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アート (43)

【動画】トーク「『ニューヨーカー』誌カートゥーニストとしての30年」

2012年3月24日に行われた、マイケル・クロフォード(カートゥーニスト)によるトーク「『ニューヨーカー』誌カートゥーニストとしての30年」の動画をご覧頂けます。


【動画】トーク「サプライズ・オブ・ニューヨーク」

2012年3月24日に行われた、坂田栄一郎(写真家)、亀井武彦(アーティスト)によるトーク「サプライズ・オブ・ニューヨーク」の動画をご覧頂けます。


【動画】トーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」

2012年2月18日に行われた、小林康夫(東京大学大学院総合文化研究科 教授)、中島隆博(東京大学大学院総合文化研究科 准教授)と土屋昌明(専修大学経済学部 教授)によるトーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」の動画をご覧頂けます。


【動画】写真×デザインの事

2011年11月26日に行われた、写真家の広川泰士とアートディレクターの 廣村正彰によるトーク「写真×デザインの事」の動画をご覧頂けます。


【動画】イメージが結実する瞬間

2011年11月18日に行われた、アーティストの日比野克彦によるトーク「イメージが結実する瞬間」の動画をご覧頂けます。


「アーヴィング・ペンと私」 vol.7 日比野克彦

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


平櫛田中とアーヴィング・ペンと三宅一生の共通点


──展示をご覧いただいた感想をお聞かせください。

日比野克彦(以下、日比野):
アーヴィング・ペンの写真は、ポスターとしてすごく心に残ってる写真ではあるんだけど、その裏側を知らなかった。なので今回の展示で一生さんとのやりとりや、スケッチが見られたのはよかった。制作過程を見ていると、お互いにスポッとツボにハマったんだろうなということがわかる。きっとペンさんは、スケッチを描き始める瞬間には、スタイリングやヘアメイク、照明といったすべての絵が、すでに出来がっていたんじゃないかな。

ちょうど21_21 DESIGN SIGHTに来る前に、藝大美術館の彫刻の展覧会で平櫛田中の木彫作品を見たんですが、1本の木をいろんな方向から彫り続けて、ある地点でピタッと手が止まる。外から彫り出したのではなく、もともと木の中にあったかたちが浮かび上がってきたような。そんな印象を受けました。それは、ペンの写真にも通じるところがあって、目の前にある状況を切り取るのではなく、状況を作り出してそれを留めておく。そのための手法として写真を用いているのではないかと思います。

ペンさんと一生さんの仕事にも、田中の彫刻にあるような、ぴったりと焦点が合っていてブレがない、そんな印象が伝わってきました。

──日比野さんの最近の活動を教えてください。

日比野:最近は船を作っていて。10月30日に京都の舞鶴港で着水式をするんです。これは「種は船」というプロジェクト(http://maizuru-rb.jp/)で、「明後日朝顔プロジェクト」をやっている時に朝顔の種は船の形に似ているという着想からスタートしたものです。2007年に金沢で種の形を船にするところから始まり、船を作って海に浮かべるところまできました。今年から舞鶴で、自走する本物の船をつくり、来年出航する予定です。

あとは、東京都文化発信プロジェクトの「TOKYO FUTURE SCKETCH BOOK(http://www.tokyofuturesketch.jp/)」というワークショップをやっています。大きなスケッチブックに東京の未来を描くというものです。

(聞き手:上條桂子)

2011年11月18日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに日比野克彦が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「イメージが結実する瞬間」の動画を見る



Katsuhiko Hibino

日比野克彦 Katsuhiko Hibino

アーティスト/東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授
1958年岐阜市生まれ。東京藝術大学在学中の1983年に、段ボールを素材とした作品で日本グラフィック展グランプリを受賞、一躍脚光を浴びる。その後、舞台空間・パブリックアート、パフォーマンスなどの身体・言語を媒体とした作品など表現の領域を広げ、1996年ベネチアビエンナーレに出品。国内外で個展を多数開催する。2000年以降は表現者の視点だけでなく、受け取り手が感じ取る力を引き出すような作品をワークショップの手法で制作する。また、アートとスポーツの文化的視点からの融合を目指して日本サッカー協会理事を務めている。

『TANeFUNe』

「アーヴィング・ペンと私」一覧リストを見る

子どもたちが「カチナ」づくりに挑戦!

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第1回


4月9日、子どものためのワークショップ「カチナをつくろう!」を開催。小雨の降るなか、元気な子どもたち15人ほどが集まってくれました。今回は、アーティストの佐藤文香さんが講師を引き受けてくれました。

本展では、の最晩年のアートピース「カチナ」を20点展示しています。カチナとは「ネイティブアメリカンが信仰する超自然的な存在で、カチナドールはそれらをかたどったもの」で、人々の想像力を駆り立てるこの人形は、近年ではアートとして評価されており、ジョージ・ネルソン、猪熊弦一郎など、「カチナ」にインスパイアされた作家は多く、ソットサスもその一人。彼は1950年代、ジョージ・ネルソンからの誘いで1年ほどアメリカに滞在しており、その時に「カチナ」の存在を知ったのです。そして最晩年に自分のためのカチナをスケッチの残し、アートピースとして実現する前に亡くなりました。

今回のワークショップでは、まず、子どもたちにカチナとは何かを知ってもらい、子どもたち一人ひとりにとってのカチナを、目をつむって、耳をすまして、想像してもらうことから始めました。それをさまざまな用紙をコラージュして自由に表現してもらいます。

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ソットサスの描いたカチナの前で。

大人同様、子どもにとっても自分の気持ちや思いを表現することはとっても大切。表現の仕方は、遊びでも、運動でも、音楽でも、お友達とのおしゃべりでも何でもOK。でも、時には、自分の心と向き合って、試行錯誤しながら、じっくり何かを作り込んでいくという時間を過ごすことで思わぬ発見があるかもしれません。今回のワークショップでも、佐藤文香さんやお父さんお母さんが見守る中で、子どもたちが魅力的な作品をたくさん作ってくれました。このワークショップに参加してくれた子どもたちのなかから、将来、ソットサスや倉俣さんに負けない、素敵なアーティストやデザイナーが生まれてくれれば...と願わずにはいられません。

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会場は21_21 DESIGN SIGHT 内のサンクンコートに面したスペース。
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床には、色とりどり、いろんな種類の用紙が。
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講師をつとめたアーティスト佐藤文香と参加者。
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一緒に来たお父さん、お母さん、兄弟たちも作品作りに参加。
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1時間ほどで、たくさんのカチナが完成。お家のカチナ、水族館や動物園のカチナ、楽器のカチナなど、どれも魅力的なカチナばかりです。
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最後に、子どもたち一人ひとりが自分のカチナの発表を行いました。

関 康子

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第2回 へ

トーク「BEYOND RECYCLE」

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本展参加作家でもある、REBIRTH PROJECTによるトーク。代表を務める伊勢谷友介と、今回の展示作品のアートディレクター藤元明を迎えて行いました。

変化する時代に、社会の中で山積みとなっている多く問題に対して、行動していこうというREBIRTH PROJECTでは、さまざまなプロジェクトが進行中です。始めに伊勢谷と各プロジェクトスタッフから2008年から行っている事例を紹介しました。「衣・食・住」にカテゴリー分けされた中には、Leeとのコラボレーション「LeeBIRTH PROJECT」や、新潟での米づくり、立て替え中の住居から出た廃材を使った家具など。
そして後半は伊勢谷自身の気づきから、現在の活動のきっかけを自ら語りました。旅の中で、「人生で最大の発見」をしたと話す伊勢谷、人間の生き方や本質を考えたそうです。人や環境といった周囲があるから生きていることを実感し、生き残るためにできることを探す、という姿勢がそのままREBIRTH PROJECTのコンセプトにもなっています。
藤元から今回の作品に関する解説も。現在の多面的なリサイクルの考え方に合わせた5種類の提案を、グラフィックの意図など表現方法も含めて、それぞれ説明を行いました。
最後には会場との質疑応答も実施。教育や、今後の活動に関する質問に参加者は熱心に耳を傾け、会場全体が熱く充実した時間となりました。

ワークショップ「心臓ピクニック」

ワークショップ「心臓ピクニック」



講師を務めたのは、参加作家の渡邊淳司と安藤英由樹、振付師でダンサーの川口ゆいと慶応義塾大学講師の坂倉杏介のチーム。本ワークショップのために開発した特別な機器を使って、自分の心臓の音をじっくり味わうワークショップです。聴診器と振動スピーカーが組み合わされた黒いキューブを手のひらに置くと、まるで自分の心臓が体から切り離されて、独立した存在になってしまったように感じます。この機器を使って、他の参加者の心臓音を感じてみたり、自己紹介をしてみたり。ワークショプ後半では、青空の下、ピクニック気分で、運動をしたり寝転がったり、お菓子を食べたりホラー絵本を読んだりしながらそれぞれの心臓の音の変化を体験し、普段味わうことの少ない自分の心臓への慈しみを感じるひと時になりました。ワークショップが終了し、機器の振動が止まっても、いつまでも愛おしそうにボックスを手放せない参加者たちでした。

一日限定体験展示「あなたの表情はあなたのものか」

「あなたの表情はあなたのものか」



真鍋大渡による一日体験展示は少人数によるワークショップの形で行われました。
まず研究者と一緒に行っているというプロジェクト概要を説明し、実際に筋電位センサーを貼る体験から始まります。少量とはいえ顔面に電流が流れ、勝手に頬が持ち上がったり、ウィンクをしてみたり。電流による強制的な表情操作に、参加者同士で「結構痛いかも」「ちくちくを越えるとよく動く」など、アドバイスし合いました。スタッフの見本や一通りのテストが終わると、いよいよ2人1組で本番です。こめかみや頬、目頭、顎など顔面16ヶ所にパッチを貼り、2分間の音楽に合わせてパフォーマンスを行いました。
パフォーマンスを行っている間、ものづくりに対する参加者からの質問に「考えてから、作るまでが長い、思いつくのが大変」だと、真鍋が答える場面も。参加者との近しい距離の中で、人とシンクロするメディアアートを作っていきたいと今後についても語りました。パフォーマンスを終えて席に戻る参加者には興奮の表情が浮かび、互いを戦友と認め合うような密なコミュニケーションが生まれた時間でした。

