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「そこまでやるか」壮大なプロジェクト展 (10)

泥や絵の具などを用いて、人間と様々な動植物が織りなす絵画の制作で知られる淺井裕介。本展では、東京ミッドタウン内の土を含めこれまでに各地で採取した土を使用して、過去に手がけた作品の再構成を試みました。その制作風景の一部を、21_21 DESIGN SIGHTスタッフがレポートします。(写真:木奥恵三)

「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」参加作家の一人、淺井裕介は、その完成した作品だけでなく「描き続ける」姿もよく知られます。本展のメインビジュアルで謳われている「連続制作時間96時間」とは、実際に、淺井が2016年にヴァンジ庭園美術館で展示した作品「生きとし生けるもの」の制作に連続して費やした時間です。

本展では、その「生きとし生けるもの」の再構成を試みた淺井。格子状に分割し、並べ替えた上にさらに泥で新しく絵を描きました。

まず、21_21 DESIGN SIGHT館内に、並べ替えられたパネルが設置されました。新しく描き足す作業は、すべてこの会場内で行われます。元々あった絵に、泥の絵の具が重ねられて、淺井の作品が少しずつ立体的になってゆきます。

テーブルの上には、無数の絵筆とともに、さまざまな色や粘度の土が入った透明のコップがパレットのように並べられ、それぞれ土が採取された土地も記されています。今回は、21_21 DESIGN SIGHTが位置している東京ミッドタウン内の土も、素材として加わりました

やがて淺井の筆は元のパネルからはみ出し、白い壁にも泥絵が描かれ始めました。あらかじめ終わりを決めずに描き始めるという淺井は、絵画が完成したかと思われた後にも少しずつ描き足し続け、なかなかその手が止まることがありません。制作は、展覧会が開幕する直前まで終わることなく続きました。

本展では、こうして完成した「土の旅」を展示しています。以前描かれた絵に、新たな命が吹き込まれた本作を、ぜひ間近でお楽しみください。

あさいゆうすけ:
1981年東京都出身。マスキングテープに耐水性マーカーで植物を描く「マスキングプラント」や、土と水を使用し動物や植物を描く「泥絵」、アスファルトの道路で使用される白線素材のシートをバーナーで焼き付けて制作する「植物になった白線」など、室内外を問わず外力によって増殖させた自然界のイメージを、支持体となる様々な場所や物に、その土地や身の回りの品々で奔放自在に制作を行っている。近年の主な展示に「淺井裕介 -- 絵の種 土の旅」(2015-2016年・彫刻の森美術館)、「生きとし生けるもの」(2016年・ヴァンジ彫刻庭園美術館)、「瀬戸内国際芸術祭」(2013-2016年・犬島)、ヒューストンでの個展「yamatane」(2014年・Rice Gallery)など。

2017年7月22日、企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」トーク「プロジェクトをアーカイブする」を開催しました。
登壇者の一人、柳 正彦は、1980年代より現在に至るまでクリストとジャンヌ=クロードのプロジェクトに携わり、本展ではクリストとジャンヌ=クロード企画構成を務めました。もう一人の登壇者、森山明子は、植物を主な素材としていたいけ花作家、芸術家 中川幸夫の評伝の著者でもあるジャーナリストです。
本トークでは、二人がそれぞれの経験を通じて、期間限定で消えてしまうアートやデザインを残すことについて、語りました。

はじめに、柳がクリストとジャンヌ=クロードがこれまでに実現してきたプロジェクトを紹介しました。「作品が一時的であるからこそ記録に残したい」と語るクリスト。その方法として、彼らは大きく分けて「記録映画」「記録集(書籍)」「ドキュメント展」という3つの方法を選んできました。その際には、作品が実現した様だけでなく実現までの軌跡も、写真、スケッチ、手紙、書類といったものまで克明な記録として残します。プロジェクトが実現してから非常に早く、時には自らの出資によって記録集を製作することもある、というエピソードからは、発想から実現、記録までの全過程をプロジェクトと捉えて取り組むクリストとジャンヌ=クロードの姿勢が想像されます。

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中川幸夫は、対称的にその制作過程を公表することはあまりなかったと森山は語ります。しかし中川は、詳細な制作ノート、日誌、備忘録ともいえるものを残していました。森山が著した中川の評伝『まっしぐらの花―中川幸夫』(美術出版社、2005)には、その中から制作過程を記録したものが引用されています。
中川が切望し、2002年5月18日、新潟県十日町で達成された「天空散華」。約20万本分のチューリップの花弁が上空のヘリコプターから降ってくる中、大野一雄が踊る短い時間に立ち会った人々のみが体験することのできた作品です。また中川は、基本的にいけ花作品を、ただ一人密室で制作していました。花の様子が刻一刻と変わる「密室の花」を他人に見せることのできる唯一の方法として、77年の作品集以降は中川自ら写真を撮っていたといいます。

