囲みながら、次々と質問が飛び交う充実した時間となりました。

幻の復元屋、参が発掘した謎の骨格の行く末は。

クリエイターズトーク 「参の発掘調査報告会」



ものづくりの背後に潜む「思考の骨組み」に触れられるクリエイターズトークの第1弾は、出展作品「失われた弦のためのパヴァーヌ」の作家、参(マイル)が登場。昼間はそれぞれに仕事をもつ3人が共同のプロジェクトで大切にするのは、作品に秘められたストーリー。今回はヤマハ株式会社のご協力のもと、ピアノの骨格を用いた作品を発表しています。

トークでは「参=骨格の復元屋」、「ピアノの骨格=謎の構造物」、「会場=ピアノを知らない世界の住人」という設定で、作品の構想が語られました。白衣をまとった参の3人は、謎の骨格を観察し、考察し、もとのかたちを想像します。ハンマーのような動きから「何かを叩く」というキーワードを発見し、川の水に光がきらめく様子を見て「光を叩いたのでは」とひらめきます。

後半の「大人のための解説」では、プリズムに金属の蒸気を付着させて12色を表現するなど、制作の技術的な背景も語られました。トーク終了後には、ジャズピアニストの永田ジョージによる生演奏も行われ、幻想的な色と光の音楽を奏でる作品のまわりには、閉館時間まで人込みが絶えませんでした。

九代目からくり人形師と三代目(?)電機屋の「からくり対決」の決着は。

オープニングトーク 「からくリミックス」



色やかたちだけではなく、構造や仕組みからデザインを考えることをテーマに企画された「骨」展。オープニングトークは、本展の目玉作品でもある「骨からくり『弓曵き小早舟』」と「WAHHA GO GO」の作者を迎えて行われました。
トークの間には、伝統的なからくり人形「茶運び人形」「弓曵き童子」の実演や、電動楽器「メカフォーク」と「セーモンズ」による生演奏もあり、木と金属という全く違う素材を使いながらも、「骨」から考えることで生まれた動きや声に、満員の会場は驚きと笑いの連続でした。



山車からくりを軸に「200年以上も前のものが祭りに支えられて生きている」と、からくり人形の世界に土佐が素直に感嘆すると、「からくり人形も進化したら声を出すかもしれない」と玉屋が応え、「次は、玉屋さんと明和電機さんとのコラボレーションで『笑うからくり』が見たい」との声も。
21_21 DESIGN SIGHTを舞台に行われた九代目からくり人形師玉屋庄兵衛と父、兄と続いた三代目(?)明和電機のからくり対決から、「未来の骨」を探る新たな視点が生まれました。

第五回企画展 山中俊治ディレクション「骨」展

過去の骨格に学び、未来の骨格をデザインする

一冊の写真集がある。漆黒の背景に浮かび上がる様々な生物の骨格。生きているときの配列が忠実に再現された白色の物体は、しなやかに連動し、伸び上がり、走り、滑空する。骨という構造体が抽出されることで、生物の持つ躍動感がいっそう強調されているかのようだ。

生物の骨格は、その優美な外観と見事に連携している。全てが一つの細胞から分化して生成されるプロセスを思えば、その関係が不可分なのも当然かもしれない。しかし人工物のそれはどうだろうか。振り返れば、骨格を隠蔽すべく見ばえを恣意的につくってきた行為こそが、デザインだったのではないかという疑念もわく。それでも、デザインの根幹はその製品の骨格にあるのではないかという期待もある。

現実には、私たちが日常的に接する道具や装置にも、ふと生物に通じる有機的な佇まいを感じることがある。自然のものに似せることを意図したわけではない、金属やプラスチックでできた工作物が、命を思わせるのはなぜだろうか。実際に工業製品の 構造体を収集してみると、その問いへの答が見え隠れする。共通の目的に向かい連携するように組み上げられた部品の配列、長年の工夫の積み重ねからなる進化の痕跡。それらが完成形ではなく、これからも変わっていくことを予感させるあたりにも、生き物に通じるものがある。

では、未来の骨格はどのように変わっていくのだろうか。テクノロジーは人と人工物の新しい関わりを生み出しつつあり、デザインの自由度を広げ、時には突然変異をも誘発する。新素材の骨、高精細な骨、伝統に支えられた骨、自然に学んだ骨、情報技術に見る仮想の骨。クリエーターたちとともに、改めて「骨」と「骨格」を合言葉にデザインを行い、またそれらに触発されながら、次に私たちがつくり出すべき世界の本質を探してみたい。

本展ディレクター 山中俊治

「ものづくりと環境」開催



4月25日(土)、南伊豆を拠点に活動する陶芸家 塚本誠二郎と三宅一生によるクリエイターズトーク3「ものづくりと環境」が行われました。

塚本は学生時代に旅した伊豆に魅了され、その後東京で見た陶芸展で「ものの後ろ側に人が感じられる焼き物の可能性」に注目。伊豆に居を構えて38年。陶芸においては、「成分が均一でない伊豆の土が、焼くことでたわんでいく表情」が魅力だと語りました。自身が暮らす環境を軸に様々な作品を制作し、近年は陶芸だけでなく、幅広い表現方法で作家活動を行っています。

東京のギャラリーで塚本の仕事に出会った三宅は、後に作品が「自然のままにごろごろと」並ぶ伊豆の自宅兼工房を訪れ、「生活の中で日本や地球全体が抱える環境の問題と対峙しながら、とどまることのないアイディアと独自の方法で表現を続けている」塚本の人柄に感動したと言います。

美しい海と山を抱える伊豆の自然の中で、「山をがりがりと削るような、機械を使う人間の力」が及ぼす影響を痛感するという塚本。三宅は「ものづくりをする我々は、常に時代と社会について考える必要がある」と語りました。満員の会場には、塚本のうつわや家具が特別に展示され、ものづくりと環境について多くを考える機会となりました。


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塚本誠二郎 展 
2009年5月18日(月) - 30日(土)
12:00 - 19:00 (最終日17:00まで)日曜休廊
巷房ギャラリー
104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル3F Tel/Fax 03-3567-8727

安藤忠雄 大いに語る vol.2



4月11日土曜日午後、2回にわたり、建築家 安藤忠雄によるギャラリートークが開催されました。 21_21 DESIGN SIGHT の建築を設計した安藤は、今回の「U-Tsu-Wa/うつわ」展の会場構成も手がけ、展示のみどころについても話しました。

建築の分野に限らずさまざまな世界で活躍している安藤は、都市とは「緑」と「文化」があって成立するものだとの意見。ヨーロッパにみられる都市には活気のある文化施設があり、東京も是非、文化施設を大切にして欲しい。日本を「チャンスのある国」、外国人に対して「開かれた国」にし、誰でもチャンスを求めて日本に来るような「文化の国」にすべきだと語りました。

各回200名程の方にお集りいただき、トークの後にはサイン会も行い、大変にぎわいのある土曜日の午後となりました。

「陶でつくるオリジナルボタン」開催



4月4日土曜日、ミッドタウン・ガーデンではようやく桜が見頃になり、たくさんの人で賑わう中、現在展示中のルーシー・リィーのボタンにちなみ、陶芸家の金子真琴氏を講師に迎え、陶でつくるボタンのワークショップを行いました。

まずは展示中のルーシー・リィーのボタンを見学し、制作するイメージをふくらませます。アクセサリーとしてのボタンや、ブローチ、髪留めの飾りなど、さまざまなアイデアがあるようです。
頭の中のイメージをスケッチし、いざスタートです。
カッターや定規なども使用して陶土を成形し、5つのボタンを作ります。白い陶土に3色をランダムに混ぜてマーブル模様にしたものや、間に別の色を挟んで周囲をカットし、断面が層になって見えるもの、お子さんの顔など素敵なボタンがたくさんできてきました。 形ができると各自自宅に持ち帰り、約1週間乾燥。その後は家庭のオーブンで焼き、最後に防水仕上げ液を塗って完成です。

手を使ってつくることの楽しさや、創造することの素晴らしさを体験していただけたワークショップとなりました。

こんな時だからこそ、「正しい」デザインとは?



4月3日、21_21 DESIGN SIGHTの2周年を記念して、ディレクターズの佐藤卓と深澤直人によるスペシャルトーク「こんな時だからこそデザイン」が行われました。

世界中の企業を相手に仕事をする深澤からは、経済も情報も「太り過ぎた」現代、逆に「何が本来の価値なのか考えやすくなったのでは」との意見。グラフィックの世界でもひしひしとデザインと真撃に向き合う時代を感じているという佐藤は、「コミュニケーション、言葉にすることが大切」と語りました。
そんな中、深澤は「正しいデザイン」という考え方を提案。センスや個性がつくる「良いデザイン」から、社会的で責任感のある「正しいデザイン」へ。その考え方に深く共鳴した佐藤も、「デザインとは、気を使うこと」との持論を展開しました。
トーク後には会場とのやりとりも活発に行われ、来場者とともに現代におけるデザインの役割について考えるひとときとなりました。

「うつわ――他者を受け入れるもの」開催

小川待子


ひびや割れなど、土本来の性質を引き出したスケールの大きなうつわを手がける、陶芸家の小川待子が自身の制作について語りました。

小川の創作の原点は、西アフリカでの生活にあります。現地の人々がうつわづくりに用いる「たたき」や「ひもづくり」の技法を用いた作品をはじめ、身体装飾や木製のマスクなどからヒントを得た作品も紹介。また、小川の作品によく用いられる、透明感のあるガラス釉は、アフリカでの生活で水が手に入らなかった辛い経験と、世界中を旅した際の水の記憶からきているそうです。土の破片から、大地や生命、時間の堆積へと大きな広がりを感じさせ、見るものを包み込む小川のうつわづくりに、来場者は興味津々の様子でした。

手で編み、つくり上げるうつわの世界を体験



3月21日、バスケタリー作家の本間一恵の指導のもと、男女幅広い年齢の方々が参加してうつわをつくるワークショップが行われました。
うつわといえば、木や陶などが代表的ですが、このワークショップでつくるのは、手で編むうつわ。梱包用の紙テープを用い、口から編んでいくのです。
木のうつわや陶器と違い、手で編むうつわの特徴は、でき上がった形が動くこと。編んでいくうちにでてくる縮みが独特な形を生み出します。梱包用テープも、裂き方や、伸ばしたり叩いたりという加工によって、何十通りにも風合いを変えることができるのです。

編んでいくうちに出てくる縮みと格闘しながら、それぞれのうつわを作り上げた参加者の方々。男性の方が意外ととても繊細なうつわを作られていたりと、できあがったものを全員で眺める時間もとても楽しいものでした。

3月25日より特別展示が始まります

写真:岩崎寬(STASH)

「ボタンは、ルーシーさんの創作の原点、出発点だったのだろう」と三宅一生が語る、ルーシー・リィーが戦中戦後に制作していたボタンの数々。1989年、リィーとの交流を深めていた三宅は、ISSEY MIYAKE秋冬コレクションで、そのボタンを使った服を発表します。リィー自身も、「ボタンが40年ぶりに息を吹き返した」と、心から喜んだそうです。

そして、それから20年。21_21 DESIGN SIGHTに、当時の服が新しいスタイリングで登場します。「U-Tsu-Wa/うつわ」展の会場にちりばめられた606のボタンとともに、今を生きる服とボタンの姿を、ぜひお楽しみください。

写真:岩崎寬(STASH)

「陶のボタンをつくろう!」開催

岡崎裕子と参加者たち


「U-Tsu-Wa/うつわ」展では、ルーシー・リィーが戦中戦後に手がけた陶のボタンが特別に展示されています。そんな陶のボタンをつくるこども向けワークショップが陶芸家の岡崎裕子を講師に迎えて行われました。

まず、実際のルーシー・リィーのボタンを見て、これからつくるボタンのイメージを膨らませ、制作開始です。1つめは、土の扱いに慣れるため、ルーシー・リィーのボタンをまねて、棒状に伸ばした土を結んで、みんなで同じものをつくります。2つめのオリジナルボタンの制作では、植物や動物をモチーフにしたものや、表面に模様をつけたり、色化粧を鮮やかに施したものなど、こどもたちの自由な発想から生まれた個性的なボタンがたくさん並びました。
岡崎の丁寧な指導のもと、こどもたちは制作を楽しんだ様子で、1ヶ月後の焼き上がりを心待ちにしていました。

「うつわが語る、森林の姿」開催

須田二郎


環境問題に興味を持ち、森を活性化する方法はないか、という試行錯誤の末、うつわ作りを始めたという木工作家、須田二郎が自身の活動について語りました。

障害木を使ってつくられるウレタンや漆を塗らない食器類は、商品としてはなかなか受け入れられないという現実の中でも、支持してくれる人たちがその使い道を発見してくれたと語る須田。公開制作で作られたアカシアの木のサラダボールは、サラダを3回ほど調理することで、ドレッシングの油が防水効果をもたらし、その後はスープなどを入れるうつわとしても使えるようになるそう。ユニークな発想とオリジナリティー溢れる須田の活動に、来場者も興味深々の様子でした。

公開制作の様子
トーク後に行われた公開制作の様子

安藤忠雄、大いに語る

安藤忠雄


安藤建築の中で、会場構成も安藤自身が手がけた「U-Tsu-Wa/うつわ」展。当日はたくさんの方がトークを聞くために集まりました。トークでは、三宅一生の服づくりのコンセプト"一枚の布"から着想を得てつくられた21_21 DESIGN SIGHTの建築についての話を交えながら、今回の会場構成のポイントについて語られました。

可会場風景
会場風景

今回の会場構成について安藤は、「三作家の高い美意識を際だたせるような演出を考えた」とし、「水」を使った演出にもついても触れました。小さい頃に見た川の美しさが忘れられず、その美しさを違う形に置き換えたいと常々考えていたという安藤。今回の演出では、水を使いながら「視覚だけなく、聴覚にも訴えるものにしたかった」とのこと。壁面に水を流す演出によって三作家の力強くも静謐な世界観を表現したかった、とその思いを語りました。

オープニング・クリエイターズ・トークを開催

2月14日、「U-Tsu-Wa/うつわ」展オープニングに際して来日した、本展出展作家のジェニファー・リーとエルンスト・ガンペールによるオープニング・クリエイターズ・トーク「大地に向きあい、木と語る――かたちを生みだす想像力」を行いました。

ジェニファー・リーは、彼女が大好きだという、アリゾナやエジプトの砂漠の風景を始め、古代文明の芸術や、彫刻家ウォルター・デ・マリアの作品などを紹介。常に様々なものを見て、それらを自身のフィルターに通すことで、自然を思わせる繊細な色彩や独特のかたちのうつわが生まれるそうです。

ジェニファー・リー


エルンスト・ガンペールは、北イタリアにある、17世紀に作られた古い家を改装した工房の様子や制作プロセスの写真を紹介。また、代表的な作品を挙げ、それらが木の幹のどの部分から切り出されたのかをイラストで解説しました。木工ろくろで木を削り、乾燥の過程で木が自然にねじれ、その木が生きてきた歴史を表す彼のうつわについて語りました。

エルンスト・ガンペール


トーク後のQ&Aでは多くの質問があり、会場は活気に満ちていました。

ヴィジュアルディレクションについて

ヴィジュアルディレクション: 杉浦康平

──「うつわ」は「空(うつ)輪」とも、「宇宙輪」とも書けますね──。
最初の打ちあわせで一生さんがつぶやいたこの言葉が、今回のヴィジュアルデザインのヒントになった。

器(うつわ)は空(くう)。からっぽなもの。その中に飲みものや食べものを満たすと、「空」なる器が「実」に変わる。それを飲み・食べると、「空」である人間の体内に「実」なるエネルギーが充ちる。器はそのまろやかな形で、「空」と「実」の対極を、苦もなく巧みに溶けあわせる。 三人三様。土を練り、形をつくり、倒木を削り、ときにひびわれを誘いだす。それぞれに味わい深い差異を見せる三人のうつわ宇宙を、「空」なる紙面のひろがりに招きいれた。ページを繰る指先のリズムとともに、器自身が静かに舞い踊る。

豊かな伝統的技法と現代感覚を結びつけた器たちの多彩な表情を俯瞰し・見上げて、宇宙遊泳に似た動きを誕生させる。岩崎寬さんの感性豊かなカメラアイと、森山明子さんの情感あふれるテキストが、艶やかなうつわ宇宙誕生の支えとなった。

杉浦康平

会場構成について

ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール。三人のアーティストのつくる〈うつわ〉には、生活文化としてのデザインの可能性が、実に豊かに示されている。

とりわけ、ルーシー・リーの作品は、一つ一つが前世紀の百年を陶芸に賭けて生き抜いた彼女の人生の結晶のようだ。モダニズム造形美の極みともいうべき、優雅に研ぎ澄まされたフォルム。美しさと同時に温かみを感じさせる、微妙でデリケートな陶器の素材感。あの白に輝く器たちの透明感は一体何なのかと、彼女の作品を目にするたび、不思議な感動を味わう。

展覧会では、彼女らのみずみずしい感性がより直接的に伝わるような空間演出を考えた。展示室内に水盤をつくり、その水の上に作品を浮かべる。流れる水という空白を介して、その静と動の狭間で、美しいうつわと対峙するという展示構成だ。訪れる人が、作品を通じて、それをつくった作家の心を感じられるような、展覧会になればと思う。

安藤忠雄

会場風景
Photo: Hiroshi Iwasaki

「U-Tsu-Wa/うつわ」展の詳細ページを公開

2009年2月13日より開催される「U-Tsu-Wa/うつわ」展は、陶作家ルーシー・リィーとジェニファー・リー、木の作家エルンスト・ガンペールによる3人展。ものづくりの原点ともいえる3人の仕事とその作品を通して、私たちの生活と文化をうるおす豊かなうつわの世界を紹介します。

