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深澤直人 (48)

国内の美術館で開催されるデザインに関連する展覧会をご紹介します。

金沢21世紀美術館「工芸とデザインの境目」

2016年10月8日(土)- 2017年3月20日(月)

21_21 DESIGN SIGHT ディレクターの一人でもある深澤直人が監修を務める展覧会「工芸とデザインの境目」が、2016年10月8日より金沢21世紀美術館で開催されます。

工芸とデザインはものづくりという点では同じですが、両者は異なるジャンルとして区別されています。しかしながら、それらをつぶさに観察するまでもなく、両者の間には「デザイン的工芸」また「工芸的デザイン」とも呼べる作品あるいは製品があるように思われます。
本展覧会では、「プロセスと素材」「手と機械」「かたち」「さび(経年変化)」といった観点から工芸とデザインを見つめ直すことによって、それらの曖昧模糊とした境目を浮き彫りにし、最先端技術の発達などによって多様化が進む両者の新たな地平を考察します。

>>金沢21世紀美術館ウェブサイト

「土木展」は21_21 DESIGN SIGHTではもちろん、他の美術館でも珍しい土木を扱った展覧会。ディレクターたちもいつもとはちょっと違う雰囲気を楽しみながら準備に取り組んでいます。21_21 DESIGN SIGHTディレクターの一人、深澤直人に聞きました。
構成・文:青野尚子


21_21 DESIGN SIGHT建築プロセス

外国から日本に帰ってくると、何もかもがきちんとしていることに驚かされます。ビルが曲がったり、道路がでこぼこだったり、道の脇にいつまでも水がたまっていたりといったことがなく、シャワーからはいつもお湯が出て、道は平らだし、横断歩道の白線も真っ直ぐです。ガラスで覆われたビルの表面には景色がぴしっと映り込んでいます。外国だと、ガラスがまっすぐでないのか、映り込んだ風景がもやもやしていたりするのです。出来上がったあと、いつまでもきれいに保たれるような工夫もされています。日本の土木や建築を見ていて、日頃から日本の底力、豊かさを感じていました。

その影には土を掘り、コンクリートやアスファルトを流し込む、あらゆる段階でわずかな誤差もゆるがせにせず、ていねいな仕事をしている人たちがいるのです。21_21 DESIGN SIGHTの工事でも、現場がとてもきれいだったのが印象に残っています。汚さないように作業をし、汚れても毎日それをきちんと落としているからです。最近も私のオフィスから見えるところでビルの建て替え工事が行われていたのですが、巨大な工作機械を効率的に動かし、資材を搬入し、残土を搬出する、それらの作業が極めて段取りよく行われているのに驚きました。限られた敷地と時間内で必要な作業を割り振るのは高度なパズルを解くような大変な仕事です。巨大プロジェクトではJV(ジョイントベンチャー)と言って数社が協力しあって施工にあたるようなネットワークやシステムもできている。こうしてつくるプロセスがきれいだと、結果としてできあがるものも美しいものになるのです。

また土木や建築の現場で働く人たちは一見、荒っぽく見えるかもしれませんが、彼らはとても規則正しい生活をしています。早朝4時か5時には起きて8時から働き、お昼の他に10時と3時にも休憩して5時には帰る。こうしないと体力が持たないからです。誰か偉い人が権力で動かしているわけでもないのにきちんと統制がとれていて、みんながルールを守っている。こういった姿勢が、品質への信頼につながっているのだと思います。


「現場で働く人達」株式会社 感電社(Photo: 菊池茂夫)

私の専門であるプロダクトデザインと土木には共通したものづくりの姿勢があります。クオリティを保つため、ズレ幅の許容範囲内に収まるよう厳しく追い込んでいく技術力やマインドは小さなものでも大きなものでも変わりません。しかもこうやってつくりあげた精度の高いものをていねいにメンテナンスして使い続けている。たとえば1964年の東京オリンピックに合わせてつくられた首都高速道路は最近、山手トンネルなどが完成し、混雑が緩和されました。新幹線も開通して半世紀、地震などを除くと事故ゼロで運行されています。基礎をきっちりつくってメンテナンスも欠かさない、それらに関わるすべての人々がプライドを持っているからこそ、クオリティの高いものが保たれているのです。

こういったことを日本人は当たり前だと思っていますが、外国から見ると驚くべきことなのです。もうすぐ完成するアメリカのアップル社本社ビルはイギリスの建築家、ノーマン・フォスターの設計ですが、この建物は「MacBook」と同じような精度を目指していると聞きました。彼らは日本のものづくりを尊敬し、同じようなきめ細かさを実現しようとしているのです。「土木展」はこのことを改めて皆さんに知ってほしいと思って企画しました。日本とはこういう国なんだということを自覚してもらい、伝える機会にしたいと思ったのです。

この展覧会では、普段は見えない土木の世界や裏側で起きていることが見えてくるものにしたいと思っています。見えていない部分が見えるから面白い、そう感じていただけるようなものにしたい。子どもがわくわくしながら工事現場を見るような楽しい展覧会になるといいと思っています。これは21_21 DESIGN SIGHTがいつも目指していることでもあります。こうしてお客さんの興味をくすぐって、あ、そうなんだ、といろいろなことに気づいてもらい、感動してもらえればうれしいと思っています。

ふかさわなおと:
プロダクトデザイナー。2003年 NAOTO FUKASAWA DESIGN 設立。
21_21 DESIGN SIGHTディレクター。
卓越した造形美とシンプルに徹したデザインで、イタリア、フランス、ドイツ、スイス、北欧、アジアなど世界を代表するブランドのデザインや、国内の大手メーカーのデザインとコンサルティングを多数手がける。デザインの領域は、腕時計や携帯電話などの小型情報機器からコンピュータとその関連機器、家電、生活雑貨用品、家具、インテリアなど幅広い。人間とものとを五感によって結びつける彼の仕事は、より大きな喜びを使い手に届けるものとして高く評価されている。2010〜2014年グッドデザイン賞審査委員長。多摩美術大学教授。日本民藝館館長。

開催中の企画展「雑貨展」で、展覧会ディレクターを務めたプロダクトデザイナーの深澤直人と、展覧会グラフィックを手掛けたグラフィックデザイナーの葛西 薫。分野は異なれどデザインに通じ、「雑貨」に深い関心を持つ二人が、展覧会オープン前日の会場をともに回りました。
会場に並ぶ数々の雑貨や作品をきっかけに、二人が「雑貨」への思いを語る様子を紹介します。

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深澤:最近、自宅のキッチンとリビングに綺麗なデザインの棚を置いたんですけど、そこにどういう順番でモノを置いていくかということが最初はなかなか決まらないんです。だけど生活し始めて、何か一個のモノを置くと、それがひとつの定義付けとなり、次に置くモノが決まって。その繰り返しの中で、「これはこっちに移動しなくては」とか、そこに置くモノや配置がどんどん変わってきて、だんだん収まってくるようになる。砂を振るうと大きな粒と小さな粒とに分かれるように。コーヒーカップとティーカップだとか、それぞれのモノに力関係があるんですよね。そこに磁力のようなものを感じることがある。

葛西:僕も最近引っ越したので、よくわかります。可動棚をつくることになって、棚を置く位置を決めなきゃいけないんだけど、まだモノがどのように置かれるのかがわからないから、なかなか決められなくて。それで先日、ひとつの枠だけにあえて絵を入れたんです。そうするともう他のモノを置けないから、本はあまり置かなくなってしまって。結果、そこがステージになりましたね。一種の神棚的な雰囲気が出てきました。

深澤:何も置いていない棚は綺麗でも、そこに本をびっしり入れすぎちゃうと、棚は消えて「本の壁」になっちゃいますよね。でもそこに1冊2冊だけ本を置いて、隣に何か違うものを置くと、棚はステージになる。こういうところに雑貨の「美」があると思うんです。例えば、絵を置いたら、その絵を入れるフレームだったり、その隣に置いてあるペットボトルだったり灰皿だったり、そこにひとつのストーリーが自然にできてしまう。

葛西:生活する内に、どんどん好きなものとか必要なものが増える中で、それらのモノには「間」みたいなのもあって。並べていくと何となく優先順位があるんですね。これは役に立たないけれども手元に置いておきたい、とか。無意識の判断なのかもしれません。上手く言えませんが、「そこにあると落ち着く」という、適切なポジションみたいなものがある。ただ、それは人それぞれの感覚であって。この展覧会を見ても、それぞれの人にその人なりの素晴らしい世界があって、個人個人で違うことははっきり分かりますね。「いいなあ」と思ったりもするけれどやっぱり「僕ではないなあ」みたいな。お互いさまだよなあと思ったりします。

深澤:並べ方によっても、印象がまったく変わりますからね。今回の展示では『松野屋行商』の荷車のような、まさに「雑多」なものを一気に凝縮して集めた部分と、お店のように雑貨をきちんと一個一個、綺麗に並べているような部分とがあって、そこにはまた違った味がある。そのコントラストこそがこの展覧会の面白さ。ある意味では来場者を困惑させながらも、納得させるものがあるんじゃないかと思っているんです。

構成・文:井出幸亮
写真:大谷宗平/NACASA&PARTNERS, Inc.

開催中の企画展「雑貨展」で、展覧会ディレクターを務めたプロダクトデザイナーの深澤直人と、展覧会グラフィックを手掛けたグラフィックデザイナーの葛西 薫。分野は異なれどデザインに通じ、「雑貨」に深い関心を持つ二人が、展覧会オープン前日の会場をともに回りました。
会場に並ぶ数々の雑貨や作品をきっかけに、二人が「雑貨」への思いを語る様子を紹介します。

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葛西:子どもの頃、文房具屋に行くのが好きだったんですよね。ちまちましているものが好きで(笑)。今でもそういうところがあって、必要もないのに買ってしまうんですけども。昔、僕が中学生とか高校生とかのころに。セーラーの万年筆で「セーラー・ミニ」というのがあったんですよ。閉じると短くなってて、かっこ良かった。

深澤:サイズが小さくなると、急に魅力的になったりしますよね。実は今回の展覧会で、僕が台湾で見つけてきた、サントリーのウイスキーの角瓶の小さいのを展示しているんです。雑貨展の企画が始まるときに、頭の中で「雑貨、雑貨」と思いながら歩いていたときに見つけまして。なんかかわいいんですよね。これは台湾のコンビニで売るためにこういうサイズになったもので、デザイン的な観点で小さくしたわけでないんでしょうけれど。

葛西:僕も今日、自分なりの「雑貨」を持参してきました。これは僕がデザイナーになろうと東京に来てはじめて買った色鉛筆。これはよくできていて、40数年使っていてまだ使い切らないんです。あとこれも1970年代くらいのもので、伊東屋で手に入れたテープカッター。テープがさっとつかめて、今も愛用していています。復刻販売して欲しいですね。これはただ土産物屋で買ったんですけど、パーカーのインクの入れ物。こっちは本の装丁用の道具。僕は自分で束見本を作るときに、糊をつけてぎゅっと締めて使う。なかなか実用的なんです。

深澤:葛西さんが持っているからこそ雑貨になった、というモノたちですね。とても面白い。

葛西:僕にとっての雑貨は「たわし」みたいな、実用的なモノの中にあるんだろうな。ただ、ひとつひとつのものの魅力とは別に、それらをこうして並べていくことで、また違った見え方をするのが面白いですね。

>>第4回へつづく

構成・文:井出幸亮
写真:大谷宗平/NACASA&PARTNERS, Inc.

開催中の企画展「雑貨展」で、展覧会ディレクターを務めたプロダクトデザイナーの深澤直人と、展覧会グラフィックを手掛けたグラフィックデザイナーの葛西 薫。分野は異なれどデザインに通じ、「雑貨」に深い関心を持つ二人が、展覧会オープン前日の会場をともに回りました。
会場に並ぶ数々の雑貨や作品をきっかけに、二人が「雑貨」への思いを語る様子を紹介します。

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葛西:深澤さんはご自分の作品が雑貨として一緒に並べられるのは嬉しいと仰っていましたけど、そうではない人もいるでしょうね。

深澤:そう、「自分のつくったものは"雑貨"じゃないよ」という人もいるかもしれない。僕もその気持ちが分からないわけではないんです。矛盾してますよね。でも、この展覧会では出展者の方それぞれが自分の好きなもの、気持ちが良いと思うものが集まっているわけだから、その中に自分のつくったものが置かれることはやっぱり嬉しい。彼らは「モノの魅力に対するこだわり」の頂点にいるような人たちですけれども、そのこだわりとは常に「比較すること」でもあるわけで、色々なモノの中から「こっちの方が何となく好きだな」と選びとっていく作業の結果ですから。

葛西:誰でも、無意識なレベルで「かたちフェチ」みたいなところがあって、モノを見たり触ったりする中で「このカーブが何だかいいぞ」みたいに、生理的にグッとくることがあるんですよね。理屈では説明できないんですが。そういう、僕たちデザイナーができないこと雑貨たちはやってくれるんですよ。意表を突かれて驚かされたり。あと、洗練され過ぎてないというところも重要ですよね。僕自身、デザイナーになりたての頃は、ビシっとした冷たいイメージが好きで憧れていましたが、今は変わりましたね。

深澤:そう、僕もずっと「寸分も間違いのない綺麗な線が引きたい」と思っていましたが、それよりも人間味をもって崩すほうが難しいですよね。雑貨のカテゴリーの中に入るモノを意図してつくろうとするのはとても難しい。

葛西:例えば、職人が仕事で使う道具って、木の堅さや重さだとか、素材の持つ機能や質感に素直に従ってつくられていたりしますよね。そうやってできたモノに対して、すごいショックを受けることがあります。「デザイナーなんていらないんじゃないか」って思わされるというか。雑貨にもそれと似たものを感じることがありますね。もちろんデザイナーが悪いというわけではありませんが、デザインって「後から生まれるもの」なのかなと思ったりします。

深澤:実際、デザイナーというのが「つくる」側から「選ぶ」側になってきているような面もありますね。いわゆる「目利き」。選んで、編集する。今回の展覧会ではそうした側面も強く感じられると思います。

>>第3回へつづく

構成・文:井出幸亮
写真:大谷宗平/NACASA&PARTNERS, Inc.