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短い時間で、時には他人の目に触れる間もなく消えてしまう作品を実現させ、さらに作品にとって最適の方法で「残らないものを残す」ことにも熱意をかける表現者たちの姿に、アーカイブそのものを通して触れる機会となりました。

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2017年7月8日、企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」に関連して、展覧会チームによるオープニングトークを開催しました。
トークには、本展ディレクターの青野尚子、会場構成協力の成瀬・猪熊建築設計事務所より成瀬友梨、猪熊 純、展覧会グラフィックの刈谷悠三が登壇しました。

トークのはじめに、青野尚子が、本展ができるまでの過程について解説しました。
クリストとジャンヌ=クロードを出発点として、世界各国からダイナミックな手法で活動を行うさまざまな分野の作家たちが集う本展。
参加作家の制作のプロセスを解説し、過去に制作した作品についても触れました。

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展覧会グラフィックを担当した刈谷悠三は、ポスタービジュアルの複数のアイデアを実際に見せながら、現在のビジュアルに至るまで様々な試行錯誤があったことについて振り返ります。展覧会タイトルにもある「そこまでやるか」の言葉によって想像力を引き立てられるよう、あえて画像は用いらずに構成したことを説明しました。
さらに、クリストとジャンヌ=クロードの「フローティング・ピアーズ」から着想を得たオレンジを展覧会のテーマカラーとし、会場グラフィックでも統一感があるデザインを目指したと語りました。

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作品のスケールが身体的に伝わり、会場全体でひとつの体験ができるように構成したと語る猪熊 純。構想途中の模型を用いながら、どのように会場のバランスをつくりあげてきたのかを解説しました。特に4組の作家が集うギャラリー2では、同時に複数の作品が目に入り迫力が伝わる配置、一体感をもたせつつも個々の作品と向き合って鑑賞できる構成を、具体的に意識したと言います。
成瀬友梨からも、参加作家とその作品から感じ取った魅力をより良く伝えていくための粘り強い試行錯誤が語られました。

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本展開催に向けて約1年をかけて準備してきた展覧会チームのアイデアの源や試行錯誤を重ねたプロセスからも、「そこまでやるか」というフレーズに応えようとする強い熱意が感じられるトークとなりました。

―― 森山明子(デザインジャーナリスト、武蔵野美術大学教授)

「そこまでやるか 壮大なプロジェクト展」に関連するトークをやることになった。開催中の展覧会は8つの作例からなるが、その一つにクリスト(1935-)とジャンヌ=クロード(1935 - 2009)のプロジェクトがあり、二人のスタッフとして数々の企画に伴走してきた柳正彦氏の相手としてである。
今回の展示にある「湖面を渡る100,000m2の布」は、イタリア・イセオ湖で昨年実現したフローティング・ピアーズ、つまり湖に浮かんで人が歩くことのできる布製の長大な桟橋。『クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』(図書新聞社、2009)の著者とトークをすることになったのは、いけ花作家中川幸夫(1918 - 2012)が理由である。
中川には100万枚のチューリップの花びらをヘリコプターから信濃川河川敷に降らせる「天空散華 中川幸夫"花狂"」があり、私は中川の作品集を編集し、評伝『まっしぐらの花―中川幸夫』(美術出版社、2005)を書いたからだ。

歴史に刻まれる「密室の花」

壮大かつ期間限定だったり素材が植物だったりして、現物を残すことができないアート・プロジェクトをどう後世に伝えるか。そのために、作家の傍らにいる人間に何ができるか。トークでは、プロジェクトの実際を話し合うことで、この課題を解く糸口を聴衆とともに考えたい。
クリストとジャンヌ=クロードの活動は世界的に知られているから、ここでは知る人ぞ知る中川幸夫について述べてみる。
香川県丸亀に生まれた中川がいけ花を始めたのは戦時下、印刷工を経た二十代半ばだった。作庭家の重森三玲が京都で主宰したいけ花研究集団「白東社」に参加することで頭角を現わし、所属する池坊を脱会して東京に転居したのは38歳。以来、前衛いけ花運動が退潮しても、花を教授しないただ一人の前衛として制作を続けた。
集大成である『華 中川幸夫作品集』(求龍堂、1977)収録の作品群は、基本的には他者に見せることを意図しない「密室の花」。理解者である詩人瀧口修造らに衝撃を与えたのが腐らせたカーネーションの花びらが赤い花液を流す「花坊主」といった一連の作品だった。いけ花500年余の歴史にない花である。舞踏家大野一雄の舞台の花を制作するなど観衆を前提とする作品づくりが加わるのは、90年代に入ってからのことなのだ。

