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田根 剛 (10)

2020年1月25日、企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」に関連して、クロストーク「建築のマル秘 内藤 廣×田根 剛」を開催しました。
日本デザインコミッティーのメンバーである内藤 廣が、ゲストに田根 剛を迎え、「建築」をテーマに語り合いました。モデレーターを、展覧会ディレクターの田川欣哉が務めました。

本トークは、田根が、会場に展示されている内藤の"原画"について、内藤本人に尋ねる形式を用いました。
内藤が自身の持つ二面性を描いたスケッチ「青鬼と赤鬼」には、建築をつくるときの葛藤や矛盾が表れているように感じたと田根は言います。クリエイターである一方、社会との整合性をとる必要もある、建築家という職業。人間を本質的な対象とするため、ものごとを処理したりまとめ上げたりすることと逆のモチベーションもあるはずだと、内藤は答えました。
また、「デザインの領域の再構成」や「ArchitectureとDesign」といったスケッチについては、描かれた図をスタートに、国内外の社会思想やデザインに対する捉え方にも話が及びました。
さらに田根が選んだのは、内藤の手帳に貼られた「民法」の条文。「私権は公共の福祉に適合しなければならない」という一文に、建築やデザインはどう関わるのかという各々の意見を述べました。
トークの最後には、未来に関する議題があがり、世界を取り巻くテクノロジーや新たな技術、モノとコトの関係性などを語りました。

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『AXIS』179号に、フランク・ゲーリー氏の表紙インタビューが掲載されました。
本誌は、「建築家 フランク・ゲーリー展 」会期中、21_21 DESIGN SIGHT1階のショップスペースでも販売しています。また、本展ディレクター 田根 剛の表紙インタビューが掲載された『AXIS』176号もあわせて販売中です。ぜひご覧ください。


『AXIS』179号

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」が、イタリアのウェブサイト『domus』に紹介されました。

>>domus


『domus』

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『Casa BRUTUS』12月号の30ページにわたるフランク・ゲーリー特集の中で、本展ディレクター 田根 剛による展覧会ガイドが掲載されました。


『Casa BRUTUS』12月号

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、フランク・ゲーリーのインタビューが、『casabrutus.com』に掲載されました。

>>casabrutus.com


『casabrutus.com』

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、本展ディレクター 田根 剛のインタビューが、『Pen Online』に掲載されました。

>>Pen Online


『Pen Online』

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、本展ディレクター 田根 剛のインタビューが、『和樂』11月号に掲載されました。


小学館『和樂』11月号より

2015年10月17日、「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」開幕を記念して、展覧会ディレクター 田根 剛によるギャラリーツアーを開催しました。2年前、展覧会企画チームがはじめてゲーリー事務所を訪れたときのこと、「オレのマニフェストを知っているか」と切り出したゲーリーは、1枚の紙をとりだし読み上げました。このマニフェストから全てが始まった「建築家 フランク・ゲーリー展」。ギャラリーツアーでは、そんな展覧会の見どころを、完成までの裏話や数々のエピソードを交えながら紹介していきました。

ツアーの始まりは『ゲーリーのマスターピース』。ここでは、ゲーリーの3つの代表作を紹介します。安藤建築の壁面にゲーリー建築が映し出されます。田根が指摘するように、ゲーリーと安藤、2人の建築家による「対話」が、21_21 DESIGN SIGHTに新たな空間を生み出します。

続いて向かうのは『ゲーリー・ルーム』。ゲーリー事務所の雑多な雰囲気をイメージしたこの空間に足を踏み入れると、卓上に並べられた数々の「アイデアの原石」が目に入ります。見る人によってはただの石のように思えても、ゲーリーにとってはそばに置いておきたい大切なもの。ゲーリー事務所には、そんな宝物の数々が所狭しと並べられています。

壁面に広がる『ゲーリー・コレクション』では、写真や本を通して、ゲーリーの人柄や関心について紹介しています。田根も意外であったと話すのは、ゲーリーの興味が古典に向いていること。ひとつの例にバロック芸術の巨匠ベルニーニへの関心が挙げられますが、聖人が纏う衣服のドレープの美しさは、確かにエイト・スプルース・ストリートと重ねることができるでしょう。