開催中の企画展「雑貨展」で、展覧会ディレクターを務めたプロダクトデザイナーの深澤直人と、展覧会グラフィックを手掛けたグラフィックデザイナーの葛西 薫。分野は異なれどデザインに通じ、「雑貨」に深い関心を持つ二人が、展覧会オープン前日の会場をともに回りました。
会場に並ぶ数々の雑貨や作品をきっかけに、二人が「雑貨」への思いを語る様子を紹介します。

葛西:『雑貨展』という言葉を聞いた瞬間に、何となくすぐ雰囲気が分かったんですよ。高級すぎず下品でもない、だけど大切なもの、という感じがパッと分かったので、わりとあっという間に展覧会タイトルのレタリングができたんです。これが「大骨董市」とか「江戸の銘品」とかだとしたらそう簡単にできなかったはずで。だけど今回は最初の打合せの段階で、すぐにある輪郭が見えてきましたね。

深澤:お互い違う分野のデザイナーですけれども、ものが生み出される時ってそういう感じですよね。議論して決めていくということはない。葛西さんはいつも色々な要素を凝縮して結晶化させるような仕事をされているから、このレタリングの中にも雑貨というもののエッセンスが入っている。だから観る側も「これ、雑貨だよね」とすぐにピンと来るし、そのレタリング自体が「雑貨だと感じるもの」を何でも投げ込める枠のようになったというか。

葛西:この字は正方形の紙に鉛筆で文字を描いてカッターで切った「切絵字」なんですよ。

深澤:染色工芸家の芹沢銈介は型紙を切っていくとき、下書きの線の通りには切らないらしいんですよ。むしろ少しズレてしまったほうが良いと言うんです。

葛西:僕も切る瞬間には「こっちかな」と探りながら、あえて鉛筆の線からズラして切っています。そういう作業を通して生まれる、偶然のバラつきが楽しいんですよね。

深澤:これを見た瞬間、「ああ! 雑貨だ」と。雑貨って「雑」ゆえに均一なグリッドに収まらないものですよね。だけど、結局自然界にあるものはみんなすべて形がバラバラなわけで。雑貨とはそんな風にすべてを飲みこんでしまう言葉なんですよね。先日、海外のメディアからこの展覧会について取材を受けたときに、先方から「"雑貨"は哲学的な概念であるように思いますが」と聞かれたんですが、確かにそうなのかも知れないなと。

葛西:そう、「雑貨」ってすごく曖昧な概念だし、それぞれのモノが「言葉にならない何か」を醸しているようなものですからね。

深澤:僕はプロダクトデザイナーなので、常にそうした感覚は切り離せないんです。雑貨と呼ばれるようなモノが放っている魅力とは何か?ということはいつも考えていて、それらと自分が創りだすモノの魅力が同じレベルまで到達しているかというのを、ひとつのメジャーにしているようなところがあります。実は今回、展示された雑貨の中にも自分がデザインしたプロダクトが入っていて、それを客観的に見ることができたんですが、自分が全然いままで感じたことのない感覚というか、展示した人自身の生活観みたいなものがそこに含まれているのを感じました。とにかく、マックス・ビルの世界の名品のスツールも、エットレ・ソットサスも、こうやって生活の中で使われる雑貨と一緒に並べてみると、みんな同じ「雑貨」になってしまう。こんなことが許されるんでしょうか(笑)。

>>第2回へつづく

構成・文:井出幸亮
写真:大谷宗平/NACASA&PARTNERS, Inc.

2016年2月27日、企画展「雑貨展」展覧会ディレクター 深澤直人と、本展参加作家のD&DEPARTMENT ナガオカケンメイによるオープニングトーク「雑貨の領域」を開催しました。「雑」という字が示すように、曖昧にして捉えどころのない「雑貨の領域」を、雑貨に対して異なる意見をもつ二人が語りました。


Photo: 大谷宗平/Nacasa&Partners, Inc.

いよいよ明日より開催となる「雑貨展」。展覧会の開幕に先駆け、会場の様子をお届けします。

私たちの生活空間に寄り添い、暮らしに彩りを与えてくれる欠かせない存在、たくさんの「雑貨」たち。探す、選ぶ、買う、使う、飾る、取り合わせる......多様な楽しみ方を通じて「モノの持つ力」を再発見できる「雑貨」を、本展では、世界的にもユニークなひとつの文化として改めて俯瞰し、その佇まいやデザインの魅力に目を向けていきます。

展覧会ディレクターの深澤直人をはじめ、企画チームが各々に持ち寄り、議論を重ねて選出した「雑貨展の雑貨」。デザイナーやスタイリスト、店主など、分野を跨いだ12組の出展者がそれぞれの世界観を表現する「12組による雑貨」。日本の歴史や文化を背景に人とモノの結びつきを見つめるイントロダクションや、19組の参加作家による雑貨をテーマにした作品群など、「雑貨」を考える上での数々のヒントで溢れる会場にぜひ、足をお運びください。

Photo: 大谷宗平/Nacasa&Partners, Inc.

2016年2月26日より開催となる企画展「雑貨展」。
本企画では、展覧会ディレクター 深澤直人をはじめ企画チームや参加作家、出展者がリサーチを重ね、展覧会をつくりあげていく様子を一部ご紹介します。

2015年12月、21_21 DESIGN SIGHTの館内で「雑貨展」で展示する雑貨の選定会を行ないました。

実際の会場を想定して設えた台の上に、これまでのリサーチで集めてきた雑貨がずらりと並びます。展覧会ディレクター 深澤直人と企画チームのメンバーは、これらを用途別に分けてみたり、並べ方を変えてみたりしながら、展示の方針を固めていきました。

中には、一見しただけでは何に使うものなのかわからないものも。それぞれの「雑貨」を見つけてきたメンバーが、それが何なのかを説明します。

つくられた国も目的も様々なモノが集まると、不思議とそれらを選んだ人の姿が浮かび上がります。その様子からは、深澤の「『雑貨』には、モノをつくった者だけではなく選んだ者の意志が現れる」という言葉が思い出されるようでした。

>>第1回 雑貨展キックオフ会議
>>第3回 「松野屋行商」制作レポート
>>第4回 WE MAKE CARPETS 来日リサーチレポート

2016年2月26日より開催となる企画展「雑貨展」。
本企画では、展覧会ディレクター 深澤直人をはじめ企画チームや参加作家、出展者がリサーチを重ね、展覧会をつくりあげていく様子を一部ご紹介します。

2015年12月、「雑貨展」企画チーム、参加作家、出展者が集合してキックオフ会議が開かれました。これまで個別に打ち合わせを重ねてきた関係者が初めて一堂に会し、各々の展示内容や進捗を共有していきます。

展覧会ディレクターの深澤直人も出席し、自ら持参した「雑貨」を紹介。「デザインもアートもつくる者の意志によって生じるが、定義することが難しい『雑貨』というジャンルでは、そのモノを選んだ者の意志が現れる。本展では、それを来場者と共有したい」と本展に込める想いを述べました。

会議の後半はフリートークに。他の参加作家や出展者と語り合い、お互いを知ることで展覧会のイメージをより深め、意気込みを強める機会となりました。

>>第2回 深澤直人と企画チームによる雑貨選定会
>>第3回 「松野屋行商」制作レポート
>>第4回 WE MAKE CARPETS 来日リサーチレポート

2016年2月26日より開催となる企画展「雑貨展」に関連して、『装苑』3月号に、展覧会ディレクター 深澤直人をはじめ、本展企画チームや出展作家のインタビューが掲載されました。また、深澤直人と企画チームが本展で展示する雑貨を選定している様子も紹介されています。


『装苑』3月号

2015年5月29日、「単位展」作品の「無印良品の単位」制作チームより、良品計画生活雑貨部企画デザイン室 室長の矢野直子と建築家の佐野文彦、無印良品のアドバイザリーボードで21_21 DESIGN SIGHTディレクターの深澤直人を迎え、「深澤直人と無印良品と佐野文彦のギャラリートーク」を開催しました。

冒頭にて、深澤は「当初単位展というテーマを聞き、確固たる単位をイメージするも、自分なりの単位があるのではないかと思った」と語り、本展企画進行の前村達也が、深澤の共著『デザインの生態学』にて述べられている、ものや道具に対して身体があらかじめ反応してしまう感覚を、日常の暮らしにおける単位に置き換えるようにリサーチを行なったと続きました。

尺貫法から導き出され、無印良品の基準寸法を決めるきかっけとなり、現在の無印良品のモジュールの基礎となっている「ユニットシェルフ」を用い、居住空間をつくり上げた「無印良品の単位」。これ見よがしに何かをつくるのではなく、生活における必然性のなかでものをつくり出す無印良品のスタンスと、建築家 佐野文彦の生活に根付いた単位が、ひとつの作品として結びつくプロセスが語られました。

そして日本の生活における単位として、佐野が自ら経験した数寄屋大工のフィジカルな単位感に触れると、矢野は余白があることで生まれる豊かな空間づくりを挙げ、深澤は「決まっているモジュールで隙き間を埋めるのではなく、周辺環境をどうするかで、空間の豊かさが生まれる」と続きました。単位は、揃えてしまおうというところに価値があるのではなく、ゆるやかに人間をつなぐところに真価があるのではないかと、トークは示唆に富んだ内容となりました。

現在、国内の美術館で開催されているデザインに関連する展覧会をご紹介します。

日本民藝館
「愛される民藝のかたち―館長 深澤直人がえらぶ」

2015年3月31日(火) - 6月21日(日)

柳宗悦の蒐集品を眺めていると、人を拒絶しない愛くるしさが滲み出てきます。あえて言葉にすれば「かわいい」でしょうか。一見軽率な意味に聞こえますが、この言葉は美学の普遍を深く鋭く突いており、柳の説く「平和思想」「愛」とも密接に関係しているように思えます。本展ではその蒐集品の中から、とくに「愛らしさ」を宿す150点余りの品々を、日本民藝館 館長であり、21_21 DESIGN SIGHT ディレクターの一人でもある深澤直人が厳選し、紹介します。

>>日本民藝館ウェブサイト

21_21 DESIGN SIGHTディレクターの一人である深澤直人が、台湾の唐奨教育基金会による唐奨メダルデザイン招待指名コンペで金賞を受賞しました。

「唐奨」は、ルンテックス・グループ(潤泰集団)の尹衍樑会長により設置された"東洋のノーベル賞"。「永続的発展(持続可能な発展)」「バイオ医薬」「漢学」「法治」の4部門に分かれ、2年に1度、台湾の最高学術機関である中央研究院が選考を行います。
唐奨の歴史と無限の生命を表現したメダルは、2014年6月に発表される第1回受賞者に贈られます。

photo by Naoto Fukasawa Design

企画展「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」は、来場者の皆様をデザインミュージアムの"入口"へと誘う展覧会です。
ウェブサイト上の本連載では、会場を離れ、各界で活躍する方々が未来のデザインミュージアムにぜひアーカイブしたいと考える"個人的な"一品をコメントとともに紹介します。
展覧会と連載を通じて、デザインの広がりと奥行きを感じてください。

>>「私の一品」一覧リストを見る

2013年11月3日、「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」オープニングトーク「Why not? デザインミュージアム」を開催しました。本展企画の森山明子、佐藤 卓、深澤直人が、川上典李子をモデレーターに自由形の対談を行いました。

そもそも「デザインミュージアム」とは何だろうという話から始まり、佐藤は「デザインは日常のあらゆるものごとに隠れているのにも関わらず、誤解をされている。デザインを意識させる仕組みとして、場が必要ではないか。デザインミュージアムはその場として機能する」と発言。深澤は「デザインはあらゆるものごとがフィールドになるので、それを投げ込める器としてデザインミュージアムが有るといい。それには今現在との関わりのある柔軟性が必要」と続きました。

また、これからのデザインミュージアム像について、森山は「核になる場所を設けて、各々のネットワークによるユニゾンをつくる」と案を挙げ、「近代デザインだけが日本のデザインだと考えると、歴史は浅くなる。デザインの文脈でこの国の歴史を振り返ると、日本には豊かな歴史が限りなくある」とデザインミュージアムが担う大きな役割を述べました。

本展にまつわる活動は一回で終わる訳でなく今後も継続して行ない、アクションを起こさない限り動きは生まれないと、まさにオープニングに相応しいエポックとなりました。

10月25日(金)より、いよいよ「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」が開幕します。

生活のすべてに関わるデザインは、暮らしに喜びをもたらすだけでなく、産業の発展にもつながり、豊かさを生みだします。デザインミュージアムは、優れたデザイン文化を次世代に継承するためのアーカイブとなると同時に、私たちの今後の生活を考えるうえで必要とされる場所になるでしょう。

本展では21世紀のデザインミュージアムに求められる役割について、〈過去/現在/未来〉という時間への眼差しに基づく新たな視点から、当館で開催した展覧会を例に考えていきます。生活、文化、社会と深く関わってきたデザインの今後の可能性について、多くの方々と考える機会となる企画展です。

撮影:吉村昌也

21_21 DESIGN SIGHTでは、2011年から2012年にかけて、東北地方の人々の精神とものづくりの持つ大きな力を改めて見つめ直すことを目的とした、二つの展覧会を開催しました。
本書では、「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」(2011年7月26日~31日)、「テマヒマ展〈東北の食と住〉」(2012年4月27日~8月26日 )の二つの展覧会に出展された64アイテムを、「衣・食・住」のカテゴリー別に完全収録しました。
雪の季節が長く厳しい環境のなか、自然と共存する暮らしを大切にしながら、東北の人々が知恵と工夫を凝らして生み出してきた美しく力強い品々をぜひご覧ください。

『東北のテマヒマ 【衣・食・住】』
著者:21_21 DESIGN SIGHT
監修:佐藤 卓
発行:株式会社マガジンハウス
定価:2,310円(税込) 21_21 DESIGN SIGHTと全国大型書店にて12月13日発売

『東北のテマヒマ 【衣・食・住】』

現在開催中の「テマヒマ展 〈東北の食と住〉」に関連して、先日行なわれたオープニングトークの様子と、佐藤 卓と深澤直人による対談がコロカルに掲載されました。
http://colocal.jp/topics/art-design-architecture/local-art-report/20120621_8003.html

コロカル

2012年4月28日、本展 学術協力の岸本誠司を迎え、ディレクターの佐藤 卓、深澤直人、企画協力の奥村文絵、川上典李子とともに、オープニングトークが行なわれました。

今回のトークは「東北の『時間』」と題して、はじめに岸本より民俗学的な立場から東北の生活と文化について紹介。日頃のフィールドワークで全国各地を訪れている岸本が、実際に見聞きした東北の海や川、仕事や住まい、特徴的な食べ物などを画像スライドとともに解説しました。「テマヒマ展では、東北の等身大の日常を見てもらえると思う」と岸本。

オープニングトーク「東北の『時間』」

トーク後半は佐藤や深澤、奥村、川上を交え座談会がスタート。現地を見ないことにはつくれなかったという本展。当初「東北をあまりにも知らない、入り口に立っている気分だった。デザインは本来何ができるのか、合理主義の今何を大切にしなければいけないのかを考えた」という佐藤。震災をきっかけに企画された本展だが、深澤は「人に売るためにつくり始めたのではなく、彼らが生きるためにつくり始めたものたちにフォーカスした。直接的な行動ではないけれども、21_21の視点でできることから始めた」と語ります。佐藤、深澤を筆頭とした企画チームの中で、当初、展覧会の方向性を悩んだことや、リサーチのなかで出会った風景など、様々な話題が飛び交いました。

合理性ばかりが追求される現代、東北にはまだ残る「繰り返し」の文化をテーマに据えることで、展覧会の見せ方の方向性が決まったといいます。会場には映像や写真とともに繰り返しつくられてきた保存食や、日用品の数々が並び、展覧会のポスターデザインなどのグラフィックをはじめ、会場構成などにも「繰り返し」が生きています。

「東北の"テマヒマ"にデザインや生活の根っこともいうべき面があることを感じ、引き続き、それを探っていきたい。まずは展覧会の形で提案をして、多くの方と意見が交換できれば」と川上は今後の展開を示唆。奥村は「食文化を、日々の道具とともにどのように継承していけるかという課題を、わくわくした気持ちとともに会場から持ち帰ってほしい」と締めくくりました。 質疑応答の時間も積極的に手が挙がり、最後まで熱のある充実した時間となりました。

オープニングトーク「東北の『時間』」


この日深澤が訪れたのは、生ゴム100%の「ボッコ靴」を手づくりするKボッコ株式会社。もともと、りんごの剪定に携わる人々やマタギが、雪山で足を冷やさないようにつくられた靴だが、現在は北海道から九州まで、日本全国から注文が相次ぎ、予約は1年待ちという。



お話を伺ったのは、社長の工藤勤さん。30年前までつくられていたボッコ靴。毎年冬になるとお客様から問合せがあり、「そんなに良いものなのか」と、子どもの頃の記憶や当時の職人さんの助けを得て、10年ほどの研究期間を経た7年前に復刻した。昔の倉庫から、靴型や道具も見つかった。



深澤は、早速一足手に取り、試着することに。


「この短さがかわいらしい。とても魅力的。全国にその魅力が伝わるのが良くわかる」(深澤)。リボン状のパーツは、かんじきを装着するためのもの。


店奥の作業場で、制作プロセスを見せて頂く。


ゴム板を鋏で裁断し張り合わせる作業は、昔のままの手仕事。店の切り盛りの合間に、一日一足のペースでお一人でつくり続けている。片足分で20数パーツあり、ほとんど端材が出ないそう。場所によってゴム板が2-3枚重なるので、とても暖かく、「ボッコ靴」の由来は、「日向ぼっこ」が主流の説という。


「全部板材でつくられているところが良いですね。静かに仕事をされている、そのプロセスと哲学を、展覧会でも伝えたいと思います。」(深澤)


工藤さん、ありがとうございました!


