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佐藤 卓 (50)

2017年1月14日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「『好奇心』て、どこから来るの?」を開催しました。トークには、脳科学者の茂木健一郎と、グラフィックデザイナーで本展ディレクターの佐藤 卓が登壇しました。

「好奇心」はどのように生まれ、育まれるのでしょうか。茂木は、自我から解放されることだと述べ、自我から解放された時こそが自由で、喜びを感じると見解を続けます。
佐藤は何事にも熱中している時は自我を感じないと述べ、自分自身のグラフィックデザイナーとしての経験を踏まえ、「好奇心」と「個性」について語ります。様々な場面で「自分らしさ」を問われることがありますが、実際に「自分らしさ」を探さなくても、好奇心に満ち溢れて探求している時が最も「その人らしい」と語ります。好奇心をもって様々なものを探し求めることは、自分の感性で方向性も決まるため、見つかったものから自ずと個性が投影されていると見解を述べます。

次に、好奇心が発するためには自他の分裂、自分と対象の関係の成立について、「対話」を例に挙げて語ります。 対話というものは、その人についての意外な事実を見つけることのできる対話が重要なのだと茂木は続けます。その対話を成り立たせるためにはお互いに興味を持ち、それを引き出すことが肝心で、アートとデザインにも共通すると語ります。他人に興味を持ち、知ることで制作者の声が届き作品からも説得力が生まれると両者は続けます。

色々な角度から物事をみることは、「好奇心」というものが原動力になります。
「美意識や感覚の方向性を示すことが人間の役割」と茂木がトークの終盤で語り、デザインやアートの行動の原点を脳科学の視点から探り、新たな共通点を発見するトークになりました。

2016年12月10日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「解剖学から考える"美とはどういうものか"」を開催しました。

美術解剖学をはじめとし、西洋美術から漫画までも解剖対象として研究を重ね、芸術の本質は「世界をどう見るか」であると語る美術批評家の布施英利。一方、本展ディレクターの佐藤 卓は、デザインを解剖の手段として、私たちの日常にあふれる数多くの製品を解剖し、各製品の成り立ちを徹底して検証し続けてきました。

「美術」と「デザイン」、異なる分野で活動する二人が、「解剖」「世界を見る」という共通のキーワードから、"美とはどういうものか"考察しました。

2016年11月26日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「『分かる』ことと、『感じること』こと。」を開催しました。トークには、解剖学者の養老孟司と、グラフィックデザイナーで本展ディレクターの佐藤 卓が登壇しました。

「分かること」、そして「感じること」とは何か。私たちはどのように世界を認知し、ものごとに関わっているのでしょうか。分かることに本来限界はなく、感じることは現代社会において制限されているとトークは始まり、環境や社会によっていかに人々の感覚は鈍くなっているかと両者は見解を述べます。人間は意識と感覚を持ち合わせていながら、社会に暮らすうえで、自ら「感じること」を通念的な意識で抑圧するために、世界は均一化の方向に進みがちであると養老は語りました。

養老は、感覚は世界の違いをひたすら捉えていると語ります。概念上、当たり前のように存在しているものに対し、改めてそれぞれの違いを感覚に訴えかけるような現場をつくり出すこと。本展は、その違いを知るきっかけになりうると感じられるトークとなりました。

先日、スタートした「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」では、広く親しまれている明治の5つの製品を、デザインの視点で"解剖"しています。
展覧会ディレクターを務める佐藤 卓に、彼が今まで取り組んできたデザインの解剖と、今回の展覧会の見どころについて聞きました。

聞き手:土田貴宏

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「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」会場風景 (Photo: Satoshi Asakawa)

—今回の「デザインの解剖展」で、明治の製品を取り上げたのはなぜですか。

「デザインの解剖」を始めて間もない頃から、ある企業の複数の製品を解剖して、企業というものが社会の中でどんな存在意義を持っているのか研究したいと考えるようになりました。明治は以前に「デザインの解剖」で「明治おいしい牛乳」を取り上げたことがあり、文化活動にとても理解があると感じていたのですが、今回、私たちの思いに対して協力していただけることになりました。

—展示の中心になっている「きのこの山」「明治ミルクチョコレート」「明治ブルガリアヨーグルト」「明治エッセルスーパーカップ」「明治おいしい牛乳」という5つの製品は、どのように選んだのですか。

「デザインの解剖」で取り上げるのは、私がデザインに携わったものかどうかにかかわらず、多くの人に知られているものであることをルールにしています。明治の中でも人気のある代表的な製品で、できるだけ異なるカテゴリーのものから選びました。この点については、企業側はすべての製品に思い入れがあるので選ぶことはできません。こちらで選んだものについて明治とディスカッションしながら決定していきました。あくまでこちらが主体になり、デザインというメスを使って製品の解剖をしていくわけです。


「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」会場風景 (Photo: Satoshi Asakawa)

—これまでの「デザインの解剖」に比べて、解剖の枠を超えて生まれた作品も多く展示されていますね。

若い世代のクリエイターが参加作家としてかかわり、新しい視点や技術によって解剖を解釈してくれました。デザインを解剖する中で浮かんできたテーマをお渡しして、それをもとに自由に作品を制作してもらっています。企画制作協力として采配を振るってくれたのは、テレビ番組「デザインあ」でも一緒に仕事をしている岡崎智弘さんで、彼は若いクリエイターとの間にすばらしいネットワークがあるんです。思いがけないおもしろい作品がたくさん生まれて、解剖の可能性を広げてくれていると思います。

—会場構成も佐藤さんが手がけていますが、どんな特徴がありますか。

今回の展覧会と並行して、展覧会で取り上げた5つの製品の書籍を制作していて、その書籍の文章のほとんどすべてを項目ごとに会場で掲示しています。5冊分の内容があるので、今までの21_21 DESIGN SIGHTの展覧会でいちばん文字の多い展覧会になりました。とはいえ来場した方は、全部の文章を読まなくても構いません。項目ごとに要約した短い文章がつけてあるので、気になったところだけじっくり読んでください。新聞やインターネットの記事も、隅から隅まで読む前提にはなっていないですよね。順路はありますが、自由に楽しみながら読み進めてかまわないわけです。


「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」会場風景 (Photo: Satoshi Asakawa)

—これから「デザインの解剖展」に来場される方にメッセージをお願いします。

「デザインの解剖」の視点を持っていると、今まで気づかなかったものが見えてきます。目に見えるものから細かく見て、その奥にも興味を持ち、内側に入っていくとさらに見えてくるものがある、ということです。そして本質までたどり着いた上で、どうすべきかを考える。この方法はOSのようなもので、誰もが自分の中に持って、カスタマイズすることもできます。物事の表層を見るだけでは、対症療法しか思いつきません。また現在のものづくりを支えているのは、20世紀に発達した技術の成果です。その細部に目を凝らしていくと、自然と新しいアイデアが浮かんでくる。21世紀に我々がどうすべきかが見えてくるんです。まさに温故知新ですね。この展覧会でも、そんなデザインの可能性を感じていただけたら嬉しいです。

2016年10月29日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「アートとデザイン」を開催しました。トークには、美術家の大竹伸朗と、グラフィックデザイナーで本展ディレクターの佐藤 卓が登壇しました。

大竹と佐藤は、同じ年に生まれ、幼少時代を同じ街で暮らしました。さらに、のちには二人とも美術大学を目指し、入学しています。トークのはじめに二人は、当時の東京の様子や日本の美術界の状況を、自身の活動を交えながら振り返りました。続いて、大竹は美術家として、佐藤はグラフィックデザイナーとしてそれぞれの視点から、今見ている世界を語ります。幼少時代には近しい思い出を持っている二人ですが、現在の活動や生活、考え方について語り出すと、お互いに驚きや発見も数多く見つかります。

最後には、会場の参加者との間で質疑応答も行われ、私たちの生きる日常は、それを見る視点、解剖する道具によって、さまざまな側面をみせることを実感するトークとなりました。

先日、スタートした「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」は、広く親しまれている明治の5つの製品を、デザインの視点で"解剖"する展覧会です。
展覧会ディレクターを務める佐藤 卓に、彼が今まで取り組んできたデザインの解剖と、今回の展覧会の見どころについて聞きました。

聞き手:土田貴宏

—佐藤さんは、2001年の「デザインの解剖」展を皮切りに、これまでにいくつもの商品を解剖する展覧会を開催してきました。そのきっかけを教えてください。

私は30年以上にわたり、大量生産品のパッケージなどを数多くデザインしています。デザインというと、クルマ、家具、服などのデザインは注目される機会が多いのですが、大量生産品のデザインはあまり取り上げられることがありません。しかしそれらは大量に流通するため、資源をたくさん使い、たくさんのゴミになる。そのパッケージが残念なデザインなら、コンビニやスーパーの売場も美しくなりません。デザイナーとして、こうしたものづくりの裏側を知り、いろいろ経験してきました。
あるとき、大学で学生の前で話をすることがあり、私がつくった誰も見たことのないポスターの話より、ポケットに入っているチューインガムのデザインの話のほうがみんなが興味をもつことに気づきました。
2001年に銀座松屋のデザインギャラリーで展覧会をすることになり、そんな裏側を知ってもらう展示として企画したのが最初の「デザインの解剖」展でした。

「デザインの解剖2: 富士フイルム 写ルンです」2002年5月15日-6月10日、松屋銀座 デザインギャラリー1953 (Photo: Ayumi Okubo)

—「デザインの解剖」は、外側から内側へ、つまり商品名やパッケージから中身、そして原材料へと解剖していきます。当時からそのような手法を採っていたのですか?

最初の展覧会の会場は百貨店の中のギャラリーだったので、来場者の幅が広く、デザインに興味のない人もいました。そういうごく一般の人も興味が持てるように、誰でも目にしたことがあって、自分がデザインしているので詳しく知ってもいる製品のパッケージを最初に見せようと考えました。最初から原材料の難しい話をしても、誰も観てみようとは思いませんよね。このときに初めて「これは解剖だな」と思ったんです。当時は二十数個の項目に分けて解剖しましたが、今回は一製品につき五十項目以上に増えていて、参加作家がテーマに沿って自由に発想した作品もあります。このように「デザインの解剖」プロジェクトは発展しているんです。

「デザインの解剖4: 明治乳業(現: 明治)明治おいしい牛乳」2003年8月13日-9月8日、松屋銀座 デザインギャラリー1953(Photo: Ayumi Okubo)

—「デザインの解剖」は、「デザインの視点で解剖すること」がテーマになっています。その「デザインの視点」とは何でしょうか?

たとえば「明治おいしい牛乳」をデザインしたのは佐藤 卓ということになっています。しかし私はパッケージのグラフィックをデザインしただけで、製品には他にも無数のデザインがあるのです。チューインガムなら、形、色、味、どれくらい味が続くかなど、すべての要素がいろいろな角度から考えられ、研究され、設計されています。これこそデザインなんだと気づいたときは、背中がゾクゾクしましたね。
「デザインの解剖」では、こうしたプロセスにかかわる人はあえて出さず、ものにフォーカスすることをルールにしています。それでも必ず、誰かが意志を持ってデザインをしているのです。彼らはデザイナーと呼ばれず、研究者や開発者として仕事をしていますが、私に言わせればやっていることは明らかにデザインです。このように、すべての行程をデザインとして見てみるということです。

「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」会場風景 (Photo: Satoshi Asakawa)

—ものづくりにかかわる人の存在が浮かび上がることで、副題にあるように「身近なものから世界が見えてくる」気がします。

そして1つ1つのプロセスは、さまざまな素材ともつながっています。パッケージの情報は印刷されているので、印刷会社がかかわっている。印刷に使うインクはインクのメーカーが製造していて、さらにその原材料は別の企業から供給されている。1つの要素を辿っていくだけで、ありとあらゆるつながりが見えてきます。網の目のように張り巡らされた過程の末に製品が存在するということです。私たちは、そのすべてを普段から意識し続けることはできません。でもときには、そんな視点を持った上で物事を見てみてはどうかと思います。

後編につづく

土木の持つ圧倒的な迫力は現代美術に匹敵する、という21_21 DESIGN SIGHTディレクターの佐藤 卓。とくに、環境と土木との関係について興味があると言います。「土木展」の開幕を控えて、彼が一番楽しみにしているポイントを聞きました。
構成・文:青野尚子


「千苅ダム」西山芳一

土木はあたりまえの日常生活を支える、重要な構造であり土台です。橋やトンネルのように目に見える土木もありますが、人里から離れたところにあるダムや、地下で土木構造物を支える大きな基礎など、そのほとんどは目に見えません。これまでデザインの視点からは取り上げられたことがあまりないこの土木という領域を、デザインの切り口から捉えてみようという意図からこの展覧会は企画されました。

私自身はこのテーマが決まる前から土木にはとても興味を持っていました。巨大な造形物としての土木には現代アートをも超える圧倒的な迫力があります。構造、機能、経済効率、環境、どの面から見ても優れていて、しかも審美性を兼ね備えている。その土木が生み出す景色には常に圧倒されます。

土木と環境とのあまり知られていない関係も面白いと思います。たとえば東京湾を横切るアクアラインは海に柱を立てているため、環境に悪影響を及ぼすのでは、と思われがちです。しかし柱をつくるとそこに魚が集まり、魚礁になるという事実もあるそうです。この話を聞いたときから私の中で土木に対する考え方が変わり、すべての工事現場を見る目が変わりました。

この「土木」をデザインの施設で取り上げること自体に意味があると思っています。21_21 DESIGN SIGHTではこれまでも、「水」や「単位」など、通常デザインという認識がないものごとに対してデザインという視点を投げ掛けてきました。21_21 DESIGN SIGHTで土木というと一見、意外な組み合わせと思われるでしょうが、「土木展」もその意味で、21_21 DESIGN SIGHTらしい展覧会だと思います。この展覧会が私たちの日常を支えている「土木」というものに少しでも目を向けてもらうきっかけになれば幸いです。

さとうたく:
1979年東京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了、株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。
「ニッカ・ピュアモルト」の商品開発から始まり、「ロッテ キシリトールガム」や「明治おいしい牛乳」などの商品デザイン、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」のグラフィックデザイン、「金沢21世紀美術館」、「国立科学博物館」、「全国高校野球選手権大会」等のシンボルマークを手掛ける。
また、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」の総合指導、21_21 DESIGN SIGHTディレクターを務めるなど多岐にわたって活動。
著書に、「クジラは潮を吹いていた。」(DNPアートコミュニケーションズ)や「JOMONESE」(美術出版社)、「真穴みかん」写真集(平凡社)など。

2014年6月8日、イネと稲作の歴史の研究の世界的な第一人者である、植物遺伝学者の佐藤洋一郎と山形・鶴岡の地場野菜を駆使したイタリア料理店「アル・ケッチァーノ」のオーナーシェフ 奥田政行を迎え、本展ディレクターの竹村真一と共に、トーク「コメ文化の来し方、行く末」を開催しました。

トーク前半は、佐藤と竹村により稲作の歴史をイネの原種から紐解いていきました。豊富な日光によって育つイネは、もともと日陰者であったことに始まり、環境や気候変動におけるイネの変遷例として、東南アジアの浮き稲や陸稲に触れました。