消えゆくものを残す作家の日々

いけ花作品は写真でしか残せない。それも望んだ一瞬を撮るために、写真家の土門拳に勧められたこともあって中川は自分で撮影し、残されたポジフィルムは数千枚に及ぶ。掲載記事や手紙類はまめに保管。愛用し続けた「能率手帳」は制作ノートであり、読書日誌であり、備忘録でもあって、創作の秘密を解く上でまたとない貴重な資料となった。
柳氏によれば、クリストらがプロジェクごとに重要度に応じて梱包したドキュメントは夥しいという。規模は比ぶるべくもないにせよ、残せない作品を残す中川の努力に変わりはなかったのである。
作品制作の原資をクリストらはプロジェクトのドローイングに求め、中川は書とガラス作品とした。共通性は他にもある。クリストには同年同日生まれのジャンヌ=クロードが、中川には11歳年上のいけ花作家・半田唄子がいて、忍耐を強いられる時間を共有できたことだ。

「天空散華」は奇跡の花

ニューヨーク市に注ぎこむハドソン川を望みながら実現せず、新潟県十日町で越後妻有アートトリエンナーレ大地の芸術祭の一環として達成できた2002年の「天空散華」は、クリストとジャンヌ=クロードによるニューヨーク市セントラルパークに7503基の布製の門が立ち並ぶ「ゲーツ」に設置許可が下りる前年だった。建造物などの「梱包」から自然界へと場を転じたクリストらに対し、中川は「密室」から出て天空へ。
20万本ほどのチューリップは、栽培適地である地元十日町の人々が解体した。荒天のために雨滴をまとって螺旋状にとめどなく降ってくる花びら。最初は赤、次いで白、そして黄のまじる色とりどりの、ゆうに100万枚をこえる花弁―。「皇帝円舞曲」が流れる中、96歳の大野一雄が白い椅子で踊り84歳の中川が寄り添う。15分ほどの現場に立会った人しか得られない感動があった。
アーカイブの限界ではあるのだが、それでもこころ震える感動を人々に伝えたい。だが、一体どのようにして?

トーク「プロジェクトをアーカイブする」

日時:2017年7月22日(土)11:00-12:30
出演:柳 正彦、森山明子
>>イベント詳細

2017年6月23日、企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」に関連して、トーク「ジョルジュ・ルースが語る」を開催しました。
ジョルジュ・ルースは、絵画と建築と写真を融合させ、人の錯視などを利用して、空間を変容させる作品を世界中で制作しています。本展では、21_21 DESIGN SIGHTの建築にあわせた作品を制作しました。21_21 DESIGN SIGHTの地下空間に、地上から差し込む光を受けて存在している展示作品「トウキョウ 2017」をある1点から見ると、空間に正円が現れます。

まずはじめに、クリエイションの過程を映像で紹介しました。ルースは、写真が自身の起源であり、到達点でもあると言います。彼の制作は、カメラが捉えた特定の視点から出発し、完成した作品の姿はその1点からだけ見ることのできるものになります。ルースは「私が写真を撮影するときしか作品は存在しないし、そのカメラのレンズの視点からでないと見ることができない」と語りました。

また、自身の作品に用いる「円」というモチーフは、カメラのレンズのメタファーであるとも話すルースは、さらに自身の作品と写真との関係について、「光を書く」という意味の「Photographie」という言葉の通り、光と質感との関係、建築物への光の投射が重要であるとも言います。

幼い頃から廃墟が好きだったというルースは、初期の制作を廃墟で行いました。あらゆる役目を失い、もはや全体が把握できないような場所に別の姿を与えることが目的であったと言います。そういった場所での人物などをモチーフにした巨大な絵画作品を重ねるうち、「だまし絵」のような要素に面白さを感じ、錯視などを用いた作品を制作するようになった過程を、これまでの作品を通して紹介しました。その解説からは、これまでに作品を成立してきた世界中のどの場所でも、それぞれの場所への解釈をもって制作に臨んできたことも伝わります。

最後に、東日本大震災後の2013年、宮城県の松島でのプロジェクト「松島 ネガ/ポジ 2013」を映像で紹介しました。地域住民とともに取り組んだ制作過程から完成までを記録したドキュメント映像に、会場からは自然と拍手が起こり、トークの締めくくりとなりました。