店頭には、息子さんが工作でつくられた、ミニチュアのボッコ靴も。



Photo: Masako Nagano



フォトドキュメント「深澤直人、東北へ」
Vol.1 青森のホームセンター
Vol.2 色と香りが増す、りんごの木箱
Vol.3 叩いて鍛える、津軽打刃物
Vol.4 撒いた菜種に漆がのぼる、津軽「ななこ」塗り
Vol.5 日向ぼっこをするように暖かい、生ゴム100%の「ボッコ靴」

>>フォトドキュメント 「佐藤 卓、東北へ」



一面の雪の中、深澤が訪れたのは、青森県を代表する伝統工芸のひとつ、津軽塗の工房。


お話を伺ったのは、日本工芸会正会員の松山継道さん。江戸時代から続く津軽塗は、漆を何度も塗り重ね、黄色や緑など、カラフルな色使いが特徴。ごく薄いヒバの木地は、現在は数少ない職人に依頼している。


深澤がまず目を留めたのは、500種類以上はあるという、模様のサンプル帳。400年ほど前から蒔絵をもとに発展した、津軽塗の様々なバリエーションは、松山さんらが中心となってまとめあげ、現物は地元の博物館に収められている。


そして、この日深澤が最も注目したのが、「ななこ塗り」。


「ななこ塗り」の制作プロセスを松山さんに実演していただいた。まず、下地をした木地に赤い漆を塗る。


続いて漆の上に、菜種を撒く。「菜種は30kgほど購入しても、使える質のものは半分だけで、一度使ったら再利用はできません。ビーズなど、いろいろな素材を試しましたが、菜種でないとうまくいかないんです」(松山)。「ここまでくる試行錯誤と実験にも、テマヒマがかかっているんですね。種自体がとてもきれいでパワーがある。この微妙な均一感が良いですね」(深澤)


菜種をゆっくりと、漆に馴染ませていく。


「こうすると、種に漆がのぼっていくのがわかるでしょう」(松山)。本当に、種が漆を吸い上げていく。ある程度乾いてから、菜種を剥ぐ。


現れた凹凸に、黒い漆を塗って研ぎ出し、ななこ塗りは完成する。「時間をかけてゆっくり乾かさないとだめ。早く乾かすと黒ずんでしまう。ゆっくり乾かすことで彩度が上がるんです」(松山)。「人間の手だけではなくて、ある部分を自然に任せる。単純に見えてとても難しい仕事ですね」(深澤)


「収蔵庫の中に菜種が落ちて、小さな葉っぱが出て来たこともあるんです」と松山さん。お忙しい中、ありがとうございました!



Photo: Masako Nagano



フォトドキュメント「深澤直人、東北へ」
Vol.1 青森のホームセンター
Vol.2 色と香りが増す、りんごの木箱
Vol.3 叩いて鍛える、津軽打刃物
Vol.4 撒いた菜種に漆がのぼる、津軽「ななこ」塗り

>>フォトドキュメント 「佐藤 卓、東北へ」



深澤は、昭和5年からりんごの剪定鋏をつくり続ける、田澤手打刃物製作所を訪れた。


工房を見渡しひとこと「まるでブランクーシのアトリエみたいだ」(深澤)


工房では、三代目の田澤幸三さんが鋏を製作中だった。この道40年の田澤さん。「一番柔らかい、安い鋼を叩いて鍛える。叩けば叩くほど、コシがあって硬くなる。一日一丁、年間に200丁の生産が無理のないペース。修理と研ぎを繰り返し、10年持つ鋏をつくり続けている」



田澤さんの手仕事を、無言で見つめる深澤。「鉄を叩いているときから、全体をコントロールしているんだ」




完成した鋏を手に取る深澤。「弘前は日本一のりんごの産地。だから日本一の剪定鋏がつくれる。この鋏も今まで残ってきたが、これからはわからない。取手がプラスチック製のカラフルな鋏がホームセンターなどで安く出回っているが、10年は使えない。すぐに使い捨てされ、鋏に愛着がわかない」(田澤)
「近代化で、ものを簡単につくれる時代になってしまった。不便なことは何でも簡単にしてしまう世の中。それ以前に考えるべきことがあるのではないか。手づくりのものがなくなると、失うものも多い」(深澤)



工房には、全国各地から特注の依頼が相次いで届く。十人十色、使い手にあわせて、りんご農家だけでなく、庭師からも難しい注文が届くという。つくり手と使い手の、直接のやりとりが続く。



田澤さん、ありがとうございました!



Photo: Masako Nagano



フォトドキュメント「深澤直人、東北へ」
Vol.1 青森のホームセンター
Vol.2 色と香りが増す、りんごの木箱
Vol.3 叩いて鍛える、津軽打刃物
Vol.4 撒いた菜種に漆がのぼる、津軽「ななこ」塗り

>>フォトドキュメント 「佐藤 卓、東北へ」


青森県弘前市は、日本一のりんごの産地。深澤はこの日、昭和48年からりんごの出荷用木箱をつくりつづける、「青森資材」を訪れた。



深澤が最初に目を留めたのは、明治時代から一箱あたりのりんごの価格を記録した、手書きの価格表。「このテマヒマが素晴しい。ぜひ展示用にお借りしたい。」(深澤)


お話を伺ったのは、青森資材代表取締役の姥澤研治さん。「戦中・戦後の食べ物のない時代には、りんごが重宝された。りんごの歴史が始まって以来、出荷には一貫して木箱を使って来た。」


「ダンボールやプラスチックなどが流通し、多くのものが様変わりする中で、なぜ木箱をつくり続けるのですか」(深澤)。「松の木箱は香りが良い。松によって色(赤み)が増し、白い箱に赤いりんごの色彩も美しい」(姥澤)。深澤は、そのひとことひとことを熱心にメモし続けた。



続いて、倉庫を案内していただくことに。倉庫前には、りんごの木箱が空高くぎっしりと積み上げられていた。


「木の板の厚みも、人の指がちょうどかけられるように、よく考えられているんですね」(深澤)




一緒に案内してくださったのは、3代目の姥澤大さん。青森県だけでつくられているというりんごの木箱。一箱にりんごが50~100個ほど入り、重さは20kg以上になる。20~25人の職人が年間に約40万箱ほど制作するが、秋の収穫と出荷のシーズンには、倉庫内が空になるという。


職人の制作現場を見学させていただく。「今回の展覧会は、同じことを繰り返してものをつくる、東北の『テマヒマ』がテーマ。簡単に使い捨てできるダンボールなどが流通する現代において、木を使った箱づくりは、まさに『テマヒマ』」と、職人たちの手さばきに見入る深澤。


深澤も、りんごの木箱づくりに挑戦した。「初めてにしてはうまいね。4代目になれるよ!」と職人。冬場は木が凍って割れてしまうので、ストーブで板を温めてからつくる。



見学終了後、青森の美味しいりんごでもてなしていただいた。「積み上げられたりんごの木箱は、展覧会の大きなシンボルになる。昔は当たり前だったことが今はまかり通らないことが多いが、昔と変わらないやり方で同じことを繰り返している東北の人々の姿と、その底力に感動した。この展覧会を見て、多くの人々が様々なことを再認識し、見直せるきっかけになればと思う。きっと良い展覧会になる。」(深澤)


姥澤さん、青森資材の皆さん、ありがとうございました!



Photo: Masako Nagano



フォトドキュメント「深澤直人、東北へ」
Vol.1 青森のホームセンター
Vol.2 色と香りが増す、りんごの木箱
Vol.3 叩いて鍛える、津軽打刃物
Vol.4 撒いた菜種に漆がのぼる、津軽「ななこ」塗り

>>フォトドキュメント 「佐藤 卓、東北へ」


2012年2月、深澤直人が青森を訪れた。飛行機の窓からの眺めは、一面の雪。奥には青森のシンボルで人々の信仰の対象になっている岩木山が見える。



青森を訪れるのは、初めてという深澤。「子どもの頃に青森県出身の版画家、棟方志功のテレビ番組を見て感動し、美術家の世界に入ろうと決心した」(深澤)


到着後、地図を片手に深澤がまず目指したのはホームセンター。「地元のホームセンターには、都会にはない魅力がある。時に友人のジャスパー・モリソンと二人で訪れることがある。『この椅子はどこで買った』などと、情報交換したりもする」(深澤)




ぎっしりと並ぶ日用品の一点一点を、じっくりと眺める深澤。「りんごの収穫や雪かきなど、外で仕事をすることが多いから、寒さや雪への対策がかなり切実なんだと思う」(深澤)



深澤の視点で選ばれた、青森のホームセンターの品々。「展覧会のもう一人のディレクター、佐藤卓さんに早く見せたい」(深澤)




Photo: Masako Nagano



フォトドキュメント「深澤直人、東北へ」
Vol.1 青森のホームセンター
Vol.2 色と香りが増す、りんごの木箱
Vol.3 叩いて鍛える、津軽打刃物
Vol.4 撒いた菜種に漆がのぼる、津軽「ななこ」塗り

>>フォトドキュメント 「佐藤 卓、東北へ」

2011年11月25日に行われた、小説家の平野啓一郎とプロダクトデザイナーの深澤直人によるトーク「存在とかたち」の動画をご覧頂けます。


9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


ISSEY MIYAKEのイメージを具体化しているのは、
実はアーヴィング・ペンなのかもしれない


──アーヴィング・ペンさんの写真についての印象をお聞かせください。

深澤直人(以下、深澤):
僕なりの勝手な解釈なんですが、アーヴィング・ペンという人は、自分のビジョンが決まったら揺らがない。そういう確固たるものが作品に現れている気がします。僕らのような仕事をしていると、あるところにまで行き着くのにブレを修正していく作業や、これでいいんだろうかと反芻する行為が発生してきます。でも、あるとき、疑わない強さ、概念に対して破綻なく瞬時に結晶化できる力が彼にはあるのだと思います。写真というものだからなおさらその強さが出るのかもしれません。

──展覧会をご覧になって、いかがでしたか?

深澤:展覧会では、一生さんとのコラボレーションの仕方がアニメーションで紹介されていて、二人の仕事を極めていくプロセスが初めて明かされたのですが、それはとても新鮮でした。アーヴィング・ペンも三宅一生の存在も偉大な作家であることは皆知っていますが、これだけの質量のクリエーションをしてきたのかという内側の実態はあまり明かされてこなかった。感動しました。

一生さんはアーヴィング・ペンとはちょっと違って、自分がいいと思ったことでも、それに自ら疑いをかけるところがある。迷いの中に自分の身を置くことを常に意識し、結晶化の瞬間を待ってつくりあげていく。それは彼独特のやり方であり強さであり厳しさでもあります。強烈なインパクトでした。

──三宅一生さんとペンさんのコラボレーションについては、どう思われましたか?

深澤:一生さんが作品制作の過程で、何を見てどう考えたのかを、アーヴィング・ペンなりの解釈で、ブレずに写真に撮る。その写真には、人がなんと言おうと「一生はこう考えたんだ」と規定化するくらいの力がある。だから、一生さんはペンの写真を見て、「そうか自分はこう考えていたんだ」と思うようなことがあったんじゃないか。その繰り返しだったんじゃないかと。両者とも表現にブレがないから、それぞれが重なるとぴったりとおさまってしまう。

ジャズのジャムセッションのようですね。最初は、相手のプレイを予測しないで弾くんだけど、キレイな音楽になっちゃう。もっと言うと、それを超えてしまう場合があって、一生さんが感じている自分の価値よりも、アーヴィング・ペンのほうが一生さんのことをわかってる、ということが発生する場合がある。それが、この仕事に出てる。つまり、ISSEY MIYAKEのイメージを具体化しているのは、実はアーヴィング・ペンなのかもしれない。何故かというと、このペンのイメージが世界中のいろんな人に刷り込まれてるから。そういう意味でも、一生さんがアーヴィング・ペンという人とコラボレーションしようとした勘みたいなものは、本当にすごいことだと思います。

──深澤さんの最近のお仕事を教えてください。

深澤:最近のものだと、ちょっと変わった仕事でしたが、無印良品の青山店をリニューアルしました。「Found MUJI」というプロジェクト。新しくものを作るのではなく、世界中で使い続けられているいいものをMUJIというフィルターを通して「探し出す」というプロジェクトです。日頃どこででも見ていそうなものに新しい価値を見出せると思います。僕も中国やインドに行っていろんなものを探してきました。ぜひご覧ください。

(聞き手:上條桂子)

2011年11月25日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに深澤直人が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「存在とかたち」の動画を見る



Naoto Fukasawa

深澤直人 Naoto Fukasawa

プロダクトデザイナー
1989年 渡米し、IDEO(サンフランシスコ)に8年間勤務。'97年 帰国、IDEO東京支社を設立。'03年 Naoto Fukasawa Design設立。イタリア、フランス、ドイツ、スイス、 北欧、アジアを代表するブランドのデザイン、国内の大手メーカーのコンサルティングを多数手がける。デザインの領域は、腕時計や携帯電話などの小型情報機器からコンピュータとその関連機器、家電、生活雑貨用品、家具、インテリアなど幅広い。人間とものとを五感によって結びつける彼の仕事は、より大きな喜びを使い手に届けるものとして高く評価されている。著書「デザインの輪郭」(TOTO出版)、共著書「デザインの生態学」(東京書籍)、作品集「NAOTO FUKASAWA」(Phaidon)。「THE OUTLINE 見えていない輪郭」写真家 藤井 保氏共著を出版 (アシェット婦人画報社)。