後半は、奥田と竹村によって食の話へと移りました。「人間は植物のエネルギーを、食を通じて受け取っている」と語る奥田は、食べ手の様子や体調を見、その相手に合った料理を植物の状況を見ながらサーブしているそう。日本のスピリットともいえるコメは、「口内調理」の根幹となるものと考えており、共に出されるおかずを口内で咀嚼することによって、米自体の味も変化する類いまれなものと語りました。

そして、多様な食生活が享受できる現代において、米の品種も合わせて考えることは重要であり、品種を守ることはそれぞれを食べることであり、食べ手の文化を見直すのも尊いのではないかと話を結びました。

2014年5月6日、高木酒造株式会社の髙木顕統と一般財団法人 TAKE ACTION FOUNDATIONの中田英寿を迎え、トーク「知られざる日本酒の世界」を開催しました。ナビゲーターを務めたのは、「コメ展」ディレクターの佐藤 卓。トークは、中田と佐藤が今年2月に山形の高木酒造を訪れた際のエピソードから始まりました。

高木酒造の「十四代」は、日本全国を旅し、各地の工芸や農業の現場を訪ね歩く中田がその美味しさを絶賛するお酒です。
高木は、来年400年目を迎えるという酒蔵でのテマヒマかけた製造工程について、自作のスライドを用いながら丁寧に説明しました。

20年以上の酒づくりの経験を持ち、お酒を「ひとつの作品」と捉える高木は、「伝統的な技はあっても伝統的な味はなく、その時代のニーズに合わせた味を目指している」「データだけでもある程度のものはつくれるが、それを超えるには経験が必要」と日本酒への熱い思いを語りました。

農業の衰退に直結する日本酒の消費量の低下に危機感を覚え、海外にお酒という文化を伝えようと、高木とともに日本酒を開発した中田。トーク終盤には銘酒「十四代」がふるまわれ、あたたかい雰囲気の中、まさに五感で楽しむトークイベントとなりました。

2014年3月8日、「コメ展」ディレクターの佐藤 卓、竹村真一によるオープニングトーク「まったくのいきもの、まったくの精巧な機械」を開催しました。

2007年に二人が恊働して企画した展覧会「water」を始まりとして、様々なリサーチ、意見交換を経て開催に至った「コメ」をテーマにした展覧会。

まず「既知の未知化」という言葉とともに、水からコメへ発展してきたこれまでの経緯が語られました。「water」開催前に、竹村が佐藤に語った「牛丼一杯に2,000リットルの水が使用されている」という事実。普段の生活において、いかに当たり前に捉えられているものが知らないことに満ちているということを、今回はコメをテーマに、デザインを通して表すことを試みたと両者は述べました。
さらに竹村は「日本食が世界遺産となる一方で、一汁三菜の日本の食文化が消えつつある。日本食は無形文化遺産にあたり、これが"人々の中に生きている"ことに基づくことを考えると、やはりもう一度見つめ直す、リ・デザインの必要性があるのでは」と続きました。

また、様々な分野によって社会が成り立つ現代において、竹村は「様々な分野を扇の要として総合値とするものが必要。それをデザインが担えるのではないか」と語りました。

そして展覧会の作品紹介にトークは進行。「コメ展」はコメづくりの現場と繋がっていること、コメの多様性にもう一度目を向けることを重点とし、千葉県成田市「おかげさま農場」にて企画チームが、手作業による苗づくりから収穫に至るまで体験したことや、全国のコメづくりに携わる方々と恊働によって、多くの作品が制作された模様が紹介されました。今回のトークは、コメの再発見にむけ、企画チームの辿った旅路が語られる貴重な機会となりました。

2月28日(金)、いよいよ企画展「コメ展」が開幕します。

コメは、私たちの暮らしにとても身近で、日々の生活に欠かせないものです。日本では、コメを中心とした食文化を深めつつ、稲作の歴史とともに様々な文化が発展してきました。

本展では、私たちの文化の根幹をなすコメのありようを新鮮な目で見つめ直していきます。そして、その未来像を来場者の皆様とともに考えていきます。

佐藤 卓、竹村真一ディレクションによる「コメ展」に、ぜひご来場ください。

撮影:淺川 敏

2014年2月28日より開催の企画展「コメ展」。
展覧会準備のため、2013年4月〜9月千葉県成田市「おかげさま農場」にて、佐藤 卓、竹村真一をはじめとする企画チームが、同農場代表 高柳 功氏の指導のもと、手作業による苗づくりから収穫に至るまでのプロセスを体験しました。展覧会に先がけ、その模様を本連載でお伝えします。

2013年7月下旬 おかげさま農場風景
2013年9月上旬 おかげさま農場風景(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 高柳氏によるレクチャー/収穫準備(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 おかげさま農場風景(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 高柳氏によるレクチャー/収穫準備(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 収穫/佐藤 卓(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 収穫/佐藤 卓(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 収穫/竹村真一(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 収穫/奥村文絵(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 収穫/西部裕介(撮影:安川啓太)
2013年9月上旬 収穫/乾燥(撮影:安川啓太)
2013年9月下旬 乾燥(撮影:安川啓太)

>>Vol.1 苗づくり、田植え準備
>>Vol.2 筋引き、田植え

2014年2月28日より開催の企画展「コメ展」。
展覧会準備のため、2013年4月〜9月千葉県成田市「おかげさま農場」にて、佐藤 卓、竹村真一をはじめとする企画チームが、同農場代表 高柳 功氏の指導のもと、手作業による苗づくりから収穫に至るまでのプロセスを体験しました。展覧会に先がけ、その模様を本連載でお伝えします。

2013年5月中旬 筋引き/高柳 功
2013年5月中旬 筋引き/佐藤 卓
2013年5月中旬 筋引き/宮崎光弘
2013年5月中旬 筋引き/奥村文絵
2013年5月中旬 田植え
2013年5月中旬 田植え
2013年5月中旬 田植え/左より、奥村文絵、佐藤 卓、宮崎光弘
2013年5月中旬 田植え/左より、佐藤 卓、宮崎光弘

撮影:安川啓太

>>Vol.1 苗づくり、田植え準備
>>Vol.3 収穫

2014年2月28日より開催の企画展「コメ展」。
展覧会準備のため、2013年4月〜9月千葉県成田市「おかげさま農場」にて、佐藤 卓、竹村真一をはじめとする企画チームが、同農場代表 高柳 功氏の指導のもと、手作業による苗づくりから収穫に至るまでのプロセスを体験しました。展覧会に先がけ、その模様を本連載でお伝えします。

2013年4月中旬 高柳氏によるレクチャー/苗づくり
左より、佐藤 卓、宮崎光弘、竹村真一 右より、奥村文絵、高柳 功
2013年4月中旬 苗づくり/宮崎光弘
2013年5月上旬 田植え準備(撮影:安川啓太)
2013年5月上旬 田植え準備(撮影:安川啓太)/奥村文絵

>>Vol.2 筋引き、田植え
>>Vol.3 収穫

2013年11月3日、「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」オープニングトーク「Why not? デザインミュージアム」を開催しました。本展企画の森山明子、佐藤 卓、深澤直人が、川上典李子をモデレーターに自由形の対談を行いました。

そもそも「デザインミュージアム」とは何だろうという話から始まり、佐藤は「デザインは日常のあらゆるものごとに隠れているのにも関わらず、誤解をされている。デザインを意識させる仕組みとして、場が必要ではないか。デザインミュージアムはその場として機能する」と発言。深澤は「デザインはあらゆるものごとがフィールドになるので、それを投げ込める器としてデザインミュージアムが有るといい。それには今現在との関わりのある柔軟性が必要」と続きました。

また、これからのデザインミュージアム像について、森山は「核になる場所を設けて、各々のネットワークによるユニゾンをつくる」と案を挙げ、「近代デザインだけが日本のデザインだと考えると、歴史は浅くなる。デザインの文脈でこの国の歴史を振り返ると、日本には豊かな歴史が限りなくある」とデザインミュージアムが担う大きな役割を述べました。

本展にまつわる活動は一回で終わる訳でなく今後も継続して行ない、アクションを起こさない限り動きは生まれないと、まさにオープニングに相応しいエポックとなりました。

企画展「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」は、来場者の皆様をデザインミュージアムの"入口"へと誘う展覧会です。
ウェブサイト上の本連載では、会場を離れ、各界で活躍する方々が未来のデザインミュージアムにぜひアーカイブしたいと考える"個人的な"一品をコメントとともに紹介します。
展覧会と連載を通じて、デザインの広がりと奥行きを感じてください。

Photo: Yusuke Nishibe

>>「私の一品」一覧リストを見る

10月25日(金)より、いよいよ「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」が開幕します。

生活のすべてに関わるデザインは、暮らしに喜びをもたらすだけでなく、産業の発展にもつながり、豊かさを生みだします。デザインミュージアムは、優れたデザイン文化を次世代に継承するためのアーカイブとなると同時に、私たちの今後の生活を考えるうえで必要とされる場所になるでしょう。

本展では21世紀のデザインミュージアムに求められる役割について、〈過去/現在/未来〉という時間への眼差しに基づく新たな視点から、当館で開催した展覧会を例に考えていきます。生活、文化、社会と深く関わってきたデザインの今後の可能性について、多くの方々と考える機会となる企画展です。

撮影:吉村昌也

NHK Eテレの番組「デザインあ」及び、2013年2月8日 - 6月2日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「デザインあ展」が、第7回キッズデザイン賞 経済産業大臣賞を受賞しました。

>>キッズデザイン賞について詳細はこちら

撮影:吉村昌也

2013年2月8日 - 6月2日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「デザインあ展」が、ADCグランプリを受賞しました。
現在、受賞作品、優秀作品が一堂に展示される2013 ADC展にて、「デザインあ展」のポスター、会場写真などが展示されています。ぜひご覧ください。

2013 ADC展
2013年7月4日(木)- 29日(月) 11:00 - 19:00 日曜・祝日休館 入場無料

ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)[会員作品]
104-0061 中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル(土曜は18:00まで)
※「デザインあ展」に関する展示はこちらの会場になります

クリエイションギャラリー G8[一般作品]
104-8001 中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル1F

2013 ADC展についての詳細は下記をご覧ください
>>ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)ウェブサイト

「デザインあ展」会場写真/Photo: 吉村昌也

2013年5月19日、「デザインあ展」関連プログラム「デザインの人1『働き方を考える』」を開催しました。

展覧会ディレクター 佐藤 卓をナビゲーターに、働き方研究家の西村佳哲、コミュニティデザイナーの山崎 亮をゲストに迎え、熱いトークを繰り広げました。

インテリアデザインが自らの出自であったという西村は、オフィスのあり方を考えるリサーチから、働き方の研究を開始したと言います。働くことにおいて、「成果は目的でなく結果にすぎない。結果でなく、そのための状況や環境をつくる」ことこそが大事であると述べ、いくつかの事例を紹介しました。

そして、「コミュニティエンパワーメント」、すなわち地域社会をデザイン的な思考によって、その地域に本来備わっている力を引きだすことが自らの仕事であるという山崎。彼は地域住民の主体性を促し、過程において自然と出来上がるコミュニティ(動き)こそが最も大切であると述べました。

続いて、議題は西村と山崎が共に仕事において、常に「聞き手」であることに移りました。西村は、「発信能力よりも受信能力の高い人の多い方が社会にとっては良い」と言います。これは、山崎が地域社会で交錯した人々の想いを、外の立場からニュートラルに聞き取り、人々の行動に結びつける過程に現れています。

そして、話は「これからの働き方」へと移りました。山崎の会社スタッフは各々が個人事業主であり、予算配分の残額が個人収入となるため、各々でスキルを上げてゆくとのこと。また西村は、自社を立ち上げる際、クライアントありきでなくメーカーとしてプロダクトもつくることにしたそう。そして、佐藤は自らが21_21 DESIGN SIGHTのディレクターであることを例に、グラフィックデザイナーというカテゴリーに留まらず活動していることを述べました。

トークの終わりに、佐藤は「新しいことは何でもやってみるのが良い」と話を締めました。

2月8日より、「デザインあ展」を開催します。

ごく自然に私たちの日常に溶け込み、人の営みと切り離すことのできないデザイン。それだけに「デザインマインド」をどう育むかは、今後さらに重要な課題となることでしょう。NHK E テレの番組「デザインあ」が展覧会に発展します。デザインマインドをテーマに構成された会場で、子どもも大人も、身体感覚でデザインを感じてください。

撮影:吉村昌也

21_21 DESIGN SIGHTでは、2011年から2012年にかけて、東北地方の人々の精神とものづくりの持つ大きな力を改めて見つめ直すことを目的とした、二つの展覧会を開催しました。
本書では、「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」(2011年7月26日~31日)、「テマヒマ展〈東北の食と住〉」(2012年4月27日~8月26日 )の二つの展覧会に出展された64アイテムを、「衣・食・住」のカテゴリー別に完全収録しました。
雪の季節が長く厳しい環境のなか、自然と共存する暮らしを大切にしながら、東北の人々が知恵と工夫を凝らして生み出してきた美しく力強い品々をぜひご覧ください。

『東北のテマヒマ 【衣・食・住】』
著者:21_21 DESIGN SIGHT
監修:佐藤 卓
発行:株式会社マガジンハウス
定価:2,310円(税込) 21_21 DESIGN SIGHTと全国大型書店にて12月13日発売

『東北のテマヒマ 【衣・食・住】』

皇后陛下は8月8日(水)午前、21_21 DESIGN SIGHTに行啓になり、21_21 DESIGN SIGHTディレクターの三宅一生、佐藤 卓の案内で、開催中の「テマヒマ展〈東北の食と住〉」を鑑賞されました。
「会津木綿」のショートフィルムや「麩」、「寒干し大根」などをご覧になる中で、展示品の産地や制作過程について熱心にご質問され、東北に息づく「食と住」の文化に大変ご興味をお持ちのご様子でした。

撮影:吉村昌也

2012年7月21日、哲学者の内山 節と、本展ディレクターでグラフィックデザイナーの佐藤 卓によるトーク「労働というワクチン」が行なわれました。

現在開催中の「テマヒマ展 〈東北の食と住〉」に関連して、先日行なわれたオープニングトークの様子と、佐藤 卓と深澤直人による対談がコロカルに掲載されました。
http://colocal.jp/topics/art-design-architecture/local-art-report/20120621_8003.html

コロカル

2012年4月28日、本展 学術協力の岸本誠司を迎え、ディレクターの佐藤 卓、深澤直人、企画協力の奥村文絵、川上典李子とともに、オープニングトークが行なわれました。

今回のトークは「東北の『時間』」と題して、はじめに岸本より民俗学的な立場から東北の生活と文化について紹介。日頃のフィールドワークで全国各地を訪れている岸本が、実際に見聞きした東北の海や川、仕事や住まい、特徴的な食べ物などを画像スライドとともに解説しました。「テマヒマ展では、東北の等身大の日常を見てもらえると思う」と岸本。