企画展 佐藤雅彦ディレクション 「"これも自分と認めざるをえない"展」

属性に無頓着な自分、それに執着する社会。

この展覧会のテーマは、「属性」という、日常ではあまり使われない言葉です。「属性」の意味を辞書に問えば、最初に、

【属性】ぞくせい
1. その本体が備えている固有の性質・特徴 (『大辞林』より)

という簡明な説明が与えられます。例えば、あなたの身体的属性には、身長・体重・皮膚や髪の色・血液型・性別・年齢・体躯・顔つき・声など、限りない項目が挙げられるでしょう。また、社会的属性には、名前を始めとして国籍・住所・職業・所属・地位・人間関係などが挙げられます。その他、癖や持ち物なども、あなたの属性に含まれます。

キーワードは属性



あなたより、あなたのことを知っている社会

静脈認証や虹彩認証などの最新の生体認証技術は、従来、判別が不可能だった身体的属性をも正確に取得することを可能にしました。一方、人は相変わらず、普通の状態では、自分の姿や声さえも客観的に捉えることはできません。社会の方は、その取得環境と保存環境を日に日に整えつつあり、近い将来、場面によっては、社会の方があなたより、あなたの事を知っているという状況も生まれかねません。そう考えると、取得した属性データをうまく使えば、個人個人に細かく対応したサービスや堅固なセキュリティの確保という方向も見えてきますが、悪用すれば、過度な個人の監視や犯罪という方向も容易に想像できます。
この展覧会では、現在、あなたの属性が、あなたの知らないうちに、社会にどのように扱われているのか、さらには、あなたも意識していない、あなたのどんな属性がこれから社会に認識されていくのかを、作品を通じて知ることができます。そして、単なる技術展示にとどまらず、作品化することによって、属性の未来を可能性だけでなく危険性も含めて鑑賞してもらうことを目的のひとつとしています。



あなたの属性は、本当にあなたのものか。

さらに、辞書には「属性」の意味として、興味深い項目が次のように示されています。

【属性】ぞくせい
2. それを否定すれば事物の存在そのものも否定されてしまうような性質 (『大辞林』より)

例えば、自分の紹介に使う名刺も、その人にとっては名前や所属が載っている属性のひとつです。もし、自分の名刺を目の前で折られたり破られたりしたら、どんな気持ちになるでしょうか。まるで自分を否定されたかのように感じ、怒りさえ生まれてくるはずです。また、何かの間違いで、自分の籍や名前が無くなっていたとしたら、自分の存在が無いかのように社会は扱うはずですし、自分自身も自分の存在について希薄さを感じたり、逆にある種の自由さすら感じることが予想されます。
この展覧会では、自分の属性である声・指紋・筆跡・鏡像・視線・記憶などをモチーフにした作品を展示しています。そこでは、この2番目の意味での属性が、私たちが今まで得ることができなかった感情を引き起こします。さらには、自分にとって、自分とはわざわざ気にするような重要な存在ではなかったという事柄や、自分をとりまく世界と自分との関係も分かってきます。

この展覧会のテーマである「属性」と作品群を通じて、人間と社会の未来がどうなるのか、人間と世界の在り方は本来どうであるのかを来場者ひとりひとりに感じ取ってもらい、そして多くの疑問を持ち帰ってもらい、その疑問をかざしつつ、これからの自分と社会を見つめていってほしいと、私は考えています。

(補記)
本展覧会はあなたの身長や指紋や筆跡などの属性が展示作品に取り込まれ、作品化されることによって生まれる表象を鑑賞していただきたいために、そのような個人情報をその場で提供していただくことになります。(もちろん、希望者に限りますが)
しかし、この展覧会の『属性の今を考えることによって、人間の未来・社会の未来を考える』という主旨に基づき、敢えてそのような展示を行っていることを是非ご理解いただきたく思います。

展覧会ディレクター 佐藤雅彦

酒井良治さん(日本産業デザイン振興会)が見た「ポスト・フォッシル」展

川上典李子のインサイト・コラム vol.6

今回も引き続き、デザインの現状に詳しい人物に「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展)の感想をうかがいます。ご登場いただくのは、東京ミッドタウン・デザインハブの企画を担当する、財団法人 日本産業デザイン振興会の酒井良治さん。サステナブルデザイン国際会議にも長年携わり、日本のデザインを取り巻く状況を俯瞰する提案など、幅広い視点で企画に取り組んでいます。

東京ミッドタウン・デザインハブ、「日本のデザイン2010」展。4/8〜5/9。主催はデザインハブ。キュレーターを務めたのは黒崎輝男、柴田文江、曽我部昌史、八谷和彦、廣村正彰の5氏。Photo: Nacása & Partners Inc.
東京ミッドタウン・デザインハブ、「世界を変えるデザイン展」。5/15〜6/13。主催は世界を変えるデザイン展実行委員会、アクシスギャラリーでも同時開催に。Photo courtesy of JIDPO

「ポスト・フォッシル」展と同時期、デザインハブでは2つの展覧会を開催していました。そのひとつ、「日本のデザイン2010」展の趣旨を酒井さんはこう語ります。
「日本のデザイン状況を総覧できないだろうかという考えから始まり、キュレーションを依頼した5氏と議論しました。その議論をふまえ、デザインはどちらに向かうのか、ということを示し、また、その解釈を紹介できないかと考えました」。

そこに示されたキュレーターの着眼点と「ポスト・フォッシル」展に共通点を感じたという酒井さん。「同様の問いかけが同時期になされたことに、興味を持ちました」。
「たとえば、食。私たちの展覧会で『食と学びのデザイン』の分野を担当したのは黒崎輝男さんでしたが、『ポスト・フォッシル』展でも同様の視点を感じました。『何を食べるのか、何を知識として吸収するのか』と、自分たちの思考、身体は深くつながっている。そして、人々の関心や志向が、私たちが生きていくことの根源に向かっていること。日本に限らず、世界的に、生き方や暮らし方を考え直そうとしている時代の現われだと思います」。

「この『食』や『農』にも関連しますが、私たちの展覧会では『地域とデザイン』も含みました。キュレーションは建築家の曽我部昌史さんです。北海道から九州まで4名の首長を訪ねた曽我部さんは、各地における意欲的な地域自立の計画と実際の試みに焦点をあて、地域の自治体が自らビジネスモデルを築くことによって独自性を実現していく状況を紹介してくれました。曽我部さん自身の関心とそこに示された地域の状況も、『ポスト・フォッシル』展に共通するものを感じたひとつです」。

こうした「地域」に関連し、「ポスト・フォッシル」展参加作家の活動環境に、ある特色があることを少し補足しておきましょう。それは、活動拠点を都市から離れた場所に設け、制作に励むデザイナーが多数含まれていること。欧州、とりわけオランダの若手デザイナーのこうした生活スタイルは、リー・エデルコートの関心のひとつでもあるのです。
エデルコートは述べています。「若手デザイナーの多くが、住まいやスタジオを地方に構え、スタジオの仲間や友人たちと家族のような関係を築きながら、制作に没頭している。一方で、作品はインターネットを通して国際的に発信される。活動はよりローカル、活動はよりグローバル。興味深い21世紀の仕事の仕方が始まっている」と。

セルトーヘンボスにスタジオと住居を移転したマーティン・バース。自然のもとでスタッフと制作に励む。Photo © Noriko Kawakami

さて、酒井さんが関わるデザインハブでの今春のもうひとつの展覧会は「世界を変えるデザイン」展でした。発展途上国に暮らす人々の課題をデザインがどう解決できるのか、各国のプロジェクトや既に実現されている品々を紹介する内容です。ここでも「ポスト・フォッシル」展との共通点を感じるところがあったと、酒井さんは振り返ります。

「若いデザイナーやエンジニアらの自発的な提案活動です。発展途上国の課題を解決する品々やプロジェクトを紹介したこの展覧会では、日本の若手デザイナーやエンジニアから、『オープンソース』に注目し、自ら行動をおこしている様子が報告されました。
オープンソースとは、ある課題に対するデザインを公開し、必要な物を必要な場所でつくれるようにするもの。特定の場所で特定の製造業が物をつくり、使われる場所に運搬していくという従来型の製造方法とは異なる考えの提案です。デザインハブでも、3Dプリンターを活用することで必要な場所でプロダクトを製造できるマサチューセッツ工科大学(MIT)の『ファブ・ラボ』を紹介しましたが、こうしたナレッジベースのものづくりも今後の可能性のひとつです」。

「そして、このことに関連して言えば、『ポスト・フォッシル』展にも、同様の新しい考え方を備えた作品があったと思います。私が最も興味を持ったのは、ピーター・マリゴールドの『スプリット・ボックス』です。4つに分割した丸太を四角形の角に配することで棚をつくるという彼の作品は、いかなる地域の、いかなる種類の木材でも実現可能。オープンソースとしてのプロダクトの好例としても、見ることができるのではないでしょうか。展覧会には他にもデザイナーの発想や視点がうかがえる作品が含まれ、意味ある提案がなされていると思いました」。