いよいよ明日開幕となる「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」。開幕に先駆け、会場の様子をお届けします。

つくることの喜びとともに、「壮大なプロジェクト」に向けて歩みを進める表現者たち。彼らの姿勢には、さまざまな困難に立ち向かう強い意志と情熱があります。本展には、世界各国からダイナミックな活動を行うクリエイターたちが集います。

本展では、制作過程のアイデアスケッチやドキュメント、実際の作品で使用した素材、新作インスタレーションを展示し、より直感的に身体で作品を楽しむことができます。
展覧会ディレクターに建築やデザイン、アートなど幅広い分野に精通するライターでエディターの青野尚子を迎え、クリエイションが持つ特別な力と、そこから広がっていく喜びを伝えます。

Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)
Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)
Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)
Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)
© Georges Rousse
Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)

幅が1.35メートルしかないのに、高さが45メートルもある教会。この極端な建築を設計したのが、建築家の石上純也さんです。不思議な形の建物が生まれた理由を聞きました。(聞き手・文:青野尚子)

「Church of the Valley」 © junya.ishigami+associates

「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」には幅が13.5センチ、高さが4.5メートルあるオブジェを出品します。これは実際の建物の10分の1の模型です。つまり、本物の建物は幅が1.35メートル、高さが45メートルになります。

この教会は中国の山東省にあるなだらかな丘の間にある谷に建てられます。両側の丘の高さは20〜30メートル程度。教会は45メートルの高さなので、二つの丘の間に細長いものが屹立するような眺めになるでしょう。

入り口の幅は1.35メートルですから、互いにすれ違うのがやっと、というぐらいのささやかなものです。建物は湾曲しながら奥にずっと伸びていて、進むに従って少しずつ広がっていき、最後のぷっくり膨らんだエリアに祭壇があります。

中に入って見上げると両側にそびえ立つコンクリートの壁が、鋭い峡谷のように見えるはずです。建物の外からは45メートルの教会と丘との間にできるスペースが、本来の丘がつくる谷よりも大きくかつ切り立った谷のように見えると思います。建築の内側と外側に谷のような新しい風景をつくりたい。それがこんな形の教会を設計した一番大きな理由でした。もともとのなだらかな地形に鋭く切り立つ建築を付け加えることで、荘厳さを補強することができると思います。

この教会には屋根がありません。高さ45メートルの壁の上は素通しになっていて、光が入ってきます。入り口は幅が狭いので暗いのですが、歩を進めると少しずつ光が下まで落ちるようになってきて、祭壇があるところではもっとも明るくなります。雨も入ってきますし、見上げると雲が流れていくのも見えるでしょう。キリスト教では光は重要な概念です。見上げると光が真上から降りてくる。この教会では実際の自然環境にはないスケールで光を感じることができるのです。

展覧会に出品する模型はひとつですが、この教会に限らず僕はいつもたくさんの模型をつくります。現場に行って地面に線を引いたり、ドローンで糸をたらして高さを確認したりもします。僕が考える建築はこの教会のように普通にはないプロポーションのものが多いので、他の建築から体感スケールを類推することが難しい。現場で地面に引いた線を見ながら微調整することもあります。こうしてスケール感や太陽光の入り方、周りの景色との関係性を確かめることが重要だと思っています。コンピュータなどを使ったシミュレーションもしますが、やはりリアルな世界が持つ情報量にはかなわないのです。

「Church of the Valley」内観イメージ © junya.ishigami+associates

この教会の他には今、"洞窟のようなレストラン"のプロジェクトを進めています。住居とレストランが一体になった建物です。もともとは「経年変化によって深みを増すような建築にしたい」というオーナーの思いから始まったものでした。年月が経つにつれて崩れて廃墟になっていき、もとの自然に近づいていくような建物です。しかし建築は普通、規格化された部品などを使って工業的な予定調和を前提につくります。建築に限らず手づくりが珍しくなってしまった現代では、オーナーが望む"ぼろぼろと崩れていく雰囲気"を生み出すのは大変なのです。

ここではまず、キッチンやダイニングなど必要な機能をそれぞれのスペースにわりふった洞窟がたくさんある空間の模型をつくりました。穴がいっぱい開けられた地下都市のようなイメージです。それをフォトスキャンして三次元データに変換し、図面にしていく、という手順をとりました。