詳しくは、「U-Tsu-Wa/うつわ」展ページをご覧ください。

展覧会ポスター
ヴィジュアルディレクション: 杉浦康平

Floatage sense」by KUJUN

クリスマス直前の12月21日、「セカンド・ネイチャー」展において吉岡徳仁によるインスタレーションのサウンド・デザインを担当したKUJUNがサウンド・インスタレーションを行いました。

「安藤忠雄の空間環境を使った実験的なイベントをしたい」というKUJUNが考えたのは、館内のいろいろな場所にスピーカを配置し、移動しながら音の距離感や空間による音の違いを感じてもらうというもの。

即興で演奏されたアンビエント・ミュージックは浮遊感がありつつも力強い、深い精神性を感じさせるもので、来場者はそれぞれ会場を歩き回り、自分にとってのベストポジションで"音"を感じていました。

音の反響が大きいコンクリートの建物。しかし逆にそこを活かし、その音を楽しんでもらおうというKUJUNの発想は、21_21が日頃から考えている "新しいものの見方" にも通じるものと感じました。

デザインレクチャー3「照明とデザイン」を開催

ツアーの様子


12月5日、「セカンド・ネイチャー」展において、吉岡徳仁によるインスタレーションの照明演出に協力したマックスレイ株式会社より、照明デザイナーの甲斐淳一、戸澤貴志、矢嶋大嗣の三名を迎え、トークとギャラリーツアーが行われました。

本展のディレクター、吉岡徳仁より提示された照明のキーワードは、「自然、白、反射光、光のゾーニング(同じ空間を光で区切り、表情を変えるための手法)」。それらのイメージをどう空間に落とし込んでいくか、試行錯誤が繰り返されました。デザイナーの甲斐によると、『インスタレーション「CLOUDS」の空間では、会場奥の壁面にのみ蛍光灯のような強い光をあて、それだけで空間全体を照らしている。それ以外の照明は、各作品に当てられるスポットライトのみ』とのこと。こうして、あたかも雲の隙間から自然光が差し込むような照明が実現し、同時にクリスタルの輝きが活かされるように演出されているのです。

ツアーの様子


一連の説明のあとに行われたギャラリーツアーでは、参加者一人一人が、その照明演出を自身の目で確かめるべく会場を巡りました。それぞれの記憶の中にある自然光のイメージ、皆さんはどう感じとられたでしょうか。

展示作品の魅力を最大限に引き出す照明の大切さを再認識したレクチャーとなりました。

こども向けワークショップ 1「小枝でまちを作ろう!」開催

ワークショップ風景


11月30日、ガーデナーのディビット・ポラードと建築家の和久倫也によるこども向けワークショップ「小枝でまちを作ろう!」が開催されました。

ポラードと和久は、この夏から、国立や奥多摩などで採集してきた木の枝を使って家を作るプロジェクト「Natural House」を行ってきました。今回のワークショップは参加者がこの家を中心に見える景色をスケッチし、そこから自由に建物や乗り物を枝で表現し、街を作り上げるというもの。制作用に東京ミッドタウン内で集めた枝も特別に加えられました。2人がこの日のために21_21 DESIGN SIGHTのテラスに建てた家には、イチョウ・カエデ・サクラなどの枝が使われ、使い終わったトマト缶で枝と枝をつなぐアイデアに、来場者は驚きの様子でした。

こどもたちは真剣な様子で枝を選び、ポラードと和久に手伝ってもらいながら制作を行っていました。次第に周りで見ていた父兄も制作に参加し、色とりどりのテープやネットや洗濯バサミなどで飾り付けをし、個性的で賑やかな街が完成していきました。会場では、青空の下、親子の楽しそうな笑い声が響いていました。

ワークショップ風景


「枝のさまざまなかたちや質感を直接肌で感じてもらいたい。そこからインスピレーションを受け、デザインした街を自分の手で作り上げることでこどもの創造性が高まるのではないか」とポラードと和久。

私たちのすぐそばにある自然について改めて考えるきっかけを与える今回のワークショップは、展覧会のテーマ「セカンド・ネイチャー」につながっていました。

「セカンド・ネイチャー」展オープニングトークを開催



10月18日、21_21 DESIGN SIGHTでは、オープニング・スペシャルトーク「セカンド・ネイチャーとは?」が開催されました。本展ディレクターの吉岡徳仁をはじめ、ともに企画に携わった橋場一男、上條昌宏、岡田栄造、川上典李子の5人が、展覧会のテーマと出展作品について語り合いました。

自身の作品を見た人たちから、そのデザインに自然の要素が潜んでいることを気づかされたという吉岡は、「半分は人間が、半分は自然が」デザインし、「CGではつくれない、偶然性を取り入れ」、自然の結晶構造を用いた出展作品について解説しました。その制作プロセスでは実験と失敗が繰り返され、展示作品のひとつ『記憶の女神』が、5回の失敗の後、開幕直前に完成したというエピソードも披露しました。また、企画協力の一人、橋場一男は、「セカンド・ネイチャー」という言葉が、イタリアで開催された「Art in Nature」という展覧会のカタログから引用され、本展の目指す方向性にふさわしいと、展覧会のタイトルに決まった経緯を説明しました。

「セカンド・ネイチャー」とは何か?―トークの中では、文字通りの「第2の自然」という意味の他に、「新しい考え方」、「表現のスタート」、「記憶の中の自然」、「想像の世界」など、さまざまなキーワードが飛び交いました。しかしその解釈に答えはなく、展覧会を訪れた人々に自由に感じ、考えてほしいと、全員が口を揃えました。

吉岡は最後に、「僕にとってセカンドとは、未来だったりする」と語りました。生き物を支える構造に「未来のデザインが隠されているのでは」という思いから、今回の結晶に行きついたという吉岡。トーク後のQ&Aも活発に行われた満員の会場で、多くの参加者が「セカンド・ネイチャー」とデザインの未来について、それぞれの考えを巡らせたひとときでした。

「セカンド・ネイチャー」展、本日よりいよいよ開催です。



吉岡徳仁ディレクションによる「セカンド・ネイチャー」展が、本日より開催となります。本展ディレクター 吉岡徳仁の最新作「ヴィーナス―結晶の椅子」を始めとした国内外8組のクリエーターによる独創的な作品の数々と、雲をイメージした幻想的な空間。21_21 DESIGN SIGHTに出現した新たな自然、「セカンド・ネイチャー」の世界を、ぜひ感じてみてください。

第4回企画展 吉岡徳仁ディレクション「セカンド・ネイチャー」

セカンド・ネイチャー ―記憶から生み出される第2の自然、デザインの未来を考える

「自然」は私たちの想像を超える美しさを見せてくれる反面、時に恐ろしいほどの力強さを秘めています。同じ物は二つとなく、二度と再現できない自然の姿は、それだけに神秘的な美を備え、人々を魅了します。
デザインとは、かたちを得ることで完成するものではなく、人の心によって完成するものではないかと考えています。また、自然の原理やその働きを発想に取り組むことが、デザインの今後において大切なものとなっていくのではと感じています。

私の空間インスタレーションを目にした人々が、各自が体験してきた自然現象に重ねあわせるようにしながら、その空間について語ってくれるのを不思議に感じていました。人々の体験に喚起される自然の姿とは一体どのようなものなのでしょうか。そのことを多くの方々と考えていくために、本展「セカンド・ネイチャー」では、異才を放つクリエイター7組に参加してもらいました。会場では、それぞれに自然や生命の神秘的な力を伝える作品に加え、空間全体を包む雲のような会場インスタレーションによって実験的な提案を行います。

ひとりひとりの記憶の奥に存在する「自然」から湧きでるように生まれる想像力と、テクノロジーや生命力とが融合することによって生みだされるデザインの未来。改めて地球に問いかけることで生まれる、未来に向けた発想。 それが、私の考える「セカンド・ネイチャー」なのです。

吉岡徳仁(本展ディレクター)

展覧会ポスター

浅葉克己による展覧会ガイドツアーを開催

8月17日、「祈りの痕跡。」展ディレクターの浅葉克己によるスペシャルガイドツアーが行われました。ツアーは、居庸関のハタキで頭の埃を払うことから始まります。最初のコーナー「痕跡」では、棟梁であった神前弘が80歳から毎日つくり続けた『おじいちゃんの封筒』約700点や、ポスタービジュアルにもなっている大嶺實清の『家 〜風の記憶シリーズ〜』、木田安彦『不動曼陀羅』などに出会います。人に「怒った顔が不動明王に似ている」と言われたことから、余った絵具で自画像のつもりで描き始めたという木田の「増殖する絵画」は650点。作家は、1000点できたらまた1から描き始めようと考えているそうです。

次のコーナー「文字の世界」では、まず、浅葉が日常の出来事やアイデアスケッチを書き留めた『浅葉克己日記』を鑑賞し、7年分の日記から、浅葉の創造の軌跡を辿ることができます。杉浦康平『文字の靈力(れいりき)』では、「春」という文字を着る小袖や「福」という文字を飲む酒器など、一風変わった文字を楽しみながら、その豊かな広がりを感じられます。浅葉が吉村作治の協力で古代エジプト王の名前を重さ1トンの御影石に刻んだ『ヒエログリフ』、同じく楠田枝里子協力の『ナスカ・パルパの地上繪』などで、古代人のコミュニケーションに思いを巡らせた後は、「アジアは文字の宝庫」という浅葉が17年間中国の奥地、麗江に通い続けて研究したトンパ文字の新作『トンパ教典「黒白戦争」』が登場します。世界で唯一の「生きている象形文字」から、数千年間手書きでのみ伝えられてきた物語を読み解きます。また、今では失われたカードもあるという『トンパタロット』や、浅葉の貴重なコレクションである『トンパ教典』も、その秘められたエピソードが聞き逃せない展示品です。

この他にも、円空の「護法神」、長さ13mもある江戸時代の万能守「九重守」など、最後の展示品である服部一成『おみくじ』まで、見どころたっぷりの本展を、ディレクター自らによるユーモアあふれる解説でめぐるスペシャルガイドツアーに、参加者は大満足の様子でした。次回のスペシャルガイドツアーは、9月7日(日)を予定しています。ぜひ、ディレクター自身の解説を体験してみて下さい。

松岡正剛と浅葉克己が語る、文字の魅力

8月3日(日)、東京ミッドタウンホールにて、「知の編集者」松岡正剛と「地球文字探険家」浅葉克己によるスペシャルトーク「動く文字、定める文字」が開かれました。

浅葉克己×松岡正剛


「文字はいつも体の動きと対応している」という松岡は、文字の身体性についての考え方を披露し、「人は常に"跡"を残している。その"跡"を大事にして行くかどうかによって、文化は変わってくる」と語りました。また、「一本の線で地球を表していきたかった」という浅葉は、22歳の頃、1mmの中に10本の線を引くことに成功した秘話を公開し、「書いていると発見することがある」と、日課である書や制作日誌を紹介しました。
トークの後半では、中国の殷墟(インキョ)で発見された甲骨文字から、漢字の成立に大胆な解釈を加え、21世紀の文字の世界を切り開いたと言われる漢字学者の故白川静博士のビデオを鑑賞。300人を超える来場者は、「文字とは命がけのもの」という漢字の源流に思いを馳せました。松岡と浅葉がこれからのデザインについて議論し、手旗信号で締めくくられたトークは、大きな拍手につつまれました。

また、トークの後には、「祈りの痕跡。」展 特別関連冊子「魂跡抄(コンセキショウ)」の発売記念サイン会が行われました。松岡と浅葉がディレクションし、出展作家をはじめとした古今東西の人びとによる多様な痕跡をあつめた「魂跡抄(コンセキショウ)」は、限定1000部の発行です。ぜひ会場で、手にとってご覧ください。

魂跡抄 魂跡抄

浅葉克己と参加作家が語る、それぞれの「祈りの痕跡」

7月20日、現在開催中の展覧会「祈りの痕跡。」のオープニングリレートーク、「『祈りの痕跡。』プロダクションノート」が開催されました。このトークは、ディレクターの浅葉克己が参加作家の大嶺實清、服部一成、石川直樹とリレー形式で展覧会開催までの足跡を辿るというもの。まずは浅葉克己が、「誰が最初にあと痕をつけたのか」という問いかけが本展の出発点になったことを披露し、展覧会開催までの濃密な準備期間の秘話を公開しました。

浅葉は、沖縄で活動する陶作家、大嶺實清のアトリエを訪ねた際、家のかたちをした小さな陶の数々に興味を引かれました。これらは、「土は原土が好き」という大嶺が、日々の制作の最後に「余った土をひょい、ひょいと、ワンタッチでぽんっと置いて、へらでぱっぱっとしただけのかたち」。沖縄に古来存在するという、生と死の中間にある「祈り」の世界のかたちを次代に伝えていきたいという、大嶺の願いをあらわした作品です。

浅葉克己×大嶺實清


グラフィックデザイナーの服部一成は、オフセット印刷の4原色(CMYK)を用いて新たな表現に取り組んだ『視覚伝達』の延長線の新作を、という浅葉克己のお題に、「吉や凶といった文字に自分の運命をゆだねるという、僕らの生活に遊びとして入り込んでいる『おみくじ』」で応じました。照明デザインの藤本晴美とともに、照明の色が変わることで作品の色調が変化するという、グラフィック史上まれに見る展示を完成させました。さて、この展覧会は、吉と出るか、凶とでるか。

浅葉克己×服部一成


冒険家として名高い石川直樹と「地球文字探険家」浅葉克己を結びつけたのは、石川による写真集『NEW DIMENSION』。この写真集から、「これこそ祈りの痕跡」という思いで、2点の写真作品を出展しました。パタゴニアの「NEGATIVE HANDS」とよばれる壁画は、今から千年以上も前に、人びとが洞窟の壁面に手を押しつけ、壁にむかって顔料を口で吹き付けてできた「手の痕跡」です。石川は、そこには「壁の向こう側の世界への祈りがあったのではないか」と考え、洞窟から見た遠い湖の写真とともに展示しました。

浅葉克己×石川直樹


文字通り、浅葉克己が脚で探した地球発アート。ぜひ会場でお楽しみください。

地球文字探検家 浅葉克己ディレクション「祈りの痕跡。」

「地球文字探検家」浅葉克己ディレクションによる「祈りの痕跡。」展が、本日より開催されています。
本展では、"文字とは、「伝えたい」という祈りにも似た、人の強い思いの究極の形である"というアートディレクター、浅葉克己の考え方を通して、地球に残されたさまざまな表現を紹介しています。
文字通り、浅葉克己が脚で探した「祈りの痕跡」の数々をお楽しみ下さい。

また、明日午後2時より、オープニング・リレートーク「『祈りの痕跡。』プロダクションノート」が行われます。本展ディレクターの浅葉克己が参加作家の大嶺實清、服部一成、石川直樹とリレー形式で語る、展覧会開催までの秘められた足跡。 展覧会が二重、三重にも楽しめる、個性豊かなリレートークに、ぜひご参加ください。

展覧会ポスター

浅葉克己が文字に対する思いを語る

7月19日から開催の次回展覧会「祈りの痕跡。」展プレイベントとして、ディレクター浅葉克己によるトーク「地球文字探険!」が28日に行われました。地球文字探険家として世界中の文字の謎を追う旅をしている浅葉さんが辿り着いた文字の数々と、それらの文字たちをモチーフにした浅葉さんの作品を紹介しました。

浅葉克己


浅葉さんが文字の世界に引き込まれたのは19歳の時、「文字は実際に書かないとだめ」という書の先生の言葉に感銘を受け、「一日一圖」を目標に、筆を取って書を書くことを毎日の日課にしているそうです。「祈りの痕跡。」展ロゴや浅葉さんの数々の作品に登場する「浅葉文字」は、コンピューターのグラフィックに手書きの要素を加えて完成し、実際に書くことによって見る人により「伝えたい」という気持ちが届くという浅葉さんの思いからつくられています。
展覧会には、そうした人に何かを「伝えたい」という祈りにも似た強い気持ちが込められた痕跡の数々が出展されます。浅葉さんの痕跡である、10年分の日記も必見です。
最後は手旗信号パフォーマンスを披露し、会場は大きな拍手で包まれました。

藤原大が出品作の制作エピソードを披露

21日、東京ミッドタウン・デザインハブでISSEY MIYAKEクリエイティブ・ディレクターの藤原大がレクチャーを行いました。ジェームズ・ダイソンとのコラボレーションについて、彼との最初のミーティングから遡り、記録写真とともに「XXIc.- 21世紀人」展に出品した作品までを解説。現在進行中である次回パリコレクションのトピックも語られ、ISSEY MIYAKEが実践する「新しいものづくりのノウハウ」の背景は知的な刺激に満ちていました。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.7 デザイン・トークでノグチについてのレクチャーも!