ギャラリーの中を進むとゲーリー事務所を俯瞰できる大きな写真作品の展示にぶつかります。広々としたオフィスには模型がずらり。約120名のスタッフはこの模型と模型の間で、日々アイデアを練り続けています。出勤してきたゲーリーがオフィスをぐるりと1周まわると、プロジェクトの進行状況が一目でわかるようになっているとか。事務所の構成ひとつを取っても合理的につくられていることが伺えます。

合理的といえば「ゲーリー・テクノロジー」。1989年、ヴィトラ・デザイン・ミュージアム設立の際、完成した螺旋階段のカーブに納得がいかなかったゲーリーは、航空産業に目をつけ、ジェット機を設計するソフト『CATIA』を建築に応用すべく、新しいシステムを構築しました。3次元の模型をそのままデジタルのデータに置き換え図面化する仕組み、これがゲーリー・テクノロジーのはじまりです。また、どんなに小さなネジであっても、いつまでにどれくらい必要なのかを正確に割り出すことができるこの仕組みは、工事にかかる時間とお金の無駄を徹底的に排除できます。田根は、ゲーリー建築は「時間」を加えた「4次元」で建築をデザインするところまで進化していると話しました。

誰にも真似できないゲーリー建築の原点は「人が何かにやさしく包まれること」、田根はそのように考えます。やさしく包み込まれるような、ゆっくりと安心させるような、そんな建物をつくろうと、試行錯誤した結果に生まれた空間には、ゲーリーが好む雅楽のように「始まり」も「終わり」も存在しません。代わりに残るのは、時間と空間と人間が一体になるような感覚。田根はゲーリー建築の魅力をここに見出しました。

「アイデアの時代が始まった。」田根 剛はそう話します。ゲーリーはアイデアによって世界を変えた建築家、自らの建築を通してアイデアの持つ大きな力を社会に証明した人物です。強くポジティブな意思によってアイデアを生み出すゲーリーの姿勢は、世界が新しいアイデアを必要としているいま、私たちに大きなヒントを与えてくれるはずです。

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。本展の主役、フランク・ゲーリーの素顔に迫った第1回、第2回に続き、新進の建築家で本展ディレクターを務める田根 剛についてその活躍を追っていきます。田根 剛ってどんな人?


エストニア国立博物館(2006-2016年完成予定) ©Takuji Shimmura

さて、本展ではディレクターに田根 剛を迎えている。田根は、どんなアプローチでこの展覧会のコンセプトを打ち立てたのか、どうデザインしたのか。いや、そもそも田根 剛とは何者なのか。

田根は、現在パリ在住。2005年、イギリスの建築設計事務所アジャイ・アソシエイツに務めていた当時、イタリア人、レバノン人の友人らとある建築コンペに参加した。エストニアのかつて軍用滑走路だった敷地に博物館をつくるというもので、この3人組は何と最優秀賞を受賞。そこで、パリに渡って3人で建築設計事務所DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を設立した。

日本では、2020年東京オリンピック招致に向けて行われた「新国立競技場」の設計コンペで最終選考に残ったことで、DGT.、そして田根の名前を目にした人もいるだろう。彼らの案は、神宮外苑の敷地に盛り土をして山をつくり、その中に競技場が半分埋まっているという構想だった。東京にまるで古墳をよみがえらせたような風景は、大きな話題を呼んだ。


新国立競技場設計競技案(2012)©DGT.

A HOUSE for OISO(2015)©Takumi Ota

展覧会や舞台のデザイン、店舗設計も多く、2014年にはパリのグランパレで開催された『北斎展』の会場デザイン、ミラノ・トリエンナーレでの時計メーカー、シチズンのインスタレーション、虎屋パリの改装デザインなどを手がけた。ちなみに、東京のスパイラルで凱旋展として展示されたシチズンの『LIGHT is TIME』展は、7万2000人の来場者が見に来たほどの盛況だった。

DGT.では現在、20数件のプロジェクトが進行中という。そのうち、日本では美術館、劇場、工場、住宅などが15〜6件、その他は欧州を中心に、NY、香港、レバノンでプロジェクトが進行中。田根は、そのためしょっちゅう日本とフランスとを往復している。今、最も多忙な若手建築家の一人だろう。