オープニングトーク「東北の『時間』」

トーク後半は佐藤や深澤、奥村、川上を交え座談会がスタート。現地を見ないことにはつくれなかったという本展。当初「東北をあまりにも知らない、入り口に立っている気分だった。デザインは本来何ができるのか、合理主義の今何を大切にしなければいけないのかを考えた」という佐藤。震災をきっかけに企画された本展だが、深澤は「人に売るためにつくり始めたのではなく、彼らが生きるためにつくり始めたものたちにフォーカスした。直接的な行動ではないけれども、21_21の視点でできることから始めた」と語ります。佐藤、深澤を筆頭とした企画チームの中で、当初、展覧会の方向性を悩んだことや、リサーチのなかで出会った風景など、様々な話題が飛び交いました。

合理性ばかりが追求される現代、東北にはまだ残る「繰り返し」の文化をテーマに据えることで、展覧会の見せ方の方向性が決まったといいます。会場には映像や写真とともに繰り返しつくられてきた保存食や、日用品の数々が並び、展覧会のポスターデザインなどのグラフィックをはじめ、会場構成などにも「繰り返し」が生きています。

「東北の"テマヒマ"にデザインや生活の根っこともいうべき面があることを感じ、引き続き、それを探っていきたい。まずは展覧会の形で提案をして、多くの方と意見が交換できれば」と川上は今後の展開を示唆。奥村は「食文化を、日々の道具とともにどのように継承していけるかという課題を、わくわくした気持ちとともに会場から持ち帰ってほしい」と締めくくりました。 質疑応答の時間も積極的に手が挙がり、最後まで熱のある充実した時間となりました。

オープニングトーク「東北の『時間』」



南会津から駅に向かう途中、「大内宿」にも立ち寄った。茅葺き屋根が残るというこの宿場町、今は大部分が雪に覆われている。


宿場の道沿いには雪だるまやかまくらなど、雪祭りの名残があった。かまくら初体験だという佐藤、「中もかわいい!楽しくなりますね」と楽しんだ。


静かな町並みを歩き、今日の出会いや発見を反芻する佐藤。帰り道、「展覧会でも、今日教えていただいた皆さんの背景や思いを伝えられるようにしないと」と気持ちを新たにした。



Photo: Masako Nagano



Vol.1 受け継がれていく職人たちの技術
Vol.2 若い世代がつくる農業
Vol.3 大内宿での初体験



東北を訪れるのは数年ぶりだという佐藤。360度を山々に囲まれた南会津には今回初めて訪れた。


軒先を覆うように大根が干されている。一度地元を離れたが、「農業を中心に若い雇用をつくりたい、実行できるパワーがあるうちに」と地元へ戻ってきた湯田浩和さん。今年の寒干し大根は2000本の仕込みをしたと教えてくれた。


何でも量産してどんどん販売するわけではないという姿勢に佐藤は「これが無理をしない、だろうか」とつぶやく。「万が一のときのために、さまざまな工夫をするんだろうな」。


築120年だという母屋には、立派な神棚があった。先代から伝わっているものがそのまま残される屋内に「代々の古き良きものが残っているというのは、素敵なことだね」と語る佐藤。


農業を継ぐと言っても、先代の作業をそのまま引き継ぐわけではない。アスパラ農家だった先々代から今は花の栽培がメイン。「ずっと同じままでいるのではなく、試行錯誤で変えたり、加えたりして、続けているんですね」と佐藤は驚いた。


「地元に戻ってくる若者を見ると嬉しくなる」と佐藤。湯田さんからは「地元に雇用が生まれれば、若い人が定住できます。定住することによって、技術や文化を伝える世代と伝えられる世代が繋がり、地域も元気になると思うんです」と語ってくれた。

湯田さん、ありがとうございました!



Photo: Masako Nagano



Vol.1 受け継がれていく職人たちの技術
Vol.2 若い世代がつくる農業

>>フォトドキュメント 「深澤直人、東北へ」

Photo: Yusuke Nishibe
Photo: Yusuke Nishibe

2012年2月、佐藤が訪れたのは宮城県仙台市・石橋屋。明治18年より駄菓子をつくっている店舗。

以下すべてPhoto: Masako Nagano

赤ザラ砂糖のみでつくられている、かるめら焼き。「単純なほど難しい」と語る職人の絶妙な手さばきをのぞき込む佐藤「自然の力を引き出しながらつくるんですね」。


作業台の幅ぴったりに、飴が出来上がっていく様子を見た佐藤。「道具にも適切な長さがあり、全ての工程に無駄がない」。



職人の無駄のない動きを、一心に見つめる。



道具にも興味津々。職人たちは自ら道具を工夫し、ときにはつくることもあるそう。日々使用する道具は何十年という単位で使い込まれていく。



作業中の高熱で、火傷をすることもあったと職人。今は火傷することもなくなったと聞いた佐藤は「つくるものに合わせて手もだんだん道具の一部になっていくんですね」と納得。



「普段は見ることのない製造工程を見せていただくことで、食べる瞬間の気持ちが変わったと思う」と語る佐藤。出来たての飴「干切(ほしきり)」をいただいた。


「すごくミニマルな空間だ、機械があっても使わないなんて」と、工房内を見渡す佐藤。職人たちは長年手に馴染んだ道具と自らの身体を使って、駄菓子をつくり続けていた。



工房に隣接した店舗にも伺い、店主・大林佐吉さんに話を聞いた。「先代から続くこの駄菓子を忘れられてはならないので、広めておかないと」と笑う。


藍色の長い暖簾はお客様に腰を折って入っていただくという、「伊達商売」の証だそうだ。
大林さん、工房の皆さんありがとうございました!



Vol.1 受け継がれていく職人たちの技術
Vol.2 若い世代がつくる農業

>>フォトドキュメント 「深澤直人、東北へ」

2011年10月23日に行われた、グラフィックデザイナーの佐藤 卓と美術史家の伊藤俊治によるトーク「衣服、写真、デザインの関係」の動画をご覧頂けます。


9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


物事の本質に真正面から切り込む写真


──アーヴィング・ペンさんの写真とはどのように接してこられたか教えてください。

アーヴィング・ペンの写真については、「田中一光と三宅一生の仕事」、マイルス・デイヴィスのポートレート、Flowers、ファッション写真と要所要所で見ており、非常に印象深い記憶として残っていたんですが、一つひとつがバラバラで自分にとっては「点」でしかありませんでした。そのいくつもの点が初めてつながったのは、21_21 DESIGN SIGHTを立ち上げる際に、どのような展覧会をやっていくべきか、どんなテーマで展覧会ができるかについて検討中、一生さんからいろいろな資料を見せていただきながら話し合っていた時のことです。数年前のことなんです。

非常に印象的だったのは、女性の口元にチョコレートがまみれている写真と、パンと塩と水の写真です。一生さんにそれらの写真を見せてもらった時、ペンさんのあらゆる物事にグッと切り込んでいく、その切り込み方の絶妙さに衝撃を受けました。

チョコレートの写真は、女性の口元を至近距離で撮影しているんですが、その写真を見ただけで本質的なことがすべて見えてくるんです。パンと塩と水の写真もそう。決して斜からではなく、真正面から対象と向かい合い、本質に切り込んでいく。そして、見る者にいろんなテーマを投げ掛けてくるんです。

僕はその時ちょうど水にすごく興味があった時で、水という、非常に抽象的な、でも我々の生活に欠かせないものをひとつ取り上げて展覧会を作ることができるんだということを確信しました。ペンさんの写真を見ると、僕たちの日常に転がっているものは、何だって本質を掘り下げていけば展覧会のテーマになり得るんだと思える。1枚の写真から、そういうものの感じ方ができたのは、非常に刺激的な体験でしたね。


──佐藤さんは、今回の展覧会でグラフィックデザインを担当されていますが、仕事としてアーヴィング・ペンさんの写真と接してこられた感想をお聞かせください。

偉大なペンさんの写真を、まさか自分がレイアウトすることになるとは思いませんでした。今回の展覧会ディレクターである北村みどりさんからデザインを依頼された時は、やはり、ペンの写真に文字を載せられるは田中一光さんだけだと思いましたし、そんな大役が自分に務まるのか、という思いがありました。

メインのビジュアルになっている、花と三宅さんの服の二つの写真を1枚の絵の中で見せるというのは、北村さんの発想によるもので、ずっとペンと一生さんの間で一緒に仕事をされてきた北村さんだからこそできる大胆なフォトディレクションだと思います。通常、アーヴィング・ペンほどの写真家の作品を使う場合は、ノートリミングでそのまま作品として掲載しますよね。ペンの写真を素材にして加工を加えるなんて、あり得ないことです。ですが、花と服の写真を1枚の絵として見せる時には、どうしても加工を加えなければならない。1枚の作品として完成されたペンの写真に手を入れるのは非常に緊張する作業でした。でも、そういった特別な機会をいただき、ペンの写真と真正面から向き合ったことで、これまでにないビジュアルが提示できたと思います。


──最後に、佐藤さんの最近のお仕事を教えてください。

4月からNHKの教育テレビで『デザインあ』という番組が始まり、中村勇吾さんと一緒にその番組に携わっています。子どもに対してデザインとは何かを語りかける番組なのですが、作っている自分たちも、常にデザインの本質について考えさせられています。

(聞き手:上條桂子)

2011年10月23日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに佐藤 卓が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「衣服、写真、デザインの関係」の動画を見る



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佐藤 卓 Taku Satoh

グラフィックデザイナー
1979年東京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了、株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。
「ロッテ キシリトールガム」「明治おいしい牛乳」などのパッケージデザイン、「ISSEY MIYAKE PLEATS PLEASE」のグラフィックデザイン、武蔵野美術大学 美術館・図書館のロゴ、サイン及びファニチャーデザインを手掛ける。また、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」の企画メンバー及びアートディレクター・「デザインあ」総合指揮、21_21 DESIGN SIGHTのディレクターも務めるなど多岐にわたって活動。

「デザインあ」

「アーヴィング・ペンと私」一覧リストを見る

「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展(会期:2011年9月16日〜2012年4月8日)にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。

vol.1
佐藤 卓(グラフィックデザイナー)
物事の本質に真正面から切り込む写真
vol.2
中野裕之(映画監督、映像作家)
明朝体のような繊細で力強い表現
vol.3
石川直樹(写真家)
衝撃を受けて西アフリカまで訪ねていった、ダオメの写真
vol.4
ヴィンセント・ホアン(写真家)
ペンの「静」な生き方に学ぶ
vol.5
平野啓一郎(小説家)
人や職業の典型をとらえる収集家のような写真
vol.6
操上和美(写真家)
「生」の瞬間が伝わってくる写真
vol.7
日比野克彦(アーティスト)
平櫛田中とアーヴィング・ペンと三宅一生の共通点
vol.8
深澤直人(プロダクトデザイナー)
ISSEY MIYAKEのイメージを具体化しているのは、実はアーヴィング・ペンなのかもしれない
vol.9
広川泰士(写真家)
オリジナルプリントから圧倒的な強さが漂う
vol.10
ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
セローニアス・マンクの音楽のような、決して真似のできない写真と服
vol.11
高木由利子(写真家)
自分と真逆だから惹かれる、ペンの写真
vol.12
浅葉克己(アートディレクター)
人間にとって一番大切なもの「観察力」が見事な人
vol.13
加納典明(写真家)
静物写真の中に宿っているペンの写真的技術と精神的眼力
vol.14
ジャン・リュック・モンテロッソ(ヨーロッパ写真美術館館長)
礼儀正しさと優雅さを持ち合わせた、写真界の紳士
vol.15
吉岡徳仁(デザイナー)
揺るぎない「強さ」がある 圧倒的な力を持った、ペンさんの写真
vol.16
ジャスパー・モリソン(デザイナー)
加工が盛んな現代だからこそ際立つ、銀塩写真の力
vol.17
深谷哲夫(株式会社 解体新社 代表)
ニューヨークの空気を深く吸い、独自の黄金律で再構築した人
vol.18
坂田栄一郎(写真家)
60年代のNYで体験したペンとアヴェドンとの交流
vol.19
細谷 巖(アートディレクター)
寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった
vol.20
マイケル・トンプソン(フォトグラファー)
ペンさんから教わったのは、シンプルの追求
vol.21
小林康夫(東京大学大学院総合文化研究科 教授)
衣服と写真と文字 動くボディについて考える
vol.22
柏木 博(デザイン評論家)
穏やかで静かな、ペンの視点
vol.23
鈴木理策(写真家)
すべての作品に共通する職人的な技術と品の良さ
vol.24
藤塚光政(写真家)
シュルレアリスムを感じさせる、ペンの写真
vol.25
佐藤和子(ジャーナリスト)
現実と虚構を行き来する、夢あるクリエイション
vol.26
八木 保(アートディレクター)
決して作為的ではない、ストレートな表現
vol.27
シャロン・サダコ・タケダ(ロサンゼルス・カウンティ美術館シニアキュレーター、コスチューム・テキスタイル部門長)
常に新しい表現に挑戦する、素晴らしい才能を持つ二人
vol.28
マイケル・クロフォード(カートゥーニスト)
シンプルでパワフルなアートの力を実現した、二人の希有なコラボレーション
vol.29
ブリット・サルヴェセン(ロサンゼルス・カウンティ美術館キュレーター、ウォーリス・アネンバーグ写真・プリント・ドローイング部門長)
二人の才能のダイアローグをヴィジュアライズしてくれた展覧会
vol.30
北村みどり(株式会社三宅デザイン事務所 代表取締役社長)
類のない創造を生み続けるアーヴィング・ペンさんとの13年間

サマースクール「デザインのコツ」:国語 「デザインと言語」



サマースクール初日、2時限目は「国語」。講師はグラフィックデザイナーの佐藤卓。
「自分がデザイナーになろうと思ったきっかけは単純で、学科ができないから美術の道へ進んだ。なのに何故"国語"が回ってきたのか」という冒頭の佐藤のコメントに、会場は笑いに包まれました。
今回の「骨」展のビジュアルをはじめ、実際に佐藤がデザインした「明治 おいしい牛乳」、「ロッテ キシリトールガム」「大正製薬 ゼナ」などの商品パッケージを例に、デザインにおける言葉という「骨」の重要性を語りました。
例えば「キシリトールガム」では「デンタル」など、あるキーワードを「骨」としてデザインを進めていくという言語化の過程、その曖昧さゆえ感性に委ねられる言葉は使わないなど、デザインと言語の密接な関係について明快に説明する佐藤。

また、日本語は擬音語や擬態語などの表現が豊かであるという視点から、自身が企画・アートディレクションを手がける番組「にほんごであそぼ」も取り上げられました。日本語の古くからの語彙の素晴らしさや、ひらがなの形の不思議さを今のこども達に伝えたいというコンセプトのアニメーションからは改めて言葉による表現の広がりを感じさせられました。



4月3日、21_21 DESIGN SIGHTの2周年を記念して、ディレクターズの佐藤卓と深澤直人によるスペシャルトーク「こんな時だからこそデザイン」が行われました。

世界中の企業を相手に仕事をする深澤からは、経済も情報も「太り過ぎた」現代、逆に「何が本来の価値なのか考えやすくなったのでは」との意見。グラフィックの世界でもひしひしとデザインと真撃に向き合う時代を感じているという佐藤は、「コミュニケーション、言葉にすることが大切」と語りました。
そんな中、深澤は「正しいデザイン」という考え方を提案。センスや個性がつくる「良いデザイン」から、社会的で責任感のある「正しいデザイン」へ。その考え方に深く共鳴した佐藤も、「デザインとは、気を使うこと」との持論を展開しました。
トーク後には会場とのやりとりも活発に行われ、来場者とともに現代におけるデザインの役割について考えるひとときとなりました。