20日、国立新美術館講堂において21_21 DESIGN SIGHTのオープン1周年を記念した『デザイン・トーク』が開催されました。三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3ディレクターによるトークの前には、スペシャル企画として、イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問の新見 隆にイサム・ノグチの人と作品についても簡単なレクチャーをしていただきました。

新見隆


約20分という短い時間ながら、イサム・ノグチが広い意味で20世紀のモダニズムを越えようとした芸術家であり、西洋近代彫刻の代表ともいうべきブランクーシに師事しながらも、みずからは東洋的な思想を彫刻表現に取り入れた新たな造形を生み出したことなど、スライドを交えた解説はとても興味深いものでした。

続いて行われたデザイン・トークはアソシエイトディレクター川上典李子を司会に、開館までの経緯やこの1年の活動について、ディレクターたちがそれぞれコメントを発表。これからの21_21 DESIGN SIGHTはどうなっていくべきかなど刺激的な意見も飛び出しました。

川上典李子、佐藤 卓
三宅一生、深澤直人


トークの後は次回展『祈りの痕跡。』展のディレクターであるアートディレクターの浅葉克已が登場、展覧会の内容について紹介しました。手旗信号などを交えたパフォーマンスで会場は大いに盛り上がりました。

なお、この「デザイン・トーク」の模様を記録した映像を1時間に再編集し、上映会を開催することが決定しました。来場いただけなかった方、ぜひこの機会をお見逃しなく! 
(詳細は関連イベント情報をご覧ください)

イサム・ノグチ・スペシャル 一覧リスト へ

[採録]新見隆 特別レクチャー 「イサム・ノグチの人と作品」

このレクチャーは、2008年6月20日(金) 国立新美術館 講堂にて開催された21_21 DESIGN SIGHT 1周年記念講演会「デザイン・トーク」中で行なわれました。

21世紀人展とコレスポンダンス


こんにちは、新見です。イサム・ノグチさんの美術館が10年前に立ち上がりまして、そこの顧問をしております。今日は三宅一生さんから、少しお話をしろと依頼を受けて参りました。今回三宅さんが、ディレクターとして立ち上げられた『XXIc. --21世紀人』展を見せていただいたのですが、大変感動しました。その印象から始めたいと思います。その前に申し添えますと、僕は三宅さんが、1930年代、ノグチの若い頃の、中国でのこの仕事をほんとうに偶然、さまざまな奇縁に導かれるようにして発見されて、ここから展覧会を発想されたということを聞いております。

さて、僕の受けた印象というのは、簡単な言葉なのですが、「万物照応」ということです。これは新羅万象が響き合って、動物などの生きもの、小さな花、それから風や宇宙、そういうものが響き合っているという意味です。英仏語ですと「コレスポンダンス」という訳語になります。普通は手紙をやりとりしたり、話をしたりという意味に使います。このコレスポンダンス、万物照応というのは、19世紀末のフランス象徴派を主導したボードレールという人が、芸術文化の根幹にある概念ということで提唱した言葉です。それが150年後の今、21世紀になって、大事なのではないかという時代がやってきたように思います。

ごく簡単に申しますと、20世紀は近代主義、文明などと言いながら、単に生活が利便になればよいんだというようなことで科学や技術が発展してきました。僕らはその利点を受けてきたわけですが、一方で環境問題、戦争、民族間の抗争、食糧の危機など、さまざまな問題を背負ってきたと思います。近代主義が始まったのは19世紀の半ばですが、その時代にボードレールが「芸術と文化の根幹は、新羅万象と響き合う自然の心」と「肉体」というふうに捉えた。

今回の展覧会では、三宅さんご自身も再生紙を使った、非常にバロック的というかアジア的というか、「東洋のバロック」とでもいうものを感じさせるような空間を、素晴らしいインスタレーションで実現されていました。ほかにもティム・ホーキンソンさんの《ドラゴン》、デュイ・セイドさんの《スティック・マン》などにも東洋的なものを感じました。そういう意味で展覧会全体が「アジアのバロック」という感じがしたのですね。それらを通して三宅一生さんからの強烈なメッセージとして、「コレスポンダンス」という概念を僕は受け取りました。

ポストモダニストとしてのイサム・ノグチ


前置きはこのくらいにして、本題のノグチの話に入りましょう。《スタンディング・ヌード・ユース》です。制作されたのは1930年、若い頃ですね、ノグチという人は1904年生まれで88年に亡くなられましたから、まさに20世紀をそのまま生きた----明治の終わりからずっと、大正、昭和と生きてこられた方ともいえます。ひとつ、ちょっと乱暴なアイディアを話したいのですが、イサム・ノグチはポストモダン的な人だったと僕は思います。
ポストモダンというと、70年代以降に様式折衷的に起こった、デザインや建築の一原理だと勘違いしている人がとても多い。しかしそうではなく、ポストモダンはもっと大きな概念です。いわば文明の進化論的な、利便になればよい、文明さえ発達すればよい、ものさえつくれば人間幸せになるんだという、そういう文明進化論的な考え方に対して、非常に懐疑的で批判的で、反省的な視座として始まった運動です。

倉俣史朗さん、磯崎新さん、三宅さんなどの方々が、そのなかにおられたわけですけれど、ポストモダンという思想や運動は終わったわけではなく、実は今から考えなくてはならないものだと思うのです。現代社会はさまざまな問題を抱えていますから、そのなかでのものづくりを考えていかなくてはいけない。その最たる人がノグチだったと思います。

ノグチの仕事を御存知の方もおられるでしょう。あかりのデザイン、陶器、それから公園や庭を手がけました。あかりは、岐阜の提灯を世界ブランドに立ち上げて世界発信した、最も成功した日本のプロダクトデザインのひとつといってよいと思います。

2005年がノグチ生誕101年で、亡くなられて17年でした。彼は亡くなる前に、札幌の郊外のゴミ捨て場だったモエレ沼に行き、「おもしろいから、ここを庭にしよう」と考えて、壮大なパークをつくられた。こういった、晩年の自然とコラボレーションした仕事は、ノグチが21世紀の僕たちにプレゼントしたものといってもよいと思います。

《モエレ沼公園》で彼が考えていたのは、子供が遊んでいる、恋人たちが話をしている、それからいろんな人が憩っている、噴水が、遊具があって、山があって、ピラミッドがあって、植生があって、ということですね。壮大な一種の大地ですが、それを設計されたわけです。ですからそのなかには、デザインの問題も建築も時間も風も場も、空間もある。すべてのものをそこに取り入れたのです。これが「ノグチがポストモダン的である」と僕がいった理由です。

東洋的な循環世界、豊かな空虚


ノグチの作品は、世界中の美術館に収蔵されていますけれど、実は彼が一番嫌ったのはホワイトキューブです。パッキリして、力があって、いわばエリート主義的でマッチョな、白いモダニズムの空間です。そのなかに置かれて、ドラマティックな主役として見られる彫刻を、ノグチは拒否したところがありました。それで自ら自然のなかに出ていって、庭をつくったり、それから自然との時間と空間と風とか、自然とか山とか光とかそういうものとコラボレーションする新しい彫刻を考えた。そのひとつが最後の作品、モエレ沼の公園なのです。

香川県の牟礼町には自宅とアトリエがあって、晩年の20年間はそこを使っておられました。現在そのままのかたちで美術館にしていますが、そこに「エナジーボイド」という作品があります。これは、あまりに高速度でエネルギーが廻っているから、そのなかが真空で抜かれるという状態を作品化したものです。僕らはエネルギーの中心の空虚と言っています。彼はブランクーシのような近代彫刻のチャンピオンから習ったわけですけど、それを超えて東洋と西洋を融合した。

ノグチが好きなのは円環構造というか、世界が全部循環して元に戻ってくる有様です。西洋にもありますが、主に東洋の思想にある、虚無ではない豊かな空虚といったものが好きで、そういう造形をされた。人間の身体のなかにも、そういう循環構造がある。漢方の目で見た人間の身体といえばわかりやすいかもしれません。

ノグチは日米混血の人でありましたから、大変つらい思いをしました。政治的にも制度的にも疎外された、孤独な人でした。ですから彼は制度や近代といったものが大嫌いでした。好きなものは古代的なものですね。人間の歴史を超えた、マチュピチュ、マヤの遺跡、ストーンヘンジやピラミッドなど。モエレ沼に行ってご覧になるとわかると思いますが、ノグチはそれらをコピーしたのではありません。今日僕らが世界遺産として知っている、人間の原風景というか、原芸術というか、おそらく芸術にもなってない、元の姿のものが、そのまま21世紀のかたち、ノグチが考えて感じたかたちとして現れてきている。これがイサム・ノグチの素晴らしさであり、モエレ沼のすごさであると思うのです。


新見 隆(にいみ りゅう、1958年 - )
広島県出身。 慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。1982年から1999年2月まで、西武美術館・セゾン美術館の学芸員として、展覧会の企画を担当。 イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問。インディペンデント・キュレーター。千葉大学教育学部大学院美術専攻、慶應義塾大学理工学部、東京造形大学比較造形学科などの講師を経て、1999年より武蔵野美術大学芸術文化学科教授。

21_21 DESIGN SIGHT 1周年記念講演会「デザイン・トーク」 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

講演会の後半では、いくつかのキーワードを軸にディレクターたちがそれぞれの考えを述べました。21_21 DESIGN SIGHTの今後について、活発な意見交換が行われ、盛況のうちにトークを終了しました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの現在と今後について「考える、つくる」という観点から進めていきたいと思います。ディレクターとして、この1年はどんなことを考え、感じられたのかについて、順に話していただけますか。深澤さんからお願いします。
深澤
我々ディレクターの会話や、あるいは展覧会を見た感想を寄せてくださったなかでしばしば登場したのは、「我々がやっているのは、デザインなのか、アートなのか」ということでした。この問いに、明確な答えを出すというより、私たちがおぼろげながら感じている共通点があると思います。
近年の問題として、人間の身体と心が乖離してしまったことがあると思うんです。身体が自発的に環境に調和しようと働いて、人間は自然体になった時に喜びを感じる。生きているという実感を得る。でも、実際はそれがなかなかできないことが、悲哀やドラマや、自己を知るきっかけになって、デザインやアートの根源になるんじゃないかと思うのです。つまり私たちの脳、心は、いまの環境をコントロールできない悲哀みたいなものを、なんとなく感じてるんですよね。だから21_21DESIGN SIGHTという場も、結果的にその問題に収束していく。だれもが調和を取り戻していきたいという願望があると感じています。

最近思ったのですが、人間の無意識の選択というのは、すべて生きることにつながっている。人間の心理だけが、秩序を失い混乱させてしまう。自然に復帰する、人間らしさを取り戻していくという大きな流れのなかで、クリエイティブな活動をしていく場所ーーそれが21_21 DESIGN SIGHTであると定義づけています。

さきほどの水展のお話にもありましたが、卓さんがおっしゃったように、我々はやっぱりほとんど知らないんですよね。自分自身のことも、人間であることも。それに気づくようなことを誰かがやらないと。その感動こそ、僕らが目指すところなのかなと思います。
佐藤卓


川上
佐藤さんの「考える、つくる」で、今後、大切になっていくことについて、どのように考えていらっしゃいますか。
佐藤
いまデザインはどのメディアでも取り上げられています。でも、見ていますと「もの」のデザインが取り上げられて語られることが多いようです。視覚的におもしろいものっていうのは、取りあげやすいですから。でも実は、「もの」のデザインの奥には「こと」がある。そして我々は「もの」を通して「こと」をつくることをやっているんだと思っています。一生さんも「ことのデザイン」とおっしゃっていますが、たとえばそれは「もの」と人の関係のあいだで、なにが起きているかを考えることですよね。そうすると、深澤さんが言われたように、人の側でなにを受け取っているのかっていうことを、よく観察し見ていかないと、ものの周辺で起きていることの本質は見えてこない。
人とものの関係、デザインと人の関係はどうなっているのかを、検証したり探っていくことって、意外といままでされてこなかったんじゃないかという気します。たとえば、人が目で見たときに、頭のなかで記憶や体験と照らし合わせたりしながら、一体なにが起きているのだろうと。そういうことを考えていくと、デザインの問題としてどんなことにもテーマを設定できるんです。僕の場合はやはり、グラフィックデザインやコミュニケーションデザインをやってきて得たデザインの技術を、そこで活かせないだろうかと考えるわけですね。
川上
たしかに、ものの周辺に目を向ける活動は、多くの方がデザインに興味をもっている今という時代にこそ、まさに必要なことなのだと思います。三宅さんのお考えはいかがですか。
三宅
いくつかのおもしろい現象はあると思いますけど、今という時代は、売るためのデザインや広告を競いあっているような部分もあるのではないかとも感じます。フランス語でデランジュというのは人を惑わすということですが、僕が2000年に自分のデザイン活動を変えたのも、デザイナーがデランジャー、惑わす存在なのかと、とても疑問を感じ始めたからなんです。
もっとみんなの普通の生活に目を向けなきゃいけない、ないしは新しい方法論を考えなきゃいけないんじゃないかと思ったわけです。そのころに藤原大と一緒にA-POCを始めた関係もありまして、新しいチームで仕事をした。そして僕が思ったのは、どんどん自由にしていかないと前に行けないよ、ということでした。
ディレクター4人


三宅
この21_21 DESIGN SIGHTも、プロレスじゃないけれど、リングにしても良いのでは、と思っています。今日いらしてる方たちにも、この場所をだれもが参加できるリングのように考えていただいて、こんなことをやってみたいとか、こんなものが欲しいということを自由に言ってもらえたら、より活気のある楽しい場所になるんじゃないかなと思っているのです。今回のトークが、国立新美術館が我々に場所を提供してくださって実現したのも、相互関係やコミュニケーションがとても重要になってきたひとつの象徴だろうと思うんですけれども、今後我々も逆のかたちでやりたいなと思っています。
佐藤
ちょっといいでしょうか。僭越なのですが、僕は三宅一生さんの直感力に、衝撃を受けているんです。直感力って身体性なわけで、まさにその、リングで闘い合うっていうのはそういうことだと思うんですが、いまの世の中っていうのはどちらかっていうと理詰めで説得していかなきゃいけないと。それをなんとかしたらどうっていうのが、「XXIc.-21世紀人展」なんじゃないかって思ったりしてね。どうでしょう、深澤さん。
深澤
そうですよね。「XXIc.-21世紀人」は、直感のかたまりみたいなものかもしれない。一生さんの仕事の仕方は、僕のやり方と全然違うので、僕も圧倒的に驚く部分が大きいです。
川上
おふたりはそうおっしゃっていますが、三宅さん、いかがでしょう。
三宅
嬉しいですけれど、照れくさくもあります。それよりも、21_21 DESIGN SIGHTにいらしてくださる外国の方とお話していて痛感するのは、日本の文化の伝統を理解したうえで、もっと積極的に日本のものづくりを考え直していくことなんです。そして、その記録を、アーカイヴをつくっていくこと、同時にキュレーターなど、人材を育てていくことに着手しなければいけないですね。それは我々だけの力でできることではなく、やはり日本という国のレベルで、国が許容力をもってこの動きに参加していただきたいと思っています。
川上
そうですね。21_21 DESIGN SIGHTというひとつの場が生まれたことをきっかけに、様々な立場の方々と意見交換をしてきたいですね。今日は21_21 DESIGN SIGHTをリングにしてもいい、という話も出ましたが、デザインについて、表現するという行為について、つくるという意味そのものについて、枠を超えて多くの方々とさらに意見を交わしていく機会を、今後も引き続きつくっていきたいと思います。今日はありがとうございました。


2008年6月20日国立新美術館・講堂にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十嵐一晴


vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

21_21 DESIGN SIGHT 1周年記念講演会「デザイン・トーク」 vol.2 独自のアプローチを試みた企画展

アソシエイト・ディレクター、川上典李子の進行で、3人のディレクターがこの1年間の活動について語りました。各人がディレクションを担当した企画展についてふり返る言葉から、21_21 DESIGN SIGHT独自の展覧会のつくりかたが浮かび上がってきました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの第1回企画展は、深澤直人ディレクション「チョコレート」でした。
深澤
最初の企画展だったので緊張はしましたが、あれほど楽しい時間が過ごせたことはなかったと今は思います。
実は施設の立ち上げのミーティングの際、一生さんに「ミュージアムという言葉を使わない」と最初に言われてしまって驚いたのです。根本的な言葉や概念を使うことができないから、ではこの施設をどう表現するのか、非常に難しかった。 僕自身としては、美術館のように「良いもの」を見せる場ではないので、すべて「良いもの」が並ばないかもしれないが、何かをやった結果として必ず面白いものが立ち上がる場、と考えました。

企画展のテーマを決めるときにも、一生さんが「チョコレートはどうですか」とおっしゃった。最初はうーんと唸ってしまいましたが、実際にチョコレートをデザインすることと、チョコレートから発想はするが、まったく関係ないものを考えるという、ふたつの方向で「チョコレート」展をディレクションしました。 チョコレートそのものはかたちをもっていない、可塑的なものだということがとても面白かったですね。そこで、かたちづくりに新しい意味を加える、その際に必ずチョコレートというフィルターを通すということをやりました。結果的に、最初にお話しした、やってみて良いものを知ることに繋がったと思っています。
佐藤卓


川上
深澤さんが全身チョコレートづけになるようにして、企画を進めてくださったように、第2回企画展「water」で佐藤さんは水の世界にどっぷり浸ってくださいました。
佐藤
展覧会のテーマを考えるミーティングの席で、三宅一生さんがアーヴィング・ペンさんの写真を資料としていくつか出されて、そのなかに「パンと塩と水」を写したすばらしい写真がありました。ペンさんの写真が、ひとつのトリガー、きっかけにもなったと思います。コップに入った水の写真を見ながら、「水っていうのはもしかしたらテーマになるかもしれないな」と話をしたわけです。
ごく日常のなかの「えっ、それってなにができるんだろうか」というところへ、デザインという言葉を投げかけてみる。で、そこでなにができるのかを、初めて考えていく。そうすると、水は我々の身体のなかにも存在するし、いまこの空気中にも水の分子は飛んでいるわけです。水がすべてをつないでいる。水と関係ないものは、実は世の中になにもない。それなのに、いろいろ調べていくと、水のことを我々はわかっていない。これは何かができるかもしれないと思ったわけです。