「ポスト・フォッシル」展会場より。『スプリット・ボックス』ピーター・マリゴールド(1974年英国生まれ)。

「デザイナーは何を考えるのか。今まさに重要な時期」と酒井さん。「日本の産業とデザインの関係も、これまで以上に深い思考が求められる時代になっていくでしょう」。

「デザインが、まだ見ぬ考えに形を与え、ものごとのやりとりに最適なルールを整えるものであるとするならば、デザインならではの『ものごとのまとめ方』が期待される場が、急速に増えていることを感じます。そして、もうひとつ。デザインハブでのこれら2つの展覧会に合計2万人以上もの来場者があったことは、デザイナーに限らずあらゆるジャンルで活動する方々が、デザイン的な考え方を、自らの思考や行動の拡張の手段として、わりとすんなり受け入れていることの現われであると思います」。

デザインならではの視点でものごとをまとめる活動の意味や可能性を、時代の動きをふまえ、文化や立場の違いを超えて、さらに考えていくこと。「ポスト・フォッシル」展は6月27日で閉幕しますが、デザインの可能性やデザインの今後に考えを巡らせる活動に、会期という枠はもちろんありません。若いデザイナーたちの試みも始まったばかりです。

文:川上典李子


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野生の思考、"人間"からの発想

川上典李子のインサイト・コラム vol.2

「私は決して悲観主義者ではありませんが、現代とは、20世紀になされてきた様々なことを"オーバーホール"すべき時代であるのだと強く感じています。社会のシステムそのものも再考すべき時期を迎えています。真の意味でサバイバルできるシステムづくりが必要であり、そのためにも発想の転換が求められている。活動の軸として、"人間"そしてヒューマニティの観点からの考察を忘れてはなりません」。リー・エデルコートが4月の来日時に述べていました。

発展性に富むヴァイアブルデザインは、いかに実現されていくのか。そのことを考えるヒントとして、教育の現場に再び目を向けることにします。ストックホルムの国立芸術工芸デザイン大学(コンストファック)が4月のミラノサローネで行っていた「The Savage Mind(野生の思考)」展。フランスの社会人類学者、クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009年)が1960年代に記した『野生の思考』をふまえ、書名をそのままタイトルに掲げた展覧会でした。これからのデザイナーは、課題や目的に熱心に取り組み、集中する能力を持ち備える「科学者」であると同時に、「器用人」でなくてはならない。教育の現場から発せられたメッセージです。

さらにはあらゆるコンタクトやネットワークを駆使しながら、広い社会のなかでの立ち位置を見つけていくことが求められる、との考えも同展の趣旨には含まれていました。こうした想いが、最新技術、最新素材をいたずらに追求するのではなく、既存の手法や原始的、原初的な方法に興味を抱いた学生の作品を通して、あるいは詩的な方法で素材や時代の方向性を探る作品を通して示されました。リー・エデルコートが「ポスト・フォッシル」との言葉を用いて着目する今日の若手デザイナーたちの、ある動きとの共通点も伝わってきます。

「The Savage Mind」展より。Curated by Ikko Yokoyama

それにしてもなぜ今、野生の思考なのでしょうか。その意味に考えを巡らせること自体に、大きな意味がありそうです。参考まで、コンストファックの学長を務めるイーヴァル・ビヨルクマンが、展覧会に際して発していたコメント(原文英語)を全文転載しておきます。

「我々が現代的であるか否かに関わらず、今日我々が生きている時代は、人類の創世記から脈々と続く流れの延長線上にあります。クロード・レヴィ=ストロースは自著『野生の思考』で、石器時代の未開人たちと今日の我々の考え方の間には根本的な相違はないと述べました。」

「このことはデザイナーの仕事にも大いに関係があると思います。現代のデザインは、概して現代科学と密接な関係にあるとはいえ、デザイナーの仕事とは長年の問題や概念や素材に新たに取り組み直すべく、深い森の中に新たな地平を切り拓くこと。そして、構造から事象を創造し、また事象の力を借りて構造を創造することです。つまりデザイナーには、科学に精通していると同時に、幅広い内容をオールマイティにこなす器用人であることが要求されるのです。」

「我々人間は意味を求める生き物で、デザインとはまさにものごとの意味を照らしだす仕事ですが、しかしその意味が、今の時代が生みだしたものなのか、それとも遥か昔からあるものなのかは問題ではありません。なぜなら、我々の考え方は必ずしも新しいものではないからです。新しいのは、その考え(方)の用い方なのです。」

「The Savage Mind」展より。Curated by Ikko Yokoyama

ここではもうひとつの事例として、レヴィ=ストロースさながら人類学的な視点でつくられたある製品を取り上げてみます。大手家具メーカーであるVitra(ヴィトラ)が今春発表したもので、チリの建築家、アレハンドロ・アラヴェナのデザインによる「Chairless(チェアレス)」。パラグアイのアヨレオ族が座るために使用している、綿素材の長い布地に着想を得ています。

長く"椅子"を持たない生活を送ってきたアヨレオ族。彼らの経済状況では入手できるものに限りがあるという現状もさることながら、たとえ "椅子"が購入できるとしても、遊牧民である彼らには"椅子"を所有する必要性は低いものだったのです。また彼らの祖先は、"椅子"がこの世に使われる以前からこの布を使って暮らしていたのです。「座る」という行為、それもいかに快適に座るのかという人の欲求について考えた40代の建築家と提案のフィージビリティをとらえた企業との出会いによって、かつてなかったプロダクトが完成したのでした。

写真左:Vitra社「Chairless」の開発に影響を及ぼしたアヨレオ族の布。地面に腰を下ろすとき私たちは無意識に脚に両手を回すが、そうした本能的ともいえる人の行為が形になったもの。
Photo © Jose Zardini & Walter Biedermann
Photo courtesy of hhstyle.com
写真右:壁によりかからずに長時間座る姿勢を保つことができる「Chairless」。ヴィトラ社の他製品の製造で生じる端材が本製品製造に活用されるなど、製造方法にも特色がある。
Photo © Vitra(www.vitra.com), Photo courtesy of hhstyle.com


両手を脚にまわす行為の代わりに紐を使う。腰をおろした床や大地そのものが、いわゆる"椅子"の一部になるという発想です。膝を両腕で抱える状態とは異なり、紐を使うことで両手を自由に使うこともできます。「座るという行為をより原始的でミニマムな道具に近づける。そのためにはすでにある物から不必要な要素を削除していく方法を考える人もいるかもしれないが、アヨレオ族の紐もこの製品も、物から抽出されて完成したのではない。むしろゼロの地点から必要最小限の要素を加えたところに完成した」とヴィトラ社。「原点は物(椅子)ではなく、人間の身体とその動作」。気鋭建築家との恊働のうえ、"人"そのものを洞察したプロダクト。量産製品の開発を行う企業の興味深い提案です。

文:川上典李子


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フィリップ・フィマーノによるギャラリーツアー



展覧会も開幕2日目を迎えた4月25日、来日中の本展アシスタントディレクター、フィリップ・フィマーノによるギャラリーツアーが行われました。

ツアーは会場1階からスタート。まず本展のコンセプト構想の経緯、総勢71組の参加作家たちのさまざまな作品には、問題意識や制作方法、素材の共通性があることを紹介。
「黒」を基調とした作品が並ぶ1階ではポスターにも使用されているアトリエ・ファンリースハウトの「ファミリー・ランプ」を始め、作品ひとつひとつを説明。未来の家族のあり方や、動物との関わりの重要性、手をつかったものづくりといった本展のテーマについて解説しました。



階段を降りると、次は「地下ホール」。レザーを用いた作品や動物を模した作品を通して、アニミズム的な自然との繋がりに気付かされます。「ギャラリー1」はナチュラルな色や木、ガラスといった素材、制作過程に即興性を取り入れた作品を中心としたエリア。ちょうど会場を訪れていたアーティストのニコラ・ニコロフ(スタジオ・リ・クリエーション)と、ガラス作家のタニヤ・セーテルが自ら作品を解説する場面も。



彫刻の庭のように構成された「ギャラリー2」には、ものづくりの過程や素材の研究を重視した作品や、未来のテーブルをイメージさせる作品たちが並びます。それぞれの作家の意図を丁寧に説明しながら、ツアーは進みました。フィリップ・フィマーノが宝石箱のようなイメージと語る、メタリックな作品を集めた「アネックス」エリアを抜け、ギャラリーツアーは終了。その後、フィマーノや作家たちに直接参加者から質問をする様子も見られ、展覧会を広く深く知ることができる充実した時間となりました。

オープニングトーク PART2 新世代の作家たち

ノルウェーでのタニヤ・セーテルによる子どもワークショップの様子
タニヤ・セーテルのフードアート

続いて登場したのは、ノルウェーのアーティスト、タニヤ・セーテル。アイスランドの火山噴火を見て、ガラスがいかに自然な素材であるかを再認識したと言います。ミニマルな表現を追い求めていたセーテルは、ある時機能性に飽き始め、手づくりを懐かしく感じます。子どもの絵からガラス作品を制作したり、フードアーティストとともに吹きガラスの熱を用いた料理に挑戦したり。良いアイデアを他の人と共有することで、より良いものができると語りました。

インドでのカーリン・フランケンスタインの作品

スウェーデンから来日したアーティストのカーリン・フランケンスタインは、窯が与えるセラミックのサイズ制限に不満を感じていました。3年前にインドを訪れた際、現地の伝統的な日干しレンガの技法に出会い、ストレスのない制作活動に入れたと言います。展示作品では、牛糞を用いた荒々しい素材とサロン風の形で、緊張感を表現したというフランケンスタイン。自然とプロダクトとの関わりについて、多くの対話を生み出すプロセスが大切だと語りました。