20日、国立新美術館講堂において21_21 DESIGN SIGHTのオープン1周年を記念した『デザイン・トーク』が開催されました。三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3ディレクターによるトークの前には、スペシャル企画として、イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問の新見 隆にイサム・ノグチの人と作品についても簡単なレクチャーをしていただきました。

新見隆


約20分という短い時間ながら、イサム・ノグチが広い意味で20世紀のモダニズムを越えようとした芸術家であり、西洋近代彫刻の代表ともいうべきブランクーシに師事しながらも、みずからは東洋的な思想を彫刻表現に取り入れた新たな造形を生み出したことなど、スライドを交えた解説はとても興味深いものでした。

続いて行われたデザイン・トークはアソシエイトディレクター川上典李子を司会に、開館までの経緯やこの1年の活動について、ディレクターたちがそれぞれコメントを発表。これからの21_21 DESIGN SIGHTはどうなっていくべきかなど刺激的な意見も飛び出しました。

川上典李子、佐藤 卓
三宅一生、深澤直人


トークの後は次回展『祈りの痕跡。』展のディレクターであるアートディレクターの浅葉克已が登場、展覧会の内容について紹介しました。手旗信号などを交えたパフォーマンスで会場は大いに盛り上がりました。

なお、この「デザイン・トーク」の模様を記録した映像を1時間に再編集し、上映会を開催することが決定しました。来場いただけなかった方、ぜひこの機会をお見逃しなく! 
(詳細は関連イベント情報をご覧ください)

イサム・ノグチ・スペシャル 一覧リスト へ

講演会の後半では、いくつかのキーワードを軸にディレクターたちがそれぞれの考えを述べました。21_21 DESIGN SIGHTの今後について、活発な意見交換が行われ、盛況のうちにトークを終了しました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの現在と今後について「考える、つくる」という観点から進めていきたいと思います。ディレクターとして、この1年はどんなことを考え、感じられたのかについて、順に話していただけますか。深澤さんからお願いします。
深澤
我々ディレクターの会話や、あるいは展覧会を見た感想を寄せてくださったなかでしばしば登場したのは、「我々がやっているのは、デザインなのか、アートなのか」ということでした。この問いに、明確な答えを出すというより、私たちがおぼろげながら感じている共通点があると思います。
近年の問題として、人間の身体と心が乖離してしまったことがあると思うんです。身体が自発的に環境に調和しようと働いて、人間は自然体になった時に喜びを感じる。生きているという実感を得る。でも、実際はそれがなかなかできないことが、悲哀やドラマや、自己を知るきっかけになって、デザインやアートの根源になるんじゃないかと思うのです。つまり私たちの脳、心は、いまの環境をコントロールできない悲哀みたいなものを、なんとなく感じてるんですよね。だから21_21DESIGN SIGHTという場も、結果的にその問題に収束していく。だれもが調和を取り戻していきたいという願望があると感じています。

最近思ったのですが、人間の無意識の選択というのは、すべて生きることにつながっている。人間の心理だけが、秩序を失い混乱させてしまう。自然に復帰する、人間らしさを取り戻していくという大きな流れのなかで、クリエイティブな活動をしていく場所ーーそれが21_21 DESIGN SIGHTであると定義づけています。

さきほどの水展のお話にもありましたが、卓さんがおっしゃったように、我々はやっぱりほとんど知らないんですよね。自分自身のことも、人間であることも。それに気づくようなことを誰かがやらないと。その感動こそ、僕らが目指すところなのかなと思います。
佐藤卓


川上
佐藤さんの「考える、つくる」で、今後、大切になっていくことについて、どのように考えていらっしゃいますか。
佐藤
いまデザインはどのメディアでも取り上げられています。でも、見ていますと「もの」のデザインが取り上げられて語られることが多いようです。視覚的におもしろいものっていうのは、取りあげやすいですから。でも実は、「もの」のデザインの奥には「こと」がある。そして我々は「もの」を通して「こと」をつくることをやっているんだと思っています。一生さんも「ことのデザイン」とおっしゃっていますが、たとえばそれは「もの」と人の関係のあいだで、なにが起きているかを考えることですよね。そうすると、深澤さんが言われたように、人の側でなにを受け取っているのかっていうことを、よく観察し見ていかないと、ものの周辺で起きていることの本質は見えてこない。
人とものの関係、デザインと人の関係はどうなっているのかを、検証したり探っていくことって、意外といままでされてこなかったんじゃないかという気します。たとえば、人が目で見たときに、頭のなかで記憶や体験と照らし合わせたりしながら、一体なにが起きているのだろうと。そういうことを考えていくと、デザインの問題としてどんなことにもテーマを設定できるんです。僕の場合はやはり、グラフィックデザインやコミュニケーションデザインをやってきて得たデザインの技術を、そこで活かせないだろうかと考えるわけですね。
川上
たしかに、ものの周辺に目を向ける活動は、多くの方がデザインに興味をもっている今という時代にこそ、まさに必要なことなのだと思います。三宅さんのお考えはいかがですか。
三宅
いくつかのおもしろい現象はあると思いますけど、今という時代は、売るためのデザインや広告を競いあっているような部分もあるのではないかとも感じます。フランス語でデランジュというのは人を惑わすということですが、僕が2000年に自分のデザイン活動を変えたのも、デザイナーがデランジャー、惑わす存在なのかと、とても疑問を感じ始めたからなんです。
もっとみんなの普通の生活に目を向けなきゃいけない、ないしは新しい方法論を考えなきゃいけないんじゃないかと思ったわけです。そのころに藤原大と一緒にA-POCを始めた関係もありまして、新しいチームで仕事をした。そして僕が思ったのは、どんどん自由にしていかないと前に行けないよ、ということでした。
ディレクター4人


三宅
この21_21 DESIGN SIGHTも、プロレスじゃないけれど、リングにしても良いのでは、と思っています。今日いらしてる方たちにも、この場所をだれもが参加できるリングのように考えていただいて、こんなことをやってみたいとか、こんなものが欲しいということを自由に言ってもらえたら、より活気のある楽しい場所になるんじゃないかなと思っているのです。今回のトークが、国立新美術館が我々に場所を提供してくださって実現したのも、相互関係やコミュニケーションがとても重要になってきたひとつの象徴だろうと思うんですけれども、今後我々も逆のかたちでやりたいなと思っています。
佐藤
ちょっといいでしょうか。僭越なのですが、僕は三宅一生さんの直感力に、衝撃を受けているんです。直感力って身体性なわけで、まさにその、リングで闘い合うっていうのはそういうことだと思うんですが、いまの世の中っていうのはどちらかっていうと理詰めで説得していかなきゃいけないと。それをなんとかしたらどうっていうのが、「XXIc.-21世紀人展」なんじゃないかって思ったりしてね。どうでしょう、深澤さん。
深澤
そうですよね。「XXIc.-21世紀人」は、直感のかたまりみたいなものかもしれない。一生さんの仕事の仕方は、僕のやり方と全然違うので、僕も圧倒的に驚く部分が大きいです。
川上
おふたりはそうおっしゃっていますが、三宅さん、いかがでしょう。
三宅
嬉しいですけれど、照れくさくもあります。それよりも、21_21 DESIGN SIGHTにいらしてくださる外国の方とお話していて痛感するのは、日本の文化の伝統を理解したうえで、もっと積極的に日本のものづくりを考え直していくことなんです。そして、その記録を、アーカイヴをつくっていくこと、同時にキュレーターなど、人材を育てていくことに着手しなければいけないですね。それは我々だけの力でできることではなく、やはり日本という国のレベルで、国が許容力をもってこの動きに参加していただきたいと思っています。
川上
そうですね。21_21 DESIGN SIGHTというひとつの場が生まれたことをきっかけに、様々な立場の方々と意見交換をしてきたいですね。今日は21_21 DESIGN SIGHTをリングにしてもいい、という話も出ましたが、デザインについて、表現するという行為について、つくるという意味そのものについて、枠を超えて多くの方々とさらに意見を交わしていく機会を、今後も引き続きつくっていきたいと思います。今日はありがとうございました。


2008年6月20日国立新美術館・講堂にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十嵐一晴


vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

アソシエイト・ディレクター、川上典李子の進行で、3人のディレクターがこの1年間の活動について語りました。各人がディレクションを担当した企画展についてふり返る言葉から、21_21 DESIGN SIGHT独自の展覧会のつくりかたが浮かび上がってきました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの第1回企画展は、深澤直人ディレクション「チョコレート」でした。
深澤
最初の企画展だったので緊張はしましたが、あれほど楽しい時間が過ごせたことはなかったと今は思います。
実は施設の立ち上げのミーティングの際、一生さんに「ミュージアムという言葉を使わない」と最初に言われてしまって驚いたのです。根本的な言葉や概念を使うことができないから、ではこの施設をどう表現するのか、非常に難しかった。 僕自身としては、美術館のように「良いもの」を見せる場ではないので、すべて「良いもの」が並ばないかもしれないが、何かをやった結果として必ず面白いものが立ち上がる場、と考えました。

企画展のテーマを決めるときにも、一生さんが「チョコレートはどうですか」とおっしゃった。最初はうーんと唸ってしまいましたが、実際にチョコレートをデザインすることと、チョコレートから発想はするが、まったく関係ないものを考えるという、ふたつの方向で「チョコレート」展をディレクションしました。 チョコレートそのものはかたちをもっていない、可塑的なものだということがとても面白かったですね。そこで、かたちづくりに新しい意味を加える、その際に必ずチョコレートというフィルターを通すということをやりました。結果的に、最初にお話しした、やってみて良いものを知ることに繋がったと思っています。
佐藤卓


川上
深澤さんが全身チョコレートづけになるようにして、企画を進めてくださったように、第2回企画展「water」で佐藤さんは水の世界にどっぷり浸ってくださいました。
佐藤
展覧会のテーマを考えるミーティングの席で、三宅一生さんがアーヴィング・ペンさんの写真を資料としていくつか出されて、そのなかに「パンと塩と水」を写したすばらしい写真がありました。ペンさんの写真が、ひとつのトリガー、きっかけにもなったと思います。コップに入った水の写真を見ながら、「水っていうのはもしかしたらテーマになるかもしれないな」と話をしたわけです。
ごく日常のなかの「えっ、それってなにができるんだろうか」というところへ、デザインという言葉を投げかけてみる。で、そこでなにができるのかを、初めて考えていく。そうすると、水は我々の身体のなかにも存在するし、いまこの空気中にも水の分子は飛んでいるわけです。水がすべてをつないでいる。水と関係ないものは、実は世の中になにもない。それなのに、いろいろ調べていくと、水のことを我々はわかっていない。これは何かができるかもしれないと思ったわけです。

でも最初は、どんな展覧会になるのか、まったく想像できませんでした。とてもじゃないけれど水について、私ひとりでは手に負えないと思って、環境に対してさまざまな角度でアンテナを張っている竹村真一さんに連絡するところから始まりました。他にも水の専門家などいろんな方々に協力いただきながら、展覧会の準備を進めたのですが、実は、どんな展示にするか、まったく思い浮かばないわけです。生まれて初めての経験でした。いままでの経験値が役に立たないんです。というのは、水をテーマにすると、調べれば調べるほど、次から次に知らないことが発生してくるからです。どんどん広がるばかりなんです。

ですから今回の展示は、本当に無理矢理、情報を束ねてそれを体験する場をつくったという感じではあります。目の前の当たり前のことを、僕らはほとんど知らないですよねっていう、投げかけです。
三宅一生


川上
佐藤さんがおっしゃったように、「知っていたようで、知らなかったこと」「わかっていたようで、わからなかったこと」を、それこそギリギリまで探り続けていく......そうやってひとつの展覧会のかたちにまとめながら、あるテーマについて対話や議論が広がる場をつくろうと試みてきた状況を、皆さんにも感じていただけたのではないでしょうか。そして今年、第3回目の企画展が、三宅一生ディレクションの「XXIc.―21世紀人」です。
三宅
この展覧会に「XXIc.―21世紀人」と名前を付けました。20世紀は経済や科学が発展して豊かになりましたが、その歯車が逆転した側面もある時代でした。今やるなら、人間をテーマにした展覧会にしたいと考えたのです。
そこでふと、思いついたのがイサム・ノグチの《スタンディング・ヌード・ユース》という絵なんです。青年時代の彼が北京に滞在中、中国の横山大観、ピカソと言われる斉白石という画家に指導をうけて描いた作品です。イサム・ノグチの人生そのものが展覧会のテーマにふさわしいのではないかと思い、彼の作品を出発点にしました。

一方で、いま我々がおかれているのは、ある意味で恐怖の時代であると感じています。それは逆に言えばエネルギーの時代ということでもあります、たまたま、昨年3月にロサンゼルスの美術館でティム・ホーキンソンの展覧会を見まして、「あっ!これだ」と思ったわけなんです。イサム・ノグチの作品と絡めて、ストーリーをつくっていこうと考えました。
後は、いろいろな人にどんなふうにすれば21世紀を表現できるかということを問いかけました。そしてたくさんの人との新しい出会いがあったわけです。発見をしたり、会話をしながらつくっていった。人に教えるというよりも、一緒になってやっている、そんな感じが強かったですね。
作家の方たち以外にも、宮城、福井、富山、石川など様々なところへ紙を訪ねて歩きました。我々が紙づくりの面白さに驚いて、喜んでいると、職人さんたちも一緒に乗ってきてくれるんです。そんな風に人間と触れながらつくってきたといいますか、最初も最後も人間、その面白さを体験できたと思っています。
川上
さて、3人のディレクターにこの1年の企画展を振り返っていただきましたが、企画展以外にも実験的なプログラムをいくつか開催しました。舞台での表現と日常を題材にした身体表現、デザインをつなげる「落狂楽笑 LUCKY LUCK SHOW」、ファッション、メッセージを示すという視点から「THIS PLAY!」展、そして21_21 DESIGN SIGHTのパートナー企業とのコラボレーション企画として、「200∞年 目玉商品展」です。続いて、私たちが今考えていることについて、話の内容を進めていきます。

vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

壇上4人


2008年6月20日、21_21 DESIGN SIGHTのオープンから一周年を記念して、ディレクターの三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3人が揃った「デザイン・トーク」が開催されました。進行役はアソシエイトディレクター 川上典李子が務めました。トークの前には、21_21 DESIGN SIGHT設立のきっかけに関わった芸術家イサム・ノグチについて、イサム・ノグチ庭園美術館顧問である新見 隆による特別レクチャーが行なわれました。


川上
今日は大勢の皆様にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。21_21 DESIGN SIGHTが開館して1年が過ぎました。多くの方々のご協力、ご参加をいただき、企業の皆様方のご協力もいただきながら、いま、2年目の活動を始めているところです。この1年、私たちディレクターのチームも試行錯誤を繰り返しながら、こういった場所で何をしていったらよいのかというお話を続けてきました。本日はそうしたお話を公開で行なう機会ということで進めていきたいと思います。
三宅一生語りイメージ