でも最初は、どんな展覧会になるのか、まったく想像できませんでした。とてもじゃないけれど水について、私ひとりでは手に負えないと思って、環境に対してさまざまな角度でアンテナを張っている竹村真一さんに連絡するところから始まりました。他にも水の専門家などいろんな方々に協力いただきながら、展覧会の準備を進めたのですが、実は、どんな展示にするか、まったく思い浮かばないわけです。生まれて初めての経験でした。いままでの経験値が役に立たないんです。というのは、水をテーマにすると、調べれば調べるほど、次から次に知らないことが発生してくるからです。どんどん広がるばかりなんです。

ですから今回の展示は、本当に無理矢理、情報を束ねてそれを体験する場をつくったという感じではあります。目の前の当たり前のことを、僕らはほとんど知らないですよねっていう、投げかけです。
三宅一生


川上
佐藤さんがおっしゃったように、「知っていたようで、知らなかったこと」「わかっていたようで、わからなかったこと」を、それこそギリギリまで探り続けていく......そうやってひとつの展覧会のかたちにまとめながら、あるテーマについて対話や議論が広がる場をつくろうと試みてきた状況を、皆さんにも感じていただけたのではないでしょうか。そして今年、第3回目の企画展が、三宅一生ディレクションの「XXIc.―21世紀人」です。
三宅
この展覧会に「XXIc.―21世紀人」と名前を付けました。20世紀は経済や科学が発展して豊かになりましたが、その歯車が逆転した側面もある時代でした。今やるなら、人間をテーマにした展覧会にしたいと考えたのです。
そこでふと、思いついたのがイサム・ノグチの《スタンディング・ヌード・ユース》という絵なんです。青年時代の彼が北京に滞在中、中国の横山大観、ピカソと言われる斉白石という画家に指導をうけて描いた作品です。イサム・ノグチの人生そのものが展覧会のテーマにふさわしいのではないかと思い、彼の作品を出発点にしました。

一方で、いま我々がおかれているのは、ある意味で恐怖の時代であると感じています。それは逆に言えばエネルギーの時代ということでもあります、たまたま、昨年3月にロサンゼルスの美術館でティム・ホーキンソンの展覧会を見まして、「あっ!これだ」と思ったわけなんです。イサム・ノグチの作品と絡めて、ストーリーをつくっていこうと考えました。
後は、いろいろな人にどんなふうにすれば21世紀を表現できるかということを問いかけました。そしてたくさんの人との新しい出会いがあったわけです。発見をしたり、会話をしながらつくっていった。人に教えるというよりも、一緒になってやっている、そんな感じが強かったですね。
作家の方たち以外にも、宮城、福井、富山、石川など様々なところへ紙を訪ねて歩きました。我々が紙づくりの面白さに驚いて、喜んでいると、職人さんたちも一緒に乗ってきてくれるんです。そんな風に人間と触れながらつくってきたといいますか、最初も最後も人間、その面白さを体験できたと思っています。
川上
さて、3人のディレクターにこの1年の企画展を振り返っていただきましたが、企画展以外にも実験的なプログラムをいくつか開催しました。舞台での表現と日常を題材にした身体表現、デザインをつなげる「落狂楽笑 LUCKY LUCK SHOW」、ファッション、メッセージを示すという視点から「THIS PLAY!」展、そして21_21 DESIGN SIGHTのパートナー企業とのコラボレーション企画として、「200∞年 目玉商品展」です。続いて、私たちが今考えていることについて、話の内容を進めていきます。

vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

21_21 DESIGN SIGHT 1周年記念講演会「デザイン・トーク」 vol.1 21_21ができるまで

壇上4人


2008年6月20日、21_21 DESIGN SIGHTのオープンから一周年を記念して、ディレクターの三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3人が揃った「デザイン・トーク」が開催されました。進行役はアソシエイトディレクター 川上典李子が務めました。トークの前には、21_21 DESIGN SIGHT設立のきっかけに関わった芸術家イサム・ノグチについて、イサム・ノグチ庭園美術館顧問である新見 隆による特別レクチャーが行なわれました。


川上
今日は大勢の皆様にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。21_21 DESIGN SIGHTが開館して1年が過ぎました。多くの方々のご協力、ご参加をいただき、企業の皆様方のご協力もいただきながら、いま、2年目の活動を始めているところです。この1年、私たちディレクターのチームも試行錯誤を繰り返しながら、こういった場所で何をしていったらよいのかというお話を続けてきました。本日はそうしたお話を公開で行なう機会ということで進めていきたいと思います。
三宅一生語りイメージ


三宅
話がだいぶ前に遡りますが、イサム・ノグチさんのことから始めたいと思います。僕が彼の名前を初めて知ったのは、生まれ育った広島にある有名な橋がきっかけです。この橋をデザインしたのがノグチでして、高校時代に橋を渡って通学していた僕は、そこで初めてデザインとはこういうことなんだと、思ったわけなんです。それからずっと興味をもって彼の仕事を見続けるようになった。ノグチは彫刻家として有名でしたが、《AKARIシリーズ》などすばらしいプロダクトデザインもしていますので、あまりジャンルのない人だなと思って見ていました。

初めてお会いしたのは1978年のアスペンです。デザイン会議があり、僕やイサムさんも呼ばれたのです。その後、安藤忠雄さんとふたりでニューヨークの郊外にあるラトガー・ユニバーシティという学校の講演会に招かれてスピーチをしたのですが、その会場にイサムさんが来てくださった。そこで日本にはデザイン・ミュージアムがないね、という話になった。そんなことがきっかけになってイサムさんととても親しくなったんです。

当時から、同じように親しくさせていただいた方にグラフィックデザイナーの田中一光さんがいました。彼と話すうちに、「日本にはデザインが見られる場所が必要だね」という話題になりました。外国の知り合いに、日本に行ったらどこに行けばよいか、現代の日本を知りたい、日本のデザインがどこで見られるのかと聞かれたらどう答えるかと問われて、僕は「デパートかブティックへ行くしかないね」なんて言ったのです。

一光さんは僕に、「あなたらしいもの、オリジナリティのあるものをつくるということを言うけれど、新しいものは歴史をさかのぼらないとできないんじゃないか」と言い始めた。それで「じゃあ、デザイン・ミュージアムをつくろうよ」ということになって、安藤さんと行政や官庁にあちこち出かけては、デザイン・ミュージアムをつくりませんかと陳情して歩いたのです。ところがなかなか本気にしてもらえなかったんですね。これはまずいなと思っていたのです。

そうこうする一方で、2003年に朝日新聞に「造ろうデザイン・ミュージアム」を寄稿すると多方面から反響があって、ついに2005年にこの21_21 DESIGN SIGHTのプロジェクトが立ち上がったのです。
ディレクター3人


三宅
いろいろな方々の尽力があり、北山孝雄さんや三井不動産の協力で東京ミッドタウン内に安藤さんの設計によるデザイン施設が実現することになりました。そこで意識したのは、この場所が個人的なものではないということです。つまり、21_21 DESIGN SIGHTは通りに面していて、公園の中にある。だから日常や生活と関連性のあるものをコンセプトに据えるべきだと思い至りました。

こういう考えを共有できるディレクターたちと一緒に仕事ができるとよいなと考え、佐藤 卓さんと深澤直人さんにお話をもちかけました。日本には優秀な方がたくさんいらっしゃいますが、幅広い分野でデザインの面白い仕事をしているということでおふたりに声をかけました。そして、川上さんは非常に愛情をもってデザインを見ていらっしゃるので、アソシエイトとして我々のサポートをお願いしました。

建築設計者の安藤さんにもずいぶん注文を出したのですが、周りの人から、安藤さんはデザイナーのいうことなんて聞かないよって言われて(笑)。まあ、そんなこんなでできあがったのが21_21 DESIGN SIGHTという場所です。

もうひとつ付け加えますと、建物ができあがっていく過程を見ていると、プロセスってすごく面白いなと。だから、我々もプロセスを大切にしようと。佐藤さんと深澤さんからも、美術館のように完成されたものをもってきて展示するのではなく、プロセスを見せる場にしませんかという話がでてきた。普通ならば隠したいところをどんどん見せるという。

さらに、我々ディレクターはデザインをやっている立場なので、デザインを中心におきながら、もっと自由に外を見ることができる視点をもつということを原則としました。
21_21 という名称も、そこが端緒になっています。パーフェクトサイト(20/20)に1プラスで21という名前になったというわけです。

vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

イサム・ノグチ・スペシャル vol.6 鈴木康広とKIKIさんが語るノグチの墨絵。

参加作家の鈴木康広さんによるクリエイターズトークが、15日に行われました。鈴木さんの作品《始まりの庭》に感動したモデルのKIKIさんが特別出演。梅雨の中休みの晴天に恵まれた日曜の午後のひととき、日常の何でもないことにも「発見」があり、それを伝えることが大切と語る二人のトークに、会場には爽やかな感動が広がりました。冷水の入ったコップの回りにつく水滴からヒントを得て今回の作品を発想した鈴木。目に見えない空気中の水を、結露として視覚化。普通は敬遠される結露を作品に取り込んだことに対し、KIKIさんは「驚きました。少しでも楽しみかたを探る方がいいですね」とコメント。

やがて、ノグチ作品《スタンディング・ヌード・ユース》を初めて見たときの感動と発見へと話は続きました。日本人の父と米国人の母を持つノグチのアイデンティティの葛藤が、この作品にも表れていると感じたのはKIKIさん。「人としてのリアルさがあり、凄いと思いました。細い線が輪郭に、太い線は陰、骨、血液のように見えました。この2つの線が両方あってはじめて人に見えるように思います」。鈴木は、「イサムさんが26歳の時の作品と聞いて、身近に感じました。技術的にも凄いラインで描かれている。自分が美大に入って、作品を創ることがどういうことかわからない時期があったけど、やがて自分を確認することだと気付きました。イサムさんの20代もそんな時代だったのかなあと」。
みなさんは、ノグチ作品からどんな発見がありましたか。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.7 へ

イサム・ノグチ・スペシャル vol.4 ノグチ作品に刺激された、ISSEY MIYAKE Creative Room

13日、参加作家のISSEY MIYAKE Creative Roomによるクリエイターズトークが行われました。DYSON A-POCシリーズと本展でのインスタレーションについて、もの作りのプロセスを語ったのは、パターン担当の中谷学とテキスタイル担当の平尾万里英です。記録映像と図を示しながらのトークから、わくわくしながらもの作りを進めてきた情熱が伝わってきました。話題はイサム・ノグチ作品に及び、「彫刻家としての格闘のプロセスがあったからこそ、あれほどまでの立体感をもつ絵画が生まれてきたのだと思う。自分たちも頑張らなければ」と中谷。平尾は、「初めて見たとき、力強さが強く印象に残りました。展示用のボディを制作する際には負けないように元気なものを作ろうと思いました」とのこと。ノグチ作品《スタンディング・ヌード・ユース》のパワー、ぜひ何度でも体験してください。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.5 へ

ギャラリーツアー、金、土、日開催中。

『21世紀人』展は、アート作品ありデザイン作品ありの多彩な出品作を、「これからの人間の未来」という一つの大きな物語にまとめあげた展覧会。どんな物語なのかを教えてくれるのがギャラリーツアーです。21_21 DESIGN SIGHTのボランティアスタッフが、金・土・日の午後3時からおこなっています。会期も折り返 し地点を過ぎ、スタッフの語りもなかなか堂に入ってきました。ぜひ、会場に足 を運んで実際に体験してみてください。展覧会が10倍おもしろくなります。

ギャラリーツアー

第3回企画展 三宅一生ディレクション「XXI c. ―21世紀人」

21_21 DESIGN SIGHT 第3回企画展のテーマは「21世紀人」です。かつて未来と呼ばれた21世紀に、いま、わたしたちはたくさんの問題とともに暮らしています。ディレクターの三宅一生はさまざまなリサーチをおこない、想像力を働かせました。そして、誰もが感じている疑問や課題に向きあいながら新しい表現にとりくんでいる国内外の作家とともに展覧会をつくりあげます。会場を訪れた人たちと一緒に考え、最後には希望を感じられる――。そうした展覧会をめざしています。「XXIc. ―21世紀人」展がこれからのものづくりや暮らしについて考えるひとつの「きっかけ」となればと願っています。

展覧会ポスター

「200∞年 目玉商品(ニセンハチネン メダマショウヒン)」展

21_21とメインパートナー各社を中心としておくる2008年の"初展"。
視る、見る、観る、診る...みるちから。デザインにはものごとをみきわめる力、優れた"目"が欠かせません。
クリエーターたちと企業のビジョンやノウハウが出会い、21_21の視点から"目"をテーマに展開する展覧会です。

展覧会ポスター

第2回企画展 佐藤卓ディレクション「water」

本展担当ディレクター佐藤 卓からのコメント

第2回企画展のテーマは「水」です。雲という空の水。空から降り注ぐ雨という水。米を育てるための水。海の水。氷という硬い水。濁流により災害をもたらす水。枯渇する水。身体内の水。毎日飲んでいるペットボトルの水。普段、水のことを我々はよく知っていると思っています。しかし、その水の実体は近年になってやっと少しずつ分かってきたと言っていいほど知られていなかったのです。水で世界を見てみると、どんな世界が見えてくるのか?
21世紀は水の時代とも言われています。限りがある化石燃料に頼った20世紀の力を誇る文明が歪みをきたしている今、あたりまえに目の前にあった水が多くのことを教えてくれそうです。

そもそも、私が水に興味を抱くきっかけになったのは、このプロジェクトのコンセプト・スーパーバイザーである文化人類学者・竹村真一氏から聞いた牛丼の話でした。

牛丼一杯にどれだけの水が使われているか知っていますか?

この質問の答えは、想像を越えたものだったのです。2リットルのペットボトル約1000本分。つまり牛の餌を育てる水、牛が飲む水、米を育てる水など含めるとほぼそのぐらいの量が使われている。牛丼を食べる時に、それだけの水の量を想像したこともなかったのです。牛肉を大量に輸入するということは、大量の水資源を他国に頼るということ。そしてそれは水で世界を見ることの、ほんの入口だということが後に分かってきました。

この企画展は「水」という、あまりにもあたりまえにあると思われているものに、改めて注目し、水という視点で世界を見てみるきっかけをデザインによってつくるものです。会場という体験の場の他に、本、ウェブサイト、水体験グッズ、トークショー、ワークショップの開催などが準備されます。


本展コンセプト・スーパーバイザー竹村真一からのコメント

「水」は現代社会の最も重要なデザイン課題ではないでしょうか?かつて水は、もっと可視的でした。私たちをめぐる水の循環は見えやすく、自分たちの関わりや責任も明快でした。この半世紀は、その水を見えなくするプロセスでした。川や井戸などの「近い水」が上下水道の「遠い水」に変わったうえに、いまや私たちの暮らしは自給率4割の食糧の輸入というかたちで、世界中の「見えない水」(virtual water)に依存しています。
"牛丼一杯に2000リットルの水"――この見えない水貿易を通じて、私たちは世界中の水問題に日々関わっています。日本の水のデザインは、地球の水のデザインに直結しています。

水の問題はいまに始まったことではありません。むしろ人類史は、水の確保と共生のシステムを絶えずデザインしなおしてゆく歴史でもありました。
アフリカや中国の水不足とは縁遠いようにみえる日本も、実は水が豊かな国ではありませんでした。急峻な地形ゆえに、降った雨はあっという間に海へと流れだし、洪水と渇水をくり返す・・。
このファストな水を日本人は何百年もかけて、川のつけ替えや水田という自然のダムを使った「もたせ」の技術によって、スローな水にデザインしなおしてきたのです。日本の水環境を「デザインされたもの」として見直すこと、また現在の水道システムや水との疎遠な関係も、リデザインしうる対象として意識しなおすこと。水は、この世のどんなプロダクトにもまして現代的な「デザイン」の対象であり、また私たちの文化や歴史のなかにそのヒントを発見しうる領域なのです。

地球大のスローな水のデザイン――。本展のシンボルマーク「逆さ傘」は、そうした地球大の逆さ傘づくりへの思いを込めたものにほかなりません。

この世で最もありふれた存在でありながら、最も"有り難い"物質である水――。 氷が水に浮く(=ゆえに海や湖が底からすべて凍らずに生命を育める)のも、実は水の特殊な分子構造に由来する「水の魔法」にほかなりません。水は、私たちがあたりまえに生きていることの不思議さ、この生命の星の"有り難さ"をあらためて認識する「窓」なのです。
また、人はみな子宮という原初の海で過した水棲記憶をもち、アジアを中心に親水的なライフスタイルを育んできました。しかし近代の文明は「陸上中心的」な論理に傾き、生活文化や都市デザインにおいて水との関わりを過小評価してきました。
その意味で「水」の再発見は、新たな生命と人間の発見でもあります。水が液体で存在する稀有の星、「水球」としての地球――それにふさわしい文明をあらためてデザインしてゆく旅を、このwater展から始めたいと思います。

展覧会ポスター

「THIS PLAY!」ディスプレイ

本展担当ディレクター津村耕佑からのコメント

DISPLAYの進化形「THIS PLAY!」をテーマに、ファッションデザイナーとその仲間たちが安藤忠雄の建築21_21 DESIGN SIGHT で遊びます。
参加することで変化する服やゲームシーンとファッションの関係、見て感じる展示など、全てが実験的な試みです。
ガビガビになったファッションを脱ぎ捨てフレッシュな自分と遊んでください。