Found MUJI 青山店

「アーヴィング・ペンと私」一覧リストを見る

「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展(会期:2011年9月16日〜2012年4月8日)にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。

vol.1
佐藤 卓(グラフィックデザイナー)
物事の本質に真正面から切り込む写真
vol.2
中野裕之(映画監督、映像作家)
明朝体のような繊細で力強い表現
vol.3
石川直樹(写真家)
衝撃を受けて西アフリカまで訪ねていった、ダオメの写真
vol.4
ヴィンセント・ホアン(写真家)
ペンの「静」な生き方に学ぶ
vol.5
平野啓一郎(小説家)
人や職業の典型をとらえる収集家のような写真
vol.6
操上和美(写真家)
「生」の瞬間が伝わってくる写真
vol.7
日比野克彦(アーティスト)
平櫛田中とアーヴィング・ペンと三宅一生の共通点
vol.8
深澤直人(プロダクトデザイナー)
ISSEY MIYAKEのイメージを具体化しているのは、実はアーヴィング・ペンなのかもしれない
vol.9
広川泰士(写真家)
オリジナルプリントから圧倒的な強さが漂う
vol.10
ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
セローニアス・マンクの音楽のような、決して真似のできない写真と服
vol.11
高木由利子(写真家)
自分と真逆だから惹かれる、ペンの写真
vol.12
浅葉克己(アートディレクター)
人間にとって一番大切なもの「観察力」が見事な人
vol.13
加納典明(写真家)
静物写真の中に宿っているペンの写真的技術と精神的眼力
vol.14
ジャン・リュック・モンテロッソ(ヨーロッパ写真美術館館長)
礼儀正しさと優雅さを持ち合わせた、写真界の紳士
vol.15
吉岡徳仁(デザイナー)
揺るぎない「強さ」がある 圧倒的な力を持った、ペンさんの写真
vol.16
ジャスパー・モリソン(デザイナー)
加工が盛んな現代だからこそ際立つ、銀塩写真の力
vol.17
深谷哲夫(株式会社 解体新社 代表)
ニューヨークの空気を深く吸い、独自の黄金律で再構築した人
vol.18
坂田栄一郎(写真家)
60年代のNYで体験したペンとアヴェドンとの交流
vol.19
細谷 巖(アートディレクター)
寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった
vol.20
マイケル・トンプソン(フォトグラファー)
ペンさんから教わったのは、シンプルの追求
vol.21
小林康夫(東京大学大学院総合文化研究科 教授)
衣服と写真と文字 動くボディについて考える
vol.22
柏木 博(デザイン評論家)
穏やかで静かな、ペンの視点
vol.23
鈴木理策(写真家)
すべての作品に共通する職人的な技術と品の良さ
vol.24
藤塚光政(写真家)
シュルレアリスムを感じさせる、ペンの写真
vol.25
佐藤和子(ジャーナリスト)
現実と虚構を行き来する、夢あるクリエイション
vol.26
八木 保(アートディレクター)
決して作為的ではない、ストレートな表現
vol.27
シャロン・サダコ・タケダ(ロサンゼルス・カウンティ美術館シニアキュレーター、コスチューム・テキスタイル部門長)
常に新しい表現に挑戦する、素晴らしい才能を持つ二人
vol.28
マイケル・クロフォード(カートゥーニスト)
シンプルでパワフルなアートの力を実現した、二人の希有なコラボレーション
vol.29
ブリット・サルヴェセン(ロサンゼルス・カウンティ美術館キュレーター、ウォーリス・アネンバーグ写真・プリント・ドローイング部門長)
二人の才能のダイアローグをヴィジュアライズしてくれた展覧会
vol.30
北村みどり(株式会社三宅デザイン事務所 代表取締役社長)
類のない創造を生み続けるアーヴィング・ペンさんとの13年間


最後のトークイベントは、深澤直人、藤井保、今回展覧会のアートディレクションをつとめた副田高行の鼎談形式で行われました。テーマは「地と図」。「じとず」と読むこの言葉は深澤からの提案でした。しかしなんと、当日まで「ちとず」だと思っていた藤井と副田。スタートから会場は笑いに包まれつつ、トークは深澤の「地と図」の説明から始まりました。

「地と図は3人のものづくりへの共通項だと思った」と深澤は言います。それぞれの図である被写体やプロダクト、商品だけに焦点をあてるのではなく、地である背景や生活風景も常に視野にいれるという姿勢。「僕らはものを凝視しない」と語る深澤の言葉から、今回の展覧会の主旨でもある「見えていない輪郭」にも近づいていきます。



以前の仕事中、霧がかったぼんやりとした風景をそのまま写しとることで「見えていないことがリアル」だと確信を持ったという藤井。現代は明るすぎる藤井の言葉に、多くの仕事をともにしてきた副田はうなずきました。深澤の著書『デザインの輪郭』を愛読していて、前日にもおさらいのつもりが熟読してきてしまったという副田。自分の思っていたことがすべて文言になっていてびっくりした、と初めて読んだ当時の感想も披露。最後に3人は見えすぎてしまうこの時代だからこそ、客観的な、引きをもった立場でバランスのいい「地と図」をつくる仕事をしていきたいと志を確かめ合いました。

3人のトークのあとは、恒例の質疑応答へ。着席だけでなく、立ち見の参加者からも積極的に手が挙がりました。今までの仕事からデザインの本質に至るまでさまざまな質問を丁寧に答えていく中、「よいデザインをしていくには?」との質問に「よい地図をつくってください」と答える場面も。それぞれが異なるジャンルで活躍する3人のものづくりの姿勢に、「地と図」の調和という共通項が実感できるひとときとなりました。



12月21日、大学生のために特別に行われた深澤直人によるギャラリートークでは、初めに深澤のデザイン思想と展覧会のテーマである空気や生活、環境や世界と密接に関わるものの「輪郭」について語られました。その後深澤の解説とともに会場を巡り、無印良品のCDプレーヤーやギャラリークレオのコートハンガー、トーネットのエクステンションテーブルなどは深澤自身によるデモンストレーションも。ひとつひとつの作品の説明に熱心に耳を傾ける学生たちの姿が印象的でした。

トークの後半は、「通常よりもライティングを落として自宅のリビングのように落ちつける空間に構成した」という会場で、学生たちとの質疑応答。デザインを始めて30年になる深澤に何度か訪れたという転機や、アメリカで仕事をした頃のエピソード、学生時代の時計の課題や子どもの頃に最初にデザインを意識した車の話など、話題は尽きませんでした。
「ものの形ではなく関係に注目し、人の気持ちの中にあるものの原型を探す」という深澤直人のデザインと素顔に触れられる、熱気に満ちた時間となりました。


2人の活動を通して、私たちが見えていなかったデザインの輪郭に気付く「THE OUTLINE 見えていない輪郭」展。10月31日、関連プログラムとして深澤直人と藤井保によるオープニングトーク「2人に見えている輪郭」を行いました。

出会いのきっかけからトークはスタート。雑誌の連載中も実際に顔を合わせることはほとんどなかったという2人。お互いの仕事を通して、ものが存在するために必要な関係性を表す「輪郭線」の存在に深澤は気付いたと言います。この発見はのちに展覧会や書籍のタイトルにも繋がっていきます。藤井は「深澤がデザインをしている過程できっと見ていた風景を考えた」と今回の展示写真について語りました。

その後、それぞれのものづくりや仕事に対する姿勢へとトークは展開。藤井のヨーロッパロケのエピソードをはじめ、深澤が自ら建てた山小屋での暮らしも話題にのぼりました。



トーク後半の質疑応答のコーナーでは、現代におけるものづくりの意味や、本展をつくっていく上での苦労話からお気に入りの展示写真、出会ってからのお互いの印象に至るまで、さまざまな質問が飛び交いました。多くは語らない2人のデザイン、表現に触れることができる貴重な機会となりました。


「アウトラインとはものの輪郭のことである」
「わたしの役割はその輪郭を割り出し、そこにぶれなくはまるものをデザインすることである」


アウトラインとはモノの輪郭のことである。その輪郭はそのモノとそれを取り囲む周りとの境目のことでもある。そのモノを取り囲んでいるのは空気だから、そのモノの形をした空気中の穴の輪郭はそのモノの輪郭と同じである。空気はそのモノの周りに漂う雰囲気を指す比喩でもある。この空気(雰囲気)は、そのモノの周りに存在するあらゆるもの、例えば人の経験や記憶、習慣や仕草、時間や状況や音、技術や文化、歴史や流行などの要素で構成されている。それらの要素のたった一つが変わってもモノの輪郭は変わる。人はその空気の輪郭を暗黙のうちに共有している。わたしの役割はその輪郭を割り出し、そこにぶれなくはまるモノをデザインすることである。
藤井さんの写真を最初に見たとき、そのはっきりとしないモノの輪郭に驚いた。しかし、考えてみればモノは空気や光に溶けているから、人には輪郭がはっきりと見えていないことに気付いた。その事実を知って感動した。藤井さんはたとえモノを撮っていても風景を撮っているんだと思った。わたしのデザインと一緒にその周りの空気を撮っている。藤井さんには、みんなが知っているけど見えていない輪郭が見えている。

深澤直人



「"もの"は何も語らないが、実はその背後に多くの言葉や物事の真理がひそんでいる。装飾とは無縁なプロダクトの実在を前にして、僕は風景や彫刻を見るように写真を撮っている」


深澤さんとの出会いは、雑誌『モダンリビング』の連載で、深澤直人デザインのプロダクトを3枚の写真で構成する企画からである。現在で22回目、隔月刊なので、約4年間そのキャッチボールは続いている。
彼の書物のなかに、週末を過ごすための自作の山小屋には電気も水道もないという話がある。その不便さの中で生活をすることで本当に必要なものは何かが見えてくるという。これ程、最先端の工業製品をデザインしている人間が、その便利さと逆の環境に身を置いて思考をしている。僕は、そこから生まれた表現も言葉も信用できると思った。人には、自己否定も、自然に対しての謙虚さもまた必要なのだ。"物"は何も語らないが、実はその背後に多くの言葉や物事の真理がひそんでいる。装飾とは無縁なプロダクトの実在を前にして、僕は風景や彫刻をみるように写真を撮っている。

藤井 保



4月3日、21_21 DESIGN SIGHTの2周年を記念して、ディレクターズの佐藤卓と深澤直人によるスペシャルトーク「こんな時だからこそデザイン」が行われました。

世界中の企業を相手に仕事をする深澤からは、経済も情報も「太り過ぎた」現代、逆に「何が本来の価値なのか考えやすくなったのでは」との意見。グラフィックの世界でもひしひしとデザインと真撃に向き合う時代を感じているという佐藤は、「コミュニケーション、言葉にすることが大切」と語りました。
そんな中、深澤は「正しいデザイン」という考え方を提案。センスや個性がつくる「良いデザイン」から、社会的で責任感のある「正しいデザイン」へ。その考え方に深く共鳴した佐藤も、「デザインとは、気を使うこと」との持論を展開しました。
トーク後には会場とのやりとりも活発に行われ、来場者とともに現代におけるデザインの役割について考えるひとときとなりました。

20日、国立新美術館講堂において21_21 DESIGN SIGHTのオープン1周年を記念した『デザイン・トーク』が開催されました。三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3ディレクターによるトークの前には、スペシャル企画として、イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問の新見 隆にイサム・ノグチの人と作品についても簡単なレクチャーをしていただきました。

新見隆


約20分という短い時間ながら、イサム・ノグチが広い意味で20世紀のモダニズムを越えようとした芸術家であり、西洋近代彫刻の代表ともいうべきブランクーシに師事しながらも、みずからは東洋的な思想を彫刻表現に取り入れた新たな造形を生み出したことなど、スライドを交えた解説はとても興味深いものでした。

続いて行われたデザイン・トークはアソシエイトディレクター川上典李子を司会に、開館までの経緯やこの1年の活動について、ディレクターたちがそれぞれコメントを発表。これからの21_21 DESIGN SIGHTはどうなっていくべきかなど刺激的な意見も飛び出しました。

川上典李子、佐藤 卓
三宅一生、深澤直人


トークの後は次回展『祈りの痕跡。』展のディレクターであるアートディレクターの浅葉克已が登場、展覧会の内容について紹介しました。手旗信号などを交えたパフォーマンスで会場は大いに盛り上がりました。

なお、この「デザイン・トーク」の模様を記録した映像を1時間に再編集し、上映会を開催することが決定しました。来場いただけなかった方、ぜひこの機会をお見逃しなく! 
(詳細は関連イベント情報をご覧ください)

イサム・ノグチ・スペシャル 一覧リスト へ

講演会の後半では、いくつかのキーワードを軸にディレクターたちがそれぞれの考えを述べました。21_21 DESIGN SIGHTの今後について、活発な意見交換が行われ、盛況のうちにトークを終了しました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの現在と今後について「考える、つくる」という観点から進めていきたいと思います。ディレクターとして、この1年はどんなことを考え、感じられたのかについて、順に話していただけますか。深澤さんからお願いします。
深澤
我々ディレクターの会話や、あるいは展覧会を見た感想を寄せてくださったなかでしばしば登場したのは、「我々がやっているのは、デザインなのか、アートなのか」ということでした。この問いに、明確な答えを出すというより、私たちがおぼろげながら感じている共通点があると思います。
近年の問題として、人間の身体と心が乖離してしまったことがあると思うんです。身体が自発的に環境に調和しようと働いて、人間は自然体になった時に喜びを感じる。生きているという実感を得る。でも、実際はそれがなかなかできないことが、悲哀やドラマや、自己を知るきっかけになって、デザインやアートの根源になるんじゃないかと思うのです。つまり私たちの脳、心は、いまの環境をコントロールできない悲哀みたいなものを、なんとなく感じてるんですよね。だから21_21DESIGN SIGHTという場も、結果的にその問題に収束していく。だれもが調和を取り戻していきたいという願望があると感じています。

最近思ったのですが、人間の無意識の選択というのは、すべて生きることにつながっている。人間の心理だけが、秩序を失い混乱させてしまう。自然に復帰する、人間らしさを取り戻していくという大きな流れのなかで、クリエイティブな活動をしていく場所ーーそれが21_21 DESIGN SIGHTであると定義づけています。

さきほどの水展のお話にもありましたが、卓さんがおっしゃったように、我々はやっぱりほとんど知らないんですよね。自分自身のことも、人間であることも。それに気づくようなことを誰かがやらないと。その感動こそ、僕らが目指すところなのかなと思います。
佐藤卓