三宅
話がだいぶ前に遡りますが、イサム・ノグチさんのことから始めたいと思います。僕が彼の名前を初めて知ったのは、生まれ育った広島にある有名な橋がきっかけです。この橋をデザインしたのがノグチでして、高校時代に橋を渡って通学していた僕は、そこで初めてデザインとはこういうことなんだと、思ったわけなんです。それからずっと興味をもって彼の仕事を見続けるようになった。ノグチは彫刻家として有名でしたが、《AKARIシリーズ》などすばらしいプロダクトデザインもしていますので、あまりジャンルのない人だなと思って見ていました。

初めてお会いしたのは1978年のアスペンです。デザイン会議があり、僕やイサムさんも呼ばれたのです。その後、安藤忠雄さんとふたりでニューヨークの郊外にあるラトガー・ユニバーシティという学校の講演会に招かれてスピーチをしたのですが、その会場にイサムさんが来てくださった。そこで日本にはデザイン・ミュージアムがないね、という話になった。そんなことがきっかけになってイサムさんととても親しくなったんです。

当時から、同じように親しくさせていただいた方にグラフィックデザイナーの田中一光さんがいました。彼と話すうちに、「日本にはデザインが見られる場所が必要だね」という話題になりました。外国の知り合いに、日本に行ったらどこに行けばよいか、現代の日本を知りたい、日本のデザインがどこで見られるのかと聞かれたらどう答えるかと問われて、僕は「デパートかブティックへ行くしかないね」なんて言ったのです。

一光さんは僕に、「あなたらしいもの、オリジナリティのあるものをつくるということを言うけれど、新しいものは歴史をさかのぼらないとできないんじゃないか」と言い始めた。それで「じゃあ、デザイン・ミュージアムをつくろうよ」ということになって、安藤さんと行政や官庁にあちこち出かけては、デザイン・ミュージアムをつくりませんかと陳情して歩いたのです。ところがなかなか本気にしてもらえなかったんですね。これはまずいなと思っていたのです。

そうこうする一方で、2003年に朝日新聞に「造ろうデザイン・ミュージアム」を寄稿すると多方面から反響があって、ついに2005年にこの21_21 DESIGN SIGHTのプロジェクトが立ち上がったのです。
ディレクター3人


三宅
いろいろな方々の尽力があり、北山孝雄さんや三井不動産の協力で東京ミッドタウン内に安藤さんの設計によるデザイン施設が実現することになりました。そこで意識したのは、この場所が個人的なものではないということです。つまり、21_21 DESIGN SIGHTは通りに面していて、公園の中にある。だから日常や生活と関連性のあるものをコンセプトに据えるべきだと思い至りました。

こういう考えを共有できるディレクターたちと一緒に仕事ができるとよいなと考え、佐藤 卓さんと深澤直人さんにお話をもちかけました。日本には優秀な方がたくさんいらっしゃいますが、幅広い分野でデザインの面白い仕事をしているということでおふたりに声をかけました。そして、川上さんは非常に愛情をもってデザインを見ていらっしゃるので、アソシエイトとして我々のサポートをお願いしました。

建築設計者の安藤さんにもずいぶん注文を出したのですが、周りの人から、安藤さんはデザイナーのいうことなんて聞かないよって言われて(笑)。まあ、そんなこんなでできあがったのが21_21 DESIGN SIGHTという場所です。

もうひとつ付け加えますと、建物ができあがっていく過程を見ていると、プロセスってすごく面白いなと。だから、我々もプロセスを大切にしようと。佐藤さんと深澤さんからも、美術館のように完成されたものをもってきて展示するのではなく、プロセスを見せる場にしませんかという話がでてきた。普通ならば隠したいところをどんどん見せるという。

さらに、我々ディレクターはデザインをやっている立場なので、デザインを中心におきながら、もっと自由に外を見ることができる視点をもつということを原則としました。
21_21 という名称も、そこが端緒になっています。パーフェクトサイト(20/20)に1プラスで21という名前になったというわけです。

vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

本展担当ディレクター佐藤 卓からのコメント

第2回企画展のテーマは「水」です。雲という空の水。空から降り注ぐ雨という水。米を育てるための水。海の水。氷という硬い水。濁流により災害をもたらす水。枯渇する水。身体内の水。毎日飲んでいるペットボトルの水。普段、水のことを我々はよく知っていると思っています。しかし、その水の実体は近年になってやっと少しずつ分かってきたと言っていいほど知られていなかったのです。水で世界を見てみると、どんな世界が見えてくるのか?
21世紀は水の時代とも言われています。限りがある化石燃料に頼った20世紀の力を誇る文明が歪みをきたしている今、あたりまえに目の前にあった水が多くのことを教えてくれそうです。

そもそも、私が水に興味を抱くきっかけになったのは、このプロジェクトのコンセプト・スーパーバイザーである文化人類学者・竹村真一氏から聞いた牛丼の話でした。

牛丼一杯にどれだけの水が使われているか知っていますか?

この質問の答えは、想像を越えたものだったのです。2リットルのペットボトル約1000本分。つまり牛の餌を育てる水、牛が飲む水、米を育てる水など含めるとほぼそのぐらいの量が使われている。牛丼を食べる時に、それだけの水の量を想像したこともなかったのです。牛肉を大量に輸入するということは、大量の水資源を他国に頼るということ。そしてそれは水で世界を見ることの、ほんの入口だということが後に分かってきました。

この企画展は「水」という、あまりにもあたりまえにあると思われているものに、改めて注目し、水という視点で世界を見てみるきっかけをデザインによってつくるものです。会場という体験の場の他に、本、ウェブサイト、水体験グッズ、トークショー、ワークショップの開催などが準備されます。


本展コンセプト・スーパーバイザー竹村真一からのコメント

「水」は現代社会の最も重要なデザイン課題ではないでしょうか?かつて水は、もっと可視的でした。私たちをめぐる水の循環は見えやすく、自分たちの関わりや責任も明快でした。この半世紀は、その水を見えなくするプロセスでした。川や井戸などの「近い水」が上下水道の「遠い水」に変わったうえに、いまや私たちの暮らしは自給率4割の食糧の輸入というかたちで、世界中の「見えない水」(virtual water)に依存しています。
"牛丼一杯に2000リットルの水"――この見えない水貿易を通じて、私たちは世界中の水問題に日々関わっています。日本の水のデザインは、地球の水のデザインに直結しています。

水の問題はいまに始まったことではありません。むしろ人類史は、水の確保と共生のシステムを絶えずデザインしなおしてゆく歴史でもありました。
アフリカや中国の水不足とは縁遠いようにみえる日本も、実は水が豊かな国ではありませんでした。急峻な地形ゆえに、降った雨はあっという間に海へと流れだし、洪水と渇水をくり返す・・。
このファストな水を日本人は何百年もかけて、川のつけ替えや水田という自然のダムを使った「もたせ」の技術によって、スローな水にデザインしなおしてきたのです。日本の水環境を「デザインされたもの」として見直すこと、また現在の水道システムや水との疎遠な関係も、リデザインしうる対象として意識しなおすこと。水は、この世のどんなプロダクトにもまして現代的な「デザイン」の対象であり、また私たちの文化や歴史のなかにそのヒントを発見しうる領域なのです。

地球大のスローな水のデザイン――。本展のシンボルマーク「逆さ傘」は、そうした地球大の逆さ傘づくりへの思いを込めたものにほかなりません。

この世で最もありふれた存在でありながら、最も"有り難い"物質である水――。 氷が水に浮く(=ゆえに海や湖が底からすべて凍らずに生命を育める)のも、実は水の特殊な分子構造に由来する「水の魔法」にほかなりません。水は、私たちがあたりまえに生きていることの不思議さ、この生命の星の"有り難さ"をあらためて認識する「窓」なのです。
また、人はみな子宮という原初の海で過した水棲記憶をもち、アジアを中心に親水的なライフスタイルを育んできました。しかし近代の文明は「陸上中心的」な論理に傾き、生活文化や都市デザインにおいて水との関わりを過小評価してきました。
その意味で「水」の再発見は、新たな生命と人間の発見でもあります。水が液体で存在する稀有の星、「水球」としての地球――それにふさわしい文明をあらためてデザインしてゆく旅を、このwater展から始めたいと思います。

展覧会ポスター

21_21 DEISGN SIGHTは5感を使って「見る」場所


佐藤
普通、デザインの場合はメディアが規定されてからスタートするじゃないですか。でも21_21ではスタート地点がまったく違う。どこへ落とし込むかは自由なんです。そういうアプローチの仕方は普段していないことだと思うのです。だから脳がすごく活性化されるというのはあります。
深澤
やっぱりデザイナーって、あるお題を与えられたところで発想していくというトレーニングばかりをしているので、いざ、自発的にやってみようとしてもなかなか簡単にはできない。一方でアーティストというのは自発的に発想する、自分の目でものを見るということを常にトレーニングしている。
三宅
そういういろいろな人たちが一緒になってワークショップをすることで対話が生まれ、葛藤が生まれる。それが意外な才能の発見につながるのだと思います。
川上
「チョコレート」は、参加者のワークショップの積み重ねによって展覧会がつくられているわけですが、工業デザインからファッション、広告、グラフィック、メディアアートなど、通常であれば一堂に集まることはまれな、さまざまなジャンルの人びとによるワークショプとなっているのも特色です。発想の展開から素材の具体的な扱いまで、ほかの参加者から大きな刺激を受けているという声も聞かれ、お互いの交流や意見交換も、ますます活発になっていますね。
深澤
展覧会をやるときには、何がここに足を運んでくれる人たちの喜びになるのかということを考えないわけにはいきません。「チョコレート」でやろうとしていることも結局はそこです。で、私なりに考えますと、21_21というのはまったく未知の場でどんなイベントをやっているのかも想像がつかない。もちろん「チョコレート」と言われても、さっぱりわからない。展覧会にやってくる人はそのような場に放り出されるわけです。そうすると、おそらく目の前に展開されている状況を自分なりに一生懸命理解しよう、解釈しようと脳が動き出す。それはコンピュータが高速で回転するような感じです。それがある歯車とカチッとはまってくれたらその瞬間に全部理解できるんだけど、まったくかみ合わないという状態ができたときに、人は「なんなんだ、なんなんだ?」と探り続ける。

できれば「チョコレート」展では、この「なんなんだ?」の連続の果てに、カコンと歯車にはまる瞬間がくるようにしたいですね。最初から簡単にその人の論理でわかってしまうものはつまらない。もしかすると人によってはその歯車にはまらないかもしれないし、ある人はスコーン!とはまるかもしれない。そのはまる瞬間が自分の新しい感触だから、ものすごくインパクトのある気づきになる。それを「チョコレート」だけではなく、次の企画展でもやっていく。

デザインとアートを比較したとき、それらが見せている発想や表現がどこまでロジックに落とせるか、落とせないかというところがアートとデザインの分かれ目になっているのではないかなと思ったりもします。もっといえば、受け手のとまどわせ方に違いがある。いつかはだれもが必ず理解できるようなヒントを作品に与えておくか、ある種の謎、わからなさを作品にとどめたままにしておくのかというところに両者の境目があると思います。そのきわどい境界を楽しむ場所が21_21であると考えています。簡単にはわからない、だからこそ今まで体験したことのない驚きや発見や感動がある。つまり新しいセンサーを立たせてくれるところ、それが21_21の魅力ではないでしょうか。
佐藤
僕たちは目の前にいろいろなものを見てますよね。一番重要なのは、目を閉じたときに、その自分の記憶の中に残っていくものっていうのがずっとあるわけですが、その方が自分との関係においては本質的で重要なのです。そこにこそリアリティがある。これからの時代は、目の前に見えているものを信じるのではなく、こうした記憶に深く根ざしているものを起点にする、大切にすることが新しい気づきにつながるのだと思います。
深澤
記憶を、脳に張り付いているものを呼び出して、ここにある現実を理解しようとするんだけど、それが繋がりにくいというところがあってところどころ迷う。それはある種とても高いレベルの欲求なんじゃないかと思います。これは意識して志していないと、脳の歯車がカチッとはまらないかもしれない。でも子供みたいな人だとスッと入ってきちゃったりする場合もある。
佐藤
人の感覚というのはものすごく豊かなもので、それは誰もが基本的にもっているものなのに、普段は意外と使われていない。もしくは気がつかない。
深澤
視覚(目)で情報を得るという経験が圧倒的に多いのが今の世の中。だけどほんとうは、ほかの4つのセンサー(聴覚、嗅覚、触覚、味覚)だって見るという行為に密接につながっている。21_21ではフィジカルな展示空間をつくることですべてのセンサーを稼働させ、今まで得られなかったものを得てもらいたいですね。
三宅
21_21では展覧会やプログラムそれぞれにおいてさまざまな試みを計画しているのですが、それらを実現させることによって、展覧会というもののあり方も変えられるのではないかなと思っています。オープン時の特別企画でも、会期の後半ではウィリアム・フォーサイスによるビデオインスタレーションが、安藤建築の見方を一変させてくれるでしょうし、夏休みには狂言、落語、1人芝居などを行なう。つまり、いろんな人が関わることで新しい状況をつくりだしていく。人間がいれば必ずいろいろなものがつきまとってくるものですからね。そうやって自分たちを未知の環境に投げ出していって、どうなるかみるのが面白いところではないかと思うのです。

2006年12月4日 東京ミッドタウン内、21_21 DESIGN SIGHTにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/ナカサ&パートナーズ 吉村昌也

ディレクターズ


21_21 DESIGN SIGHTの建物は、エントランスを抜けて地下のギャラリーに達すると、外観からは思いもつかないダイナミックな空間が広がっています。ギャラリーは大小あわせて2つ。それを示すサインは照明によってコンクリートの壁面に映し出される、1と2の数字のみ。ギャラリーのほか、サンクンコートあり、秘密めいた通路ありの空間で3月30日から始まる、21_21 DESIGN SIGHTのプログラムにどうぞご期待ください。

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2006年12月、竣工間近の21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)をディレクターが訪れ、ほぼ完成した建物を見学しました。実際の空間を見ながら行なわれた今回のディレクターズ放談は、意気高揚しつつも21_21およびデザインの核心に迫る内容となりました。