この図面をもとに、"柱"や"壁"になる部分の地面を掘っていき、できた穴にコンクリートを流し込んで固まったら周りの土をかきだします。するとそこに空洞ができて、部屋になる。土をコンクリートの型枠として使うのです。土がコンクリートの表面に染みこむので、そこには土のテクスチャーや色が転写されます。土という自然がそのまま建築になるわけです。

土を掘る位置や深さは図面に基づいて、現地で光測量(レーザー光線による測量)を行って決めていきます。掘る際には部分的に重機も使いますが、形を整える作業は手でないとできません。アナログな作業に見えますが、フォトスキャンによる三次元データの制作など、最新のテクノロジーがないと実現できないものなのです。新しいもの、古いもの、今使える技術や知識のすべてを動員して建築を組み上げています。

僕の建築は「そこまでやるか」という展覧会のタイトルの通りに見えるかもしれません。実際に手間もかかっています。ではなぜ「そこまでやる」のか。そう聞かれたら僕は「新しい風景や空間が見たいから」と答えます。建築はできあがったものすべてが自分の内側から出てくるわけではありません。たとえばレストランなら「年を経てよくなっていくもの」というオーナーの意向がありました。敷地によっていろいろな制限を受けることもあります。もし自分一人ですべてを考えていたらそういった方向にはならないかもしれません。何をつくるのか、完全にわかっているわけではないからこそ、今まで見たことのない新しい風景を見てみたい。

ですから、常に先のことは考えていますが、何か具体的なものを目指しているわけではなく、見えない先のものを目指しています。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエら20世紀半ばまでの建築家たちは一つの解答を共有し、一つの未来を見据えていました。それは社会が抱える問題が今より切迫したリアルなものであり、みんなが一つのゴールを共有していたからです。しかし現代では価値観が多様化し、何を未来と呼ぶのか、その意味や考え方が人によって違います。一つの仮想的な未来を提案してもリアリティは伴わない。建築をつくりたいと思う人のそれぞれに異なる価値観と向き合っていかなければ、現実性のあるものをつくりだすのは難しい。僕が「そこまでやる」背景にはそんな理由もあるのです。

いしがみじゅんや:
1974年、神奈川県出身。東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修士課程修了、妹島和世建築設計事務所を経て2004 年、石上純也建築設計事務所を設立。主な作品に「神奈川工科大学 KAIT工房」など。2008年ヴェネチア・ビエンナーレ第11回国際建築展・日本館代表、20 10年豊田市美術館で個展『建築のあたらしい大きさ』展などを開催。日本建築学会賞、2010年ヴェネチア・ビエンナーレ第12回国際建築展金獅子賞(企画展示部門)、毎日デザイン賞など多数受賞。

クリストとジャンヌ=クロードの《フローティング・ピアーズ》から始まった「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」。この展覧会タイトルに合ったダイナミックな作品をつくる作家は誰だろう? そう考えたとき、真っ先に名前が上がったのがダニ・カラヴァンでした。中でも本展でその模型とスケッチが展示される《大都市軸》は長さ3キロ以上、制作期間37年間という、まさに「そこまでやるか」のスケールです。彼の壮大な作品には、彼独自の哲学がありました。(文:青野尚子)

ダニ・カラヴァン「大都市軸」(1980年〜現在) © Lionel Pagés

ダニ・カラヴァンはイスラエル出身、1960年代から活躍する"彫刻家"です。自らそう名乗っています。ただし彼の"彫刻"は美術館の館内に収まるものだけではありません。砂漠や海辺の岸壁、公園、美術館の庭などさまざまなところにつくられた彼の彫刻は大きさが数十メートルから、数百メートルになることも珍しくありません。

彼の代表作の一つがパリ郊外、セルジー・ポントワースという新興住宅地につくられた《大都市軸》です。RER(高速地下鉄)の駅を降りると「展望塔」という高い塔が見えてきます。そこからパリの中心部に向けて歩いて行くと12本の白い列柱があります。橋桁(はしげた)の下に円形劇場がある赤い橋を渡ると、湖の中に白いピラミッドが姿を見せます。歩いていくと次々と現れるシンプルで幾何学的な形態に、なぜか心が洗われるような気持ちになります。「都市軸」とはパリの中心を貫く大通りのこと。近代のパリはこの「都市軸」を文字通り、軸として発展してきました。