展覧会ポスターより

サマープログラム「落狂楽笑」

21_21 DESIGN SIGHTでは、落語や狂言など日本独自の芸能を取り上げたサマープログラム「落狂楽笑 LUCKY LUCK SHOW」を開催いたします。人間や生活を独特な視点で捉える落語や狂言は、観る人を喜ばせ、驚きを与える娯楽として日本人の間で長く親しまれてきました。その姿勢は、日常に根ざしたテーマを取り上げ、新たな視点や発想を提示していく21_21 DESIGN SIGHTのあり方と通底するものがあります。今回のプログラムでは、芸能の世界において常に新しい表現を追求し続ける演者たちを招き、今までにない試みを行います。演者は、世代を超えて親しまれる狂言を目指す茂山狂言会、落語の可能性を拡げていく桂小米朝と柳家花緑、そして風刺あふれる一人芝居を極めるイッセー尾形の4組。それぞれ衣装は気鋭の若手デザイナーが担当します。また、舞台美術をはじめとした一連のアートディレクションを手がけるグラフィックデザイナー北川一成が、会場の一部を使いアートワーク「落狂楽笑by北川一成」を発表。大人も子供も楽しめるプログラムIと大人向けのプログラムⅡを用意しました。ファミリーで、お友達同士で、21_21 DESIGN SIGHTの夏をご堪能ください。

展覧会ポスター

特別企画 「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」

21_21 DESIGN SIGHT 建築についての安藤忠雄のことばから

...かつて、ポール・ヴァレリイとポール・クローデルが対話し、「世界中の民族の中で滅びては困る民族がいるとしたらそれは日本人だ」と言ったことがあります。私はそれを、日本人の固有の美意識を滅ぼしてはならないということだと解釈しています。美意識には、たとえば責任感とか正義感といったものも含まれます。なかでも人や自然に対する礼儀、生きていくことへの礼儀。あるいは、ものをしっかりと見つめることもそうでしょう。

ところが、1960年代に高度成長期を迎えると、お金が儲かればいい、お金があれば豊かになれるという考えが主流になり、かつての美意識はどこかに消えてしまった。東京の街を見ればわかります。美しさを求めた景観ではありません。経済効率を優先した結果ですよ。
かつてイサムノグチさんとお会いした時、「ニッポンの美意識を取り戻さなければならない」と言われていました。
私と三宅一生さんとのつきあいは、35年くらいになるでしょうか。
「デザインという美意識の中に賭けている」と言っていた田中一光さんと3人で、いつかデザイン・ミュージアムを作ろうと話をしていた、そういった経験が、今に繋がっているという思いもあります。

日本が持つべき顔とは、美意識のある国としての顔ではないか。これを実現するために21_21 DESIGN SIGHTという考え方が必要だと思っています。

...経済効率一辺倒で無計画につくられた日本の都市へのアンチテーゼとして。もっと都市を美しくという意識をもって、私はこの21_21 DESIGN SIGHTに参加しています。

展覧会ポスター

21_21放談 vol.4 三宅一生×佐藤 卓×深澤直人×川上典李子 「オープン直前の21_21 DESIGN SIGHTで語るデザインの未来」 後編



21_21 DEISGN SIGHTは5感を使って「見る」場所


佐藤
普通、デザインの場合はメディアが規定されてからスタートするじゃないですか。でも21_21ではスタート地点がまったく違う。どこへ落とし込むかは自由なんです。そういうアプローチの仕方は普段していないことだと思うのです。だから脳がすごく活性化されるというのはあります。
深澤
やっぱりデザイナーって、あるお題を与えられたところで発想していくというトレーニングばかりをしているので、いざ、自発的にやってみようとしてもなかなか簡単にはできない。一方でアーティストというのは自発的に発想する、自分の目でものを見るということを常にトレーニングしている。
三宅
そういういろいろな人たちが一緒になってワークショップをすることで対話が生まれ、葛藤が生まれる。それが意外な才能の発見につながるのだと思います。
川上
「チョコレート」は、参加者のワークショップの積み重ねによって展覧会がつくられているわけですが、工業デザインからファッション、広告、グラフィック、メディアアートなど、通常であれば一堂に集まることはまれな、さまざまなジャンルの人びとによるワークショプとなっているのも特色です。発想の展開から素材の具体的な扱いまで、ほかの参加者から大きな刺激を受けているという声も聞かれ、お互いの交流や意見交換も、ますます活発になっていますね。
深澤
展覧会をやるときには、何がここに足を運んでくれる人たちの喜びになるのかということを考えないわけにはいきません。「チョコレート」でやろうとしていることも結局はそこです。で、私なりに考えますと、21_21というのはまったく未知の場でどんなイベントをやっているのかも想像がつかない。もちろん「チョコレート」と言われても、さっぱりわからない。展覧会にやってくる人はそのような場に放り出されるわけです。そうすると、おそらく目の前に展開されている状況を自分なりに一生懸命理解しよう、解釈しようと脳が動き出す。それはコンピュータが高速で回転するような感じです。それがある歯車とカチッとはまってくれたらその瞬間に全部理解できるんだけど、まったくかみ合わないという状態ができたときに、人は「なんなんだ、なんなんだ?」と探り続ける。

できれば「チョコレート」展では、この「なんなんだ?」の連続の果てに、カコンと歯車にはまる瞬間がくるようにしたいですね。最初から簡単にその人の論理でわかってしまうものはつまらない。もしかすると人によってはその歯車にはまらないかもしれないし、ある人はスコーン!とはまるかもしれない。そのはまる瞬間が自分の新しい感触だから、ものすごくインパクトのある気づきになる。それを「チョコレート」だけではなく、次の企画展でもやっていく。

デザインとアートを比較したとき、それらが見せている発想や表現がどこまでロジックに落とせるか、落とせないかというところがアートとデザインの分かれ目になっているのではないかなと思ったりもします。もっといえば、受け手のとまどわせ方に違いがある。いつかはだれもが必ず理解できるようなヒントを作品に与えておくか、ある種の謎、わからなさを作品にとどめたままにしておくのかというところに両者の境目があると思います。そのきわどい境界を楽しむ場所が21_21であると考えています。簡単にはわからない、だからこそ今まで体験したことのない驚きや発見や感動がある。つまり新しいセンサーを立たせてくれるところ、それが21_21の魅力ではないでしょうか。
佐藤
僕たちは目の前にいろいろなものを見てますよね。一番重要なのは、目を閉じたときに、その自分の記憶の中に残っていくものっていうのがずっとあるわけですが、その方が自分との関係においては本質的で重要なのです。そこにこそリアリティがある。これからの時代は、目の前に見えているものを信じるのではなく、こうした記憶に深く根ざしているものを起点にする、大切にすることが新しい気づきにつながるのだと思います。
深澤
記憶を、脳に張り付いているものを呼び出して、ここにある現実を理解しようとするんだけど、それが繋がりにくいというところがあってところどころ迷う。それはある種とても高いレベルの欲求なんじゃないかと思います。これは意識して志していないと、脳の歯車がカチッとはまらないかもしれない。でも子供みたいな人だとスッと入ってきちゃったりする場合もある。
佐藤
人の感覚というのはものすごく豊かなもので、それは誰もが基本的にもっているものなのに、普段は意外と使われていない。もしくは気がつかない。
深澤
視覚(目)で情報を得るという経験が圧倒的に多いのが今の世の中。だけどほんとうは、ほかの4つのセンサー(聴覚、嗅覚、触覚、味覚)だって見るという行為に密接につながっている。21_21ではフィジカルな展示空間をつくることですべてのセンサーを稼働させ、今まで得られなかったものを得てもらいたいですね。
三宅
21_21では展覧会やプログラムそれぞれにおいてさまざまな試みを計画しているのですが、それらを実現させることによって、展覧会というもののあり方も変えられるのではないかなと思っています。オープン時の特別企画でも、会期の後半ではウィリアム・フォーサイスによるビデオインスタレーションが、安藤建築の見方を一変させてくれるでしょうし、夏休みには狂言、落語、1人芝居などを行なう。つまり、いろんな人が関わることで新しい状況をつくりだしていく。人間がいれば必ずいろいろなものがつきまとってくるものですからね。そうやって自分たちを未知の環境に投げ出していって、どうなるかみるのが面白いところではないかと思うのです。

2006年12月4日 東京ミッドタウン内、21_21 DESIGN SIGHTにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/ナカサ&パートナーズ 吉村昌也

ディレクターズ


21_21 DESIGN SIGHTの建物は、エントランスを抜けて地下のギャラリーに達すると、外観からは思いもつかないダイナミックな空間が広がっています。ギャラリーは大小あわせて2つ。それを示すサインは照明によってコンクリートの壁面に映し出される、1と2の数字のみ。ギャラリーのほか、サンクンコートあり、秘密めいた通路ありの空間で3月30日から始まる、21_21 DESIGN SIGHTのプログラムにどうぞご期待ください。

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21_21放談 vol.4 三宅一生×佐藤 卓×深澤直人×川上典李子 「オープン直前の21_21 DESIGN SIGHTで語るデザインの未来」 前編



2006年12月、竣工間近の21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)をディレクターが訪れ、ほぼ完成した建物を見学しました。実際の空間を見ながら行なわれた今回のディレクターズ放談は、意気高揚しつつも21_21およびデザインの核心に迫る内容となりました。


安藤建築の魅力は空間を体験することで見えてくる


深澤
建物を見ると、やはりインスパイアされますね。実際の空間の中に身をおくと、そこでしか出てこない発想というのが浮かんできます。すでに第1回企画展のプロジェクトはかなり具体的なところまで進行してきています。が、こうしてできあがった建物を前にして、はじめてそうの空間に事物をインストールすること、この場所でどのような展覧会をするのかということがリアリティを帯びてきますよね。
佐藤
安藤さんの建築って、まず外から見るじゃないですか、そうすると、小さめの量感で個性的なかたちをしている。でも、中に入ると外側からは想像できない空間が広がっている。図面や模型で見ていたときには、そのことがどんな感覚を我々に与えるのか、想像がつきませんでしたが。安藤建築は、内部を歩くと空間がどんどん変化していくので、その空間をどう活かしていくかということが問われるんじゃないかという気はします。触発されますよね、あの空間は。
深澤
たぶん21_21を訪れる人は、行なわれているイベントが目当てということもあるけれど、建築的な魅力を味わいたいという願望も抱いているでしょうから、両方を堪能できれば二重の喜びがある。そういう意味で21_21という場所は、安藤さんの建物の魅力とそこで展開されているコンテンツによって成立するのだと思います。両方を活かさなくてはならないというのは、面白い試みですね。
佐藤
今はまだがらんとしていて何もない空間ですが、21_21がスタートうすると、観客は展示物がおかれ状態の空間しか見られないということになります。いわゆる"素"の空間が、展覧会と展覧会を縫うようなタイミングで見られるようなプログラムを計画するのもよいですね。というのは、何もない空間を見るといろんな発想や感覚が得られると思うのです。
深澤
オープン時に行なう特別企画「安藤忠雄/2006年の現場 悪戦苦闘」がまさにそれですよね。
三宅
安藤さんはもともと建物を"素"、ヌードで見せたい人ですからね。そういうことができる建物はあまり多くない。安藤さんの建築は、ちょっと動いただけでほんとうに見え方が違う。それから外部に対する配慮もある。特別企画ではすべての空間を素の状態で見せるわけではなく、模型建設過程の写真などを展示して、完成までのプロセスも紹介します。
川上
展示スペース以外の空間も面白いですよね。階段のまわりなど。それがうまく見せられるとたしかに良いですね。以前、安藤さんが"豊かな余白"について何かでおっしゃっていたことがあります。日本の美術や書道同様、建築や都市にも"余白の可能性"というのがすごくあるんだよと。そうしたスペースは、使う側としては大変に触発されます。もっとも、展覧会があるときというのはそれこそ建物のすみずみまで使ってイベントをしたり設置をしてしまうかもしれないけれども、展示スペース以外のところも含めて何もない状態を見ていただける機会があると良いですよね。
三宅
企画のアイディアが上手くいかないときはそれでいこうか。

 (一同爆笑)

佐藤
安藤建築は、やっぱり挑戦的ですよ。結果がわかりきっているものはやらない。問題提起をして「どうだ」というようなところがある。あなたはここでどんな体験をしますか、という問題を常に投げかけているのだと思います。
三宅
この21_21 DESIGN SIGHTの建物は遊歩道にすぐ面しているんですよね。直島の美術館やホテルにしても、村に面していたり、風景や水に面していたりする。だから僕は、安藤さんの建物そのものに加えて、建築の中から見る風景とか、建物に上がって見る外の景色というのにいつも感動するんですよ。直島に行ったときも、「景色がいいですね」って言っちゃったんです(笑)。僕は、安藤さんはずいぶん変わったなあと思います。もちろん、住吉の長屋のころからそこに生きる人びとや生活者の視点であることは変わらない。最近はさらに発展して、植物の緑を使って安藤忠雄の建築をずっと街に広げていくような発想が出てきている。表参道ヒルズも低層建築ですが、屋上に上ると街路樹の緑とつながっています。ああいう視点をもてる人はなかなかいないと思います。
深澤
圧倒的に体験的な空間ですよね。オブジェクトじゃない。
川上
特別企画の後には、深澤直人ディレクションによる第1回企画展「チョコレート」が開催されます。
深澤
チョコレートというテーマを発表したあと、何人かが「チョコレート!?」っていうリアクションを返してきました。このような「いったい、なんなんだろう?」という感じをある程度来場者側に抱かせつつ展覧会をスタートするのは悪くないですね。

ただ誤解されないように気をつけなければいけないのは、ここではあくまでも私たち人間が日常の世界をどう捉えているかということを見せていくのが主眼であって、チョコレートのデザインを披露するわけではないということです。チョコレートは21_21の視点を見せるためのきっかけのことばにすぎないので、ふたを開けたらいろいろなものがでてくるはずです。

実際、さまざまな作品ができあがりつつあるのですが、それらを見ていると、かなり楽しめるものになるのではないかと思います。4月から始まる展覧会にぜひ足をお運びくださいと言いたいですね。「チョコレートを通して世界を見るっていうのはこういうことなのか」という感じが、そこで初めてわかっていただけるのではないかと思います。
佐藤
「チョコレートSight」ということですね。

放談vol.4 後編へつづく

プレオープンイベント 21_21 DESIGN SIGHT Talks

11月8日、9日、六本木のアクシスギャラリーで開催されたプレオープン・イベント [21_21 DESIGN SIGHT Talks]。両日とも熱心な聞き手の方々に恵まれ、会場での質問の内容からも、デザインへの、そして21_21 DESIGN SIGHTへの関心の高さを実感しました。
参考記事「21_21 DESIGN SIGHT の現在をお伝えするプレオープン・イベントを開催します」


Talk 1 「Designing 21_21 DESIGN SIGHT ー デザイン施設のデザインを考える」


11月8日のTalk 1 「Designing 21_21 DESIGN SIGHT ー デザイン施設のデザインを考える」では、始めにモデレーターの川上典李子(21_21 DESIGN SIGHT アソシエイトディレクター)が21_21の概要を紹介。スピーカーの佐藤 卓(21_21 DESIGN SIGHT ディレクター)が、宮崎光弘(アートディレクター、(株)アクシス)、トム・ヴィンセント(インターネットディレクター、(株)イメージソース)と協働しているヴィジュアルコミュニケーションについて紹介しました。


佐藤
ロゴマークは、名前はもちろんこれが「場」であること、そしてデザインのサイト(視力)であることを知らせなければいけません。
21_21は、住所表記にも見えます。電信柱やブロック塀についている番地プレートのようにすれば、「場」というものが連想できるのではないかと考えました。そして、21_21の幅を人間の目の幅と同じにすれば、「視力」ということを表せる と思ったのです。そしてそのように大きさが想定されるものであるならば、これはグラフィックではなく、プロダクトであるべきだと思いました。プロダクト・ロゴとして展開し、これをシンボルとして考えることにしたのです。
実はこれは一枚の板からできています。三宅一生さんが服づくりのなかで追求した「一枚の布」というコンセプトを、安藤忠雄さんは建築の一枚の鉄板の屋根に落とし込まれたのですが、このシンボルもコンセプトを継承しています。シンボルから展開した名刺、レターヘッド、封筒といったアプリケーションにも、一枚の紙からできているという考え方を落とし込んでいます。
宮崎
広告用の印刷物やサイン計画を手がけました。ミラノ・サローネで配布するためのカードのヴィジュアル・イメージをスタディしているときに、何でもない日常の風景の中に、このプロダクト・ロゴを置いて撮影してみました。その写真は自分でも"なんだろう?"と思う不思議な魅力を持っていました。それで、そのよくわからない面白さを、そのままヴィジュアルに使えないかと考えたわけです。結果的には、プロダクト・ロゴがあることによって、写っている場所やモノなどと、デザインの関係を考えるきっかけとなるヴィジュアルになったと思います。
トム
ウェブサイトのディレクションを担当しています。21_21のサイトではあえてなにかスゴイことをやる必要はない、シンプルに伝えていこうという方向性で進めています。コンテンツのひとつとして、このシンボルをEPSデータでダウンロードできるようにしました。ほとんどの企業のロゴとは反対に、誰もが自由に触れるシンボルって面白いじゃないです。フリッカーで作品を紹介することもできるようにして、いろいろな人が日常のなかで21_21と出会うことができれば、と考えたのです。

担当は決まっているものの、基本的にはお互いに意見交換しながらプロジェクトは進められています。それぞれが初公開の映像やプレゼンテーション資料を惜しげなく公開して、これまでのプロセスを説明しました。



Talk 2 「深澤直人 × 鈴木康広 × 高井 薫 デザインの視点」


11月9日のTalk 2 「深澤直人 × 鈴木康広 × 高井 薫 デザインの視点」では、第1回企画展をディレクションする深澤直人(21_21 DESIGN SIGHT ディレクター)と、参加作家の鈴木康広(アーティスト、東京大学先端科学技術研究センター)と高井 薫(アートディレクター、(株)サン・アド)がスピーカー。前半は鈴木・高井がそれぞれの作品を映像とともに紹介しました。
その後、深澤が「どんな風にものを考えているのか、世界をどんな視点で見ているのか」と、ふたちの若いクリエイターに切り込んでいきます。