会場の様子

最後にリー・エデルコートが再び登壇し、ポスト・フォッシル時代の「生きた証」である二人のアーティストに拍手を送りました。希望、愛、想像力、健全な暮らし、視野の広さ、謙虚さ、冒険心、共有の概念を備えた、新しい世紀の新しい作家たち。展覧会のオープンに合わせて来日した7人のクリエーターを、アシスタント・ディレクターのフィリップ・フィマーノがユーモアたっぷりに紹介しました。会場からも、作品のサイズからエデルコートの夢まで興味深い質問が飛び交い、展覧会のオープンにふさわしい熱気に満ちたひとときとなりました。


PART1 「ポスト・フォッシル」が意味するもの
PART2 新世代の作家たち

オープニングトーク PART1 「ポスト・フォッシル」が意味するもの

会場でのリー・エデルコート

「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展の開幕となる4月24日、本展ディレクターのリー・エデルコートと参加作家のタニヤ・セーテル、カーリン・フランケンスタインによるオープニングトークが行われました。
エデルコートはまず、本展の企画のきっかけとなった三宅一生のキーワードを紹介。それは、デザインの次の時代を切り開こう、という願いを込めた「break(ブレーク)」でした。

会場入口に展示されている「ドゥー・ヒット」や展覧会のポスターにもなった「ファミリー・ランプ」など、象徴的な作品を例にあげながら、消費者が制作プロセスに関わり、アートとデザインの境界が消え、新しい家族のあり方が模索される「ポスト・フォッシル」時代のものづくりについて丁寧に解説。
展覧会のタイトルには、「アフター・フォッシル」、「ネオ・フォッシル」という二つの意味を込めたと語ります。

マライン・ヴァンデルポル「Do hit」
アトリエ・ファンリースハウト「Family Lamp」

原始的な素材の可能性に耳を傾け、表現は概して控えめ。人間と自然や動物の関わりを探求し、リサイクル、リユース素材を活かし、即興性を取り入れる。美よりも制作プロセスを重視してプロダクトに魂を吹き込み、人々が愛着を持てるデザイン。

ナチョ・カーボネル「Evolution Collection」(会場写真)

理論と感覚に橋をかけ、手をつかった仕事を再評価し、化石燃料時代の次を担う新世代の作家たち。今年4月のミラノサローネでエデルコートが最も感動したという、ナチョ・カーボネルをはじめとした様々な作品のスライドを上映しながらの説明でした。


PART1 「ポスト・フォッシル」が意味するもの
PART2 新世代の作家たち

企画展 リー・エデルコート ディレクション 「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展

ディレクターからのメッセージ

大転換の時代が到来しました。
社会は今や前世紀と永遠に決別しようとしています。今日では問題視されたり疑問が示されたり、破綻をきたしている創造行為におけるさまざまな決まりごと、理論的な諸ルール、さまざまなスティグマ(汚点)を断ち切るために。そして、物質至上主義を脱却し、代わりに、慎ましく地に足がつき、組み立て直された状況を実現するために。

ここ数十年で最悪の金融危機の余波を受けて、流麗華美な、デザインのためのデザインの時代は終わりを告げています。新世代のデザイナーたちは、彼らのルーツをたどり直し、自分たちの地球を今一度清め、時には世の始まりにも遡りながら人類の歴史を研究しています。

このプロセスを通して、彼らは自分たちのデザインを考案し、具体化していきます。素材はまさに自然でサステイナブル(持続可能)なものを中心とし、とりわけ木材や皮革、パルプやファイバー、あるいは土や火を好みながら、現代の穴居人さながらにシェルターやさまざまな道具、手づくりの機械類を新たにデザインし、つくり直しています。また、古代のさまざまな儀式を、より簡素な、しかしながら満ち足りて充実したライフスタイルを創出するべく再解釈しています。明日のフレッド・フリントストーン(*1)のように。

骨格構造は、生物の生長過程に倣った太古の住居や千年来のさまざまな造形物を特徴づけます。また、手吹きガラスや手焼きのうつわが未来の食卓を彩り、いつしか食されなくなっていた野菜や地元で収穫された旬の食べ物が盛られ、さらなるスローフードが提案されることでしょう。

素材は概して地味で慎ましいものとなるでしょうが、しかしながらこの世代のデザイナーたちは、地球が大地に秘める富、すなわち鉱物や合金やクリスタルの利用にも誘なわれ、艶、そして時には輝きまでをも、これら一連のフォッシル(化石)のようなコンセプトとクリエーションに付加します。これらのデザインでは、じきに復活する運命にあるアルテ・ポーヴェラ(*2)の本質に共鳴するところも、時に見ることができるでしょう。
こうした動きの主要素となっているのは"自然"です。ここでは自然はもはや無邪気で情熱的なエコロジー言語の文脈では用いられていませんが、しかし、さらに新しい時代にふさわしい成熟した哲学として用いられています。提起されるべき問題を、提起すること......。


より豊かになるために、より少ないものでやっていけるでしょうか?
デザインは魂を持ち、それゆえ生気に満ちたものとなりうるでしょうか?
人はより意味ある消費の方法を見つけられるでしょうか?
私たちは、過去と決別し、新たな未来を創造できるでしょうか?

リー・エデルコート



*1 アメリカのテレビアニメ「原始家族フリントストーン(原題:The Flintstones)」の主人公。
*2 1960年代後半にイタリアで起こった芸術運動で、美術評論家であるジェルマーノ・チェラントの命名。原義は「貧しい芸術」。セメントなどの工業素材、石や木などの自然の素材を用いた作品が生まれた。

展覧会ポスター

「クリストとジャンヌ=クロード展 LIFE=WORKS=PROJECTS」



「もし何らかの理由でニューヨークに住むことが出来なくなったら、東京に住みたいです。」生前のジャンヌ=クロードがよく口にした言葉だ。世界中の情報が集まる都市に魅力を感じ、また働き過ぎの日本人に自らの姿を重ねての事だったのだろう。その気持ちはクリストも同じだろう。
東京で十数年ぶりに開かれる二人の展覧会が、古くからのファンだけでなく、ものづくりの新しい発信地である六本木に集まる観客の心を掴むことに期待したい。

柳 正彦



クリストとジャンヌ=クロードこそ、現代美術のヒーローとよぶにふさわしい。最初はだれもが、不可能、と思う。それを十数年もの歳月をかけ、徐々に人々に理解させ、賛同者を増やし、ついにはその都市の市長をも虜にし実現してしまう彼らの情熱と魅力。プロジェクトのスケールの大きさはもとより、そこへ到るまでのプロセスも感動的だ。柳正彦さんはじめ、たくさんの協力者の力をひとつに集め、皆で実現へ向けて取り組む姿は、いつも大らかで、希望に満ち溢れている。

三宅一生

コスチューム・アートのコツ

サマースクール「デザインのコツ」:体育A



ひびのこづえは、現在伊丹市立美術館と春日美術館で開催中のキタイギタイ展の、てぬぐいにもなるポスターから話を始めました。
展覧会は「骨」展に通じるところがあり、様々な生物の形をした服や家具が展示されているそうです。
ひびのは「NHK教育 からだであそぼ」での衣装デザインとセットを手がけており、体の部位をテーマとした映像を紹介しました。

ひびのは、制作時には自分のひらめきや感性を大事にすると言います。衣装では少しグロテスクな部分があってもストレートに表現するようにしているとのこと。
例えば「ほねほねワルツ」という骨がテーマの映像では、白黒の骨がプリントされた衣装を着て踊るダンサーのために、真っ赤なステージを用意しました。それは、骨の周りには血があることを瞬時に感じたからだと話します。
他にも、血管の模様がプリントされた全身タイツに心臓や肺などの臓器をモチーフとした小物を組み合わせるなど、多くのユニークな衣裳をつくっています。番組中ではダンサーの森山開次がそれを着て踊りました。後半は友人でもあるコンドルズ主宰・振付家・ダンサーの近藤良平が登場し、ひびのが野田英樹作・演出の舞台「パイパー」で近藤のためにデザインした衣裳を近藤が着て説明をするという豪華な共演が実現。



ひびのは、ダンサーのために衣裳をつくると、服を着た時の体の動きについてのフィードバックを得やすく、服と体の密接な関係がリンクしやすく、デザインが決まりやすいと話しました。

リアルなものが美しい

サマースクール「デザインのコツ」:美術



デザイナーでも科学者でもない立場だからこそ、美術館や博物館とはデザイン、サイエンス、エンジニアリングという三者の接点になりうるのではないかという切り口で語った西野嘉章。
東京大学総合研究博物館に着任し博物館と展示のあり方を考え続けてきた経緯の中で、ものの存在の背景にある「リアルさ」が感動につながると言います。持参したイノシシの骨と石器を来場者に触らせながら、生物が痕跡を残した証明としての骨、また100万年の間同じ形が保たれていた人工物として石器を紹介しました。更に、実物のハンドアックス(石器時代の手斧)を見せながら、自然界に存在しない「対称性」をつくったことが人間の創造力の大きな進歩を指し示していること、ものを認識し頭の中でイメージして形を創造するという行為こそ人間が最初に持った美意識ではないかと問いかけました。



そして、自然界に存在する知恵をクリエーションに生かしていくためのデザインの意義についてふれ、アートとサイエンスの中間にこそ新しい何かが生まれるのではないかと語りました。型にはまった区分ではなく、「定義されないもの」こそが興味深いという考えから、「美術」以外は受け入れないという従来の美術館の体制を壊し、新しい文脈を生み出していくことが重要なのではないかと語る西野。「〜にあらず」という姿勢の重要性や豊かさを通して、既存の概念や枠組みにとらわれずに文化を創造していくことの大切さを教えてくれました。