今回は出品されませんが、スペインの地中海沿い、フランスとの国境に近いポルト・ボウという小さな町の海辺にある《パッサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ》も印象深い作品です。波が打ち寄せる岸壁にコールテン鋼の細長い箱が、海に向かって落ちるようにつくられています。中には人が一人か二人通れるぐらいの巾の急な階段があり、その先で波が砕けて白い泡をたてるのが見えます。下に向かって階段を降りるとガラスの板に阻まれてその先へは進めません。ガラスには「有名な人々よりも、名もない人々の記憶に敬意を払うほうが難しい」という文章が刻まれています。ここはドイツの思想家、ベンヤミンがナチスの手を逃れてたどり着いた終焉の地。狭くて暗い通路を海に向かって降りていくその身体体験が、近代史のさまざまな側面を感じさせます。

これらの作品に限らず、カラヴァンの作品には四角錐や円錐、円柱、角柱など基本的で抽象的な形態がよく登場します。階段や球、門のような形も彼が多く使う形です。色も白や茶など、控えめな無彩色が中心です。このことについてカラヴァンは、本展の打ち合わせで次のように言っていました。
「自然には豊かな色や形がある。ごくベーシックな色や形を使うことで自然との対比を見せたい」

カラヴァンは「私の作品は人がいないと成立しない」とも言います。彼の彫刻と人、そこを訪れた人どうしの関係性に彼は興味を持っています。 「《ネゲヴ記念碑》では子どもたちがよく、よじ登って遊んでいる。私のアートはそうやって感じて欲しいんだ」
《大都市軸》ではジョギングに励む人が大勢います。周囲に広がる森に整備された遊歩道と合わせて自転車で走り回ったり、犬を散歩させる人も。つくり始められてから40年近く、すっかり人々の生活に馴染んでいる様子が伺えます。

ダニ・カラヴァン「ネゲヴ記念碑」(1963〜1968年) © Micha Peri

彼の作品は日本にもあります。札幌芸術の森美術館にある《隠された庭への道》は同館の彫刻庭園につくられた、小高い丘に点々と続く作品。白コンクリートによる作品には雪や音など、移ろっていくものも使われています。霧島アートの森の《ベレシート(初めに)》は小高い丘に突き出したコールテン鋼の通路の中を歩いていく作品。入り口に立つとその先に光が見え、先端まで行くと緑のパノラマが広がります。奈良県の《室生山上公園芸術の森》は野外劇場にもなるオブジェなどを散策できる公園です。

会場では作品キャプションの「素材」にも注目してみてください。普通なら「鉄」「コンクリート」などと書かれているものですが、カラヴァンの作品ではときに「陽光」や「風」も「素材」として挙げられていることがあります。刻々と移り変わっていく自然の要素も彼にとっては重要な素材の一つなのです。

《隠された庭への道》では「Void (ma)」という素材も挙げられています。これは日本語の「間(ま)」からとったもの。物と物の間の何もない空間や、音と音の間の無音に特別な意味を見出す感性です。
「ヴォイド(間)は実在するものより重要なんだ」とカラヴァンは言います。《隠された庭への道》の門のような造形や噴水、白い円錐の間にある「間」にこそ、重要なものが隠されているのです。

彼の作品は訪れるたびに発見があります。歩く、よじのぼる、階段を降りる、そんな体験をしながら感じる日の光や風、その風に揺れる木の葉が見るものの中に新しいものを見つけてくれる。だからカラヴァンの作品はいつも新鮮なのです。

ダニ・カラヴァン:
1930年にテルアビブで生まれたカラヴァンは、1960年代初頭から、演劇、ダンス、オペラの舞台装置をデザインし、バットシェバ舞踏団(Bat Sheva Dance Company)、マーサ・グレアム(Martha Graham)、ジャン・カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti)の作品に参加してきた。その一方で、エルサレムのクネセト(国会)本会議場において石壁のレリーフを手掛けるとともに、自身初のサイトスペシフィックな環境彫刻であるネゲヴ記念碑をベエルシェバ近郊に制作した。これは、環境芸術およびサイトスペシフィック彫刻における画期的作品となった。以降、イスラエル、ヨーロッパ、米国、韓国、日本などで環境彫刻の制作を依頼されている。これまでに世界中の多くの美術館で展覧会を行い、イスラエル賞(彫刻部門)や、芸術界のノーベル賞にあたる日本の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。テルアビブとパリで生活し、制作を行っている。

ミヒャエル・ヘフリガー(ルツェルン・フェスティバル総裁)を発起人として、磯崎 新とアニッシュ・カプーア、梶本眞秀らが協働でデザインした移動式のコンサートホール《ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ》。推進役となった梶本眞秀さんは音楽イベントの企画を手がける「KAJIMOTO」の代表です。アーク・ノヴァが生まれ、東北3カ所で膨らんで音楽が奏でられるまでを聞きました。(聞き手・文:青野尚子)