深澤
僕にとってアイデアを得ることというのは、何もないところから浮かび上がるのではなくて、すでにそこにあったものにある時ぶつかるような感じ。おふたりはそんな感じはないですか?
鈴木
大学生の頃に、それまでのさまざまなことを振り返るもう一人の自分みたいなものがメキメキと現れるとを感じたことがあります。その頃からだんだん創作の喜びや楽しさを強く感じるようになったような気がします。
高井
アイデアを思いつく時って、私の場合は、たとえばクライアントから投げられた課題を突破するところは、本当に小さい点でしかないんです。その1点、そこにしか答えがない、という感じでものを考えるんですね。ひらめくっていうよりも、やらなきゃならない、こなさなきゃならない。そこに答えがある。それを見つけて、さらに私自身との接点を見つける作業をするということです。
深澤
若い頃の僕は、発想の訓練を意識していませんでした。でも、デザインを始めて15年も経った時に、ふっと変わる瞬間があったんです。それはまるで、蝉がサナギから抜け出した後に、自分の出てきた穴の輪郭を見るような感じだった。僕は、その「抜け出した」感じをすごく実感しているんだけれど、おふたりの場合は、最初から、現前するリアリティが見えているような気がするんです。どうですか?
鈴木
難しい質問ですね。僕は本当に普通に工作が好き、作ったものを人に見せた時のその瞬間が好きなんです。そこに関しては、キャリアが長いと思っています。大学で学んだ事も重要ですけど、小さい時からその瞬間を積み重ねてきたって気づいた時に、とても楽になったんです。今、こうしてプレゼンテーションをして感じる楽しさにつながっていると思います。
高井
私のキャリアは15年くらいですが、今やっている発想の仕方みたいなものに確信を持つようになったのは、ここ5年くらいかなと思います。でも昔から、人がやっているものを見て、私だったらこうやるかな、という風に考えてはいました。そうじゃなくて、こうやったら楽しいよね?っていう感じに。ところで深澤さんは、私たちふたりの仕事について、どんな感想を持たれましたか?
深澤
共通して感じるのは、気負いのなさ。ふたりの作品からは作り手のエゴをまったく感じない。とてもスムーズに人の心に入ってくる感じ。コミュニケーション重要な秘密をつかんでいるというか。ふたりとも、毎日ゆっくり眠って、起きるとまたアイデアが膨らんでいるんじゃないかなと思わせるところがあるのに、淡々としているから凄いと思うんです。
鈴木
アイデア出すの、けっこう大変なんですけど(会場、爆笑)。

クリエイター同士ならではのやりとりに会場が沸いたトークは、質疑応答で締めくくられました。



構成/カワイイファクトリー
撮影/ナカサ&パートナーズ 吉村昌也

(21_21 DESIGN SIGHT 広報・財団法人 三宅一生デザイン文化財団)

21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ、東京と京都でおおいに語る

先月、21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)の催しが東京と京都で開催されました。
六本木・アクシスギャラリーのご協力で実現したプレオープン企画 [ 21_21 DESIGN SIGHT Talks ] と、国立京都国際会館におけるパネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ] です。
催しには三宅一生・佐藤 卓・深澤直人の3ディレクターらが参加し、施設の話はもちろん、デザイン全体における視点や可能性について発言しました。それぞれの会場には多くの聴講者の方々が足を運び、21_21のコンセプトに耳を傾けてくださいました。
このウェブサイトでそれらの一部をお伝えします。



レポート1:パネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ]
2006年11月12日 国立京都国際会館(京都・左京区)
>詳細

レポート2:プレオープン企画 [ 21_21 DESIGN SIGHT Talks ]
Talk 1 「Designing 21_21 DESIGN SIGHT ー デザイン施設のデザインを考える」
Talk 2 「深澤直人 × 鈴木康広 × 高井 薫 デザインの視点」
2006年11月9日・10日 アクシスギャラリー(東京・六本木)
>詳細

パネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ]

去る11月12日、京都の宝ヶ池ほとりにある国立京都国際会館において、パネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ]が実施されました。
この催しは、第22回京都賞(財団法人 稲盛財団主催)を受賞した三宅一生の記念ワークショップ『デザイン、テクノロジー、そして伝統』の一環として行われました。

ワークショップ前半は、三宅が30年余にわたる衣服デザイナーとしての仕事を紹介。山口小夜子ほか数名のモデルによる代表作を着用してのデモンストレーションや映像などが披露されました。その後、彼の最新の活動を伝えるものとしてディレクターズ・トークが行われました。

本題のパネル討論は、京都賞 思想・芸術部門審査委員長で美術史家の高階秀爾が座長を務め、21_21 DESIGN SIGHTを設計した建築家で、第13回京都賞受賞者でもある安藤忠雄、当施設のディレクターである佐藤 卓と深澤直人、同じくアソシエイトディレクターの川上典李子らがパネリストとして登場。21_21とのかかわりについて説明したあと、座長の質問に答えるという形式で進行しました。
21_21に関する主な発言を紹介します。



三宅一生
デザインにかかわる場所をつくりたいという気持ちはかなり昔からありました。1970年代の初めに、グラフィックデザイナーの田中一光さん、そして隣にいらっしゃる安藤忠雄さんと京都で会って、何か一緒にやりましょうと話したことがそもそもの始まりです。

2003年に『造ろうデザインミュージアム』という記事を新聞に寄稿しましたら、大きな反響がありまして、三井不動産さんからのご提案や多くの方々のご協力があり、東京ミッドタウンにデザインの施設が誕生することになりました。

とはいえ、私たちの施設はアーカイヴを持ちませんので、ミュージアムとは呼べません。デザインにかかわるさまざまな展示や催しをするなどの活動を通して、日本の伝統と美意識、そして新しいテクノロジーを繋ぐ場所でありたいと考えています。私たちと若い人たちと、一緒に未来をつくっていく、そんな拠点になりたいと考えています。
安藤忠雄
今回の建築は、三宅さんの「一枚の布」に対応する「一枚の鉄板」ということで考えました。50メートルもの一枚の鉄板が屋根となります。高度な技術を要するものですが、現場の職人たちが作り上げました。現場の人たちの気迫、ものをつくる強い思いが実現へ導いてくれました。

設計するにあたって、この混迷する時代に、もひとつの日本の顔をつくる、日常の生活に欠かせないデザインの可能性を示す、そんな建築を心がけました。その私の思いと、日本人の高い技術力と気迫を、オープン時の特別企画ではお見せしたいと考えています。そして、この建物が、ここを訪れる人びとにとって、それぞれの可能性を見つける場所になればと願っています。
佐藤 卓
21_21 DESIGN SIGHTに参加することになり、最初にシンボルマークを考えることになりました。私が提案したのは、一枚の鉄板でできたシンボルマーク。ただ「21_21」という数字と記号だけのものです。これをプレートにすることで持ち運べるロゴ、というアイデアを思いつきました。シンボルマークは通常、平面が基本になりますが、プレートというプロダクトにすることで、どこへでも持ち運べるものになるわけです。そしてこのプレートを「デザイン」のアイコンとして捉えてみると、世界中でこのプレートを使ってあらゆるものに「デザイン」という投げかけをすることができます。

このシンボルマークは、一見すると番地を示すプレートに見えます。なんの変哲もない、どこにでもある普通のイメージです。このことは21_21 DESIGN SIGHTのテーマのひとつ「日常」と密接につながっています。日常には、実はたくさんの可能性が潜んでいます。その日常に潜むあらゆる可能性を、ひとつひとつデザインという行為によって引き出すこと。

デザインの可能性は、特別なところにあるのではなく、ごく日常の中にあります。今後21_21 DESIGN SIGHTは多くの人が関わって、デザインの可能性を探る場になると思います。今でも、そしてこれからも、常にデザインの可能性は、実はふつうの日常に問い掛けることから始まると考えています。
深澤直人
21_21 DESIGN SIGHTって何をするところなの?とよく聞かれます。僕は「目からウロコを落とすようなところ」ではないかと思っているのです。第1回企画展のディレクションを担当しているのですが、ここでそのテーマを発表します。「Chocolate」。「10人のうち9人はチョコレート好き。そして10人目は嘘をついている。」とアメリカの漫画家、ジョン・G. トゥリアスは言っています。

チョコレートは、誰もが親しみを持って受け入れている不思議な食べ物と言えると思います。いや、食べ物という存在を超えて、生活のいたるところに顔を出してきます。その、既に共有されている感覚を通して世界を捉えるとどうなるか、それが今回の展覧会の試みです。チョコレートを通して世界を見ていく、ということです。

環境と人間との関係を探っていくと、かならずデザインの視点が存在していますので、そこを探求したいのです。もちろん、チョコレートそのものの作品も登場しますが、それだけではありません。参加作家たちとワークショップを行なってさまざまな可能性を考えていますので、なかなかユニークな試みになると思います。ご期待ください。
川上典李子
21_21 DESIGN SIGHTをどのようにつくっていくか、その方法論から始まり、本当に手探りのスタートでした。三宅さんとミーティングを繰り返してきて、印象に残っていることはふたつあります。ひとつは「プロセスを大切に」ということ。ふたつ目 「楽しくやりましょう」ということです。私たちがまず楽しむことで、多くの人に参加してもらえる生き生きとした環境をつくれるのだ、と。これまでやってきた、さまざまな工場見学ですとか、ミーティング、合宿、ワークショップ、建築現場の見学、ウェブサイトの運営など、すべてにおいてそのふたつは通低してきたと感じています。

21_21 DESIGN SIGHTは年2回、長期の企画展と、その間のさまざまなジャンルを横断するようなアクティヴィティを行なっていくことが決まっていますが、これからも、この2つを大切にしながら進んでいきたいと考えております。そうすることによって、さまざまな方に参加していただけるデザインの実験の場、デザインを考える場をつくりたいと思います。


--このほか、京都でも21_21が何かできないだろうか、デザインって一体なんだろうか、子供も大人もわいわい言って楽しめる場所にしたいなど、それぞれの立場から21_21に対する思いや夢が語られました。



(21_21 DESIGN SIGHT 広報・財団法人 三宅一生デザイン文化財団)

21_21放談 vol.3 三宅一生×深澤直人 「地上333メートルから見えてくる、東京、デザイン・ものづくり」 後編

感動が生む"ものづくりパワー"


三宅
国内をあちこち旅行して思うのですが、日本には素晴らしい自然があって、人にもぎりぎりのところでまだ優しさが残っている。まだまだ捨てたものじゃない。ですから、ものづくりをはじめとして、なにかやる場合でも、力いっぱい取り組めば、きっと次の世代で面白い人やすごい才能がでてくるんじゃないかと、ポジティブに肯定的にとらえています。
僕は21_21 をはじめてから、感動する力が蘇ってきたという気がしています。素晴らしい人たちの意見を聞いたり、作品を見たりすると、ほんとうに感動・感激・感心なのです。全部"感"がつくんだけれど、自然にね、ぴょんと飛んでるんですよ、自分自身が。だから、これは面白いなと自分でまた感心している(笑)。つきあう人達も年齢はさまざまですし、上下関係もなくなっている。そして、一日の終わりが嬉しいんですね。だからぼくは皆さんに感謝しなくてはいけないのです。
こうした体験を通して思うのは、デザインなりなにかをするということの原点には、かならず本人が楽しむ、面白がるといった感覚があるということです。そうしてみると、ちょっと日本でいま心配なのは、みんながつくること、工夫することを忘れてしまっていることですね。だからこそ、われわれはつくることの面白さを伝えていく必要があるかなと考えています。
深澤
そうですね。
東京タワー
写真左:大展望台より正面の東京ミッドタウン方向を眺める。
写真右:東京タワー外観。放送局の電波塔を一本化する構想で建設された総合電波塔。約4000トンの鋼材が使われ、鳶職人の手作業により、15か月という早さで完成しました。


三宅
だれでもつくりたい気持ちはもっているんです。みんな、なにかを表現できるはずなんです。だけど実際には職人さんなどは後継者問題に悩んでいたりする。僕が取り組んできた服づくりの世界では、最近は若い人たちがどんどん入ってきていて、少し状況が変わりつつあります。そうすると今度は、だれが評価するのかという問題が出てくる。やはり評価してくれないと困るわけですから。そのときに世界が必要なのです。日本のやることは面白いね、ちがうね、と言われるようにしなくてはならない。その評価が創作のエネルギーになっていく。そうした連鎖を引き起こす場所や仕組みは必要だと思います。
深澤
おっしゃるとおり、つくるということがだんだんと自分の国ではできなくなっていて、中国をはじめとするアジア圏に移りつつあります。一方で、この30年間、日本を支えてきたのは企業でありブランドだったわけで、デザインの力もそこに注がれていた。デザインはあまりにも都市や公共の財産に活かされてこなかった。こうしてみるとやはり、これからはつくりたいという意欲をもっと公共に広げるべきだと思います。そうすれば、都市環境も文化的な意識もあっという間に好転していくのではないでしょうか。
すき間の発見、見えない東京
三宅
才能ある人はたくさんいるのに、その才能を企業やシステムの中に組み込んでいるだけで、活かすという考え方が最初にない場合が多いですよね。企業体で活動していて思うのは、この才能をどう活かそうか、ということがやっぱり一番大切だなと。今は工夫の時代、まさにデザインの時代が新しく始まろうとしているときです。そう考えてみると、かなりのことができそうな気がします。だからちょっと面白い時代だなあと。才能のある人たちが育つような環境をつくれればと思っています。
深澤
今の日本の若い人たち、力を温存しているというか、自信があるといいながら、実際にクリエイションがはじまるとなんとなく最後をぼかしてしまっているようなところがある。ガツンとつかんだという感触を相手にぶつけるということはなくて、どことなく不安定さが残っている。だから不安定さを取り払い、安定する力を引き出してやるような場が必要だと思う。21_21 は、ブランドを伸ばすとか、ある枠組みの中でなにかをサポートしてもらうというよりは、ほんとにいいものが抽出できる場所になるのだと思うんです。
三宅
ある意味、21_21は実験場でもあるということですね。
深澤
そう。人には元来その人固有の創造性が備わっていると思います。が、ちょっと自信がないというのが今の日本人ではないでしょうか。自信がないがためにちょっと空威張りしているというか。
三宅
そうですね。それともうひとつは、ちょっと遊んでないかな(笑)。
深澤
そうかもしれません。やっぱり、どこか一緒に笑ってない。不安だからでしょうね。
三宅
デザインというかものづくりは、相手が喜んでくれるなり、楽しませてくれるなりしないとつまらないと思うのですね。あるいは、逆にわれわれがよく考えなきゃいけないのは「あ、こういうすき間があったよ」っていう、すき間の発見といいますかね。これが面白いんです。人に伝わっていくには時間がかかりますが。
深澤
その余裕がないかもしれない。
三宅
余裕がない。だけどね、本来もたないといけないものではないでしょうか。僕は今日、東京タワーに上って東京の街をみていたら、高さもバラバラなビルがほんとうに不規則に林立していることに驚きました。パリの街並はどこまでも建物の高さが一緒なんですよ。一度だけ失敗したのはモンパルナスに建てたタワービル。それがパリ市民に不評で、以後高層ビルを建てていない。都市計画がきちんとあるんですね。
深澤
都市計画に高いビルがなかったら、ある意味ですごくリッチな感じがします。
三宅
でも、東京にもよい方法があるかもしれないですね。こうして高みから見ていると高層建築ばかりが目にはいるけれど、かえって見えないところ、都市のすき間というか、路地だとか、低い建物への興味をそそります。秘密めいていいですね。だんだん「見えない東京」が気になってきました。


2006年10月23日 東京タワー 展望カフェ「カフェ・ラ・トゥール」にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十風一晴

三宅・深澤のプリクラ写真


上の写真は収録後に敢行した、三宅・深澤、両ディレクターによるプリクラ。あいにく収録日は雨でしたが、大展望台にあるプリクラでは、青空にそびえる東京タワーをバックにした写真を撮ることができました。さらに2人は地上145mから下を見下ろすルックダウンウインドウ(写真トップ参照)を体験したりと、つかの間ではありましたが観光気分を楽しみました。 東京タワーは高さ333メートル。エッフェル塔よりも13メートル高く、自立鉄塔としては世界一の高さを誇ります。
http://www.tokyotower.co.jp

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21_21放談 vol.3 三宅一生×深澤直人 「地上333メートルから見えてくる、東京、デザイン・ものづくり」 前編

21_21 Image Photo


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターによる放談シリーズ、第3回目をお届けします。三宅一生と深澤直人が、東京タワーの大展望台から東京の街を眺めながら、都市、文化、デザインについて対話します。

エッフェル塔と東京タワー


三宅
東京タワーに昇るのは、実ははじめてなんです。長年東京に暮らしていて、近くまでは来るんだけど、なんか照れくさいっていうかね。
深澤
僕は今回で2回目位です。あんまり来ないですよね。
三宅
そうですね。高いところに上がるということなら、高層ビルと同じだろうと思っちゃって、意外と来ないものですね。
深澤
東京タワー、どんな感じですか。僕はノスタルジックな感じがしますけど。あとは、なんていうのかな、非日常的な東京というかね。
三宅
たしかにね。僕の場合、高いところに昇りたくなるのは、日本にいたくない、でも外国に行くのはいや、という時(笑)。そういう気分になると、東京の高層ビルの上の方に昇ったりします。
東京タワー
写真左:展望台から東方向を見下ろす。増上寺が見える。
写真右:展望解説ボードを見る深澤(左)と三宅(右)。ボードには東京の景観説明や建物の説明などがタッチパネル形式であらわれる。


深澤
東京タワーができたばかりのころって、ご存知ですか。
三宅
僕は高校の時に上京したんだけど、そのときはちょうど建設中だったのかな。このタワーは1958年にできているんですよね。
深澤
58年ですか。僕が生まれてすぐだな。
三宅
その当時は、パリのエッフェル塔のような高い鉄塔が建ったんだということで、もの凄く話題になっていました。こうして上ってみると、エッフェル塔とはずいぶんと趣が違いますが。
深澤
パリのエッフェル塔を参考にしたのは確かでしょうね。
三宅
そうですね。やっぱり、日本の文化そのものが元来、どこかから発想を引っぱってきているというところがありますよね。最近の例ですと、自由の女神をお台場にもってきたりとかね。
深澤
外来文化の歴史が長いから、日本人にはそういう発想がしみついているのかもしれませんね。とはいえ、やはり公共のものとなると、個人資本でつくるにせよよく考えないと、とんでもない問題になります。
公共にひらかれた建造物が良いものになれば、住む環境も文化的に高まるような気がします。けれども、回りをみてみますと、どうも日本は遅れをとっているような感じがしないでもない。三宅さんご自身は、21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)を立ち上げる際に、そういった東京の街への影響をどのように考えていらしたんですか。
三宅
日本では欧米に比べると、とりたてて文化がどうとか、美がどうとかはあまり言いません。そもそも文化や美というのは日本人にとってはいわずもがなというか、暗黙の了解の上に成り立っていたものだと思うのです。戦後は、社会がどんどん制度化され、高度成長などもあって、文化や美は時代に応じて都合のいいように解釈されて現在に至っているという気がします。だから、21_21ができることで、われわれだけでなく、みんながそういったこと、つまり文化や美の今と昔の違いなどに意識的になれるとしたらいいなと思いますね。
東京らしさ、イコール、ローカル?インターナショナル?