身の回りのかたちを描いてみよう

サマースクール「デザインのコツ」:社会



3時限目「社会」の授業では、本展ディレクターの山中俊治が、身の回りのものの形と構造、そしてそれらと社会とのつながりを体感するためのスケッチ教室を開催しました。

まず参加者それぞれが鶏を描いてみることからスタート。人間の脳は特徴を抽象化して記憶している場合が多いため、何も見ずに鶏を描くには、たとえば足の仕組みを考えて描くと描きやすいと山中は指摘します。画家が物体のディテールを細かく見るのは、その物体の仕組みや構造を正確に捉えるという目的があるのです。次に、「公共空間にあるもの」を題材に、信号、そして普段私たちが使用しているSUICAの自動改札機を描きました。山中は、SUICAの形状の説明に加え、10年前にJR東日本に依頼されて始動したSUICAの開発プロセスについて、映像とともに語りました。開発や制作にあたり丁寧な実験をすることでデザインが社会性を獲得するとし、デザインとアートの違いにも触れました。



続いて、大根おろし器。山中はGマークを受賞したOXO社の大根おろし器の開発の経験を通して「私達が知っているもの、いつも使っているものを丁寧に観察していくこと」こそが、道具に変化をもたらすきっかけと成りうると言います。
最後は、山中が参加者の質問とリクエストに応えて人間の走る姿や手、自動車等を描くコツを披露しました。

「ものづくりと環境」開催



4月25日(土)、南伊豆を拠点に活動する陶芸家 塚本誠二郎と三宅一生によるクリエイターズトーク3「ものづくりと環境」が行われました。

塚本は学生時代に旅した伊豆に魅了され、その後東京で見た陶芸展で「ものの後ろ側に人が感じられる焼き物の可能性」に注目。伊豆に居を構えて38年。陶芸においては、「成分が均一でない伊豆の土が、焼くことでたわんでいく表情」が魅力だと語りました。自身が暮らす環境を軸に様々な作品を制作し、近年は陶芸だけでなく、幅広い表現方法で作家活動を行っています。

東京のギャラリーで塚本の仕事に出会った三宅は、後に作品が「自然のままにごろごろと」並ぶ伊豆の自宅兼工房を訪れ、「生活の中で日本や地球全体が抱える環境の問題と対峙しながら、とどまることのないアイディアと独自の方法で表現を続けている」塚本の人柄に感動したと言います。

美しい海と山を抱える伊豆の自然の中で、「山をがりがりと削るような、機械を使う人間の力」が及ぼす影響を痛感するという塚本。三宅は「ものづくりをする我々は、常に時代と社会について考える必要がある」と語りました。満員の会場には、塚本のうつわや家具が特別に展示され、ものづくりと環境について多くを考える機会となりました。


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塚本誠二郎 展 
2009年5月18日(月) - 30日(土)
12:00 - 19:00 (最終日17:00まで)日曜休廊
巷房ギャラリー
104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル3F Tel/Fax 03-3567-8727

「LEAF MAN」が次は...!

次々に変身していく姿がユニークな東信の展示作品「LEAF MAN」。今度はなんとお正月バージョンとなって登場します。
今回は、お正月の飾りとして使われる松やしめ縄を使い、「謹賀新年」を演出すべく大胆に変身予定です。
会場の中で新年のお祝いムードを盛り上げる「LEAF MAN」。1月3日より、皆さまのお越しをお待ちしております。

リーフキッズがいっぱい!

12月20日、クリスマスを前に、21_21 DESIGN SIGHTにたくさんのリーフキッズが登場しました。写真は、「セカンド・ネイチャー」展参加作家のひとりで、フラワーアーティストの東信によるこども向けワークショップ「リーフキッズになろう!」の様子です。

東信
モデル気分でフィッティング
集合写真
東信と十人十色のリーフキッズ

ワークショップではまず、東のイラスト入り特製カタログで、ペラ、レザーファン、イタリアンルスカスなど、この日に使う10種類以上の草葉についてお勉強。こどもたちは、めずらしい草葉を手に取ったり、においを嗅いだりしながら、自分のオリジナルマントのための材料を選びます。続いて、緑色に染められたネットに草葉をからめながら、思い思いに制作を始めました。

東はこども達一人一人に丁寧に声をかけながら、「茎が長いものからからめていく」ことなど、制作のコツを伝授。「地道な作業だな」とつぶやくこどもには、「じゃないとリーフキッズになれないよ」と、特有のユーモアで返します。東によるマントのフィッティングには、こどもたちもモデル気分で応じました。

あっという間に制作時間が終了し、完成したマントをまとったリーフキッズは、東の作品「LEAF MAN」と一緒に記念撮影。孔雀の羽のように華やかなマント、簑のようにぎっしりと葉が編み込まれたマントなど、十人十色のリーフキッズ。ワークショップ終了後には、マントを着たまま帰るこどももいるなど、大満足の様子でした。

クリスマス限定スペシャル「LEAF MAN」が登場

11月中旬に登場したクリスマスバージョンの「LEAF MAN」が、12月24日、25日限定でさらに華やかに変身します。今回は、スターアニスやリンゴのオブジェを使い、色鮮やかにクリスマス気分を演出。2日間しか見ることのできない「LEAF MAN」、ぜひお見逃しなく。

クリスマス・リーフマンが登場!

現在開催中の吉岡徳仁ディレクション「セカンド・ネイチャー」展で展示されている東信の作品「LEAF MAN」。実は毎週少しずつ変わっているのです。そのリーフマンが11月18日、クリスマスバージョンへと変身しました。その模様をレポートします。


午前10時、東信とそのスタッフが集まり、リーフマンの模様替えがスタート。東のイメージスケッチをもとに、4時間を費やしながらクリスマスバージョンへと変身していきました。

イメージスケッチ
変身
足部分


今回は、ひばや杉、コニファーなどクリスマスシーズンによく見かける植物を使い、華やかに変身。実つきのヒバ、大きな松かさを使った演出もあります。

「LEAF MAN」では作品に用いる植物の種類が予め決められているため、他の植物で表現したのは今回が初めて、と東。季節にあわせて変身するリーフマンは、東にとって初めての実験的な試みなのです。21_21 DESIGN SIGHTで、今しか見ることができないスペシャルなリーフマン、12月24、25日にはさらにバージョンアップして登場する予定です。ぜひお見逃しなく。

安部典子の公開制作&トーク「形としての時間」が行われました

公開制作の様子


何百枚もの白紙をカットし積み上げて、うごめくような起伏のある作品を生み出している安部典子。10月25日には「形としての時間」と題して、21_21 DESIGN SIGHTで公開制作を行いました。4時間半に渡る公開制作の間、一枚一枚フリーハンドでカットされた紙を積み重ねて完成した凹と凸の一組の作品「Work No. 2121, 102508」は、「Second Nature」の文字をかたどったもの。この作品に安部は、「文字を切ることからはじめ、文字をそこから自由にしていくことで、純粋に形だけにしていこうと思った」とのこと。これは、「半分は人間が、もう半分は自然がつくる」という吉岡徳仁の出展作品にも通じるものなのです。

そして、公開制作終了後に行われた上條昌宏(本展企画協力)とのトークでは、安部典子が今の作風にたどり着くまでの経緯や、作品に込めた想い、現在の活動について語られ、今回のイベントのタイトル「形としての時間」についても触れられました。安部にとって「形」とは、「時間が形になる木の年輪のように、形(作品)は見えない時間の流れを視覚化したもの」であるとのこと。確かに完成した作品には、言葉では表現しきれない時間の流れと自然の起伏が刻まれていました。

アットホームな雰囲気の中で行われた公開制作。参加された方は、どんどん積み上がって形になっていく作品に不思議そうに見入ったり、気軽に質問をしたりと、たくさんの交流がうまれた場となりました。

Work No. 2121, 102508

浅葉克己による展覧会ガイドツアーを開催

8月17日、「祈りの痕跡。」展ディレクターの浅葉克己によるスペシャルガイドツアーが行われました。ツアーは、居庸関のハタキで頭の埃を払うことから始まります。最初のコーナー「痕跡」では、棟梁であった神前弘が80歳から毎日つくり続けた『おじいちゃんの封筒』約700点や、ポスタービジュアルにもなっている大嶺實清の『家 〜風の記憶シリーズ〜』、木田安彦『不動曼陀羅』などに出会います。人に「怒った顔が不動明王に似ている」と言われたことから、余った絵具で自画像のつもりで描き始めたという木田の「増殖する絵画」は650点。作家は、1000点できたらまた1から描き始めようと考えているそうです。

次のコーナー「文字の世界」では、まず、浅葉が日常の出来事やアイデアスケッチを書き留めた『浅葉克己日記』を鑑賞し、7年分の日記から、浅葉の創造の軌跡を辿ることができます。杉浦康平『文字の靈力(れいりき)』では、「春」という文字を着る小袖や「福」という文字を飲む酒器など、一風変わった文字を楽しみながら、その豊かな広がりを感じられます。浅葉が吉村作治の協力で古代エジプト王の名前を重さ1トンの御影石に刻んだ『ヒエログリフ』、同じく楠田枝里子協力の『ナスカ・パルパの地上繪』などで、古代人のコミュニケーションに思いを巡らせた後は、「アジアは文字の宝庫」という浅葉が17年間中国の奥地、麗江に通い続けて研究したトンパ文字の新作『トンパ教典「黒白戦争」』が登場します。世界で唯一の「生きている象形文字」から、数千年間手書きでのみ伝えられてきた物語を読み解きます。また、今では失われたカードもあるという『トンパタロット』や、浅葉の貴重なコレクションである『トンパ教典』も、その秘められたエピソードが聞き逃せない展示品です。