川上
佐藤さんの「考える、つくる」で、今後、大切になっていくことについて、どのように考えていらっしゃいますか。
佐藤
いまデザインはどのメディアでも取り上げられています。でも、見ていますと「もの」のデザインが取り上げられて語られることが多いようです。視覚的におもしろいものっていうのは、取りあげやすいですから。でも実は、「もの」のデザインの奥には「こと」がある。そして我々は「もの」を通して「こと」をつくることをやっているんだと思っています。一生さんも「ことのデザイン」とおっしゃっていますが、たとえばそれは「もの」と人の関係のあいだで、なにが起きているかを考えることですよね。そうすると、深澤さんが言われたように、人の側でなにを受け取っているのかっていうことを、よく観察し見ていかないと、ものの周辺で起きていることの本質は見えてこない。
人とものの関係、デザインと人の関係はどうなっているのかを、検証したり探っていくことって、意外といままでされてこなかったんじゃないかという気します。たとえば、人が目で見たときに、頭のなかで記憶や体験と照らし合わせたりしながら、一体なにが起きているのだろうと。そういうことを考えていくと、デザインの問題としてどんなことにもテーマを設定できるんです。僕の場合はやはり、グラフィックデザインやコミュニケーションデザインをやってきて得たデザインの技術を、そこで活かせないだろうかと考えるわけですね。
川上
たしかに、ものの周辺に目を向ける活動は、多くの方がデザインに興味をもっている今という時代にこそ、まさに必要なことなのだと思います。三宅さんのお考えはいかがですか。
三宅
いくつかのおもしろい現象はあると思いますけど、今という時代は、売るためのデザインや広告を競いあっているような部分もあるのではないかとも感じます。フランス語でデランジュというのは人を惑わすということですが、僕が2000年に自分のデザイン活動を変えたのも、デザイナーがデランジャー、惑わす存在なのかと、とても疑問を感じ始めたからなんです。
もっとみんなの普通の生活に目を向けなきゃいけない、ないしは新しい方法論を考えなきゃいけないんじゃないかと思ったわけです。そのころに藤原大と一緒にA-POCを始めた関係もありまして、新しいチームで仕事をした。そして僕が思ったのは、どんどん自由にしていかないと前に行けないよ、ということでした。
ディレクター4人


三宅
この21_21 DESIGN SIGHTも、プロレスじゃないけれど、リングにしても良いのでは、と思っています。今日いらしてる方たちにも、この場所をだれもが参加できるリングのように考えていただいて、こんなことをやってみたいとか、こんなものが欲しいということを自由に言ってもらえたら、より活気のある楽しい場所になるんじゃないかなと思っているのです。今回のトークが、国立新美術館が我々に場所を提供してくださって実現したのも、相互関係やコミュニケーションがとても重要になってきたひとつの象徴だろうと思うんですけれども、今後我々も逆のかたちでやりたいなと思っています。
佐藤
ちょっといいでしょうか。僭越なのですが、僕は三宅一生さんの直感力に、衝撃を受けているんです。直感力って身体性なわけで、まさにその、リングで闘い合うっていうのはそういうことだと思うんですが、いまの世の中っていうのはどちらかっていうと理詰めで説得していかなきゃいけないと。それをなんとかしたらどうっていうのが、「XXIc.-21世紀人展」なんじゃないかって思ったりしてね。どうでしょう、深澤さん。
深澤
そうですよね。「XXIc.-21世紀人」は、直感のかたまりみたいなものかもしれない。一生さんの仕事の仕方は、僕のやり方と全然違うので、僕も圧倒的に驚く部分が大きいです。
川上
おふたりはそうおっしゃっていますが、三宅さん、いかがでしょう。
三宅
嬉しいですけれど、照れくさくもあります。それよりも、21_21 DESIGN SIGHTにいらしてくださる外国の方とお話していて痛感するのは、日本の文化の伝統を理解したうえで、もっと積極的に日本のものづくりを考え直していくことなんです。そして、その記録を、アーカイヴをつくっていくこと、同時にキュレーターなど、人材を育てていくことに着手しなければいけないですね。それは我々だけの力でできることではなく、やはり日本という国のレベルで、国が許容力をもってこの動きに参加していただきたいと思っています。
川上
そうですね。21_21 DESIGN SIGHTというひとつの場が生まれたことをきっかけに、様々な立場の方々と意見交換をしてきたいですね。今日は21_21 DESIGN SIGHTをリングにしてもいい、という話も出ましたが、デザインについて、表現するという行為について、つくるという意味そのものについて、枠を超えて多くの方々とさらに意見を交わしていく機会を、今後も引き続きつくっていきたいと思います。今日はありがとうございました。


2008年6月20日国立新美術館・講堂にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十嵐一晴


vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

アソシエイト・ディレクター、川上典李子の進行で、3人のディレクターがこの1年間の活動について語りました。各人がディレクションを担当した企画展についてふり返る言葉から、21_21 DESIGN SIGHT独自の展覧会のつくりかたが浮かび上がってきました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの第1回企画展は、深澤直人ディレクション「チョコレート」でした。
深澤
最初の企画展だったので緊張はしましたが、あれほど楽しい時間が過ごせたことはなかったと今は思います。
実は施設の立ち上げのミーティングの際、一生さんに「ミュージアムという言葉を使わない」と最初に言われてしまって驚いたのです。根本的な言葉や概念を使うことができないから、ではこの施設をどう表現するのか、非常に難しかった。 僕自身としては、美術館のように「良いもの」を見せる場ではないので、すべて「良いもの」が並ばないかもしれないが、何かをやった結果として必ず面白いものが立ち上がる場、と考えました。

企画展のテーマを決めるときにも、一生さんが「チョコレートはどうですか」とおっしゃった。最初はうーんと唸ってしまいましたが、実際にチョコレートをデザインすることと、チョコレートから発想はするが、まったく関係ないものを考えるという、ふたつの方向で「チョコレート」展をディレクションしました。 チョコレートそのものはかたちをもっていない、可塑的なものだということがとても面白かったですね。そこで、かたちづくりに新しい意味を加える、その際に必ずチョコレートというフィルターを通すということをやりました。結果的に、最初にお話しした、やってみて良いものを知ることに繋がったと思っています。
佐藤卓


川上
深澤さんが全身チョコレートづけになるようにして、企画を進めてくださったように、第2回企画展「water」で佐藤さんは水の世界にどっぷり浸ってくださいました。
佐藤
展覧会のテーマを考えるミーティングの席で、三宅一生さんがアーヴィング・ペンさんの写真を資料としていくつか出されて、そのなかに「パンと塩と水」を写したすばらしい写真がありました。ペンさんの写真が、ひとつのトリガー、きっかけにもなったと思います。コップに入った水の写真を見ながら、「水っていうのはもしかしたらテーマになるかもしれないな」と話をしたわけです。
ごく日常のなかの「えっ、それってなにができるんだろうか」というところへ、デザインという言葉を投げかけてみる。で、そこでなにができるのかを、初めて考えていく。そうすると、水は我々の身体のなかにも存在するし、いまこの空気中にも水の分子は飛んでいるわけです。水がすべてをつないでいる。水と関係ないものは、実は世の中になにもない。それなのに、いろいろ調べていくと、水のことを我々はわかっていない。これは何かができるかもしれないと思ったわけです。

でも最初は、どんな展覧会になるのか、まったく想像できませんでした。とてもじゃないけれど水について、私ひとりでは手に負えないと思って、環境に対してさまざまな角度でアンテナを張っている竹村真一さんに連絡するところから始まりました。他にも水の専門家などいろんな方々に協力いただきながら、展覧会の準備を進めたのですが、実は、どんな展示にするか、まったく思い浮かばないわけです。生まれて初めての経験でした。いままでの経験値が役に立たないんです。というのは、水をテーマにすると、調べれば調べるほど、次から次に知らないことが発生してくるからです。どんどん広がるばかりなんです。

ですから今回の展示は、本当に無理矢理、情報を束ねてそれを体験する場をつくったという感じではあります。目の前の当たり前のことを、僕らはほとんど知らないですよねっていう、投げかけです。
三宅一生


川上
佐藤さんがおっしゃったように、「知っていたようで、知らなかったこと」「わかっていたようで、わからなかったこと」を、それこそギリギリまで探り続けていく......そうやってひとつの展覧会のかたちにまとめながら、あるテーマについて対話や議論が広がる場をつくろうと試みてきた状況を、皆さんにも感じていただけたのではないでしょうか。そして今年、第3回目の企画展が、三宅一生ディレクションの「XXIc.―21世紀人」です。
三宅
この展覧会に「XXIc.―21世紀人」と名前を付けました。20世紀は経済や科学が発展して豊かになりましたが、その歯車が逆転した側面もある時代でした。今やるなら、人間をテーマにした展覧会にしたいと考えたのです。
そこでふと、思いついたのがイサム・ノグチの《スタンディング・ヌード・ユース》という絵なんです。青年時代の彼が北京に滞在中、中国の横山大観、ピカソと言われる斉白石という画家に指導をうけて描いた作品です。イサム・ノグチの人生そのものが展覧会のテーマにふさわしいのではないかと思い、彼の作品を出発点にしました。

一方で、いま我々がおかれているのは、ある意味で恐怖の時代であると感じています。それは逆に言えばエネルギーの時代ということでもあります、たまたま、昨年3月にロサンゼルスの美術館でティム・ホーキンソンの展覧会を見まして、「あっ!これだ」と思ったわけなんです。イサム・ノグチの作品と絡めて、ストーリーをつくっていこうと考えました。
後は、いろいろな人にどんなふうにすれば21世紀を表現できるかということを問いかけました。そしてたくさんの人との新しい出会いがあったわけです。発見をしたり、会話をしながらつくっていった。人に教えるというよりも、一緒になってやっている、そんな感じが強かったですね。
作家の方たち以外にも、宮城、福井、富山、石川など様々なところへ紙を訪ねて歩きました。我々が紙づくりの面白さに驚いて、喜んでいると、職人さんたちも一緒に乗ってきてくれるんです。そんな風に人間と触れながらつくってきたといいますか、最初も最後も人間、その面白さを体験できたと思っています。
川上
さて、3人のディレクターにこの1年の企画展を振り返っていただきましたが、企画展以外にも実験的なプログラムをいくつか開催しました。舞台での表現と日常を題材にした身体表現、デザインをつなげる「落狂楽笑 LUCKY LUCK SHOW」、ファッション、メッセージを示すという視点から「THIS PLAY!」展、そして21_21 DESIGN SIGHTのパートナー企業とのコラボレーション企画として、「200∞年 目玉商品展」です。続いて、私たちが今考えていることについて、話の内容を進めていきます。

vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

壇上4人


2008年6月20日、21_21 DESIGN SIGHTのオープンから一周年を記念して、ディレクターの三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3人が揃った「デザイン・トーク」が開催されました。進行役はアソシエイトディレクター 川上典李子が務めました。トークの前には、21_21 DESIGN SIGHT設立のきっかけに関わった芸術家イサム・ノグチについて、イサム・ノグチ庭園美術館顧問である新見 隆による特別レクチャーが行なわれました。


川上
今日は大勢の皆様にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。21_21 DESIGN SIGHTが開館して1年が過ぎました。多くの方々のご協力、ご参加をいただき、企業の皆様方のご協力もいただきながら、いま、2年目の活動を始めているところです。この1年、私たちディレクターのチームも試行錯誤を繰り返しながら、こういった場所で何をしていったらよいのかというお話を続けてきました。本日はそうしたお話を公開で行なう機会ということで進めていきたいと思います。
三宅一生語りイメージ


三宅
話がだいぶ前に遡りますが、イサム・ノグチさんのことから始めたいと思います。僕が彼の名前を初めて知ったのは、生まれ育った広島にある有名な橋がきっかけです。この橋をデザインしたのがノグチでして、高校時代に橋を渡って通学していた僕は、そこで初めてデザインとはこういうことなんだと、思ったわけなんです。それからずっと興味をもって彼の仕事を見続けるようになった。ノグチは彫刻家として有名でしたが、《AKARIシリーズ》などすばらしいプロダクトデザインもしていますので、あまりジャンルのない人だなと思って見ていました。

初めてお会いしたのは1978年のアスペンです。デザイン会議があり、僕やイサムさんも呼ばれたのです。その後、安藤忠雄さんとふたりでニューヨークの郊外にあるラトガー・ユニバーシティという学校の講演会に招かれてスピーチをしたのですが、その会場にイサムさんが来てくださった。そこで日本にはデザイン・ミュージアムがないね、という話になった。そんなことがきっかけになってイサムさんととても親しくなったんです。

当時から、同じように親しくさせていただいた方にグラフィックデザイナーの田中一光さんがいました。彼と話すうちに、「日本にはデザインが見られる場所が必要だね」という話題になりました。外国の知り合いに、日本に行ったらどこに行けばよいか、現代の日本を知りたい、日本のデザインがどこで見られるのかと聞かれたらどう答えるかと問われて、僕は「デパートかブティックへ行くしかないね」なんて言ったのです。

一光さんは僕に、「あなたらしいもの、オリジナリティのあるものをつくるということを言うけれど、新しいものは歴史をさかのぼらないとできないんじゃないか」と言い始めた。それで「じゃあ、デザイン・ミュージアムをつくろうよ」ということになって、安藤さんと行政や官庁にあちこち出かけては、デザイン・ミュージアムをつくりませんかと陳情して歩いたのです。ところがなかなか本気にしてもらえなかったんですね。これはまずいなと思っていたのです。

そうこうする一方で、2003年に朝日新聞に「造ろうデザイン・ミュージアム」を寄稿すると多方面から反響があって、ついに2005年にこの21_21 DESIGN SIGHTのプロジェクトが立ち上がったのです。
ディレクター3人


三宅
いろいろな方々の尽力があり、北山孝雄さんや三井不動産の協力で東京ミッドタウン内に安藤さんの設計によるデザイン施設が実現することになりました。そこで意識したのは、この場所が個人的なものではないということです。つまり、21_21 DESIGN SIGHTは通りに面していて、公園の中にある。だから日常や生活と関連性のあるものをコンセプトに据えるべきだと思い至りました。

こういう考えを共有できるディレクターたちと一緒に仕事ができるとよいなと考え、佐藤 卓さんと深澤直人さんにお話をもちかけました。日本には優秀な方がたくさんいらっしゃいますが、幅広い分野でデザインの面白い仕事をしているということでおふたりに声をかけました。そして、川上さんは非常に愛情をもってデザインを見ていらっしゃるので、アソシエイトとして我々のサポートをお願いしました。

建築設計者の安藤さんにもずいぶん注文を出したのですが、周りの人から、安藤さんはデザイナーのいうことなんて聞かないよって言われて(笑)。まあ、そんなこんなでできあがったのが21_21 DESIGN SIGHTという場所です。

もうひとつ付け加えますと、建物ができあがっていく過程を見ていると、プロセスってすごく面白いなと。だから、我々もプロセスを大切にしようと。佐藤さんと深澤さんからも、美術館のように完成されたものをもってきて展示するのではなく、プロセスを見せる場にしませんかという話がでてきた。普通ならば隠したいところをどんどん見せるという。

さらに、我々ディレクターはデザインをやっている立場なので、デザインを中心におきながら、もっと自由に外を見ることができる視点をもつということを原則としました。
21_21 という名称も、そこが端緒になっています。パーフェクトサイト(20/20)に1プラスで21という名前になったというわけです。

vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

本展担当ディレクター深澤直人からのコメント

「10人のうち9人はチョコレート好き。そして10人目は嘘をついている」* アメリカの漫画家、ジョンG.トゥリアス(John G. Tullius、1953年生まれ)の言葉です。誰もが親しみをもって受け入れている不思議な食べ物、チョコレートは、食べ物という存在を超えて、生活の至るところに顔を出します。その、「すでに共有されている感覚(感触)」を通して世界をとらえてみるとどうなるか、それが今回の展覧会の試みです。もちろん、チョコレートそのものの作品も登場しますが、それだけではありません。チョコレートから見た世界を、一緒に味わってください。 *The Little Book of Chocolate, Brockhampton Press, 1996, p.32 より