磯崎 新によるスケッチ

このプロジェクトは思いつきというと変ですが、「こうしたらどうだろう」という小さなアイディアがいろいろな出会いによって連鎖反応がおき、こんなに大きな形になったものなんです。今から振り返るとほんとうに不思議な気持ちになりますね。

始まりは2011年3月12日、東日本大震災の翌日に友人のミヒャエル・ヘフリガーからかかってきた電話でした。彼が率いるルツェルン祝祭管弦楽団とはそれまでも何度か、私のプロモーションで来日公演をしてもらったりしてきた旧知の仲だったんです。彼は震災の被害をとても心配してくれて「何かできることはないか」と言ってくれました。そのとき、とっさに音楽で人々を勇気づけてもらうようなことはできないか、と考えたんです。でも震災から1、2年経ってからでなければ、みんなも音楽を聞こうという気持ちにはならないだろう。そう思って、建築家の磯崎 新さんに相談しました。実はヘフリガーのお母さんが建築家で、以前から磯崎さんのファンだったんです。ルツェルン祝祭管弦楽団のシンポジウムに来てもらうなど、磯崎さんとヘフリガーとは交流もありました。

私が磯崎さんにお話ししたところ、彼が画期的なアイデアを出してくれました。被害を受けたエリアは青森から福島まで約200キロに及びます。一つホールをつくってもみんなには行き渡らない。移動式のホールをつくって各地を巡回すれば、その土地の人々に楽しんでもらえる、というものでした。

さらに磯崎さんの友人でアーティストのアニッシュ・カプーアがそのときパリで、丈夫なビニールのような素材を使った巨大なアート作品を展示している。彼に協力してもらったらどうだろう、というのです。さっそくパリに飛んで、カプーアさんの作品を見てきました。グラン・パレという大きな建物の全体に広がるようなダイナミックな作品に圧倒され、ぜひお願いしたいと思いました。でもカプーアさんも世界的に有名なアーティストで、いつも忙しい。恐る恐るお聞きしたところ、「困っている人に勇気を、ということだったらいつでもいいですよ」と快諾してもらえました。

2013年、松島での開催の様子

この《ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ》はこれまで宮城県松島と仙台、福島市の3カ所で公演を行ってきました。ルツェルン祝祭管弦楽団のメンバーによる室内楽などクラシック音楽だけでなく、ジャズやミュージカル、能など幅広いプログラムを実施しています。能の公演では狩野了一さんのシテで『鶴』を上演してもらいました。白い鶴が復興を象徴する不死鳥のように見えたのが印象的でしたね。

公開レッスンなど、聴衆の方に参加してもらえるワークショップも多数、開催しています。地元の子どものオーケストラとプロの音楽家が同じステージに立つワークショップでは、技量の高い演奏家のすぐ隣で演奏することで飛躍的に上達します。雅楽の楽器や和太鼓などを体験できるワークショップもしました。管楽器などはともかく、太鼓は叩けばすぐ音が出ると思う方も多いでしょう。でも最初はなかなか思うような音が出ないのです。子どもたちにとってはそんなことも発見だったのではないでしょうか。

私たちは通常、大小のコンサートホールで公演を行うことが多いのですが、《アーク・ノヴァ》はそれらとはまったく違う空間でした。そこではいつも不思議なことが起こります。松島でのある公演では、終了後も一人残って天井を見上げる子どもがいました。「何してるの?」と聞くと、「ここはとても気持ちがいい。誰がつくったの?」と言うんです。スイスのオーケストラの人たちだよ、と答えると何か感じるものがあったようで、またそのまま天井を見上げていました。遠いスイスの人たちが心配してくれている、そのことを実感してくれたとしたら私も役に立てたのかもしれない、そんな充実感を覚えました。

アーク・ノヴァ 内観

《アーク・ノヴァ》では、終演後に演奏者とお客さんとがハグしあうようなことも自然に起こります。大きくカーブした、包まれるような空間の中では他の場所とは違う特別な一体感が生まれるようです。ステージと客席が近いせいもあるかもしれません。今はインターネットのおかげで遠くのものごとも知ることができるようになりましたが、だからこそ人が集まって同じ空気を吸う、そこで起きていることを共有することってとても大切だと思います。音楽なら歴史に残る名演奏もあれば、失敗しちゃった、ということもある。それも含めて知らない人どうしが出会うこと、通じ合うことが重要なんです。