「場所の記憶」。自身の建築へのアプローチを、田根はこう説明する。敷地だけでなく、その地域、ひいては国がたどってきた歴史。その痕跡を探し、それを堀り起こしていくことが、彼の建築の第一歩である。そして、建築はその見つけた記憶の上に未来を構想する作業だ。


虎屋パリ(2015)©Takuji Shimmura

LIGHT is TIME(2014) ©Takuji Shimmura

上述したエストニア国立博物館の場合は、かつてソ連が軍事用に使っていた滑走路を取り込むかたちで建物が計画された。過去を未来へつなげるためのアイデンティティーに位置づけた点が評価された。また新国立競技場は、日本に3万基も存在しているのにほとんど海外では知られていない古墳を通して、日本の民族や歴史を感じさせる場所にしたかったという。

その田根は、フランク・ゲーリーをどう捉えているのだろう。
「知れば知るほど、彼の深みに出会う」と田根は言う。建築と同じように、対象を深く理解する作業をゲーリーに対しても行ってきた。

ごく当たり前の既製品素材を使いながら、オリジナルな建築を生み出す力。それをアーティスティックな表現に高めながらも、建設面では無駄を省いて実現にまで押し進めていく。ゲーリーは、建築に関わるあらゆる観点で高度な専門家であり、その建築家としての姿勢に驚くばかりだという。

展覧会では、彼の建築のプロセスに含まれる多くの情報をどう伝えるのか、そこに注力しているという。フランク・ゲーリーのアイデアを、田根がどう見せてくれるのか。ぜひ期待されたい。

文:瀧口範子

>>第1回「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編
>>第2回「フランク・ゲーリーってどんな人?」後編

2015年10月16日に開幕となる企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」。

「君たち、オレのマニフェストを知ってるか」はじめて面会したゲーリー氏は最初にそう言い出しました。
ゲーリーは一夜の思いつきや、ちっぽけな発想、一瞬の閃きによって建築をつくりません。大量の模型をつくっては壊し、壊してはつくり上げる輝かしいプロジェクトの数々。
アイデアを信じるゲーリーの本音のマニフェストを聞いたとき、 この展覧会のコンセプトは決まりました。」(展覧会ディレクター 田根 剛のメッセージより)

ウォルト・ディズニー・コンサートホール竣工の際に発表されたマニフェスト(2003年)を、再びゲーリー自身が読み上げる様子を本展のために撮りおろしました。真面目な表情で読み上げられる本音のマニフェストには、ひとりの建築家が闘ってきた道のりを垣間みることができます。

編集:LUFTZUG

フランク・ゲーリーのマニフェスト

まずアイデアが浮かぶ。しょうもないけど気に入る。模型をつくって嫌いになるまで見続けて、それから違う模型をつくることで、最初のしょうもないアイデアを別の見方でみる。するとまた気に入る。でもその気持ちは続かない。部分的に大嫌いになって、再び違う模型をつくってみると、全然違うけど気に入る。眺めているうちに、すぐに嫌いになる。直しているうちに新しいアイデアが浮かんで、そっちの方が気に入るけど、また嫌いになる。でもまんざらでもない。
どうするか? そう、また模型をつくって、次から次へとつくる。模型を保管するだけでも膨大な費用がかかる。でもどんどん続ける。次から次へと進めるうちに、ほら見ろ、最高傑作だ。
輝かしく、安上がりで、今までに見たことがないものだ。だから誰も気に入らない。

悔しくて死にたくなる。ところが、神様がメッセンジャーを送り込んで皆に催眠術をかけるので、皆気に入る。そしてアイデアを盗もうとする。模型も盗んで行こうとする。頭脳や魂まで持って行こうとする。でも踏ん張って、絶対にくれてやらない。
やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ。たった一人で新しい模型をつくり続けたい。保管するのに膨大な金がかかるので、こんなことをしていると模型の倉庫代で破産する。
これは偉大な歴史。伝説でもあり本当のことなんだ。
この続きがどうなるかと言えば、皆が嫉妬し始める。嫉妬が彼らに努力するよう仕向けるならばいいけれど、大半は壊すためにがんばる。そこんとこが厄介。