この他にも、円空の「護法神」、長さ13mもある江戸時代の万能守「九重守」など、最後の展示品である服部一成『おみくじ』まで、見どころたっぷりの本展を、ディレクター自らによるユーモアあふれる解説でめぐるスペシャルガイドツアーに、参加者は大満足の様子でした。次回のスペシャルガイドツアーは、9月7日(日)を予定しています。ぜひ、ディレクター自身の解説を体験してみて下さい。

浅葉克己と参加作家が語る、それぞれの「祈りの痕跡」

7月20日、現在開催中の展覧会「祈りの痕跡。」のオープニングリレートーク、「『祈りの痕跡。』プロダクションノート」が開催されました。このトークは、ディレクターの浅葉克己が参加作家の大嶺實清、服部一成、石川直樹とリレー形式で展覧会開催までの足跡を辿るというもの。まずは浅葉克己が、「誰が最初にあと痕をつけたのか」という問いかけが本展の出発点になったことを披露し、展覧会開催までの濃密な準備期間の秘話を公開しました。

浅葉は、沖縄で活動する陶作家、大嶺實清のアトリエを訪ねた際、家のかたちをした小さな陶の数々に興味を引かれました。これらは、「土は原土が好き」という大嶺が、日々の制作の最後に「余った土をひょい、ひょいと、ワンタッチでぽんっと置いて、へらでぱっぱっとしただけのかたち」。沖縄に古来存在するという、生と死の中間にある「祈り」の世界のかたちを次代に伝えていきたいという、大嶺の願いをあらわした作品です。

浅葉克己×大嶺實清


グラフィックデザイナーの服部一成は、オフセット印刷の4原色(CMYK)を用いて新たな表現に取り組んだ『視覚伝達』の延長線の新作を、という浅葉克己のお題に、「吉や凶といった文字に自分の運命をゆだねるという、僕らの生活に遊びとして入り込んでいる『おみくじ』」で応じました。照明デザインの藤本晴美とともに、照明の色が変わることで作品の色調が変化するという、グラフィック史上まれに見る展示を完成させました。さて、この展覧会は、吉と出るか、凶とでるか。

浅葉克己×服部一成


冒険家として名高い石川直樹と「地球文字探険家」浅葉克己を結びつけたのは、石川による写真集『NEW DIMENSION』。この写真集から、「これこそ祈りの痕跡」という思いで、2点の写真作品を出展しました。パタゴニアの「NEGATIVE HANDS」とよばれる壁画は、今から千年以上も前に、人びとが洞窟の壁面に手を押しつけ、壁にむかって顔料を口で吹き付けてできた「手の痕跡」です。石川は、そこには「壁の向こう側の世界への祈りがあったのではないか」と考え、洞窟から見た遠い湖の写真とともに展示しました。

浅葉克己×石川直樹


文字通り、浅葉克己が脚で探した地球発アート。ぜひ会場でお楽しみください。

地球文字探検家 浅葉克己ディレクション「祈りの痕跡。」

「地球文字探検家」浅葉克己ディレクションによる「祈りの痕跡。」展が、本日より開催されています。
本展では、"文字とは、「伝えたい」という祈りにも似た、人の強い思いの究極の形である"というアートディレクター、浅葉克己の考え方を通して、地球に残されたさまざまな表現を紹介しています。
文字通り、浅葉克己が脚で探した「祈りの痕跡」の数々をお楽しみ下さい。

また、明日午後2時より、オープニング・リレートーク「『祈りの痕跡。』プロダクションノート」が行われます。本展ディレクターの浅葉克己が参加作家の大嶺實清、服部一成、石川直樹とリレー形式で語る、展覧会開催までの秘められた足跡。 展覧会が二重、三重にも楽しめる、個性豊かなリレートークに、ぜひご参加ください。

展覧会ポスター

イサム・ノグチ・スペシャル vol.7 デザイン・トークでノグチについてのレクチャーも!

20日、国立新美術館講堂において21_21 DESIGN SIGHTのオープン1周年を記念した『デザイン・トーク』が開催されました。三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3ディレクターによるトークの前には、スペシャル企画として、イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問の新見 隆にイサム・ノグチの人と作品についても簡単なレクチャーをしていただきました。

新見隆


約20分という短い時間ながら、イサム・ノグチが広い意味で20世紀のモダニズムを越えようとした芸術家であり、西洋近代彫刻の代表ともいうべきブランクーシに師事しながらも、みずからは東洋的な思想を彫刻表現に取り入れた新たな造形を生み出したことなど、スライドを交えた解説はとても興味深いものでした。

続いて行われたデザイン・トークはアソシエイトディレクター川上典李子を司会に、開館までの経緯やこの1年の活動について、ディレクターたちがそれぞれコメントを発表。これからの21_21 DESIGN SIGHTはどうなっていくべきかなど刺激的な意見も飛び出しました。

川上典李子、佐藤 卓
三宅一生、深澤直人


トークの後は次回展『祈りの痕跡。』展のディレクターであるアートディレクターの浅葉克已が登場、展覧会の内容について紹介しました。手旗信号などを交えたパフォーマンスで会場は大いに盛り上がりました。

なお、この「デザイン・トーク」の模様を記録した映像を1時間に再編集し、上映会を開催することが決定しました。来場いただけなかった方、ぜひこの機会をお見逃しなく! 
(詳細は関連イベント情報をご覧ください)

イサム・ノグチ・スペシャル 一覧リスト へ

[採録]新見隆 特別レクチャー 「イサム・ノグチの人と作品」

このレクチャーは、2008年6月20日(金) 国立新美術館 講堂にて開催された21_21 DESIGN SIGHT 1周年記念講演会「デザイン・トーク」中で行なわれました。

21世紀人展とコレスポンダンス


こんにちは、新見です。イサム・ノグチさんの美術館が10年前に立ち上がりまして、そこの顧問をしております。今日は三宅一生さんから、少しお話をしろと依頼を受けて参りました。今回三宅さんが、ディレクターとして立ち上げられた『XXIc. --21世紀人』展を見せていただいたのですが、大変感動しました。その印象から始めたいと思います。その前に申し添えますと、僕は三宅さんが、1930年代、ノグチの若い頃の、中国でのこの仕事をほんとうに偶然、さまざまな奇縁に導かれるようにして発見されて、ここから展覧会を発想されたということを聞いております。

さて、僕の受けた印象というのは、簡単な言葉なのですが、「万物照応」ということです。これは新羅万象が響き合って、動物などの生きもの、小さな花、それから風や宇宙、そういうものが響き合っているという意味です。英仏語ですと「コレスポンダンス」という訳語になります。普通は手紙をやりとりしたり、話をしたりという意味に使います。このコレスポンダンス、万物照応というのは、19世紀末のフランス象徴派を主導したボードレールという人が、芸術文化の根幹にある概念ということで提唱した言葉です。それが150年後の今、21世紀になって、大事なのではないかという時代がやってきたように思います。

ごく簡単に申しますと、20世紀は近代主義、文明などと言いながら、単に生活が利便になればよいんだというようなことで科学や技術が発展してきました。僕らはその利点を受けてきたわけですが、一方で環境問題、戦争、民族間の抗争、食糧の危機など、さまざまな問題を背負ってきたと思います。近代主義が始まったのは19世紀の半ばですが、その時代にボードレールが「芸術と文化の根幹は、新羅万象と響き合う自然の心」と「肉体」というふうに捉えた。

今回の展覧会では、三宅さんご自身も再生紙を使った、非常にバロック的というかアジア的というか、「東洋のバロック」とでもいうものを感じさせるような空間を、素晴らしいインスタレーションで実現されていました。ほかにもティム・ホーキンソンさんの《ドラゴン》、デュイ・セイドさんの《スティック・マン》などにも東洋的なものを感じました。そういう意味で展覧会全体が「アジアのバロック」という感じがしたのですね。それらを通して三宅一生さんからの強烈なメッセージとして、「コレスポンダンス」という概念を僕は受け取りました。

ポストモダニストとしてのイサム・ノグチ


前置きはこのくらいにして、本題のノグチの話に入りましょう。《スタンディング・ヌード・ユース》です。制作されたのは1930年、若い頃ですね、ノグチという人は1904年生まれで88年に亡くなられましたから、まさに20世紀をそのまま生きた----明治の終わりからずっと、大正、昭和と生きてこられた方ともいえます。ひとつ、ちょっと乱暴なアイディアを話したいのですが、イサム・ノグチはポストモダン的な人だったと僕は思います。
ポストモダンというと、70年代以降に様式折衷的に起こった、デザインや建築の一原理だと勘違いしている人がとても多い。しかしそうではなく、ポストモダンはもっと大きな概念です。いわば文明の進化論的な、利便になればよい、文明さえ発達すればよい、ものさえつくれば人間幸せになるんだという、そういう文明進化論的な考え方に対して、非常に懐疑的で批判的で、反省的な視座として始まった運動です。

倉俣史朗さん、磯崎新さん、三宅さんなどの方々が、そのなかにおられたわけですけれど、ポストモダンという思想や運動は終わったわけではなく、実は今から考えなくてはならないものだと思うのです。現代社会はさまざまな問題を抱えていますから、そのなかでのものづくりを考えていかなくてはいけない。その最たる人がノグチだったと思います。

ノグチの仕事を御存知の方もおられるでしょう。あかりのデザイン、陶器、それから公園や庭を手がけました。あかりは、岐阜の提灯を世界ブランドに立ち上げて世界発信した、最も成功した日本のプロダクトデザインのひとつといってよいと思います。

2005年がノグチ生誕101年で、亡くなられて17年でした。彼は亡くなる前に、札幌の郊外のゴミ捨て場だったモエレ沼に行き、「おもしろいから、ここを庭にしよう」と考えて、壮大なパークをつくられた。こういった、晩年の自然とコラボレーションした仕事は、ノグチが21世紀の僕たちにプレゼントしたものといってもよいと思います。