2015年、福島での開催の様子

私たちの仕事は音楽ホールがないとできません。でも《アーク・ノヴァ》があれば、それを運んでいって演奏することができる。りっぱなホールがなくても可能性はたくさんあることを教えてくれます。音楽のあり方が変わる、将来はこうなる、ということを啓示してくれます。

ロシアの文豪、ドストエフスキーは小説「白痴」の登場人物に「美は世界を救う」と言わせています。若い頃は大げさだな、と思っていました。今もいろいろな解釈があると思いますが、芸術には人の心を支える力がある。私もそのことを実践している"つもり"です。音楽を通じて聞く人に何かを届ける。そこに少しでも近づいていければと思っています。

ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ:
2013年から3年間、松島・仙台・福島の3都市にて行われた、音楽の箱舟「アーク・ノヴァ(ラテン語で新しい方舟の意)」。東日本大震災を受けて、スイスのクラシック音楽祭ルツェルン・フェスティバルから寄せられた友情が、コンテナトラックに載せて移動することができる可動式のコンサートホールと、そこで行われる音楽祭として形となった。約500人収容のホールにて、クラシックを中心とした音楽会や教育プログラムなど、様々なイベントが行われた。

「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」には、2016年に「フローティング・ピアーズ」を実現させたクリストとジャンヌ=クロードをきっかけに、世界各国から「そこまでやるか」と私たちに思わせてくれるクリエイターが集います。
展覧会の出発地点とも言える、「フローティング・ピアーズ」を本展企画スタッフがレポートします。(文・写真:21_21 DESIGN SIGHTスタッフ)

2016年6月、21_21 DESIGN SIGHTのディレクターのもとに、イタリアのイセオ湖に色鮮やかな浮く桟橋が突如として現れるという手紙が届きました。クリストとジャンヌ=クロードによるプロジェクト「フローティング・ピアーズ」は2016年6月18日から7月3日の16日間、今までの彼らのプロジェクト同様に、完全に無料で一般の人たちへ公開されたものでした。
21_21 DESIGN SIGHTで、ぜひ何かの形で展覧会にしたいと、企画スタッフの一人がイセオ湖に見学へ行くこととなりました。

イセオ湖は、ミラノから電車で3時間程、プロジェクトの最寄り駅はスルツァーノ駅です。スルツァーノ駅の数キロ前からは、徒歩で、バスで、タクシーで「フローティング・ピアーズ」に向かう人たちで混雑していました。

「フローティング・ピアーズ」は、湖面をわたる全長3km、幅16mで高さ50cmほどの浮く桟橋と、歩道2.5kmを輝くオレンジの布で覆ったプロジェクトです。
電車やバスなどで近くに到着して、まず歩道を通り、そして水面を歩き、湖の中の小さな島に辿り着きます。この湖には、橋がないので街の人たちは普段はボートでの往来をしています。

このプロジェクトは、布で覆われた部分のみが作品なのではなく、湖の深い色、山々といった自然、住宅などの街並、そして訪れた人々全てで「フローティング・ピアーズ」となるのです、とクリストは言います。
そして、このプロジェクトは訪れた人々が「歩くために歩く」のだ、とも話しました。職場や学校に行くためではなく、目的を持たずにこの橋の上を人々が歩くために歩く、その中で多くの人が、山や湖の美しさや、心地よい水の音に気がついたのではないでしょうか。
また、座って風景を見つめる人、友人や家族と語らう人、裸足になって水の上と布の感覚を楽しむ人、訪れた人たちが様々に「フローティング・ピアーズ」を楽しむ姿がそこにはありました。

本展のクリストとジャンヌ=クロード企画構成の柳 正彦さんに、スタッフボート乗り場をご案内いただきました。布の下には、白いキューブがつなぎ合わされ、水の中には上に人や物が乗った時に沈まないようバランスをとる重しがつながっています。

その上にはまず柔らかいフェルト、オレンジ色の布は橋の長さよりも20%長くして襞(ひだ)ができるようにデザインされていると、教えてくださいました。

湖上の船に乗ったクリストに気づいた人たちが、一目クリストを見ようと橋の端へ集まりました。「ブラボー」「グラッツィエ」と歓声と拍手が沸き上がる光景を目の前に、訪れた人たちが「フローティング・ピアーズ」を心から楽しんでいることが伝わりました。

本展では、「フローティング・ピアーズ」の世界初公開を含む映像とニューヨークのスタジオで撮りおろしたクリストのインタビュー映像を、3画面の迫力ある映像にまとめました。 進行中のアラブ首長国連邦の「マスタバ」や、これまでのプロジェクトについても紹介し、クリストとジャンヌ=クロードの作品に宿る驚きと感動を伝えます。