展覧会ポスター

21_21 DEISGN SIGHTは5感を使って「見る」場所


佐藤
普通、デザインの場合はメディアが規定されてからスタートするじゃないですか。でも21_21ではスタート地点がまったく違う。どこへ落とし込むかは自由なんです。そういうアプローチの仕方は普段していないことだと思うのです。だから脳がすごく活性化されるというのはあります。
深澤
やっぱりデザイナーって、あるお題を与えられたところで発想していくというトレーニングばかりをしているので、いざ、自発的にやってみようとしてもなかなか簡単にはできない。一方でアーティストというのは自発的に発想する、自分の目でものを見るということを常にトレーニングしている。
三宅
そういういろいろな人たちが一緒になってワークショップをすることで対話が生まれ、葛藤が生まれる。それが意外な才能の発見につながるのだと思います。
川上
「チョコレート」は、参加者のワークショップの積み重ねによって展覧会がつくられているわけですが、工業デザインからファッション、広告、グラフィック、メディアアートなど、通常であれば一堂に集まることはまれな、さまざまなジャンルの人びとによるワークショプとなっているのも特色です。発想の展開から素材の具体的な扱いまで、ほかの参加者から大きな刺激を受けているという声も聞かれ、お互いの交流や意見交換も、ますます活発になっていますね。
深澤
展覧会をやるときには、何がここに足を運んでくれる人たちの喜びになるのかということを考えないわけにはいきません。「チョコレート」でやろうとしていることも結局はそこです。で、私なりに考えますと、21_21というのはまったく未知の場でどんなイベントをやっているのかも想像がつかない。もちろん「チョコレート」と言われても、さっぱりわからない。展覧会にやってくる人はそのような場に放り出されるわけです。そうすると、おそらく目の前に展開されている状況を自分なりに一生懸命理解しよう、解釈しようと脳が動き出す。それはコンピュータが高速で回転するような感じです。それがある歯車とカチッとはまってくれたらその瞬間に全部理解できるんだけど、まったくかみ合わないという状態ができたときに、人は「なんなんだ、なんなんだ?」と探り続ける。

できれば「チョコレート」展では、この「なんなんだ?」の連続の果てに、カコンと歯車にはまる瞬間がくるようにしたいですね。最初から簡単にその人の論理でわかってしまうものはつまらない。もしかすると人によってはその歯車にはまらないかもしれないし、ある人はスコーン!とはまるかもしれない。そのはまる瞬間が自分の新しい感触だから、ものすごくインパクトのある気づきになる。それを「チョコレート」だけではなく、次の企画展でもやっていく。

デザインとアートを比較したとき、それらが見せている発想や表現がどこまでロジックに落とせるか、落とせないかというところがアートとデザインの分かれ目になっているのではないかなと思ったりもします。もっといえば、受け手のとまどわせ方に違いがある。いつかはだれもが必ず理解できるようなヒントを作品に与えておくか、ある種の謎、わからなさを作品にとどめたままにしておくのかというところに両者の境目があると思います。そのきわどい境界を楽しむ場所が21_21であると考えています。簡単にはわからない、だからこそ今まで体験したことのない驚きや発見や感動がある。つまり新しいセンサーを立たせてくれるところ、それが21_21の魅力ではないでしょうか。
佐藤
僕たちは目の前にいろいろなものを見てますよね。一番重要なのは、目を閉じたときに、その自分の記憶の中に残っていくものっていうのがずっとあるわけですが、その方が自分との関係においては本質的で重要なのです。そこにこそリアリティがある。これからの時代は、目の前に見えているものを信じるのではなく、こうした記憶に深く根ざしているものを起点にする、大切にすることが新しい気づきにつながるのだと思います。
深澤
記憶を、脳に張り付いているものを呼び出して、ここにある現実を理解しようとするんだけど、それが繋がりにくいというところがあってところどころ迷う。それはある種とても高いレベルの欲求なんじゃないかと思います。これは意識して志していないと、脳の歯車がカチッとはまらないかもしれない。でも子供みたいな人だとスッと入ってきちゃったりする場合もある。
佐藤
人の感覚というのはものすごく豊かなもので、それは誰もが基本的にもっているものなのに、普段は意外と使われていない。もしくは気がつかない。
深澤
視覚(目)で情報を得るという経験が圧倒的に多いのが今の世の中。だけどほんとうは、ほかの4つのセンサー(聴覚、嗅覚、触覚、味覚)だって見るという行為に密接につながっている。21_21ではフィジカルな展示空間をつくることですべてのセンサーを稼働させ、今まで得られなかったものを得てもらいたいですね。
三宅
21_21では展覧会やプログラムそれぞれにおいてさまざまな試みを計画しているのですが、それらを実現させることによって、展覧会というもののあり方も変えられるのではないかなと思っています。オープン時の特別企画でも、会期の後半ではウィリアム・フォーサイスによるビデオインスタレーションが、安藤建築の見方を一変させてくれるでしょうし、夏休みには狂言、落語、1人芝居などを行なう。つまり、いろんな人が関わることで新しい状況をつくりだしていく。人間がいれば必ずいろいろなものがつきまとってくるものですからね。そうやって自分たちを未知の環境に投げ出していって、どうなるかみるのが面白いところではないかと思うのです。

2006年12月4日 東京ミッドタウン内、21_21 DESIGN SIGHTにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/ナカサ&パートナーズ 吉村昌也

ディレクターズ


21_21 DESIGN SIGHTの建物は、エントランスを抜けて地下のギャラリーに達すると、外観からは思いもつかないダイナミックな空間が広がっています。ギャラリーは大小あわせて2つ。それを示すサインは照明によってコンクリートの壁面に映し出される、1と2の数字のみ。ギャラリーのほか、サンクンコートあり、秘密めいた通路ありの空間で3月30日から始まる、21_21 DESIGN SIGHTのプログラムにどうぞご期待ください。

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2006年12月、竣工間近の21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)をディレクターが訪れ、ほぼ完成した建物を見学しました。実際の空間を見ながら行なわれた今回のディレクターズ放談は、意気高揚しつつも21_21およびデザインの核心に迫る内容となりました。


安藤建築の魅力は空間を体験することで見えてくる


深澤
建物を見ると、やはりインスパイアされますね。実際の空間の中に身をおくと、そこでしか出てこない発想というのが浮かんできます。すでに第1回企画展のプロジェクトはかなり具体的なところまで進行してきています。が、こうしてできあがった建物を前にして、はじめてそうの空間に事物をインストールすること、この場所でどのような展覧会をするのかということがリアリティを帯びてきますよね。
佐藤
安藤さんの建築って、まず外から見るじゃないですか、そうすると、小さめの量感で個性的なかたちをしている。でも、中に入ると外側からは想像できない空間が広がっている。図面や模型で見ていたときには、そのことがどんな感覚を我々に与えるのか、想像がつきませんでしたが。安藤建築は、内部を歩くと空間がどんどん変化していくので、その空間をどう活かしていくかということが問われるんじゃないかという気はします。触発されますよね、あの空間は。
深澤
たぶん21_21を訪れる人は、行なわれているイベントが目当てということもあるけれど、建築的な魅力を味わいたいという願望も抱いているでしょうから、両方を堪能できれば二重の喜びがある。そういう意味で21_21という場所は、安藤さんの建物の魅力とそこで展開されているコンテンツによって成立するのだと思います。両方を活かさなくてはならないというのは、面白い試みですね。
佐藤
今はまだがらんとしていて何もない空間ですが、21_21がスタートうすると、観客は展示物がおかれ状態の空間しか見られないということになります。いわゆる"素"の空間が、展覧会と展覧会を縫うようなタイミングで見られるようなプログラムを計画するのもよいですね。というのは、何もない空間を見るといろんな発想や感覚が得られると思うのです。
深澤
オープン時に行なう特別企画「安藤忠雄/2006年の現場 悪戦苦闘」がまさにそれですよね。
三宅
安藤さんはもともと建物を"素"、ヌードで見せたい人ですからね。そういうことができる建物はあまり多くない。安藤さんの建築は、ちょっと動いただけでほんとうに見え方が違う。それから外部に対する配慮もある。特別企画ではすべての空間を素の状態で見せるわけではなく、模型建設過程の写真などを展示して、完成までのプロセスも紹介します。
川上
展示スペース以外の空間も面白いですよね。階段のまわりなど。それがうまく見せられるとたしかに良いですね。以前、安藤さんが"豊かな余白"について何かでおっしゃっていたことがあります。日本の美術や書道同様、建築や都市にも"余白の可能性"というのがすごくあるんだよと。そうしたスペースは、使う側としては大変に触発されます。もっとも、展覧会があるときというのはそれこそ建物のすみずみまで使ってイベントをしたり設置をしてしまうかもしれないけれども、展示スペース以外のところも含めて何もない状態を見ていただける機会があると良いですよね。
三宅
企画のアイディアが上手くいかないときはそれでいこうか。

 (一同爆笑)

佐藤
安藤建築は、やっぱり挑戦的ですよ。結果がわかりきっているものはやらない。問題提起をして「どうだ」というようなところがある。あなたはここでどんな体験をしますか、という問題を常に投げかけているのだと思います。
三宅
この21_21 DESIGN SIGHTの建物は遊歩道にすぐ面しているんですよね。直島の美術館やホテルにしても、村に面していたり、風景や水に面していたりする。だから僕は、安藤さんの建物そのものに加えて、建築の中から見る風景とか、建物に上がって見る外の景色というのにいつも感動するんですよ。直島に行ったときも、「景色がいいですね」って言っちゃったんです(笑)。僕は、安藤さんはずいぶん変わったなあと思います。もちろん、住吉の長屋のころからそこに生きる人びとや生活者の視点であることは変わらない。最近はさらに発展して、植物の緑を使って安藤忠雄の建築をずっと街に広げていくような発想が出てきている。表参道ヒルズも低層建築ですが、屋上に上ると街路樹の緑とつながっています。ああいう視点をもてる人はなかなかいないと思います。
深澤
圧倒的に体験的な空間ですよね。オブジェクトじゃない。
川上
特別企画の後には、深澤直人ディレクションによる第1回企画展「チョコレート」が開催されます。
深澤
チョコレートというテーマを発表したあと、何人かが「チョコレート!?」っていうリアクションを返してきました。このような「いったい、なんなんだろう?」という感じをある程度来場者側に抱かせつつ展覧会をスタートするのは悪くないですね。

ただ誤解されないように気をつけなければいけないのは、ここではあくまでも私たち人間が日常の世界をどう捉えているかということを見せていくのが主眼であって、チョコレートのデザインを披露するわけではないということです。チョコレートは21_21の視点を見せるためのきっかけのことばにすぎないので、ふたを開けたらいろいろなものがでてくるはずです。

実際、さまざまな作品ができあがりつつあるのですが、それらを見ていると、かなり楽しめるものになるのではないかと思います。4月から始まる展覧会にぜひ足をお運びくださいと言いたいですね。「チョコレートを通して世界を見るっていうのはこういうことなのか」という感じが、そこで初めてわかっていただけるのではないかと思います。
佐藤
「チョコレートSight」ということですね。

放談vol.4 後編へつづく

先月、21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)の催しが東京と京都で開催されました。
六本木・アクシスギャラリーのご協力で実現したプレオープン企画 [ 21_21 DESIGN SIGHT Talks ] と、国立京都国際会館におけるパネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ] です。
催しには三宅一生・佐藤 卓・深澤直人の3ディレクターらが参加し、施設の話はもちろん、デザイン全体における視点や可能性について発言しました。それぞれの会場には多くの聴講者の方々が足を運び、21_21のコンセプトに耳を傾けてくださいました。
このウェブサイトでそれらの一部をお伝えします。



レポート1:パネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ]
2006年11月12日 国立京都国際会館(京都・左京区)
>詳細

レポート2:プレオープン企画 [ 21_21 DESIGN SIGHT Talks ]
Talk 1 「Designing 21_21 DESIGN SIGHT ー デザイン施設のデザインを考える」
Talk 2 「深澤直人 × 鈴木康広 × 高井 薫 デザインの視点」
2006年11月9日・10日 アクシスギャラリー(東京・六本木)
>詳細

去る11月12日、京都の宝ヶ池ほとりにある国立京都国際会館において、パネル討論 [ 21_21 DESIGN SIGHT ディレクターズ・トーク ]が実施されました。
この催しは、第22回京都賞(財団法人 稲盛財団主催)を受賞した三宅一生の記念ワークショップ『デザイン、テクノロジー、そして伝統』の一環として行われました。

ワークショップ前半は、三宅が30年余にわたる衣服デザイナーとしての仕事を紹介。山口小夜子ほか数名のモデルによる代表作を着用してのデモンストレーションや映像などが披露されました。その後、彼の最新の活動を伝えるものとしてディレクターズ・トークが行われました。

本題のパネル討論は、京都賞 思想・芸術部門審査委員長で美術史家の高階秀爾が座長を務め、21_21 DESIGN SIGHTを設計した建築家で、第13回京都賞受賞者でもある安藤忠雄、当施設のディレクターである佐藤 卓と深澤直人、同じくアソシエイトディレクターの川上典李子らがパネリストとして登場。21_21とのかかわりについて説明したあと、座長の質問に答えるという形式で進行しました。
21_21に関する主な発言を紹介します。



三宅一生
デザインにかかわる場所をつくりたいという気持ちはかなり昔からありました。1970年代の初めに、グラフィックデザイナーの田中一光さん、そして隣にいらっしゃる安藤忠雄さんと京都で会って、何か一緒にやりましょうと話したことがそもそもの始まりです。

2003年に『造ろうデザインミュージアム』という記事を新聞に寄稿しましたら、大きな反響がありまして、三井不動産さんからのご提案や多くの方々のご協力があり、東京ミッドタウンにデザインの施設が誕生することになりました。

とはいえ、私たちの施設はアーカイヴを持ちませんので、ミュージアムとは呼べません。デザインにかかわるさまざまな展示や催しをするなどの活動を通して、日本の伝統と美意識、そして新しいテクノロジーを繋ぐ場所でありたいと考えています。私たちと若い人たちと、一緒に未来をつくっていく、そんな拠点になりたいと考えています。
安藤忠雄
今回の建築は、三宅さんの「一枚の布」に対応する「一枚の鉄板」ということで考えました。50メートルもの一枚の鉄板が屋根となります。高度な技術を要するものですが、現場の職人たちが作り上げました。現場の人たちの気迫、ものをつくる強い思いが実現へ導いてくれました。

設計するにあたって、この混迷する時代に、もひとつの日本の顔をつくる、日常の生活に欠かせないデザインの可能性を示す、そんな建築を心がけました。その私の思いと、日本人の高い技術力と気迫を、オープン時の特別企画ではお見せしたいと考えています。そして、この建物が、ここを訪れる人びとにとって、それぞれの可能性を見つける場所になればと願っています。
佐藤 卓
21_21 DESIGN SIGHTに参加することになり、最初にシンボルマークを考えることになりました。私が提案したのは、一枚の鉄板でできたシンボルマーク。ただ「21_21」という数字と記号だけのものです。これをプレートにすることで持ち運べるロゴ、というアイデアを思いつきました。シンボルマークは通常、平面が基本になりますが、プレートというプロダクトにすることで、どこへでも持ち運べるものになるわけです。そしてこのプレートを「デザイン」のアイコンとして捉えてみると、世界中でこのプレートを使ってあらゆるものに「デザイン」という投げかけをすることができます。