深澤
日本が鎖国していた時代について考えてみると、国自体で完結しようという、その知恵みたいなものはかなり発達していたんでしょうね。自分なりに思うのですが、都市や文化やデザインをはじめ、いろいろな考え方というのは、非常に高いレベルで完成していたような気がします。それが文明開化の波にさらされたり、戦争があったり近代化が促進するうちに崩れてしまい、カオスになった。今また、当初の完成された地点に戻ろうとしているんだろうけど、かなり難しいと思います。
三宅
そうですね。日本人が戦後の荒廃から立ち直るために、オリンピックやら万博やら、いろいろなことをやってきて今に至ったのだと思うけれども、やっぱり、どこかちぐはぐです。日本独特の、なにか大切なものを失いつつあると思うんです。
21_21 は、生活を楽しむことにも、生きることにも、デザインはつながっているということを伝える場所になればいいなと思います。オブジェをつくったり、ものをつくったりというのは同時進行的におこなわれるけれども、それだけじゃないんだということです。広く社会のことなども考えていけるといいですね。
深澤
外国で仕事をしていると感じるのですが、いま世界中が均一化してきている気がします。単純に考えると、僕らがパリに行けばパリらしくあってほしいし、ミラノに行けばミラノらしくあってほしい。逆に外国の方が日本に来れば日本らしくあってほしいって思うんじゃないでしょうか。けれども実際は、日本に住む人たちは逆を望んでいる。日本はパリらしくミラノらしくニューヨークらしいみたいな(笑)。インターナショナル化するということを誤解しているような気がするんです。僕自身は、もっとローカルな魅力みたいなものをつくっていければいいと思うのです。最近、外国の仕事が増えれば増えるほど感じるのですが、いわゆる京都・奈良的な日本というだけの解釈ではなく、東京なら東京らしさみたいなものをもっと考えていく必要があると思います。
三宅
僕なども、西洋的なというか、グローバライズされたものの対極にあるもの、日本的なものが面白いと思いますね。

放談vol.3 後編へつづく

21_21 DESIGN SIGHT の現在をお伝えするプレオープン・イベントを開催します

来春のオープンに向けて準備が進む21_21 DESIGN SIGHT (以下21_21)の現在は?
この秋開催するトークイベントの概要とあわせて、アソシエイトディレクターの川上典李子が語ります。


アソシエイトディレクターの役割

21_21では三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3人のディレクターが中心となって企画を進めていますが、そこにご一緒させていただいてリサーチをしたり、あるいは、デザインジャーナリストとしての経験をふまえて、ディレクターに問いかけや提案をさせていただくのも私のおもな仕事です。
いま、3人が定期的に集まるミーティングやそれぞれの企画別のミーティング、ワークショップなどがひんぱんに開かれているのですけれど、それぞれを結ぶ役割というか、全体の流れをつかみながら皆さんと一緒に考えている、という感じでしょうか。
21_21は美術館ではないし、ギャラリーでもありません。デザインというひとつの入口から社会や生活、文化などいろいろな事を考えていく、自由な活動の場にしたいと思っているんです。具体的には、来てくださる方になにかを感じ、考えていただくきっかけになる催しとして、独自の企画展を開催していきます。まずはちょっと長めの、3ヶ月間の会期の展覧会があり、さらに、それとは別のさまざまな企画を予定しています。いまは第1回の企画展の作品制作が大詰めの時期を迎えているので、その作業に関わる時間が増えてきました。

展覧会の新しいつくり方を探る

企画展は、3人のディレクターが交代で展覧会のディレクションを担当していきます。ゆくゆくは外部からゲストキュレーターを招く場合も出てくるでしょう。
第1回は深澤さんのディレクションです。詳しいことはまだ申しあげられないのですが、"身近で子どものころから親しんでいて、それを貰ったり、手にするとすごく嬉しい気持ちになる、あるもの"を題材にしています。私たちが日常的に接していて、多くの人が好きなもの、なんですが......。
参加作家はさまざまなジャンルのクリエイター、約30組にのぼりますが、ワークショップを開催し、ディスカッションをしながら、それぞれが作品を考えていくという方法をとっています。たとえば深澤さんがある問題を投げかけ、返ってきた反応にさらに変化球を投げるという、すごくライブな感じで進んでいますね。ディレクターである深澤さんの視点が反映されていますが、キュレーター主導の展覧会とはまったくことなる、展覧会の新しいつくり方を実践している感じなんです。
展覧会が開幕した後も大切だと考えています。企画展はそれぞれの題材に対する私たちの結論ではありません。皆で考えてきたことのひとつの投げかけとしての展示をきっかけに、わらに来場者の皆さんが何を感じてくれるのか。そこから広がっていく皆さんひとりひとりの視点もいかしていきたいと考えています。そのために、会期中の様々なアクティヴィティも計画しているところです。そんなふうにして、21_21をよりオープンな場所、ものをつくるエネルギーを感じていただける場所としてつくっていきたいと思っています。

川上典李子から見た3人のディレクター

深澤さんも佐藤さんも三宅さんも、ものすごくお忙しいなかで、21_21には本当に意欲的に取り組んでいらっしゃる。それはもう驚いてしまうくらいで。身近な生活を楽しんでいると同時に、飽くなき知的好奇心の持ち主というところが共通しています。そのうえで、それぞれの個性というものがあって。
たとえば佐藤さんは、やっぱりサーファーだ、と思うことがあるんです。ミーティングしていて、アンテナで何かをキャッチした瞬間に「おーっ!」って全身で入っていく感じがして、予測不可能な事態を怖がらないところが波乗りっぽい!(笑)。 深澤さんはわりと冷静だけれど、面白がり屋なんです。観察と発見の天才で。ニコニコしながら、鋭い変化球を投げてきたりもするんですよね。そうきましたか、なるほどなるほど、って、深澤さんとのキャッチボールはいつも刺激的。三宅さんはもう、何て言うのかしら、精神がすごく柔軟。行動も実に軽やかで、驚かされることがしばしばです。いろんなことを見ていらして、話していると「この展覧会、このコンサート、よかったですよね」なんて教えてくださって、いったいいつの間に......?!と思うほど(笑)。しかも話題は、アートやオペラの最新情報からお笑いの世界まで、ものすごく幅広い。
また、仕事をしていてしばしば感じるのが、3人ともとても人間的な魅力にあふれた方々だということ、素晴らしいユーモアの持ち主だということです。デザインというのはやはり社会でいかされるものであるし、人が使うものですから、ヒューマンな視点は不可欠だと思うのです。3人が仕掛け上手だったり、自身の作品の伝え方を常にあれこれ考えているのも、人を楽しませよう、生活をより楽しくしようという気持ちからなんですよね。自分たちが面白いことしかやらない人たちですから、21_21の活動については乞うご期待!って、自信をもって言えます。

プレオープン・イベントしとして11月に[21_21 DESIGN SIGHT Talk]という催しをおこないます。たとえば館内のサイン計画だったり、企画展を開催するのに至る過程であるとか、現在の途中経過をご紹介する機会になります。制作の舞台裏のようなものも当然出てくるでしょうし、動いているということ自体が21_21の重要な性格だということを、いらしてくださるとよくわかっていただけるのではないかと思っています。



2006年9月14 財団法人三宅一生 デザイン文化財団にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十風一晴

21_21放談 vol.2 三宅一生×佐藤 卓 「現代ニッポン・コンビニ・考」後編

パリの市場、日本のコンビニ


三宅
若い頃にパリで暮らしていたことがあるんですが、パリではね、通りの広場に市場が立つんですよ。よく行きました。肉屋、八百屋や魚屋、花屋などいろいろな店が出る。それらのお店はね、パリ市内のいろんなところを回っているんです。小さなトラックで定期的に決まった場所にやってきて、何にもない広場にあっという間に台を設置してきれいに商品を並べる。時間がくると、またさっとかたづけて、跡形もなくまたもとの広場になる。その素早さが見事でしたね。
日本でも京都の錦だとか、金沢の近江市場とか、市場があって買い物をしますでしょう。そういうところにはコミュニケーションがありますよね。料理人も来るし、観光客も来る。もちろん、地元の人も。
佐藤
パリの市場でのコミュニケーションはどんな感じなんですか。
三宅
お店の人とお客さん、お客さん同士の2つがありますね。お店の人が今日はこれがあるよ、とか、今日は来るのが遅かったねと話しかけてくる。お客同士のコミュニケーションというのは、市場を歩いていると友だちに会うんですよ。とくに週末の市場ではね。こんにちわ、いま何やっているの? とか言って情報交換したり、今日うちに来いよ、とかね。そういう出会いがある。
佐藤
日本のコンビニって、お客さん同士が話すことはないし、働いているスタッフ、とくにアルバイトの方は短期間で変わってしまうから顔なじみになることもないですし、お店の人ともレジで会計を済ませたらそれ以上の会話もまずない。コミュニケーションという意味からするとまったく違う浸透のしかたであるといえますね。
三宅
そうですね。話しかけるのがはばかられるようなところがありますよね。
佐藤
コンビニでも毎回同じ人が対応していたり、扱っている商品にとても詳しかったりしますと、なにか会話が生まれそうな気がしますね。コンビニにこれから期待したいことではありますね。
これからのコンビニ


三宅
僕はコンビニでスポーツ紙を買うんです。キャッチフレーズが面白いのを直感的に選んで買うのが好きでね。写真も大きいし、面白いですよね。大げさな表現をしていますけど、見ていると元気が出てくるんです。
佐藤
スポーツ紙はグラフィック・デザインとしてかなりアヴァンギャルドなことをやっていますね。学校では習ったこともない、過激な、なかなか新鮮なことをやっていると感じます。
三宅
競争の激しい世界ですからね。朝の出勤の忙しい時間に、いくつも並んでいるなかから1紙を一瞬で取り上げるというのはね。買い物も秒単位で考えないといけない時代なんでしょうね。
佐藤
たぶんコンビニでも同じでしょうね。コンマ何秒かで目にとまるようなパッケージをどうするか、各商品がしのぎを削っている。
三宅
買う方も、頭の中でなにが欲しいかのイメージはあるんだと思うんです。それを速やかに見つける、というところがあるんじゃないかな。だから、ぱっと目について瞬時に買ってもらうような工夫が必要になるわけですね。
佐藤
広告、パッケージの世界では唾液を出させる要素のことをシズルというのですが、今日行ったコンビニは、デザインもそれほど過剰ではなくて、本当においしそうに見えました。一般的にコンビニというのは、唾液も出ないような、蛍光灯の光が強くて影もないような空間のなかですべてが記号化している。おにぎりが食べたいなと思って唾液を出して買うのではなくて、記号で買っている。それに対する反省として、食べるものはおいしくあるべきではないかという思いから、ナチュラルローソンなどが出てきているのではないでしょうか。
三宅
今日のお店はせせこましさがない。それから、おでんのにおいがしない。そのかわりにパンのにおいがする。どうしておでんを置かないんですかって聞いたら、うちはパンを焼いて出していますからということでした。いずれにせよ、日本にこれだけいろいろなコンビニができますとね、僕などは店のつくりがわかりやすそうなところに入ってしまいますね。
佐藤
コンビニ自体のデザインというのも、これからはもっと日本の風土から考えられてもいいでしょうね。やはり審美性といいますか、情報がきちんと整理されていてわかりやすく、いて気持ちがいい、つまり心地よい空間のデザインがなされていく方向もありではないでしょうか。
利益のあげられない商品はすぐに棚から下ろされてしまいますから、日本のコンビニの棚は世界で一番きびしい棚だと言えるんです。ものを育てていこうというメーカーや企業の思いは売り上げ優先のためにぜんぶ切り捨てられてしまう。そのことに対する問題提起というものはある。利益だけを優先していたらナチュラルローソンのような試みはなかったと思うので、そういうところは評価をしていかなければいけないですね。
三宅
今日は、日本人の感性がパッケージや店づくりにちゃんと生きていると思いましたね。
佐藤
よく見ると、日本ならではのデザインが身近にけっこうある。そういう目で見渡してみると、日常生活も面白いなと思いました。海外のコンビニと比べてみる機会もあるといいですね。デザインの違いも見えてくるような気がします。


2006年8月28日 ナチュラルローソン代々木公園西店
および財団法人 三宅一生デザイン文化財団にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十風一晴

今回はナチュラルローソン代々木公園西店にご協力いただきました。お店の前にはガーデンチェアが並び、焼きたてのパンの香りがする新しいタイプのコンビニです。ローソンが5年前から東京都内と近畿圏で展開しているチェーンで、現在、約70店舗あるそうです。
http://natural.lawson.co.jp/

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21_21放談 vol.2 三宅一生×佐藤 卓 「現代ニッポン・コンビニ・考」前編

21_21 Image Photo


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターによる放談、第2回をお届けします。今回は、いまやニッポンの日常に欠かせない存在となったコンビニエンス・ストア(以下コンビニ)に出かけ、買い物をして、生活のなかのデザインについて語り合いました。

自宅の延長にある店


佐藤
今の日本で、コンビニは生活のなかで重要な一部を占める存在になっています。ものを買うだけではなくて、銀行のATMや宅急便を使ったり、郵便ポストがあったり、税金を払ったり。ここまでくると、その存在を否定することは難しくなってきています。だから、コンビニについて、どうすればもっといい方向に向けられるかを考えることには意味があると思うんです。今日は美術館のように、デザイン館のように、コンビニを見学してきましたよね。普段はなかなか、これほどじっくり見ることはないと思うのですが、一生さんはどうでしたか。
三宅
若い人にとっては必要不可欠な場所になっていますよね。毎日コンビニに行くと言う人が90%くらいいる。何を買うの? と聞くと、朝はお茶や水、夜は明日の朝食べるものを買うということです。コンビニに行くことが完全に生活のリズムになっている。僕自身は毎日は行かないんですが、今回はこういう機会があったのでいろいろ行ってみました(笑)。
一般的なお店と比べると、コンビニはお客さんの要望や気持ちと向き合って商品を薦めるということではないですね。お客さん自身がなにが欲しいかがわかっているからそういう必要はない。今日行った「ナチュラルローソン」は、お客さんが自由に品定めできるようにいろんな工夫、見せる工夫をちゃんとしていたように思いました。お客さんの気持ちをよく読んでますね。たとえば、相手がどんな人でどのくらいの分量を求めているのか、ということを見極めたうえでの商品陳列がなされている。だから、商品がどんなことをこちらに訴えているかを見るのが楽しく感じられました。
佐藤
考えてみますと、都市型の生活をしている人というのは狭いところに住んでいて、家賃も高い。そうすると、家のなかにいろいろなものを大量には貯蔵できないので、必要なものをそのつど、手に入れる。つまり、コンビニがある意味では自宅の一部化しているというような気がします。たとえば家で雑誌を読むのではなく、コンビニの棚で読む。そういう意味で、暮らしが変わってきている。そのことによって、ゴミが増えるなどのいろいろな問題が発生するんですが、一概に悪いことだけじゃないようにも思えるんです。日本のコンビニは普段の生活と密接に関係しているからこそ、たとえばひとつひとつの商品の量までも、デザインの要素になっている。小さい商品ならば目につくように見せなければいけないなど、日本的な、こまやかな神経や工夫が、見え隠れしているような感じがします。
三宅
これからは、店の空間のつくりかたや空気感みたいなものまでも計算する必要が出てくるんじゃないでしょうか。冷房の効かせ方もほどよくして心地よい空間をつくるという配慮も含めてね。今日行ったところは、ちょうど僕らがいたときに乳母車を引いたお母さんが入ってきたけれど、乳母車でも買い物ができる通路の広さというのもいいことですよね。店のなかも気配りの効いた配列をしている。いわば、工夫がデザイン化されている。
やさしいパッケージ・デザイン