安藤建築の魅力は空間を体験することで見えてくる


深澤
建物を見ると、やはりインスパイアされますね。実際の空間の中に身をおくと、そこでしか出てこない発想というのが浮かんできます。すでに第1回企画展のプロジェクトはかなり具体的なところまで進行してきています。が、こうしてできあがった建物を前にして、はじめてそうの空間に事物をインストールすること、この場所でどのような展覧会をするのかということがリアリティを帯びてきますよね。
佐藤
安藤さんの建築って、まず外から見るじゃないですか、そうすると、小さめの量感で個性的なかたちをしている。でも、中に入ると外側からは想像できない空間が広がっている。図面や模型で見ていたときには、そのことがどんな感覚を我々に与えるのか、想像がつきませんでしたが。安藤建築は、内部を歩くと空間がどんどん変化していくので、その空間をどう活かしていくかということが問われるんじゃないかという気はします。触発されますよね、あの空間は。
深澤
たぶん21_21を訪れる人は、行なわれているイベントが目当てということもあるけれど、建築的な魅力を味わいたいという願望も抱いているでしょうから、両方を堪能できれば二重の喜びがある。そういう意味で21_21という場所は、安藤さんの建物の魅力とそこで展開されているコンテンツによって成立するのだと思います。両方を活かさなくてはならないというのは、面白い試みですね。
佐藤
今はまだがらんとしていて何もない空間ですが、21_21がスタートうすると、観客は展示物がおかれ状態の空間しか見られないということになります。いわゆる"素"の空間が、展覧会と展覧会を縫うようなタイミングで見られるようなプログラムを計画するのもよいですね。というのは、何もない空間を見るといろんな発想や感覚が得られると思うのです。
深澤
オープン時に行なう特別企画「安藤忠雄/2006年の現場 悪戦苦闘」がまさにそれですよね。
三宅
安藤さんはもともと建物を"素"、ヌードで見せたい人ですからね。そういうことができる建物はあまり多くない。安藤さんの建築は、ちょっと動いただけでほんとうに見え方が違う。それから外部に対する配慮もある。特別企画ではすべての空間を素の状態で見せるわけではなく、模型建設過程の写真などを展示して、完成までのプロセスも紹介します。
川上
展示スペース以外の空間も面白いですよね。階段のまわりなど。それがうまく見せられるとたしかに良いですね。以前、安藤さんが"豊かな余白"について何かでおっしゃっていたことがあります。日本の美術や書道同様、建築や都市にも"余白の可能性"というのがすごくあるんだよと。そうしたスペースは、使う側としては大変に触発されます。もっとも、展覧会があるときというのはそれこそ建物のすみずみまで使ってイベントをしたり設置をしてしまうかもしれないけれども、展示スペース以外のところも含めて何もない状態を見ていただける機会があると良いですよね。
三宅
企画のアイディアが上手くいかないときはそれでいこうか。

 (一同爆笑)

佐藤
安藤建築は、やっぱり挑戦的ですよ。結果がわかりきっているものはやらない。問題提起をして「どうだ」というようなところがある。あなたはここでどんな体験をしますか、という問題を常に投げかけているのだと思います。
三宅
この21_21 DESIGN SIGHTの建物は遊歩道にすぐ面しているんですよね。直島の美術館やホテルにしても、村に面していたり、風景や水に面していたりする。だから僕は、安藤さんの建物そのものに加えて、建築の中から見る風景とか、建物に上がって見る外の景色というのにいつも感動するんですよ。直島に行ったときも、「景色がいいですね」って言っちゃったんです(笑)。僕は、安藤さんはずいぶん変わったなあと思います。もちろん、住吉の長屋のころからそこに生きる人びとや生活者の視点であることは変わらない。最近はさらに発展して、植物の緑を使って安藤忠雄の建築をずっと街に広げていくような発想が出てきている。表参道ヒルズも低層建築ですが、屋上に上ると街路樹の緑とつながっています。ああいう視点をもてる人はなかなかいないと思います。
深澤
圧倒的に体験的な空間ですよね。オブジェクトじゃない。
川上
特別企画の後には、深澤直人ディレクションによる第1回企画展「チョコレート」が開催されます。
深澤
チョコレートというテーマを発表したあと、何人かが「チョコレート!?」っていうリアクションを返してきました。このような「いったい、なんなんだろう?」という感じをある程度来場者側に抱かせつつ展覧会をスタートするのは悪くないですね。

ただ誤解されないように気をつけなければいけないのは、ここではあくまでも私たち人間が日常の世界をどう捉えているかということを見せていくのが主眼であって、チョコレートのデザインを披露するわけではないということです。チョコレートは21_21の視点を見せるためのきっかけのことばにすぎないので、ふたを開けたらいろいろなものがでてくるはずです。

実際、さまざまな作品ができあがりつつあるのですが、それらを見ていると、かなり楽しめるものになるのではないかと思います。4月から始まる展覧会にぜひ足をお運びくださいと言いたいですね。「チョコレートを通して世界を見るっていうのはこういうことなのか」という感じが、そこで初めてわかっていただけるのではないかと思います。
佐藤
「チョコレートSight」ということですね。

放談vol.4 後編へつづく

11月8日、9日、六本木のアクシスギャラリーで開催されたプレオープン・イベント [21_21 DESIGN SIGHT Talks]。両日とも熱心な聞き手の方々に恵まれ、会場での質問の内容からも、デザインへの、そして21_21 DESIGN SIGHTへの関心の高さを実感しました。
参考記事「21_21 DESIGN SIGHT の現在をお伝えするプレオープン・イベントを開催します」


Talk 1 「Designing 21_21 DESIGN SIGHT ー デザイン施設のデザインを考える」


11月8日のTalk 1 「Designing 21_21 DESIGN SIGHT ー デザイン施設のデザインを考える」では、始めにモデレーターの川上典李子(21_21 DESIGN SIGHT アソシエイトディレクター)が21_21の概要を紹介。スピーカーの佐藤 卓(21_21 DESIGN SIGHT ディレクター)が、宮崎光弘(アートディレクター、(株)アクシス)、トム・ヴィンセント(インターネットディレクター、(株)イメージソース)と協働しているヴィジュアルコミュニケーションについて紹介しました。


佐藤
ロゴマークは、名前はもちろんこれが「場」であること、そしてデザインのサイト(視力)であることを知らせなければいけません。
21_21は、住所表記にも見えます。電信柱やブロック塀についている番地プレートのようにすれば、「場」というものが連想できるのではないかと考えました。そして、21_21の幅を人間の目の幅と同じにすれば、「視力」ということを表せる と思ったのです。そしてそのように大きさが想定されるものであるならば、これはグラフィックではなく、プロダクトであるべきだと思いました。プロダクト・ロゴとして展開し、これをシンボルとして考えることにしたのです。
実はこれは一枚の板からできています。三宅一生さんが服づくりのなかで追求した「一枚の布」というコンセプトを、安藤忠雄さんは建築の一枚の鉄板の屋根に落とし込まれたのですが、このシンボルもコンセプトを継承しています。シンボルから展開した名刺、レターヘッド、封筒といったアプリケーションにも、一枚の紙からできているという考え方を落とし込んでいます。
宮崎
広告用の印刷物やサイン計画を手がけました。ミラノ・サローネで配布するためのカードのヴィジュアル・イメージをスタディしているときに、何でもない日常の風景の中に、このプロダクト・ロゴを置いて撮影してみました。その写真は自分でも"なんだろう?"と思う不思議な魅力を持っていました。それで、そのよくわからない面白さを、そのままヴィジュアルに使えないかと考えたわけです。結果的には、プロダクト・ロゴがあることによって、写っている場所やモノなどと、デザインの関係を考えるきっかけとなるヴィジュアルになったと思います。
トム
ウェブサイトのディレクションを担当しています。21_21のサイトではあえてなにかスゴイことをやる必要はない、シンプルに伝えていこうという方向性で進めています。コンテンツのひとつとして、このシンボルをEPSデータでダウンロードできるようにしました。ほとんどの企業のロゴとは反対に、誰もが自由に触れるシンボルって面白いじゃないです。フリッカーで作品を紹介することもできるようにして、いろいろな人が日常のなかで21_21と出会うことができれば、と考えたのです。

担当は決まっているものの、基本的にはお互いに意見交換しながらプロジェクトは進められています。それぞれが初公開の映像やプレゼンテーション資料を惜しげなく公開して、これまでのプロセスを説明しました。



Talk 2 「深澤直人 × 鈴木康広 × 高井 薫 デザインの視点」


11月9日のTalk 2 「深澤直人 × 鈴木康広 × 高井 薫 デザインの視点」では、第1回企画展をディレクションする深澤直人(21_21 DESIGN SIGHT ディレクター)と、参加作家の鈴木康広(アーティスト、東京大学先端科学技術研究センター)と高井 薫(アートディレクター、(株)サン・アド)がスピーカー。前半は鈴木・高井がそれぞれの作品を映像とともに紹介しました。
その後、深澤が「どんな風にものを考えているのか、世界をどんな視点で見ているのか」と、ふたちの若いクリエイターに切り込んでいきます。


深澤
僕にとってアイデアを得ることというのは、何もないところから浮かび上がるのではなくて、すでにそこにあったものにある時ぶつかるような感じ。おふたりはそんな感じはないですか?
鈴木
大学生の頃に、それまでのさまざまなことを振り返るもう一人の自分みたいなものがメキメキと現れるとを感じたことがあります。その頃からだんだん創作の喜びや楽しさを強く感じるようになったような気がします。
高井
アイデアを思いつく時って、私の場合は、たとえばクライアントから投げられた課題を突破するところは、本当に小さい点でしかないんです。その1点、そこにしか答えがない、という感じでものを考えるんですね。ひらめくっていうよりも、やらなきゃならない、こなさなきゃならない。そこに答えがある。それを見つけて、さらに私自身との接点を見つける作業をするということです。
深澤
若い頃の僕は、発想の訓練を意識していませんでした。でも、デザインを始めて15年も経った時に、ふっと変わる瞬間があったんです。それはまるで、蝉がサナギから抜け出した後に、自分の出てきた穴の輪郭を見るような感じだった。僕は、その「抜け出した」感じをすごく実感しているんだけれど、おふたりの場合は、最初から、現前するリアリティが見えているような気がするんです。どうですか?
鈴木
難しい質問ですね。僕は本当に普通に工作が好き、作ったものを人に見せた時のその瞬間が好きなんです。そこに関しては、キャリアが長いと思っています。大学で学んだ事も重要ですけど、小さい時からその瞬間を積み重ねてきたって気づいた時に、とても楽になったんです。今、こうしてプレゼンテーションをして感じる楽しさにつながっていると思います。
高井
私のキャリアは15年くらいですが、今やっている発想の仕方みたいなものに確信を持つようになったのは、ここ5年くらいかなと思います。でも昔から、人がやっているものを見て、私だったらこうやるかな、という風に考えてはいました。そうじゃなくて、こうやったら楽しいよね?っていう感じに。ところで深澤さんは、私たちふたりの仕事について、どんな感想を持たれましたか?
深澤
共通して感じるのは、気負いのなさ。ふたりの作品からは作り手のエゴをまったく感じない。とてもスムーズに人の心に入ってくる感じ。コミュニケーション重要な秘密をつかんでいるというか。ふたりとも、毎日ゆっくり眠って、起きるとまたアイデアが膨らんでいるんじゃないかなと思わせるところがあるのに、淡々としているから凄いと思うんです。
鈴木
アイデア出すの、けっこう大変なんですけど(会場、爆笑)。

クリエイター同士ならではのやりとりに会場が沸いたトークは、質疑応答で締めくくられました。



構成/カワイイファクトリー
撮影/ナカサ&パートナーズ 吉村昌也

(21_21 DESIGN SIGHT 広報・財団法人 三宅一生デザイン文化財団)

先月、21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)の催しが東京と京都で開催されました。
六本木・アクシスギャラリーのご協力で実現したプレオープン企画 [ 21_21 DESIGN SIGHT Talks ] と、国立京都国際会館におけるパネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ] です。
催しには三宅一生・佐藤 卓・深澤直人の3ディレクターらが参加し、施設の話はもちろん、デザイン全体における視点や可能性について発言しました。それぞれの会場には多くの聴講者の方々が足を運び、21_21のコンセプトに耳を傾けてくださいました。
このウェブサイトでそれらの一部をお伝えします。



レポート1:パネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ]
2006年11月12日 国立京都国際会館(京都・左京区)
>詳細

レポート2:プレオープン企画 [ 21_21 DESIGN SIGHT Talks ]
Talk 1 「Designing 21_21 DESIGN SIGHT ー デザイン施設のデザインを考える」
Talk 2 「深澤直人 × 鈴木康広 × 高井 薫 デザインの視点」
2006年11月9日・10日 アクシスギャラリー(東京・六本木)
>詳細

去る11月12日、京都の宝ヶ池ほとりにある国立京都国際会館において、パネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ]が実施されました。
この催しは、第22回京都賞(財団法人 稲盛財団主催)を受賞した三宅一生の記念ワークショップ『デザイン、テクノロジー、そして伝統』の一環として行われました。

ワークショップ前半は、三宅が30年余にわたる衣服デザイナーとしての仕事を紹介。山口小夜子ほか数名のモデルによる代表作を着用してのデモンストレーションや映像などが披露されました。その後、彼の最新の活動を伝えるものとしてディレクターズ・トークが行われました。

本題のパネル討論は、京都賞 思想・芸術部門審査委員長で美術史家の高階秀爾が座長を務め、21_21 DESIGN SIGHTを設計した建築家で、第13回京都賞受賞者でもある安藤忠雄、当施設のディレクターである佐藤 卓と深澤直人、同じくアソシエイトディレクターの川上典李子らがパネリストとして登場。21_21とのかかわりについて説明したあと、座長の質問に答えるという形式で進行しました。
21_21に関する主な発言を紹介します。



三宅一生
デザインにかかわる場所をつくりたいという気持ちはかなり昔からありました。1970年代の初めに、グラフィックデザイナーの田中一光さん、そして隣にいらっしゃる安藤忠雄さんと京都で会って、何か一緒にやりましょうと話したことがそもそもの始まりです。

2003年に『造ろうデザインミュージアム』という記事を新聞に寄稿しましたら、大きな反響がありまして、三井不動産さんからのご提案や多くの方々のご協力があり、東京ミッドタウンにデザインの施設が誕生することになりました。

とはいえ、私たちの施設はアーカイヴを持ちませんので、ミュージアムとは呼べません。デザインにかかわるさまざまな展示や催しをするなどの活動を通して、日本の伝統と美意識、そして新しいテクノロジーを繋ぐ場所でありたいと考えています。私たちと若い人たちと、一緒に未来をつくっていく、そんな拠点になりたいと考えています。
安藤忠雄
今回の建築は、三宅さんの「一枚の布」に対応する「一枚の鉄板」ということで考えました。50メートルもの一枚の鉄板が屋根となります。高度な技術を要するものですが、現場の職人たちが作り上げました。現場の人たちの気迫、ものをつくる強い思いが実現へ導いてくれました。

設計するにあたって、この混迷する時代に、もひとつの日本の顔をつくる、日常の生活に欠かせないデザインの可能性を示す、そんな建築を心がけました。その私の思いと、日本人の高い技術力と気迫を、オープン時の特別企画ではお見せしたいと考えています。そして、この建物が、ここを訪れる人びとにとって、それぞれの可能性を見つける場所になればと願っています。
佐藤 卓
21_21 DESIGN SIGHTに参加することになり、最初にシンボルマークを考えることになりました。私が提案したのは、一枚の鉄板でできたシンボルマーク。ただ「21_21」という数字と記号だけのものです。これをプレートにすることで持ち運べるロゴ、というアイデアを思いつきました。シンボルマークは通常、平面が基本になりますが、プレートというプロダクトにすることで、どこへでも持ち運べるものになるわけです。そしてこのプレートを「デザイン」のアイコンとして捉えてみると、世界中でこのプレートを使ってあらゆるものに「デザイン」という投げかけをすることができます。