《モエレ沼公園》で彼が考えていたのは、子供が遊んでいる、恋人たちが話をしている、それからいろんな人が憩っている、噴水が、遊具があって、山があって、ピラミッドがあって、植生があって、ということですね。壮大な一種の大地ですが、それを設計されたわけです。ですからそのなかには、デザインの問題も建築も時間も風も場も、空間もある。すべてのものをそこに取り入れたのです。これが「ノグチがポストモダン的である」と僕がいった理由です。

東洋的な循環世界、豊かな空虚


ノグチの作品は、世界中の美術館に収蔵されていますけれど、実は彼が一番嫌ったのはホワイトキューブです。パッキリして、力があって、いわばエリート主義的でマッチョな、白いモダニズムの空間です。そのなかに置かれて、ドラマティックな主役として見られる彫刻を、ノグチは拒否したところがありました。それで自ら自然のなかに出ていって、庭をつくったり、それから自然との時間と空間と風とか、自然とか山とか光とかそういうものとコラボレーションする新しい彫刻を考えた。そのひとつが最後の作品、モエレ沼の公園なのです。

香川県の牟礼町には自宅とアトリエがあって、晩年の20年間はそこを使っておられました。現在そのままのかたちで美術館にしていますが、そこに「エナジーボイド」という作品があります。これは、あまりに高速度でエネルギーが廻っているから、そのなかが真空で抜かれるという状態を作品化したものです。僕らはエネルギーの中心の空虚と言っています。彼はブランクーシのような近代彫刻のチャンピオンから習ったわけですけど、それを超えて東洋と西洋を融合した。

ノグチが好きなのは円環構造というか、世界が全部循環して元に戻ってくる有様です。西洋にもありますが、主に東洋の思想にある、虚無ではない豊かな空虚といったものが好きで、そういう造形をされた。人間の身体のなかにも、そういう循環構造がある。漢方の目で見た人間の身体といえばわかりやすいかもしれません。

ノグチは日米混血の人でありましたから、大変つらい思いをしました。政治的にも制度的にも疎外された、孤独な人でした。ですから彼は制度や近代といったものが大嫌いでした。好きなものは古代的なものですね。人間の歴史を超えた、マチュピチュ、マヤの遺跡、ストーンヘンジやピラミッドなど。モエレ沼に行ってご覧になるとわかると思いますが、ノグチはそれらをコピーしたのではありません。今日僕らが世界遺産として知っている、人間の原風景というか、原芸術というか、おそらく芸術にもなってない、元の姿のものが、そのまま21世紀のかたち、ノグチが考えて感じたかたちとして現れてきている。これがイサム・ノグチの素晴らしさであり、モエレ沼のすごさであると思うのです。


新見 隆(にいみ りゅう、1958年 - )
広島県出身。 慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。1982年から1999年2月まで、西武美術館・セゾン美術館の学芸員として、展覧会の企画を担当。 イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問。インディペンデント・キュレーター。千葉大学教育学部大学院美術専攻、慶應義塾大学理工学部、東京造形大学比較造形学科などの講師を経て、1999年より武蔵野美術大学芸術文化学科教授。

21_21 DESIGN SIGHT 1周年記念講演会「デザイン・トーク」 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

講演会の後半では、いくつかのキーワードを軸にディレクターたちがそれぞれの考えを述べました。21_21 DESIGN SIGHTの今後について、活発な意見交換が行われ、盛況のうちにトークを終了しました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの現在と今後について「考える、つくる」という観点から進めていきたいと思います。ディレクターとして、この1年はどんなことを考え、感じられたのかについて、順に話していただけますか。深澤さんからお願いします。
深澤
我々ディレクターの会話や、あるいは展覧会を見た感想を寄せてくださったなかでしばしば登場したのは、「我々がやっているのは、デザインなのか、アートなのか」ということでした。この問いに、明確な答えを出すというより、私たちがおぼろげながら感じている共通点があると思います。
近年の問題として、人間の身体と心が乖離してしまったことがあると思うんです。身体が自発的に環境に調和しようと働いて、人間は自然体になった時に喜びを感じる。生きているという実感を得る。でも、実際はそれがなかなかできないことが、悲哀やドラマや、自己を知るきっかけになって、デザインやアートの根源になるんじゃないかと思うのです。つまり私たちの脳、心は、いまの環境をコントロールできない悲哀みたいなものを、なんとなく感じてるんですよね。だから21_21DESIGN SIGHTという場も、結果的にその問題に収束していく。だれもが調和を取り戻していきたいという願望があると感じています。

最近思ったのですが、人間の無意識の選択というのは、すべて生きることにつながっている。人間の心理だけが、秩序を失い混乱させてしまう。自然に復帰する、人間らしさを取り戻していくという大きな流れのなかで、クリエイティブな活動をしていく場所ーーそれが21_21 DESIGN SIGHTであると定義づけています。

さきほどの水展のお話にもありましたが、卓さんがおっしゃったように、我々はやっぱりほとんど知らないんですよね。自分自身のことも、人間であることも。それに気づくようなことを誰かがやらないと。その感動こそ、僕らが目指すところなのかなと思います。
佐藤卓


川上
佐藤さんの「考える、つくる」で、今後、大切になっていくことについて、どのように考えていらっしゃいますか。
佐藤
いまデザインはどのメディアでも取り上げられています。でも、見ていますと「もの」のデザインが取り上げられて語られることが多いようです。視覚的におもしろいものっていうのは、取りあげやすいですから。でも実は、「もの」のデザインの奥には「こと」がある。そして我々は「もの」を通して「こと」をつくることをやっているんだと思っています。一生さんも「ことのデザイン」とおっしゃっていますが、たとえばそれは「もの」と人の関係のあいだで、なにが起きているかを考えることですよね。そうすると、深澤さんが言われたように、人の側でなにを受け取っているのかっていうことを、よく観察し見ていかないと、ものの周辺で起きていることの本質は見えてこない。
人とものの関係、デザインと人の関係はどうなっているのかを、検証したり探っていくことって、意外といままでされてこなかったんじゃないかという気します。たとえば、人が目で見たときに、頭のなかで記憶や体験と照らし合わせたりしながら、一体なにが起きているのだろうと。そういうことを考えていくと、デザインの問題としてどんなことにもテーマを設定できるんです。僕の場合はやはり、グラフィックデザインやコミュニケーションデザインをやってきて得たデザインの技術を、そこで活かせないだろうかと考えるわけですね。
川上
たしかに、ものの周辺に目を向ける活動は、多くの方がデザインに興味をもっている今という時代にこそ、まさに必要なことなのだと思います。三宅さんのお考えはいかがですか。
三宅
いくつかのおもしろい現象はあると思いますけど、今という時代は、売るためのデザインや広告を競いあっているような部分もあるのではないかとも感じます。フランス語でデランジュというのは人を惑わすということですが、僕が2000年に自分のデザイン活動を変えたのも、デザイナーがデランジャー、惑わす存在なのかと、とても疑問を感じ始めたからなんです。
もっとみんなの普通の生活に目を向けなきゃいけない、ないしは新しい方法論を考えなきゃいけないんじゃないかと思ったわけです。そのころに藤原大と一緒にA-POCを始めた関係もありまして、新しいチームで仕事をした。そして僕が思ったのは、どんどん自由にしていかないと前に行けないよ、ということでした。
ディレクター4人


三宅
この21_21 DESIGN SIGHTも、プロレスじゃないけれど、リングにしても良いのでは、と思っています。今日いらしてる方たちにも、この場所をだれもが参加できるリングのように考えていただいて、こんなことをやってみたいとか、こんなものが欲しいということを自由に言ってもらえたら、より活気のある楽しい場所になるんじゃないかなと思っているのです。今回のトークが、国立新美術館が我々に場所を提供してくださって実現したのも、相互関係やコミュニケーションがとても重要になってきたひとつの象徴だろうと思うんですけれども、今後我々も逆のかたちでやりたいなと思っています。
佐藤
ちょっといいでしょうか。僭越なのですが、僕は三宅一生さんの直感力に、衝撃を受けているんです。直感力って身体性なわけで、まさにその、リングで闘い合うっていうのはそういうことだと思うんですが、いまの世の中っていうのはどちらかっていうと理詰めで説得していかなきゃいけないと。それをなんとかしたらどうっていうのが、「XXIc.-21世紀人展」なんじゃないかって思ったりしてね。どうでしょう、深澤さん。
深澤
そうですよね。「XXIc.-21世紀人」は、直感のかたまりみたいなものかもしれない。一生さんの仕事の仕方は、僕のやり方と全然違うので、僕も圧倒的に驚く部分が大きいです。
川上
おふたりはそうおっしゃっていますが、三宅さん、いかがでしょう。
三宅
嬉しいですけれど、照れくさくもあります。それよりも、21_21 DESIGN SIGHTにいらしてくださる外国の方とお話していて痛感するのは、日本の文化の伝統を理解したうえで、もっと積極的に日本のものづくりを考え直していくことなんです。そして、その記録を、アーカイヴをつくっていくこと、同時にキュレーターなど、人材を育てていくことに着手しなければいけないですね。それは我々だけの力でできることではなく、やはり日本という国のレベルで、国が許容力をもってこの動きに参加していただきたいと思っています。
川上
そうですね。21_21 DESIGN SIGHTというひとつの場が生まれたことをきっかけに、様々な立場の方々と意見交換をしてきたいですね。今日は21_21 DESIGN SIGHTをリングにしてもいい、という話も出ましたが、デザインについて、表現するという行為について、つくるという意味そのものについて、枠を超えて多くの方々とさらに意見を交わしていく機会を、今後も引き続きつくっていきたいと思います。今日はありがとうございました。