このシンボルマークは、一見すると番地を示すプレートに見えます。なんの変哲もない、どこにでもある普通のイメージです。このことは21_21 DESIGN SIGHTのテーマのひとつ「日常」と密接につながっています。日常には、実はたくさんの可能性が潜んでいます。その日常に潜むあらゆる可能性を、ひとつひとつデザインという行為によって引き出すこと。

デザインの可能性は、特別なところにあるのではなく、ごく日常の中にあります。今後21_21 DESIGN SIGHTは多くの人が関わって、デザインの可能性を探る場になると思います。今でも、そしてこれからも、常にデザインの可能性は、実はふつうの日常に問い掛けることから始まると考えています。
深澤直人
21_21 DESIGN SIGHTって何をするところなの?とよく聞かれます。僕は「目からウロコを落とすようなところ」ではないかと思っているのです。第1回企画展のディレクションを担当しているのですが、ここでそのテーマを発表します。「Chocolate」。「10人のうち9人はチョコレート好き。そして10人目は嘘をついている。」とアメリカの漫画家、ジョン・G. トゥリアスは言っています。

チョコレートは、誰もが親しみを持って受け入れている不思議な食べ物と言えると思います。いや、食べ物という存在を超えて、生活のいたるところに顔を出してきます。その、既に共有されている感覚を通して世界を捉えるとどうなるか、それが今回の展覧会の試みです。チョコレートを通して世界を見ていく、ということです。

環境と人間との関係を探っていくと、かならずデザインの視点が存在していますので、そこを探求したいのです。もちろん、チョコレートそのものの作品も登場しますが、それだけではありません。参加作家たちとワークショップを行なってさまざまな可能性を考えていますので、なかなかユニークな試みになると思います。ご期待ください。
川上典李子
21_21 DESIGN SIGHTをどのようにつくっていくか、その方法論から始まり、本当に手探りのスタートでした。三宅さんとミーティングを繰り返してきて、印象に残っていることはふたつあります。ひとつは「プロセスを大切に」ということ。ふたつ目 「楽しくやりましょう」ということです。私たちがまず楽しむことで、多くの人に参加してもらえる生き生きとした環境をつくれるのだ、と。これまでやってきた、さまざまな工場見学ですとか、ミーティング、合宿、ワークショップ、建築現場の見学、ウェブサイトの運営など、すべてにおいてそのふたつは通低してきたと感じています。

21_21 DESIGN SIGHTは年2回、長期の企画展と、その間のさまざまなジャンルを横断するようなアクティヴィティを行なっていくことが決まっていますが、これからも、この2つを大切にしながら進んでいきたいと考えております。そうすることによって、さまざまな方に参加していただけるデザインの実験の場、デザインを考える場をつくりたいと思います。


--このほか、京都でも21_21が何かできないだろうか、デザインって一体なんだろうか、子供も大人もわいわい言って楽しめる場所にしたいなど、それぞれの立場から21_21に対する思いや夢が語られました。



(21_21 DESIGN SIGHT 広報・財団法人 三宅一生デザイン文化財団)

感動が生む"ものづくりパワー"


三宅
国内をあちこち旅行して思うのですが、日本には素晴らしい自然があって、人にもぎりぎりのところでまだ優しさが残っている。まだまだ捨てたものじゃない。ですから、ものづくりをはじめとして、なにかやる場合でも、力いっぱい取り組めば、きっと次の世代で面白い人やすごい才能がでてくるんじゃないかと、ポジティブに肯定的にとらえています。
僕は21_21 をはじめてから、感動する力が蘇ってきたという気がしています。素晴らしい人たちの意見を聞いたり、作品を見たりすると、ほんとうに感動・感激・感心なのです。全部"感"がつくんだけれど、自然にね、ぴょんと飛んでるんですよ、自分自身が。だから、これは面白いなと自分でまた感心している(笑)。つきあう人達も年齢はさまざまですし、上下関係もなくなっている。そして、一日の終わりが嬉しいんですね。だからぼくは皆さんに感謝しなくてはいけないのです。
こうした体験を通して思うのは、デザインなりなにかをするということの原点には、かならず本人が楽しむ、面白がるといった感覚があるということです。そうしてみると、ちょっと日本でいま心配なのは、みんながつくること、工夫することを忘れてしまっていることですね。だからこそ、われわれはつくることの面白さを伝えていく必要があるかなと考えています。
深澤
そうですね。
東京タワー
写真左:大展望台より正面の東京ミッドタウン方向を眺める。
写真右:東京タワー外観。放送局の電波塔を一本化する構想で建設された総合電波塔。約4000トンの鋼材が使われ、鳶職人の手作業により、15か月という早さで完成しました。


三宅
だれでもつくりたい気持ちはもっているんです。みんな、なにかを表現できるはずなんです。だけど実際には職人さんなどは後継者問題に悩んでいたりする。僕が取り組んできた服づくりの世界では、最近は若い人たちがどんどん入ってきていて、少し状況が変わりつつあります。そうすると今度は、だれが評価するのかという問題が出てくる。やはり評価してくれないと困るわけですから。そのときに世界が必要なのです。日本のやることは面白いね、ちがうね、と言われるようにしなくてはならない。その評価が創作のエネルギーになっていく。そうした連鎖を引き起こす場所や仕組みは必要だと思います。
深澤
おっしゃるとおり、つくるということがだんだんと自分の国ではできなくなっていて、中国をはじめとするアジア圏に移りつつあります。一方で、この30年間、日本を支えてきたのは企業でありブランドだったわけで、デザインの力もそこに注がれていた。デザインはあまりにも都市や公共の財産に活かされてこなかった。こうしてみるとやはり、これからはつくりたいという意欲をもっと公共に広げるべきだと思います。そうすれば、都市環境も文化的な意識もあっという間に好転していくのではないでしょうか。
すき間の発見、見えない東京
三宅
才能ある人はたくさんいるのに、その才能を企業やシステムの中に組み込んでいるだけで、活かすという考え方が最初にない場合が多いですよね。企業体で活動していて思うのは、この才能をどう活かそうか、ということがやっぱり一番大切だなと。今は工夫の時代、まさにデザインの時代が新しく始まろうとしているときです。そう考えてみると、かなりのことができそうな気がします。だからちょっと面白い時代だなあと。才能のある人たちが育つような環境をつくれればと思っています。
深澤
今の日本の若い人たち、力を温存しているというか、自信があるといいながら、実際にクリエイションがはじまるとなんとなく最後をぼかしてしまっているようなところがある。ガツンとつかんだという感触を相手にぶつけるということはなくて、どことなく不安定さが残っている。だから不安定さを取り払い、安定する力を引き出してやるような場が必要だと思う。21_21 は、ブランドを伸ばすとか、ある枠組みの中でなにかをサポートしてもらうというよりは、ほんとにいいものが抽出できる場所になるのだと思うんです。
三宅
ある意味、21_21は実験場でもあるということですね。
深澤
そう。人には元来その人固有の創造性が備わっていると思います。が、ちょっと自信がないというのが今の日本人ではないでしょうか。自信がないがためにちょっと空威張りしているというか。
三宅
そうですね。それともうひとつは、ちょっと遊んでないかな(笑)。
深澤
そうかもしれません。やっぱり、どこか一緒に笑ってない。不安だからでしょうね。
三宅
デザインというかものづくりは、相手が喜んでくれるなり、楽しませてくれるなりしないとつまらないと思うのですね。あるいは、逆にわれわれがよく考えなきゃいけないのは「あ、こういうすき間があったよ」っていう、すき間の発見といいますかね。これが面白いんです。人に伝わっていくには時間がかかりますが。
深澤
その余裕がないかもしれない。
三宅
余裕がない。だけどね、本来もたないといけないものではないでしょうか。僕は今日、東京タワーに上って東京の街をみていたら、高さもバラバラなビルがほんとうに不規則に林立していることに驚きました。パリの街並はどこまでも建物の高さが一緒なんですよ。一度だけ失敗したのはモンパルナスに建てたタワービル。それがパリ市民に不評で、以後高層ビルを建てていない。都市計画がきちんとあるんですね。
深澤
都市計画に高いビルがなかったら、ある意味ですごくリッチな感じがします。
三宅
でも、東京にもよい方法があるかもしれないですね。こうして高みから見ていると高層建築ばかりが目にはいるけれど、かえって見えないところ、都市のすき間というか、路地だとか、低い建物への興味をそそります。秘密めいていいですね。だんだん「見えない東京」が気になってきました。


2006年10月23日 東京タワー 展望カフェ「カフェ・ラ・トゥール」にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十風一晴

三宅・深澤のプリクラ写真


上の写真は収録後に敢行した、三宅・深澤、両ディレクターによるプリクラ。あいにく収録日は雨でしたが、大展望台にあるプリクラでは、青空にそびえる東京タワーをバックにした写真を撮ることができました。さらに2人は地上145mから下を見下ろすルックダウンウインドウ(写真トップ参照)を体験したりと、つかの間ではありましたが観光気分を楽しみました。 東京タワーは高さ333メートル。エッフェル塔よりも13メートル高く、自立鉄塔としては世界一の高さを誇ります。
http://www.tokyotower.co.jp

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21_21 Image Photo


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターによる放談シリーズ、第3回目をお届けします。三宅一生と深澤直人が、東京タワーの大展望台から東京の街を眺めながら、都市、文化、デザインについて対話します。

エッフェル塔と東京タワー


三宅
東京タワーに昇るのは、実ははじめてなんです。長年東京に暮らしていて、近くまでは来るんだけど、なんか照れくさいっていうかね。
深澤
僕は今回で2回目位です。あんまり来ないですよね。
三宅
そうですね。高いところに上がるということなら、高層ビルと同じだろうと思っちゃって、意外と来ないものですね。
深澤
東京タワー、どんな感じですか。僕はノスタルジックな感じがしますけど。あとは、なんていうのかな、非日常的な東京というかね。
三宅
たしかにね。僕の場合、高いところに昇りたくなるのは、日本にいたくない、でも外国に行くのはいや、という時(笑)。そういう気分になると、東京の高層ビルの上の方に昇ったりします。
東京タワー
写真左:展望台から東方向を見下ろす。増上寺が見える。
写真右:展望解説ボードを見る深澤(左)と三宅(右)。ボードには東京の景観説明や建物の説明などがタッチパネル形式であらわれる。


深澤
東京タワーができたばかりのころって、ご存知ですか。
三宅
僕は高校の時に上京したんだけど、そのときはちょうど建設中だったのかな。このタワーは1958年にできているんですよね。
深澤
58年ですか。僕が生まれてすぐだな。
三宅
その当時は、パリのエッフェル塔のような高い鉄塔が建ったんだということで、もの凄く話題になっていました。こうして上ってみると、エッフェル塔とはずいぶんと趣が違いますが。
深澤
パリのエッフェル塔を参考にしたのは確かでしょうね。
三宅
そうですね。やっぱり、日本の文化そのものが元来、どこかから発想を引っぱってきているというところがありますよね。最近の例ですと、自由の女神をお台場にもってきたりとかね。
深澤
外来文化の歴史が長いから、日本人にはそういう発想がしみついているのかもしれませんね。とはいえ、やはり公共のものとなると、個人資本でつくるにせよよく考えないと、とんでもない問題になります。
公共にひらかれた建造物が良いものになれば、住む環境も文化的に高まるような気がします。けれども、回りをみてみますと、どうも日本は遅れをとっているような感じがしないでもない。三宅さんご自身は、21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)を立ち上げる際に、そういった東京の街への影響をどのように考えていらしたんですか。
三宅
日本では欧米に比べると、とりたてて文化がどうとか、美がどうとかはあまり言いません。そもそも文化や美というのは日本人にとってはいわずもがなというか、暗黙の了解の上に成り立っていたものだと思うのです。戦後は、社会がどんどん制度化され、高度成長などもあって、文化や美は時代に応じて都合のいいように解釈されて現在に至っているという気がします。だから、21_21ができることで、われわれだけでなく、みんながそういったこと、つまり文化や美の今と昔の違いなどに意識的になれるとしたらいいなと思いますね。
東京らしさ、イコール、ローカル?インターナショナル?


深澤
日本が鎖国していた時代について考えてみると、国自体で完結しようという、その知恵みたいなものはかなり発達していたんでしょうね。自分なりに思うのですが、都市や文化やデザインをはじめ、いろいろな考え方というのは、非常に高いレベルで完成していたような気がします。それが文明開化の波にさらされたり、戦争があったり近代化が促進するうちに崩れてしまい、カオスになった。今また、当初の完成された地点に戻ろうとしているんだろうけど、かなり難しいと思います。
三宅
そうですね。日本人が戦後の荒廃から立ち直るために、オリンピックやら万博やら、いろいろなことをやってきて今に至ったのだと思うけれども、やっぱり、どこかちぐはぐです。日本独特の、なにか大切なものを失いつつあると思うんです。
21_21 は、生活を楽しむことにも、生きることにも、デザインはつながっているということを伝える場所になればいいなと思います。オブジェをつくったり、ものをつくったりというのは同時進行的におこなわれるけれども、それだけじゃないんだということです。広く社会のことなども考えていけるといいですね。
深澤
外国で仕事をしていると感じるのですが、いま世界中が均一化してきている気がします。単純に考えると、僕らがパリに行けばパリらしくあってほしいし、ミラノに行けばミラノらしくあってほしい。逆に外国の方が日本に来れば日本らしくあってほしいって思うんじゃないでしょうか。けれども実際は、日本に住む人たちは逆を望んでいる。日本はパリらしくミラノらしくニューヨークらしいみたいな(笑)。インターナショナル化するということを誤解しているような気がするんです。僕自身は、もっとローカルな魅力みたいなものをつくっていければいいと思うのです。最近、外国の仕事が増えれば増えるほど感じるのですが、いわゆる京都・奈良的な日本というだけの解釈ではなく、東京なら東京らしさみたいなものをもっと考えていく必要があると思います。
三宅
僕なども、西洋的なというか、グローバライズされたものの対極にあるもの、日本的なものが面白いと思いますね。

放談vol.3 後編へつづく

来春のオープンに向けて準備が進む21_21 DESIGN SIGHT (以下21_21)の現在は?
この秋開催するトークイベントの概要とあわせて、アソシエイトディレクターの川上典李子が語ります。


アソシエイトディレクターの役割

21_21では三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3人のディレクターが中心となって企画を進めていますが、そこにご一緒させていただいてリサーチをしたり、あるいは、デザインジャーナリストとしての経験をふまえて、ディレクターに問いかけや提案をさせていただくのも私のおもな仕事です。
いま、3人が定期的に集まるミーティングやそれぞれの企画別のミーティング、ワークショップなどがひんぱんに開かれているのですけれど、それぞれを結ぶ役割というか、全体の流れをつかみながら皆さんと一緒に考えている、という感じでしょうか。
21_21は美術館ではないし、ギャラリーでもありません。デザインというひとつの入口から社会や生活、文化などいろいろな事を考えていく、自由な活動の場にしたいと思っているんです。具体的には、来てくださる方になにかを感じ、考えていただくきっかけになる催しとして、独自の企画展を開催していきます。まずはちょっと長めの、3ヶ月間の会期の展覧会があり、さらに、それとは別のさまざまな企画を予定しています。いまは第1回の企画展の作品制作が大詰めの時期を迎えているので、その作業に関わる時間が増えてきました。