このシンボルマークは、一見すると番地を示すプレートに見えます。なんの変哲もない、どこにでもある普通のイメージです。このことは21_21 DESIGN SIGHTのテーマのひとつ「日常」と密接につながっています。日常には、実はたくさんの可能性が潜んでいます。その日常に潜むあらゆる可能性を、ひとつひとつデザインという行為によって引き出すこと。

デザインの可能性は、特別なところにあるのではなく、ごく日常の中にあります。今後21_21 DESIGN SIGHTは多くの人が関わって、デザインの可能性を探る場になると思います。今でも、そしてこれからも、常にデザインの可能性は、実はふつうの日常に問い掛けることから始まると考えています。
深澤直人
21_21 DESIGN SIGHTって何をするところなの?とよく聞かれます。僕は「目からウロコを落とすようなところ」ではないかと思っているのです。第1回企画展のディレクションを担当しているのですが、ここでそのテーマを発表します。「Chocolate」。「10人のうち9人はチョコレート好き。そして10人目は嘘をついている。」とアメリカの漫画家、ジョン・G. トゥリアスは言っています。

チョコレートは、誰もが親しみを持って受け入れている不思議な食べ物と言えると思います。いや、食べ物という存在を超えて、生活のいたるところに顔を出してきます。その、既に共有されている感覚を通して世界を捉えるとどうなるか、それが今回の展覧会の試みです。チョコレートを通して世界を見ていく、ということです。

環境と人間との関係を探っていくと、かならずデザインの視点が存在していますので、そこを探求したいのです。もちろん、チョコレートそのものの作品も登場しますが、それだけではありません。参加作家たちとワークショップを行なってさまざまな可能性を考えていますので、なかなかユニークな試みになると思います。ご期待ください。
川上典李子
21_21 DESIGN SIGHTをどのようにつくっていくか、その方法論から始まり、本当に手探りのスタートでした。三宅さんとミーティングを繰り返してきて、印象に残っていることはふたつあります。ひとつは「プロセスを大切に」ということ。ふたつ目 「楽しくやりましょう」ということです。私たちがまず楽しむことで、多くの人に参加してもらえる生き生きとした環境をつくれるのだ、と。これまでやってきた、さまざまな工場見学ですとか、ミーティング、合宿、ワークショップ、建築現場の見学、ウェブサイトの運営など、すべてにおいてそのふたつは通低してきたと感じています。

21_21 DESIGN SIGHTは年2回、長期の企画展と、その間のさまざまなジャンルを横断するようなアクティヴィティを行なっていくことが決まっていますが、これからも、この2つを大切にしながら進んでいきたいと考えております。そうすることによって、さまざまな方に参加していただけるデザインの実験の場、デザインを考える場をつくりたいと思います。


--このほか、京都でも21_21が何かできないだろうか、デザインって一体なんだろうか、子供も大人もわいわい言って楽しめる場所にしたいなど、それぞれの立場から21_21に対する思いや夢が語られました。



(21_21 DESIGN SIGHT 広報・財団法人 三宅一生デザイン文化財団)

来春のオープンに向けて準備が進む21_21 DESIGN SIGHT (以下21_21)の現在は?
この秋開催するトークイベントの概要とあわせて、アソシエイトディレクターの川上典李子が語ります。


アソシエイトディレクターの役割

21_21では三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3人のディレクターが中心となって企画を進めていますが、そこにご一緒させていただいてリサーチをしたり、あるいは、デザインジャーナリストとしての経験をふまえて、ディレクターに問いかけや提案をさせていただくのも私のおもな仕事です。
いま、3人が定期的に集まるミーティングやそれぞれの企画別のミーティング、ワークショップなどがひんぱんに開かれているのですけれど、それぞれを結ぶ役割というか、全体の流れをつかみながら皆さんと一緒に考えている、という感じでしょうか。
21_21は美術館ではないし、ギャラリーでもありません。デザインというひとつの入口から社会や生活、文化などいろいろな事を考えていく、自由な活動の場にしたいと思っているんです。具体的には、来てくださる方になにかを感じ、考えていただくきっかけになる催しとして、独自の企画展を開催していきます。まずはちょっと長めの、3ヶ月間の会期の展覧会があり、さらに、それとは別のさまざまな企画を予定しています。いまは第1回の企画展の作品制作が大詰めの時期を迎えているので、その作業に関わる時間が増えてきました。

展覧会の新しいつくり方を探る

企画展は、3人のディレクターが交代で展覧会のディレクションを担当していきます。ゆくゆくは外部からゲストキュレーターを招く場合も出てくるでしょう。
第1回は深澤さんのディレクションです。詳しいことはまだ申しあげられないのですが、"身近で子どものころから親しんでいて、それを貰ったり、手にするとすごく嬉しい気持ちになる、あるもの"を題材にしています。私たちが日常的に接していて、多くの人が好きなもの、なんですが......。
参加作家はさまざまなジャンルのクリエイター、約30組にのぼりますが、ワークショップを開催し、ディスカッションをしながら、それぞれが作品を考えていくという方法をとっています。たとえば深澤さんがある問題を投げかけ、返ってきた反応にさらに変化球を投げるという、すごくライブな感じで進んでいますね。ディレクターである深澤さんの視点が反映されていますが、キュレーター主導の展覧会とはまったくことなる、展覧会の新しいつくり方を実践している感じなんです。
展覧会が開幕した後も大切だと考えています。企画展はそれぞれの題材に対する私たちの結論ではありません。皆で考えてきたことのひとつの投げかけとしての展示をきっかけに、わらに来場者の皆さんが何を感じてくれるのか。そこから広がっていく皆さんひとりひとりの視点もいかしていきたいと考えています。そのために、会期中の様々なアクティヴィティも計画しているところです。そんなふうにして、21_21をよりオープンな場所、ものをつくるエネルギーを感じていただける場所としてつくっていきたいと思っています。

川上典李子から見た3人のディレクター

深澤さんも佐藤さんも三宅さんも、ものすごくお忙しいなかで、21_21には本当に意欲的に取り組んでいらっしゃる。それはもう驚いてしまうくらいで。身近な生活を楽しんでいると同時に、飽くなき知的好奇心の持ち主というところが共通しています。そのうえで、それぞれの個性というものがあって。
たとえば佐藤さんは、やっぱりサーファーだ、と思うことがあるんです。ミーティングしていて、アンテナで何かをキャッチした瞬間に「おーっ!」って全身で入っていく感じがして、予測不可能な事態を怖がらないところが波乗りっぽい!(笑)。 深澤さんはわりと冷静だけれど、面白がり屋なんです。観察と発見の天才で。ニコニコしながら、鋭い変化球を投げてきたりもするんですよね。そうきましたか、なるほどなるほど、って、深澤さんとのキャッチボールはいつも刺激的。三宅さんはもう、何て言うのかしら、精神がすごく柔軟。行動も実に軽やかで、驚かされることがしばしばです。いろんなことを見ていらして、話していると「この展覧会、このコンサート、よかったですよね」なんて教えてくださって、いったいいつの間に......?!と思うほど(笑)。しかも話題は、アートやオペラの最新情報からお笑いの世界まで、ものすごく幅広い。
また、仕事をしていてしばしば感じるのが、3人ともとても人間的な魅力にあふれた方々だということ、素晴らしいユーモアの持ち主だということです。デザインというのはやはり社会でいかされるものであるし、人が使うものですから、ヒューマンな視点は不可欠だと思うのです。3人が仕掛け上手だったり、自身の作品の伝え方を常にあれこれ考えているのも、人を楽しませよう、生活をより楽しくしようという気持ちからなんですよね。自分たちが面白いことしかやらない人たちですから、21_21の活動については乞うご期待!って、自信をもって言えます。

プレオープン・イベントしとして11月に[21_21 DESIGN SIGHT Talk]という催しをおこないます。たとえば館内のサイン計画だったり、企画展を開催するのに至る過程であるとか、現在の途中経過をご紹介する機会になります。制作の舞台裏のようなものも当然出てくるでしょうし、動いているということ自体が21_21の重要な性格だということを、いらしてくださるとよくわかっていただけるのではないかと思っています。



2006年9月14 財団法人三宅一生 デザイン文化財団にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十風一晴

パリの市場、日本のコンビニ


三宅
若い頃にパリで暮らしていたことがあるんですが、パリではね、通りの広場に市場が立つんですよ。よく行きました。肉屋、八百屋や魚屋、花屋などいろいろな店が出る。それらのお店はね、パリ市内のいろんなところを回っているんです。小さなトラックで定期的に決まった場所にやってきて、何にもない広場にあっという間に台を設置してきれいに商品を並べる。時間がくると、またさっとかたづけて、跡形もなくまたもとの広場になる。その素早さが見事でしたね。
日本でも京都の錦だとか、金沢の近江市場とか、市場があって買い物をしますでしょう。そういうところにはコミュニケーションがありますよね。料理人も来るし、観光客も来る。もちろん、地元の人も。
佐藤
パリの市場でのコミュニケーションはどんな感じなんですか。
三宅
お店の人とお客さん、お客さん同士の2つがありますね。お店の人が今日はこれがあるよ、とか、今日は来るのが遅かったねと話しかけてくる。お客同士のコミュニケーションというのは、市場を歩いていると友だちに会うんですよ。とくに週末の市場ではね。こんにちわ、いま何やっているの? とか言って情報交換したり、今日うちに来いよ、とかね。そういう出会いがある。
佐藤
日本のコンビニって、お客さん同士が話すことはないし、働いているスタッフ、とくにアルバイトの方は短期間で変わってしまうから顔なじみになることもないですし、お店の人ともレジで会計を済ませたらそれ以上の会話もまずない。コミュニケーションという意味からするとまったく違う浸透のしかたであるといえますね。
三宅
そうですね。話しかけるのがはばかられるようなところがありますよね。
佐藤
コンビニでも毎回同じ人が対応していたり、扱っている商品にとても詳しかったりしますと、なにか会話が生まれそうな気がしますね。コンビニにこれから期待したいことではありますね。
これからのコンビニ


三宅
僕はコンビニでスポーツ紙を買うんです。キャッチフレーズが面白いのを直感的に選んで買うのが好きでね。写真も大きいし、面白いですよね。大げさな表現をしていますけど、見ていると元気が出てくるんです。
佐藤
スポーツ紙はグラフィック・デザインとしてかなりアヴァンギャルドなことをやっていますね。学校では習ったこともない、過激な、なかなか新鮮なことをやっていると感じます。
三宅
競争の激しい世界ですからね。朝の出勤の忙しい時間に、いくつも並んでいるなかから1紙を一瞬で取り上げるというのはね。買い物も秒単位で考えないといけない時代なんでしょうね。
佐藤
たぶんコンビニでも同じでしょうね。コンマ何秒かで目にとまるようなパッケージをどうするか、各商品がしのぎを削っている。
三宅
買う方も、頭の中でなにが欲しいかのイメージはあるんだと思うんです。それを速やかに見つける、というところがあるんじゃないかな。だから、ぱっと目について瞬時に買ってもらうような工夫が必要になるわけですね。
佐藤
広告、パッケージの世界では唾液を出させる要素のことをシズルというのですが、今日行ったコンビニは、デザインもそれほど過剰ではなくて、本当においしそうに見えました。一般的にコンビニというのは、唾液も出ないような、蛍光灯の光が強くて影もないような空間のなかですべてが記号化している。おにぎりが食べたいなと思って唾液を出して買うのではなくて、記号で買っている。それに対する反省として、食べるものはおいしくあるべきではないかという思いから、ナチュラルローソンなどが出てきているのではないでしょうか。
三宅
今日のお店はせせこましさがない。それから、おでんのにおいがしない。そのかわりにパンのにおいがする。どうしておでんを置かないんですかって聞いたら、うちはパンを焼いて出していますからということでした。いずれにせよ、日本にこれだけいろいろなコンビニができますとね、僕などは店のつくりがわかりやすそうなところに入ってしまいますね。
佐藤
コンビニ自体のデザインというのも、これからはもっと日本の風土から考えられてもいいでしょうね。やはり審美性といいますか、情報がきちんと整理されていてわかりやすく、いて気持ちがいい、つまり心地よい空間のデザインがなされていく方向もありではないでしょうか。
利益のあげられない商品はすぐに棚から下ろされてしまいますから、日本のコンビニの棚は世界で一番きびしい棚だと言えるんです。ものを育てていこうというメーカーや企業の思いは売り上げ優先のためにぜんぶ切り捨てられてしまう。そのことに対する問題提起というものはある。利益だけを優先していたらナチュラルローソンのような試みはなかったと思うので、そういうところは評価をしていかなければいけないですね。
三宅
今日は、日本人の感性がパッケージや店づくりにちゃんと生きていると思いましたね。
佐藤
よく見ると、日本ならではのデザインが身近にけっこうある。そういう目で見渡してみると、日常生活も面白いなと思いました。海外のコンビニと比べてみる機会もあるといいですね。デザインの違いも見えてくるような気がします。


2006年8月28日 ナチュラルローソン代々木公園西店
および財団法人 三宅一生デザイン文化財団にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十風一晴

今回はナチュラルローソン代々木公園西店にご協力いただきました。お店の前にはガーデンチェアが並び、焼きたてのパンの香りがする新しいタイプのコンビニです。ローソンが5年前から東京都内と近畿圏で展開しているチェーンで、現在、約70店舗あるそうです。
http://natural.lawson.co.jp/

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21_21 Image Photo


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターによる放談、第2回をお届けします。今回は、いまやニッポンの日常に欠かせない存在となったコンビニエンス・ストア(以下コンビニ)に出かけ、買い物をして、生活のなかのデザインについて語り合いました。

自宅の延長にある店


佐藤
今の日本で、コンビニは生活のなかで重要な一部を占める存在になっています。ものを買うだけではなくて、銀行のATMや宅急便を使ったり、郵便ポストがあったり、税金を払ったり。ここまでくると、その存在を否定することは難しくなってきています。だから、コンビニについて、どうすればもっといい方向に向けられるかを考えることには意味があると思うんです。今日は美術館のように、デザイン館のように、コンビニを見学してきましたよね。普段はなかなか、これほどじっくり見ることはないと思うのですが、一生さんはどうでしたか。
三宅
若い人にとっては必要不可欠な場所になっていますよね。毎日コンビニに行くと言う人が90%くらいいる。何を買うの? と聞くと、朝はお茶や水、夜は明日の朝食べるものを買うということです。コンビニに行くことが完全に生活のリズムになっている。僕自身は毎日は行かないんですが、今回はこういう機会があったのでいろいろ行ってみました(笑)。
一般的なお店と比べると、コンビニはお客さんの要望や気持ちと向き合って商品を薦めるということではないですね。お客さん自身がなにが欲しいかがわかっているからそういう必要はない。今日行った「ナチュラルローソン」は、お客さんが自由に品定めできるようにいろんな工夫、見せる工夫をちゃんとしていたように思いました。お客さんの気持ちをよく読んでますね。たとえば、相手がどんな人でどのくらいの分量を求めているのか、ということを見極めたうえでの商品陳列がなされている。だから、商品がどんなことをこちらに訴えているかを見るのが楽しく感じられました。
佐藤
考えてみますと、都市型の生活をしている人というのは狭いところに住んでいて、家賃も高い。そうすると、家のなかにいろいろなものを大量には貯蔵できないので、必要なものをそのつど、手に入れる。つまり、コンビニがある意味では自宅の一部化しているというような気がします。たとえば家で雑誌を読むのではなく、コンビニの棚で読む。そういう意味で、暮らしが変わってきている。そのことによって、ゴミが増えるなどのいろいろな問題が発生するんですが、一概に悪いことだけじゃないようにも思えるんです。日本のコンビニは普段の生活と密接に関係しているからこそ、たとえばひとつひとつの商品の量までも、デザインの要素になっている。小さい商品ならば目につくように見せなければいけないなど、日本的な、こまやかな神経や工夫が、見え隠れしているような感じがします。
三宅
これからは、店の空間のつくりかたや空気感みたいなものまでも計算する必要が出てくるんじゃないでしょうか。冷房の効かせ方もほどよくして心地よい空間をつくるという配慮も含めてね。今日行ったところは、ちょうど僕らがいたときに乳母車を引いたお母さんが入ってきたけれど、乳母車でも買い物ができる通路の広さというのもいいことですよね。店のなかも気配りの効いた配列をしている。いわば、工夫がデザイン化されている。
やさしいパッケージ・デザイン