2008年6月20日国立新美術館・講堂にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十嵐一晴


vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

イサム・ノグチ・スペシャル vol.6 鈴木康広とKIKIさんが語るノグチの墨絵。

参加作家の鈴木康広さんによるクリエイターズトークが、15日に行われました。鈴木さんの作品《始まりの庭》に感動したモデルのKIKIさんが特別出演。梅雨の中休みの晴天に恵まれた日曜の午後のひととき、日常の何でもないことにも「発見」があり、それを伝えることが大切と語る二人のトークに、会場には爽やかな感動が広がりました。冷水の入ったコップの回りにつく水滴からヒントを得て今回の作品を発想した鈴木。目に見えない空気中の水を、結露として視覚化。普通は敬遠される結露を作品に取り込んだことに対し、KIKIさんは「驚きました。少しでも楽しみかたを探る方がいいですね」とコメント。

やがて、ノグチ作品《スタンディング・ヌード・ユース》を初めて見たときの感動と発見へと話は続きました。日本人の父と米国人の母を持つノグチのアイデンティティの葛藤が、この作品にも表れていると感じたのはKIKIさん。「人としてのリアルさがあり、凄いと思いました。細い線が輪郭に、太い線は陰、骨、血液のように見えました。この2つの線が両方あってはじめて人に見えるように思います」。鈴木は、「イサムさんが26歳の時の作品と聞いて、身近に感じました。技術的にも凄いラインで描かれている。自分が美大に入って、作品を創ることがどういうことかわからない時期があったけど、やがて自分を確認することだと気付きました。イサムさんの20代もそんな時代だったのかなあと」。
みなさんは、ノグチ作品からどんな発見がありましたか。

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イサム・ノグチ・スペシャル vol.5 手漉き和紙のエキスパートが見たノグチ作品

14日、三宅一生作《21世紀の神話》の制作スタッフによるクリエイターズトークが行われました。今回は、作品に使用した再生紙の制作で協力を得た滝製紙所の瀧英晃さんをゲストに迎えました。滝製紙所は福井県で伝統的な越前和紙を制作している会社です。今回の制作にあたり瀧さんは、「普段の仕事からは考えもつかない内容に戸惑いを感じながらも、こういった形で和紙がいろいろな人の目に触れる機会を得られたことが嬉しかった」とのこと。
イサム・ノグチの作品については、「手漉きと機械漉きの和紙が異なるように、実際に手を動かしてつくられたものは人に訴えかける圧倒的なパワーを持っている」と話していました。
スライドや制作物を用いたプロセスの説明の後には紙漉き体験も行われ、子どもから海外の方まで多くの方が参加し、会場は活気に満ちていました。

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イサム・ノグチ・スペシャル vol.4 ノグチ作品に刺激された、ISSEY MIYAKE Creative Room

13日、参加作家のISSEY MIYAKE Creative Roomによるクリエイターズトークが行われました。DYSON A-POCシリーズと本展でのインスタレーションについて、もの作りのプロセスを語ったのは、パターン担当の中谷学とテキスタイル担当の平尾万里英です。記録映像と図を示しながらのトークから、わくわくしながらもの作りを進めてきた情熱が伝わってきました。話題はイサム・ノグチ作品に及び、「彫刻家としての格闘のプロセスがあったからこそ、あれほどまでの立体感をもつ絵画が生まれてきたのだと思う。自分たちも頑張らなければ」と中谷。平尾は、「初めて見たとき、力強さが強く印象に残りました。展示用のボディを制作する際には負けないように元気なものを作ろうと思いました」とのこと。ノグチ作品《スタンディング・ヌード・ユース》のパワー、ぜひ何度でも体験してください。

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イサム・ノグチ・スペシャル vol.3 デュイ・セイド、ノグチの墨絵について語る

6日午後行われた出品作家デュイ・セイドによるギャラリートークでは、本展が本邦初公開のイサム・ノグチ作品について詳しく語られました。作品はノグチが26歳のときに中国で描いたもの。日本にいる父に会うことを拒絶された彼が、日本に行く代わりに北京へ赴き、中国のピカソと呼ばれた水墨画の大家に師事して描いたとされています。自作の《スティックマン》は、この《スタンディング・ヌード・ユース》を見ながら制作したというデュイ。イサムの作品が精神の純粋性の象徴であるとするならば、自身の作品は身体の純粋性の象徴であると語りました。

彼の作品は、木の枝を組み合わせて作った立体的な線による彫刻作品です。枝は紙の原料となるコウゾという木の表皮を剥いだ後に廃棄されるものを使っています。心臓や血管が透けて見えるその彫像は、人間の体内をも可視化される現代を投影しています。照明効果によって壁に映った《スティックマン》の影は、《スタンディング・ヌード・ユース》を覗いているようです。晩年のノグチは、「20代でなければ、このような絵は描けなかっただろう」と言ったそうです。太い筆をコントロールして描くためにはそうとうな筋力がいるからです。作品が生まれる偶然と必然を思い知らされるようなエピソードに、トークに参加した30人余りの観客の皆さんも、納得してうなずいていました。

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イサム・ノグチ・スペシャル vol.2 ノグチの水墨画、実は本展が世界初公開です!

『21世紀人』展に出品中のイサム・ノグチ作品《スタンディング・ヌード・ユース》。彫刻家のノグチが1930年に北京に滞在した際に水墨で描いた裸体画です。
彼の水墨画はすべてこの時に描かれたもので、100点あまり存在します。中でも、178.5×900cmという大型の《スタンディング・ヌード・ユース》は、スケールにおいても、男性の裸体立像の完成度においても傑出した作品です。
この作品が日本で初公開されているのが本展です。
今後の公開はまったく未定ですから、イサム・ノグチのファンならずともこの機会にぜひ見ておきたい作品です。

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イサム・ノグチ・スペシャル vol.1 デュイ・セイドのギャラリートーク

世界の美術館に先駆け、初公開中のイサム・ノグチ作《スタンディング・ヌード・ユース》をもっと深く知るために、21_21 DESIGN SIGHT公式ウェブサイトは、本日よりイサム・ノグチ スペシャルと称し、さまざまなレポートをお届けします。そこでさっそくですが、今週のイサム・スペシャルなイベントのお知らせです。
出品作家デュイ・セイドが6月6日(金)15時よりギャラリートークを行います。
デュイ・セイドは出品作《スティックマン》を制作するにあたって、ノグチの作品にオマージュを捧げたと言います。ギャラリートークでは、彼が《スタンディング・ヌード・ユース》と初めて出会ったときの衝撃や、自作とノグチ作品との比較などについて語ります。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.2 へ

ギャラリーツアー、金、土、日開催中。

『21世紀人』展は、アート作品ありデザイン作品ありの多彩な出品作を、「これからの人間の未来」という一つの大きな物語にまとめあげた展覧会。どんな物語なのかを教えてくれるのがギャラリーツアーです。21_21 DESIGN SIGHTのボランティアスタッフが、金・土・日の午後3時からおこなっています。会期も折り返 し地点を過ぎ、スタッフの語りもなかなか堂に入ってきました。ぜひ、会場に足 を運んで実際に体験してみてください。展覧会が10倍おもしろくなります。

ギャラリーツアー

デュイ・セイド、再来日!

去る5月24日土曜日の午後、参加作家のひとり、デュイ・セイドのトークが開催されました。オープニング後、一旦ニューヨークに帰国したデュイは一ヶ月ぶりに来日し、自作「スティックマン」につながる身体表現の歴史について語りました。あい変わらずの優しい笑顔に再会できて、スタッフ一同大感激でした。また翌日は、予定になかったギャラリーツアーも買って出てくれました。会場構成も手がけた彼だけに、解説は展覧会全体にまでおよびました。

デュイ・セイドのギャラリーツアー

第3回企画展 三宅一生ディレクション「XXI c. ―21世紀人」

21_21 DESIGN SIGHT 第3回企画展のテーマは「21世紀人」です。かつて未来と呼ばれた21世紀に、いま、わたしたちはたくさんの問題とともに暮らしています。ディレクターの三宅一生はさまざまなリサーチをおこない、想像力を働かせました。そして、誰もが感じている疑問や課題に向きあいながら新しい表現にとりくんでいる国内外の作家とともに展覧会をつくりあげます。会場を訪れた人たちと一緒に考え、最後には希望を感じられる――。そうした展覧会をめざしています。「XXIc. ―21世紀人」展がこれからのものづくりや暮らしについて考えるひとつの「きっかけ」となればと願っています。

展覧会ポスター

サマープログラム「落狂楽笑」

21_21 DESIGN SIGHTでは、落語や狂言など日本独自の芸能を取り上げたサマープログラム「落狂楽笑 LUCKY LUCK SHOW」を開催いたします。人間や生活を独特な視点で捉える落語や狂言は、観る人を喜ばせ、驚きを与える娯楽として日本人の間で長く親しまれてきました。その姿勢は、日常に根ざしたテーマを取り上げ、新たな視点や発想を提示していく21_21 DESIGN SIGHTのあり方と通底するものがあります。今回のプログラムでは、芸能の世界において常に新しい表現を追求し続ける演者たちを招き、今までにない試みを行います。演者は、世代を超えて親しまれる狂言を目指す茂山狂言会、落語の可能性を拡げていく桂小米朝と柳家花緑、そして風刺あふれる一人芝居を極めるイッセー尾形の4組。それぞれ衣装は気鋭の若手デザイナーが担当します。また、舞台美術をはじめとした一連のアートディレクションを手がけるグラフィックデザイナー北川一成が、会場の一部を使いアートワーク「落狂楽笑by北川一成」を発表。大人も子供も楽しめるプログラムIと大人向けのプログラムⅡを用意しました。ファミリーで、お友達同士で、21_21 DESIGN SIGHTの夏をご堪能ください。

展覧会ポスター

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