展覧会の新しいつくり方を探る

企画展は、3人のディレクターが交代で展覧会のディレクションを担当していきます。ゆくゆくは外部からゲストキュレーターを招く場合も出てくるでしょう。
第1回は深澤さんのディレクションです。詳しいことはまだ申しあげられないのですが、"身近で子どものころから親しんでいて、それを貰ったり、手にするとすごく嬉しい気持ちになる、あるもの"を題材にしています。私たちが日常的に接していて、多くの人が好きなもの、なんですが......。
参加作家はさまざまなジャンルのクリエイター、約30組にのぼりますが、ワークショップを開催し、ディスカッションをしながら、それぞれが作品を考えていくという方法をとっています。たとえば深澤さんがある問題を投げかけ、返ってきた反応にさらに変化球を投げるという、すごくライブな感じで進んでいますね。ディレクターである深澤さんの視点が反映されていますが、キュレーター主導の展覧会とはまったくことなる、展覧会の新しいつくり方を実践している感じなんです。
展覧会が開幕した後も大切だと考えています。企画展はそれぞれの題材に対する私たちの結論ではありません。皆で考えてきたことのひとつの投げかけとしての展示をきっかけに、わらに来場者の皆さんが何を感じてくれるのか。そこから広がっていく皆さんひとりひとりの視点もいかしていきたいと考えています。そのために、会期中の様々なアクティヴィティも計画しているところです。そんなふうにして、21_21をよりオープンな場所、ものをつくるエネルギーを感じていただける場所としてつくっていきたいと思っています。

川上典李子から見た3人のディレクター

深澤さんも佐藤さんも三宅さんも、ものすごくお忙しいなかで、21_21には本当に意欲的に取り組んでいらっしゃる。それはもう驚いてしまうくらいで。身近な生活を楽しんでいると同時に、飽くなき知的好奇心の持ち主というところが共通しています。そのうえで、それぞれの個性というものがあって。
たとえば佐藤さんは、やっぱりサーファーだ、と思うことがあるんです。ミーティングしていて、アンテナで何かをキャッチした瞬間に「おーっ!」って全身で入っていく感じがして、予測不可能な事態を怖がらないところが波乗りっぽい!(笑)。 深澤さんはわりと冷静だけれど、面白がり屋なんです。観察と発見の天才で。ニコニコしながら、鋭い変化球を投げてきたりもするんですよね。そうきましたか、なるほどなるほど、って、深澤さんとのキャッチボールはいつも刺激的。三宅さんはもう、何て言うのかしら、精神がすごく柔軟。行動も実に軽やかで、驚かされることがしばしばです。いろんなことを見ていらして、話していると「この展覧会、このコンサート、よかったですよね」なんて教えてくださって、いったいいつの間に......?!と思うほど(笑)。しかも話題は、アートやオペラの最新情報からお笑いの世界まで、ものすごく幅広い。
また、仕事をしていてしばしば感じるのが、3人ともとても人間的な魅力にあふれた方々だということ、素晴らしいユーモアの持ち主だということです。デザインというのはやはり社会でいかされるものであるし、人が使うものですから、ヒューマンな視点は不可欠だと思うのです。3人が仕掛け上手だったり、自身の作品の伝え方を常にあれこれ考えているのも、人を楽しませよう、生活をより楽しくしようという気持ちからなんですよね。自分たちが面白いことしかやらない人たちですから、21_21の活動については乞うご期待!って、自信をもって言えます。

プレオープン・イベントしとして11月に[21_21 DESIGN SIGHT Talk]という催しをおこないます。たとえば館内のサイン計画だったり、企画展を開催するのに至る過程であるとか、現在の途中経過をご紹介する機会になります。制作の舞台裏のようなものも当然出てくるでしょうし、動いているということ自体が21_21の重要な性格だということを、いらしてくださるとよくわかっていただけるのではないかと思っています。



2006年9月14 財団法人三宅一生 デザイン文化財団にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十風一晴

「いもや」のカウンターの秘密


深澤
この近くに「マコ」っていうカレー屋があったの知ってる? そこのカレーを2ヶ月くらい食べ続けたことがあってさ(笑)
佐藤
それは、身体が傾くよ、いくらなんでも(笑)
深澤
けっこう面白かったよ。当時350円だったんだ。それをどれくらい続けられるかとか、へんなこと考えてた(笑)
佐藤
ひとりでやってたの?
深澤
ひとり。あんまり友達いなかったよ。それがよかったんじゃない? 
佐藤
そして、神保町の「天丼 いもや」。
深澤
行った行った。天丼もトンカツも。あの店に行くと必ず、順番が来るまで待つわけだけど、でも並んで待っている間に学ぶんだよね。あの店のシステムというかプロセスのすごさを。俺が一番驚いたのは、今でこそミニマリスムだと思うけど、どんぶりが棚に1個も入っていないんだ。
佐藤
そうだった、言われてみれば。
深澤
人数分しか必要ないから。全部循環しているから、棚の中に食器がいっさいない。
佐藤
お店が終わると、棚に入る。
深澤
そう。だから、すかすかしているんだ。すごいなと思った。
佐藤
並び方もシステマチックに決まっていたよね。食べているときは喋らない。たしか海老のしっぽまで食べると、大盛りが普通の値段で食べられたんだよね。
深澤
それは知らなかったな(笑)。
佐藤
「いもや」のカウンターがその後、言ってみればよみがえったというのがあるわけじゃない? 深澤さんにとって。
深澤
檜の、塗装していないあったかい感じ。寿司屋もそうだけど、席につくと、なんにしようかなって、こう、触るじゃない。あの感じだよね。接触している感じ。あれがいいんだ。
佐藤
あれが今の角アールにつながるわけですね?
深澤
あ、俺の? 2.5Rに?......つながってるね。感触としてはつながってる。
佐藤
後々、経験としてよみがえっているわけだよね。


深澤
考えてみると、一番最初に勉強を始めた頃の自分の試行錯誤って、今の自分の基準になってる。芸大の先生が描いたすごくうまい石膏像のデッサンを見たことがあるんだ。それは背景に影がついているわけ。みんなは石膏像の胸のところを黒く描いているのに。で、俺はいきなり背景から描いてみたんだ。
佐藤
えっじゃあ、その頃から、白い石膏像を描くならバックから描くと考えていたわけ?
深澤
でも「そういうのはテクニックをなぞっているだけだから、もっと胸の厚みをとらえろ」と先生に言われちゃって。
佐藤
でも深澤さんが正しいよ。もののとらえかた、考え方なんだから。でもあった、バックに調子がついていて、石膏像そのものにはない、そんなデッサンがあったね。
深澤
ピカソの、十代のときの、脚を描いたやつとか。
佐藤
それそれ。円盤投げの脚だよ。
深澤
それ。すごいんだよ。
佐藤
周辺とか、ものの関係というのを、その頃に考えていた? 『デザインの輪郭』じゃないけどさ。
深澤
うん。そのものを描くか、輪郭から描くかというのは、すでにそのころ考えはじめている。
佐藤
予備校のときに考えていたことって、実は正しかったんじゃないかって思うことっていっぱいあるね。そしてそのことを忘れていないんだ。今の基礎なのかな。
深澤
そう、今の基礎。あっていようが間違っていようが、そこから始まっていることは間違いない。
佐藤
深澤さんは、大学を卒業して時計のメーカーに入ったんだよね。
深澤
8年いたのかな。で、アメリカの会社に行って、それでもう、デザインがわかったみたいな。コンサルタントとしてのデザインを勉強して。企業のデザインをやって、今の自分がある。
佐藤
アメリカにいってからはもう、自分を確立していたと思う?
深澤
そのときは王道を行っていると思っていたけど、今考えてみるとやっぱりまわりの環境に、かなり影響されていたと思う。フリーになって3年半くらいで初めて、自分がひとりでデッサンをはじめたときと同じ状態にもどったんじゃないかな。自分で考えて自分で答を出していくことができるようになったというか。卓さんはフリーになったのが早かったから、すごいよね。
佐藤
今よりは経済的にいい時代だったから、なんとかなったのかもしれない。でもね、なんでもやりました。だってほとんど世の中に出ている仕事なんてないわけだから...ほんっとに、いろんなことを。だから、深澤さんの仕事見てると、最初から今の状態に目標を定めていたように感じるんだけど?
深澤
いや、それはいろいろ揺さぶられたから。デザインっていうのは多岐にわたっているからさ。全部とりいれて何が正しいかなんて考えると、ものすごく揺さぶられる。
佐藤
揺さぶられてさ、右や左にぶつかりながら、軸を見つけてる。
深澤
...見つけようとしてるんだけどさ、やっぱり揺さぶられているんだろうね。また10年後にやろうか、この話。
佐藤
いいね。10年くらい前のバブルの時代に、雑誌の取材で「いまどういうものが欲しいですか」という質問がきたわけ。僕が「普通のものが欲しい」って答えたら、記事にならないって言われた(笑)。その、「普通」という軸を10年ごとに考えたら、すごく面白いかもしれないね。
深澤
「普通の軸」っていうのは難しいんだ。それを考えることができるデザイナーっていうのが僕の基準になっているかもしれない。「普通の地平」を作れるかどうか。
佐藤
すごくデリケートで微妙なものだよね。
深澤
そう、微妙なものだけど、実はどこにでもあるんだよ。


2006年5月22日 画廊喫茶ミロにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/中野愛子

ふたりが語りあったのは、JRお茶の水駅から近い、画廊喫茶ミロ。創業50年を数える老舗です。営業を始めた1950年代からほとんど変わらない店内を、創業者の女性店主と娘さんが切り盛りされています。

[画廊喫茶ミロ]
所在地:東京都千代田区神田駿河台2-4-6
電話番号:03-3291-3088
営業時間:8:00〜23:00
定休日:日・祝

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21_21 Image Photo


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターの佐藤卓と深澤直人は、美術大学進学をめざしていた浪人時代、東京・お茶の水にある同じ予備校に通っていました。当時、面識はなかったそうですが、今回久しぶりにお茶の水の街を訪れたふたりが、デザインに目覚めた頃と現在を語ります。

深澤直人、デザインに目覚める


深澤
どんな予備校生だったんですか?
佐藤
まじめだったよ。髪の毛は長かった。
深澤
僕も。
佐藤
ロック聴いてた?
深澤
いや。髪の毛だけ。短かったらおかしい時代だった。
佐藤
美大に行こうと思ったきっかけって何だったの?
深澤
もともとは家業を継ぐつもりで、工業高校に行っていた。高校3年まではバスケに夢中だったんだ。インターハイが終わってから初めて進路を考えたわけ。図書館で『蛍雪時代』っていう雑誌を見ていて、いろいろな大学を紹介している特集号だったんだけど、「工業デザイナーとは、工業製品を通じて人に夢を与える仕事」って書いてあった。それで、これだ! と。それまでデザインのデの字も知らなかったけど、即決した。
佐藤
そのときにはデザイナーが何をやるのかなんてわからないんでしょう?
深澤
うん。なんか図面を書く人かなってくらいでさ。で、美大をめざして最初は見よう見まねでデッサンを描きはじめたんだけど、いくらなんでもそれじゃだめだろうってさ、芸大の卒業生が地元に戻って開いていた美術系の予備校に行った。女学生ばかりでさ。俺、男子校だったもんだから、デッサンよりそっちのほうに目がいっちゃって(笑)。で、ひととおり全部の美大を受けたんだけど全部落ちた。それでお茶の水の予備校に入り、浪人生活が始まったわけ。
佐藤
日本の美術教育ってまず石膏のデッサンだけど、面白かったと思わない? 先生に、おまえはうまいけど心がこもっていない、とか言われるんだよね。
深澤
俺は当時、そのへんにあるものをそのまま描けばいいと思ってた。いきなり全体をとらえろとか言われて、そういう見方もあるのかと思って。どんどん面白くなっていくわけだよね。朝なんて始発で来て、場所とりをする。
佐藤
うんうん、シャッターが開く前に並んで、開いたとたんに駆け込んで石膏像の前に場所をとるんだよね。あのときほどひとつのことに集中したことはないんじゃないか、と思うほど石膏デッサンに集中してたよね。
深澤
ものを立体的にとらえる、そういう目を鍛えたのは、美大というより予備校時代。このお茶の水界隈が、デザインやアートを一気に吸い込んだ時期だよね。
佐藤
そうそうそう。ここでの経験が基礎になってる。
佐藤 卓、グラフィック・デザイナーをめざす


深澤
卓さんは予備校に通っていた当時、デザインやるって決めてたの?
佐藤
親父がデザインやってたんだ。
深澤
なんのデザイン?
佐藤
グラフィック・デザイン。
深澤
おお! すごいじゃん(笑) 2代目、純血じゃん!
佐藤
小学生のとき、「卓ちゃん、お父さんは何をやっているの」って質問されたら何て答えればいいの? と親父に聞いたら「グラフィック・デザイナーといいなさい」と言われた。なにしろグラフィック・デザイナーが何をやってるかなんてわかんないんだけど、親父がやっていることがそうなんだろうと。石油タンクのデザイン、百貨店や吉祥寺駅前の小さなお店のシンボルとか。グラフィック・デザイナーってのは立体もマークもやるもんだと。
深澤
それは情報的に早いよね。
佐藤
デザイナーになろうと思ったきっかけは、LPジャケット。だから、きっかけもグラフィックなんだよ。高校の頃からロックとかブルースとか聴きまくっていたから。そうすると音楽が入ってくるし、ミュージシャンのファッションも入ってくるし、LPジャケットのデザインも入ってくる、文字も入ってくる。ロックという音楽のレールに乗ってすべて来るわけじゃない。グラフィック・デザインってのはよくわからないけど、とりあえずそれだと。で、美大に行くためには予備校ってのがあるらしいと。それで高校3年の夜間からここに通ってた。
深澤
そのころデザインと思っていたことと、今とはあまり変わらない? 
佐藤
それは変わった。はるかに。
深澤
今はデザインって、ある程度一般的になっているけど、そのころ美大に行くなんて、俺たちはかなり変わり者扱いされたでしょ。
佐藤
そうだったと思う。だってクラスにひとりぐらいしかいないし。美術系に行くというのは特別なことだから、担任の教師からも、もうわからないと言われた。デザイナーになるなんて特別なこと、みたいな時代だったよね。それがいま、学生の前で話すときに「特別じゃなくていい」と言っているわけだよね。
深澤
そうそう。僕はたまたま美大をめざして純粋培養的にデザイナーになったけれど、もしかしたら別のことに興味があり勉強していた人が、ポテンシャルを持っていることもあるだろうと今は思うよね。考えてみると、僕らが勉強をはじめたころは、確固たるデザインという言葉があって、ゴールをめざすというふうに思いがちだった。でも今は違ってきている感じがする。デザインやアートの世界には、そんな決まった道筋なんてのはないんだよね、きっと。自分で探っていくしかない。そういう意味で、予備校で夢中になって勉強できたのはラッキーだった。

放談vol.1 後編へつづく