佐藤
(ドレッシングを取り上げて袋から出しながら)これ、お使いになったことはおありですか? これはなかなか良くできてまして。このまま、こうやってむいて、ぐるっと...(パッケージを人差し指と中指、親指でつまんでみせる)。
さらにこうやって...(逆側に折り曲げると、真ん中に切れ目が入り、ドレッシングが絞り出される)。
三宅
すごいですねえ(笑)。
佐藤
これはパテントを取っていますけれども、優れていますね。
三宅
しかしこういう細かい仕組みは、日本人が考えたことなんでしょうね。冷蔵庫に入れておくと賞味期限が気になるからどんどん捨ててしまいますが、そういう心配がないですね、この商品なら。
パッケージ・デザイン
写真左:最後の一滴までも無駄なくだせるんです(佐藤)
写真右:これ、ペットフードですよ。人間用に負けないほどパッケージが凝ってます(三宅)


佐藤
(別の袋を取り上げて)せんべいでは、当たり前になっている小分け。一枚一枚別々になっています。
三宅
これがいいんですよ。これがひとつの袋に入っていたとしたら、しまいにはぜんぶ食べちゃうもの。シケないしね。ひとつ食べたらこれでおしまいと、人間が人間をしつけるというかね。今日は1枚だけでおしまいにしようってね、思える。
佐藤
もしかすると海外からは、日本のパッケージは過剰包装で資源を無駄にしているという意見が、短絡的には出ると思うんです。でも日本の食文化、日本人の繊細な神経など、パッケージには背景があるわけです。そう簡単には切り捨てられない"やさしさ"って、こういうパッケージのありかたにもあるんじゃないでしょうか。
三宅
過剰包装の問題は別として、パッケージが小分けされているというのはですね、日本の文化として古くからある、ものをほんとうに大切にするというところからきている。いまは大量消費の時代だからつい忘れがちだけれども、相手のために必要なことをやるというのは、日本らしい繊細さですね。
佐藤
最近の食品のパッケージは、和風化している傾向がありますね。筆文字などで商品名を表現していたりします。
三宅
和のものだからかもしれないけれど、親しみやすいというか。これは、蜂蜜ラベンダーのソープですか(石けんのパッケージを指さす)。
佐藤
新聞紙で包んでいるような雰囲気を出していて、この考え方はなかなか新鮮。
三宅
どこから開ければいいのかな。
佐藤
ここで開けるんじゃないかな。
三宅
開けるときに破るという感覚は感心しないんだけどな。(結局、破くしかないことがわかり)ちょっと、残念だな。
佐藤
そうか、そうか。これは開けると中身がビニール袋に入っている。それは香りという難しい問題があるからですね。包装としては紙だけで成立しているんだけど、香りが出てしまうとほかの商品に影響が出てしまう。こういうことまでを、パッケージ・デザイナーは考えなければならないんですよね。

放談vol.2 後編へつづく

「いもや」のカウンターの秘密


深澤
この近くに「マコ」っていうカレー屋があったの知ってる? そこのカレーを2ヶ月くらい食べ続けたことがあってさ(笑)
佐藤
それは、身体が傾くよ、いくらなんでも(笑)
深澤
けっこう面白かったよ。当時350円だったんだ。それをどれくらい続けられるかとか、へんなこと考えてた(笑)
佐藤
ひとりでやってたの?
深澤
ひとり。あんまり友達いなかったよ。それがよかったんじゃない? 
佐藤
そして、神保町の「天丼 いもや」。
深澤
行った行った。天丼もトンカツも。あの店に行くと必ず、順番が来るまで待つわけだけど、でも並んで待っている間に学ぶんだよね。あの店のシステムというかプロセスのすごさを。俺が一番驚いたのは、今でこそミニマリスムだと思うけど、どんぶりが棚に1個も入っていないんだ。
佐藤
そうだった、言われてみれば。
深澤
人数分しか必要ないから。全部循環しているから、棚の中に食器がいっさいない。
佐藤
お店が終わると、棚に入る。
深澤
そう。だから、すかすかしているんだ。すごいなと思った。
佐藤
並び方もシステマチックに決まっていたよね。食べているときは喋らない。たしか海老のしっぽまで食べると、大盛りが普通の値段で食べられたんだよね。
深澤
それは知らなかったな(笑)。
佐藤
「いもや」のカウンターがその後、言ってみればよみがえったというのがあるわけじゃない? 深澤さんにとって。
深澤
檜の、塗装していないあったかい感じ。寿司屋もそうだけど、席につくと、なんにしようかなって、こう、触るじゃない。あの感じだよね。接触している感じ。あれがいいんだ。
佐藤
あれが今の角アールにつながるわけですね?
深澤
あ、俺の? 2.5Rに?......つながってるね。感触としてはつながってる。
佐藤
後々、経験としてよみがえっているわけだよね。


深澤
考えてみると、一番最初に勉強を始めた頃の自分の試行錯誤って、今の自分の基準になってる。芸大の先生が描いたすごくうまい石膏像のデッサンを見たことがあるんだ。それは背景に影がついているわけ。みんなは石膏像の胸のところを黒く描いているのに。で、俺はいきなり背景から描いてみたんだ。
佐藤
えっじゃあ、その頃から、白い石膏像を描くならバックから描くと考えていたわけ?
深澤
でも「そういうのはテクニックをなぞっているだけだから、もっと胸の厚みをとらえろ」と先生に言われちゃって。
佐藤
でも深澤さんが正しいよ。もののとらえかた、考え方なんだから。でもあった、バックに調子がついていて、石膏像そのものにはない、そんなデッサンがあったね。
深澤
ピカソの、十代のときの、脚を描いたやつとか。
佐藤
それそれ。円盤投げの脚だよ。
深澤
それ。すごいんだよ。
佐藤
周辺とか、ものの関係というのを、その頃に考えていた? 『デザインの輪郭』じゃないけどさ。
深澤
うん。そのものを描くか、輪郭から描くかというのは、すでにそのころ考えはじめている。
佐藤
予備校のときに考えていたことって、実は正しかったんじゃないかって思うことっていっぱいあるね。そしてそのことを忘れていないんだ。今の基礎なのかな。
深澤
そう、今の基礎。あっていようが間違っていようが、そこから始まっていることは間違いない。
佐藤
深澤さんは、大学を卒業して時計のメーカーに入ったんだよね。
深澤
8年いたのかな。で、アメリカの会社に行って、それでもう、デザインがわかったみたいな。コンサルタントとしてのデザインを勉強して。企業のデザインをやって、今の自分がある。
佐藤
アメリカにいってからはもう、自分を確立していたと思う?
深澤
そのときは王道を行っていると思っていたけど、今考えてみるとやっぱりまわりの環境に、かなり影響されていたと思う。フリーになって3年半くらいで初めて、自分がひとりでデッサンをはじめたときと同じ状態にもどったんじゃないかな。自分で考えて自分で答を出していくことができるようになったというか。卓さんはフリーになったのが早かったから、すごいよね。
佐藤
今よりは経済的にいい時代だったから、なんとかなったのかもしれない。でもね、なんでもやりました。だってほとんど世の中に出ている仕事なんてないわけだから...ほんっとに、いろんなことを。だから、深澤さんの仕事見てると、最初から今の状態に目標を定めていたように感じるんだけど?
深澤
いや、それはいろいろ揺さぶられたから。デザインっていうのは多岐にわたっているからさ。全部とりいれて何が正しいかなんて考えると、ものすごく揺さぶられる。
佐藤
揺さぶられてさ、右や左にぶつかりながら、軸を見つけてる。
深澤
...見つけようとしてるんだけどさ、やっぱり揺さぶられているんだろうね。また10年後にやろうか、この話。
佐藤
いいね。10年くらい前のバブルの時代に、雑誌の取材で「いまどういうものが欲しいですか」という質問がきたわけ。僕が「普通のものが欲しい」って答えたら、記事にならないって言われた(笑)。その、「普通」という軸を10年ごとに考えたら、すごく面白いかもしれないね。
深澤
「普通の軸」っていうのは難しいんだ。それを考えることができるデザイナーっていうのが僕の基準になっているかもしれない。「普通の地平」を作れるかどうか。
佐藤
すごくデリケートで微妙なものだよね。
深澤
そう、微妙なものだけど、実はどこにでもあるんだよ。


2006年5月22日 画廊喫茶ミロにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/中野愛子

ふたりが語りあったのは、JRお茶の水駅から近い、画廊喫茶ミロ。創業50年を数える老舗です。営業を始めた1950年代からほとんど変わらない店内を、創業者の女性店主と娘さんが切り盛りされています。

[画廊喫茶ミロ]
所在地:東京都千代田区神田駿河台2-4-6
電話番号:03-3291-3088
営業時間:8:00〜23:00
定休日:日・祝

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21_21 Image Photo


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターの佐藤卓と深澤直人は、美術大学進学をめざしていた浪人時代、東京・お茶の水にある同じ予備校に通っていました。当時、面識はなかったそうですが、今回久しぶりにお茶の水の街を訪れたふたりが、デザインに目覚めた頃と現在を語ります。

深澤直人、デザインに目覚める


深澤
どんな予備校生だったんですか?
佐藤
まじめだったよ。髪の毛は長かった。
深澤
僕も。
佐藤
ロック聴いてた?
深澤
いや。髪の毛だけ。短かったらおかしい時代だった。
佐藤
美大に行こうと思ったきっかけって何だったの?
深澤
もともとは家業を継ぐつもりで、工業高校に行っていた。高校3年まではバスケに夢中だったんだ。インターハイが終わってから初めて進路を考えたわけ。図書館で『蛍雪時代』っていう雑誌を見ていて、いろいろな大学を紹介している特集号だったんだけど、「工業デザイナーとは、工業製品を通じて人に夢を与える仕事」って書いてあった。それで、これだ! と。それまでデザインのデの字も知らなかったけど、即決した。
佐藤
そのときにはデザイナーが何をやるのかなんてわからないんでしょう?
深澤
うん。なんか図面を書く人かなってくらいでさ。で、美大をめざして最初は見よう見まねでデッサンを描きはじめたんだけど、いくらなんでもそれじゃだめだろうってさ、芸大の卒業生が地元に戻って開いていた美術系の予備校に行った。女学生ばかりでさ。俺、男子校だったもんだから、デッサンよりそっちのほうに目がいっちゃって(笑)。で、ひととおり全部の美大を受けたんだけど全部落ちた。それでお茶の水の予備校に入り、浪人生活が始まったわけ。
佐藤
日本の美術教育ってまず石膏のデッサンだけど、面白かったと思わない? 先生に、おまえはうまいけど心がこもっていない、とか言われるんだよね。
深澤
俺は当時、そのへんにあるものをそのまま描けばいいと思ってた。いきなり全体をとらえろとか言われて、そういう見方もあるのかと思って。どんどん面白くなっていくわけだよね。朝なんて始発で来て、場所とりをする。
佐藤
うんうん、シャッターが開く前に並んで、開いたとたんに駆け込んで石膏像の前に場所をとるんだよね。あのときほどひとつのことに集中したことはないんじゃないか、と思うほど石膏デッサンに集中してたよね。
深澤
ものを立体的にとらえる、そういう目を鍛えたのは、美大というより予備校時代。このお茶の水界隈が、デザインやアートを一気に吸い込んだ時期だよね。
佐藤
そうそうそう。ここでの経験が基礎になってる。
佐藤 卓、グラフィック・デザイナーをめざす


深澤
卓さんは予備校に通っていた当時、デザインやるって決めてたの?
佐藤
親父がデザインやってたんだ。
深澤
なんのデザイン?
佐藤
グラフィック・デザイン。
深澤
おお! すごいじゃん(笑) 2代目、純血じゃん!
佐藤
小学生のとき、「卓ちゃん、お父さんは何をやっているの」って質問されたら何て答えればいいの? と親父に聞いたら「グラフィック・デザイナーといいなさい」と言われた。なにしろグラフィック・デザイナーが何をやってるかなんてわかんないんだけど、親父がやっていることがそうなんだろうと。石油タンクのデザイン、百貨店や吉祥寺駅前の小さなお店のシンボルとか。グラフィック・デザイナーってのは立体もマークもやるもんだと。
深澤
それは情報的に早いよね。
佐藤
デザイナーになろうと思ったきっかけは、LPジャケット。だから、きっかけもグラフィックなんだよ。高校の頃からロックとかブルースとか聴きまくっていたから。そうすると音楽が入ってくるし、ミュージシャンのファッションも入ってくるし、LPジャケットのデザインも入ってくる、文字も入ってくる。ロックという音楽のレールに乗ってすべて来るわけじゃない。グラフィック・デザインってのはよくわからないけど、とりあえずそれだと。で、美大に行くためには予備校ってのがあるらしいと。それで高校3年の夜間からここに通ってた。
深澤
そのころデザインと思っていたことと、今とはあまり変わらない? 
佐藤
それは変わった。はるかに。
深澤
今はデザインって、ある程度一般的になっているけど、そのころ美大に行くなんて、俺たちはかなり変わり者扱いされたでしょ。
佐藤
そうだったと思う。だってクラスにひとりぐらいしかいないし。美術系に行くというのは特別なことだから、担任の教師からも、もうわからないと言われた。デザイナーになるなんて特別なこと、みたいな時代だったよね。それがいま、学生の前で話すときに「特別じゃなくていい」と言っているわけだよね。
深澤
そうそう。僕はたまたま美大をめざして純粋培養的にデザイナーになったけれど、もしかしたら別のことに興味があり勉強していた人が、ポテンシャルを持っていることもあるだろうと今は思うよね。考えてみると、僕らが勉強をはじめたころは、確固たるデザインという言葉があって、ゴールをめざすというふうに思いがちだった。でも今は違ってきている感じがする。デザインやアートの世界には、そんな決まった道筋なんてのはないんだよね、きっと。自分で探っていくしかない。そういう意味で、予備校で夢中になって勉強できたのはラッキーだった。

放談vol.1 後編へつづく