佐藤
(ドレッシングを取り上げて袋から出しながら)これ、お使いになったことはおありですか? これはなかなか良くできてまして。このまま、こうやってむいて、ぐるっと...(パッケージを人差し指と中指、親指でつまんでみせる)。
さらにこうやって...(逆側に折り曲げると、真ん中に切れ目が入り、ドレッシングが絞り出される)。
三宅
すごいですねえ(笑)。
佐藤
これはパテントを取っていますけれども、優れていますね。
三宅
しかしこういう細かい仕組みは、日本人が考えたことなんでしょうね。冷蔵庫に入れておくと賞味期限が気になるからどんどん捨ててしまいますが、そういう心配がないですね、この商品なら。
パッケージ・デザイン
写真左:最後の一滴までも無駄なくだせるんです(佐藤)
写真右:これ、ペットフードですよ。人間用に負けないほどパッケージが凝ってます(三宅)


佐藤
(別の袋を取り上げて)せんべいでは、当たり前になっている小分け。一枚一枚別々になっています。
三宅
これがいいんですよ。これがひとつの袋に入っていたとしたら、しまいにはぜんぶ食べちゃうもの。シケないしね。ひとつ食べたらこれでおしまいと、人間が人間をしつけるというかね。今日は1枚だけでおしまいにしようってね、思える。
佐藤
もしかすると海外からは、日本のパッケージは過剰包装で資源を無駄にしているという意見が、短絡的には出ると思うんです。でも日本の食文化、日本人の繊細な神経など、パッケージには背景があるわけです。そう簡単には切り捨てられない"やさしさ"って、こういうパッケージのありかたにもあるんじゃないでしょうか。
三宅
過剰包装の問題は別として、パッケージが小分けされているというのはですね、日本の文化として古くからある、ものをほんとうに大切にするというところからきている。いまは大量消費の時代だからつい忘れがちだけれども、相手のために必要なことをやるというのは、日本らしい繊細さですね。
佐藤
最近の食品のパッケージは、和風化している傾向がありますね。筆文字などで商品名を表現していたりします。
三宅
和のものだからかもしれないけれど、親しみやすいというか。これは、蜂蜜ラベンダーのソープですか(石けんのパッケージを指さす)。
佐藤
新聞紙で包んでいるような雰囲気を出していて、この考え方はなかなか新鮮。
三宅
どこから開ければいいのかな。
佐藤
ここで開けるんじゃないかな。
三宅
開けるときに破るという感覚は感心しないんだけどな。(結局、破くしかないことがわかり)ちょっと、残念だな。
佐藤
そうか、そうか。これは開けると中身がビニール袋に入っている。それは香りという難しい問題があるからですね。包装としては紙だけで成立しているんだけど、香りが出てしまうとほかの商品に影響が出てしまう。こういうことまでを、パッケージ・デザイナーは考えなければならないんですよね。

放談vol.2 後編へつづく

建築家 安藤忠雄が語る「私と21_21 DESIGN SIGHT」

安藤忠雄


21_21 DESIGN SIGHTの設計を手がける建築家・安藤忠雄氏。氏はこれまで数多くの文化施設設計にたずさわってきましたが、21_21 DESIGN SIGHTの設立には特別な思いがあります。今、なぜ21_21 DESIGN SIGHTなのか、その思いを語っていただきました。



今、必要な日本の顔とは――

仕事柄、世界各地を飛び回っていろいろな方と接していますと、しばしば「日本には顔がない」と言われます。「顔が見えない国」と。経済は顔が見えているどころか、もうずいぶん長い間リーダーシップを取っています。けれども。私はもうひとつ日本の顔が欲しいと思う。

日本は世界でも珍しく大衆文化をしっかりと根づかせてきた国です。江戸時代から続く文楽、歌舞伎、浮世絵、俳句など、そういった文化を支えているのは、生活を楽しむという美意識だと思うのです。

その文化の奥には、日本の自然観がある。生活のなかで、つねに感動をもって春夏秋冬に接してきた。これはヨーロッパなどと比べてもとても珍しい感情で、日本人の感受性の高さを示していると思うんですね。

...かつて、ポール・ヴァレリイとポール・クローデルが対話し、「世界中の民族の中で滅びては困る民族がいるとしたらそれは日本人だ」と言ったことがあります。私はそれを、日本人の固有の美意識を滅ぼしてはならないということだと解釈しています。美意識には、たとえば責任感とか正義感といったものも含まれます。なかでも人や自然に対する礼儀、生きていくことへの礼儀。あるいは、ものをしっかりと見つめることもそうでしょう。

ところが、1960年代に高度成長期を迎えると、お金が儲かればいい、お金があれば豊かになれるという考えが主流になり、かつての美意識はどこかに消えてしまった。東京の街を見ればわかります。美しさを求めた景観ではありません。経済効率を優先した結果ですよ。

かつてイサムノグチさんとお会いした時、「ニッポンの美意識を取り戻さなければならない」と言われていました。
私と三宅一生さんとのつきあいは、35年くらいになるでしょうか。
「デザインという美意識の中に賭けている」と言っていた田中一光さんと3人で、いつかデザイン・ミュージアムを作ろうと話をしていた、そういった経験が、今に繋がっているという思いもあります。

日本が持つべき顔とは、美意識のある国としての顔ではないか。これを実現するために21_21 DESIGN SIGHTという考え方が必要だと思っています。

建築写真
PHOTO: MASAYA YOSHIMURA/NACASA&PARTNERS, INC.
鉄板の屋根が設置される 2006年6月10日撮影


美意識をもった建築

21_21 DESIGN SIGHTの建築を説明するならば、やはり巨大な一枚の鉄板による造形ということに大きな意味があると思います。日本の高い技術力を象徴するものと言えるからです。

建築写真
PHOTO: MASAYA YOSHIMURA/NACASA&PARTNERS, INC.
屋根を設置する前の入念な準備作業 2006年5月30日撮影


鉄板は膨張と厚さの問題があります。それをクリアして造形する技術、解析する技術の両方が必要です。設計が現実のものとなるのは、高い技術力が現場にあるからこそなのです。

また、工事には欠かせないスケジュール管理、日本人はこの点に優れているのです。たとえば、日本の新幹線はめったに遅れない。私はイタリアでミラノとベニスをよく往復しますが、20分くらい遅れるのは当たり前のことです。でも誰も何も言いません。

スケジュール管理が優れているということは、品質管理が優れているということにもつながる。それらはすべて心、美意識からきているのです。この心を取り戻すために、21_21 DESIGN SIGHTは役立たなくてはならない。

そして経済効率一辺倒で無計画につくられた日本の都市へのアンチテーゼとして。もっと都市を美しくという意識をもって、私はこの21_21 DESIGN SIGHTに参加しています。



2006年6月22日 東京ミッドタウン内にて収録
構成/カワイイファクトリー ポートレート撮影/五十風一晴

21_21放談 vol.1 佐藤 卓×深澤直人 「僕たちのデザイン事始め」 後編

「いもや」のカウンターの秘密


深澤
この近くに「マコ」っていうカレー屋があったの知ってる? そこのカレーを2ヶ月くらい食べ続けたことがあってさ(笑)
佐藤
それは、身体が傾くよ、いくらなんでも(笑)
深澤
けっこう面白かったよ。当時350円だったんだ。それをどれくらい続けられるかとか、へんなこと考えてた(笑)
佐藤
ひとりでやってたの?
深澤
ひとり。あんまり友達いなかったよ。それがよかったんじゃない? 
佐藤
そして、神保町の「天丼 いもや」。
深澤
行った行った。天丼もトンカツも。あの店に行くと必ず、順番が来るまで待つわけだけど、でも並んで待っている間に学ぶんだよね。あの店のシステムというかプロセスのすごさを。俺が一番驚いたのは、今でこそミニマリスムだと思うけど、どんぶりが棚に1個も入っていないんだ。
佐藤
そうだった、言われてみれば。
深澤
人数分しか必要ないから。全部循環しているから、棚の中に食器がいっさいない。
佐藤
お店が終わると、棚に入る。
深澤
そう。だから、すかすかしているんだ。すごいなと思った。
佐藤
並び方もシステマチックに決まっていたよね。食べているときは喋らない。たしか海老のしっぽまで食べると、大盛りが普通の値段で食べられたんだよね。
深澤
それは知らなかったな(笑)。
佐藤
「いもや」のカウンターがその後、言ってみればよみがえったというのがあるわけじゃない? 深澤さんにとって。
深澤
檜の、塗装していないあったかい感じ。寿司屋もそうだけど、席につくと、なんにしようかなって、こう、触るじゃない。あの感じだよね。接触している感じ。あれがいいんだ。
佐藤
あれが今の角アールにつながるわけですね?
深澤
あ、俺の? 2.5Rに?......つながってるね。感触としてはつながってる。
佐藤
後々、経験としてよみがえっているわけだよね。


深澤
考えてみると、一番最初に勉強を始めた頃の自分の試行錯誤って、今の自分の基準になってる。芸大の先生が描いたすごくうまい石膏像のデッサンを見たことがあるんだ。それは背景に影がついているわけ。みんなは石膏像の胸のところを黒く描いているのに。で、俺はいきなり背景から描いてみたんだ。
佐藤
えっじゃあ、その頃から、白い石膏像を描くならバックから描くと考えていたわけ?
深澤
でも「そういうのはテクニックをなぞっているだけだから、もっと胸の厚みをとらえろ」と先生に言われちゃって。
佐藤
でも深澤さんが正しいよ。もののとらえかた、考え方なんだから。でもあった、バックに調子がついていて、石膏像そのものにはない、そんなデッサンがあったね。
深澤
ピカソの、十代のときの、脚を描いたやつとか。
佐藤
それそれ。円盤投げの脚だよ。
深澤
それ。すごいんだよ。
佐藤
周辺とか、ものの関係というのを、その頃に考えていた? 『デザインの輪郭』じゃないけどさ。
深澤
うん。そのものを描くか、輪郭から描くかというのは、すでにそのころ考えはじめている。
佐藤
予備校のときに考えていたことって、実は正しかったんじゃないかって思うことっていっぱいあるね。そしてそのことを忘れていないんだ。今の基礎なのかな。
深澤
そう、今の基礎。あっていようが間違っていようが、そこから始まっていることは間違いない。
佐藤
深澤さんは、大学を卒業して時計のメーカーに入ったんだよね。
深澤
8年いたのかな。で、アメリカの会社に行って、それでもう、デザインがわかったみたいな。コンサルタントとしてのデザインを勉強して。企業のデザインをやって、今の自分がある。
佐藤
アメリカにいってからはもう、自分を確立していたと思う?
深澤
そのときは王道を行っていると思っていたけど、今考えてみるとやっぱりまわりの環境に、かなり影響されていたと思う。フリーになって3年半くらいで初めて、自分がひとりでデッサンをはじめたときと同じ状態にもどったんじゃないかな。自分で考えて自分で答を出していくことができるようになったというか。卓さんはフリーになったのが早かったから、すごいよね。
佐藤
今よりは経済的にいい時代だったから、なんとかなったのかもしれない。でもね、なんでもやりました。だってほとんど世の中に出ている仕事なんてないわけだから...ほんっとに、いろんなことを。だから、深澤さんの仕事見てると、最初から今の状態に目標を定めていたように感じるんだけど?
深澤
いや、それはいろいろ揺さぶられたから。デザインっていうのは多岐にわたっているからさ。全部とりいれて何が正しいかなんて考えると、ものすごく揺さぶられる。
佐藤
揺さぶられてさ、右や左にぶつかりながら、軸を見つけてる。
深澤
...見つけようとしてるんだけどさ、やっぱり揺さぶられているんだろうね。また10年後にやろうか、この話。
佐藤
いいね。10年くらい前のバブルの時代に、雑誌の取材で「いまどういうものが欲しいですか」という質問がきたわけ。僕が「普通のものが欲しい」って答えたら、記事にならないって言われた(笑)。その、「普通」という軸を10年ごとに考えたら、すごく面白いかもしれないね。
深澤
「普通の軸」っていうのは難しいんだ。それを考えることができるデザイナーっていうのが僕の基準になっているかもしれない。「普通の地平」を作れるかどうか。
佐藤
すごくデリケートで微妙なものだよね。
深澤
そう、微妙なものだけど、実はどこにでもあるんだよ。


2006年5月22日 画廊喫茶ミロにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/中野愛子

ふたりが語りあったのは、JRお茶の水駅から近い、画廊喫茶ミロ。創業50年を数える老舗です。営業を始めた1950年代からほとんど変わらない店内を、創業者の女性店主と娘さんが切り盛りされています。

[画廊喫茶ミロ]
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21_21放談 vol.1 佐藤 卓×深澤直人 「僕たちのデザイン事始め」 前編

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21_21 DESIGN SIGHT ディレクターの佐藤卓と深澤直人は、美術大学進学をめざしていた浪人時代、東京・お茶の水にある同じ予備校に通っていました。当時、面識はなかったそうですが、今回久しぶりにお茶の水の街を訪れたふたりが、デザインに目覚めた頃と現在を語ります。

深澤直人、デザインに目覚める


深澤
どんな予備校生だったんですか?
佐藤
まじめだったよ。髪の毛は長かった。
深澤
僕も。
佐藤
ロック聴いてた?
深澤
いや。髪の毛だけ。短かったらおかしい時代だった。
佐藤
美大に行こうと思ったきっかけって何だったの?
深澤
もともとは家業を継ぐつもりで、工業高校に行っていた。高校3年まではバスケに夢中だったんだ。インターハイが終わってから初めて進路を考えたわけ。図書館で『蛍雪時代』っていう雑誌を見ていて、いろいろな大学を紹介している特集号だったんだけど、「工業デザイナーとは、工業製品を通じて人に夢を与える仕事」って書いてあった。それで、これだ! と。それまでデザインのデの字も知らなかったけど、即決した。
佐藤
そのときにはデザイナーが何をやるのかなんてわからないんでしょう?
深澤
うん。なんか図面を書く人かなってくらいでさ。で、美大をめざして最初は見よう見まねでデッサンを描きはじめたんだけど、いくらなんでもそれじゃだめだろうってさ、芸大の卒業生が地元に戻って開いていた美術系の予備校に行った。女学生ばかりでさ。俺、男子校だったもんだから、デッサンよりそっちのほうに目がいっちゃって(笑)。で、ひととおり全部の美大を受けたんだけど全部落ちた。それでお茶の水の予備校に入り、浪人生活が始まったわけ。
佐藤
日本の美術教育ってまず石膏のデッサンだけど、面白かったと思わない? 先生に、おまえはうまいけど心がこもっていない、とか言われるんだよね。
深澤
俺は当時、そのへんにあるものをそのまま描けばいいと思ってた。いきなり全体をとらえろとか言われて、そういう見方もあるのかと思って。どんどん面白くなっていくわけだよね。朝なんて始発で来て、場所とりをする。
佐藤
うんうん、シャッターが開く前に並んで、開いたとたんに駆け込んで石膏像の前に場所をとるんだよね。あのときほどひとつのことに集中したことはないんじゃないか、と思うほど石膏デッサンに集中してたよね。
深澤
ものを立体的にとらえる、そういう目を鍛えたのは、美大というより予備校時代。このお茶の水界隈が、デザインやアートを一気に吸い込んだ時期だよね。
佐藤
そうそうそう。ここでの経験が基礎になってる。
佐藤 卓、グラフィック・デザイナーをめざす


深澤
卓さんは予備校に通っていた当時、デザインやるって決めてたの?
佐藤
親父がデザインやってたんだ。
深澤
なんのデザイン?
佐藤
グラフィック・デザイン。
深澤
おお! すごいじゃん(笑) 2代目、純血じゃん!
佐藤
小学生のとき、「卓ちゃん、お父さんは何をやっているの」って質問されたら何て答えればいいの? と親父に聞いたら「グラフィック・デザイナーといいなさい」と言われた。なにしろグラフィック・デザイナーが何をやってるかなんてわかんないんだけど、親父がやっていることがそうなんだろうと。石油タンクのデザイン、百貨店や吉祥寺駅前の小さなお店のシンボルとか。グラフィック・デザイナーってのは立体もマークもやるもんだと。
深澤
それは情報的に早いよね。
佐藤
デザイナーになろうと思ったきっかけは、LPジャケット。だから、きっかけもグラフィックなんだよ。高校の頃からロックとかブルースとか聴きまくっていたから。そうすると音楽が入ってくるし、ミュージシャンのファッションも入ってくるし、LPジャケットのデザインも入ってくる、文字も入ってくる。ロックという音楽のレールに乗ってすべて来るわけじゃない。グラフィック・デザインってのはよくわからないけど、とりあえずそれだと。で、美大に行くためには予備校ってのがあるらしいと。それで高校3年の夜間からここに通ってた。
深澤
そのころデザインと思っていたことと、今とはあまり変わらない? 
佐藤
それは変わった。はるかに。
深澤
今はデザインって、ある程度一般的になっているけど、そのころ美大に行くなんて、俺たちはかなり変わり者扱いされたでしょ。
佐藤
そうだったと思う。だってクラスにひとりぐらいしかいないし。美術系に行くというのは特別なことだから、担任の教師からも、もうわからないと言われた。デザイナーになるなんて特別なこと、みたいな時代だったよね。それがいま、学生の前で話すときに「特別じゃなくていい」と言っているわけだよね。
深澤
そうそう。僕はたまたま美大をめざして純粋培養的にデザイナーになったけれど、もしかしたら別のことに興味があり勉強していた人が、ポテンシャルを持っていることもあるだろうと今は思うよね。考えてみると、僕らが勉強をはじめたころは、確固たるデザインという言葉があって、ゴールをめざすというふうに思いがちだった。でも今は違ってきている感じがする。デザインやアートの世界には、そんな決まった道筋なんてのはないんだよね、きっと。自分で探っていくしかない。そういう意味で、予備校で夢中になって勉強できたのはラッキーだった。

放談vol.1 後編へつづく

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